会計訴訟に耐えうるIFRS原則主義とは?
私が会員になっております全国社外取締役ネットワークの季刊誌(最新号)に、ビジネスブレイン太田昭和 会計システム研究所所長の方の講演録「包括利益が求める株主重視経営」が掲載されておりました。昨年この方の書かれた「包括利益経営」という本を読んでおりましたので、早速該当箇所を読み進めました。さすがIFRS最前線でコンサルティングをされておられるだけあって、海外の最新事情も含めたいへん興味深く拝読させていただきました。
米国もSOX法施行以来、原則主義に傾斜しているそうですが、なかでも(あくまでも講演者の私見とのことですが)会計不正と原則主義との関係については大きな課題となっているそうであります。細則主義のもとにおける会計訴訟の場合、被告側は「俺はこういったルールにのっとって、こういった処理をしたのだから免責されるのだ」といった抗弁を出していたものが、果たして原則主義のもとではどういった訴訟となるのか、訴える側も、訴えられる側も、今後どう対応すべきか悩んでいる、とのこと。「自分のところで決めたルールなんだろう」と言われて、果たして会社も監査人も法的責任を免れるのか?といった問題が、おそらく今後は避けて通れない論点になるようであります。
日本でも同様の課題はあるかもしれませんね。2回程度ではありますが、過去に監査見逃し責任訴訟の代理人をやった経験からしますと、粉飾決算事件の責任を追及する目的で「本来ならば○○であるにもかかわらず、▽▽なる会計処理を行った」という主張を検察官や民事事件原告が立てる場合、この「本来ならば○○であるにもかかわらず」という点が、理屈の点からみて、それほど一義的に明確ではないことが多いように思います。私もこの規範定立自体が自明のものではない、として争った経験があります。この規範定立は、事件が大きくマスコミ等で取り上げられた後、別の監査法人(フォレンジック部隊)が「後付で」測定した報告を根拠としているものであり、行為当時はそのような規範定立は一義的には困難な状況にあったと主張しました。
現行の会計基準を前提としても、会計訴訟における争い方に問題点があるわけです。ましてやIFRSの原則主義による演繹的な会計ルールの定立が問題となるケースでは、なおさら「本来ならば○○であるにもかかわらず」の部分が、被告もしくは被告人にとって異議を出されやすい場面になるのではないでしょうか。つまり会計訴訟は増える可能性が高いにもかかわらず、実際に司法の場で不正会計の事実が認定されるケースは少なくなるのではないか、と。このあたりは「法と会計の狭間の問題」として、以前から漠然とは思い浮かべていたのでありますが、専門家の方によって紹介された米国事情を見聞しますと、やはり同様の問題はいずれ日本でも話題になるものと認識いたしました。(とりいそぎ備忘録程度にて失礼いたします)
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コメント
おはようございます。昨日、綱紀関係事例集(目次:Ⅰ監査意見表明が問題となった事例、Ⅱ監査意見表明以外の行為が問題となった事例、Ⅲ参考規定)が郵送されてきました。会計訴訟は、門外感ですし、またこれは、訴訟で争われたものの事例集ではありませんが、監査が問題となる場合として、(1)監査手続きの不備、②監査上の判断の誤りに大きく分類でき、さらに、(2)は、さらに①問題意識をもってはいるが、・・・という場合、②問題意識がない場合という具合に分類できると思いました。
ところで、「本来ならば○○であるにもかかわらず」という細則部分が争うことがなくなるとすると、監査上の判断をする会計士が平時からどのような業務を行い、どのような研鑚を図ってきたのか、さらに言うとその会計士がどんな人物であるのかを前提として、原則主義による監査上の判断が行われたのかが問われると考えます。重複になりますが、会計訴訟というよりも、訴訟自体が門外漢なので、頓珍漢なことを書いてるかもしれないので、恐縮いたしますが、いかがなものでしょうか。
投稿: 記者3 | 2011年4月19日 (火) 09時39分
何となくの感覚で書いてしまって恐縮ですが、こんな理解はどうでしょうか。
原則主義とはいっても、実際に細かい各取引については、一定のルール(法則といってもよいかもしれません。)に従った処理を行うことに、実務上はなろうかと思います。
これまでは、その細かいルールについて、いわゆる実務指針などにおいてある程度、定められてきたということであって、今後は、各企業が、原則と自社の取引実態を照らして、ルールを設定することになる。
ですので、ルール設定自体の争点はあっても、具体的適用の争いはあまり起こりにくいのではないかと思います。
ルール通りなら、合法的処理が事実上推定されて、ルール違反であれば、違法が推定されるのではないかと。
刑事なら立証責任が転換されるイメージが正しいのかもしれません。
当然ルールは万能ではないので、必要なルール変更はきちんと行って、開示を行い、遡及適用を行う。その手間を惜しむと刑事責任のリスクを背負う。
こんな感じでは極端でしょうか?
個人的には個別処理を争っても紛争解決の点で意味がなく、刑事の点では可罰根拠に不十分なように思っており、具体的ルール設定の当否が重要に思います。
投稿: 場末のコンプライアンス | 2011年4月19日 (火) 21時25分
記者3さん、場末のコンプライアンスさん、ご意見どうもありがとうございます。
なるほど・・・、おふたりの言わんとするところは理解できます。けっこう理屈の部分は考え方が近いのではないでしょうか。
会計処理の是非という点は、司法裁判ではブラックボックス化してしまうのは仕方ないとしても、判断を回避するわけにはいかないので、手続きの問題や、背景事情の問題に焦点をあてて会計監査責任の是非を論じるということは実際にありうる話ではないかと思います。
ところで、
第三者委員会などが、後日、会計処理の是非を審査する場合がありますが、会計士の委員の方々が、「本件処理は公正妥当な会計慣行に従ったものとは言えない」といった判断をします。すると、金融庁も検察庁も、おそらく第三者委員会の判断をもとに事件を組み立てると思うのですが、こういったことは原則主義のもとでもありうるのでしょうか?結構こわい話だと思うのですが。
投稿: toshi | 2011年4月21日 (木) 01時48分
ご質問に質問で返すようで、恐縮いたしますが、toshi先生の「金融庁も検察庁も、おそらく第三者委員会の判断をもとに事件を組み立てると思う」という点ですが、判断根拠となった事実ではなく、判断をもとに事件を組み立てるのですか?
第三者委員会が「適切」と言えば、事件を「適切」で組み立てるし、「不適切」と言えば、事件を「不適切」で組み立てるということなんでしょうか?
官庁の事件の組み立て方は、第三者委員会とは全く関係なく、事実自体を独自で評価し、判断するものだと思っていたのですが。原則主義云々ではなく、第三者委員会の判断をもとに事件を組み立てられるということが、ものすごく怖いと思うのは、私が小心者だからでしょうか。
投稿: 記者3 | 2011年4月21日 (木) 09時54分
>記者3さん
第三者委員会が事実認定だけでなく、会計処理が不適切だったかどうかについて判断しているケースは過去にもありますね。
たとえば三洋電機の社外調査委員会などがそうです。「三洋減損ルール」は適切ではなかったと判断し、事実上、これにそって課徴金処分や会計士協会における会計士への懲戒処分が出ましたね。
こういったことは今後も十分にありうると思いますし、とくに証券取引所の決定についても、第三者委員会の事実認定だけでなく、会計処理に対する判断なども大きな影響を及ぼすことになると思います。
だからこそ、第三者委員会は「両刃の剣」のようなところがあるのではないかと。(あんまり、このへんにツッコミを入れると、いろいろと問題がありますが・・・)
投稿: toshi | 2011年4月22日 (金) 01時25分
toshi先生
ご解説ありがとうございますm(__)m
やはり過去の事例を勉強する必要性を感じました。今後とも勉強させていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
投稿: 記者3 | 2011年4月22日 (金) 02時17分