« 過年度決算訂正と訂正内部統制報告書との関係 | トップページ | これも「監査役の乱」?(社外監査役が解任される・・・の巻) »

2010年5月25日 (火)

企業トップのリーガルリスクは確実に高まっているのではないか?

朝日新聞ニュースによりますと、先日のパロマ工業社の元経営者の方は、控訴しない方針のようで、有罪判決が確定する様子でありますが、本日も(民事事件ではありますが)過労死を巡る訴訟において、企業だけでなく企業経営トップの損害賠償責任も認められる、という異例の判決が出たそうであります。産経新聞ニュースによりますと、過労死弁護団全国連絡会議のコメントでは大手企業の経営トップの賠償責任が認められたのは初めて、とのことであり、「労働時間が過重にならないように適切な体制をとらなかったこと」について経営者に過失ありと判断されたそうであります。経営者の積極的な行動が「過失」と認定されたのではなく、いわゆる「不作為」が過失として認定されたようですね。

会社法上の内部統制構築義務違反が、経営トップの責任根拠となり、具体的に損害賠償責任や刑事責任が認められたのは、最近の事例だけでも日本システム技術事件判決(ただし最高裁は否定)や、貴乃花親方名誉棄損(新潮社)事件判決、また先日のパロマ工業事件刑事判決、そして本日の大庄事件判決など、目立って増えております。また注目されているJR西日本元経営陣への強制起訴事件も現在係属中であります。とくに今回の過労死訴訟で経営トップの過失が認められたことは、セクハラ・パワハラ等、企業の職場環境配慮義務が問題となる事件にも影響が出るものと思われ、極めて重要な意義があるように思われます。経営陣が接する不祥事情報としては、どう考えても労務コンプライアンスに関する情報が圧倒的に多いわけですから、「法令遵守体制を容易に構築することができた」と認定される可能性も当然のことながら高まるわけでして。

もちろん、これまで内部統制構築義務違反が問題とされてきた判決同様、法的な責任あり、と評価される根拠事実が(具体的な事案において)どのように認定されたのかが、もっとも重要な関心事ではありますが、確実に経営者の方々は、このような訴訟に巻き込まれるリスクは高まってきているようです。(執務時間中のため、とりあえず備忘録程度にて失礼します)

5月 25, 2010 内部統制義務と取締役の第三者責任 |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104680/48454475

この記事へのトラックバック一覧です: 企業トップのリーガルリスクは確実に高まっているのではないか?:

コメント

トップが刑事的にも最終的な責任を取るという風潮が高まってきたのだろうと思います。知らなかったでは済まされないということなんでしょう。

内部統制を構築して、知るべき情報はトップが知っておかなければならないわけですが、サラリーマン社長には酷な話だとは思います。

内部統制構築が出来ない企業の対策としては、
1・役員の人数を減らして懲役も厭わない滅私奉公できる人間を役員を据える(問題が起きた時に全責任を背負う鉄砲玉役員)
2・逆に役員の人数を必要以上増やして責任の所在を曖昧にする

わたしは、2よりも1が有効だと思います・・・オーナー企業なら真の経営者を顧問名義などにして逃げる方法だってあるんじゃないでしょうか?

内部統制構築はやり過ぎると企業の自由度が極端に減りますし、経営効率が悪くなります、締めるところは閉めて、予想しなかったような問題が起きたら運が悪かったと思うしかありません。


投稿: ターナー | 2010年5月25日 (火) 19時28分

特定の事件についてのコメントではなく、内部統制構築義務を巡る最近の判例をみて思うことは、内部統制システムの狙いは、「経営の適正の確保と取締役の免責(従業員等による不正が生じても内部統制システムが構築・整備されていれば取締役は個人責任を免責される)の2つである。(会社法入門・岩波新書・神田秀樹著)」という本来の法の趣旨が、裁判所により誤った方向で、言い換えれば結果責任的な解釈されているのではないかということです。完璧はありえない上、事件当時ではなく、裁判当時の基準で判断されるため、結果的に全てが内部統制システム構築義務違反になってしまっているではないかと思います。

果たして、裁判所が考える内部統制システムの構築により取締役が免責される基準というのは、どんな内容なのでしょうか。そもそもリスクゼロなんてありえないのに、リスクゼロを求めているように思えてしまいます(ここの判例を分析してのコメントではありませんが、一市民の法感覚に照らしての見解です。)

不作為が過失になるなら、憲法の定数不均衡(不平等)訴訟は、全て、国の内部統制システム構築義務違反ですか。判断ミスのレベルまで過失と認定するなら、裁判所の判決ですら過失ありということで、裁判長以下の裁判官の法的責任を問うことになるのでしょうか。


悪意ある企業には民事・刑事・行政の各方面から厳しく処断すべきですが、理想論から言えば不足していたというレベルまで過剰に企業側の法的責任を認めてしまうことは、経済全体を疲弊させるだけのように思えます。怖くて誰も何もできませんよね、企業は。こんな現状では。


投稿: コンプロ | 2010年5月25日 (火) 23時26分

ターナーさん、コンプロさん、コメントありがとうございます。

先日のパロマ工業刑事事件判決に関するエントリーのときにもたくさんのコメントをいただきましたが、今回も「射程範囲」を十分に認識しておくことが必要ですし、これは重要な法律家の仕事だと思います。また、裁判ですので、別の裁判官が同じ感覚で判決を下すともかぎりません。

ただ、使用者責任や債務不履行責任で過失が問われるのは現場、そして責任を負うのは企業という図式が成り立っていたところへ、企業経営者という指揮監督の統括者が登場してくるのは、やはり我々からみても「厳しい」という感覚です。これはとてもブログでは書ききれないものを感じます。とくに今回の事例はどこの会社でも抱えている労務コンプライアンスに関わるものであり、ターナーさんではないですが、本気で検討しておく必要があるのではないかと思います。

投稿: toshi | 2010年5月26日 (水) 11時32分

いつもブログ拝見させていただいております。

ざっくばらんな私見ではありますが、私も裁判上の‘要するには内部統制構築義務違反だから経営者の責任だ’という責任追及のあり方には強い違和感をもっています。
経営者も一個人なわけですから、現実的には直接目の届く範囲は限られてくるものであって、それでも組織として不正などを防止するしくみをつくる責任はあるとの理屈は理解し得るところでありますが、どうも裁判上の結果責任にしても浮世離れしたところで、理論が一人歩きしてしまっている感じがしています。アルバイトが問題を起こしたときも経営者個人の賠償責任になるのでしょうか?

ところで、開示府令の改正によって役員報酬が1億円以上の場合はその金額や内容を有価証券報告書に開示することとなりました。その背景として役員報酬に対する投資家や一般世論の目が非常に厳しくなってことにあるように思います。しかし、その一方で、何か不正などがあった際は、内部統制構築義務違反という筋書きで何でも経営者の責任を追及するのであれば、リスクリターンのバランスからして現実的に日本の経営者が得ている報酬は低すぎるのではないかという感じもします。

「役員の報酬は高すぎる、もっと安くせよ」(これは直接的には開示府令の問題ではないかもしてませんが)としつつ、「責任は何でも経営者にあるから何かあったら賠償せよ」では、バカバカしくて経営者をやる人などいなくなってしまうのではないでしょうか? 責任を追及するのであれば、もっとアメリカ的な高額報酬が肯定化されるとかもありだとは思いますし。

いずれにしても昨今の一般世論や法律実務のあり方には、長期的に経済を衰退させる方向にめいいっぱい舵を切っているような気もしまして、日本経済の活力に関連して強い危惧を感じますが、そのあたりを法曹関係者はどのように捉えていらっしゃるのか、いかがなものでしょうか?

投稿: エスアイ | 2010年5月26日 (水) 14時13分

エスアイさん、ご意見ありがとうございます。企業実務家の方々は、おそらくエスアイさんと同様のご意見の方が多いのではないでしょうか。内部統制報告制度あたりの話題もまた、同様のご意見が(とくに最近は)寄せられるようになってきました。

私は日本システム技術事件の最高裁判決が、重要なメルクマールを投げかけていると思っています。法律家はどうしても規範的な考え方で、「法律がこう書いているのだから」という理屈で役員の責任を追及する傾向にあります。しかし、私も役員ですから理解できますが、社長さんはF-1マシンを操るドライバーのようなもので、高性能のエンジンと、高性能のブレーキを駆使して、持続的成長を遂げる必要があります。したがいましてブレーキも必要なのですが、「やれる範囲」というものも考慮しなければならないと思います。(上記の最高裁判決はそのことを明確に示していると思います)
バランス感覚が今後必要になってくるとは思いますが、弁護士の数も飛躍的に伸びています。少ない着手金でも、企業の責任を追及する事件を受任する弁護士は当然のことながら増えていくでしょう。少なくとも、訴訟に巻き込まれる経営者の数が増えることは間違いないであろうと予測しています。

投稿: toshi | 2010年5月27日 (木) 02時12分

十把一絡げにしてはいけないのだと思います。

パロマの場合は、(事実上の)親会社と修理会社との一体性があるゆえオーナーの責任は免れないということでしょう。マスコミを通してですが、オーナーの誠意のなさが伝わってきたという面もあります。

逆に、出版社の社長が同社発行の雑誌の記事に関連して責任を取らされたという問題は、司法側の理解不足を感じます。深刻な問題ではないでしょうか。

これらのことと、役員報酬額の問題とは、リンクして語られてはなりません。訴訟が怖くて役員になりたくないのなら、どうぞお引き取り願いたいものですな(笑)。

投稿: 機野 | 2010年5月28日 (金) 00時30分

機野さん、こんにちは。

>逆に、出版社の社長が同社発行の雑誌の記事に関連して責任を取らされたという問題は、司法側の理解不足を感じます。深刻な問題ではないでしょうか。

先日、関西テレビで講演をさせていただき、懇親会の席上で、この問題が議論されました。番組編集権と雑誌とでは差があるのかもしれませんが、やはり企業における編集権の問題についてはたしかに十分な検討が必要ではないか、という認識をもてました。内部統制の議論を深化させるためにも、もっと議論されるべきですね。新潮社と講談社で判決が分かれましたが、高裁での判断はどうなるのか興味があります。

投稿: toshi | 2010年5月30日 (日) 12時49分

コメントを書く