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2009年10月 9日 (金)

公認会計士協会「監査提言集」への素朴な疑問

(追記; 私の素朴な意見に対しまして、chageさんよりたいへん貴重なコメントを頂戴しております。おそらく日本公認会計士協会さんもほぼ同様のご意見、もしくは支持されるご意見かと推測されますので、ご一読ください。なるほど、契約リスクですか。。。ちょっと勉強させてください。就任要請の点については、私自身またまたちょっと異論、疑問のあるところですが・・・・また別の機会に。chageさん、どうもありがとうございました!m(__)m)

会計士さんと仕事をご一緒する機会が多いことから、私は「監査提言集(平成21年7月1日改訂版)」をときどき参照させていただいておりますが、10月7日、日本公認会計士協会監査業務審査会作成にかかる「監査提言集」(正確には「監査提言集について」)が一般の方にも公開されることとなりました。(同意のうえで会計士協会のWEB上で閲覧可能であります)本来の「監査提言集」は、具体的な事例をもとに、実施した対応状況や改善すべき点、提言等の解説が付されているところがもっとも(監査業務の指南書として)有用かと思われますが、残念ながらその部分については(事例が「どこの企業の事件なのか」特定されてしまうおそれがある、とのことで)一般向けには割愛されております。ただ、<提言概観>だけでも、監査判断の適切性について、一般的にはどのように会計士協会が考えているのか?という点を垣間見ることができ、一般の経理担当者の方々にも是非お勧めの小冊子であります。

会計監査人の法的責任が問題になるケースでは、会計監査人の注意義務違反の有無を判断するにあたり、「標準的(一般的)な会計専門職として通常備えるべき注意義務を尽くしたかどうか」といったレベルがどの程度のものなのか、主たる争点となるわけでありますが、そういったレベル感を知るうえでも、この監査提言集は参考となるところであります。(なお、この監査提言集はあくまでも会員会計士の監査業務の指導を目的としたものであり、会則に基づく懲戒処分の判断資料として用いられることを目的としたものではありません)こういった監査業務指導のための提言集がある以上、一般的な会計監査人は、この提言にあるところを尊重して監査業務に当るのが通常である・・・と考えてよいものと思われます。

参照させていただくたびに「よくできてるなぁ」と感心させられるのでありますが、以前から外野の人間として素朴な疑問を持つところがございました。この監査提言集が平成20年7月以来、会員以外には公開しない・・・ということでしたので、ブログでも触れておりませんでしたが、一般向けに公開されたことで、若干の「素朴な疑問」を記しておきたいと思います。何点かあるのですが、今日はそのうちのひとつである「時間的制約のある監査人交代の監査リスク」に関する記述であります。「監査リスク」というのはなんとなく理解できます。前任の監査人が退任して、前任監査人からの引き継ぎや当該会社の潜在的リスク、前任監査人の退任理由などに鑑みて、十分なリスク評価、リスク認識をしなければならない、またとりわけ監査受嘱から意見表明まで超短期間かつ引き継ぎ不十分な状況での交代に関しては、とりわけ慎重にリスク評価をすべきである・・・という内容については理解できるところであります。証憑の慎重な評価、意見の慎重な表明の根拠として、この「監査リスク」の捉え方が基本となるように思います。

ただこの監査提言集のなかに(リスク評価の箇所に)「監査受嘱リスク」なる用語が出てきますが、これは一体どのようなリスクなのか、勉強不足の私にはちょっと理解できないところであります。(提言集をみても、監査受嘱リスクに関する定義が見当たりません。かろうじて、公表されていない後段の事例解説のなかでの「受嘱リスク」の使用状況から判断しますと、引き継ぎ以後、法定開示期限までの間に会計専門職として意見を表明するための十分な心証形成ができないリスク・・・ということかもしれません。)あるいは「監査を受嘱することによる法的リスク」を指すものなのでしょうか?ともかく、いわゆるリスク・アプローチにおけるリスクとは違った意味で用いられているものと思われます。このように監査受嘱リスクなる概念がどのようなものかは正確には理解しておりませんが、前任監査人から引き継ぎ間もない時期に意見を表明しなければならない場合には、たしかに就任された会計監査人の方にとって監査リスクは高いものの、そこで平均的な会計専門職としての監査手続きを履行したうえで結果的に不適切な意見表明に至ったとしても、そのことがリーガルリスクを高めることにはならないのではないか?と考えております。

これは監査研究学会のときにも基調報告のなかで申し上げましたが、会計士さん方の会社に対して負っている善管注意義務(もしくは注意義務)は、結果債務ではなく、手段債務であります。これはよく医療過誤が問われている医師の患者に対する治療行為の場面と同じであります。たとえば救命救急に携わる医師の施術については、時間との勝負、手持ち駒との勝負(大病院ではなく、小さな施設でできる施術には限界がある)ということですから、瀕死の患者さんへの施術には自ずと限界があるわけでして、その状況において医師としての一般的な注意義務を尽くすことができれば法的な責任は問われないわけであります。これと同様に、ある上場企業が、潜在的なリスクはあるにせよ、前任監査人が退任し、もはや法定開示の期限が迫っているような事態におきましては、たしかに後任の監査人にとっては監査リスクは極めて高いものではありますが、これを誰かが法定の証明業務に従事することの「社会的正義」は認められるような気がいたします。そして、そこに社会的な正義が認められる以上は、これに「後だしじゃんけん」的な会計士責任を問うような司法判断はなじまないのではないか、と考えます。

たしかに、人命を救助することと、上場会社につき「上場廃止」とならないように証明業務に従事することとは、ちょっと状況が異なる(人の命を救うことは、どのような場合でも正しい医師の行動だが、そもそも上場する価値のない会社を会計士が救うことに正義は認められない)ようにも思えるのでありますが、しかしどのような理由があるにせよ、上場会社には多数の一般株主や従業員、取引先が存在し、上場廃止によって多数の利害関係人の利益が喪失されてしまうおそれがありますので、これらの方々を(とりあえず)救うことはやはり社会正義にかなう行動ではないでしょうか。また、「上場する価値のない会社」かどうかは、いったん会計監査人に就任した後において、その会社の継続企業としての価値を精査したうえで判断しても遅くはないわけでして、そういった矢面に立った場面において、会計監査人の意見が会社の帰趨に影響を及ぼすことで、「期待ギャップ」と言われている会計士さんの社会的な地位向上にも資することになるのではないでしょうか。この提言集では「監査を受嘱せず、市場からの退場を促すことが社会に対する(会計士としての)責任を果たすことになる場合もありうる」とされておりますが、私はむしろ監査を受嘱し、監査人としての注意義務を尽くした監査業務を行ったうえで、市場からの退出を促すことこそ、会計士としての社会に対する責任を果たすことになるのではないか、と考えますが、いかがなものでしょうか。(なお、このあたりは公表されていない事例集のうち、ふたつほどの事例において引き継ぎ後任監査人の適切な行動を解説しているものがありますので、こういった事例をもとに検討するのが一番おもしろく、わかりやすいものかもしれません)

問題企業から監査人就任の要請を受けた場合、監査報酬で折り合いがつかず、後任監査人就任を拒絶することはやむをえないものと思います。また、後任監査人がそういった事態における適切な監査の方法を会社側に伝えたことで、監査契約が解消されてしまうことも考えられ、これもやむをえないものと思います。しかし監査リスクが大きいからといって就任を拒絶することについては、もしそれが監査人として懲戒処分リスクや法的責任追及リスクが高まることへの不安などによるものだとすれば、それは「公認会計士に対する責任追及の在り方」に関する認識に若干のズレが生じているのではないか、と考えます。私はIFRSの強制適用の時代に突入すれば、フォレンジック(会計不正への法的対応)は会計専門家の方々に委ねられる部分が極めて多くなるものと推測(確信)しております。そういった場面において、会計士の方々が中心的役割を担うためにも、今から「(会計監査上の)監査リスクと(法律上の)監査人の手段債務の関係」について十分検討しておく必要があると思います。

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コメント

はじめまして。
いつも,向学のためにブログを拝見させて頂いております。
本日の内容につきまして,私の知り得る範囲にはなりますがコメントさせて頂きます。

先生のおっしゃっている監査受嘱リスクですが,大まかに言えば監査リスクの説明として書かれている内容が,その中身となります。
監査リスクは,「財務諸表の重要な虚偽の表示を看過し誤った意見を表明する可能性」を意味します。一言で表現すれば監査を失敗する可能性を意味します。
これに対して監査受嘱リスクですが,一般的には契約リスク(engagement risk)と呼ばれます(協会がなぜそのような表現を用いているのかは不明ですが。)。
米国では,契約リスクに含まれるリスクとして,①監査リスクに加え,②クライアントのビジネス・リスク,③監査人自身のリスク(訴訟リスクや,法定期限内に監査を終わらせることのできないリスク,報酬をコストが上回ってしまうリスクなどが含まれます。)を認識しております。
ただし,米国もそうですが,契約リスクなる概念は,監査理論的に導き出されるわけではなく,どちらかと言えば実証研究の中で帰納的に導き出された概念であるため,我が国においては明確な定義付けはされておりません。
したがって,監査人として契約締結後に「契約しなければ良かった。」と思うような状況は,すべて概念上契約リスクに含まれることとなります。
(そうならないように,契約締結上,契約リスクを適切に評価しなさい,ということです。)

また,就任要請の件ですが,
投資家などは,監査人が就任することで「この会社は安心だ。」と過度な期待を抱く可能性がある点に留意する必要があります。「就任しておいて,なぜ無限定適正意見ではないんだ。」と思ってしまうことは大いに想定されます。
投資家の過度な期待は,マスコミの知識不足による情報が正確に伝達されないことや,そもそも監査に対する社会的認知度が低いことに起因します(基本的に無限適正意見以外に関し,作成側ではなく監査側が矢面に立たされやすくなってしまいます)。
もちろん先生のおっしゃる通り,監査人は善管注意義務(監査上の正当な注意義務)を果たしていれば,責任を負わされることはないのですが,
訴訟を起こされた事実そのものが社会的信頼性を損なう虞もあることは事実です(誤解されやすい職業ですので。)
したがって,投資家に対して過度な期待を抱かせないという観点から,(最初から結果が見えているのであれば)契約を受嘱しないという選択を取らなければならないこともあると考えられます。

長文かつ拙文である点,ご容赦下さい。
もし,御参考になるようでしたら,幸甚に存じます。

投稿: chage | 2009年10月 9日 (金) 11時30分

契約リスクの概念は日本ではなじみの薄いもので、その意味するところはchangeさんがお書きの通りですが、学者でもこの領域の研究者は少ないようです。私の知る限り、専門書として出版されているのは、「監査契約リスクの評価」(中央経済社)だけではないでしょうか。同書では、前半でアメリカの先行研究から、監査契約リスクの意義が明らかにされ、後半では、監査契約リスクの数学的(多変量解析のうちの主成分分析)な定量的評価が行われています。

投稿: 迷える会計士 | 2009年10月 9日 (金) 20時58分

時折お邪魔して勉強ネタをいただいています。

監査受嘱リスク(契約リスク)は至極当然のように、新規受嘱時および更新時に評価することになっています。
一般に、監査リスクが誤った意見を出してしまうリスクとすれば、契約リスクは経営体としての監査法人が監査契約をすることで、たとえ意見を出さなくても被る可能性のあるあらゆる懸念を意味しています。

世間では不適正意見とか意見不表明とかあたかも簡単にできると考えられていますが、指導的機能を通じて適正な決算をもたらすことができなかったわけですから、それ自体は監査の失敗を意味します。また、ひとたび監査契約を締結すると、それを破棄することも大変難しく、よほどのことがない限りは意見表明まで持っていかざるを得ません。

そうなると監査上検討すべき事象が生じた場合に、八方手を尽くして意見表明の根拠を得る努力をしなければならなくなりますが、内部統制の脆弱な会社や経営者の姿勢に問題がある会社は証拠が乏しく「意見表明のための合理的根拠を得た」と言えるだけの状態になかなか持っていけず、結果として意見不表明になることもあり得ます。

かような状況に陥らぬよう、経営者の誠実性、反社会的勢力、株価水準、株主構成、内部統制の強度、業界固有のビジネスリスク、監査リソースの十分さ(人数だけでなく業界知識とか取引知識など)、低廉報酬になる可能性などを事前に評価することになっています。

契約リスクはある意味での格付ですが、監査人の頭の中では監査報酬積算の最大の根拠でもあります。しかしそれを表に出して議論できるものではないので、経営者側と監査人との間で考えがずれると、報酬決定が難航することになります。よく米国と比べた監査報酬が高い安いの議論が紹介されますが、本当は契約リスクとリスクを軽減するための手続(監査)コストとして相対的に議論されるべきものであるはずです。

投稿: 閑人 | 2009年10月12日 (月) 14時24分

CHAGEさん、迷える会計士さん、閑人さん、熱いコメントありがとうございました。それぞれが、ちょっと私の考えうるレベルを超えたものでありまして、まずそれぞれの方のお話の前提を理解するだけでも相当の困難が伴うようであります。

なかでも閑人さんの「契約リスク」に関するお話は、おもしろいと感じました。なるほど、と思うと同時に、もう少し契約リスクと言われるようになった背景事情のようなものも知りたいところです。もし、閑人さんのような解説がなされている本など、ご存じでしたらお教えいただけませんでしょうか?これ、絶対ブログネタとしては価値があるなあと。

(また、お暇があったときで結構です。本当にありがとうございました)

投稿: toshi | 2009年10月15日 (木) 01時22分

山口先生。小生のつまらぬ書き込みお読みいただきコメントまでくださったこと感謝いたします。自分で読み直してみても分かりにくい文章で、汗顔の至りであります。

さて契約リスクについて論じた文献とのことですが、勉強不足のため、これといったものをお示しできないのがお恥ずかしい限りですが、日本公認会計士協会が、平成12年に、監査マニュアル作成ガイド「監査アプローチ編」(中間報告)監査委員会研究報告第10号(平成12年9月4日)というのを出しています。これはリスクアプローチが本格導入された際に、実務で具体的にどうやって監査を進めたらよいかの指針として出したもので、中間報告のまま、その後の更新はされていないようです。このあたりは、大手法人では「監査ノウハウ」として非開示になっているので、研究が進まない原因になっているのかもしれません。しかしJICPAの出す研究報告は、事実上は大手法人の行っていることを中小法人にも適用できるよう最大公約数的に要約したようなものが多いため、イメージはつかめるかもしれません。

肝心の内容構成は次のようになっています。

第1章 監査マニュアルの意義・目的
第2章 監査アプローチの概要
第3章 監査契約の締結
第4章 監査チームの編成と業務分担及び監査業務の管理
第5章 監査計画の立案
第6章 監査計画に基づく監査の実施
第7章 監査結果の要約と意見形成
第8章 監査意見の審査
第9章 監査結果等の報告と監査業務の最終段階での評価
第10章 監査調書
第11章 中間監査

つまり、リスクアプローチに基づく監査の一連の流れを解説したものです。

その中「第三章」に、以下のような項があります。


第3章 監査契約の締結
Ⅰ.総論
1.監査契約締結上の危険の程度の評価
2.監査契約締結上の留意点
3.新規契約と継続契約との区分
Ⅱ.実施する業務の内容
1.契約リスクの程度の評価
(1) 契約リスクの程度を評価する手順の確立
(2) 契約リスク要因の識別
(3) 契約リスク要因の分析
(4) 契約リスクの程度の評価の実施
(5) 継続監査の場合の評価手続の実施
(6) 監査人の交替の場合における評価手続の実施
2.高い契約リスクの場合への対応(契約リスクの管理)
3.監査契約書の作成

さらに、その中を見ますと、

Ⅰ.総論
1.監査契約締結上の危険の程度の評価
監査契約を締結するに当たって監査責任者は、監査対象会社が社会的・経済的にいかなる状況下にあるかを慎重に検討した上で、監査業務を受嘱するか否かを決定する必要がある。この手続が監査契約締結上の危険(以下「契約リスク」という。)の程度の評価である。
この「契約リスク」と監査業務遂行上における「監査上の危険性」とを区別し、契約リスクが顕在化するのを未然に防止するために行う手続が「契約リスクの程度の評価」の手続である。監査マニュアルでは、この契約リスクの程度の評価についての方針と手続を明確にしておく必要がある。


これを読みますと「監査上の危険性」という概念(いわゆる「監査リスク」と呼ばれているもので、粉飾を見逃してしまう危険と言えば分かりやすいでしょう。)に並んで、「契約リスク」という概念が登場しています。

これの後2007年2月に出たもので(手元にないので正確なタイトルは覚えていませんが)、JICPA東京会が「リスクアプローチによる監査の手引」という冊子を出しています。
その中に、「監査契約の新規締結チェックリスト」とか「契約更新チェックリスト」などのツールが入っています。

このあたりをご参考になさってはいかがでしょうか。ご期待に沿える内容かは自信がありませんが、また法曹というお立場からのご意見など勉強させていただければ幸甚です。

投稿: 閑人 | 2009年10月28日 (水) 23時41分

閑人さん、このたびはご丁寧にご紹介いただき、ありがとうございました。まだ手元にはございませんが、なんとか取寄せて勉強させていただきたいと思います。2007年2月ということですから、いろいろと監査上の問題が世間で話題になった後の時期ですよね。その時期にこういったチェックリストが出されることに興味をおぼえます。
また、読ませていただいた折にはエントリーとして感じたことを書かせていただこうかと思っております。

投稿: toshi | 2009年11月 3日 (火) 18時37分

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