IFRSの日本語版が発売される(された?)そうですね。2009年1月1日基準が約11カ月遅れでの発売・・・ということのようですが、売れるでしょうね。しかも原書よりも安い!そうですので、出版社の方々も「これは売れる」と見込んでの値付けなのでしょうか(^^; 以下本題です。
上場会社において会計不正事件が発生した場合に、事実調査や原因究明を目的として社外有識者による第三者委員会が設置されることが最近は多くなりました。拙い経験談ではありますが、不肖私が大阪弁護士会におきまして、来週「第三者委員会の業務」について同業者の方々向けに講演をさせていただくのでありますが、昨年かなり大きな会計不正事件が発生した某会社の第三者委員を務められた会計士の方から(本日)少しばかり参考意見を聞かせていただきました。
会計士の先生曰く
「いや~、やりづらかったです。第三者委員会の委員長は○○弁護士だったんですけど、不正の事実を特定するのに、ちょこっと証拠を集めて『これでよし!』ってことでして。なんでもっといろんな証拠を集めないのだろうか?って、ホントにこれで大丈夫なのかって、ヒヤヒヤしましたよ。弁護士さんて、みなさんあんな感じで心配にならないのでしょうかね?」
最近法律雑誌や会計雑誌で不正リスクマネジメントに関する特集が組まれたりしておりまして、そのなかで必ずこの「第三者委員会の設置・運営」あたりも経験者の方々によるガイダンスが紹介されております。とくに会計士さんの論稿などを拝見しておりますと、この「弁護士委員と会計士委員との意見の食い違いが発生して、迅速な意見形成を阻害する場合がある」と書かれております。ただ、その「食い違い」がどのような問題に関するものなのか、またどうして食い違いが発生するのか、その解消方法はどうするのか、といったあたりに具体的に踏み込んだものは見当たらないようです。
単純に使用される用語の慣用方法の違い(たとえば「調書」という言葉の持つ意味など)に起因するケースもあるかもしれませんが、私の経験からすれば、先の会計士さんの疑問に近いところに原因があるのではないか、と考えております。要は「不正」に対するアプローチの違いによるところが大きいのではないでしょうか。つまり「不正」を事実とみるのか、可能性とみるのか、というところであります。
弁護士は裁判を前提として事実を見る習性をもっており、絶対的真実主義を基礎としております。たとえば準備書面で「真実はこうだった」と主張して、これを証拠によって裏付けて、相手方よりも説得的な訴訟活動を展開しようとします。(刑事も民事も基本的にこれは同じです)したがいまして、「不正」は立証すべき事実であり、仮説を立てて、その仮説が正しいことを証拠によって証明することに尽力します。「不正がないこと」の証明という概念は原則としてありえません。いっぽう会計士は(とくに会計監査に従事する会計士さんは)投資家に対して有用な情報を提供するに足りる程度の真実、つまり相対的真実主義を基礎としております。そこで「不正」を認定するのは事実を確定するためではなく、財務報告に重大な虚偽記載が含まれている可能性を探るためであります。つまり虚偽記載リスクを一定程度に低減するために、不正調査が行われるわけですから、そこでは事実を確定することよりも、不正が行われた可能性が低いことを証憑をもって保証するこそ重要な業務になるものと思われます。したがって「不正がないことの可能性」を探る証明・・・という概念はあり得るはずであります。
そこで両者の思考過程に差が生じることになります。「不正」を事実と捉える弁護士は、その仮説を真実であると説得するだけの証拠が必要になりますから、証拠価値を問題とします。直接証拠や間接証拠、伝聞証拠など、証拠一つ一つの証明力には差がありますので、もし証拠価値の高いものが発見されたり、ヒアリングで入手できた場合には、その証拠をもって「不正」の立証が十分と考えることにも説得力(合理性)があるものと思われます。いっぽう、「不正」を財務報告に重要な虚偽記載のある可能性と捉える会計士は、投資家のために一定レベルの真実性を保証する、という観点から、たとえば「不正がないことの70%の可能性」に執着される傾向があります。その70%の保証レベルに到達するためには「1 ○○がないこと」「2 △△がないこと」「3 ××が存在すること」といったテーマを決めて、この1から3がそろわない限りは「不正がないとは言えない」という結論に導かれます。これは実態監査ではなく、情報監査を前提として監査をされておられる方々の習性ではないでしょうか。打ち消しの積み重ねによって、ある程度の心証を固める思考過程であれば、同じ証拠を弁護士と会計士が評価しても、弁護士にとっては「証拠価値が高いのでこれで足りる」と思われるものでも、会計士にとっては不正がないことに関する心証形成のための一つの証憑にすぎない、といった結果となってしまうように思われます。
弁護士委員が小さいことにこだわるのも、その小さいことが「不正事実」を立証するためには大きな証明力を持つからであります。しかし、重要な虚偽記載の可能性、という視点からすれば、「重要性の原則」に照らせば「小さいこと」は特に問題として採り上げるほどのこともないのかもしれません。ちょっと問題をデフォルメしすぎたきらいもあるかもしれませんが、委員間の意見相違の解決方法は、たとえば弁護士と会計士の「不正」に対するアプローチを認識し、それぞれの思考方法に(なかなか理解し合えない)差があることを真摯に尊重し合うところから見出すことができるのではないか、と考えております。