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2010年4月26日 (月)

「命燃やして-山一監査責任を巡る10年の軌跡-」を読んで

Inochimoyashite01 「5月7日第一刷発行」とありますので、まだ発売されたばかりでありますが、あまりのおもしろさに日曜日に全部読んでしまいました(210頁ほど)。 「命燃やして~山一監査責任を巡る10年の軌跡~」(伊藤醇 著 東洋出版 1500円税込)

著者の伊藤醇氏は約35年間、山一証券の監査人として従事してこられ、山一が経営破たんした直後から10年にわたり、会計監査人としての法的責任追及訴訟の被告として、中央青山監査法人(当時の中央監査法人)とともに、計6つの民事訴訟で「法廷闘争」を経験してこられた公認会計士の方であります。ご承知のとおり、山一証券の監査人に対しては、いわゆる監査見逃し責任追及は管財人、一般株主(集団訴訟として)、株主オンブズマンによって訴訟が提起されたのでありますが、管財人訴訟については和解による解決が図られたものの、それ以外ではすべて会計監査人側が勝訴(つまり監査人には過失は認められず、原告の請求が棄却)されております。しかし、著者は単に勝訴するに至った経緯を淡々と述べるのではなく、なぜ山一の2648億円にも及ぶ損失を監査手続きのなかで把握できなかったのか、その理由や実態はどうであったのかを明らかにすることこそ、山一監査を担当した監査人の義務として、本書のなかで詳細に解説をされておられます。そこでは、山一の含み損隠しに協力する信託銀行(2行)、大口顧客、そして海外のアカウンティング・ファームの存在が極めて大きかったことを掲げ、社外の第三者が関与する会計不正の把握が極めて難しい状況が示されております。著者はすでに(失礼ながら)70歳となられ、会計監査の第一線からは退かれたようでありますが、だからこそ、山一監査に関わった事情を包み隠すことなく表現されておられ、現役会計士としての守秘義務に触れない範囲で、実態を説明されておられます。こういったお話は、守秘義務に厳しい会計士の方からは、普段あまりお聞きできないところであり、たいへん貴重なものであります。

「人生を台無しにされた」と述懐される「法廷闘争」。管財人から訴訟を提起された平成9年ころ、あれだけマスコミから叩かれたにもかかわらず、完全勝訴判決が出た同19年ころにはマスコミからほとんど記事にもされず、たとえ記事になったとしても、事実だけを「ベタ記事」で取り扱われ、「裁判に勝つとはこんなもの」と冷静に振り返っておられます。ただ、現役の公認会計士の方による司法制度へのスルドイご意見については、キャッツの監査人でいらっしゃった細野祐二氏による一連の著書や浜田康夫氏による「会計不正」などがございますが(当ブログでも何度かご紹介しております)、この伊藤氏の解説は(訴訟代理人との信頼関係が終始良好だったせいかもしれませんが)非常にレベルが高く、できれば監査に関心のある法律家の方々にご一読いただきたい一冊であります。とりわけ監査手続当時は「念のため」に行われた確認作業が、その十数年後の裁判では決定的な証拠として扱われたことなど、裁判当事者でなければ出てこないような印象的な出来事なども綴られております。また本書のなかで批判の対象となっております「月刊監査役」の論稿(2本)や、「商事法務」の論稿について、これを法律家の立場からどのように受け止めるべきか、真摯に考えることも必要ではないか、と思っております。私自身も、アイ・エックス・アイ社の3名の監査役さんの「監査見逃し責任」追及訴訟(再生債務者管財人が原告)の被告ら代理人を務めさせていただいた経験からみて、架空循環取引への疑惑に目を向けることの困難さを痛感しており、伊藤氏のご指摘にはとても共感いたします。世論の流れのなかで、裁判官から「後だしジャンケン」的な発想で結果責任を問われないだろうかと、常に不安を抱いております。伊藤氏は、会計監査人だけでなく、監査役の方々にも、「どのようにすれば監査見逃し責任を問われる裁判で『無過失』を立証できるか」を考えるにあたって本書を参考にしてほしい、と述べておられますが、私もまったく同感であります。旧来の監査実施準則の時代から、リスク・アプローチ手法の時代へと移り、またナナボシ判決や東北文化学園事件判決、ライブドア事件判決など、会計監査人に厳しい判決が出る時代へと移ってもなお、この山一事件判決の枠組みは参考になるところが大きいものと思われます。

後半部分では日本公認会計士協会に対して不信感を抱かざるをえなかったエピソードも記述されており、山一事件の根の深さも表現されております。私は現在、この著書でも紹介されている山一事件訴訟(大阪地裁)の主任代理人の弁護士の方と、本事件を検証しているところでありますが、会計監査人の責任を追及する側からみても、(耳の痛いご意見として)非常に参考になるところであります。私は素直に著者の方のご意見に納得するところが多かったですし、このご意見を真摯に受け入れたうえで、原告側としてはどこに甘さがあったのか、監査実務への認識不足があったのかを反省、検証し、そのうえで、「裁判官を説得するための監査責任追及の方法はどこに力点を置くべきなのか」さらに多くの法律家の知識を集約していく必要があると考えております。本書はリーガルリスクに直面した会計士・監査役さんだけでなく、会計監査の法的責任を追及する側においても、非常に価値のある一冊ではないかと思います。とくに伊藤氏も「今後の施策」として指摘されておられる「リスク・アプローチ手法の周知」「会社法における内部統制システム構築」「金商法における内部統制報告制度」「監査役と会計監査人との連携・協調」などが、会計監査における「期待ギャップ」を埋めるためにどのように有効に機能するのか、今後とも注視していきたいと思う次第であります。(なお、最後になりますが、著者の伊藤氏は「本書は特定の団体や個人を誹謗中傷する意図で書いたものではない」とおっしゃっておられることを念のため付記しておきます。)

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コメント

書店に見当たらなくて,読んでなかったのですが,友人の公認会計士からも勧められたので,読んでみました。
管財人による訴訟で職権による和解を受け入れざるを得なかった部分,和解を勧告した裁判官への不信感もさることながら,「常に,同点のまま12回裏の守備についているような感覚を強要され続けた」という記述が,身に染みました。勝ったところで何の補償もない訴訟。負ければ,とんでもない額の負債を背負わされることになる訴訟。それを10年も続けてきた著者の熱意に打たれたところです。
ただ,演歌のような書名は,読んでいるところを同じ事務所の人間に見られたとき,少し恥ずかしかったですが(実際,石川さゆりさんの歌に同じものがありますね)。

投稿: Tenpoint | 2010年5月27日 (木) 15時58分

tenpointさん、おひさしぶりです。

これ、ホントにおもしろいですよね。目をそむけてはいけない現実があって、とくに法律家にとってはぜひお読みいただきたい、という趣旨からエントリーしたのですが、どっちかといいますと会計専門職の方々のほうに受けが良かったみたいです。
もし許されるのならば、一度著者の伊藤先生と意見交換をさせていただきたいと思っています。

投稿: toshi | 2010年5月30日 (日) 12時40分

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