会社法からみた企業の社会的責任論(歴史編)
週末はFD改ざん事件に関するエントリーに多数のコメントありがとうございました。今回の件はマスコミも正確に報道するのがムズカシイと思います。どなたかがおっしゃっておられるように「ヤメ検」先生の解説も、なかなかお立場上コメントがムズカシイでしょうね。こういうときこそ、葉玉先生の「会社法であそぼ」あたりで解説をお聴きしてみたいです(笑)。
話はまったく変わりますが、最近とても関心を持っておりますISO26000との関連で、いまから35年ほど前の法律論文などを3つほど、週末に読んでおりました。当時議論が盛り上がっておりました「会社法とCSR(企業の社会的責任)」に関するものであります。(昔の論文では、社外取締役とか社外監査役という用語は使われず「社外重役」という用語が一般的だったのですね・・・)
昭和49年の商法改正の際、衆参両議院の法務委員会は、企業が社会的責任を果たしうる改正案を早期に提出するよう政府に求めたのでありまして、その結果として昭和50年6月、法務省民事局参事官室は「法改正に関する意見照会」を各業界団体へ提出したような経緯があります。要は取締役について社会的責任に対応する行動をとることを義務付ける条文をいれるべきか、それともこれまでの株式会社制度の改善を通じて、会社が社会的責任を実現できるような道を探るべきか、という選択の問題でありまして、結論としては圧倒的に後者の改善策を支持する回答が多かったようであります。
昭和49年頃といえば、最高裁の判例などをみてもかなりリベラルな雰囲気が法曹界にも漂っていた時期でありますので、「会社法とCSR」の法曹界における論争も、きわめてイデオロギー的な発想によるものではないかと思っておりました。実際に司法試験においても、(少なくとも私が受験していた25年ほど前は)重要な論点とはされていなかったように記憶しております。ただ、当時の「社会的責任と会社法」に関する論文を読んでおりましたところ、ちょっと私の誤解があったようで、「会社法とCSR」の論争はけっしてイデオロギー的な背景によるものではなく、今読んでも現代の会社法に十分通用するような極めて格調の高い論争であったことを初めて知りました。
いくつか論文を拝読いたしましたが、松田二郎博士(元最高裁判事)VS竹内昭夫教授(東大)の論争における竹内先生の論文「企業の社会的責任に関する商法の一般規定の是非」(商事法務722号33頁)は、最も印象的なものあります。竹内先生は鈴木竹雄先生と同じく「株式会社の社会的責任に関する一般規定導入」反対論の立場でありますが、なぜ反対するのか、といった根拠について、①内容が不明瞭、②いったい誰が、どのような方法で一般規定を使用できるのかわからない、使い方次第では訴訟濫用につながる、③経営者の裁量の幅がはなはだ不当に拡大するおそれがあり、無益どころが有害である、とのこと。会社法はあくまでも私法的法規であり、裁判規範性を有するものであるから、そこに一般条項として社会的責任に関する条項はなじまない、とされています。ただ、社会的責任の議論が重要ではないとしているわけではなく、竹内先生も「問題は一般的抽象的な規定を置くことではなく、企業にとっての社会的責任とは何かを考察し、それを実現するための規定、それを実現するための制度を検討し、そのうち会社法の中で規定すべきものを選択して具体的な規定を加えていく努力をしなければならない」と結論付けておられます。ちなみに竹内昭夫教授は、後年自身の著書「株式会社法」のなかで、社会的責任論争は「会社法とは何か」という極めて格調の高い論点を扱うものであったが、同じころに改正の論点であった「総会屋対策」は、なぜこのようなことを会社法で議論しなければならないのか、本当に悲しい思いであった・・・と嘆いておられます。
いま語られているCSRも、その概念自体語られる人にとってマチマチですし、はたして法律の世界に取り込まれるべきものかどうかは未知数であります。ただ、当時はハードロー、ソフトローといった考え方もあまり見当たらなかったわけでして、もしソフトローという概念が存在していたのであれば、たとえば証券取引所の自主ルールによって(行動規範によって)、あるいは機関投資家や投資運用会社による議決権行使運用基準等によって、さらにはSRI(社会的責任投資)や間接金融条件等によって、会社法で定めるべき方向性を模索する、といったことも検討されたのかもしれません。また、松田二郎博士が自身の論文で触れておられるとおり、一般条項の内容が不明瞭である点や裁判規範性に乏しいところは、判例の積み重ねによって補足されれば良いのではないか・・・という点も十分に検討されるべきではないかと思います。
ところでイマ風にいえば、会社法(または商法総則において)一般条項を付記することで問題が起きそうなものってどのような問題なのでしょうか。「ステークホルダーの定義」「一般株主の利益保護」「コンプライアンス」「取締役の独立性」といった議論にも通じるようなものではないでしょうか。「会社法上の内部統制」あたりのテーマも、実は内容がわかったようで、あまりわかっていない不明瞭な部類に入るのかもしれません。竹内教授風に申し上げるならば、企業を攻撃する側にも、また防御する側にも極めて便利で、内容が不確定な「孫悟空の如意棒」のような概念が、会社法解釈や会社法改正論議のなかでときどき活用されているような気もいたします。
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コメント
葉玉さんでは客観的だったりまともな説明は無理じゃないかなぁ。ヤメ検でまだ利害関係ありそうだし(郷原さんと違い)、どっちかっていうと体制よりで、取り調べの録音とか可視化にも反対してるぐらいの人なんで。ブログのコメント上では、小沢関連政治資金問題で郷原さんの意見否定してたし。最近全然ブログの更新ないですよね、何故か。。それはそうと郷原さんの意見では、「特別公務員職権乱用罪」に当たる可能性もあるとのことです。これは相当重い。。
投稿: アラサー法務 | 2010年10月 4日 (月) 13時43分
アラサ―法務さん、コメントありがとうございます。
「職権濫用罪」・・・そうなんですかぁ。
初めて知りました。
葉玉先生は、とんでもなくお忙しいんでしょうねェ。たしか日本監査役協会の全国会議に登場されるとか・・・そちらの話もお聞きしてみたいなぁ
・・・
投稿: toshi | 2010年10月 4日 (月) 22時49分