« 「公開会社法」法制化とソフトローの役割 | トップページ | 投信運用会社による議決権行使状況の開示義務付け »

2010年1月 7日 (木)

「公開会社法」時代の監査役制度の在り方について

昨日の「公開会社法法制化とソフトロー」につきましては、多くのアクセスをいただき、ありがとうございました。また貴重なコメントも順次拝見し、今後の意見形成の参考とさせていただきます。せっかくですから、もうひとつ、公開会社法で話題になっております監査役制度改革について一言だけ追加でエントリーいたします。

コメントなどを拝見したり、また他のブログを閲覧しておりましても、監査役制度の仕組みについてのご意見が中心になっておりまして、どうすれば制度が期待されたとおりに運用されるのか?といったところへのご意見はあまりみられないようであります。所詮、役員であれ、従業員であれ、社長に「監査役やってよ」と言われて就任するのがほとんどのケースでしょうし(もちろん法律的には株主総会で選任されるわけですが)、数年後には取締役に横滑りする、ということもよくありますので、いくら仕組みを変えてみても監査役に本来の仕事が期待できるのでしょうか・・・といったご意見も多く聞かれるところであります。

現場に近いところにいる者としては、なかなか反論しにくいところではありますが、ではどうやって監査役制度がより効果的に運用されるのか、という点についても検討する必要があると思っております。実際、平時の監査役さんのお仕事というのは、結構外からは見えにくいものであります。とくに内部統制システムを重視して、予防的監査と言われるようになり、適切に社内のリスク管理をしていらっしゃる監査役さんほど(つまり、監査役監査を受ける社内の雰囲気も良ければ、監査役さん自身の能力も高い、といった会社ほど)とくに目立った問題も発生しないということで、「監査役って、何をしているのだろう、とくにいらないのでは?」という意見も聞こえてくるのかもしれません。しかし実際には適切な監査役制度が運用されているからこそ、という事例もあるわけです。

こういった目に見えない監査役制度の運用では不十分ということになりますと、マスコミに登場するような、やはり「物言う監査役さん」がどれだけ今後出てくるのか、というところに(運用実績については)依拠せざるをえないのかもしれません。何か社内で問題が発生したときに、監査役としてはアクションを起こさないと「任務懈怠」に問われ、損害賠償責任を負担しなければなりませんよ・・・・・といった、いわゆる監査役さんの有事対応を議論するのは、こういった「物言う監査役さん」が登場する(登場せざるをえない?)インセンティブになるのかもしれません。

少し前までは、大和銀行株主代表訴訟判決(平成12年)とか、ダスキン高裁判決(平成18年)あたりが、監査役の任務懈怠責任が認められた裁判例として、けっこうインパクトがあったと思います。その衝撃を現役の監査役さんにお伝えすることで、「そうか、じゃあしっかり監査しないと、とんでもないことになってしまうのか・・・」「いやいや、こうなる前に辞任しちゃったほうがいいかも・・・」という教訓を心に刻むためには大きな意義がありました。しかし、これらの著名な判決は、元々の事件の大きさからみて、監査役さんに任務懈怠が認められても不思議ではない、ということは(感覚としては)言えそうでありますが、法律的には、監査役さんの仕事をどのように進めていけば善管注意義務違反にならないのか、ということへの答え(もしくはヒント)を付与してくれたかどうかはちょっと疑問であります。大和銀行事件では任務懈怠が認められたものの、結局損害との因果関係は否定されましたし、ダスキン事件につきましては、監査役さんの責任は他の取締役さんとの共同不法行為的な任務懈怠として認定されたものですから、いわゆる「監査固有の問題」からは離れているように思われます。

そういった流れで申しますと、平成21年に監査役さんの任務懈怠が(一部ですが)認められたライブドア投資家損害賠償請求訴訟(東京地裁)と、監事さんに関するものではありますが、先日よりご紹介している大原町農協最高裁判決は、それぞれ会計監査、業務監査の領域において、監査役さんがどの程度の仕事をしていれば、(たとえ不正が発覚したとしても)免責されるのか、という点をダイレクトに示したものとして、たいへん意義のある判決だったのではないでしょうか。こういった判例を分析するなかで、監査役さんがどのような状況で、どこまで職責を全うしなければ法的責任を問われるのか、という点を検討し、監査役制度の運用の方向性を示していくべきではないかと考えております。

|

« 「公開会社法」法制化とソフトローの役割 | トップページ | 投信運用会社による議決権行使状況の開示義務付け »

コメント

先生に伺うべきことではないのかもしれませんが、宜しければご意見を拝聴させてください。

今月のビジネス法務の野村先生を代表に、会社法と企業の経営スタイルを直結させるような
論説が比較的最近多いように思うのですが、会社法に株主中心主義等の経営に
誘導させるような機能があるのでしょうか?

ファイナンス至上主義にしろ、ステークホルダー中心主義にしろ、どうも学者さん故かも
しれませんが、総論と各論の乖離して、会社法制が政治に飲み込まれてしまうのではないかと
危惧してしまうのですが。

投稿: 丙野三郎 | 2010年4月23日 (金) 20時26分

ご意見ありがとうございます。
なかなか難しいご質問ですね。

日本のほとんどの株式会社が非公開会社ですから、会社法が「株主中心主義」の経営に誘導されていってしまう、とは思っておりません。それはあくまでも上場会社法制とつながりのあるごく一部の株式会社の問題であり、それ以外の会社につきましては、従来型の思考がまかり通るのではないかと思っております。IFRSに対する会社法の受けとめかたなどが典型的なところではないでしょうか。
会社法がどうなるか、という前に、私は上場会社法制を、公開会社法とするのか、会社法と金商法の調整問題とするのか、それともソフトローの問題として捉えるのかなど、交通整理の必要があると考えております。

投稿: toshi | 2010年4月26日 (月) 01時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「公開会社法」時代の監査役制度の在り方について:

« 「公開会社法」法制化とソフトローの役割 | トップページ | 投信運用会社による議決権行使状況の開示義務付け »