日債銀事件判決にみる「公正なる会計慣行」に対する最高裁の考え方
昨年7月18日の旧長銀最高裁判決に続き、本日(12月7日)日債銀事件(虚偽記載有価証券報告書提出罪被告事件)でも原判決を破棄する最高裁判決が出ました。平成10年3月期に係る有価証券報告書の提出につき、これまで「公正なる会計慣行」として行われてきた税法基準の考え方によったことが違法とは言えないとして、同銀行の頭取らに対する虚偽記載有価証券報告書提出罪の成否につき、破棄差し戻しを命じる判決であります。すでに最高裁判所のWEBページにて判決全文が公開されておりますので、とりあえず一読いたしました。(なお、一般に「公正なる会計慣行」なる概念は、旧商法および会社法上の概念であり、なぜ金商法上の「虚偽記載有価証券報告書提出罪」の構成要件該当性を判断する際にも適用されるのか?といった問題がありますが、ここではあまり深入りはしません)
ニュースですでに報じられているとおり、昨年の長銀事件判決は高裁判断を覆したうえで最高裁自身が無罪判決を出しておりましたが、この日債銀事件判決は高裁判決を破棄したうえで東京高裁に差し戻す(さらに審理を尽くさせる)・・・という判決であります。つまり税法基準の考え方によって貸付金評価を行うことが公正なる会計慣行に従ったものであったとしても、その方法等が税法基準の趣旨に沿った適切なものであったのかどうかは、もう少し審理をしてみないとわからない・・・ということで差戻しの判断に至ったものであります。(長銀の場合には、問題となった貸付先が関連ノンバンクであり、原則として当時の母体行主義によって「事業好転の見通しがない」とはいえないのに対し、日債銀の貸出先については一部ノンバンク以外の問題法人があり、そのような貸付先については本当に「事業好転の見通しがない」とすることが妥当なのかどうか、更に審理してみないとわからない、ということであります。検察側は訴因変更を余儀なくされるのでしょうか?)
原審が改正後の決算経理基準のみを公正なる会計慣行であった、と判断したことに対して、それ以前の税法基準に従った処理を行うことも「違法ではない」と最高裁は判断したわけでして、基本的な考え方については長銀事件と今回の判決とでは同一であります。しかしながら、日債銀事件で「破棄差し戻し」(更なる審理を尽くすべき)とした判決理由から、「公正なる会計慣行」に対する最高裁の考え方がさらに深く理解できるように思われます。ひとつは会計慣行の「法規範性」に関する論点、そしてもうひとつは会計慣行の「唯一性」に関する論点に関する理解であります。
昨年の長銀事件判決では、最高裁は決算経理基準に従わないことが「違法とはいえない」ということで無罪の結論を導きだしており、旧来の税法基準が当時どのような位置づけだったのかは不明でありました。(自ら無罪の判定を下すわけですから、構成要件該当性なし、もしくは違法性なし、とだけ理由付けをすれば足りるわけであります)しかし、このたびの日債銀事件最高裁判決では、この当時明確に税法基準が公正なる会計慣行であった(もしくは税法基準に従った会計処理が公正なる会計慣行であった)ことが判断の前提とされております。(この前提が認められませんと、差戻しで審理されるべき問題-税法基準に基づいて、その基準の趣旨に沿った会計処理がなされているか-が出てこないことになります。差戻し審においては、税法基準に従って、貸付先の資産査定が適切に行われたことが「公正なる会計慣行」に従ったものかどうかが争われることになります。)つまり、当時新しい決算経理基準に沿った資産査定を行った場合、それ自体も公正なる会計慣行に従ったものと評価されるものと思われますので、同一の時期に公正なる会計慣行は唯一のものではなくて、併存しうるものである(もしくは複数の会計処理方針の選択が許容されるほどの相当な幅をもつ概念である)・・・ということが今回の最高裁判断で明らかにされたものと思われます。
そしてもうひとつ重要な点は、会計慣行の法規範性に関する問題であります。会計慣行が併存しうるとした場合、同一の会計事象に対して複数の会計処理方針の選択が「許容される」ことになるわけでありますが(その意味において、公正なる会計慣行に従う・・・ということはかなり幅のある概念ともいえそうでありますが)、複数の会計処理方針が許容されない、つまり「公正なる会計慣行」について、会計処理方針の選択の幅がないといった場合には、そこに法規範に準じるような要件を必要とする、ということであります。そこでは、これまでのオーソドックスな裁判所の考え方が支配しており、①周知性(その会計処理方針が広く関係者に知れ渡っているか)、②通用性(現実の社会ですでにルールとして適用されているか)、③明確性(守らないと罰則を受けるようなルールの内容が一般人でもわかる程度に内容がはっきりしているか)が具備されてこそ、ある会計処理基準にのみ従うことが「公正なる会計慣行」である(もしくは会計慣行の唯一性を認めることである)と言えるのではないでしょうか。そして、以上のような考え方からしますと、単純に「公正なる会計慣行」は法規範に準じるものである、と捉えることは妥当ではなく、企業会計原則における相対的真実主義を法が認めたものといえそうであります。つまり会社の真実を映し出す鏡はいくつかあり、どれもいちおうは真実であって、虚偽ではない、しかしながら政策的な理由で「この鏡を使いなさい」と言われ、それが周知徹底され強制通用力をもったと認定される場合には、慣習法に準じるような力を持つルールになる・・・そんなイメージで考えるのが妥当であるように思います。
さて、以上はルールベースの会計基準が事実上強制通用力を持つ時代の話でありますが、プリンシプルベース(原則主義)のIFRS(国際財務報告基準)の時代にも同じことが言えるのでしょうか。粉飾決算につき法人や役員に対する金商法上の刑事罰や行政上の課徴金処分が待ち受ける以上、公正なる会計慣行とIFRS問題は、法と会計の狭間に横たわる今後の大きな課題であります。
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コメント
銀行の決算は、債権の評価をどうするか、引当金を幾らにするかが、損益上の大きな要素となる。
当時の有価証券報告書では、引当金に対する会計基準が、漠然とした形でしか表現されていなかったと思います。一方、投資家にとって、投資相手先の資産(とそれに対する引当金)の金額が、あいまいでは、安心して投資できない。銀行の場合、引当金に関する会計基準の適切な開示とその情報開示が重要と私は思います。
なお、IFRSを適用した場合、言わば全世界共通基準(必要な説明会自自公も含め)となるので、日債銀事件のようには、ならないのではとの気もするのです。
投稿: ある経営コンサルタント | 2009年12月 9日 (水) 15時42分
またまた、半可通のコメントになってしまいますが、文明開化以降、大陸法を採用した我が国に、戦後、米進駐軍が旧証券取引法を置いていった、と私は理解しています。現代の我が国の取締役は最終的に一体誰に責任があるのかが、整理されているようで、されていないのではないでしょうか? あくまでも、株主に対して責任があるのであれば、株主に「限りなく有用な情報」を提供するのが、プリンシプルとなるのでしょうし、「法人の利益の最大化」にあるのであれば、極端な話「(一気にやったら会社がつぶれてしまうような、処理ではなくて)、会社がつぶれないようにする。」を旨にやりましたということも有りなのではないでしょうか?
先日のことですが、過半の株主を保有する親会社が存在する、ドイツのとある会社の幹部に、「親会社の意思で、他の株主に不利益になるような商取引が行われることはないのか?」と質問して、「ドイツ法では、法人の不利益になることは、大株主の意思であっても行わないことが、取締役の義務であることが明白である。」と返答されたことがあります。
我が国においては、どちらかというと、英米法流に「取締役は株主に責任を負う」との方向に流れが定着したようにも思っていましたが、今後はどうなるのでしょうか? どっちの利益をも慮って「上手くやれ」となるのでは、確かに、これからの本邦取締役は、ますます大変なことになるかもしれませんね。
投稿: MAX | 2009年12月10日 (木) 14時06分
「公正なる会計慣行」とは、「『公正』なる会計『慣行』」であり、その判断をするに当たり『慣行』を『公正』より重視する考えを明らかにしたところが、今回の判決(長銀事件も同様)の意義ではないかと考えられます。
変化する経済環境の中、その時点時点で何が『公正』であるかを会社が的確に判断することはそれほど容易なことではありませんが、『慣行』であれば、同業他社や業界全体の動向から当然に知ることができますから、『慣行』を重視する方が会社の予測可能性に資すると判断したのではないでしょうか。
このような観点からIFRS導入後を予想してみますと、同一の経済実態であればひとつの会計処理が採用され(監査を通じて)、デファクトスタンダードが形成されていくと考えられますから、このデファクトスタンダードに反する会計処理を行えば、違法と認定されることは理論的には起こりえると考えられます。ただ、IFRSは世界的規模で導入されるわけですから、このデファクトスタンダードもワールドワイドのものとなり、会計実務に精通していない検察では、デファクトスタンダードに違反していると確証をもって言いえることは難しいのではないでしょうか。
投稿: 迷える会計士 | 2009年12月10日 (木) 19時06分