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2011年5月 3日 (火)

広報コンプライアンス-焼き肉チェーン食中毒事件のケース

金沢市内に統括事務所を有するFF社経営に係る焼き肉チェーン店でO-157等による食中毒事件が発生し、痛ましい死亡事故が生じました。外食産業の役員を務める立場として、「食の安全・安心」は企業として最大限の配慮を要する課題であり、他社事例とはいえ沈痛な思いであります。現時点での個人的な感想は以下のとおり。

まずFF社のHPを閲覧しましたが、おそらく広報コンプライアンスに関するプロの支援を受けておられることが推測されます。被害者の方々への最大限の配慮、潜在的被害者への呼びかけ、自分たちでできる限りのことは手を尽くしていたことの主張、またマスコミの報道の誤認に関する素早い対応等的確なものが読み取れます。

しかし、この対応は「マスコミを本気にさせる」パターンです。社長さんの記者会見の発言を聞き、またこのHPのリリースを閲覧して感じるのは、死亡事故を発生させたことは申し訳ないが、ヒヤリ・ハット事例はどこのお店でもあり、たまたま自社のレストランで甚大な事故が発生したもの、危険を認識しながら手ぬるい行政規制が行われていたのであって、自分たちの責任範囲で事故発生を回避する手段としてできるだけのことをやっていた、という主張。

こういった事故の場合、マスコミは「行政規制違反」つまり形式的な違法行為を捉えて、事故と結びつけるわけですが、うまく「形式的違法行為」を捕まえることができないために、甚大な事故の責任を国民にうまく伝えることができない。こうなると、次にマスコミが考えるのは経営者のキャラクターの特殊性、もしくは実質的法令違反、つまり経営者の過失を根拠付ける事実の報道です。ここでマスコミの心に火をつけるのは、記者本人の「許せない」といった感情です。この「許せない」という火をつけてしまうとマスコミはコワイです。

コンプライアンス支援の経験を持つ者として、「マスコミを本気にさせる」ことは正直コワイです。何がコワイかと申しますと、たとえば危険の認識、とりわけ納入業者や販売業者の経営トップが「危険だとわかっていても、売れるんだから仕方がない」といった認識をもっていたことの客観的な証拠(物証もしくは供述)を、そのとてつもなく大きな組織によって上手に拾い出してくるからです。これはほかの組織ではできないマスコミ特有の力かと。

もうひとつ、FF社だけがマスコミのターゲットとなり、業務上過失致死傷の捜査が始まり、また国民の反感を買うことになれば、不謹慎な言い方ですが、行政も業界団体も、他の焼き肉チェーンのお店も安心するわけです。なぜなら安価な値段でユッケを一般家族に提供していた構造的な問題が不問に付される可能性が高まるからです。これは日本のコンプライアンス問題の典型だと思います。国民の生命、身体、財産に重大な危険をもたらすような組織の上での課題が存在したとしても、誰かが悪者になって社会的な制裁を受けてしまえば、その構造上の欠陥についてはマスコミも国民もあまり指摘しないままに忘れ去られてしまう、そしてまたどこかの焼き肉チェーン店で同様の事故が発生する、というパターンです。今回の事故では、ぜひそのようなお決まりのパターンで終わらせないよう願うだけです。

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コメント

神奈川でもでましたね。同じ系列店だけで発覚していることに対して説明する必要があると思います。

投稿: JFK | 2011年5月 3日 (火) 19時27分

納品する業者は他の販売店にも同様の食肉を卸しているはずで、そこで食中毒が出ていないかどうか、ということですね。同じ系列店だけで発生しているのか、それとも他の店でも発生しているのか。ただ食中毒は食材との因果関係をつきとめるのは相当にむずかしいです。時間が経過してしまいますと判明しません。そのあたりが問題かと。
今後、食品衛生法違反の事実が認められるかどうかが、展開に大きく影響を及ぼすような気がします。

投稿: toshi | 2011年5月 3日 (火) 19時45分

DMORIです。
若いこの社長では、社会のルールはすべて法律で決められるものでないことが、まだよく分かっていないのでしょう。
法律以前に大事なことは、たとえば飲食業者であれば、いかに安全でおいしい料理をお客様へ提供して、喜んでいただくかということです。

それは法律や行政の指導だけで決められることではなく、事業者として常に真剣に安全に取り組む姿勢がなければ、成り立ちません。
「法律で決められていれば、ナマ肉は出さなかった」という言い分では、「法律に違反していなければ、何をやっても自由」という理屈になりかねません。このほど最高裁で実刑が決まった、当時のホリエモンの論理と同じになってしまいます。

この社長もホリエモンのような若さでがんばって、金沢を中心に店舗や売り上げを拡大してきたのでしょう。だが業績を伸ばすために、お客様に安心して食べてもらえる料理という、飲食業者の原点の精神をなおざりにしていなかったか。亡くなった2人の子どもへの責任を果たしながら、よく考えてもらいたいと思います。

投稿: DMORI | 2011年5月 3日 (火) 22時12分

DMORIさん、こんばんは。(おひさしぶりでございます)
DMORIさんは、たしかマスコミ関係の方でしたから、こういった事件を眺めますと、やはり正義感といいますか、「許せない」といった感情が湧いてこられますでしょうか。あの記者会見は、おそらく現場におられた40名の記者さん方に火をつけてしまったのではないかと、そんな印象を持ってしまいました。
「法律に書いてなければ何をやってもいいのか」という点は堀江氏への印象に似ているのですが、今回は「法律に書いてなかったので、この業界では常識でした」とあります。つまり、「法律で規制されていなかったから、みんなやってたんですよ。なんで悪いのか」ということです。このあたりが、マスコミ報道を歯切れ悪くしている原因です。それで、私の経験からしますと、今後は警察の捜査もありますが、マスコミはきっと危険性認識の重大な証拠をどこかでつかんでくるでしょうし、これまで報道されてこなかった食中毒の前歴をつかんでくるでしょうし、さらには形式的であるにせよ、食品衛生法違反というれっきとした法令違反の事実を把握するのではないか、と推測しています。
広報コンプライアンスのアドバイザーがついているとすれば、そのあたりについては、すでに想定の範囲内ではないかと。

投稿: toshi | 2011年5月 4日 (水) 01時08分

BLOGOSで記事を拝見しました。
率直に言うと、2人の死者を出してしまった今回の事件で、『マスコミを本気にさせると怖い』だとか『形式的な違法行為がないためマスコミがキャラクター付けをしている』と言ったことを主張されるのは筋違いかと思います。
『逆切れ会見』など少々大胆な見出しも散見されましたが、あの会見での主張や話し方をみる限り、自社の免責ばかりを強調しており、『本当に反省してるの?』とマスコミ関係者だけでなく多くの方々が疑問に思ったと思います。
確かに違法行為は行われていなかったかもしれませんし、生食用の牛肉の明確な基準がなかったことは主張してしかるべきだとは思いますが、2回目の会見で『国にユッケを禁止して欲しい』などあれだけ開き直ったことを言ったのは、経営者としても、一人の人間としても、批判されて当然でしょう。
フーズフォーラスという一企業だけの責任ではないということは重々承知ですが、今回の件で『マスコミが怖い』と言った主張をされるのは、大分世間の常識とはかけ離れた見解だと思いますよ。

投稿: こまるた | 2011年5月 4日 (水) 09時24分

DMORI様より
>>法律以前に大事なことは、たとえば飲食業者であれば、いかに安全でおいしい料理をお客様へ提供して、喜んでいただくかということです。
という内容の記事があり、関心を持ちましたので、コメントをさせて頂きます。

店には、当然、安全な料理を提供する責任があるのは当然のことです。
これは、飲食のサービスを提供する側、受ける側双方にとって契約の本質的内容になっていると考えることができます。

確かに、生肉は、各公共団体の福祉保険局などのホームページで客に提供するなという指導があります。
しかし、生肉を提供していない焼肉店は、日本の焼肉屋にありますでしょうか。この状況がベースラインならば、「えびすや」には違法性の意識の可能性はなかった、つまり故意、過失はなかったといえます。
今回の「えびすや」が、食中毒を発症させる菌を持つ生肉を故意に購入したというならまだしも、そうではない場合には、この店だけの責任でしょうか。

事件が生じてから問題提起をするのではなく、マスコミ自身も問題が顕在化する前になぜ、問題提起をしないのですか?
マスコミの役割としては、今回の問題を顕在化させることはできたはずです。マスコミ等が関わる雑誌等には、焼肉店特集を良く見ます。
その中でも生肉を堂々と提供している店を特集しています。
マスコミ自身も、そのような特集をしているくせに、よく事件後の「えびすや」だけを責めることができるなという印象を受けました。


投稿: 学部生 | 2011年5月 4日 (水) 09時26分

こまるたさん、学部生さん、ご意見ありがとうございます

事件内容が非常に痛ましいために、エントリーとして取り上げることはむずかしいのですが、エントリーの中でも書いたとおり「現時点での感想」を記しました。
コンプライアンスというのは、単に法令違反ではなく、社会の常識に反する行動によって企業の社会的価値を毀損することを防止することに重点が置かれています。
ご指摘のとおり、私の意見はあくまでも個人の意見です。ただ、現在進行形で多くの方々がどのような意見を持たれるのか、これを示していただければ、本事件への社会的評価等、非常に貴重なものになると思います。ですので、こういったご意見は大歓迎でございます。
本日あたり、雑菌が付着したルートや場所が特定されるかもしれません。そのような新事実によって、またどのような報道がなされるのか注目をしております。

投稿: toshi | 2011年5月 4日 (水) 10時17分

供給側は、危険性を認識している。でも、そこをルール化されると、目先の利益が減る。だから、行政・専門家と共に、気が付かない振りをする。事が起こると、「想定外」。福島と似たパターン。自分もいつか被害者になるのだろうな。
○| ̄|_

投稿: MC | 2011年5月 4日 (水) 18時48分

日常的に車を運転しているひとは一人の例外もなくスピード違反をしています。それが50キロのオーバーであれ、0.5キロのオーバーであれ。
(「私は絶対にオーバーしないようにと制限速度より5キロ以上遅い速度で運転してます」というひとが1人ぐらいはいそうですが、その人は別の意味で他の運転者に迷惑を掛けております…)

スピード違反の結果人身事故を起こした人間が、「皆、スピード違反してるじゃんかよ!なんで俺だけが責められるんだよ!」と反論したとしても、まともに取り合うひとはいませんよね。
スピード違反は法律・法令違反です。取り締まりに引っ掛かった運転者だけが罰金を払わされるゆえ不公平感は否めませんが、元来取り締まりとは一罰百戒、そういうものです。

今回の件は法の不備だとかの問題でもなく(全ての問題を法律の強化によって防止するなどということは出来ません)、事前にマスコミが問題化すべきだったということでもありません(そういうことが出来ればよかったでしょうが、それはまた別の話)。また、生肉による食中毒(重大事故として)が頻発していたわけでもありません。
確かに、当該企業(の社長)は「運が悪かった」のかもしれません。しかし、法的責任においても道理的にも、そういう言い訳は通るはずはないのです。納入業者をよく調査し定常的に納入物をチェックしていれば(同業者が事故を起こしていないように)今回の事故はきっと防げたのだ、と猛省するところから始めねばなりません。実際に、もっと適正な価格(つまり、もうちょっと高い価格)で販売している同業者からは「お前とこと一緒にするな!」という反発の声もあるようです。

尤も児童に生肉を与えていた親御さんが大勢いたことに、私は腹立たしさを感じましたけどね。いささか常識が欠けていたのではと。(但し、40歳代の女性も亡くなられたようですね…)

投稿: 機野 | 2011年5月 4日 (水) 23時31分

日本のマスコミの幼稚な正義感、独善性、無知に辟易しています。
原因が見つかる前から犯人を決めつけ、無知な論理を振り回し、無知を指摘し正しい情報を伝えると「反省していない」と騒ぎ立てる、誤報が確定しても極めて小さな訂正記事しか出さず反省しない、日本のマスコミは最低です。これに付き合わされる、渦中の当事者や、読者はいい迷惑です。

過去マスコミは犯人の決めつけで何度も過ちを犯してきました。雪印牛乳の食中毒にしても、散々でたらめな原因説を憶測記事で書き、全て外れ、数ヵ月後、北海道での停電が原因と分かったというもの。でたらめな原因説に対する反論は全て「反省していない」という声でかき消される。真の原因が分かっても、訂正記事は小さく、反省もしない。メーカーの製品に欠陥があった場合の謝罪広告に比べ、非常識な小ささです。
同じ金沢で言えば、北國銀行の頭取が逮捕された事件。銀行が釈明をしましたが、「反省していない」という記事になり、しかし、最高裁で銀行の釈明どおり有罪が覆っています。厚生労働省の郵便代の事件でも同じこと。
正義感って、マスコミは「犯人」を断罪したがるけど、誰もそんなこと頼んでいない。断罪し社会的制裁を加えるのは国民。マスコミは正確な情報を提供すれば良い。それを幼稚な正義感を振り回すから、誤報を伝え、間違った人に制裁を加えてしまう。制裁ばかりに熱心になり、真の原因を見失ってしまう。マスコミは「法律に違反していなければ、何をやっても自由」以前の最低限の倫理を勉強することから始めた方が良い。
マスコミのレベルが低いから、会社の広報が苦労するというのは、何とかして欲しい。

投稿: 読者 | 2011年5月 9日 (月) 01時06分

ご無沙汰しております。

先生、私は、ちょっと見方が違いまして、広報や危機管理のプロが入っているとは思っておりません。トップページの文書を見ても、亡くなられた方へのお詫びよりも先に営業を停止していると取り組みをアピールしていますが、プロならまずお詫びをするでしょう。また、社長名義の文書としてきちんとリリースするでしょう。下痢や吐き気などの症状がある方は最寄の保健厚生センターへご相談くださいとありますが、亡くなられた方がいる以上、危険性は大きいのですから、まずは病院での適切迅速な受診・治療をお願いすべきでしょう。保健センターに相談って、この期に及んで人命軽視も甚だしいといわざるを得ません。広報なり危機管理なりのプロが書いたとしたら稚拙過ぎると思います。

それはともかく、行政の規制の盲点に関わる事例の場合、企業側の対応が難しいケースが多いですが、この社長、完全に行政側の規制の問題として責任を転嫁しているあたり、対応の方向性や事の重大性をきちんとわきまえられているのか、大きな疑問を感じます。

なお、皆様のコメントにて同社の問題性はすでに言及されている通りかと思いますが、読者さんが指摘されているマスコミ側の構造的・意識的問題があるからこそ、先生の言う広報コンプライアンスや危機管理広報におけるリスクや難しさが増していることは私も同感です。


現実にそのようなマスコミに対応しなければいけない現実もありますし、地震の際の過剰なまでに被災者を追い詰めうるよう無神経な質問をどんどんしている報道や、著名なキャスターがインテリ気取りで被災地入りして自己満足にすぎない報道をしてみたりと、このマスコミの内在的問題点は何も企業だけに関係する話ではなく、被害者であっても更なる報道被害者にもなりうる大きな可能性を秘めているため、私は、被害者も含めてマスコミ側の問題点もきちんと認識すると言う意味において、「マスコミは怖い」という認識を持つことは間違いではないと思います。

数値的には健康被害に直ちに影響がなく、ラドン温泉にいたほうが多くの放射線を浴びているといえる数値であっても、基準値の~百倍、~千倍という言い回しでことさら放射線への不安を煽る様な報道が連日なされ、それが被災地からの避難者に対するいわれなき風評差別を生んでいる現実を目の当たりにしたばかりでもあります。

FF社の対応の話からは少しずれてしましたが、皆様、広報コンプライアンスに若干でも関係のあるテーマということで、お許しいただければと思います。

投稿: unknown3 | 2011年5月11日 (水) 00時59分

えっと、この最後のコメントは コンプロさんでしょうか?お名前がなかったもので、とりあえずunknown3さんとさせていただいております。

投稿: toshi | 2011年5月11日 (水) 01時51分

先生、すみません。
お察しの通り、最後のは私の書き込みです。
誤って名前の部分を消してしまっていたようです。

申し訳ございません。

投稿: コンプロ | 2011年5月12日 (木) 00時41分

コンプロさん、コメントありがとうございます。
本文のほうでは不謹慎と思われますので、こちらで書きますが、広報コンプライアンスという視点では非常に興味深い展開になっているように感じています。週刊誌あたりでは「ユッケ殺人」などとひどいことを書かれているFF社の社長さんですが、一般紙ではほとんど取り上げられなくなってきました。
今後の展開次第だとは思いますが、法令順守とコンプライアンスの差がはっきりと出てきた典型例ではないかと思います。

投稿: toshi | 2011年5月12日 (木) 01時20分

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