« (元)京都地検次席検事逮捕への雑感・・・・・ | トップページ | 会社法からみた企業の社会的責任論(歴史編) »

2010年10月 3日 (日)

検察幹部の立件はそんなに簡単なものではないかも・・・・・

(10月3日夕方:追記あり)

DMORIさんがコメントでおっしゃるとおり、私的には非常にコメントしづらい話題でありますし、テレビを視ておりましたら、おつきになっておられる弁護人も、存じ上げている方(ヤメ検の先生)でありますので、この事件はごくごく「野次馬的」な感想しか書けなくなってきました・・・・

法律家の方には「あまりにも当然のこと」で、おもしろくないかもしれませんが、法律家以外の方に知っていただきたいことは「犯人隠避罪」というのは、本件ではそう簡単には立件できないのではないか、ということであります。要するにM検事がフロッピーディスクを故意で書き換えたことを検察幹部の方々が知っていて放置していた、ということだけでは犯罪は成立せず、「放置+α」の部分が「隠避」と評価できないと成立しない、ということであります。犯人蔵匿罪と一緒に刑法上は規定されておりますので、「犯人と知りつつ、官憲の捜査を免れるように自宅でかくまった」といった行動と同様に評価できるほどの行動があってはじめて「隠避」行為が認められる、というものです。マスコミ報道では、この「+α」の部分を「故意に書き換えたことを隠ぺいしていた疑いが濃厚となった」と抽象的な表現がなされておりますが、この「隠ぺい」とは具体的には何を指すのか?ということであります。

ちなみに日経新聞の検察幹部ら逮捕に関する記事から、この部分(逮捕事実)を拾い上げますと

O前部長らの逮捕容疑は、M検事が捜査資料のフロッピーディスク(FD)のデータを意図的に改ざんしたと知りながら、

①今年2月上旬ごろ、東京に応援派遣中のM検事に対し、以後は改変を過失によるものと説明するよう電話で指示したこと

②同月10日ごろ、M検事が持参した報告書の内容を修正させるなど、故意ではなく過失だとすり替え、M検事の検挙を見合わせたこと

以上のふたつが「+α」として適示されております。ちなみに内部告発をされた4名の若い検事の方々の証言が重要なのは2つのステージに分かれておりまして、まず最初のステージが「意図的に改ざんしたことを知りながら」の部分に関する点であります。検察幹部らは最初から「M検事の故意による改ざん」であることを知っていた、という点です。

もうひとつのステージは「自分たち(検察幹部の方々)の改ざん事件放置によっても、本件は闇に葬られない」という点であります。「犯人蔵匿罪」と同等評価される「隠避行為」といえるためには、たとえ犯行時点では官憲の捜査が開始されていなくても、将来的にはその可能性があることは必要であります。(可能性がなければ保護法益の侵害危険性が認められないため。)そうしますと、偽装工作を行う時点で、すくなくとも行為者らには「官憲による捜査の可能性に関する認識」は必要でしょうから、たとえば「この若手検事らによって公表されるかもしれない」「もっと上層部に直訴されるかもしれない」といった認識が必要かと思われます。「部長が調査しないのであれば、私が公表して辞職します」といったセンセーショナルな言葉がマスコミ取材で登場したのは、おそらく検察幹部が「このまま放置していては、本件はもっと上部において捜査対象となるかもしれない」といった認識を有していたことが、どうしても立件のためには不可欠だったからだと推測いたします。「+α」の事実があいまいなものだと、結局のところ検察幹部らは「自分のミスを隠したかったのか、M検事の犯罪行為を隠したかったのか」特定できなくなるおそれがありそうです。

したがって、この+αの部分は、「公表しますよ」といった若手検事の言動に加えて、①および②(もしくは①と②の事実のいずれか)の客観的事実が「合わせ技」となって、はじめて成立するのではないかと。おそらく逮捕状はM検事の証言によって請求されたものと思われますが、本日の報道をみますと、逮捕された検察幹部方々は完全に否認をして無罪を争う、ということのようですから、①および②の事実については「言った」「言わない」の世界になるのではないかと。ちなみに最高検はM検事のパソコンから、消去されていた顛末報告書の復元に成功したそうでありますが、この報告書も検察幹部から指示される前の報告書と後の報告書のいずれも復元されたのかどうかもわからず、客観的な証拠としての価値は未知数のように思われます。そうしますと、この「+α」の部分は、逮捕事実とは別の事実をもってくるか、上記①、②の事実を補強できる客観的な証拠が登場するか、というあたりが今後捜査上の争点になってくるのではないでしょうか。(そう考えますと、最高検が検事7名体制から18名体制に大幅拡大したことも頷けるように思います)また、最高検は元大阪高検検事長の参考人聴取まで視野に入れている、と報じられておりますが、これも「+α」の立件のためには必要と思われますので、当然のことかと。

前エントリーのコメント欄でJFKさんがおっしゃるように、こういった事案に犯人隠避罪を適用するとなりますと、今後の一般企業における内部告発事案などにも影響する可能性がありますね。内部告発を放置していた企業経営幹部の方にも、むやみに刑事罰が課されるようなことにならないためにも、この「+α」の立件は誰もが納得できるような事実を、納得できるような証拠によって世間に示すことがポイントになってくるかと思われます。

(追記)

本日の読売新聞ニュースの記事(供述対立、「隠避」立証に高い壁…最高検は自信)を読みましたが、やはり犯人隠避罪立証については専門家の間でも疑問が呈されているようであります。「故意でM検事がFDを改ざんしたことを知りつつ、上には『過失だった』と報告したこと」や「公表しようとした若手検事を現場から移動させた」などといった事実を捉えて「隠避」と評価する・・・ということも考えられそうなのですが、「自分達のミスを隠す」のではなくて、「M検事の官憲による捜査の可能性を隠す」というところが「隠避」の核心となりますので、「たとえ若手検事らによって公表されても、M検事の立件が困難となることへの働きかけ」というところに焦点を置かざるを得ないものと思われます。

|

« (元)京都地検次席検事逮捕への雑感・・・・・ | トップページ | 会社法からみた企業の社会的責任論(歴史編) »

コメント

法的な面はわからない点が多いです。
しかし騒ぎの発端は、そもそも特捜事件とそのセンセーショナルな内容によって、特捜部が「いい気になり過ぎた」という仮説の検証だと思いますが、いい気にさせた一面にマスコミの存在があり、特捜部とマスコミの癒着?(立証は容易でないと思いますが)、世論の硬直性(すぐにマスコミに染まってしまう)などが背景にあったかと思います。
(また、このような構図によって、特捜検事も調書・証拠品の「でっち上げ」のプレッシャーに悩まされる辺りは、業績プレッシャーに押しつぶされる経営者のように見えました。粉飾決算に似ているように思った)

マスコミが過大な報道をすることは、彼らの自由だと思いますが(アホな報道か否かを見分ける目も必要だと思う)、こういったネットコミュニティで、本質的な議論が出来ることで、こういった側面を少しずつなくしていけるようになればいいなあと思いました。

もちろん、本件では、粉飾決算・いや粉飾検察の誘惑を遮断する監視機能がなかった点が最大の問題だと私も思います(ただ、検事への監査って容易でなさそう。マスコミがその一端を担っているはずなのだがこのありさまですし)

投稿: katsu | 2010年10月 3日 (日) 16時55分

もう、何が真実なのか、さっぱり分かりません。
検察もマスコミも信用置けませんし。

だいたい「泥棒に泥棒を捕まえさせて調べさせる」(笑い無し)と
いうこの状況自体、間違っているのではないでしょうか。

現実的には今すぐには難しいでしょうが、法的強制力(捜査権、起訴権)
を持った第三者機関に真相の究明を任せること、戦後これまでの検察、
警察、延いては司法(裁判所、弁護士も含む)全体のあり方の再チェック
まで行うという姿勢が必要かと思いますが、それが出来るのは立法府
(政治家)だけでしょうね。

あと、これは個人的な感想ですが、ヤメ検のかたはこの件では一切
黙っていて欲しいですね(笑)。いや、マジで。弁護士資格を返上せよ、
とまでは申しませんが。

投稿: 機野 | 2010年10月 3日 (日) 21時40分

かつて特捜検事(河井信太郎氏とか伊藤栄樹氏の頃…年がばれそうですね)に憧れて法曹を目指したことのある身としては、大変興味深い事件です。が、あまり報道をフォロー出来ていないので、既に報道済みでしたら、二番煎じということでご容赦下さい。

<疑問その1>
涙ながらに直訴した若手検事たち。そこまで「正義感」が強いのなら、なぜ、最上層部(次席・検事正・高検・最高検・法相)に内部告発しなかったのでしょう? あるいは、もみ消しが懸念されたのなら、メディア等外部(日弁連でもOK)に通報しなかったのでしょう? なんかヘンですよね。

<疑問その2>
身内捜査の問題。検事の職務上の行為を検察が自ら捜査するのは、やはり無しでしょう。この自家撞着性は、公取委の審判制度の比じゃないですよね。法的にどうなっているのかしりませんが、付審判制度というのがあるくらいですから、せめて弁護士(それもヤメ検ではなく、冤罪に長年に関わってきた弁護士なんかは最適任かと思います)やらせて欲しいところです。

<疑問その3>
この程度で(敢えて言うと、ということですが)「証拠隠滅」になったり「犯人隠避」になったりするんだったら、数々の冤罪事件を担当してきた検事(特に捜査担当検事。立会検事も程度問題でしょうが)も、一応被疑者にしないと、「国民感情」的にはどうなんでしょうね? …そう言えば、今回の一件で、冤罪被害者の方々やその弁護人の方々のコメントをメディア上では殆ど目にしないのは、何となく解せないなぁ。

<疑問その4>
いずれにせよ、「証拠隠滅」も「犯人隠避」も、法定刑でみれば「微罪」の部類でしょう。こんなことに膨大なコストを掛けることが果たして有益か? 国民が求めるのは法的責任(刑事責任)の追及ではなく、道義的な責任だと思うのです。法務・検察当局としては、ライン上の全責任者を辞任させるべきでしょう。即ち、部長・副部長だけでなく、次席・検事正・高検次席・検事長・次長検事・検事総長あたりは当確じゃないかなぁ…。

因みに、今回の被疑者3名は、関西検察のエースではあるのでしょうが、法務・検察当局の主流とは違いますよね? 東大・京大出身者は一人もいないようですし、司法試験合格もそんなに早い訳でもないようですし。つまり、このお三方、順調にいけば地方の検事正くらいにはなれるのでしょうが、検事長は相当高いハードルなのでは? そう考えると、本件も広義の国策捜査なのかなぁ…と思ったりします。

<最後に>
この一件で、那覇地検(石垣支部)の問題がすっかり吹っ飛んだ感があります。こちらは、本件とは比べ物にならないくらい難しい問題ですが、ありがちな「関心そらし」だったら、この3人が哀れ過ぎる…。

投稿: 再考賢察庁 | 2010年10月 3日 (日) 23時11分

単なるやじ馬のコメントに過ぎないですが、再考賢察庁さんの〈疑問1〉についてのみ感想を述べさせてください。

若手検事と呼ばれる方々がどのようなキャリアかわかりませんが、おそらく様々な感情が渦巻いていたのではないでしょうか?

内部告発が法的に整備されてるとしてもまだまだ未知数であること、辞めたとしても稼いでいけるのか、内部告発(法定要件を満たさないものも含む)する先をどこにするのかということ。

正義感という言葉を使われてますが、内部告発はある意味で保身の感情も働いてるはずです。将来、明るみに出た場合、自分に火の粉が飛んでくるんじゃないのか?という感情です。

当然、検事としてのプライドが証拠の改竄ということを許せないという正義感もあったんではないでしょうか?

すべては、私の憶測ですが、様々な感情が渦巻いていたならば、検事といえども、むしろ検事だからこそ、萎縮してしまったということも考えられます。

検事達には、理想的ではありますが、少なくとも批判の対象になるようなことはしてもらいたくなかったです。

投稿: cpa-music | 2010年10月 3日 (日) 23時58分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 検察幹部の立件はそんなに簡単なものではないかも・・・・・:

« (元)京都地検次席検事逮捕への雑感・・・・・ | トップページ | 会社法からみた企業の社会的責任論(歴史編) »