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2011年5月31日 (火)

「法の解釈」よりまず「立法政策」を!~被災地相談を終えて~

ただ今、大槌町から盛岡へ戻ってまいりました。さきほども、報道されているとおり釜石を震源とする余震(震度4)があり、地震に慣れていない関西人としては、不安な毎日であります。大阪弁護士会からの震災支援として、この月末、被災地弁護士相談を担当いたしました。私が担当させていただいたのは、岩手県大槌町、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、町長含め役場の3分の1の方々が津波の犠牲となった町で、震災の打撃が陸前高田、山田町と並び、もっともひどい町であります。

大槌町の「かつて」町の中心部だった場所を撮影




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信じられないかもしれませんが、私が立っている場所は、まだまだ海浜部まで延々と陸地が続く場所であります。

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大槌町では、津波の直後に火災が発生し、現在も残っている建物は黒く焦げていました。

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大槌町の高台にある城山体育館から町の全景を撮影

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私が担当した避難所(大槌町弓道場)。3月には250名の被災者の方が寝泊まりしておられましたが、現在は130名ほど。ただ、事前広報により、すでに避難所を退所された方々も相談にお見えになりました。(張り紙のとおり、内部の撮影は禁じられております)

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本日(5月31日)が、避難所相談の最後の日(明日からは役場等)でしたが、多くの方々が相談に来られました。二重ローン問題、権利証紛失、特別融資制度、被災者への一時使用による建物賃貸、(夕方に仕事から帰って来られる方が増えるため)労務問題など。

「こちらから、相談者の身の上をあれこれと聞いてはいけない」と研修を受けておりましたが、皆様、こちらから聞かずとも淡々と身の上をお話されておりました。家族がすべて死亡してすでに生命保険金を受け取った方、夫が行方不明となり、なかなか認定死亡制度が適用されない方等々。とりわけ、遠方に出稼ぎに行っていたときに故郷(大槌町)が被災し、妻を思い、死に物狂いで帰ってきたところ、その生存が確認できたと同時に、妻が元の夫(被災者)を相談者所有の空き家に住まわせているのを発見したが、気の毒で何も言えない、せめて(そのまま元夫を住まわせて)建物の所有権は確保できるか、といったご相談には、胸がつまってしまい、涙が出てしまいました(なお、事案自体は守秘義務の関係上、若干の修正をしております)。

大規模半壊と全壊を区域によって一斉認定していること、税金滞納者にも全納者にも支給が平等になされていること等、行政の不平等を訴える声はピークに達しているように感じました。法律相談というよりも、情報提供と心のケアがほとんどでありましたが、阪神淡路大震災のときとは様子が違うことを痛感いたしました。あのときの弁護士の役割は、民々紛争を解決するなかで震災復興に寄与するものでしたが、この東日本大震災では、ともかく現地被災者の声を弁護士会で集約し、これを立法政策への提言に結び付けることが喫緊の課題であると思います。

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あまり報道されていませんが、釜石市と大槌町の間にある両石町も悲惨でした。大槌町や釜石市はすでにがれき撤去作業が進んでおりましたが、ここは全く手つかずの状態。沿岸部の町のなかで、比較的復旧の気運で出てきたのが宮古市、釜石市、大船渡市。そして、まだまだなのが大槌町、山田町、陸前高田市。隣接市町村によって復旧の度合いが微妙に異なっていることが、問題を複雑化しているそうであります。また、田老町の有名な堤防が役に立たなかったことは報道されていますが、逆に普代町の堤防は、しっかり津波を押しとどめ、町民の命を救っていたことも、あまり報道されていないようであります。

盛岡から車で片道3時間。今回の被災地相談は、地元岩手県弁護士会の献身的な努力のうえに成り立っております。ボランティアに行く者よりも、ボランティアのお世話をする者のほうが数倍たいへんであることを今回実感いたしました。心より、岩手県弁護士会の先生方にお礼申し上げます。また、明日以降も、被災6市町を中心に被災地相談をされる東北、北海道の弁護士の方々にエールを送りたいと思います。被災地支援に派遣いただいた大阪弁護士会に、今回の情報を忠実に報告し、私の「職分」とさせていただきます。

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2011年5月27日 (金)

会社法施行5年 理論と実務の現状と課題(ジュリスト増刊号)

L11397ジュリスト(増刊号)のご紹介、というのは、おそらく当ブログでも初めてのことと思いますが、いよいよ会社法施行丸5年を記念して出版されましたのが

会社法施行5年理論と実務の現状と課題(有斐閣)

でございます。私など、別冊ジュリスト(本誌は「増刊号」)といえば「判例百選」のあの白っぽい表紙を想起するわけでありますが、ずいぶんとシャレた表紙になっております。(最近は、別冊ジュリストもこういった表紙が主流なのでしょうか?)法制審議会会社法制部会長の岩原教授と法務省に出向されておられた小松先生が編者。

以下は有斐閣さんのHPから、そのまま引用させていただきます。

今年5月に施行5年を迎える会社法について,これまでの理論展開や判例・実務の動向を分析し,解釈・運用上の到達点と課題を明らかにする。法制審議会での改正論議の根底にある問題状況を理解する上でも有益。会社法研究者,弁護士,企業実務家にとって必携の書。

こういった格調の高い本につきまして、あれこれと感想を書くのもむずかしいのですが、私的にはどうしても企業会計法の分野、公正なる会計慣行やIFRSと会社法の関係を論じた岸田解説、弥永解説に興味が惹かれます。岸田先生も弥永先生も、企業会計法のご研究は長年のものですから、そういった方々からみたこの5年の会社法施行後の流れというものが、どのように表現されるのか、とても興味がございます。

ただ客観的にみると、モノ言う株主(当ブログにもときどき登場される?)のご活躍もあって、組織再編と株式買取請求権のあたりの解説が必読のところではないか、と思われます。株券電子化の実務課題あたりも、関連論点として、当然に解説が厚くなっているようです。このあたりの話題が、やはり会社法施行5年のもっとも特徴的なところではないでしょうかね。

それにしても、商法学者の方々に加えて、これだけバランスよく実務家の協力を得られたなぁと感心いたしました。東京・大阪の企業法務で有名な法律事務所の方々が、絶妙のバランスで執筆陣に加わっておられます。おや?そんななかに、ひとりだけ個人事務所の弁護士が?(^^;

内容が内容だけに、本書は広報するまでもなく売れ筋の一冊でございますが、執筆者の一人としまして、お勧めいたします。もしよろしければ監査役の皆様もぜひ!間違いなく良本でございます。<m(__)m>

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2011年5月26日 (木)

震災後の企業行動が積年の恨みに変わる?

本日、東京の某開示研究会に参加してまいりましたが、長年大手電機メーカーで資材調達に携わっておられ、現在経営コンサルタントでいらっしゃる方のご講義を拝聴させていただきました。主に阪神大震災、中越地震の際の有事の資材調達というご経験からのBCPに関するお話であります。いわゆる「有事対応」というものは、属人的な資質に依拠する部分が多く、マニュアルには書いていないところで事業継続の浮沈が決まるのでは・・・・・と、私自身漠然と考えていたところがありましたが、本日の講義を拝聴して、それを再確認したような気がしました。

ところで、お話のなかで、私が最も「ゾッと」しましたのは、「企業の積年の恨み」に関するものでありました。昭和20年、30年代に事業継続の危機に瀕した会社への取引先の対応、そのあまりにも自己中心的な対応が、今の時代にも尾を引いており、著名な企業どうしの間でも、まったく取引がない、という事例を3つほどご紹介されました。講義後、直接質問させていただいたところ、こういった事例は3つどころではなく、多くの会社で不文律のごとく残っているそうであります。もし「企業の積年の恨みシリーズ」のような本が出たら、私はきっとネット予約してでも真っ先に購入したいですね。

ただ、「ほかの取引先は当社を信用して手形のジャンプをしてくれたのに、○○会社だけは絶対に首をたてに振らなかった」といって積年の恨みをかうことになってしまうのであれば、今の内部統制の時代、積年の恨みをかってでも例外事例を作らないことに執心する企業もありそうな気もいたします。これはまた難しいところではないかと。

社長どうしの個人的な関係から、ある一定期間取引が断絶する、といったことであれば理解できますが、日本を代表するような企業間で、何の経済的合理性もなく、長年取引がまったくなされない、というのはとても違和感を覚えるものであります。もう50年、60年も前に受けた仕打ちを肌で覚えているような役職員は存在しないにもかかわらず、組織というものは、こういった過去の恨みのようなものも引き継いでいくのでしょうか。

被災地もしくは被災地周辺地域に本拠を置く取引先企業の安否を気遣う電話の内容ひとつとっても、当社へのイメージがずいぶんと変わるそうであります。こういった応対は、決してBCP(事業継続計画)で「付け焼刃」的に身に付くものではなく、普段からの(平時からの)サプライチェーンに対する接し方、つまり当該企業の企業風土に依存するところが大きいようです。CSR経営というのは、どちらかというと前向きな企業行動の印象を持つわけですが、ひょっとすると事業のリスク管理という側面も重要なのかもしれません。

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2011年5月24日 (火)

「偽装ラブホ」と「類似ラブホ」では雲泥の差

facebookのほうでリクエストがございましたので、偽装ラブホ問題について一言コメントいたします。ただし、私は行政法に詳しい弁護士でもありませんので、あくまでも個人的な見解であることをお断りしておきます。産経新聞ニュースによりますと、今年1月の風営法改正により、これまで偽装ラブホを経営していた人たちが、ラブホテルとしての営業許可を「駆け込み」取得したために、結局、街中で堂々とラブホテルを経営できるようになってしまい、市民団体から「何のための法改正だったのか?」と批判されている、とのこと。(ニュースはこちら

この記事のなかで、微妙に使い分けられているようにも思えるのでありますが、偽装ラブホと類似ラブホは言葉としては似ておりますが、法概念としては大きな差があるものと思われます。市民団体の方々が「偽装ラブホ」として問題視しておられるのは、法概念としての「類似ラブホ」のことであり、法概念としての「偽装ラブホ」とは異なるものですね。平成21年7月31日に公表されました風俗行政研究会のこちらの提言書が参考になるのではないかと思われます。「風俗行政研究会」というネーミングが若干「ゆるめ」に聞こえますが、前田雅英教授を座長として、警察庁の方々も委員に参加されています。コンプライアンスで有名な弁護士の方も委員です。

出会い系喫茶及び類似ラブホテルに対する規制の在り方に関する提言

この提言書を読みますと、上記記事では今になって「何のための法改正か」と批判を受けているようですが、すでに平成21年の時点で市民団体の方々は、法改正の問題点を把握されていたようで、反対意見を表明されていたようです。一般にマスコミ等で用いられている「偽装ラブホ」という言葉と異なり、法概念としての「偽装ラブホ」は、ラブホテルの要件を満たすにもかかわらず、そうでないホテルとして(許可を取得せずに)営業しているものであって明らかに違法であり、これは特に法改正以前からも取締りが可能だったものです。たとえば外観はビジネスホテルのように思えるのですが、客室がすべて2名用であり、朝食をとる食堂もなく、部屋には回転するベッドが置かれている(そもそも回転ベッドは消防法上も禁止されておりますが)、といったところかと。

しかし上記のようなラブホテルは、外観がビジネスホテルですから、とくに市民団体からは強い反対が出ることはなく、本当に問題なのは、外観はラブホテルにもかかわらず、食堂をきちんと作っていたり(使わないにもかかわらず)、1名様利用可、と表示していたり、客と対面するフロント設備がある等のためラブホテルとしての風営法の許可を要しない、いわゆる「類似ラブホテル」というものなのであります。ラブホテルなら営業禁止区域内での営業ができないにもかかわらず、類似ラブホということで、堂々と営業ができたわけであります。つまり「偽装ラブホ」はそもそも違法、「類似ラブホ」はグレーだけれどもいちおうは適法、ということでこれは雲泥の差であります。だからこそ、既得権を行政は認めざるを得ず(財産権の保障)、「駆け込み許可取得」の道を用意したものと思われます。罪刑法定主義の要請もあるでしょうし、また何と言いましても類似ラブホ業者の既得権を認めなければ、これまで規制してこなかった行政の「不作為の違法」も問われかねないからではないか、とも推測できます。

たしかに市民団体のように「何のための法改正だったのか」といった批判が出てくるものと思いますが、営業許可取得を促したことは、行政にとっては有意義なことではないかと。また、最近は条例によって類似ラブホテルまで規制しようとする動きなどもみられますので、今後とも行政手法とビジネス法務の関係で注目していきたいと思います。

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2011年5月23日 (月)

GC注記とコーポレート・ガバナンス

WSJニュースによりますと、東京電力は20日、2011年3月期通期決算を発表し、純損失は1兆2473億円と、金融機関を除く日本企業では史上最大の赤字、とのことであります(60年ぶりの無配 ニュースはこちら)。福島第1原発事故による巨額の費用が響き、今後賠償責任が総額何兆円にも達するとみられるため、東電は財務の「大幅な悪化」によって、「継続企業の前提に重要な疑義を生じさせる状況にある」とのこと。つまり決算短信にGC注記が付されたことになります。

東電の場合は特殊な事情があるとはいえ、上場企業にとってGC(継続企業の前提に重要な疑義を生じさせる状況にあること)の注記を付すことは非常に重いです。決算短信、計算書類の開示(招集通知の発送)、有報開示等、法定監査の差はありますが、いずれの場面でもGC注記の重みは同様であります。なぜならGC注記は会社だけのものではなく、会社と監査人との共同作業による成果物だからであります。

成果物といいますのは、①GCはいきなり付記されるものではなく、注記の必要性について1年ないし2年前からそれとなく監査人との交渉が始まる、②解消のための条件を含め、様々な葛藤が会社と監査人との間で生まれる、③将来事象等、楽観的なムードを漂わそうとする会社側に対して、不確実性を理由にこれを拒む監査人の対応、④注記の理由をぼやかしたい企業側に対して、財務制限条項違反等の正確な理由の記載を求める監査人の対応等、最後まで注記を記載するか否か、また記載するとしても、何を理由として記載すべきか、というところで会社と監査人双方の決着をつけたうえでの公表物だからであります。少し前に、GC注記に関する監査人の判断基準が国際ルールに合致するよう改訂されたそうでありますが、「不確実性」に関する監査基準としては、それほど大きく変わっていないように感じております(財務体質がある程度健全な企業への延命効果はあったとしても、業績が悪化し続けるならば、どこかでかならずGC注記が課題となってくるわけでして)。

新興企業でも、伝統ある企業でも、経営環境が悪くなり業績が悪化した場合には、どうしてもGC注記問題に直面することは避けられないわけでありますが、社内でGC注記を真剣に検討しなければならない時期こそ、ガバナンスの重要性が問われるものと思います。会社の役員の立場からすれば、中期経営計画の実行可能性や金融機関の融資実行の姿勢を含め、将来予測はかならず悪い方向には考えないものであり、自分にとって都合の悪いことは過小評価しかしません。投資家や株主保護の視点よりも、会社の将来リスクを楽観的に考えるのが当然ではないかと。

またいったん、GC注記が付いた場合、その解消によって株価が大幅に上昇する事例をたくさん見ておりますので、企業経営者としては早くGCを解消したいと考えることは当然のところであります。そこでは粉飾への誘惑が強く働き、不都合な事実は(一時的にせよ)全社挙げて隠ぺいすることに躍起となります。恐ろしいのは、組織的に悪意をもって粉飾や事実隠ぺいに手を染めるのではなく、経営陣の楽観的な将来見込みのシナリオと、これに異を唱えることができないモニタリング部門の勇気欠如に起因するものではないかと。

こういったときにこそ、監査役や社外取締役、独立役員はステークホルダーのために冷静に第三者的な観点からGC注記の必要性、その理由の正確性について検討し、経営陣はこれに冷静に耳を傾けるだけの度量があるか等、その企業のガバナンスが問われるものと思います。独立役員や監査役にとっては、監査人の意見に誤解があると思えば、経営陣の意見をわかりやすく代弁すること、監査人の意見を正当と判断すれば、勇気をもってこれを経営陣に伝え、投資家や株主の投資判断に資する形での情報開示に努めるよう促すことが必要であります。

冒頭の原発事故における東電さんの初期対応の公表姿勢が問題となっておりますが、私は「事実を隠ぺいしていた」のではなく、「公表しなければならないほど大きな事態にはならないだろう」といった楽観的な見込みが社内に蔓延していたことが問題だったのではないか、と推測いたします。これは危機に直面した企業であれば、どこも同様のリスクがあると思います。人間誰しも、目の前の現実から逃避したいわけでありますが、「不都合な真実」を事実と受け止め、これを前提に説明責任を果たすこと、これは良質なコーポレート・ガバナンスの試金石ではないか、と最近特に感じております。

PS 朝鮮日報ニュースによりますと、日本よりも一足早くIFRSを適用した韓国で、上場企業の決算開示に相当の混乱がみられるようであります。GC注記にみられるような課題が、今後は日本の多くの上場企業でも問題となってくるのではないでしょうか。

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2011年5月19日 (木)

退任する会計監査人の意見表明と「監査人の独立性」

本日(5月18日)は被災地支援特別講演に多数ご参集いただきまして、本当にありがとうございました<m(__)m>定員(30名)を超えて31名の方にご参加いただき、155,000円の参加費用を頂戴いたしました。これに、私の分(ただし、寄付控除の関係で別途振り込みですが-笑)を合わせまして、全額を日本赤十字社を通じて東日本大震災の義援金とさせていただきます。大分、高知、名古屋など、はるばる遠方からお越しの方もいらっしゃいまして、たった2時間ばかりでしたが、一生懸命「パワハラ対応と企業のリスク管理」についてお話させていただきました。終了後も、皆さま方からのご質問にお答えしておりましたので、すべて終了したのは2時間40分後、ということでした。なにぶん事務所の手弁当で企画いたしましたので、少々不手際もございましたが、このたびの解説が少しでも企業や従業員の皆様の実務に参考になれば幸いでございます。

さて、原発やユッケ食中毒事件の話題をとりあげておりました関係で、ここのところ当ブログにふさわしくないアクセス数となっておりましたが、今日の話題はやっと平時のアクセス数に戻るべく(笑)、当ブログらしいマニアックな時事ネタであります。もう完全に出遅れ感のある話題ですが、東証2部のマーベラスエンターテイメント社の5月10日付け「会計監査人の変更に関するお知らせ」が会計やディスクロージャー専門家の方々のブログで取り上げられております。私も思わず、退任会計監査人の意見欄を読み、驚きの声をあげそうになってしまいました。

マーベラス社の合併におきまして、合併当事会社のそれぞれの会計監査人(A監査法人とS監査法人)に対して合併後の監査報酬の見積もり依頼があり、結局A監査法人が選任されることになったわけでありますが、S監査法人はマーベラス社の会計監査人退任にあたり、自分たちは純増するこれからの作業量に合った見積もり金額を出した、それは当然に現在の報酬額よりも低くなるわけがなく、作業に見合った加算額を提示した。にもかかわらず、A監査法人は我々の提示額を「大きく下回る」金額を提示したので、これを了承した、という書きっぷり。(選任会計監査人の意見欄などがもしあったら、どんなことが書かれていたのでしょうか)読んだ瞬間、日本を代表するS監査法人が、これまた日本有数の(最近とても元気な)A監査法人にケンカを売っているのではないか、と思ってしまいました。

たしか「退任会計監査人の意見欄」が新設された趣旨は、会計監査人の異動において、その独立性が脅かされることを防止するためだったと理解しております。そして、被監査会社側の「監査人異動に至った理由、経緯」の記載が不十分もしくは真実ではない場合には、世間一般に被監査会社の恣意的な監査人変更要請を会計監査人が甘んじて受けたように疑われてしまうので、今回の場合S監査法人は「A監査法人とS監査法人の監査の品質を比較されたうえでS監査法人が選任されなかったのではなく、あくまでも監査報酬で折り合いがつかなかったためである」ことを明確にしておこう、という趣旨で意見付記されたものと推測いたします。

つまり、S監査法人としては、自法人だけでなくA監査法人の名誉のためにも、我々は決してマーベラス社および合併当事会社の「都合のいい監査をする法人」に成り下がったものではなく、あくまでもマーベラス社側が監査報酬をケチろうとしたことが原因でこういった結果になったのだ、ということを世間に公表したかったのだろう、と推測いたします。たとえば、あずさ監査法人から監査法人トーマツに会計監査人を変更した日本ルツボ社のリリース場合、変更理由のところで正直に「昨今の業績からみたら、なんとか監査費用を低くしないとやっていけない、そこで他のところに見積もりを出したら、トーマツさんが安くしてくれる、といってくれたので、そっちにします」と書いておられます。マーベラスさんが、こういった書き方をしてくれていたら、S法人の意見付記はなかったのではないかと。

普通、合併存続会社側の監査法人が、そのまま継続して監査にあたる、ということですから、S監査法人側もそのつもりで見積もりを出したのかもしれませんが、そのあたり「ぬかり」があったのでしょうか?また、マーベラス社の株式をめぐって、2008年4月にS監査法人の会計士さんがインサイダー取引で課徴金処分を受けた(懲戒処分も)、といった事情もありましたので、そのあたりのイメージを払しょくする目的もあったのかもしれません。いずれにしましても、「退任監査人の意見付記」の話題から離れて、大手監査法人の間で、「大きく下回る」ほど、そんなに監査報酬って違うというのは少々ビックリネタであります。監査法人の品質管理には、個々の会計士の監査レベルの維持と、監査法人全体としての監査レベルの維持の二つの「品質」が問題となるわけですが、ふたつの監査法人の品質にそれほど大きな差があるとは思えないわけでして、そうなりますと、監査上のリスク・アプローチからみて、どれだけの作業量を監査に要するのか?というあたりの見解の差ではないかと思われます。しかし、A監査法人さんは、存続会社のガバナンスを知らないわけでして、むしろ監査リスクを高めに設定するのが通常ではないかと(素人的には)思うのでありますが、そのあたりはどうなんでしょうか?

オピニオンショッピングの世界ならまだしも、大手監査法人の間で「損して得取れ」のような営業姿勢があるとは思いたくないのがホンネのところであります。監査報酬に大きな差があるとすれば、それは格調高い「監査に対する思想信条」の違いである、といったお話があってほしいと願うところです。監査に携わる会計士の先生方は、たぶん触れたがらない話題だと思いますので(笑)、あまりコメントはつきそうにないのでありますが、個人的にはとても関心のある話題であります。(どちらの監査法人にもお世話になっておりながら、オバハンネタのように書いてしまいました・・・・失礼)

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2011年5月17日 (火)

東電社長はなぜ現場で陣頭指揮をとれないのか?

本日、皆様よく御存じの某企業の専務さんと食事をご一緒したときのお話。私は、コンプライアンス(クライシス・マネジメント)の視点から、(たとえ世間向けのポーズであってもいいので)東電の社長さんは、原発事故の現場で陣頭指揮をとって、これを世間に公表すべきではないか、そういった社長の姿勢があれば、もう少し世間の東電に対する風当たりが弱くなるのではないか、との(とても一般人的な感覚の)意見を申し上げました。ちなみに、これまでの報道によりますと、東電社長さんは、作業現場へ激励に行かれたことはあったようですが、それも「社内の話」とされ、公表されることはなかったもので、ましてや「陣頭指揮」といったことはこれまでなかったように思います。

すると、その専務さんは

「そりゃ無理ですよ。東電くらいの規模の会社になってしまったら、本人が行きたくたって、周りがそれを許しませんから。『社長、それなら私が行きますから』で終わりですよ」

とのこと。電力会社で「原発畑」を歩んできた人は、「不祥事が発生したら責任をとらなければならない」立場にあるので、社長候補のエリートさんは社内で聖域化した「原発畑」を歩んでこなかった、だから陣頭指揮をとれないのだろう、と私は理解しようとしたのですが、そうでもないようです。専務さんによれば、

「たしかに社長さんは、自分の好きにやってあとは辞任すれば済む話です。でも本社の人間からしたら『現場の指揮に社長を行かせた』ということ自体、歴史的な屈辱ですよ。社長の周りにいる将来ある幹部からすれば自分が現場に行ってでも阻止するでしょう。それに、社長は常々、周囲の役職員に『ちゃんと調べたのか?』というのが口癖ですから、周りの者が社長に進言する際には、きちんと調査する。それを冷静に聞くのが社長ですから、少し時間をおいてしまうと行けなくなってしまうんですよ。」

そんなもんなんでしょうか。そういえば、社内の重大な企業不祥事が社長の耳に入らないのも、担当役員が「もう少し正確に事実調査をしてから社長に伝えよう」といった、自身の勇気のなさを正当化する理由から、というのがよくあるケースであります。もっと早く社長の耳に入れば不正を隠ぺいすることなく公表できたのに・・・と思うことがよくあります。

しかし今回は有事です。平時なら専務さんのおっしゃることもわかるのですが、このような有事なら、周囲の制止を無視してでも、社長が現場へのりこんで陣頭指揮をとってもいいのではないでしょうか?こう疑問を申し上げたところ、この専務さん曰く、

「先生、やっぱりサラリーマンの経験がないから甘いですわ(笑)。よう考えてみてください。周囲の意見をきかずに、みずから現場で陣頭指揮をとるような人がサラリーマン社長として出世できると思いますか?たしかにうちの会社にも、東電にも、そういった人はいますよ。でも、平時にそんな人はうっとうしくて、使い物にならないのですよ。有事に必要とされるような人は、いまごろは関連会社ですよ。周囲に優秀な役職員を置いて、的確な意見を集約して、冷静に経営判断をすることで上ってきた人は、有事にも同様の行為しかできないでしょう。」

「土下座はやれと言われたらやれますね。土下座というのは、屈服する姿勢ではないでしょう。まだまだ相手に要求する(相手を屈服させる)ことがあるからできるんですよ。国会議員だって、選挙前日ならやるでしょ?当選御礼ではやりませんよね。心から謝罪する気持ちだけだったら誰もやりませんよ。」

なるほど・・・・・・・・。そういえば刑事弁護人をやっていても、被害者と示談したいときには被告人は土下座して謝罪しますけど(情に訴えるのでしょうね)、示談ができなかったり、示談が終わった後にはしないですね(絶対に、とは申しませんが・・・)。企業組織の力学は在野の一介の法曹にはわからないものであります。

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2011年5月15日 (日)

民法がわかると会社法はもっと面白い!(新刊のご紹介)

Kimatakaishahou ちょうど4年まえにエントリー「楽しい会社法学習法」のなかで、「楽しく使う会社法」をご紹介した木俣由美先生(京都産業大学法学部教授)の新刊書です。2007年から2011年まで、第一法規さんの「会社法務A2Z」で連載されていたものに加筆修正をされて、一冊の本にまとめられたものでして、私はほぼ毎月連載時に拝読しておりました。

ビジネス実務に関わる法律上の論点は、我々法律家であれば「民法的発想」で考えるのが当たり前のように思うのでありますが、なかなか企業実務家の方々には難しいところであります。ビジネスの世界では、紛争が長期化したり、弁護士に解決をゆだねる、といったこと自体を回避することが重要なのでありますが、たとえば取締役を辞任した後の「権利義務取締役」の概念や、会計上の資産除去債務の引当の必要性や見積もりの合理性判断など、民法上の委任契約や双務有償契約の法的性質が理解できないと、無用な紛争を起こしかねません。そこで、ビジネス法とりわけ会社法の理解に必要な範囲で、民法をわかりやすく解説されたのがこの一冊。

「民法がわかると会社法はもっと面白い!」(木俣由美著 第一法規 2200円税別)

木俣教授については、すでに4年前のエントリーでご紹介させていただきましたので、ここでは多くを語りません。ただ、以前のエントリーをお読みになった木俣教授から、当時メールを頂戴しまして、

「あたしの若い頃について、竹内まりやさんの大学時代にソックリだったなんて、本当のことを書いてくれてありがとう♪」

一部ツイッターでも話題になっておりますとおり、内容はたいへん素晴らしいものであり、実務家向け入門書としては申し分ないものと思うのでありますが、いかんせん「日本笑い学会」理事でいらっしゃるだけあって、ギャグ連発の内容となっており、これは好き嫌いが分かれるかもしれません(^^;;。(私は関西人ですので、こういったナウでヤングな発想は大好きなのですが・・・)。ユミ先生が大学のWEBサイトの「教員紹介欄」で、毎年生年月日を後ろにずらしている、といった件(くだり)は、「実話ではないか?」と疑う読者もいらっしゃるのではないかと、ひそかに心配しております(^^;;。

なお番外編としまして、最近中間整理がリリースされました民法(債権法)改正の論点についても解説がなされております。よくよく考えてみますと、会社法と民法では、学者の先生方も「棲み分け」がハッキリしているために、双方にまたがるテキストというものもあまり存在しなかったのかもしれません。会社法を民法から掘り起こして考えるというスタイルは、とても新鮮に映ります。「これでキッチリ会社法を勉強しよう」と思って会社法テキストを購入してみても、「チョコレートパフェを注文したら、ほとんど中身がコーンフレークだった」みたいな感覚で挫折をした経験のある方にはおススメの一冊であります。

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2011年5月14日 (土)

東電賠償めぐり激しいバトル(原子力損害賠償法3条問題)

予想どおり、原子力損害賠償法3条の解釈をめぐって、枝野氏と与謝野氏との間で激しいバトル(言い争い→怒鳴り合い)が繰り広げられたそうです。(東電賠償めぐり激しいバトル-14日読売新聞ニュース)この件につきましては、5月1日に私の意見として述べたところでして、当ブログでも賛否両論分かれました。

6日から始まった閣僚会議での主要な争点だったそうですが、最終的には枝野氏が押し切ったとされています。しかしこの問題はまだまだ簡単に決着がつくものでもないと思われますので、今後の展開に注目してみたいと思います。とりいそぎ備忘録のみ。

PS

日本監査役協会の築館会長(東京電力常任監査役)が会長職を辞任されたそうで、本当に残念です。一度だけお食事をご一緒させていただいたことがありますが、監査役の地位向上、コンプライアンス経営、CSR経営にたいへん造詣が深く、また法制審議会の委員として、バランスのとれたご意見を述べておられました。これまでの監査役協会会長としてのご尽力に感謝申し上げます。

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2011年5月13日 (金)

「財務捜査官」というお仕事(私の知らない世界)

ブログやfacebookで話題になっております富士バイオメディックス社の粉飾決算事件でありますが、最近の証券犯罪事件に特徴的な「複合的犯罪」(粉飾とインサイダー、粉飾と偽計取引等)の可能性が出てきたようです。本事件の特集記事などを読んでおりまして、私は「粉飾アレンジャー」などという呼称があることは初めて知りました(「指南役」と書いてくれたほうがわかりやすいと思うのですが・・・)。富士バイオの件はライブドア事件同様、地検主導型の捜査が展開されているようでありますが、本日はテレビドラマの主役にもなります財務捜査官に関するお話であります。

昨日、本日とも久しぶりに「法と会計」に関わる課題を検討させていただく機会に恵まれ(本業も含め)、たいへん勉強をさせていただきました。なかでも昨日は日弁連会議の後、霞が関にて、来る7月11日に大証さんと大阪弁護士会共催によるインサイダーセミナーにお招きする某会計士の方と打ち合わせを行いました。いつも好評の大証出向経験のある弁護士、大証審査担当者の方々のご講演とともに、セミナーのパネラーとしてご登壇予定の方であります。

大証さんの正式な告知までは(ご迷惑になってもいけませんので)お名前は控えさせていただきますが、トーマツ退社後、約12年ほど警視庁や証券取引等監視委員会において財務捜査官(特別調査課審査官)としての経験をお持ちの方で、当ブログでも過去に何度も取り上げました著名な粉飾決算事件などの審査・調査に実際に携わっておられた方です。そのうちの一つの事件は、私も(民事事件ですが)監査役側の代理人として関与していたもので、少しビックリしました。

この3月に退職されたとはいえ、もちろん個別案件をお話されることは絶対にございませんが、摘発する側の会計事象の捉え方、IFRS時代における粉飾決算捕捉の可能性、会計専門職審査官と法律専門職審査官との役割分担、地検特捜部と警視庁やSESCとの連携、どういったときに摘発に失敗するかなど、「あくまでも個人の意見ですが」ということで非常に興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。お話されるときの誠実な対応から、おそらくこれから会計士に戻られても、いろいろな顧客に恵まれるのだろうな・・・・・と少し羨ましい気持ちになりました。(私も、もう少し若かったら、こういった経歴にチャレンジしたかなぁ。。。)

このブログでは、残念ながら内容まではご紹介できませんが、7月のセミナーでは多くを語っていただきたいと思っております。最近はSESCさんも、その業務について積極的に広報されておられるようですので、守秘義務に反しない範囲で財務捜査や犯則調査のご経験を世に伝えていただければ、と願っております。セミナーは大証(JASDAQ)上場会社さん向けですので、また関西のご担当者の方々には大証さんから告知があると思います。役員さんや従業員さんがインサイダー審査の対象となったとき、課徴金事案なのか犯則事案なのかは、やはり上場会社にとっては気になります。またモデレーターを務めさせていただきますので、参加される方々にできるだけ有意義なセミナーになるよう尽力いたします。

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2011年5月11日 (水)

ユッケ食中毒事件-厚労省の見解変更は「後だしジャンケン」ではないか?

当ブログ的には富士バイオメディックス粉飾決算事件や債権法改正中間論点整理に関する話題を取り上げるべきなのかもしれませんが、ユッケ食中毒事件につきまして、どうしても個人的には興味があるもので、またまたそちらの話題でございます。

すでに申し上げたとおり、FF社の代表者の方のキャラクターがマスコミ各社を本気にさせてしまったばかりに、皆さまご承知のとおり、FF社や(生肉販売業者である)Y商店に関する不祥事の新事実が連日報道されております(やはりマスコミはコワイ・・・)。生食用として販売したことを示すメール、飲食店側でトリミングは不要と指示されたようなメールなど、どうも最近の報道内容からしますと、FF社よりもY商店のほうにマスコミの目が向いているようにも思われます。(5月11日午前追記:産経ニュースによりますと、平成21年の東京都調査結果では、約7割の飲食店が、卸から「生食用です」と口頭等で説明されればお客に出す、と回答しているそうで、こういったアンケート結果からみてもY商店側に目が向くことになるのでは)

FF社の手元にそんなメールが存在するならば、最初の記者会見のときにマスコミに示しておけばよかったのに・・・・・と第三者的には思うのでありますが、時間的な余裕もなく、FF社の代表者としては、おそらくそこまで頭が回らなかったのかもしれません。しかし5月2日の記者会見の際、このメールは経営陣からマスコミに示されたことが5月3日の中日新聞ニュースで明らかになっております。つまり、「生食用」としてFF社はY商店から買い受けたのである、またY商店からトリミングは不要だということの指示を受けたから、それまでやっていた細菌検査も、飲食店におけるトリミングもマニュアルからはずしたのである、というFF社側の主張を裏づける証拠として、メールを示したのですね。

こういった方向性からしますと、FF社として業務上過失致死傷を基礎づける根拠事実が存在しないのではないか、ともいえそうな気がしてきます。

しかしここで不思議なのは厚労省の見解の変更。本日(5月10日)の山形新聞のニュースによりますと、山形県の担当者が、厚労省の「生肉に関する衛生基準の解釈変更」によって、たいへん困惑している、というニュースです。一部だけ引用しますと・・・

県は9日、あらためて厚労省に衛生基準を確認。同省の判断のあいまいさに振り回された県の担当者は「生食用の表示がなくても飲食店での処理が適正であれば生肉を提供できるとの見解だった。これまでの指導内容と異なる回答で困惑している」と述べた。

厚労省は新たな解釈基準を5月6日の午後6時にHP上で公表したので、それまでの山形県による検査が無意味なものになってしまったそうであります。この厚労省のリリースは合同捜査本部の一斉捜査が開始された直後、ということになります。

その衛生基準の見解変更といいますのは、従来は生肉流通に係る衛生基準に基づく検査にあたっては、「生食用」という表示の有無を調査して、その表示がない場合には販売もしくは提供してはならない、ということを重点とするよう指針が出ていたそうです。しかし、今回の厚労省見解では、生食用という表示自体にはそれほど意味がなくて、たとえ生食用という表示があってもなくても、実際に販売業者、飲食店がトリミング加工や調理器具の衛生チェックを履行しているかどうかを中心に調査する、というものに変わったそうであります。

しかしそうなりますと、FF社の立場が不利になります。FF社はY商店の「生食用である」「トリミングは不要である」とのメールを信じて提供していた、といった主張をしていたのですが、そもそも表示はそれほど重要ではない、むしろ実際に衛生基準に準じたチェックを行っていたかどうかが重要なのだ、ということが厚労省見解として出てきましたので、これは業務上過失致死傷罪における「過失」を裏付ける事実が変わってくることになります。たとえば捜査機関が「本件はFF社とY商店の過失の競合によって被害が発生したものである」といった捜査方針をとっているならば、FF社がたとえ生食用であること、飲食店側でのトリミングが不要であることを信じていたとしても、衛生基準の重要性は実際にトリミング加工を飲食店側で行うことにあるわけでして、FF社経営陣の注意義務違反が問われやすくなるものと思われます。

前のエントリーで述べたとおり、生食用牛肉の衛生基準の内容からすると「食品偽装」というよりも「性能偽装」に近い偽装が行われるものと思いますので、この厚労省の見解の変更自体は私も正しいのではないか、と思います。しかし、メールの公表→捜査の開始→厚労省の基準解釈の変更、といった時系列からみますと、これはFF社経営陣の刑事責任が認められやすくするための厚労省の意図的な後出しジャンケンのようにも推測されます。いずれにしましても、今後FF社経営陣に業務上過失致死傷罪が立件されることがあるとすれば、規制ではなく、行政指導の根拠にすぎない衛生基準の解釈が問題とされる可能性は十分にあると思います。O-111感染ルートが未だ明らかにされていない現時点においては、FF社経営陣の刑事立件は相当高いハードルがあるように感じられます。

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2011年5月10日 (火)

中部電力役員の英断と一般株主の素朴な疑問

(5月10日午前:追記あり)

法治行政の在り方を考えた場合、総理大臣の浜岡原発停止要請に対する中部電力社の応諾につきましては、いろいろと申し上げたいことがございます。ただ、前回のエントリーでも書き留めておりますとおり、中部電力社の役員の方々は熟考を重ねた上での判断だと思いますし、とくに株主代表訴訟において任務懈怠(善管注意義務違反)が認められる可能性はかなり乏しいものと(少なくとも私は)思っております。

ところで、役員に皆様につきまして、会社に対して法的責任を負うかどうか、という問題と、一般株主にきちんと説明責任を尽くせるかどうかは別だと思いますので、私を含め、原子力発電に詳しくない一般株主の立場から素朴な疑問を述べてみたいと思います。いわば今回の停止要請に応諾したことを前提とした想定質問ということで。

まず、今回の原発停止については、東海大地震が30年以内に発生する確率が80%を越えるとのことで、中部電力としては安全最優先とのことで、今回の要請応諾となったと社長が会見で答えておられました。しかし政府は長年にわたり、この東海地震発生の確率が高いがゆえに東海地震のために多くの税金を投入して地震予知体制を備えてきたはずです。今回の中部電力の判断にあたって、この地震予知体制はまったく機能しないものと考えたのでしょうか。地震予知機能が適切なものであれば、有事に安全に原子炉を停止できるのではないでしょうか。

つぎに、「株主代表訴訟に耐えられるのか」との記者からの質問に対して、社長さんは、長い目でみれば、安全を優先して利害関係者の皆様からの信頼を得ることが、企業の利益となると回答されています。しかし、長い目でみて利益になるのであれば、なにも原発を停止しなくても、いままでの計画どおりに安全対策を講じていけば達成できるのではないでしょうか。今回は2年をめどに運転を再開する予定とのことなので、なぜ2年だけ運転を停止することが、「長い目でみて」利益になるのか、逆にいえば、2年間運転を継続しながら安全対策を講じることが、なぜ長い目でみて不利益となるのでしょうか(追記:5月10日朝の読売ニュースでも、静岡県知事は「現在稼働中の4,5号機については急に停止しなくても、それほど支障はないとの感想をもった」と報じられています)。原発を稼働させずに事業を継続できる点が証明されるとしても、それは利害関係者の短期的利益の喪失という犠牲のもとでのことだと思われますが。

最後に、会社法および会社法施行規則によると、中部電力社の取締役は、内部統制システムを構築しなければならないはずであり、そのなかには「損失の危険の管理に関する規定その他の体制整備」に関する方針が決められていますが、そのリスク管理体制の整備運用に関する方針と今回の要請応諾に至った判断の間に矛盾はなかったのでしょうか。

今回の臨時取締役会における経営判断の詳細について、私は専門家でもありませんので知る由もありませんが、素人の一般株主であれば、(前提事実のどこかに重大な誤りがあるかもしれませんが)当然に疑問に思うのが上記のような点であり、役員の方々にぜひとも質問させていただきたいところではないか、と。要請応諾に関する取締役の方々のご意見は全員一致だったとのことなので、おそらく明快な説明がなされるものと思われますが。

(5月10日午前:追記)「行政指導」に焦点をあてた新聞記事がようやく出てきました。

官邸、極秘協議1か月・・・法的根拠なく行政指導

弁護士資格を有する枝野氏が法令を調査したけれども、やはり規制根拠となる条文がなかったので行政指導による要請を行ったというもの。ここがはっきりしたことで、次に「違法な行政指導」と「適法な行政指導」の議論が進むものと思います。

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2011年5月 9日 (月)

ユッケ食中毒事件に伴う規制強化とコンプライアンス上の苦悩

先週、 「ユッケ食中毒事件-その事前規制と事後規制」のエントリーにおきまして、ユッケの流通、提供の規制強化が図られると更なるコンプライアンス上の課題がある、と書きました。新聞報道等によれば、今後食品衛生法の改正により、生食用牛肉の販売、流通、飲食店での提供等において衛生基準が改訂され、罰則が設けられる方針だそうであります。現在、牛肉は「生食用」として販売流通しているものは一切ない、とのことですが、規制強化により、今後はユッケ等の生食用牛肉も取扱業者による自主的な安全配慮措置だけでなく、法に基づく衛生基準を遵守しなければならないこととなります。

しかし問題は、食中毒事件が現実に発生しない状況で、牛肉販売卸しや焼き肉店等の業者が法令を遵守することをどうやって担保するか(事前規制の実効性の担保)という問題であります。いくら法が罰則を設けたとしても、法違反をきちんと取り締まる方策がないかぎり、おそらく誰も衛生基準を守ろうとしないのではないか、という懸念がございます。

現在の馬肉流通、提供に関する「衛生基準」(これは牛肉にもそのまま適合するものでありますが)を眺めてみますと、生食用食肉の取扱い方法に関する基準、生食用食肉であることの表示に関する基準が中心であります。しかし表示に関する基準はといいますと、表示すべし、とされているのは①生食用である旨、②解体された都道府県名、そして③加工した食肉処理場の所在場所だけであります。ということは、原産地を偽装するような「食品偽装」というよりも、公的な品質検査を虚偽の試験結果によって通してしまったような「性能偽装」に近い法令違反行為が横行する可能性が高いと思われます。そうであれば、商品を検査しただけで、一連の衛生基準に準拠した行為がなされたかどうかは全くわからないため、おそらく行政の抜き打ち検査によっては「法違反行為」を特定することは困難であります。これでは何ら実効性は担保されません。

また、刑事罰の新設により、規制を強化することも考えられます。しかし刑事罰といいましても、業務上過失致死傷罪の立件ように現実に食中毒事件が発生した場面ではありませんので、罰金による制裁が量刑の相場ではないでしょうか。たとえばフグのケースと比較してみますと、「東京都ふぐ取扱条例」には刑事罰が設けられております。このなかに、フグ調理師がフグ料理を客に提供する場合の、フグの取扱い方法が規定されており、これに反する取扱いによってフグ料理を提供した場合、6か月以下の懲役または30万円以下の罰金に処せられます(同条例11条1項3号ないし8号、同23条)。たしかに懲役刑に関する処罰規定がありますが、これはフグの調理師は許可制が採用されており、いわゆる「免状」がなければふぐを調理することはできません。つまり身分犯として規定されたものでありまして、フグ調理師には高度な注意義務が課されているからこそ、これだけ厳しい刑事処分が設けられていることになります。ユッケの提供にあたって、このように許可制を採用することは現実的ではありませんので、身分犯として刑事罰が課されることはないため、懲役刑が新設されることはなく、せいぜい罰金による制裁となると思われます。

そうしますと、「みつかっても罰金で済むのだったら、みつかるまで違法行為を繰り返したほうがかしこい」つまり、やったもん勝ちの世界になってしまう可能性があります。これは事前規制によるコンプライアンス対応として、もっとも悩ましい問題であります。フグやカキなどとは異なり、危険性に関する国民の認知度が低く、かつ現実的にも食中毒事件に発展する確率が低い生食用牛肉の流通においては、このように「やったもん勝ち」になる可能性は十分に考えられます。また大手の焼き肉店等では、自社の責任を回避するために、取引先に安易に証明書を発行させることも横行するのではないでしょうか。これでは、消費者が安全安心な生食用牛肉を食することはできないことになってしまいます。今回のような痛ましい事故をなくすために、規制強化の実効性を確保しながら、なおかつ消費者が、これまでのように安全安心にユッケを口にすることができるためには、どのようにすべきでしょうか。

私も未だ十分に考えているわけではありませんが、たとえば刑事罰と行政措置の両面において取締規制を検討すべきではないでしょうか。これまでは食中毒事件が発生して営業停止措置がとられるところを、たとえば衛生基準に反した業者に対して、それだけで公益目的の見地から営業停止処分を発するということも考えられるのではないでしょうか。またこういった行政措置を新設したうえで、内部告発に対する奨励金制度を設けたり、自社や取引先の不正行為を告発した業者に対しての行政措置の減免(リーニエンシー)を導入するなど、内部から不正を通報することを促進する制度を設置することも検討されるべきだと思います(さらに行政措置ということであれば、公表制度も実効性があるかもしれません)。刑事罰を併設しておけば、公益通報者保護法の対象事実にもなり得ますので、内部通報や内部告発を促進することにもなります。性能偽装事件の発覚と同様、不正が内部から申告されなければなかなか法令違反行為が発覚しにくいのではないかと思われますので、「抜き打ち検査」や「罰則強化」ということだけでなく、実際に法令違反を取り締まるための対応策についても十分に検討しておく必要があると思います。

事前規制を強化する手法については、ほかにも衛生基準の改定等を含め、いくらでも思いつきますが、加工基準や保存基準等、これを強化すればほとんどユッケは庶民の口に入らない高価なものになってしまうのではないでしょうか。生食牛肉による事故防止のためにはそれもやむをえない、といった意見もあるかもしれません。しかし、ここまで日本の食文化に浸透しているユッケを「高価品」としてしまうことは、なんとなく国民感情に合わない道理のような気がいたします。これまで真面目にやってきた業者の方々も、おそらく取り扱わなくなってしまうのではないかと。ただ、飲食店側が販売業者に対して衛生基準に準拠した履行を確認したり、証明書を受領する際の確認事項を定めるなど、流通全体において生食用食肉の安全性に関する情報を共有するシステムを構築する程度であれば、なんとか実効性のある事前規制の手法が考えられるかもしれません。このあたり深入りしますと、上場会社の内部統制のお話になってしまって、今回のお話としてふさわしくなくなってしまいそうなので、これ以上は触れないことにいたします。

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2011年5月 7日 (土)

闘うコンプライアンス-中部電力VS経産省(菅首相?)

(5月8日 午後:追記あります)

(5月8日 夜:追記あります)

(5月9日 午前:追記あります)

5月6日午後7時に、経済産業省から中部電力に対して「浜岡原発の全ての発電基について停止してほしい」旨の要請があったそうで、本日(5月7日)中部電力は臨時取締役会を開催し、これに応じるかどうかを慎重に審議した、とのこと(出席者は取締役14名、監査役5名の合計19名)。本日現在では結論は出なかったため、8日以降に継続審議とされたそうであります。中部電力の役員の方々からすれば、株主代表訴訟のリスクを考えれば要請を拒絶したいが、これを拒絶してしまうと社会的な批判の的になってしまったり、電力不足の事態となってさらに多くの訴訟リスクをかかえてしまう可能性もありそうです。

まず、確認しておかねばならないのは、福島原発事故が発生した状況での要請ということで、あたかも「有事体制」かのように錯覚してしまいますが、中部電力管内における浜岡原発に関する要請ということなので、平時の法治行政としての要請があった、ということであります。どうしても世論の流れが「原発停止はやむなし」との判断に向かいがちになりますが、本件は平時の法治行政の原則が妥当する場面であり、首相の有事判断が優先することはないものと思われます。ここはきちんと最初に確認しておく必要があります。

そのうえで、菅首相(経済産業省)による中部電力への要請は、行政手続法2条6号の「行政指導」に該当するかどうか、ということがまず問題かと思います。同法に定める行政指導とは

行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を達成するために特定者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないものをいう

とされています。そもそも「行政指導」について行政手続法のなかで規定しているのは、行政指導の弊害を除去することが目的なので、本件のように要請への応諾に事実上の強制力を伴うような事実行為についてはほぼ間違いなく「行政指導」に該当するものと思われます。この行政指導は口頭によってなされるものでも足りるのですが、中部電力からの要請があれば、当該行政指導の趣旨及び内容並びに責任者を明記した文書を交付しなければならないため(同法35条1項)、このような中部電力の営業の自由を制限する重大な指導については、おそらく当初から同法35条の趣旨に則った文書で交付されたか、もしくは中部電力側は、文書交付の要請を行ったものと推測されます。

行政指導は、菅首相の記者会見のとおり、法に基づくものではありません。行政手続法32条から36条に規定されているとおり、任意の要請であり、これを中部電力が拒絶したとしても、なんら不利益を受けるものではありません(同法32条2項)。したがって、中部電力の役員の方々は、自主的な経営判断として、この要請に応じるか否かを検討しなければ、今後会社に損害が発生した場合、株主代表訴訟によって法的責任を問われる可能性があります。とりわけ、規制的行政指導(あらかじめ規制する法的根拠があるにもかかわらず、より柔軟な対応を求めるために行政指導の形で要請をするケース)の場合であれば、役員の方々も結論を出しやすい(要請に応じる、という結論を出しやすい)のでありますが、原子力基本法にも原子力災害対策特別法にも、こういった原発停止命令のようなものが規定されていないため、非常に困難な判断を強いられることになります。

まがりなりにも、国(行政)から中部電力の具体的なリスク管理体制に関する提案が出ているわけですから、これを採用するか否かは、経営判断原則(会社法上?もしくは判例上?)に従って必要事項はすべて資料に基づいて判断せざるをえず、したがって「継続審議」となることは役員の方々の法的責任を考えた場合当然のことだと思います。また、適法な行政指導に従い、価格統制を行った者に対する独禁法違反が問われた事例におきまして、最高裁は

「価格に関する事業者間の合意は、形式的には独禁法に違反するようにみえる場合であっても、適法な行政指導に従いこれに協力して行われるものであるときは、その違法性を阻却される」

としています(最高裁判決昭和59年2月24日 判決文は最高裁HPにて閲覧できます)。これも石油業法において法的根拠がない場合の行政指導に関するものでありますが、今回のケースにおきましても、行政指導が適法であり、かつこれに協力するにあたり、提案されているリスク管理体制を採用することに合理的な根拠があれば、中部電力の役員の方々に善管注意義務違反の責任が問われる可能性はかなり乏しいのではないでしょうか。まちがっても「首相の要請は断れなかった」「首相の要請を応諾することを前提として、事業に支障が出ないかどうかを考えた」という理屈は通らない、と思います。

会社法上、取締役は「社会的責任を果たす」といっても、やはり一般株主の利益を第一に考えて行動する必要があるわけでして、たいへん重い決断をしなければなりません。ただ、注意すべきは上記最高裁判決も「適法な行政指導」という言葉を用いているとおり、行政指導が法の根拠に基づかずに行われるものであったとしても、適法な行政指導と違法な行政指導はありうるわけです。行政指導には行政法上の比例原則(最低限度の規制か否か)、平等原則(他の電力会社への要請は不要なのか)も当然に妥当します。そこで中部電力の方々は、今回の経産省大臣による原発停止要請は、適法な行政指導に当たるかどうか、法律判断を必要とすることに留意する必要がありそうです。

(5月8日午後 追記)

資料保管庫管理人さんのブログからTBをいただきました(どうもありがとうございます)。中部電力社のガバナンスの状況が把握でき、参考になります。個人的な印象ですが、なかなかガバナンスがしっかりしているように思えますね。どういった協議結果となるのか、注目してみたいです。

(5月8日夜 追記)

unknown1さんから、電気事業法を根拠法規とする規制についてのご指摘を受けましたが、こちらの専門紙の記事によりますと、やはり電気事業法や原子炉等規制法によっても法的根拠の見当たらない要請と報じられています。やはり、規制的行政指導にはあたらないように思われます。

(5月9日午前 追記)

中部電力における経営判断として、損失補てんに関する行政契約を条件とするのはどうだろうか、これが前提であれば株主に対して説明できるのでは・・・・・といった意見を持っていましたが、(行政契約の手法まではいかないようですが)どうも火力発電所の稼働に要する天然ガス供給についての国の支援をとりつける方向で協議がまとまるとの報道がなされています。これは経産大臣の要請受諾の方向性を決定づけるものになりそうな気がします。

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2011年5月 6日 (金)

ユッケ食中毒事件-その事前規制と事後規制-

3日前に広報コンプライアンスの視点から雑感を述べておりましたが、あれからまたFF社運営にかかる系列店でユッケを食された方の犠牲者が増え、相当深刻な事態となっております。予想通りマスコミの報道は混迷を極めており、なにゆえここまで大きな事件となってしまったのか、その責任や原因が特定できないため、加害者としてのターゲットが見つからない状況が続いております。FF社の代表者は犠牲者が出た時点で直ちに、ご遺族のもとへ謝罪に出向き(お父様は謝罪を拒絶されましたが)、4人目の犠牲者が出た時点の記者会見では土下座をして今後の精一杯の補償を誓いました。

事後規制としての「業務上過失致死」の立件ですが、誰のどのような行為によって今回の痛ましい事件が発生したのか、食中毒事件の証拠はあっという間に散逸してしまって因果関係の立証が困難になりますので、当局としては強制捜査(身柄というよりも証拠確保のため)に乗り出す可能性はあるのではないかと思われます。(追記:6日午前のニュースでは強制捜査の方針とのこと)

そして前回のエントリーの最後で懸念しておりました「事前規制」、つまり食品衛生法改正ですが、本日あたりの報道内容からしますと、厚労省は今回の事件を機に、食品衛生法の衛生基準を満たさない生肉の流通販売に罰則規定を設け、合わせて抜き打ち検査も行うよう行政規制を厳格にすることを決めたそうであります。つまり、特定の誰かを厳罰処分として事件を終結させるだけでは不十分であり、二度と同様の事件が発生しないよう、抜本的な方針で臨むということです。

フグの食中毒で死亡された方のご遺族が自治体(国や兵庫県)を相手取って国賠訴訟を提起された事件の判決(昭和55年3月14日大阪高裁判決 判例時報969号55頁)におきまして、原告はフグの肝の流通販売を行政で禁止するのではなく、行政指導で対応していたことに過失がある、と主張したのですが、裁判所はこの主張を棄却して原告敗訴となっております。そのときの裁判所の判断理由では、フグのように高価なもので、これを食する消費者は限られており、なおかつフグの肝が危険であることは、消費者は十分に認知している、また流通販売においてフグを取り扱う業者は認可もしくは届出制とされており、自主的な規律が期待しうる、したがってこのような食品については現行の食品衛生法の弾力的運用(つまり検査の厳格化や行政指導など)によるか、行政取締(罰則や販売流通の禁止)によるかは行政の裁量にゆだねられている、しかしそれ以外の食品については、国民の安全を確保するために行政取締をしない、という場合には国の不作為が違法行為と評価される場合がありうる(国賠法1条1項)、と明示されております。

フグの場合と異なり、ユッケというのは、本事件の販売価格をみてもわかるとおり、多くの国民に提供される商品であり、また消費者がフグほどの「命の危険性」を感じながら食するものではないと思われます。そうしますと、上記昭和55年の大阪高裁判決を前提とするならば、ユッケについて食品衛生法上の取締りに行政裁量の範囲は狭く、これを事前規制として厳格に規制しなければ国の違法性が問われることになるのではないかと。このように現実に事故が発生するとなれば、もはや行政が規制強化に乗り出さないのは「不作為による過失」に該当するのではないかと。こう考えますと、今回の厚労省の素早い対応も、当然のことのように思われます。また、規制の厳格化によって、事後規制(業務上過失致死罪)の立件も容易になります。

ユッケは出しません、とするお店も実際にはあるそうでうが、そのようなお店は消費者から「あの店は古い肉を使っているから、メニューにユッケがない」との風評が立つそうです(むずかしいですね・・・・・)。事前規制によってユッケが食べられなくなる、ということではなく、今後は馬肉(馬刺し)流通の現状基準に沿った形の運用になるのではないでしょうか。生肉による提供に関する運用基準に合致したもの(生食用)は消費者に提供されることになるでしょうけど、維持管理に非常に大きな負担を要しますので、ユッケだけが非常に高価なものとして提供される、ということになるのではないかと。

ただ、事前規制が厳格化されると、今度はまた別のコンプライアンス上の悩ましい課題が発生します。これはまた別の機会に。

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2011年5月 3日 (火)

広報コンプライアンス-焼き肉チェーン食中毒事件のケース

金沢市内に統括事務所を有するFF社経営に係る焼き肉チェーン店でO-157等による食中毒事件が発生し、痛ましい死亡事故が生じました。外食産業の役員を務める立場として、「食の安全・安心」は企業として最大限の配慮を要する課題であり、他社事例とはいえ沈痛な思いであります。現時点での個人的な感想は以下のとおり。

まずFF社のHPを閲覧しましたが、おそらく広報コンプライアンスに関するプロの支援を受けておられることが推測されます。被害者の方々への最大限の配慮、潜在的被害者への呼びかけ、自分たちでできる限りのことは手を尽くしていたことの主張、またマスコミの報道の誤認に関する素早い対応等的確なものが読み取れます。

しかし、この対応は「マスコミを本気にさせる」パターンです。社長さんの記者会見の発言を聞き、またこのHPのリリースを閲覧して感じるのは、死亡事故を発生させたことは申し訳ないが、ヒヤリ・ハット事例はどこのお店でもあり、たまたま自社のレストランで甚大な事故が発生したもの、危険を認識しながら手ぬるい行政規制が行われていたのであって、自分たちの責任範囲で事故発生を回避する手段としてできるだけのことをやっていた、という主張。

こういった事故の場合、マスコミは「行政規制違反」つまり形式的な違法行為を捉えて、事故と結びつけるわけですが、うまく「形式的違法行為」を捕まえることができないために、甚大な事故の責任を国民にうまく伝えることができない。こうなると、次にマスコミが考えるのは経営者のキャラクターの特殊性、もしくは実質的法令違反、つまり経営者の過失を根拠付ける事実の報道です。ここでマスコミの心に火をつけるのは、記者本人の「許せない」といった感情です。この「許せない」という火をつけてしまうとマスコミはコワイです。

コンプライアンス支援の経験を持つ者として、「マスコミを本気にさせる」ことは正直コワイです。何がコワイかと申しますと、たとえば危険の認識、とりわけ納入業者や販売業者の経営トップが「危険だとわかっていても、売れるんだから仕方がない」といった認識をもっていたことの客観的な証拠(物証もしくは供述)を、そのとてつもなく大きな組織によって上手に拾い出してくるからです。これはほかの組織ではできないマスコミ特有の力かと。

もうひとつ、FF社だけがマスコミのターゲットとなり、業務上過失致死傷の捜査が始まり、また国民の反感を買うことになれば、不謹慎な言い方ですが、行政も業界団体も、他の焼き肉チェーンのお店も安心するわけです。なぜなら安価な値段でユッケを一般家族に提供していた構造的な問題が不問に付される可能性が高まるからです。これは日本のコンプライアンス問題の典型だと思います。国民の生命、身体、財産に重大な危険をもたらすような組織の上での課題が存在したとしても、誰かが悪者になって社会的な制裁を受けてしまえば、その構造上の欠陥についてはマスコミも国民もあまり指摘しないままに忘れ去られてしまう、そしてまたどこかの焼き肉チェーン店で同様の事故が発生する、というパターンです。今回の事故では、ぜひそのようなお決まりのパターンで終わらせないよう願うだけです。

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2011年5月 2日 (月)

広報コンプライアンス-「訂正」と「非開示」のジレンマ

数日前の森トラスト社長さんのインタビュー記事(ロイター)を読んで、「あれ?これってイオンはパルコに圧勝したわけじゃなかったの?ひょっとして森トラストにうまく活用されたの?」といった感想を持ちましたが、5月1日の産経ビズのこちらのニュースを読んで、政策投資銀行の意向も動いていたことを知りました。また、私は従前のエントリーで「イオンと森トラストがいつまで利害関係が一致するかわからないのでは」と書きましたが、やはりM&Aは人間模様によって左右されることが再認識されました。本件につきましては、ずいぶんと冷ややかな目で眺めておられた方もいらっしゃいましたが、本当はけっこう熱かったようですし、記事にあるように「第二幕」も始まる可能性が高いのではないかと。

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さて、トヨタ、東電、ソニーといずれも日本を代表する企業の情報開示の在り方が問題になっております。いずれも企業活動が国民の生命、身体、財産に対する安全を破壊するおそれのある情報を、早期に開示しなかったことへの批判が、とりわけ海外において高まりました。トヨタの場合、製品の不具合については認められなかったという判定が強まりつつあるものの、情報の早期開示を怠ったことが15パーセントほどの企業価値低下につながったとするロイターの報道もなされております。またソニーの場合も、情報漏えい(流出)は人為的ミスではなくハッカーの侵害によるものと言われておりますが、それでもすでに情報開示の遅れについて訴訟が起こされる、と報じられています(私個人としては、事故情報を入手して1週間、というのはそれほど開示が遅延している、というものでもないように思うのでありますが・・・)。

情報開示が遅れる、というのは、それだけ正確な情報を開示したいといった企業側の論理があり、とくに拙速な情報開示によって国民に誤った情報を提供し、後日これを訂正することを嫌うところにあるように思います。ひたすら国民の生命、身体、財産の安全を、有事においても企業がしっかり保護する、ということでしょうか。

しかし、トヨタのリコール事件の後、広報リスクコンサルタントの方のお話をお聞きする機会があったのですが、日本と欧米とでは「リスクコミュニケーション」の手法が異なるため格別の注意が必要、とのお話が印象的でした。たとえばリコール対応の場合、我が国でも消費者庁設置によって少しずつ変わってはきているのですが、日本では正確な情報を企業自身が集約して、リコール対応の必要性を判断し、対応を決断した時点で情報を開示する。しかし、アメリカではリコールの是非は企業と市民が一緒になって考え、そもそも企業活動が万能の会社などありえない、どんな企業でも不具合製品を出したり、ミスが発生することはある、という発想から出発するのだそうです。したがって、市民が企業と一緒になって考えるだけの情報を速やかに提供しないことについては多くの批判が集まる。

情報漏えいや流出問題も同様だそうです。情報流出の疑義が認められた時点で情報を開示し、被害状況などを含めた情報を市民から集約し、市民が自己防衛手段をとる支援を行うのが企業の責務だとか。ここでも、リコール対応と同様に市民の自律の精神が基礎にあるそうです。日本の場合、情報漏えい(流出)事件が発生しても、あまり訴訟にまで発展するケースは少なく、お詫びの文書とともに、500円の図書カードが送られてきて満足する、といったことも聞かれるところです。

事故情報(不祥事情報)開示の在り方は、各国の国民性によって変わってくるのかもしれませんし、消費者保護に関する国の考え方によっても違うのかもしれません。ただいずれにしても、タイムリーな情報開示、とくに不利益情報の開示方法については、今回の東電事故に至るまで、あまりコンプライアンスの視点から議論されたことはありませんでした。東電事故は論外ですが、企業活動が国民にそれほど大きな損失を与えなかった場合であっても、不適切な情報開示により社会的信用を大きく毀損してしまい、企業価値を失ってしまう可能性があることを認識すべきであります。これもおそらく平時からの体制整備の差が生じる問題のひとつなのでしょうね。

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2011年5月 1日 (日)

原子力損害賠償法に関する私の解釈(単なる試案ですが・・・)

原子力損害賠償法(原子力損害の賠償に関する法律)の解釈について、いろいろと世間で議論されております。話題の中心は「原子力損害賠償法3条1項但書によって、東京電力は、発電所事故に起因する原子力損害の賠償について免責されるか?」という点のようです。

ちなみに原子力損害賠償法3条といいますのは以下のような条文です。

第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。
 前項の場合において、その損害が原子力事業者間の核燃料物質等の運搬により生じたものであるときは、当該原子力事業者間に特約がない限り、当該核燃料物質等の発送人である原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。

原則は原子力事業者が無過失損害賠償責任を負うが、この3条1項但書によって、その損害が異常に巨大な天災地変によって生じた場合には免責される、ということになっております。そして今回の東日本大震災の地震、津波による発電所事故が「異常に巨大な天災地変による事故」といえるかどうか、という点が論点かと。ただ、「免責される」というのは、この法律に基づく無過失責任であって、一般の不法行為責任まで免責されるかどうかはまた別個の問題かと思われます。

私はCSR(企業の社会的責任)として当然に東京電力に(補償)責任があると思っておりますが、ただ法的根拠もなく、賠償に応じるということになりますと、おそらく東電役員の方々が株主代表訴訟に耐えられないかもしれず、やはり法的責任の有無を論じておく必要性は否めません。そこで、あまり政治に関係する話題は当ブログでは取り上げないことにしておりますが、法的な解釈に関する点のみ意見(解釈試案)を述べておきたいと思います。なお、以下の解釈は、漠然と私が考えていることをいちおう文字に表現したにすぎず、それ以上でも、それ以下でもございません。ご異論、ご批判もあろうかとは思いますが、あくまでも一個人のブログネタ程度にお考えください。

「原子力損害賠償法」は基本的には①事業者の権利制限を伴う取締法規たる性質、②有事の際の行政組織法的性質、そして③民間企業と被害者との私法的権利義務関係を規律する法律の性質が混在したものであります。そして原則として有事を念頭に置いた「例外的措置」を規制した法律であることが重要かと思われます。つまり最初から「不可抗力」でも事業者が被害者に対して損害賠償を行うことが規定されています。(損害賠償責任というのは、本来ならば加害者に故意過失がなければ支払い義務が発生しませんが、不可抗力でも発生する、という点が「超法規的」「例外的」であり、事業者の権利を制限しているところです)したがいまして、今回の東日本大震災に関連する「原子炉の運転等の事故」による被害者の損害は、原則として賠償責任の対象となりそうですが、では3条1項但書の「異常に巨大な天災地変」に該当し、東電は免責されるのでしょうか。

私は東電の原発事故によって生じた損害は、「異常に巨大な天災地変」によって生じたものではない、と考えます。

第一に、東電の賠償責任の法理は「無過失責任」とはいえ、いわゆる「許された危険の法理」によるものだからです。原子力発電所はもともと非常に危険でありますが、それが社会において必要だから、その運転は違法ではありません。いわば暗黙に社会的に許されて作られているものです。しかし運転稼働することが違法ではないことと、危険に伴う損害発生の負担とは別であります。そのような危険物を建築しておいて、その危険物から収益を上げているのが事業者であるならば、なにか事が起こった場合にはその危険の負担も当然に事業者が負うべきである、と考えるのが分配法理としては正しいと思われます。そう考えますと、この危険分配の例外規定については、きわめて限定的に解釈されるべきものと思われます。同法には、別途第三者による故意の原発攻撃が発生した場合の求償規定が置かれていることからみても(第5条)、よほどの事態でなければ事業者に損害賠償義務が免責されることは考えにくいことが理解できます。

第二に、ではいかなる場合が「異常に巨大な天災地変による原子力損害」かといえば、そもそも先に述べたように、原子力損害賠償法の基本的な性格は法が私人(事業者)の権利義務関係を規制し、私人間の私法的な権利救済方法を規律すること(被害者救済)にあります。そこでは最終的には司法による国家権力の行使が予定されています。また同法は、平時に適用されるのではなく、異常時にこそ適用されることが当初から予定されている法律です(たとえば借地借家法ではなく、有事には罹災借地借家法が適用されるようなもの)。つまり、有事であっても、この法律は国家権力によって平穏に被害者救済が実行されることが予定されています。そして、その国家権力は立法でも行政でもなく、司法であり、もし事業者が本件被害者への損害賠償を履行しない場合には、国家権力によってその強制的実現が図られることが当然の前提とされています。つまり有事といえども、行政が口をはさまなくても、民間にゆだねることで裁判所による被害者救済が図られる限りは、事業者の賠償責任によって解決を図る、ということであります。被害者側からみれば、自力で損害賠償請求権を確定させ、賠償保険制度を活用して、そこから優先弁済を受けよ、ということです。

しかし、天災地変によって司法権すら十分に行使できないような事態ということも想定されます。この法律は(賠償責任保険制度を通じて)本来「民と民」の権利義務関係の履行によって処理されることを念頭に置いておりますので、裁判所という国家権力が機能しないような事態になった場合には、もはや法律の目的を達成することが困難になります。そういったケースとなれば、もはや裁判所による権力行使によって速やかな被害者救済が実現困難になってしまいますので、例外的な対応として同法17条により、行政府による権利救済(あるいは被害者救済の一時的義務の発生)が認められることになります。

つまり「異常に巨大な天災地変」というのは、国家権力のひとつである裁判所の全部もしくは一部が機能しえなくなるような重大な震災を指すものであり、だからこそ「社会的動乱」と並列的に規定されているものと解するのが妥当であります。また、このように文言を制限的に解釈することが、危険分配法理による事業者の責任負担を定めた同法の趣旨にも合致します。今回の東日本大震災については、原子力発電にも一般市民にも壊滅的な被害をもたらしましたが、発電所事故を発生させた要因となる震災は、管轄区域の司法権行使の機能をまひさせるほどの障害をもたらしているようには思えないので、これは原子力損害賠償法3条1項但書の適用場面ではないと考えられます。よって原則どおり、東電は同法によって損害賠償責任を負担するものと考えるのが妥当を思われます。

5月2日未明 追記

ある経営コンサルタントさんがTBされているブログに、原子力損害賠償法制定時における国会答弁の記録が掲載されており、非常に参考になります(コンサルタントさん、ありがとうございました <m(__)m>)

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