日債銀事件最高裁判断と「公正ナル会計慣行」
当ブログでは長銀事件(違法配当、虚偽記載有価証券報告書提出罪)に関連するエントリーは数え切れないほどアップしてきました(「公正妥当な企業会計慣行」と長銀事件、なるカテゴリを選択していただければ、過去のエントリーがほとんど閲覧できます)が、いよいよ日債銀粉飾決算事件につきましても、本日(9日)最高裁で口頭弁論が開かれ、判決が言い渡される見込みとなったようであります。(ただし判決期日は未定)いろいろなニュースでも報道されているとおり、最高裁で弁論が開かれる・・・というのは、原審である高裁の判断が覆される可能性が高いことを示しております。いくら裁判長が元検事でいらっしゃる方であっても、また、その方が長銀事件最高裁判決において補足意見を述べておられる方だとしても、事件の筋および長銀最高裁判決の内容からみて、大方の予想どおり、日債銀の元経営陣の方々の逆転無罪はほぼ間違いないところではないでしょうか。
日債銀元経営陣の弁護人の弁論内容からみても、争点はほぼ長銀事件と同様であります。日債銀の元経営陣にとって、資産査定通達及び改正後の決算経理基準に従った会計処理を行うことが、平成10年3月期決算時において唯一の「公正なる会計慣行」だったのか否か、という点でありまして、改正前の決算経理基準である税法基準による会計処理が、公正なる会計慣行に従ったものとはいえない・・・というのが高裁判断であります。ところで長銀事件も、この日債銀事件も、おもに商法関係の学者の先生方や企業実務家の方々による論評をみかけますが、見方を変えまして「刑法学的な視点」から眺めてみますと、けっこうオモシロイのではないでしょうか?たとえば長銀事件の最高裁判決が被告人らを無罪としたのは、①商法および証券取引法上の構成要件該当性がないとしたのか、②(構成要件には該当するが)違法性阻却事由があるから、としたのか、③主観的な違法要素に欠ける(故意が認められない)、としたのか、そのあたりはきちんと整理されているのかどうか、興味のわくところであります。こういった刑法学的な視点から、再度長銀事件の最高裁判決を眺めてみますと、護送船団方式による事前規制型の金融行政から事後規制手法による金融行政へと転換する時期における金融機関の迷いのようなものや、そのような時期において(ノンバンク救済のための)母体行主義が当然とされるなかでの経営陣の経営判断原則を刑事事件でどのように理解するか、そして金融機関自体に大きな責任があることは当然のこととして、その責任を刑事事件のなかで、ひたすら後始末役を仰せつかった経営陣の個人責任だけに集約しても良いのかどうか、といったあたりの問題点が浮かび上がってくることに気付きます。
さて、迷える会計士さんがご紹介されているとおり、私事になりますが、11月18日に日本証券アナリスト協会主催の講演会でお話をさせていただくことになっておりまして、タイトルも「ますます重要性を増す『公正なる会計慣行』の理解~法と会計の共通認識の形成に向けて~」。話の内容は上記のような法マターの問題ではございません。今後のIFRS導入を前提として、会計基準の原則主義化、価値判断化が必至の状況でありますが、このような状況におきまして、何が「公正なる会計慣行」なのか、会社法431条の「公正妥当な企業会計の慣行」と連結財務諸表規則上の「公正妥当な企業会計の基準」とはどのような関係にあるのか、等の問題点を十分に理解しておきませんと、後出しじゃんけん的な第三者の判断によって経営者、監査人らが法的責任を問われる可能性が高まってくるのではないか・・・という問題意識のもと、その解決のための具体的な提言をお話する、というものであります。質疑応答含め、わずか1時間半という短い時間ではございますが、あまりこれまでセミナーなどで語られてこなかった話題ですし、本当に法と会計の狭間の領域に、長年横たわっている渋めの問題なので、おそらく新鮮な論点だと思います。アナリスト協会の会員でない方も、参加可能とのことですし、まだ11日まで聴講を受け付けていらっしゃるそうですので、ご興味のある方はぜひ東証の会議室までお越しくださいませ。
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コメント
法律家ではない者からのコメントです。
例えば、天然のロック・クライミング場Aが有って、お客さんに登らせているとします。役所Bから、年に一度の点検とその際の注意事項に関するガイドラインCがでていて、所有者・管理者はそれを守って、点検し、異状は無かった。一方、Aもメンバーである業界団体Dから、ある日、他のロッククライミング場の事例に鑑み、Eという観点からの注意も、点検にあたり必要であるとの注意喚起のメモが出た。所有者・管理者はAにも問題Eは有るかもしれないとの認識が有ったが、何もしなかった。 しばらくして、AにおいてもEを原因とする事故が起きた。この場合に、Aの所有者・管理者には過失責任があるのかないのか?
あるいは、業界団体からのメモは存在しなかったが、ガイドラインC上では該当しないものの、顧客に危険を及ぼす可能性がある事象FがAに生じていることを、所有者・管理者は認識していた。 しかし、ガイドラインC上は何も問題無いため、何の対策もなされず、お客さんにも危険が知らされないまま、事故が起きた。 この場合の責任はどうなるのか?
原則主義というは、ガイドラインCだけを墨守するあまり、お客さんが、結果として被害を受けた、上記のたとえ話のような話が、資本市場で起きないように、という趣旨もあるのではないかと思うのですが?
投稿: MAX | 2009年11月13日 (金) 13時55分
MAXさん、コメントありがとうございます。
前段のお話と、後段のお話とはかなり事情が異なるように思います。過失を議論するにあたっては、それが刑事上にせよ、民事上にせよ結果発生に関する具体的な危険性が認められ、またその危険性についての認識が問題になります。そういう意味では、後段の事例ではガイドラインに定めがなかったとしても、具体的な結果発生の可能性を行為者は認識していたわけですね。そうであるならば、結果回避義務はありますし、また結果回避可能性もあるわけで、行為者には過失が認められる可能性は高いと思われます。
いっぽう前段の話は、そもそもガイドラインがどうであれ、また業界団体の注意勧告がどうであれ、そもそも点検すべき状況において結果発生の具体的な危険性が認められません。ガイドラインに従わなかったこと、業界団体ルールに従わなかったことは、過失を基礎付ける事情のひとつには上げられるでしょうけど、そこに具体的な危険性がなければ過失責任とダイレクトには結びつけることはできないと考えられます。(過失という実効性担保ではなく、ガイドライン無視は別途罰則で規制することになります)
原則主義と過失に関する議論がそのまま関連するのかどうかはわかりませんが、たとえば会計基準に従っていたからといって、はたして公正なる会計慣行に従った会計処理がなされているかといえば、そんなことはありませんし、これは多くの法律家の論文でも出てくるところです。
以上、真正面からの回答にはなりませんが、たいへんおもしろい設問をいただきましたので、参考程度の回答をさせていただきました。
投稿: toshi | 2009年11月17日 (火) 01時46分
拙いコメントにお答えいただき、ありがとうございます。件の銀行の件を素人的に考えた時に、「このままでは危ないかもしれないと認識しているけれど、商売に影響するから、そのまま岩にお客を登らせてしまう。」という行為と、「当社は巨額の損を抱えているかもしれないと認識しているけれど、株価に影響するから(あるいは会社がつぶれてしまうから)、そのまま投資家に投資させてしまう。」という行為は、極めて似た構造に見えてしまうのです。
投稿: MAX | 2009年11月17日 (火) 17時58分