IFRS(国際財務報告基準)の日本的解釈はどこまで許容されるか?
週刊経営財務の創刊3000号まことにおめでとうございます。毎週自宅に届く「経営財務」は、私のような経理・財務の素人にもわかりやすく、最新の同分野の動向が解説されているところが特徴でして、これからも専門家以外の者にも親しみの湧く紙面つくりに努めていただければ、と期待しています。いよいよ「ドキュメント監査役監査12か月」の連載も始まりましたが、監査役の読者の方々にも「これは言えてる」「こんな監査役おれへんで」などとつぶやきながら楽しく読める特集も増えておりますね。
ところで、この創刊3000号記念スペシャルとして記念座談会「IFRSを考える 第1回 原則主義」が収録されておりますが、この座談会記事は全編非常に興味深い。何が興味深いかと申しますと、多くのIFRSに関する指南書、ガイドブック等が出版されているところの内容(IFRSの原則主義に関する解説)と、この座談会でIFRSの基準開発や解釈に第一線で携わっておられる方々の解説との差がかなり明確になっているのではないか?と私は認識いたしました。(読まれた方、どうお感じになられたでしょうか?)もちろん、IFRS関連の本を執筆していらっしゃる方々は十分に理解されておられるとは思いますが、少なくとも、書店に並んでいるガイドブックを読む我々一般の読者の理解と、今回の座談会で語られれているところとでは、かなりの認識のかい離があるのではないか・・・・・と、そのような印象を抱きます。
たとえば第1部「IASBが考える原則主義とは」では、会計基準と概念フレームワークは「鶏と卵の関係にある」ということが解説されておりますが、私などは概念フレームワークは、動かしがたいもので、ここから演繹的に会計基準が導き出される、もしくはフレームワークに戻って会計基準を選択する、というものだと認識しておりました。しかしながら、会計基準の開発の過程において、概念フレームワークが変容することがありうる、ということが解説されており、その相互関係からすれば概念フレームワークが変わりつつある段階では正式な解釈指針が出てこない、といった場面も想定されるようであります。
とりわけ興味をひきますのが第2部「原則主義への対応」で議論されております「解釈問題、許容される『ローカルな解釈』とは」であります。誤解があるといけませんので、記事の安易な引用はいたしませんが、IASBは決してローカルな解釈をすることを認めないと、言っているのではなくて、ローカルな解釈に対してIASBが権威づけ(オーソライゼーション)を与えることはしない、と言っているわけですね(なるほど・・・目からうろこ)。そうしますと、社内のIFRS適用指針における解釈問題や、企業と監査人との判断のミスマッチ、そしてなによりも規制当局の「指定会計基準」に対する判断と企業(および監査人)の判断が食い違う場合の裁定問題などを、日本国内でどう考えるべきか、ということも次の問題として当然に出てくるわけでして、このあたりの議論もまことに考えさせられるところが多いですね。「許容しないのではなく、権威づけをしない」といったあたりは、法律の世界のお話であるようにも思われます。
先週、無条件でIFRSを先行適用しているAUSで5年ほどIFRSの研究をされてきた方のお話をうかがいましたが、AUSでは法律(会社法)のなかにIFRSの会計基準を盛り込んで運用されているとのことでした(現在までのところAUSでは、適用にあたり企業に大きな問題は発生していないようです)。IFRSの問題に真剣に取り組むためには、会計基準だけでなく、国際監査基準や各国の監査人の質の標準化まで踏み込まなければ解決しないこともお聞きしたところであります。以前ご紹介した財団の提言にもありますように、日本が「なんちゃってIFRSの国」(IFRSを適用しているふりをする)を目指すのであればとくに大きな課題ではないかもしれませんが、IFRSの適用に真剣に取り組むまじめな国を目指すのであれば、この座談会記事にもありますように、とくに規制当局と企業とのIFRSの解釈基準が食い違うような場面(さらには、司法判断とIFRSの解釈機構との判断が食い違う場面)をどう理屈のうえで考えていくべきなのか、法律家を交えて真剣に討議する必要があるのではないでしょうか。このあたり、また有識者の方々にご教示いただく機会がございましたら、ぜひ参加してみたいと思うところであります。
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