« BCP(事業継続計画)と役員の法的責任 | トップページ | 韓国の上場企業にコンプライアンス・オフィサーの制度化決定 »

2011年4月25日 (月)

非常時のリーガル・マインド(超法規的措置とその限界)

法律雑誌ビジネス・ロー・ジャーナルの最新号(2011年6月号)は「震災法務」の特集号ということで、とりわけ企業法務の観点から参考にさせていただいております。ところで、本号の巻頭(インサイド・ストーリー)に(ときどきお会いする)日経新聞編集委員の三宅伸吾氏による「非常時のリーガル・マインド」なる小稿が掲載されております。

内容は松田公太参議院議員(タリーズコーヒージャパン創業者)が震災2日目に被災地に救援物資を届けようとしたところ、がんじがらめの行政規制によって空輸ができなかったこと、その後国交省が超法規的措置を例外的に認める対応をとったことを題材に、厳しい状況におけるリーガル・マインド(非常時のリーガル・マインド)について書かれたものであります。私利私欲に基づかず、緊急事態において行政法規に形式的に反してでも国民の生命、身体、財産を守る行動については、「正義」に適うかぎり、これを超法規的措置として許容しうること、そしてそのことを法律家が権威付けることの必要性について、私は三宅氏の意見に大いに賛同するところであります。そして、私は非常時のリーガル・マインドは行政対応だけでなく、民々の問題を処理するケースにおいても要求されるのではないか、と思うのであります。

4月11日の日経朝刊「法務インサイド」にて「訴訟でも震災の特殊事情が考慮され、平常時のルールがしゃくし定規に適用されるわけではない」と、私のコメントを掲載していただきましたが、たとえ訴訟に至らなくても、緊急時には行政、企業そして個人一人ひとりが法的判断を迫られるのであり、安全確保のために様々なルールが障害になってしまっては正義に反する結果となるのであります。たしかに平時であれば「法令遵守」の精神によって許容されないような事態であったとしても、有事となればあえて「法令に形式的に反する行動」が許容されうることは、おそらく国民の一般常識としても理解されるのではないでしょうか。

ただ、「超法規的措置を許容する」といいましても、弱肉強食の世界を許容するような解釈はとりえないことは肝に銘じるべきであります。たとえば罹災借地借家法(罹災都市借地借家臨時処理法-現在見直しの必要性が言われておりますが)の存在であります。これは私利私欲の世界であっても、緊急時には超法規的措置(民法、借地借家法の例外的措置)が許容されることの根拠となるでしょうが、なぜ平時のルールからすれば権利が消滅したり、対抗要件が失われたりするにもかかわらず、これを有事に保護するかといえば、緊急時における力の支配を許さず、後日の平和的解決の道を確保するためであります(文化国家における最低限度の法の支配)。

したがいまして、超法規的措置が許容される根拠としましても、私は「正義」というものを、そのまま用いることにはやや懐疑的です。「正義」という言葉は、非常に主観的、相対的、配分的なものであり、法の世界では自らの主張を正当化するために、いかようにも活用可能な言葉だからであります。企業や個人が超法規的措置の正当性を「正義」に求めることはいたしかたないとしても、せめて法律家は、先の罹災借地借家法ではありませんが、法的な根拠付けは必要ではないか、と考えます。たとえば被災者の自力救済や既存の法律上の地位確保のための対応につきまして、民法上の正当防衛や緊急避難に関する法理、許された危険の法理、推定的承諾の法理、継続的契約による信頼関係理論、そして最後は権利濫用(信義則)を活用して、その正当性を根拠付ける努力を法律家はすべきではないかと考えます。←すいません、私はこの程度しか思いつきませんでした。。。

超法規的措置は「無法地帯」を許容するものではありませんので、その点は厳に心得ておくべきではありますが、被災者、被災企業の緊急時の対応を後押しするような常識的な判断こそ、われわれが支援する際に最大限留意すべきことではないかと、先の三宅氏の論稿を拝読し、感銘を受けた次第であります(こういったことを、社会に影響力のある方が、もっと問題提起していただきたいです)。

4月 25, 2011 未完成にひとしいエントリー記事 |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104680/51473797

この記事へのトラックバック一覧です: 非常時のリーガル・マインド(超法規的措置とその限界):

» 「裸」だと危険? / 諸々のツボ トラックバック 企業法務のツボ★活字フェチ弁護士の臨床的視点
●山口先生の「非常時のリーガルマインド(超法規的措置とその限界)」を読んでの雑感。 [続きを読む]

受信: 2011年4月26日 (火) 01時36分

コメント

山口先生、大変ご無沙汰しております。活字フェチ弁護士でございます。諸事情により久しくブログの世界から遠ざかっておりましたが、最近また戻って参りました。

さて、今回のエントリーですが、個人的には非常に共感するところがありました。特に「『正義』というものを、そのまま用いることにはやや懐疑的です」という部分。私は、弁護士になった当初、今でも尊敬申し上げる当時のボス弁から、「『正義』という言葉は疑ってかかれ!」と、そう口酸っぱく言われたのですが、その時のことが鮮明に頭に思い出されてきました。

コメントにすると長くて読みにくくなるかと思い、僭越ながらトラックバックという形を取らせていただきました。タイトルがちょっと不適切とか、何かご指摘いただければ適宜直そうかと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 活字フェチ弁護士 | 2011年4月26日 (火) 01時47分

活字フェチ弁護士さん、おひさしぶりです。コメントおよびTBありがとうございました。
ずいぶんと更新をされていなかったようでしたので、こちらこそ、チェックを怠っておりまして、すいませんでした。ひさびさに貴ブログを閲覧したところ、震災以降たいへん精力的に更新されていらっしゃるので、いま少しずつ勉強させていただいているところです。とくに「総会祭り」は明日以降、じっくり読ませていただきます。

また「裸は危険」のエントリー、拝読いたしました。実は私も「超法規的措置」という用語について、活字フェチ弁護士さんと同様、エントリーの趣旨からしてそのまま使っていいのかどうか悩みました。ただ、当ブログは一般の企業法務に携わっておられる読者の方が多いので、議論のわかりやすさを優先したような次第です。「限定解釈」はなるほどなぁと納得しました。(なかなか限定解釈を主張することは勇気がいりますが)
こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。またときどき、ブログを拝見させていただきます。

投稿: toshi | 2011年4月26日 (火) 02時41分

コメントを書く