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2010年11月 1日 (月)

航空管制官に対する有罪判決(最高裁)と技術者倫理

JFKさんから教えていただきましたが、10月26日、航空管制官の業務上過失致傷罪の成否が問われた最高裁決定が第一小法廷から出されております。(最高裁決定全文はこちら)平成13年1月に発生した焼津市沖でのJAL旅客機2機のニアミスにより、衝突を回避したパイロットの操縦によって多くの乗客が負傷した事件に関するものでありますが、最高裁は旅客機に間違った指示を出した(便数を言い間違えた)管制官2名に対して業務上過失致傷罪が成立するものとして、有罪とした高裁判断を支持する判断を下したものであります。この事件は一審東京地裁は無罪、原審東京高裁は有罪と、判断が分かれていたものでしたが、最高裁では5名中4名が有罪意見、1名が無罪意見(反対意見)を述べておられます。櫻井龍子裁判官は、2008年9月に就任して以来、おそらく初めての反対意見表明ではないかと思います。マスコミ等の論調は、概ね最高裁多数意見が妥当である、とのこと(たとえば読売新聞の10月30日社説等)。

業務上過失致傷罪という「過失犯」の開かれた構成要件該当性を問題としているわけですから、刑事責任を問えるだけの「予見可能性」があったのかどうか、管制官らの実行行為と乗客の負傷との間に刑事責任を問えるだけの「相当因果関係」が認められるのかどうか、というあたりは、裁判官のきわめて規範的な評価に依存するものであります。したがいまして、地裁や高裁の判断、そして最高裁の多数意見と少数意見のいずれかが理屈のうえでおかしい、ということを述べることはできないように思います。法律上の相当因果関係の判断にあたっては、すでに最高裁判断の先例もありそうですので(たとえば最高裁決定 平成4年12月17日 刑集46-9-683等)、過失による第三者の行為の介在が因果関係の否定にはつながらない、といった判断はなんとなく理解できそうであります。ただ、私個人の感覚的な意見としては、東京地裁の判断および最高裁の櫻井判事の反対意見に賛同するものであります。

そもそもヒューマンエラーを防止するためにRAという(航空機の衝突を回避するための)安全装置を導入したわけでありますが、本件で管制官が有罪とされたのは、このRA装置が導入されたことに起因するものでありまして、たとえ管制官が言い間違えをしていたとしても、このRA装置が導入されていなければニアミスは生じなかったのでありますし、またこのRA装置が導入されたことによって、もっと重大なミスが発生した場合(たとえば管制官が旅客機の接近にまったく気がつかずになんら指示さえ出していないとき)には、逆に(RAが正常に作動することによって)犯罪行為が認められないという事態も考えうるわけであります。人為的なミスを回避するための装置が導入されることで、これまで以上に厳格な注意義務が管制官に認められることや、今回よりも明らかに悪質なミスが認められる場合には犯罪が成立しない結果を招来させる、ということはどうも違和感がございます。

たしかにRA装置が存在していることを管制官が知っていたのでありますから、言い間違えによってRAの指示と管制官の指示に食い違いが発生することの予見はできたかもしれませんが、そもそもヒューマンエラーを回避するためにRAが導入されたのでありますから、現場の管制官らにとっては、注意深く業務を遂行したうえでの人為的なミスはRAが回避するものとして、操縦士は最終的にはこれに従うであろう・・・という合理的な判断があってもおかしくはないのではないか、と思います。もし、管制官の言い間違えが重大なミスにつながる、という点についての(刑事責任を問えるだけの)予見可能性があるのであれば、なぜその予見可能性は会社内部の者に対して向けられず、現場の管制官だけに向けられるのでしょうか(ちなみに、当時はRAの指示と管制官の指示に食い違いが発生した場合の、優先関係に関する規定は存在しなかった、ということであります。)

非常に大きな事故が、管制官のミスによって結果的には発生しているわけでありまして、被害者の多くの方々も処罰感情を示しておられたようです。また社会の常識からみてもこういった問題点を情状としては考慮できても、刑事処罰を免除することは許容されない、とする考え方もよく理解しうるところであります。しかし櫻井判事も指摘しているとおり、このような事案で刑事責任を認めるということは、今後も重大な事故が発生したときに、事件関係者は黙秘権を行使して真相を語らない傾向を助長することになるのではないでしょうか。旅客機や鉄道事故が発生した場合に、運輸安全調査会等によって事故原因が究明されるわけでありますが、これとは別に事故の責任を追及するための警察・検察による調査が控えているのであれば、おそらく関係者は事故調査委員会による調査においても真相を語ることはないと思われます。今回のケースでも、本当に言い間違えによるニアミス発生の危険性が予見できるのであれば、従前からそういった状況を想定してRAが設定されたり、ルールが整備されているはずでありますが、そのような整備がない以上、会社関係者にも過失が認められると思われます。しかしそのような関係者の責任を問われることはなく、すべての刑事責任を管制官が負うということでありますので、「正直者(素直に反省する者)が馬鹿をみる」結果を助長することになるのでないでしょうか。

今回、宮川裁判長は政策論・立法論からみても、今回のような事案で刑事処罰を求めないことは現代社会の国民の常識にかなうものでなない、と指摘しておられます。しかしアメリカ社会では、技術者倫理協会が技術者の誠実義務(真実義務)を規定し、内部告発を義務付けていることや、関係者に刑事免責を表明して事故原因究明のために供述を求める、といったことが実際に行われていることからしますと、やはり事故調査を行う専門的機関と捜査機関との協力関係は、思っているほどやさしいものではないように感じます。それとも、日本はアメリカよりも会社関係者は誠実であり、刑事責任を負担するリスクがあったとしても、誠実に原因究明のための事実を語るものである、という土壌がきちんと存在する、ということなのでしょうか。

要するに、大きな事故が発生するような場合、一番「過失」責任を負わせやすいところで刑事責任を問い、その他の関係者は真相を語らず、それで事故原因の真相が明らかにならずに調査終了となれば、一番被害を被るのは再発防止策が十分に検討されず、繰り返される事故のリスクを抱える国民ではないのか、と思います。被害者の方々の目が刑事責任に注がれることは当然のことと思いますが、はたして一般の国民の目が、事件の真相究明と引き換えに誰かに刑事責任を追及することに注がれている(それが社会常識)と言えるのでしょうか。コンプライアンスは、単に「法令遵守」を意味するのではなく、企業が社会的な責任を負うことへ向けられるようになっている現実の流れについても考慮すべきではないのか、と思うところであります。法令遵守のために関係者は注意義務を尽くせばかならず不祥事を防ぐことができる・・・という考え方よりも、どのような場面においても不祥事は必ず発生する、という考え方を前提として企業のリスク管理を重視するほうが妥当ではないかと考えております。

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コメント

 極端な表現で強引にまとめてしまうと、将来の事故発生防止を優先するのか、既に発生してしまった被害に対する感情を優先するのか、と言う問題かと。
 個人的には、民事上の被害回復は、別途過失の有無を問わずに保険等でカバーすることで対応し、個人の刑事罰という感情的な側面よりも、これから失われる可能性のある生命・身体の損害を少しでも減らす方が優先ではないかと考えています(何でもアメリカが正しいという訳ではないですが。)。被害を受けた方またはその遺族の方も、今後このような事故が起こって欲しくはないと考えているであろうと善意に解釈すれば(逆の考え方は、私たちと同じ目に遭えばいいんだ、ということでは。)、そんなに方向性は違わないのかと。
 まあ、どちらが正解という話ではないでしょうし、いろいろな考え方はありますが、当事者を処罰したいという感情と再発防止の両立が容易でないことは、もっと考えて欲しいなというところです。

 ただ、裁判所としては、法令の枠を飛び越える訳にはいかんのでしょうな・・・。

投稿: Kazu | 2010年11月 1日 (月) 11時10分

本事件については、できれば事故調査報告書も読んで判断するのが、良いと思います。

私も、事故調査報告書を読んで、どうしても書きたいとブログを書いてしまいました。(トラックバックしました。事故調査報告書へのリンクはその中で貼りました。)

管制官が、便名を間違えた後、再接近するまでの時間は1分もないのです。その間、管制官は、危険回避のために東の方向の成田向けに飛んでいるJL958便に方向転換を指示しました。しかし、この指示は、TAの発信声や、交信のとぎれでJL958には伝わりませんでした。

もう一つ、TAに従うかどうかのルール問題がありますが、これも極めて複雑と思いました。このような事態を回避するために開発された装置ではあるが、当時は全機が装備しているわけではなく、航空機のアラームが地上の管制官に自動的にフィードバックされてもおらず、しかも空の上はあらゆる国の飛行機が飛ぶのであり、それを安全に運行する必要がある。

日本単独で、解決できない問題を含んでいます。最高裁では、今回のような棄却決定しか出せないような部分を含んでいますが、事故調査報告書を読んで考えさせられました。

投稿: ある経営コンサルタント | 2010年11月 1日 (月) 12時11分

各種媒体では反対意見を酷評する意見が多いみたいですね。
「危険の現実化」のひとことで多数意見に賛成するものが多いですが、そんな軽いノリでは、危険を現実化させない過失はなくなってしまいます。
いつでも起こり得るヒューマンエラーをカバーする仕組みとしてRAがあり、それを管制官も(当然機長も)認識していたのですから、言い間違いという行為の危険性はもともと高くなかったとみるべきです。そうであれば、危険が現実化したというためには、「RAを無視して管制官の指示に従った」という介在事情に十分な予測可能性がなければならない事案です。その予測可能性にかかる事実評価は真っ二つに割れてもおかしくないのに、多数意見が圧倒的優勢というのはなぜでしょうか。率直に違和感があります。
学者等による理論的考察を楽しみにしています。

>RA装置が導入されたことによって、もっと重大なミスが発生した
>場合(たとえば管制官が旅客機の接近にまったく気がつかずになん
>ら指示さえ出していないとき)には、逆に(RAが正常に作動する
>ことによって)犯罪行為が認められないという事態も考えうる

先生のこのご指摘が、本件言い間違えとRAの関係をまさに言い当てていると思いました。

ちなみに、私は判決と書いてしまいましたが決定の誤りですね。失礼いたしました。

投稿: JFK | 2010年11月 1日 (月) 23時36分

皆様、コメントありがとうございます。どうも世間的には櫻井説は分が悪いようですね。

本件と直接関係はございませんが、朝日新聞夕刊で、本日から「事故調査」という特集が始まりました。おそらく事故調査委員会による真相究明と司法手続きとの問題も議論されるのではないかと思われます。

私も判決と決定を間違えて記載しておりましたので、本文の箇所を訂正しておきました。

投稿: toshi | 2010年11月 2日 (火) 01時46分

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