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2011年3月23日 (水)

郵便不正事件「証拠改竄-特捜検事の犯罪」を読んで

厚労省元局長村木氏の捜査にあたり、大阪地検特捜部主任検事によるフロッピーディスクの改ざんが行われたことが朝日新聞の報道によって明らかにされ、現在も検察の再起を賭けた検証が行われていることはご承知のとおりであります。そして、このほど朝日新聞出版社より、司法担当、裁判担当の3人の記者が検察最大の不祥事を世に公表するに至った経緯を克明に綴った「証拠改竄(特捜検事の犯罪)」(朝日新聞取材班 1400円税別)が発売されました。

Kaizan_p1 事件をスクープした記者の方から本書をいただき、この連休中、精読いたしました(どうもありがとうございます)。本書では、これまで報道されていなかったさまざまな内情が掲載されておりますが、これは実際に本書をお読みになっていただければ、と思います。ここでは、読後感想文として印象に残ったことだけを記しておきます。

村木裁判における裁判官の判決内容も含め、検察の在り方に大いに疑問が呈されているのはデータ改ざん事件よりも、むしろ「組織としての」検察の勝手なストーリーと自白の強要という「でっちあげ捜査」についてでありますが、やはりこのデータ改ざんという信じがたい事件が明るみに出たことが最大の引き金になっていることは間違いありません。しかし、当該記者が検察最大の不祥事をスクープできた背景には、いくつかのポイントがあったことが理解できます。

まずひとつめはなんといっても検察関係者である「その人」からの情報提供であります。「一度しか言わない」と言って、FDのデータが(元主任検事によって)改ざんされた事実が「その人」から記者に伝えられるわけでありますが、なぜ「その人」は朝日新聞社のこの記者だけに真実を伝えたのでしょうか。当該記者によれば、それは内部告発というものではなく、ひょっとすると記者の執拗な説得に根負けした結果だったのかもしれない、と述懐しておられます。

しかし私は、

「その人」はきっと当該記者なら、自分の供述だけで記事を書くような人間ではなく、きちんと供述の裏付けを入手したうえで記事を書くのではないか、といった信頼があったからではないか・・・・・

と考えました。これだけITの進んだ現代社会においてでさえ、本当に重要な情報というのは、やはりアナログ、つまり泥臭い人間の信頼関係の上でしか伝えられない、という現実をみたような気がいたします。(実際に、どこの調査機関がFDの改ざんの事実を科学的に解明したのか、その調査機関の社名も、本書には実名で掲載されております)

ふたつめは、上村被告人(係長)の弁護人との信頼関係であります。FDの原本は上村被告人のもとに存在していたのでありますが、鑑定を行うためには、これを弁護人から借り受けなければならないわけでして、当該記者の真摯な要請に応じる形で、このFDの鑑定に応じることになりました。本書を読んで、私はこの上村弁護人の(職業上当然の)疑心暗鬼が非常に理解できるところであしまして、「もし私が上村被告人の弁護人だったら、果たしてこの記者にFDを渡していただろうか・・・・・・」と本書を読みながら自問自答しておりました。もし私が弁護人だったら、この検察庁最大の不祥事は世に出ていなかったかもしれない、と少し恥じるところもあります(正直なところ)。当該弁護人が大阪弁護士会の刑事弁護委員会副委員長たる地位にあり、当該記者の真摯な姿勢に共感したところが大きかったのではないか・・・・と推測し、これは本件の大きなポイントだったのではないかと思われます。

そして三つめは、当該記者がデータ改ざんの事実を知ってから40日間、朝日新聞社という巨大な組織のなかで、たった3人の記者だけが事件報道のための裏付けを温めていったという事実に驚きました。スクープの裏には、社内でも「保秘」を貫くという厳格さが必要であり、その裏腹としての「ストレス」も本書には如実に表現されております。3名の記者のうち2名は、朝日新聞へ途中入社組でありますが、この3名の信頼関係による「保秘」を貫いた姿勢も大きなポイントだと認識いたしました。

関係者に対する真摯な姿勢によって得られる真実の証言、そしてこれを裏付ける証拠の入手、そしてなによりも上司と部下との信頼関係、こうやって書いて気が付いたのですが、本書では3人の記者の姿を通して、本来の検察庁のあるべき姿を映し出していたのではないでしょうか。これはあくまでも私の読後感想であります。ぜひ多くの方々に、本書を実際にお読みいただき、また様々な印象をお持ちいただければ、と。

3月 23, 2011 本のご紹介 |

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コメント

 本日、昔懐かしく拝見していましたら、この内容が目に付きました。TOshiさんが「この検察庁最大の不祥事は世に出ていなかったかもしれない」と書いておられるのは、FDを記者に渡すことを妨げる具体的な規範のようなものが存在するのでしょうか。
 もし、何か規範のようなものがあれば、記者に渡さないことが正義となり、検察庁最大の不祥事を暴く正義と衝突することになります。そのときにはどちらに軍配を上げればいいのでしょうか。逆に軍配が上がらなかったほうからすれば、内部統制違反として何らかの対抗措置の可能性も予想されますが、どのように応ずべきなのでしょうか。
 また、もし規範のようなものが無ければ、toshiさんはどうしてFDを記者に渡すことを躊躇されるのでしょうか。正義の衝突にしばしば巻き込まれるものとして、アドバイスをお願いします。

投稿: 酔狂 | 2011年4月11日 (月) 19時45分

たいへんご無沙汰しております(お元気にされておられますでしょうか?)

FDを所持していたのはU係長の弁護人の方です。U係長は、すでに正直に公判で供述しております。とくに新聞記者の依頼に応じることで、U係長の刑事処分に影響を受けることはない、ということですね。そうしますと、保守的な考え方になってしまうわけで、もし検察とこの新聞記者とが通じていて、手持ちのFDを改変させてしまうのではないか、もしそうなったら守秘義務違反で懲戒処分の対象となってしまうのではないか、といった危惧が生じることになります。そこまでの可能性がなくても、面倒なことになったら被告人との信頼関係に傷がつく、といった感覚になるのが通常だと思います。当該弁護人は、たまたま刑事弁護委員会の副委員長の方だったそうで、検察への批判意識がかなり高い方だったことで、多少のリスクがあったとしても、新聞記者の心意気に応えようとされたのではないかと推測いたします。

投稿: toshi | 2011年4月12日 (火) 01時36分

有難うございます。元気で大学に通っていますので、ご安心下さい。

本件の場合、守秘義務違反という組織の内部統制に反しても、検察最大の不祥事を暴くという「社会の要請」が貫徹されれば、「社会の要請」が優位に立つ、と理解しました。ところで、組織の内部統制と「社会の要請」は、こういう考え方で一般化できるのでしょうか。

この種の問題は、ここまで大きくなくても、日常業務ではよく起こります。かつて銀行の支店長をしていたとき、融資の決定権限が本部にある案件について、取引先からの融資依頼日に本部の承認が間に合わないとき、支店長として自信があれば、融資を実行していました。銀行の内部統制に反していることは明らかですが、それを護ることによって、取引先の資金繰りニーズに応えるという「社会の要請」と矛盾します。私は、迷うことなく「社会の要請」を優先していました。本部は、何日か遅れて承認していましたので、悪いのは、依頼日までに承認をしない本部の側にあると確信していました。本部サイドも、依頼日に間に合うように承認するという、少なくとも職業倫理に反していたことは明らかです。ところが組織の内部では、非難は本部には向かわず、支店長を一方的に悪者に仕立て上げます。今回の投稿には、こういう背景がありました。組織内でこうした矛盾が生じたとき、何が「正義」で、何が「悪い」のか、内部統制論としては、どのように考えるのでしょうか。ご教示をお願いします。

投稿: 酔狂 | 2011年4月12日 (火) 05時10分

横やりを入れるようで非常に恐縮いたしますが、内部統制の基本的概念として、「内部統制は、経営者が構築するもの」ということがあります。それは、経営者が、会社という船をどこに向けて動かすのかということを決めて、船員(従業員)に船を動かしてもらうための決まりとも換言できると思います。

内部統制の概念で論じることが適切か否かはわかりませんが、検察不祥事の場合、弁護士さん=経営者ではないでしょうか?toshi先生がおっしゃられているリスク(危惧されていること)に内部統制があるとしたならば、弁護士さんがそのリスクに対応した内部統制(ルール)を決めて、それを従業員が守るということが前提にあると思われます。しかし、この場合、あらかじめ従業員に向けて発信している内部統制でもないので、内部規約(内部統制)違反と論じることが適切ではないように思えます。
一方、銀行の融資決裁権限は、あらかじめ従業員に向けて発信されているルールではないかと思います。このルールは、「融資権限が会社に与える影響(責任)が大きいから、できる限り経営者に近い立場が判断する」という理由であると推測いたします。

以上のように2点の違いがあります。①事前にリスクに対応した内部統制(ルール)があったかどうか、②判断・実行するものが経営者であったか否かです。

「社会の要請」と「会社のルール」は、トレードオフの関係にあることも多いのではないかと思います。

何が「正義」か、何が「悪い」のかどうかなんて、大それたことは言えませんが、少なくとも内部統制論では、ルールを守ること、もしくは「社会の要請」に応えるルールに変更することが重要なのではないでしょうか。

投稿: cpa-music | 2011年4月13日 (水) 14時58分

懇切なご教示、有難うございます。2点の違いがあること、ならびに、弁護士のケースと、一般の会社内の件とは筋が違うことも理解できました。

しかしながら、言われるように、「社会の要請」と「会社のルール」は、トレードオフの関係にあることも多いとしますと、機動的な調整がなされない限り、内部統制は経営者の自己利益が主張されがちになり、社会からすると、内部統制の負の側面が濃厚に出てきます。本当にこれでいいのでしょうか。

ご指摘の通り、ルールを守ること、もしくは「社会の要請」に応えるルールに変更することが重要なことは当然ですが、この舵取りを如何に柔軟にするかが大きな問題と思えて仕方がありません。内部統制論では、そういう機動的な調整は、どのように検討されているのでしょうか。どなたか、ご教示をお願いします。

投稿: 酔狂 | 2011年4月13日 (水) 20時58分

学問の領域としては、確かにおっしゃる通りだと思います。しかし、内部統制論については、専門家も沢山おられるのですから、内部統制の見地からはこうする、こうしたいという主張をされることが必要ではないでしょうか。コーポレートガバナンスの分野から、新たな主張がなされたときに、もし内部統制論者が無批判に唯々諾々と従うとすれば、情けない話しではないでしょうか。その意味で、内部統制論を専門にしておられる方のご意見をお伺いしたいと思います。

投稿: 酔狂 | 2011年4月14日 (木) 06時59分

酔狂さん、cpa-musicさん、ご意見ありがとうございます。私もそれほど考えたことがないのですが、私見ということでエントリーにしております。

投稿: toshi | 2011年4月15日 (金) 01時56分

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