新司法試験の「三振制度」はどこまで意味があるのだろうか?
元フジテレビアナウンサーの菊間千乃さんが新司法試験に合格された、とのことであります。菊間さんを指導したことのある大宮法科大学院の実務家教員(修習生時代、私と同じクラスの同期で、現在刑事専門弁護士)の話によれば、菊間さんはクラスでの質問も、発言もたいへんセンスがよく「おそらく彼女は合格するだろう」と思っていたとのこと。元々早稲田の法学部ご出身だそうですし、一日16時間ほど試験勉強されていた、と報じられておりますので、「他業種から法曹へ」といいましても、既修者に近い立場であったように思います。ただそれにしても2回目のチャレンジで合格されるとは、やはりたいしたものです。(私はどうも転落事故とジャニーズ飲酒事件のことしか思い浮かばず、本当の菊間さんのイメージというものを存じ上げないのですが。。。)
私は同志社大学の法科大学院で3年間実務家教員としてロースクール生と接してきただけでありまして、とくに法曹養成に詳しい実務家でもなければ、司法試験制度改革に強い思いを持っている者でもございません。昔、司法試験に運よく合格できた、ただの「一地方弁護士」であります。しかし昨日(9月9日)の新司法試験合格発表の資料を法務省HPで眺めながら、これはちょっと法曹界にとってマズイことになってきたのではないか・・・・と思い、門外漢ではありますが、ひとことだけ感想を記しておきます。
左表は本年度の新司法試験の未修者コース(法学部出身ではない人のコース:3年制)の方々の法科大学院別合格率ランキングです。過去2年間に修了した未修コース出身の受験者数を母数として計算しております。(私が勝手に作成しておりますので、どっか間違いがございましたらご指摘ください。)未修者の受験控えや、「隠れ既修者」など、見方によってはいろいろな感想がありそうですが、印象的なのは既修者(法学部→法科大学院の方)の合格率ランキング第1位の京都大学が未修者では15位までにも入っていないことであります。また、一橋、東大、中央あたりも、既修者合格率との差は大きいことがわかります。報じられているところによれば、全国平均でも、既修者の合格率は37%、未修者は17%程度ということのようで、つまり「長いこと勉強していれば、受かる確率は高くなる」ということのようであります。たしかこの新司法試験制度が作られるときには、菊間さんのように他の分野で活躍している人たちが法曹となり、多くの価値観をもった人たちが司法に携わることを理想としていたのではないでしょうか。したがって既修者も未修者もコースを修了した時点では、ほぼ60%の割合で司法試験に合格できる、という構想で制度が開始されたものだと認識をしておりました。ですから、「センスのない人は何回受験しても落ちる」「合格のために何回も受験する、という人を増やすのは社会的損失である」という、なんとなく納得できそうな感覚で「三振制度」(法科大学院を修了し、5年間のうちに3回受験できるが、3回目に合格できなければ受験資格を失う)も受け容れたのではないかと思います。つまり、この理屈は「法科大学院のきちんとしたカリキュラムを理解していれば合格する、その程度の合格レベルなのに3回も不合格となるのはセンスがないから仕方がない」ということでありまして、たぶん法科大学院にはどこも一定程度のレベル感があって、既修者も未修者も概ね6割から7割は合格することが前提のお話ではないか、と思います。したがいまして、三振制度を正当化する前提が欠けている現状のもとでは、もはや正当化する理屈は存在しなくなってしまった気がいたします。
さらに、単純な比較で恐縮ですが、大学時代から6年間(法科大学院で2年)法律を学んだ方と、法科大学院の未修コースで3年間学んだ方とでは、上記のとおり圧倒的な合格率の差が出ているのが現実であります。この差はどう考えても、センスの問題だけで説明できるものではなく、やはり受験までの勉強時間の差だと認識せざるをえないのではないでしょうか。もしそうだとしますと、未修者の方々は、これからまだ法曹としての基礎的な能力が伸びる可能性があるにもかかわらず、「三振制度」によって受験機会を失うという甚だ不合理な状況を甘受せねばならないように思われます。もちろん、5年経過後にまた新たに受験のチャンスは制度上は残されているわけですが、極めて高額な授業料を払ってまで受験するにはリスクが高すぎますし、ましてやこの合格率の差からして、なんとも割り切れないように思うのは私だけでしょうか。法曹界が本当に欲しいはずの「正常なリスク管理能力」を持った方々が、この不合理な合格率を眺めて、現職を捨ててまで法曹の道を目指すことになるのでしょうか。「法科大学院修了者枠」なる一般企業の就職採用枠があって、企業内弁護士に近い立場での就職口が多い、といった「受け皿」が整備されているのならばまだしも、そのような状況はまったく聞かれない現実では、それこそチャレンジして失敗された方々による社会的損失は大きなものがあるように思います。
どこの世界にも「とびぬけた能力」をお持ちの方はいらっしゃいます。たとえば2000名の司法試験合格者の上位100名程度は、「とんでもない頭脳やセンスの持ち主」であり、それは既修、未修の区別なく上位合格されているものと推察いたします。問題は、すれすれの1500位くらいから3000位くらいまでの順位にギュッと詰まっている平均的合格者レベルであり、そのあたりでの点数の差というものには、おそらく他業種で活躍されてきた知識や経験はほどんど関係なく、いわば法律的な知識や問題解決スキルの差で決まるのではないかと思います。(そもそも採点する側の能力の問題もあると思いますが)つまり、平均的合格者のレベルにおいては、悲しいかな長いこと法律の本を読み、試験に出そうな論点を暗記し、ダブルスクールで長いこと培った答案練習の成果がモノを言うのでありまして、そのあたりが既修者・未修者の合格率の大きな差となって表れているのではないでしょうか。
私は「制度を大きく変えろ」などと言えるような立場でもありませんので、あくまでも現実を目の当たりにしての個人的意見程度しか申し上げられませんが、せめて「三振制度」だけはなんとか撤廃したほうがよろしいのではないでしょうか?弁護士は職業として「人のお金を扱う」ものですので、弁護士になったとたん、700万も800万も借金を背負った状況で仕事を始めることは大反対であります。法科大学院でどのように立派な社会人教育を行っても、借金を背負ったとたんに犯罪に手を染めたり、目の前に現金500万円を置かれて、非弁提携に走る弁護士が出てくるのは、コンプライアンス業務を行っている者からすれば火を見るより明らかであります。とりわけ弁護士の場合は不正のトライアングルが十分に成り立つのでありまして(収入に見合わない借金←動機、人のお金を預かる、上司がいない←機会、所得が不定期ゆえ後日の報酬で返済の余地あり←正当化根拠)弁護士による不祥事の増加は、最後には国民に跳ね返ってくるわけであります。
働きながら、自身のペースで合格のための能力を養う・・・という選択肢もあるわけでして、借金をせずに、自身の人生設計の中で合格を目指す道もあろうかと思います。法科大学院の現状を肯定したうえで、かつ本当に法曹界に必要な人材に司法試験を受験してもらうためには、せめて「三振制度」だけはなくしてほしい、と思うのでありますが、いかがなものでしょうか。三振制度が成り立つ基礎は、①法科大学院の均質性、②高い合格率、③既修・未修の合格率に差がないことにあると思いますが、残念ながらいずれの基礎も崩壊している、というのが持論であります。
ちなみに平成23年5月15日より、司法試験予備試験制度が開始されます。この予備試験に最終合格となりますと、翌年の新司法試験には、法科大学院修了者と同様の資格で受験できる、というものであります。もし私に近い人で、これから法曹の道を歩みたいと真剣に考えている人がいれば、私は最初から法科大学院にはいかずに、この「予備試験」の道を勧めるかもしれません。法曹としての人間教育は、OJTによってその職業についてから始める方が適切だと考えるからであります。ただし、受験仲間は絶対に合格のためには必要ですから、「予備試験受験グループ」によるコミュニケーション教育のなかで「合格だけに特化した」受験体制を敷くのもひとつの選択肢ではないかと思います。法科大学院に変わる受験専門集団を作ることも、これからの受験産業(予備校)の役割になってくるのかもしれません。「司法試験合格は、自分のやりたいことの、あくまでも手段であって目的ではない」という感覚は、私がみるかぎり他の業界で頑張ってこられた方のほうが強い傾向があります。そういった方々が、今回の新司法試験の結果をご覧になって、はたして法科大学院で頑張って勉強しよう、という意欲が湧くのかどうか、他にもっと早く合格できる道、もしくは人生設計に狂いが生じるほどに借金を背負わずに済む道があれば、そちらを選択するのではないか、といったことを真剣に考えてしまいました。
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コメント
穿ちすぎかもしれませんが、三振制度はもともと受験資格者の数の増大に
枠をはめて合格率を高く見せる、法科大学院制度のために必要不可欠な
仕組みだと思うんですね。「法科大学院を出れば(旧試験ないし予備試験
経由と比べて)格段に高い確率かつ少ない受験回数で法曹になれる」と
いうある種の制度的保障。
そうでないと際限なく全体の合格率が下がっていき、今はまだ高い
初回受験合格率も下がっていく。そうしたら再び合格者の平均受験回数も
増えるであろう。資格取得者が増えて期待収入が減る一方で、取得
コストが上がり、取得に要する期間も延びる・・・これでは間違いなく
法科大学院制度が持たない。三振制度はそれだけの意味しかありませんし
それだからこそ新司法試験のシステムを放棄しない限り廃止不可能な
刻印になってしまっているように思います。困ったものですよね、
本当に。
私は「平均的合格者」の方に感情移入してしまうので、そういう人を
たたき落とすこと目標に、コロコロ試験制度を変えようとすることが
一番アンフェアーな感じもしてしまうのですけども(笑) 公認会計士
試験改革で、特に金融庁が「好ましい合格者像」を達成しようとしてる
のに義憤を感じます……このエントリーには関係ありませんが。
投稿: 通りすがり | 2010年9月11日 (土) 07時05分
通りすがりさん、いつものビジネス法務関連ではない時事ネタであるにもかかわらず、まじめにご意見いただき感謝いたします。
なるほど、法科大学院の存立と関連して「三振制度」は新司法試験にとって不可欠なもの、ということなんですね。私も理屈としては、まさに通りすがりさんのおっしゃることはナットクできます。ただ、おっしゃっている「高い初回合格率」というものが、本文で書きましたように60%くらいであれば「たしかに・・・」とナットクするのでありますが、現状の合格率がこれから受験しようとしている一般の方をナットクさせることができるだけの高い合格率と言えるかどうかは、ちょっと疑問ではないかと。また、かりに昔の司法試験に比べて高いとは言えても、そこに既修と未修の間に倍近くの合格率の差がある場合にも、これを維持できるだけの理屈が通るのか・・・という点はどうもしっくりこないのです。
このあたりは「制度的保障」の理由のひとつとして、三振した人は予備試験の道がある、・・・ということにつながるのかもしれませんが。。。
また、法科大学院制度を守るために「三振制度」が不可欠だとしても、いま議論されているように合格率を高めるための法科大学院の統廃合が進むのであれば、結局今度は大学院入学のために何年も受験を繰り返す方も出てくるでしょうし、結局そこで合格率の低下と実質的には同じ現象を起こすのではないかといった危惧も感じます。
ちょっと議論がずれますが、たとえば三振制を5振制くらいに変える、というのはどうでしょうか。私の一番の問題視する点は、未修生は、まだまだ実力が伸びる・・・というものですから、せめて5回程度は法科大学院修了制として受験を保障しなければ、既修とのバランスが悪すぎるように思うのでありますが。
投稿: toshi | 2010年9月11日 (土) 09時46分
付記ですが
たしかに「平均的合格者」の人たちにとっては、制度がコロコロ変わるというのは問題ですね。いまの法律制度を支え、また将来の制度を支えるのは私を含め、大多数の「平均的合格者」「スレスレ合格者」なので。弁護士になって20年以上になりますが、ずば抜けて優秀な弁護士は1%いればよく、本当に必要なのは99%の平均的な能力をもった弁護士ですね。むしろ「平均的な能力の範囲内で」メンテナンスや向上心のほうが重要だと思っています。
投稿: toshi | 2010年9月11日 (土) 10時07分
「三振制度」は、私も、よくないと思います。チャンスは無限大として、困ることは、ほとんどないと思います。勿論、現実は有限であるのですが、制度においては無限大で一向に構わないと思います。
「三振制度」で、不適格者を篩いにかけられるかというと、実はかいくぐり者が存在したり、社会に役に立つ必要とする人を、はねのける結果になるかも知れない。平均的な能力と良識を持っていれば、社会にとっては、有用と思います。
投稿: ある経営コンサルタント | 2010年9月11日 (土) 11時22分
経営コンサルタントさん、いつもコメントありがとうございます。このあたり法曹界以外の方のご意見は参考にさせていただきたいと思います。
経営コンサルタントさんのご意見をお聞きして、ちょっと思い至ったことがありますが、最近最高裁は二回試験(司法修習生の卒業試験)において新司法試験組は100名以上、旧司法試験組でも数十名の「落第者」を出しています。私の頃は二回試験の落第はひとりもいませんでしたので、たいへん驚いているわけですが、たぶんここで「法曹としてのセンスがない人はどうしても資格を与えるわけにはいかない」という意思が働いているものと思います。これは最高裁が司法試験制度のあり方に対して、なんらかのメッセージを発している、と考えていいのでしょうかね?ちょっとこのあたりは普段から制度改革などを考えているわけではない者にとってはよくわからないところです。
投稿: toshi | 2010年9月11日 (土) 11時39分
ブログの内容に大変同感いたします。
合格者を増やすことが決定され、合格者増による質の低下を防止するために法科大学院を創設し、そこで実務的な教育をするというのが理念だったはずですが、法科大学院では意味のないことばかりしております。
三振制度は、センスのない(法曹としての資質がない)受験生を他の道に進ませるためにあるようです。しかし、この合格率では3回試験に落ちた受験生が法曹としての資質がないとは言い切れません。
三振制度の真の目的は、法科大学院を前提とした司法試験の合格率をある程度の水準で維持することにあります。
そもそも法科大学院制度は、より良い法曹を産み出すという「目的」に対する「手段」にしか過ぎません。それにもかかわらず、「手段」(法科大学院制度)を維持するために「目的」を犠牲にする(本来なら法曹としての資質がある受験生を強制的に法曹界への道を閉ざす)という本末転倒なことが平然と行われています。
私は合格者を増やして、合格後に弁護士間での競争を産み出し、より良い司法サービスを提供させることには賛成です。しかし、合格者を増加させることと法科大学院制度を作ることは何の因果関係もないと思います。
本当に意味のない制度だとつくづく思います。
投稿: 受験生 | 2010年9月11日 (土) 12時49分
はじめまして。山口先生のブログは大変興味深く、いつも拝読させていただいております。
私は、都内法科大学院の未修コースを修了し、今年なんとか2回目で合格することができました。
未修コースで学んだ当事者として、三振制度には強く反対します。
私は、金融機関で働いた後、会社を辞めて法科大学院に進学しましたが、当初の目標とは異なり、著しく低い合格率しか出せない現状において受験のチャンスが3回に限られるのは非常にリスクが高く、私のように会社を辞めてまで司法試験を目指そうという人は、ほとんどいなくなると思います。
司法試験の合格率が年々下がっていくのを目の当たりにして、勉強しながらも非常に不安を感じました。
何人かの友人から、「法科大学院に進学しようと思う」と相談を受けたことがありますが、自分が受験生活中に支払った学費、予備校代、受験勉強に投資した時間、受験に伴う精神的プレッシャー等を考えると、会社を辞めてまで行くのはリスクの割りに合わないから辞めた方がいいと、強く言ってます。
私は、今回運よく合格することができましたが、この合格率の低さを考えると、仕事を辞めることのリスクは非常に高く、このような状況が続くと、法曹を目指さなくなってしまうと、本当に危機感を抱きます。
司法修習生の質の低下、就職難が騒がれていますが、試験の成績だけで、弁護士としての腕の良し悪しが分かるものではないと思います。
もっと、合格者数を増やし、弁護士業界にも競争原理を取り入れることによって、初めて弁護士の質は向上すると考えます。
合格者数を増やすとともに、是非、三振制度を廃止してもらいたいと思います。
投稿: himawari | 2010年9月11日 (土) 13時16分
受験生さん、himawariさん、ご意見ありがとうございます。また、このたびは合格おめでとうございます>himawariさん 私のまわりの会計士の方々のなかに、最近法科大学院への進学を真剣に検討しておられる方が
いらっしゃって、やはり相談を受ける側も悩むわけでして。
「合格者を増やすべし」というご意見につきましては、司法制度改革の根幹に関わるところでして、管理人にも議論するだけの能力も知識も乏しいところでありますが、やはり三振制度については受験真っ只中の方々にはかなり不評なのでしょうね。
ちなみに、某受験予備校のブログで、合格率50%の法科大学院の場合、3年続けて落ち続ける確率は0.5×0.5×0.5=0.125 したがってあなたも8割7分の割合では合格できる、といったことが記載されておりますが、これホントでしょうかね?そんな単純なものでもないような気もするのですが。
なお、三振制度に賛成のご意見もどうか「感覚的なもの」で結構ですので、お寄せいただけますと幸いです。私自身もこの問題に詳しいわけではございませんので、考慮すべき問題点などもあるかもしれません。
投稿: toshi | 2010年9月11日 (土) 14時32分
三振制度に加え予備試験制度があることによって、言葉のうえでは受験資格の剥奪は確かにないといえそうです。しかし、予備試験の趣旨は法科大学院卒業程度の素養があるかどうかのチェックですよね。だとしたら、卒業要件を満たして卒業したのに再び予備試験を受けるというのは背理です。また、三振制度の趣旨は(銘記されてないとはいえ)合格能力のない受験者の滞留を防ぐことにあると思ってますので、予備試験があるじゃないかというのは論理が立ちません。
結局、3回で合格できなかった人はあきらめましょうという立て付けでありましょう。予備試験はIQの低い人間には歯が立たない極めて厳しい競争試験になるようですので、制度のほうがあきらめる方向に誘導しているといったほうが正確かもしれません。
私自身は三振制度に賛成です。どんな資格試験であれ3回以上チャレンジするのは自分の本来の適性を見失うおそれがあり現実的ではないし、5年のうち3回という受験制限はとても合理的な仕組みだと考えます。一種のパターナリズムだと言いきってしまえばよいと思います。
やはり一番問題なのは先生も指摘される「お金の問題」です。
法科大学院生時代の学費・教材費・生活費、卒業~試験~合格~修習開始までの費用、修習期間中の費用がかかりますので、一般の家庭に育った学生であれば、法曹になった時点で数百万円の借金を抱えるパターンが普通になってくると思われます。これでは貧しい家庭はもちろん、社会人から参入するなんて、通常のリスク管理能力がある人だったら不可能です。
借金負担に伴う倫理の低下、裕福でないとチャレンジしにくい、裕福なほうが合格しやすい(上記どの期間中も労働しなくてよいから)といった傾向が旧制度より強まったことが問題です。
多少の選抜・競争試験化を受け入れることを前提に、制度をもう少しシンプルにしていく必要があると思います。また、今の仕組みを維持しながら考えていくのが現実的です。そうすると、予備試験の在り方がカギになりますね。
ところで司法修習の給費制廃止についてはいかがお考えでしょうか?お金の問題としては、実際この点も大きな問題だと思うのですが。
投稿: JFK | 2010年9月11日 (土) 17時41分
いつも先生のブログで勉強をさせていただいております。
私も、会計士試験から法曹の道を考えている者の一人です。
ロースクールは、時間とカネが非常に大きな負担となり、私の状況を考えると選択することができません。どうしても選択しなければならないときは、菊間元アナの大宮法科大学院を考えていました(そのため陰ながら、菊間元アナを応援していました(=´Д`=)ゞ)が、現在、在阪であるため、少し無理があります。
予備試験は、サンプル問題をみて、英語はともかくとして、化学は相当に気持ちが萎えたことは否めませんが、こちらの選択肢の方が、まだ現実的なのかもしれません。
会計士試験元受験生という視点から私の感想を述べさせていただきますと、三振制度についてですが、非常に受験生に優しい制度だと思っていた時期がありました。というのも、会計士試験もそうですが、司法試験も非常に難易度が高く、頑張りが「必ず」報われるといった類のものでもないので、誰かが打ち切りにしなければならないときがあるだろうと感じていたからです。
しかし、よく考えてみると、そんなことは、本人が決めればよく、三振制度で打ち切ったからといって、気持ちよくリスタートが切れるものでもありません。
三振制度の趣旨をまったく勉強せずに非常に恐縮ですが、制度にするほどのことだとは到底思えません。
投稿: cpa-music | 2010年9月11日 (土) 18時37分
コストの面からすると三振制度というものも、ある程度合理的かなとも思える点があると思います。
なぜならば、法科大学院に通って司法試験を受ける多くの人が何らかの奨学金を受給しているものと思われます。毎年その中の8割弱が(現状の合格率の場合)不合格となり返済が困難になると、奨学金制度自体が立ち行かなくなり、結局は経済的に裕福な人のみが法科大学院の教育を受けることができることとなりかねないと思うからです。
あくまで単純計算に基づいた短絡的な見解なので、一笑に付していただければ幸いです。
また三振制度とは少し離れますが、「隠れ未修」への言及のとおり、今年度の合格者の中で、法学部出身者(未修既習問わず)が約3分の2を占めている現状は(建前としての)理念からかけ離れ、法律的素地がない方(とびぬけた能力を持った方を除く)が合格するのはかなり困難であるといわざるを得ないでしょう。
投稿: 辺境人 | 2010年9月12日 (日) 00時25分
「三振制度」は単純な既得権益の問題かと思っています。
合格率を高く見せたいロースクール業界と、合格者数を低く抑えたい(一部の)法曹界。前者は生き残りに必死で、後者は弁護士の増加による競争の激化・年収の低下・「難関試験を潜り抜けたエリート」という社会的ステータスの低下を危惧しています。
「三振制度」があれば、両者の上の希望をある程度満たす事が出来ます。苦労するのは受験生です。「三振」した場合は、多額の学費と二十代の時間が無駄になる訳です。新卒主義が蔓延する日本では、職務経験の無い二十代前半や三十代前半の若者を雇う企業は多くありません。一度、頑張って勉強をして来たが、もう一歩のところで合格できず「三振」してしまった人の視線に立ってみる事が重要です。パターナリズムなどと言っておれなくなります。
非常に残念なのは、新司法試験の合格ラインが絶対的な基準ではなく、恣意的な「その年、その年」の基準で決まっている事です。弁護士会は、需要が無いところにこれ以上弁護士を増やすな、と言いますが、そう声を上げている事自体、合格ラインが政治的な事情に左右される試験である事を物語っています。「受験生の質が低下している」とよく報道されていますが、そもそも「受験生の質」が何だか共通理解も醸成できていないのが実情です。乱暴に言えば、「弁護士数を増やしたくないから、資質があろうとなかろうと、人数を切っておいて」という事です。
他国では弁護士試験の合格率が90%を超える国もあります。ひとまず、ロースクールを落第せずに卒業出来た者には資質があるものとみなし、ほぼ全員に資格を与えます。資格を与えられてからは自己責任の世界です。市場が一人一人の弁護士の資質を試します。仕事が出来ない弁護士は廃業します。毎年弁護士数が増えるので、必然的に弁護士は自ら市場を開拓していく事に奔走します。結果、社会の隅々に弁護士サービスが行き渡る訳です。人々も弁護士に接する機会が増え、弁護士の重要性や身近さを実感する訳です。一部、「アンビュランス・チェーサー」等の極端な例も聞きますが、全体として見たとき、この方が国民にとっても、経済にとっても幸せな状態では無いでしょうか。
この日本で法曹が、社会全体からマージナライズされていかない事をただただ望んでいます。
投稿: Patriot | 2010年9月12日 (日) 02時14分
皆様、コメントありがとうございます。賛否両論、いろいろと私が気付かなかった論拠もお示しいただき、非常に参考になります。
ただ、私がこのエントリーを立ち上げた最も大きな要因、つまり既修者と未修者の合格率に大きな差が生じていること(さらには隠れ既修者が多数いらっしゃるのであれば、もっと格差があると思いますが)によって、未修者にとってみれば、あと2年ほど勉強すれば既修者と同じように合格できるのに(つまりまだ実力が伸びることは、既修者の合格率が証明しているのに)、おなじ「三振」アウトとなるのはナットクできない、つまり既修者と同じように未修者にも三振を課すのは不合理ではないか、という理由についてはいかがお考えでしょうか。
なお司法修習生の給与制度の変更問題については、反対の意見をもっています。国民のコンセンサスを得ることが容易でない問題ですので、地道に反対運動はしているのですが・・・借金問題とも関係しますが、優秀な司法修習生の青田買いが益々進むように思います。良い事務所による青田買いならまだましですが。。。また当然のことながら違法な兼業にやむなく進んでしまう人も出てくるのではないでしょうか。
投稿: toshi | 2010年9月12日 (日) 03時01分
あらためて新聞等をみてみますと、法学未修者の合格率低迷を問題視する論調が多いですね(先生のエントリもそうですが…)。
なにが問題なのかさっぱり理解できません。
法律の試験なのですから若い時から多少なりとも法律学習に触れている人間が優勢になるのは当然のことではないでしょうか。逆に、未修者が短期合格できる特効薬があるとすれば、それを既修者に処方しない道理はありません。結果は自明です。未修者/既修者の定義からして後者の成績が良く出て当然なので、まことにおかしな問題意識かと思います。
文系出身者に1.5倍の事前講習を施して一斉に物理のテストをしたとして、文系出身者の成績が理系出身者に勝るとも劣らない、などということがあり得るでしょうか?誰でも解けるような簡単な問題にでもしない限り、有意差が出るのは当然でしょう。
しかし大事な実務家登用試験の問題を簡単にするわけにはいきません。
であれば、法曹志望者を有意差が出ることが自明な2色に分けて一方の合格率を懸念するのはナンセンスかと思います。
投稿: JFK | 2010年9月12日 (日) 03時02分
Patriotさんのコメントはいかにも実情をよくご存じな印象で納得いたします。パターナリズム発言は失礼いたしました。若い大事な時期を長期受験生活で無駄にさせないため…といった意味での純粋な私見ではありますが、これくらい強引な説明をしないと成り立たないんではないかという皮肉も少し入ってます。
投稿: JFK | 2010年9月12日 (日) 03時15分
某受験予備校のブログより?
合格率50%の法科大学院の場合
三年続けて不合格となる確率~0・5×0・5×0・5=0・125
三年続けての不合格率が12・5%、ということは合格率が8割7分5厘ということにはなりません。
つまり「従って」という接続詞をここで用いる記述は誤りです。
このような宣伝をする受験予備校には行かないように!
合格率は前提どうり毎年50%
一度合格すれば二度と受験はしません。
投稿: 健次郎 | 2010年9月12日 (日) 09時09分
本日(9月12日)読売朝刊に、「司法修習生給与の廃止反対」として、日弁連が最高裁に質問状を送付したことに関する記事が掲載されておりました。
それによると、返済が始まるのは弁護士になってから6年目以降で、10年にわたり毎月2万から3万程度になるそうです。もちろんこれが国民の理解を得られる合理的な理由があるかどうか検証が必要だとは思いますが、少なくとも私が前のコメントに書いたような、「弁護士になって急に借金が増え、返済に迫られる」といった状況ではないようです。(もちろん経済的負担が増える、ということは同じですが)事情をよく知らずに書いたため、若干誤解を招く表現であったこと、付記しておきます。
しかし、「貸与制」となりますと、司法修習生というのは仕事ではなく、勉強をさせてもらう立場になる、ということでしょうか?給料ももらえないとなっても、やはり兼業禁止の規則はそのまま?昔からある検察修習の取調修習の拒否も正当化される?(あんまり論点を広げすぎますと、それこそ収集がつかなくなりますので、単なるひとりごとです)
投稿: toshi | 2010年9月12日 (日) 10時34分
<既修者と同じように未修者にも三振を課すのは不合理ではないか、という理由についてはいかがお考えでしょうか。
私は、未修からの合格でしたが、未修には、医師や公認会計士、弁理士、また、元公務員、元銀行員等々、多様な人材がおりました。
その方たちは、3回受けてまたは受けずして、別の道に進まれた方が大勢います。
センスがないから、などという理由でないです。単に、試験が確立しておらず、法科大学院の教育も全然試験とは別物ですから、試験に対応できるだけの力が、たった3年の授業では身につかないのです。
「隠れ未修」などもいることから一概に言えませんが、既習と未修との区別をしていない点も問題だと思いますし、先生がおっしゃる通り、勉強を長くつづければそれだけ法的知識がつき、試験に合格できる確率もあがるとおもいますので、そういった意味でも、三振制度を維持しながら、多様な人材を確保するのは絶対に無理だと思うのです。
優秀な人材が、運悪く三振した場合、どうなるか、とても心配です。
少なくとも、国がそのような犠牲者をたくさん輩出すべきではないと思うのですが。
投稿: 未修からの合格者 | 2010年9月12日 (日) 11時53分
>未修者にとってみれば、あと2年ほど勉強すれば既修者と同じように合格できるのに(つまりまだ実力が伸びることは、既修者の合格率が証明しているのに)、おなじ「三振」アウトとなるのはナットクできない、つまり既修者と同じように未修者にも三振を課すのは不合理ではないか、という理由についてはいかがお考えでしょうか。
私の個人的な経験から申し上げますが、未修者と既修者では、2年次の学力レベルに非常に大きな差があります。未修者にとっては、正直授業について行くだけで精一杯で、授業のレベルが自分の学習進度に合っていたとはいえません。
授業を受けても消化不良で終わってしまうことが多く、せっかくの興味深い授業であるにもかかわらず、自分はついていけないので、とてももったいないと感じました。
それに対し、既修者は授業のポイントを押さえた発言をするなど、授業の内容をきちんと身に着けていたようです。
このようにたった1年で平均的な未修者が既修者に追いつくことはできないにもかかわらず、同じ授業を受けなければならないところに問題があると思います。先生方もどこにレベルを合わせたらいいのか、大変苦労されているようでした。
平均的な未修者にとって、3年の法科大学院での授業で司法試験合格レベルに達することは非常に困難ですが、未修者であっても当然時間をかけて勉強すれば、既修者に追いつくことは可能です。
そこで、もっと、柔軟な進級制度を導入して、1年で既習者に追いつくコースだけでなく、選択的に2~3年かけて既習者に追いつく未修コースがあってもよいのではないかと思いました。
(もっとも、その分学費がかかってしまうわけですが、浪人中に予備校にお金を払うことを考えれば、トータルでみればそれほど変わらないのではないかと思います。)
このように法科大学院の制度を未修者と既修者の学力レベルに合うように改善した上で、三振制度を維持するのならよいかと思いますが、現状のままでの三振制度は勉強時間が足りないだけで、よい法曹になる可能性のある未修者を振り落とすことになってしまうので、反対です。
投稿: himawari | 2010年9月12日 (日) 16時45分
>未修者にとってみれば、あと2年ほど勉強すれば既修者と同じように合格できるのに(つまりまだ実力が伸びることは、既修者の合格率が証明しているのに)、おなじ「三振」アウトとなるのはナットクできない、つまり既修者と同じように未修者にも三振を課すのは不合理ではないか、という理由についてはいかがお考えでしょうか。
早く合格して活躍したい人のことも考える必要があるのではないでしょうか?
もともと経済的理由から一発で合格しないといけないという人も多いですし、たかがペーパー試験に何年も足止めされたくないという人もいるでしょう。
そういった人たちが努力して、3年間で100の力を身につけたのに、卒業後受験回数制限内で100に達しなかった人が、さらに何年も勉強を続けて101を身につけてきたら、3年で100を身につけた人を差し置いて合格させなければならないのでしょうか?
それに、未修者だって、事前に勉強して既修で入学することも可能なのに、あえて未修で入学するという選択をしているのだから、既修との格差を持ち出して三振制度を批判するのはおかしいと思います。
投稿: 治虫 | 2010年9月12日 (日) 18時27分
先生の周りでこれから司法試験を目指す方というのは、もちろん有能で
いらっしゃって、資格さえ取得できれば即企業法務でバリバリ活躍できる
方々かと思いますが、私の周りはロマンチストの馬鹿一徹集団でして
いわゆる町弁として社会のために働きたいというようなタイプが多い
のです。
そういった人種からの不満としては、
(1)ロースクール制のため取得コストが上がるとともに仕事との両立が
事実上不可能となった
(2)新司法試験は定員も合格点も試験委員の裁量で決めるため、単なる
受験生にとっても見通しが立て辛い
(3)肝腎の予備試験がどうなるのか未だにさっぱり分からない
(4)試験が難しいのは全く構わないけれど、ニーズとかけ離れた
合格者を出し続けた場合、OJT重視の業界であるにも関わらずその機会が
得られない可能性が小さくない
何より現在の司法試験は法曹三者や文科省の内輪の都合ばかりで、全く
受験生の都合を考えていないところに問題があるのだと思います。
本当、どうにかならないものでしょうか??
投稿: 素人勉強家 | 2010年9月12日 (日) 20時03分
>そういった人たちが努力して、3年間で100の力を身につけたのに、卒業後受験回数制限内で100に達しなかった人が、さらに何年も勉強を続けて101を身につけてきたら、3年で100を身につけた人を差し置いて合格させなければならないのでしょうか?
それに、未修者だって、事前に勉強して既修で入学することも可能なのに、あえて未修で入学するという選択をしているのだから、既修との格差を持ち出して三振制度を批判するのはおかしいと思います。
100の力が「弁護士業務に最低限必要な力」である場合は、3年間で100の力を身につけた人も、何年も勉強を続けて101の力を身につけた人も、「両方」合格させれば良いのではないでしょうか。100の力がある人は全員受からせて、あとから弁護士として競争させれば良いと思います。
投稿: Patriot | 2010年9月12日 (日) 21時05分
未修者/既修者の用法が混線していますね。
これらはそれぞれ法科大学院の未修者コースを履修した人、既修者コースを履修した人、という意味ではなかったでしょうか。
後者の要件を満たす人は前者を履修でき、それ以外の人は前者しか履修できないという切り分けになるかと思います。
いずれも法律科目の習熟度にもとづく分類ではありません。また、多様な社会経験、知識を有するかどうかとも直接関係のない分類です。
前者を優遇するという考え方はちょっとおかしいです。
優遇されるのであれば、あえて他学部に進学し(隠れて)法律を勉強するといった不合理を有無だけです。
また、法に未習熟な層を優遇するという意味なのだとしたら、理由を言うまでもなく、それは極めておかしな考え方です。
受験者層を2色に塗り分けて制度設計することがそもそも無理なのです。
三振制度について「3回」ばかりが強調されますが、「5年のうち」が付いていますね。勉強期間という意味では、未修者コース3年+5年の計8年をどのように設計するかにかかっているわけです。入学前の準備期間もいれると自分のさじ加減しだいで更に勉強できますよね。
投稿: JFK | 2010年9月12日 (日) 21時23分
皆様、多数のご意見本当にありがとうございます
私の素朴な疑問に対して、賛否両論、いろいろなご意見を頂戴いたしました。とくに、管理人とは逆のご意見、こういったブログのコメントでは書きにくいのではないかと思いますが、多くの異論もお聞かせいただき、その論拠にも傾聴に値するものもあるように考えました。
次第に議論がエスカレートしてきましたが、こういった争点で、どちらかに意見が集約されることはなかなかブログという性質上困難かと思います。ここは、ひとつ管理人がすでに申し上げておりますとおり、感覚的なご意見、ご自身の経験に基づく知見等を開陳いただければ結構でございます。その意見のなかで、また読み手の方が自身の意見形成や、ご批判、ご異論をお持ちいただければ幸いです。管理人はあまり漠然とした議論にならないよう「三振制度」に絞ってエントリーしたつもりですが、やっぱりこれだけ様々な意見が出るのですね。法曹養成制度に詳しい者でもないのに、こういった話題を持ちあげたことに少し反省をしておりますが、冷静なご意見、もう一度、おさらいしてみようと思います。(ちなみに、これまで管理人が削除、訂正、非公開としたコメントは一件もないことを付記しておきます。)
投稿: toshi | 2010年9月12日 (日) 22時38分
2度目のコメントとなりますが、「三振制度」(あまり感心できないネーミングではあります。)は、以前から見聞きしていました。
もしも、かつての会計士試験に「三振制度」があれば、、、
私は今の仕事をしていなかったのかな(汗)・・・私の周りにいる
幾人もの優秀な会計士の方々も然り。
山口さんの周りにおられる優秀な弁護士の方々でも、
このような「ふるい」があったなら、現在みられるその卓越した
「センス」を発揮することなく埋もれたままの方も
いらしたかもしれませんね。
このような制度を考え出すのは、きっと、トップクラスで司法試験に合格し、
研修所でも優秀な成績を修めた挫折も知らない官僚裁判官や法務省の幹部
なのでは?と勘ぐらざるをえないですね。
経済学的に、人は合理的な行動をする生き物です。
様々な分野で多様な視点を得ている人であればあるほど
不確実な将来を避け合理的な行動をとる確率が高まります。
とすると、この「司法試験制度」にどれだけの魅力があるでしょうか。
結局は、本来目的としていた多様性ある法曹の育成は失せ、
お金持ちの子弟の学歴付与の受け皿と化すのでは?と。
司法試験制度についてどれだけ美辞麗句を並べたところで、
法務省の幹部は、「それ」が目論見なのかもしれませんけど。
(社会的な損失を軽減するという意味で。)
しかし、5年で3回とは・・・何とも、将来設計の立てにくい
制度ですね。(「勉強をスタートしてから10年以内に合格しなさい」
ならまだ、センスを問われても納得いきますが。)
法務博士の学位は、賞味期限が5年ということでしょうか?(失笑)
まさにこの学位こそ、時が経てば経つほどその技術力に円熟味を増し、
極めて有用な技術と化するのではないでしょうか。
関門外ながら再考すべき制度であると考えます。
※当コメントへの返信は不要であります。
通りすがりの独り言です。。。
投稿: 九州の怪計士 | 2010年9月13日 (月) 10時33分
追伸:
学生時代の成績が悪くてもバリバリ仕事をこなして
クライアントの信頼も厚い会計士は結構いるものです。
逆に、相対評価でいくら成績がよくても、
「使えない」会計士も結構います。
絶対に下げられない「合格基準」(品質保証基準)を設定すれば、
あとは、本人の努力次第。
司法試験を1位で合格した人が、クライアントに対し、必ずしも
最善の解決策を提供できるとは限らない業界である以上、
相対評価の合格者に甲乙つけることは、あまり意味のないことです。
こういう業界こそが、市場として健全であると考えます。
(すいません、経済学が専門だったので。)
投稿: 九州の会計士 | 2010年9月13日 (月) 10時50分
大学院まで出て、さらに浪人して、最終的に修士号を取るだけに終わる可能性があるのでは、まともなリスクリターンの計算ができる人にとっては全く魅力は無いでしょうね。
三振制だから逆に中途半端に厳しいのであって、一回限り(一期一会制)にするか、受験回数の制限を撤廃するかにしたほうがいいと思います。
私は、どちらかといえば一期一会制を推奨しますが。
合格者を増やす減らすの議論より、弁護士の独占業務を法廷代理権のみにして、非弁行為の制限を緩やかに(或いは撤廃する)ことで弁護士になる必要性を減らすことを考えるべき様な気がします。後は名称独占の問題で、響きがいい、通りがいいだけの資格になれば万事解決かと・・・
投稿: ターナー | 2010年9月13日 (月) 15時19分
こんばんは、ブログいつも拝見させていただき、勉強させていただいております。
三振制についてセンスの有無を問う制度か、それとも長い年月を受験に費やし滞留する人を除外して、合格率を向上させるための制度か等の問題で議論が白熱していますが、企業法務の従事者として書き込みをします。
センスについてですが、企業法務に携わってみて思うことは、実際の現場では、条文やいわゆる基本書若しくは判例などを調べてもよくわからないことが多々ある(むしろこのような場合の方が多いかもしれません)と思います。でも、結論といいますか解決に向けての方向性は示さなければなりません。その際、事案を整理し、広い視点から問題点を検討し、問題の核心を見極めた上で、基本的な法の考え方に沿って、さまざまな法的なリスクだけでなく現実的なリスクも加味したうえで、論理的に解決の方向性を見出だしているのではないでしょうか。
そこで必要なことは、法の深い理解と法の正確な知識、論理的な思考、リスクを感知する能力と結論に対するバランス感覚(一般常識)、そういったものではないでしょうか。また文書能力も要求されると思います。これらは、どれが欠けていても不十分であり、問題は、これらをどのように身につけていくのかではないかと思います。
これらは、考えてみれば、未習者3年間あるいは既習者2年間という限られた法科大学院での勉強期間で身につけるのは現実問題として難しくどれも中途半端の消化不良になるようにも思います。問題はむしろ、その期間にどれを選択し、身につけるかということではないでしょうか。
これらを考えると、基本的な法の理解と正確な知識の体得というのは必須のような気がします。また、バランス感覚(決して公務員試験の一般常識を問うようなものではなくあくまで一般なモノの考え方)も必要になるかもしれません。
そう考えると、細かい知識でなく、一定の法の基本の考え方と正確な知識を用いて論理的に妥当な結論を導き出す以外は、法科大学院では必要ないような気もします。それ以外はOJTで磨いていくのが合理的と思います。
これでは、合格者を一定に絞れず、弁護士が供給過多になるというのであれば、むしろ非弁行為を緩和したり、多くの人が法律に携われるように(弁護士が企業内弁護士として働ける工夫はすでに色々な試みがなされていると思われるので、逆に法科大学院制度も含め無資格者が資格を取りやすい環境を作り、企業内に資格者がいる風土を作りだす等、税理士や会計士のように企業のかかわりを増やす工夫が必要な気がします。但し弁護士資格の価値が下がるという批判や他の問題点も多々あると思いますが。)し、新たな業務分野を開拓するのがよいのではと思います。
既得権や制度ありきで考えると解決できない問題のような気がします。
投稿: 通りすがり企業法務従事者 | 2010年9月13日 (月) 22時19分
三振制度の有無について既修者、未修者云々の意見が出ていますが、個人の意見を言わせてもらえば、無関係と思います。
三振制度は、(一応予備試験という抜け道が形式的に用意されてはいるが)事実上法曹志望の学生を強制的に法曹界に入ることを閉ざす制度です。
そうすると、三振制度の可否は(既修者、未修者に関わらず)三振した受験生を法曹界から締め出して良いのか、という観点から考えるべきだと思います。
三回不合格になった受験生が、四回目以降受験して合格しても、ろくな法曹にならないという統計上のデータでもあれば、三振制度を作ることの納得できます。
しかし、そのようなデータは絶対にありません。
そもそも合格・不合格など紙一重の差であり、たかがペーパー試験の出来不出来で法曹界に入る機会を奪うなどとんでもない暴挙だと思います。ましてやこの合格率です。
本当に愚かしい制度です。
投稿: 通りすがりの受験生 | 2010年9月13日 (月) 22時45分
九州の会計士さん、ターナーさん、通りすがりの企業法務従事者さん、そして通りすがりの受験生さん(今回は通りすがりの方が多いです。。)、コメントありがとうございました。どのコメントも、ずいぶんと構成をお考えになってコメントされたのがよくわかります。私と反対の立場の方のご意見も、少し心が動きかけるようなものもあり、斟酌すべき問題がいくつかのカテゴリに分けて検討されるべきことも理解できましたです。
こうやって30ほどのコメントを読ませていただき、皆様方のお考えが本当に伝わってまいります。
どなたかがおっしゃっていたように「三振制度」という言葉はあまり良いものとは思えませんね。つい便利なもので、このエントリーでも使わせていただきました。でも、ブログ以外の正式な場で使うのはすこしはばかられるような意味合いの言葉だと、私も思いました。制度改革の大きさからすれば、当ブログなどほんの小さなアリのような存在かもしれません。でも、こうやって多くの方が制度の運用について意見を持っておられること、どこかで有識者の方々に認識していただければ・・・と思います。
そういえばJFKさんがすこしとりあげていた司法修習生の給与(給付制度)、とりあえず存続する方向性がみえてきたみたいですね。ひさしぶりにうれしいニュースでした。。。
投稿: toshi | 2010年9月14日 (火) 01時51分
出遅れ感がありますが、ある意味で当事者につき、コメントを。
私は社会人ですでに30半ばすぎですが、今年の夏から勉強開始しています。企業法務が仕事ですので、多少はかじっていますが、寄る年波には記憶力が厳しく、先は長いです。。。
三振制度については、私自身については厳しい制度だと思いますが、必要な制度であると思います。あまり高尚な理屈はありませんが、誰かが引導を渡すことは重要だと思います。旧司法試験で、浪人で年を重ねた人がサラリーマンになったケースをいくつか見ていますが、あまり幸せなケースにあたっていませんので。
上記のコメントでご指摘の方もいらっしゃいますが、法的素養やリーガルマインド、専門知識といったものはともかく、コミュニケーション能力、一般的な商習慣やバランス感覚やらといったものは、OJT以外には修養しえないものであって、法科大学院に期待するほうが、むしろ「ないものねだり」です。
(大学教授が持たないものを教えられるわけもなく。あれば大学はあんなに衰退していないでしょう。。。と、これは蛇足です。)
ただ、一方で社会人や多様な価値観を持った人材を、という観点を考えれば、むしろ5年という有期性に問題があると思います。
これさえなければ、時間をかけて社会人として活躍しつつ、必要なレベルに達したものは受験すればいいので、社会的損失も抑えられるのではないかと思います。
なお、一部の方のコメントに誤解があるようですが、予備試験ルートでも三振制度はあります。
(予備試験は大検と同じようなもので、法科大学院卒業資格を与えるだけですので、その後の制度は一緒です。)
ちなみに、私は夜間大学院でなければ社会人としてのキャリアを中断することになるので、夜間大学院か予備試験のいずれかを考えていますが、予備試験択一と新司法試験択一の一部が共通化される見込みなので、予備試験コースを通るつもりです。新司法試験に予備試験段階でチャレンジできるようなもので、その分有利ですので。
修習生の貸与制度ですが、これは若干、山口先生と意見を異にします。
借金が問題、ということですが、貸与額が300万円として、無利子5年据え置き、10年間で分割返済ですから、年間30万円、月額2万円以下の返済負担です。この程度の金額で良心がゆがむ弁護士がいるのであれば、そもそも合格させるべきでない者が合格していた、ということに過ぎません。
むしろ、これに伴う国家財政負担を考えると、限られた財政支出の優先順位に誤りがあるように思います。
民主党のばらまき政策の一環で、貸与ではなく給付に復活の兆しがあるのが残念です。
投稿: とある受験生 | 2010年9月18日 (土) 21時55分