連邦量刑ガイドライン改正と日本法への適用可能性
企業の内部統制やコンプライアンスに詳しい方であればご存知だと思いますが、米国には「連邦量刑ガイドライン」が定められております。米国の連邦法では、企業犯罪に対しては非常に高額の罰金が規定されておりますが、いっぽうで裁判所がその量刑を判断するにあたり、企業内において一定の法遵守プログラム(コンプライアンス・プログラム)を備えていた場合には、量刑上の軽減を認める指針のことであります(いわゆるアメとムチによる政策)。このガイドラインは1991年に制定されたものですが、2004年に改訂され、SOX法の影響を受けて企業自ら内部統制システムを構築するためのインセンティブになっていることは周知のとおりであります。
ところで「月刊監査役」2010年6月号における柿崎環先生(東洋大学法科大学院教授)の論稿「米国における連邦量刑ガイドラインの改正と内部統制」によりますと、このガイドラインが2010年4月7日付で改正されたそうであります。(米国量刑委員会のWEBを拝見してみると今年11月から施行予定とされております。)
これまではコンプライアンスプログラムの内容については「犯罪の予防」に重点が置かれ、また経営幹部が関与する不正事件には適用されなかったのでありますが、このたびの改正では「たとえ上級幹部が違法行為に関与していたとしても、改正条件を満たす法遵守プログラムが機能していれば、会社の量刑上の軽減が認められる」ことになったそうです。その改正の条件というのは、「犯罪の発見とその是正」に重点が置かれておりまして
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というものだそうであります。企業としての量刑は軽減される余地が広くなりそうですが、その分、運用の面において厳格な対応が要求されることになる、とのこと。不祥事は予防できるものではなく、かならず発生するリスクと捉えるならば、そのリスク低減のための運用実績こそ評価されるべきだと思いますので、こういった改正への流れは自然のように思われます。
我が国においても、独禁法上のリーニエンシー制度(自主申告制度)が比較的実効性が高いものとして評価されておりますが、こういった企業の自浄能力を高揚させる施策が講じられる可能性も十分にあると考えます。課徴金制度の普及もさることながら、昨今の判例にもみられるとおり、企業経営者自身への厳罰化、という流れが出てくるのであれば、過失犯認定のプロセスまたは情状の面において、こういった制度も活用できるのではないでしょうか。そこでは当然のことながら情報ラインの透明性や、犯罪発見時の迅速な対応などが要求されるのであり、今後は内部通報制度や公益通報への平時の対応が、法制度面においても注目されることになるのでしょうね。証券市場の健全性確保、という面におきましても、すべての上場会社に重いルールを課すのではなく、ルール違反にはあらかじめ重いペナルティを決めておいて、ただし各企業の法令遵守体制への取組みを量刑において反映させる、ということも考えられるのかもしれません。(ただし行政処分に裁量が認められる、ということの合意が前提となりますが)
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コメント
懲罰的損害賠償など高額ペナルティ・厳罰が妥当する国の制度であること、違反の事実がないにもかかわらず早期に認めてしまうおそれ(ある意味で企業の冤罪)、会社のために個人が犠牲になるおそれ(本当の冤罪)、マスコミや消費者勢力によるバッシング損害は回避できないこと、などから、相当のアレンジを加えないと日本には持ち込めないと思います。
司法取引が受容されないのと似ています。合理性には疑いないものの、風土がついてこないのではないでしょうか。
投稿: JFK | 2010年6月 1日 (火) 00時04分
JFKさん、こんばんは。
たしかに風土の問題はありますね。
たとえば証券市場に限って、ということで米国のプロベージョン制度のように取引所ルールとして導入する、というのはどうでしょうか。
要はできるだけ厳格なルールの一律適用を回避しつつ、規律保持の実効性を上げる試みについて検討したい、というところです。
ところで、JFKさんにも意見をいただいていた2008年に議論のあった汚染土地売買に関する瑕疵担保責任の最高裁判決、出ましたね。「高裁判決おかしいぞ」という感覚は当っていましたが、最高裁は「瑕疵」に該当しない、という論理構成をとっているようです。またエントリーにしたいと思います。
投稿: toshi | 2010年6月 2日 (水) 00時23分
裁判というものは、決して真実・真相を明らかにする場所ではなく(そんなものは神様にだって分からない)、社会秩序を維持するための調整手段であって、それ以上のものでも以下のものでもない、ということを学校教育で教えるべきだしマスコミも司法自身ももっとアピールすべきだと思います。
お白洲もの(裁判もの)が好きですからねえ、我々日本人は。「大岡裁き幻想」に囚われているんですよね、未だに(笑)。
投稿: 機野 | 2010年6月 2日 (水) 00時41分
予防の実効性は間違いなくあると思われますので、限られた分野でソフトに導入して効果を測定するのが現実的です。ただ、コンプライアンスプログラムそのものの意義が薄れないか、運用がゆがまないかといった点はやはり気になります。
高濃度フッ素含有の土地売買の事件ですね。本日エントリーがあるのでは?と少し期待していました。
高裁のロジックでは売主に酷すぎると直感的に思っておりましたので、最高裁の結論は妥当だと思いたいところです。しかし、瑕疵該当性で切ってしまったのは意外です。こんどは瑕疵概念を限定しすぎではないかと思います。人体に有害な高濃度フッ素は取引時点から既に存在していたわけですから…。契約当時に有害性が知られていなかったのであれば納得できますが、高濃度フッ素が問題となった本件では瑕疵を否定するのは困難ではないでしょうか。買主としては、契約で主観的瑕疵概念を拡げておけばよかったのですかね?
正直なところ、平成13年判例の射程判断を期待していたので、拍子抜けしております。
投稿: JFK | 2010年6月 2日 (水) 01時10分