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2010年9月21日 (火)

検察の捜査資料改ざん事件(特捜検事のコンプライアンス)

ビジネス法務とは関係ありませんが、法律家としてコメントしたほうがいいと思いますので一言だけ。

大阪地検特捜部における「捜査資料(証拠)改ざん」報道にはビックリしております。刑事裁判の場合、検察官は起訴すべきかどうかの判断権を独占しているわけですから、証拠から判断して立件できなければ起訴しない、という選択肢もあるわけです。したがって、そこで吟味される捜査資料(本件ではフロッピーディスク)が改ざんされる可能性があるなどとは、到底信じがたい(考えられない)ですし、どういった組織の力学によってそのような「おそろしい出来事」が発生するのか、まったく見当もつきません。合理的な疑いを入れない程度にまで犯罪事実の存在を立証すべき立場にある検察において、「証拠改ざんを疑わせる」ことはどんな事情があっても、あってはならない事態ですし、検察制度の根幹を揺るがす事態です。

郵便不正事件の無罪判決以上に驚くべきことであり、弁護士としては戦慄を覚えます。これからの裁判員制度の裁判において、もし私が弁護人だったら、まず今回の事件を枕詞として利用し、検察庁ではこういったことが行われているのです・・・これから始まる裁判でも、同様のことが行われているかもしれません・・・と、裁判員の方々に説明することになると思います。そういった事態にならないよう、最高検はしかるべき方針のもとで、国民へ説明責任を尽くしていただきたい、と思います。

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コメント

DMORIです。最高検の動きは速かったですね。朝日新聞のスクープから即日で主任検事の逮捕とは、危機感の大きさとはいえこの迅速さは評価してよいと思います。
尖閣沖での中国漁船衝突事件で、中国報道官からも「日本の海保はビデオを公開すればよいではないか」などと言われてしまったグズグズ対応に比べれば、いい動きです。
話を戻して、検事逮捕の件ですが、FDの更新日時を改ざんしたあと、そのFDをそのまま被告人側へ返却してしまったのは、検事のポカなのでしょうか。
FDを返却するなら、少なくとも調書で確定させた正しい更新日時に、再度修正してから返却しないとまずいのですが、そこに気がつかなかったのなら、お粗末な話です。
もう1点は、こうした証拠改ざんは、前田容疑者の犯行が前代未聞なのか、氷山の一角なのかが、最大のポイントでしょう。自分たちの予測したストーリーで逮捕したものの、今さら証拠が矛盾するなどということになったら、自分のこれまでの業績・信用に傷がつく、なんとしても有罪になってもらうしかない、という悪のささやきは、いかに倫理観を高めた職種とはいえ、大なり小なりあるのではないでしょうか。

投稿: DMORI | 2010年9月21日 (火) 22時38分

DMORIさんがおっしゃるように、氷山の一角なのか、気になりますね。検察であれば捜査機関にバレない証拠隠滅の仕方も当然熟知しているわけですから、今回はわきが甘かった、偶々足がついただけ、すなわち氷山の一角だという推定の下で、徹底的な検証をするべきだと思います。
それにしても、普段不合理な言い訳を聞いて辟易しているであろう人間が、いざ逮捕されると同じように不合理な供述をするのですね。もっとも、そんなニュースすらあくまでニュースであって、真実なのかはわかりませんが…。何がほんとなのかよくわかりませんね。

冤罪のおそれの面ばかりが強調されますが、証拠がこんな扱いになっていると、真の犯罪者が裁かれないという悪弊も生じかねません。可視化の議論に飛躍させるのもよいですが、そんな一面的な問題ではないと考えます。事態はもっと深刻だと捉えるべきです。

投稿: JFK | 2010年9月21日 (火) 23時34分

まあ、氷山の一角なんでしょうね。
テレビ局もヤメ検の弁護士を呼んできてコメントを求めるのなら、
「個人的な犯罪です」という答えをただ聞いているのではなくて、
「あんただって、問題がないと思った範囲でなら、やったことあるんと
 ちゃいますのん?」と司会者も聞き質さないと。いや、マジに。

司法修習生の給与制度問題に対する日弁連の対応を見ても感じること
ですが、法曹界、司法の世界というのは特別扱いを受けて当然という
驕りがあるように思います。

池田信夫教授の意見には賛同することも賛同できないこともありますが、
日本の「資格獲っちゃえば永久就職、先生と崇められる」主義を打破し、
医者も教師も弁護士も会計士も、資格は欲しい人にすぐにいくらでも
与えて、その上で各人がその資格をどう活かすか、どう生きるか、
どうやって食べていくか、社会に何を成すべきかを考えさせ、研鑽させる
いうのが、正しいような気もしてきました。

投稿: 機野 | 2010年9月22日 (水) 00時21分

「氷山の一角」説は、すでにいろんなところで賛同者が増えているようです。俺も冤罪だ、私は無実だ、という声が日本中で湧きあがっているようで、最高検が素早い対応に出たのも、なんとなく頷けます。本文で書いた「次の裁判員制度はこれでいこう!」といった弁護士さんの声も本当に聞かれます。
私は「個人的犯罪」説を信じたいのでありますが、どうも世間の流れとは異なるようです。

しかし朝日新聞の執念はすごいですね。ひさしぶりにマスコミの力を視たような気がします。でもすこしだけ気になる報道がありますね。事件発覚前に検察関係者が内部告発したとか、しないとか。そういえば、新聞記者の執念だけでFDの解析まで向かうでしょうかね?このあたりはおそらく闇の中のことだと思いますが。

投稿: toshi | 2010年9月22日 (水) 01時43分

今朝の読売新聞や朝日新聞だと今年2月の時点で大阪地検の幹部は報告を受けていたとありますね。事件を放置したいという気持ちはわかりますが、これは「氷山の一角」説であることを明確にしていると思います。
「たまたま今回は噂が広がってしまったので、外部に見つかっちゃった」というのが素直な解釈ではないでしょうか。
検察のなかにも、正義感の強い人がいて、今回はずいぶんとマスコミに情報提供した人がいると思います。

投稿: unknown | 2010年9月22日 (水) 09時39分

最高検って身内にならないのでしょうか?
独立検察官のような人を雇って、公平な目で事態の解明を望んでおります。そのくらいの税金は叩いてもいい。


もう少し早くリークすれば、民主党代表選の行方も変わったかも。

村上事件、ライブドア事件等過去に遡及して全部解明すべきだと思います。

投稿: katsu | 2010年9月22日 (水) 13時49分

 今時の流れからすると、本来なら第三者委員会による徹底調査なのでしょうね。もちろん、検察庁がそうするとは思えませんが。

 証拠の改変という法律家の基本に反した対応について、どの程度の危機感を抱いているのかどうか気になります。また、中途半端な幕引きを諮ろうとした場合、どうなるのだろうか。民主党政権下なので、指揮権発動があるとか・・・・。 

投稿: Kazu | 2010年9月22日 (水) 15時34分

次々と報道内容が「組織ぐるみ」「組織関与」の方向に進んでいるように感じますが、記事に出てくる「検察関係者によれば」の「検察関係者」って一体誰なんでしょうか。

投稿: toshi | 2010年9月22日 (水) 17時06分

DMORIです。
シャーロック・ホームズに興味深い話題があります。
ホームズ氏があるとき「どうしてあなたは難しい事件の犯人が分かるのですか」という質問をされたとき、こう答えました。
「普通の刑事は、先入観を持って捜査してはいけないと考え、現場に残されたものを客観的に積み上げて、犯人の手がかりを得ようとする。ところがそれでは、関係ないのも多いので、結局どれが犯人につながるものなのかは、分からなくなってしまう。
私は、現場に踏み込んだ時の直感を大事にする。どうもあのメイドの顔が気に入らんとか。それをひとつのたたき台にして、遺留品の取捨選択をすることで、結局は真犯人につながるものが見えてくる」。
という話です。これが名探偵の考え方だというのでしょう。特捜部にいる検察官たちにも、こうしたホームズ氏の考えがあるのではないでしょうか。
だから犯人の立場でストーリーを考えることのできる者が、そのストーリーの裏づけを得るために、容疑者や参考人を詰問していくことで、「割り屋」とも言われる名検事との評価を高めることができるのでしょう。
クイズを解く場合は、こうした直感による推論が正解につながるのでしょうが、間違いにつながる場合もあります。冤罪を生むかもしれない、人を裁く行為には慎重でなければなりません。

投稿: DMORI | 2010年9月22日 (水) 22時09分

皆さん

最高検の対応の速さを肯定的に評価しているようですが、それ程早く逮捕できる材料を持っていたのですか?ひょっとして身内の悪を全て隠すために逮捕し、後は最高検の思うままに発表とはならないのですか?
私は過去友人に、過去の戦争責任において、反省の一言も言ったことが無い組織の1つに検察がある、と言ったことがあります。最高検の対応が身内の悪隠しに走らなければ良いのですが。

投稿: ohigo | 2010年9月23日 (木) 06時18分

朝日新聞やマスコミの腐敗や危険性にも注視した方が良いと思います。
朝日新聞ではそもそも裁判の始まる前から局長を犯罪者に決めつけて、
あろうことか、自社の2010年版の会社案内で自慢しているのですから。

http://onsen-kabumasa.cocolog-nifty.com/okirakunikki/2010/09/post-e7a8.html
(画像はクリックで拡大)

投稿: unknown | 2010年9月23日 (木) 14時40分

これは、裁判員制度に影響が及ぶと思うのですが。
「改ざんされたかもしれない有罪証拠を基に、無実の人を刑場に送る可能性の存在」
が検察側によって証明されたということですから。
その決定(判決そのものに対する判断と、証拠の真贋に対する判断)に、
国民=市民=自分が関わる(責任を取らされる)ということですから。
検察のシナリオに従って検察の片棒を担ぐようなことはしたくないと思うのです。

「証拠に対する信頼性が持てないから自分では審議できない。」ということが、
裁判員の呼び出しに対する正当な拒否理由にならないのでしょうか?

投稿: unknown | 2010年9月23日 (木) 15時04分

裁判員になるためには面談を経る必要があり、特殊な考え方や、極めて強い偏見を持っている人はそこで振るい落とされます。

そうすると、その面談の段階でunknown(2010年9月23日 (木) 15時04分)さんのように、「捜査機関は毎度毎度証拠をねつ造しているに違いない」と固く信じているような人は「偏りあり」として振るい落とされるでしょう。
なので、正当な拒否理由にはならなくとも、その後裁判員として呼び出されることはなくなります。

上記の方の書き込みで私が非常に残念なのは、「検察の片棒を担ぐのは厭」という、実に消極的かつ無責任な思考が垣間見えたことです。
検察の暴走や、裁判所とのナァナァな関係を糺すための制度が裁判員制度ではなかったでしょうか?
「法曹の内輪のチェックだけではダメだ、だから国民の視点も取り入れよう」という制度だったはずなのに、当の国民にやる気がなく、「どこかの誰か、それも清く正しい人で、自分以外の人」が全部適切に処理してくれる、なんて幻想を抱いているとすれば、それは民主主義をも否定しかねない思考だと思いますが。

今回の事件から何か言えるとしたら「検察内部でのコンプライアンスの徹底がなっていなかった」ということであって、『検察全体がダメ」ということではありません。
そうすると、検察内部のコンプライアンスをどう改良・改善し、それを誰が、どのように、どの程度監視する制度が望ましいか、という点に議論は尽きると思います。

投稿: TIM | 2010年9月24日 (金) 20時48分

国民参加型の制度とはいっても、消極的な人は消極的で結構なんじゃないですか?異なる考え方があってこその民主主義です。「民主不義の否定」はちょっと極端ですね。

コンプライアンスの不徹底で組織(会社)全体が糾弾され場合によっては消滅し得ることは歴史的事実なのですが・・・
しかも、法システムの下で活動するプレイヤーが証拠隠滅罪を犯すのと、法システムの構成要素自身がそれを犯すのとでは本質的な違いがあると考えますがいかがでしょうか?検察官が痴漢でつかまった、といった事件との違いと言ってもいいかもしれません。
わたしはこんな問題意識を持っているものですから、「検察のコンプライアンス」という立て方には実はすこし抵抗があります(問題の矮小化に見えるから)。


投稿: JFK | 2010年9月25日 (土) 01時02分

皆様、ご意見ありがとうございます。

「検察のコンプライアンス」は、本エントリーを本業中に脊髄反射的に書いたため、あまり意識をせずに題名をつけております。
JFKさんの「しかも・・・」という点はまったく同感です。そのことを一番申し上げたかったところですし、これからの展開も、そのあたりを一番懸念しているところです。

なお、明日の日曜日午後9時からNHKで特集があるようですので、またそちらを視聴しておきたいと思っています。

投稿: toshi | 2010年9月25日 (土) 11時29分

今回の事件は、「検察内部でのコンプライアンスの徹底がなっていなかった」という問題ではけっしてないと思います。

企業は「法律を遵守(守る)」すべき組織であって、
その法律を遵守するうえで犯罪(法律違反)を犯した場合は、
「コンプライアンスの徹底がなっていなかった」と言えると思います。

しかし、検察は「法を執行(行う)」すべき組織であって、
その法律を執行するうえで犯罪(法律違反)を犯した場合は、
「検察内部でのコンプライアンスの徹底がなっていなかった」という問題ではけっしてないと思います。

つまり、法律を遵守するだけで、法律を執行する権限のない企業のコンプライアンスの問題と、
その法律を執行している側の検察の行為とはけっして同列には扱えないように思うのですが。

投稿: unknown1 | 2010年9月25日 (土) 19時12分

ついに来るところまできたという話ですが、証拠を捻じ曲げても真犯人を有罪に出来れば良いとの考えが根底にあるんだろうと思います。終わり良ければすべて良し的感覚なんでしょう。足利事件でも検察に不利な証拠の存在を隠したりと、有罪至上主義みたいなのがあるんでしょうね。

係長が局長を捨て石にして誰かを守ろうとしていたと考えれば納得がいくわけですし、そうすると局長の上司が怪しいとなってきます。(局長で止めておけばその上司までは追及されないので) 犯罪の性質上、係長の単独犯とは思えないわけですが、犯罪の構図の描き方がおかしい時に、軌道修正するのではなく、暴走してしまうのが検察の特徴です。

コンプライアンスが有効に働くのは、その違反により組織の存続自体を危うくする場合だけでしょう。検察という組織は、反省する場合も、「今回はわきが甘かったので、次からは、ばれない様にもっとうまくやろう」と考える組織である気がします。コンプライアンスの不徹底で組織全体が糾弾されても、そもそも検察が消滅することは制度上あり得ないので、ほとぼりが冷めるのを待てばよいのです。一般の事業会社であれば存続が危ぶまれるケースも、国の組織は社保庁のように最悪でも名前が変わるだけで組織自体は生き延びます。

裁判所にしろ、検察にしろ、国民の信頼を失ったところで、組織自体は相も変わらず存在し続けることが出来るのですからね。

投稿: ターナー | 2010年9月26日 (日) 11時09分

Nスぺ観ましたが、今の段階では薄い議論しかできないようですね。
局とキャスティングからして熱い議論は期待薄でしたが、ほぼワイドショーレベルです。
元特捜部検事は必至でモラルの問題に視点をずらそうとしてましたが、他の2人は白けてるように見えました。

検察組織全体が消滅するなど、もとよりあり得ない話ですが、特捜検察という個別の組織についてみれば、その存在根拠・在り方が問われるような気がいたします(Nスぺを観ての唯一の収穫)。そして、多かれ少なかれ、一般の検察系統にも同じような事件が起きる素地があるのではないかと思いました。

投稿: JFK | 2010年9月26日 (日) 22時24分

無謬性の問題が根底にあるように思います。
ミスを犯した人間も、当初は実直であったり、誠実であるかもしれませんが、ある段階からエースの評判の呪縛にはまってしまったりすることはありえることでしょう。その罠にはまらず、どうやって対処するか。個人だけでなく、いやむしろ公的組織や優良企業には「無謬性」の罠が待っていると思います。なかなか過ちは認めません。むしろ自分の正当性を基礎づける嘘をつき始めることも。。。
優秀であるというプライドがある組織や人間ほど、それを守ろうとして、大きく、そして致命的なミスを犯してしまうことがあります。
それを完全に防ぐことはできませんが、すくなくともチェック機能を組織が持つことが必要であり、そのためのガバナンスは不可欠です。自浄作用、思いとどまる規範意識、いろいろな角度で議論はできますが、基本理念は自浄作用をシステムとして組織に組み込むことしかないはずです。

そして、トップの在り方。
そういうミスが起きた場合、組織のトップは、自ら反省すべき点があるはずです。Tone at the Top、法的な責任がない場合も、トップが組織の方向性を間違った方向に進めるメッセージを送っていることや、組織が間違った方向に進んでいるのにこれを放置していた場合の道義的な責任は否定できないでしょう。ミスに向き合い、これを是正する方策を採れることが、本当のトップの務めなはずです。真のリーダーとしての資質を持つ人材がいるか否か、大きな正念場かもしれません。

投稿: 龍のお年ご | 2010年9月26日 (日) 22時39分

この事件の公判を出来る限り傍聴しましたが、最初から検察の描いた構図にはサラリーマン40年の経験から疑問を感じていました。何よりも事件の発端となる証明書の発行権限は当時の課長である村木さんにあったということですから、何も上村係長にニセの証明書の発行を指示しなくとも稟議をさっさと上げさせて決裁すればよかった話です。管理職であればだれでもまずそう考えるのが普通ではないかと思います。(実態のない障害者団体だということですから審査がおかしかったという追及は有り得ますが、発覚のリスクはこちらの方がはるかに少ないはずです。)公判のすべてを通じて検事の訊問を聞いていると、この人達は普通の会社とか官庁とかの仕事の進み方に全く疎い特異な人種だなと思わざるを得ませんでした。このような人達が思い込みで捜査を進めあげくの果てに証拠の捏造まで突っ走ってしまったのでしょう。

投稿: 誠ちゃん | 2010年9月26日 (日) 22時53分

どうでしょうか、こと構図の設定に関しては特捜部はプロだと思いますし、厚労省内部の従前の取扱い等を徹底的に調べたうえでのストーリーではないかと思います。たとえば、会社の稟議制度でもよくあるように自己決裁が禁止されいたのかもしれませんし、同様の文書が担当者の作成⇒上長の承認という形で発行されるのが通例であれば、それと同じ形をとろうとしたというストーリー自体は不自然ではないと考えます。

ストーリーに沿う事実が無かったときに軌道修正せず(できず)、突っ走る何らかのインセンティブが存在し、それが何なのか、そして検察の下部まで浸透しているのかいないのか、そのあたりが問題かと思います。

投稿: JFK | 2010年9月26日 (日) 23時15分

NHK特集「堕ちた特捜検察」をじっくり視ました。
現役の「検察関係者」の取材協力があるのでは・・・と若干の期待はしておりましたが、JFKさんがおっしゃるように、現時点での番組制作としては、あれが限界ではないか・・・と思います。(最高検が動いている最中ですし)ただ、大阪弁護士会所属の著名刑事弁護人の方々の上村被告人公判活動のなかでの驚き、落合弁護士の朝鮮総連事件での出来事(弁護人による偽証罪での刑事告訴もあるのですね)、そして立花氏の特捜検察への思いや予測、といったあたりは本番組を視てよかったと思います。
法曹関係者であるがゆえの見方かもしれませんが、あの番組で「元特捜部長」として(この時期に)出演できるのはKさんしかいらっしゃらないと思います(笑)し、あの方が出演されなければ番組が成り立たなかったでしょうから、私は「よくぞ出演していただいた」というのが本音です。

広島大学法学部の頃の恩師の先生が出演されておられました。「とても温厚で、正義感があって、素晴らしい青年だった」という言葉が印象的でした。朝鮮総連の事件や今回の事件をみておりますと、何が彼をそうさせたのか、という点をしっかり考えるべきなのかもしれません。

投稿: toshi | 2010年9月27日 (月) 01時35分

ストーリーの筋を描きながら仕事をする。

これは、どの仕事でも大切な作業です。
細部にこだわっては結論までたどり着かない。
逆に、大雑把過ぎては「水」が漏れてしまう。

その意味において、筋書きに沿って仕事を進める
姿勢にはさすが検察官と思いました。

ただ、その内容がお粗末でした・・・か。
「遊んでたら書き換えちゃった」と供述しているよう
ですが、なるほどプロの方が故意を否定するとなると
こういう発言になるのでしょうか。

事案の真相は、法廷で明らかになることを望みます。

刑事訴訟では「推定無罪の原則」という立派な原理・
原則があります。
今回逮捕された検事は、あくまで被疑者です。
日本では「被疑者=犯罪者」のような風潮がありますが、
被疑者はあくまで被疑者です。被告人も然り。

一国民として今後の捜査の行方を冷静に見守りたいです。

投稿: 九州の怪計士 | 2010年9月28日 (火) 14時15分

怪計士さん、こんばんは。私も冷静に見守りたいと思っています。

この問題、とんでもない方向に向かっていますね。あまり一日の報道だけに影響されるのは避けたいのですが。

「女性公判検事」という存在、とても注目しています。

扱いにくいテーマですが、もう少し事件が動きそうなので、タイミングを見ながらエントリーしようかと思っています。

投稿: toshi | 2010年9月30日 (木) 02時22分

ご無沙汰しています。

ストーリーを作るといわれている検察(但し、こちらは大阪ではなく東京地検特捜部も話題なので、違うのかもしれませんが、どこの検察かという議論ではありませんのであしからず)が不起訴にした民主党の小沢氏を、越権行為的な判断(と一部で報道されている)で強制起訴の決議をした検察審査会は、どうなるんですかね(国民の税金を使って裁判をやることになるわけですよね)。検察以上にストーリーを作っているのは、国民ですか(法的なアドバイスをするはずの弁護士が「共謀」性を強調したようですが)。それともこちらは国民は法律の素人だから許されるのですか。


あるいは、先日終わった芸能人の裁判(押尾某氏)で、保護責任者遺棄「致死」を認めず(すなわち、被害者の死亡については、法的な責任は問われていない?(傷害致死や過失致死罪を問われていればすみません))保護責任者遺棄罪の成立を認めた国民による裁判員裁判。裁判員(国民)は死亡の結果はどのように評価しているのでしょうか。

検察がどうとか、国民がどうとかいうことではなく、何から何まで国民の視点を入れる(場合によっては数の論理にもなりうる)ことがよいのかも疑問があるということでしょう。


検察官といえども聖人君子ではない以上、犯罪の嫌疑があれば刑事手続きに従い、組織は組織としての自浄作用を働かせて、コンプライアンスを強化する。そして、同じ組織(検察庁)とはいえ、本社が支社の不正を暴くために調査をしている構図と見て、推移を見守ることも必要ではないですか。

検察の威信がかかっている以上、最高検には徹底的に適正な捜査をしてもらいたいですが、世間がしきりに「検察は地に落ちた」、「検察の威信」がどうのと煽れば煽るほど、最高検が大阪地検幹部を起訴して当然という論調になって、逆に国民世論が場合によっては冤罪を生みかねない事態を危惧しています。

ちなみに、最高検が大阪地検の幹部を仮に不起訴にした場合、検察審査会によって強制起訴という事態にもなりうる(現実的可能性ではなく、理論的にありうるのかどうか)のでしょうか。そうなると、結局、起訴というストーリーが出来ているということですかね。

あくまで私見ですが、最近の世論を見ての率直な感想です。

投稿: コンプロ | 2010年10月 8日 (金) 01時47分

コンプロさん、こちらこそご無沙汰しております。

こういった事件自体、想定しておりませんでしたので(たぶん世間でも想定していなかったんじゃないでしょうか)、私もまだよくわからないことが多いです。ただ、大阪弁護士会を中心に、50名から60名ほどの刑事弁護団が元特捜部長さんらにおつきになるようで、これからどのようなモーメントが働くのかも予想がつかないですね。ただ、不起訴はないでしょうね。これだけ最高検が自信をもって(威信をかけて)捜査していますしね。ただ犯人隠避罪というのは、かなり立件がむずかしい、というのは先日エントリーで述べたとおりです。

投稿: toshi | 2010年10月12日 (火) 01時16分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111216-00000599-san-soci

検察側の信頼回復につながるのでしょうか?

今度は東京地検特捜部に火の粉が・・・。

投稿: gonchan | 2011年12月17日 (土) 12時44分

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