IFRS(国際財務報告基準)の強制適用は憲法違反ではないか?
最近の「旬刊経理情報」(中央経済社)さんは、IFRS関連の特集記事が目立ちますが、最新号(11月20日特別増大号)はまたまたスゴイ!「IFRS開示・徹底解説」ということで、総論と各論に分かれて、たいへん読み応えのあるスグレモノの内容になっております。本日リリースされました国際会計基準(IFRS)に関する豪州調査報告(日本公認会計士協会WEBより)でも、2005年にIFRSが強制適用されたオーストラリアにおきまして、注記情報が約2倍にもなり、膨大な開示情報の量となったことが報告されております。(その分、コストアップの要因になったとか。また「原則主義」といいつつ、金融商品の認識、測定など、詳細なルールが規定されているものもあるのですね。)IFRS開示の重要性からして、上記旬刊経理情報さんの企画はたいへんタイムリーなものかと思われます。(さっそく勉強させていただきます)
ただ、先のIFRSに関する豪州調査報告の内容として、IFRSの強制適用に係る法制度上の問題点(豪州はどのように法制度上、IFRSを合法的に適用したのか)に関する報告は出ていないようであります。だからといって、法制度上の問題が解決しているわけではなく、オーストラリアにおきましても、国際会計基準審議会が開発した国際財務報告基準は当然に法規範として扱われているわけではないようであります。(企業会計61巻5号弥永論文66頁参照)日本におきましても、IFRSの任意適用・・・ということであれば、「IFRSによる会計基準を許容する」というものですから、これまでの企業会計基準委員会が開発する会計基準と同様に金融庁のガイドライン等で承認すれば足りるものと思われます。しかし強制適用・・・ということになりますと、にわかに難問が生じることとなるわけでして、「一般市民の権利制限、義務負担に関わる強制力を、なぜ海外の民間セクターが開発した会計基準に付与するのか?」という法的な問題が浮上することになります。つまり日本国憲法においては、国会が唯一の立法機関であり、私人に対する立法権(国民の権利制限の根拠)の包括的な委任は認められない、とされております。したがって、民主主義的統制に服さない国際会計基準審議会の開発したIFRSなどには、当然に法的拘束力を認めることは、我が国の憲法に基づく法秩序と矛盾することになります。(これは、上記論文における弥永教授のご意見であり、また私も理屈としてはこのとおりかと思います)つまり、IFRSを会計基準として「許容」する(金融庁がお墨付きを与える)ことはとくに大きな問題ではありませんが、強制適用するということになりますと、憲法違反の疑いが生じるのではないか、というものであります。
将来的にIFRSが強制適用されたとして、その会計基準による処理方針、処理の結果に問題があり、粉飾決算とされて起訴されたような場合、被告人はこのIFRSの違憲性を主張して最高裁まで争う・・・という事態にもなるかもしれません。したがいまして、このIFRSの強制適用にあたり、どのような手続きを経て日本の法秩序に組み入れるのか、真剣に検討しなければならないものと思われます。そもそも連結財務諸表規則あたりで強制する・・・ということも考えられますが、これでは日本の立法機関が国際会計基準審議会の開発内容を(日本法の目的によって)強制できることが前提となりますので、どうも現実的ではないように思われます。このあたりは、いくつかの工夫が考えられるところでありますが、その工夫につきましては、また来週の日本証券アナリスト協会における講演会のなかで、私見を述べさせていただこうかと思っております。
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コメント
興味深い問いかけをありがとうございます。
現在の会計制度の枠組みでは、金融庁の機関である企業会計審議会が一般に公正妥当と認められた企業会計の基準として認めるかどうかの判断をして、その諮問結果を受けて、金融庁が「そうである」とお墨付きを与えることで権威づけられています。
この構造自体がある限りは、「一般に(国際的に)公正妥当と認められた」ものとなってしまえば、世間は拒絶のしようがありません。
しかし、実務現場ではさらに踏み込んで、そもそも今の会計基準が一般に公正妥当と認められるほど、きちんとした議論を経たものかという意見も多いところです。
本来は、「一般に公正妥当」とは、民法の一般原則である公序良俗とか善管注意義務、信義誠実といった概念と法的には同じものだと考えられます。であれば、国民の中で判例・事例・議論を積み重ねていきながら改善されていくべきものでしょう。
したがって、会計ルールが適切かどうか(公平・公正が保てるかどうか)と、ルールが適切に運営されたか(粉飾かどうか)の判断と、粉飾行為に対する罪の判断とは、密接に関係するものの切り分けていかねばならないのではないでしょうか。
少なくとも会計を運用する側の立場としては、司法や行政に会計運営の判断を委ねるようなことはあってはならず、測定方法論としての会計判断の部分の独立性は保たれるべきかと考えますが、いかがでしょうか。またそういう前提があれば、条約の批准のごとく立法府の判断でIFRS導入ができるかと。
投稿: 閑人 | 2009年11月15日 (日) 11時13分
閑人さん、コメントありがとうございます。毎度のことながら、閑人さんのご意見、大いに賛同いたします。といいますか、この「公正」というところはこれまで本気で議論されてこなかったのではないでしょうか?
会計基準が開発され、リリースされるとき、議論のなかでの少数意見のようなものも公開されますよね?どういう経過をたどって多数意見がとりまとめられるのかは存じ上げませんが、私はあの議論の結果出てきたものであるがゆえに「公正」なのかな、と考えておりますが、これはあくまでもプロセス重視の考え方であります。会計処理の妥当性の中身は、そえこそ会計実務家の方々の常識的判断が優先されるべきでしょうし、その「公正」にあえて司法判断がつっこんで審理する、というのも、なんかおかしな気もいたします。したがいまして、私も閑人さんのおっしゃる「切り分け」については検討課題ではないかと考えております。
投稿: toshi | 2009年11月19日 (木) 02時47分