インサイダー取引防止体制構築義務と株主代表訴訟
すいません、最近は「インサイダー取引」関連の話題が続いておりますが、金融法務事情の最新号(1909号)の「OPINION」に、SESCに任期付き公務員として出向されておられた弁護士の方が「金融機関向け『課徴金事例集』の読み方-監視委での職務経験から」と題する文章を寄稿しておられ、そこに日経インサイダー取引株主代表訴訟のことが紹介されていることに興味を持ちました。東京地裁は日経新聞社の役員ら(当時)について、善管注意義務違反の事実は認められない、として原告株主らの請求を棄却する判決を下しております。(平成21年10月22日東京地判 判例時報2064号139頁以下)社員がインサイダー取引を行った平成17年当時の一般的な注意義務の水準からみて、日経新聞社の役員らはそれなりのインサイダー防止のための体制整備に関する注意義務を尽くしていた、というもの。筆者はこの内容から、日経新聞社の役員は、こういった体制整備義務を尽くしていたことで救われた、金融機関等の一般会社においても、インサイダー防止のための社内体制構築に配慮すべし、と締めくくっておられます。
私もこの日経インサイダー株主代表訴訟判決は、(昨年の今頃)旬刊商事法務「スクランブル」で紹介されたときに知りまして、判例時報で全文も読んだのでありますが、インサイダー取引防止体制構築義務が役職員に認められることを紹介するためのリーディングケースとみるのに適切かどうか、という点に少し疑問を持っておりました。といいますのは、この判決文を読みますと、
日本を代表する経済新聞社という会社の性質上、そこは各上場会社の未公表の情報が毎日多数集約される場であり、その情報管理は極めて重要であるために、とりわけインサイダー防止体制をきちんと構築しておく必要がある
というもので、それは経済新聞社という特殊な業種であるがゆえの「構築義務」のようにも読めるからであります。逆にいうと、一般の上場会社の場合には、果たして(抽象的にでも)そこまでの義務があるのか?むしろ個別の役員の過失問題として論じれば足りるのではないか、という考え方も成り立ちうるように思えたからであります。上場会社の取締役には、役職員のインサイダー取引防止体制の構築義務がある、と主張するときに、この判決を引用しようか逡巡するところはこのあたりにございます。
これは代表訴訟で回復されるべき「損害」についての考え方からも考察することができるものと思われます。そもそもインサイダー取引によって、企業の何を損失とみるのか?といった点は、これまであまりきちんと論じられてこなかったように思います。上の日経インサイダー取引代表訴訟事件についても、原告側は「日経新聞社のコーポレートブランド価値の少なくとも1%」というきわめて「ざっくりとした損害額」を主張しておられたようであります。たとえば企業の信用というものが従業員のインサイダー取引によって毀損された、ということであれば、その「企業の信用」というものは、インサイダー情報が集まる会社だから、その信用は毀損されたとみるのか、そもそも情報管理体制がゆるい会社であり、犯罪者が勤務していたような会社という評価を受けるから信用が毀損されたとみるのかは、どうもハッキリとはしていないように思います。もし、前者ということであれば、そもそも金銭的評価の対象となるほどに、一般の会社の信用は毀損されないのではないか、ということになり、インサイダー取引を防止することで、企業に損害が果たして発生するのかどうか、という問題にもなりそうであります。
上記OPINIONにおけるご見解や、最近の法曹実務家の方々のご意見等でも、「上場会社の役員は、もしインサイダー取引防止体制の不備を第三者から追及された場合には、法的責任を負担するケースも出てくるであろう」と述べられるのが一般的であります。ただ、裁判上で具体的な内部統制構築義務違反を問うケースでは、まず個々具体的な企業環境(実際にとられている情報管理体制や、防止のための社内研修など)などを分析したうえで、個別事情を検討することになるのでしょうね。このあたりは、もう少し勉強しておく必要がありそうです。
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コメント
確かに、損害という点から見ると難しいですね。風評の損害は発生と額の両方の立証が難しいし、株価が下がっても会社には損害が生じないし。
ただ、上場会社がインサイダー取引防止ができなかったということで上場制度違約金を支払ったら、これについては損害が生じたとして代表訴訟の対象になるくらいでしょうか・・・。
投稿: Kazu | 2010年11月11日 (木) 12時51分
判決文を読んで感じたのは,日本経済新聞社さんの情報管理は確かに緩かったけど,この事件が起きるまではインサイダー取引に手を染めるような不届きな社員はいなかった(少なくも事件にはなっていなかった)わけで,それは社員の倫理観が高かったのかなということでした。
情報がいくら簡単に手に入っても犯罪に至らなかったこれまでの時代と,情報を得られる立場を利用して私腹を肥やすことをなんとも思わない「日本経済新聞社」の社員が出現する現在。犯人の個人的な資質だけの問題なのかなと,法律とは何の関係もない感想ですみません。
投稿: Tenpoint | 2010年11月11日 (木) 20時09分
kazuさん、tenpoointさん、コメントありがとうございます。
たぶん私腹を肥やしていた人は以前もおられたと思うのですが、インサイダーに関する捜査能力と捜査体制は、課徴金処分が行われるようになってから格段に向上していますので、そのあたりも考慮する必要があるのでしょうね。
投稿: toshi | 2010年11月12日 (金) 02時51分
ウォールストリートジャーナルの記事によれば、最近格段に向上した捜査能力と捜査態勢であっても、まだ先進国標準にはおよばないとか。
お隣中国はどうなんだろう・・・・。
投稿: Kazu | 2010年11月12日 (金) 12時38分