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2011年5月 1日 (日)

原子力損害賠償法に関する私の解釈(単なる試案ですが・・・)

原子力損害賠償法(原子力損害の賠償に関する法律)の解釈について、いろいろと世間で議論されております。話題の中心は「原子力損害賠償法3条1項但書によって、東京電力は、発電所事故に起因する原子力損害の賠償について免責されるか?」という点のようです。

ちなみに原子力損害賠償法3条といいますのは以下のような条文です。

第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。
 前項の場合において、その損害が原子力事業者間の核燃料物質等の運搬により生じたものであるときは、当該原子力事業者間に特約がない限り、当該核燃料物質等の発送人である原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。

原則は原子力事業者が無過失損害賠償責任を負うが、この3条1項但書によって、その損害が異常に巨大な天災地変によって生じた場合には免責される、ということになっております。そして今回の東日本大震災の地震、津波による発電所事故が「異常に巨大な天災地変による事故」といえるかどうか、という点が論点かと。ただ、「免責される」というのは、この法律に基づく無過失責任であって、一般の不法行為責任まで免責されるかどうかはまた別個の問題かと思われます。

私はCSR(企業の社会的責任)として当然に東京電力に(補償)責任があると思っておりますが、ただ法的根拠もなく、賠償に応じるということになりますと、おそらく東電役員の方々が株主代表訴訟に耐えられないかもしれず、やはり法的責任の有無を論じておく必要性は否めません。そこで、あまり政治に関係する話題は当ブログでは取り上げないことにしておりますが、法的な解釈に関する点のみ意見(解釈試案)を述べておきたいと思います。なお、以下の解釈は、漠然と私が考えていることをいちおう文字に表現したにすぎず、それ以上でも、それ以下でもございません。ご異論、ご批判もあろうかとは思いますが、あくまでも一個人のブログネタ程度にお考えください。

「原子力損害賠償法」は基本的には①事業者の権利制限を伴う取締法規たる性質、②有事の際の行政組織法的性質、そして③民間企業と被害者との私法的権利義務関係を規律する法律の性質が混在したものであります。そして原則として有事を念頭に置いた「例外的措置」を規制した法律であることが重要かと思われます。つまり最初から「不可抗力」でも事業者が被害者に対して損害賠償を行うことが規定されています。(損害賠償責任というのは、本来ならば加害者に故意過失がなければ支払い義務が発生しませんが、不可抗力でも発生する、という点が「超法規的」「例外的」であり、事業者の権利を制限しているところです)したがいまして、今回の東日本大震災に関連する「原子炉の運転等の事故」による被害者の損害は、原則として賠償責任の対象となりそうですが、では3条1項但書の「異常に巨大な天災地変」に該当し、東電は免責されるのでしょうか。

私は東電の原発事故によって生じた損害は、「異常に巨大な天災地変」によって生じたものではない、と考えます。

第一に、東電の賠償責任の法理は「無過失責任」とはいえ、いわゆる「許された危険の法理」によるものだからです。原子力発電所はもともと非常に危険でありますが、それが社会において必要だから、その運転は違法ではありません。いわば暗黙に社会的に許されて作られているものです。しかし運転稼働することが違法ではないことと、危険に伴う損害発生の負担とは別であります。そのような危険物を建築しておいて、その危険物から収益を上げているのが事業者であるならば、なにか事が起こった場合にはその危険の負担も当然に事業者が負うべきである、と考えるのが分配法理としては正しいと思われます。そう考えますと、この危険分配の例外規定については、きわめて限定的に解釈されるべきものと思われます。同法には、別途第三者による故意の原発攻撃が発生した場合の求償規定が置かれていることからみても(第5条)、よほどの事態でなければ事業者に損害賠償義務が免責されることは考えにくいことが理解できます。

第二に、ではいかなる場合が「異常に巨大な天災地変による原子力損害」かといえば、そもそも先に述べたように、原子力損害賠償法の基本的な性格は法が私人(事業者)の権利義務関係を規制し、私人間の私法的な権利救済方法を規律すること(被害者救済)にあります。そこでは最終的には司法による国家権力の行使が予定されています。また同法は、平時に適用されるのではなく、異常時にこそ適用されることが当初から予定されている法律です(たとえば借地借家法ではなく、有事には罹災借地借家法が適用されるようなもの)。つまり、有事であっても、この法律は国家権力によって平穏に被害者救済が実行されることが予定されています。そして、その国家権力は立法でも行政でもなく、司法であり、もし事業者が本件被害者への損害賠償を履行しない場合には、国家権力によってその強制的実現が図られることが当然の前提とされています。つまり有事といえども、行政が口をはさまなくても、民間にゆだねることで裁判所による被害者救済が図られる限りは、事業者の賠償責任によって解決を図る、ということであります。被害者側からみれば、自力で損害賠償請求権を確定させ、賠償保険制度を活用して、そこから優先弁済を受けよ、ということです。

しかし、天災地変によって司法権すら十分に行使できないような事態ということも想定されます。この法律は(賠償責任保険制度を通じて)本来「民と民」の権利義務関係の履行によって処理されることを念頭に置いておりますので、裁判所という国家権力が機能しないような事態になった場合には、もはや法律の目的を達成することが困難になります。そういったケースとなれば、もはや裁判所による権力行使によって速やかな被害者救済が実現困難になってしまいますので、例外的な対応として同法17条により、行政府による権利救済(あるいは被害者救済の一時的義務の発生)が認められることになります。

つまり「異常に巨大な天災地変」というのは、国家権力のひとつである裁判所の全部もしくは一部が機能しえなくなるような重大な震災を指すものであり、だからこそ「社会的動乱」と並列的に規定されているものと解するのが妥当であります。また、このように文言を制限的に解釈することが、危険分配法理による事業者の責任負担を定めた同法の趣旨にも合致します。今回の東日本大震災については、原子力発電にも一般市民にも壊滅的な被害をもたらしましたが、発電所事故を発生させた要因となる震災は、管轄区域の司法権行使の機能をまひさせるほどの障害をもたらしているようには思えないので、これは原子力損害賠償法3条1項但書の適用場面ではないと考えられます。よって原則どおり、東電は同法によって損害賠償責任を負担するものと考えるのが妥当を思われます。

5月2日未明 追記

ある経営コンサルタントさんがTBされているブログに、原子力損害賠償法制定時における国会答弁の記録が掲載されており、非常に参考になります(コンサルタントさん、ありがとうございました <m(__)m>)

5月 1, 2011 未完成にひとしいエントリー記事 |

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次の主張が全国農業新聞にあった。 全国農業新聞 4月15日 原子力損害賠償 農家 [続きを読む]

受信: 2011年5月 1日 (日) 16時26分

コメント

原子力損害賠償法3条項但書の「この限りでない」という文言の趣旨は、原発建設は国策で推進してきたものであるから、賠償責任は一義的に事業者に負わせることとせず、他の方法(政府一部負担等)でも責めに任ずるとの判断を行政の判断に委ねることもできる、という意味で解釈したのですが、但書のどの部分が免責条項に限定したものであるのかが全く分かりません。是非、解説をお願いしたいと思います。

投稿: もこ | 2011年5月 1日 (日) 08時20分

東北電力の原発(こちらのほうが震源地に近い?)が津波でもなんとか持ちこたえたあたりの事実も先生の説をバックアップする材料たるのでしょうか。
現政権は「国が賠償する」というフレーズに軽さが感じられるので(特に西日本の人にはそのように感じられるかもしれませんが)こういった解釈が広まるといいなあ、と思いました。

投稿: katsu | 2011年5月 1日 (日) 11時18分

こんにちは。いつも拝見しています。
日経ビジネスの最新号(5月2日号)でも、本件がとりあげられています。やはり原子力損害賠償法3条1項但書きについては免責条項ということを前提に解説がなされています。私もこれを免責条項に限定する意味がよくわからないのですが、3条の題名が「責任の集中等」とあるので、ここではとりあえず事業者か国(政府)か、どちらが第一次的な責任者なのかを決める、という意味で「免責条項」と解されているのではないでしょか。勝手な推測ですみません。

投稿: かねだ | 2011年5月 1日 (日) 12時43分

原子力損害賠償法3条の解釈については、様々な意見があると思うし、考慮すべき事項も非常に多いと考えるし、今後の日本の原子力政策との関連でも、その解釈をどうするかも関係するようにも思います。

例えば、第2項の「その損害が原子力事業者間の核燃料物質等の運搬により生じたものであるときは」ですが、簡単に読むと、電力会社ではないと思える。しかし、私の理解では、MOX燃料は英・仏の会社に加工を委託しており、核燃料物質等の発送人とは日本の電力会社であると推定します。そうなると、輸送経路である国外においての損害賠償義務も日本の電力会社が負っていることとなる。

テロリスクをどう考えるか?テロ対策が不十分だとして電力会社に賠償義務を課すのが正しいのか、3条但し書きの解釈は難しいと思います。

原子力政策の推進を電力会社に実施させておいて、一方で、その損害賠償義務を全て電力会社に負わせたならば、政策が破綻するし、法解釈にあたりどうすべきか悩みます。

投稿: ある経営コンサルタント | 2011年5月 1日 (日) 12時46分

皆様、ご意見ありがとうございます。
私は単純に製造物責任法3条と、この原子力損害賠償法3条1項の条文がほぼ同様なので、但書についても免責条項だと認識しています。免責というよりも除外事由を定めたといったほうが良いかもしれません。民法規定を修正したのが製造物責任であり、私人間の法律関係を規制したものですので、原子力損害賠償法のこの条文も、原則として被害者による当該損害の賠償責任という私人間の権利義務関係を規制したものと判断しています。ただ同法の後ろのほうに、賠償責任に関する履行について賠償保険や補償制度に関する規定がありますが、このあたりは行政による取締法規としての意味があるのではないかと考えています。

ご指摘のとおり、解釈にあたっては、原子力事業者と政府との関係など、もう少し考慮すべき点は多いかもしれませんね。最終的な判断権は最高裁判所にあると思いますが。

投稿: toshi | 2011年5月 1日 (日) 13時10分

とにかく被害の補償が急がれる中で、メディアを含め3条1項但し書きの解釈で紛糾しているのは目も当てられない事態です。こんな抽象的な文言の解釈で、今回のような現実かつ複雑な問題が解決するはずはありません。このような議論をしているうちに、本来目的とされるべき「補償」が後回しになり、いずれ「回復できない損害」に変わってしまいます。

政府関係者も、最終的には裁判所が判断することだと言いますが、そこで話が終わってしまっていることが問題です。1次的賠償(支払い)と2次的賠償(求償)に分けて考えるべきです。責任分担の議論よりも「迅速な補償」が優先課題だからです。

まず国と東電で補償原資を積み上げて(責任割合は置いといて)、現実の補償を急ぐ。ここには何らかの立法措置が必要かもしれません。そして、何年か先になるかもしれませんが、補償に目処がついた段階で、求償をめぐる本訴反訴でゆっくり司法判断を仰げばよいでしょう。

投稿: JFK | 2011年5月 1日 (日) 17時31分


jfkさん、ご意見ありがとうございます。
28日に損害賠償紛争審査会の第一次指針案が出ましたが、このなかでもとりあえず東電は合理的な範囲における速やかな賠償をせよ、といった提言があります。我々は被災地法律相談に行きますので、損害賠償の範囲等この審査会の意見に注目していますが、大枠のガイドラインと現場マニュアルの双方が速やかに策定されることを望みます。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/houkoku/1305640.htm
このあたりは政治に関する議論となるでしょうが。

投稿: toshi | 2011年5月 1日 (日) 20時51分

有事対応立法ですから、どうしても抽象的な文言になってしまいますね。いっそのことADRを活用してはいかがでしょうか。

投稿: unknown1 | 2011年5月 1日 (日) 20時57分

ご趣旨最もであり、賛同します。
意見を述べますと、
免責というのは、想定も不可能な例えば、敷地が陥没して原子炉が割れるとか、外国から攻撃を受けて原子炉が爆発するとかのレベルであり、今回の電源損失が回避不可能な事象と考えるには無理があります。
 根拠は3つ
 ○震度・津波ともに高いレベルの東北電力の女川原発が避難所として使用される位に健全であること
 ○東海村の施設では昨年秋以来の国からの指導で津波対策を強化して
おり、その結果今回の事象の深刻化を回避している。
 ○福島第1は昨年6月に数時間の電源消失という自体を経験しているのに対応していない。(ヒヤリハットへの対応不足)
 
 よって、今回は一義的に東電が責任を負うということで進めるしかありませんが、原発の未完成度(最終処理までの道筋が未確立)という経済性上の誤魔化しもあるので、事故処理以外の部分では国家レベルでの設置許可に不完全な部分があるという部分の責任が不透明です。
 具体的には、格納容器のそばにプールを設けなくてはならないという問題です。地下でなく、該当スペースに補助動力電源等があればどうなっていたのでしょうか?
 電源保持(特に冷却時間の確保)の必然性が高く評価されていなかったということが原因と考えていますので、最低レベルでも「免責」はあり得えないと考えます。しかし、その部分を設置許可に反映できるはずであるので、明確に対応を求めていないという点で責任の案分が発生すると考えています。
 
  
 

投稿: 技術者の端くれ | 2011年5月 1日 (日) 22時33分

今後の検証次第ですが、「津波対策や事故時初期対応に問題あり」という
判断が(検証委員会で?、法廷?で)なされれば、東電は会社を清算して
でも賠償に当たらねばならないでしょう。それでは足らないですが…

私が一番気になる、引っ掛かるところなのは…

> 東電役員の方々が株主代表訴訟に耐えられない

という部分です。株主代表訴訟に耐えようとするんでしょうか?
この状況に於いて!

平取クラスはさておき、会長、社長、担当副社長は訴えられるよりも前に
一切の私財(家族分を含む)を投げ打って被災者救済に当たるべきです。
法律以前の問題として。人の倫として。

何も人民裁判をしようというのではありません。
東電の一般社員とその家族の生命と名誉を守るためにも、経営者には
強要される前に決断を求めます。

でないと、この事態がいつの日にかこの国でもテロリズムを呼び起こす
ようになるような気がしてなりません。
かつて関東大震災が昭和恐慌の遠因となり東北の貧困を深め
軍部の独走とクーデターに繋がっていったように…

法律論議だけでは何も解決しない状況なんだと思います…

(なお、私の父は東電の株主です)

投稿: 機野 | 2011年5月 2日 (月) 01時47分

もう一言だけ、場違い発言をお許しください。

いま国民の、警察、検察のみならず、(最高)裁判所への信頼は
大いに揺らいでおります。
内閣や国会の運営、議論にも問題は著しく存在しますが、
このような案件において最高裁に最終的な決断を求めた場合、
大衆を敵に回すような判決であっても
逆に大衆に迎合する判決であっても(最近はこの傾向か?)
大きな禍根を残し、司法制度を、果ては国の秩序を揺るがしかねません。

あくまでも、こういうことだからこそ、政治的な判断によって
解決し完結させるべきものだと思います。

投稿: 機野 | 2011年5月 2日 (月) 01時56分

ご意見ありがとうございます。
技術者さんの根拠のうち、3つめは、本日のニュースでとりあげられていましたね。1つめはKATSUさんもコメントで述べておられるところですね。
私自身、あまり詳しくないもので、すべてのお話を理解することができないのですが、後半部分については非常に興味深いです。このあたりをヒントにして、最近の報道内容をもう一度詳しく眺めてみたいと思います。また関連エントリーの折には、ご教示いただければ幸いです。

投稿: toshi | 2011年5月 2日 (月) 02時08分

機野さん、私もまったく同じ意見です。

「代表訴訟のおそれ」というのは、今一般に新聞等で報じられているので、そのように記載したもので、実は私自身も「これだけ大きな問題のなかで、どれほどバランス的に重視されるべきなのか」とても悩んでいたところです。(ただ、現実に東電の経営者的には考えるところかな、と。)

当ブログは法務ブログです。大きく構えて政治談議に花を咲かせる場ではありません。(私は政治家でも言論人でもありませんし)なんの力も持たない当ブログのなかで、精一杯、議論を展開できるのは「法律談義」になってしまうこと、ご理解ください。また司法謙抑主義は十分に心得ているつもりですので、どうかご安心ください。

投稿: toshi | 2011年5月 2日 (月) 02時19分

管理人です。
いくつか有益と思われるコメントをいただきましたが、特定第三者への誹謗中傷が目立つため、非開示とさせていただいております。
管理人へのご異論、ご批判は全然問題ないのですが、法人個人を問わず、第三者の名誉、信用を毀損する内容のコメントはお控えいただきますよう、お願いいたします。

投稿: お願い | 2011年5月 2日 (月) 09時32分

 感情論は別として、法律論としては、やはり免責に当たると考えるべきだと思います。千年に一度という災害だとすれば、「異常に巨大な災害」と考えることが素直でしょう。「指摘があった」とか、「予想できた」という見解もあるようですが、そのような「指摘」が常識化していたわけではなく、現に政府もその指摘に対して所要の対応を執っていなかったわけですから、これをすべて「東電の責任」と決めつけることには無理があると思います。
 枝野官房長官や細野補佐官の発言は、責任ある政府当事者としては無責任な発言だと思います。

投稿: xyz | 2011年5月 2日 (月) 12時22分

私もxyzさんと同意見です。
先生のご意見であれば、そもそもこの但書が機能する時点で、国(国家という意味ではなく日本人の集合としての国)が壊滅している状態を想定することになり、そのような中では法律云々が意味をなさない状況となってしまいます。
ということは、この但書は「死に条文」となり妥当ではないと思います。
但し、原子力損害賠償法以外に別途、民法上の責任追及は別途検討が必要である点には同意します。

経営陣の私財提供についても、『個人的な感情は別として』、会社制度の否定であるので、役員責任追及の結果でなければ、否定すべきだと思っています。
そもそも国の定めた基準を満たしていないならばともかく、それ以上の安全投資は、上場企業であるならば、経営陣としては、(道義的にはともかく)法的責任については否定すべきかと。
もちろん、その他の責任は別途検討が必要ですが、それは民事上や会社法上の問題に収斂されるべきと考えています。

但し、上記はあくまでも「法的には」です。
「コンプライアンス」という観点からは、積極的な東電の対応を期待したいと思いますが、それとて各役員に破産しろ、というのは行きすぎだと思う次第です。

投稿: 場末のコンプライアンス | 2011年5月 2日 (月) 14時28分

ご意見ありがとうございます。

場末のコンプライアンスさんのご意見には若干誤解があります。
エントリーにも書いたとおり、とくに日本の司法作用がすべて壊滅状態になることを述べているわけではありません。管轄地域の社会的動乱にも類似するような状況であれば・・という意味です。

投稿: toshi | 2011年5月 2日 (月) 14時47分

先生、コメントありがとうございます。
わたしも見直して、誤解を生じる記載ぶりだなと、反省しています。
さすがに日本全国という意味ではなく、特定エリアにおいて、という趣旨でした。
ただ、今回以上の災害、というのは果たして考えうるのか?という点は疑問としては変わっておりません。
社会的動乱で今回以上の災害を引き起こすことができるのか?今回以上の天災が生じうるのか?という点において、はなはだ疑問なわけです。
で、感想のレベルになってしまって甚だ恐縮ですが、但書は「死に条文」ではないか、と思ってしまうわけです。
ある経営コンサルタントさんのTBを拝見しても、立法当初の答弁がどれだけ現時点に意味を成すかという点はありますが、不可抗力がポイントであるようですので、その点からも免責が妥当と思うわけです。
もちろん、すでに各報道で予見可能性があった等の報道がありますが、法治国家を前提とすれば、国の基準があり、それを遵守している限りにおいては、(法的な意味においては)不可抗力と評価するのはやむを得ないのではないかと思う次第です。
そして、その基準制定過程等についての非難は、法律問題ではなく、政治問題であると考える次第です。

重ねて主張しておきますが、あくまでも「法的には」です。
「コンプライアンス」という観点からは、積極的な東電の対応を期待したいと思います。

投稿: 場末のコンプライアンス | 2011年5月 2日 (月) 20時59分

補償問題の入り口ではなく求償の場面で議論されるべき論点であることをことわったうえで、、

私も、この3条1項但書は相当に限定的なシーンを規定したものだと考えます。「巨大」の前に「異常に」という文言が置かれていることが最大の論拠です。大きいでもなく巨大でもなく異常に巨大と言うのですから、過去に例を見ないような特殊な天災地変ないし社会的動乱をいうものと解すべきです。あえて間違いをおそれず喩えると、原発周辺への隕石衝突のように、理論的にあり得るかもしれないが予測を試みること自体不合理とみえるような事態を指すと思います。
また、本件の解釈において東北地方太平洋沖地震そのものの規模を評価しても意味がなく、あくまで原発所在地におけるそれを評価しなければなりません。
原発所在地の揺れはどうだったでしょうか。過去に何度も起きている規模の地震です。津波にしましても、この沿岸では有史以降だけでも現実に複数回起きている規模の津波です。つまり、ひいきめにみてもせいぜい「大きい」ないし「巨大」程度であって、「異常に巨大」とは言い得ないのではないでしょうか。

さらに、toshi先生のおっしゃるように3条1項がそもそも無過失責任の規定であるならば、但書が除外している場面は通常考え得る不可抗力を超えるようなものと解さないと論理的におかしくなります。

ちなみに、成立した法令の解釈は文言解釈をもって行うのが基本ではないでしょうか。立法者の権威が強かった時代の古典的な法律ならばともかく、いったん担当者の手を離れたあとは役人の答弁を過大に重視せず内在的に解釈するのが現代法の解釈姿勢ではないかと思います。

投稿: JFK | 2011年5月 3日 (火) 02時23分

結局、最終的には最高裁の判断になってしまうのでしょうかねえ。

「異常」か「異常でない」か、なんて、法律の素人からみると言葉遊びにしか思えないのですが。

津波は「異常に巨大な天変地異」であった、としておいたほうが、異常だったからこそ放射能漏れが起こった(異常でなければ起こらなかった)ということになり、今後の原子力開発の存続に繋がるようにも思います。

これが「異常でない」とすると、異常でなくてもこういう非常事態が起こるのなら「異常」なら日本が滅びるのではないか、原子力発電なんてとんでもない、ということになります。(実は非常事態ではない=死者は発生してないし、という捉え方もありますが)

つまり、東電の存廃、エネルギー(原子力)政策、そして被災者救済と密接に絡み合うわけであって、やはり極めて政治的な判断になってしまうと思うんですけどねえ。
「異常に巨大」の定義がきちんと定められていなかった以上、法解釈論議をすること自体不毛ではありますまいか。

もしも最終的に最高裁で判断されるのであれば、被災者のことを第一にかつ実質的に考えた判決を願うばかりです。しかし、それっていったい何年掛かりますか(絶望…)

投稿: 機野 | 2011年5月 3日 (火) 17時38分

我々弁護士はADR(裁判外紛争処理)で個別に被災地の紛争早期解決を図ろうとしていますが、たとえば18条(17条だったかな?)の紛争処理審査会で、「被災者」の概念同様に「異常に巨大な天災地変」の定義をガイドラインとして決めてしまうのはどうでしょうか?もちろん、紛争ありきの話なので、政治的な判断で詰め切れない場合、ということですが。

投稿: toshi | 2011年5月 3日 (火) 17時58分

国のエネルギー政策、更には世界に対する日本からのメッセージにもつながるような側面も含んでいるし、電力業界や電力供給の日本における枠組論にもつながっていくと私は思います。

例えば、電力会社が今の日本法令による原子力関係の債務(特に燃料リサイクルと放射能廃棄物に対する債務)が、IFRSで認められるか?IFRS対応が困難であれば、その対応を電力会社は放棄するのか?巨額の社債債務(日本原子力を含む10社の有利子負債合計21兆円弱-2010年3月末)がある会社が、それでよいのか?様々な課題があると思います。

従い、政治的な判断になってしまうと思うのですが、多くの人達が議論を公開して実施をし、国民の参加があるかたちでの政治的判断と考えます。

投稿: ある経営コンサルタント | 2011年5月 6日 (金) 12時25分

毎日拝読しておりますが、投稿は久しぶりにさせていただきます。
東電社長の発言に感情的に反発したのは多くの人同様私もそうでしたが、先生の論理的な見解を拝読して率直に賛同します。
また、投稿者の多くは心情的にはそう感じながらも「でも、但し書きの文を素直に読むと、免責が適用されるのでは?」と論じているように感じますが、こういうアングルからはどうでしょう。
すなわち、「異常に巨大な天変地異」には違いないが、では「過去に例を見ないほどの巨大災害だったか?」というと実は「No」なのだ、という見地からの考察です。
ご存知のかたも多いと思いますが、三陸沖には明治29年と昭和8年に大津波が襲っています。特に前者の死者は2万6千人を超えています。こんにちほどの人口密度はなかったわけですから、数字で言うのは心苦しいですが、住民の死亡率は今回を大きく上回っているのです。何を言いたいかといえば、今回の地震も津波も「想定できないものではなかった」ということです。なるほど、三陸沖と福島は位置的に少し異なりますが、しかし、原発というリスク産業を営む者なら、最悪の事態を想定して最大級の対策を講じていなければならなかったはずです。しかし、防潮堤1つとっても想定して高さは貧弱なものであり、およそ過去の津波災害を真面目に研究した結果の対策とはとても思えません。
ですから、今回の件は「想定できた」のです。ですので、「免責云々などはそもそも問題外、論外なのだ」とすら思います。
なお、過去の津波災害について、身近に入手できる文献としては、故・吉村昭さんが1970年に上梓した「三陸海岸大津波」が文春文庫で読めるので、特にこれまでの投稿者の皆様にはお薦めします。現地を徹底的に取材し、そして三陸沖海岸を愛していた作家による厳密な調査と記録です。これを読まずしてそもそも今回の津波災害は語れないと思います。
長文失礼しました。

投稿: 伊藤晋 | 2011年5月 7日 (土) 03時31分

経営コンサルタントさん、伊藤さん、ご意見ありがとうございます。そうですか、吉村昭さんの本、いまとても売れているようですが、やはり必読なのですね。

IFRSと原発債務の関係は、最近よく話題になりますね。私はよくわからないのですが、電力会社ではどのような方針のもとで処理されるのか、関心があります。今回の件ではコンサルタントさんと意見が異なりますが、どうしても法律からみた原発事故、ということでないとこのブログでとりあげる価値が見いだせなかった、という点をご斟酌いただければと。

投稿: toshi | 2011年5月 8日 (日) 01時08分

初めて投稿させていただきます。
福島第1原子力の事故の関して、原賠法の無過失責任のあり方は、今回の大震災で重要な論点であると思います。
その中で色々な感情論が入り乱れているのは、困ったことだと感じております。
素人なりに感じたことは、地震なり津波なりの自然災害を原因として、発生した事故であって、責任がないとされたとしても、その事故の影響を、専門家として、どの様に合理的に食い止めたかという責任も検討されるべきものと思います。

東電が原賠法で免責された場合も、民法上の免責はあり得るのでしょうか?
私なりに考えると、電源喪失で、緊急冷却装置が停止したあと、早期に電源を復旧する等の処置が遅れて、水素爆発なるものに至ったように思えます。
電力会社が、電力の専門家として、早期に電源を復旧する義務というのは無いのか?その義務は、原賠法の免責の範囲なのか、あるは、民法上の善管注意義務違反?なのかが、争点になるのではないかと思います。

どなたか、コメントいただけると幸いです

投稿: 法律素人 | 2011年5月16日 (月) 10時43分

コメントありがとうございます。
私も全ては回答できませんが、原子力損害賠償法と民法では、免責条項が登場する場面が異なりますから、別個に検討すべきものと思います。あくまでも原賠法および民法上の契約条項、それぞれの解釈問題だと思います。そのうち、民法上の免責約款の法的紛争は発生すると予想しています。
原子力・・・のほうは、また与謝野さんが話を蒸し返しておられるようですね。

投稿: toshi | 2011年5月17日 (火) 23時29分

法律専門家の方のブログだけあって、冷静な論が比較的多いことにホッとします。いつもながら感情論の横行している世論の現状をとても残念に思っています。

山口様の論もなるほどと存じますが、私の論は「ある経営コンサルタント」さんとほぼ同じです。

非常に単純化して申し上げれば、いち企業に、国家以上の責務を負わせることができるかということだと思います。

国の安全基準は、国家として想定している事態を考慮して作られています。東電はそれに従って、原発を設置・運用してきました。

しかし、今回の災害に対しては、国家基準では対応できなかったのです。東電は、国家が想定する以上の災害を想定して、原発を設置・運営する法的義務があったのか。私ははなはだ疑問に思います。

私は、本件は第3条但し書きの適用を受けた上で、東電の責任は通常の不法行為論により扱われるべきだと考えます。

投稿: 災害関係行政法令に携わる者 | 2011年5月26日 (木) 02時42分

災害関係行政法令に携わる者さん、コメントありがとうございます。浜岡原発停止の際にも痛感したのですが、営利企業とはいえ、電力会社の公企業としての側面を、どの程度行政法理論に盛り込むのか、またこういった原子力損害賠償に盛り込むのか、思い悩むところです。今後の参考にさせていただきたいと思います。

なお、国家基準では対応できなかったレベルの災害だった、とありますが、この点、私としては国家基準に従った安全設備を設置していたからこそ、東電には過失がないことは理解できます(あくまでも理屈として)。ただ、無過失責任を基本とする当法令の解釈において、事故の損害賠償責任を「免責する理由」として、この国家基準への対応ということを持ち出せるのでしょうか?国家が想定する以上の災害を想定して原発を設置する法的義務を論じることと、免責規定の解釈とは結びつかないように思うのでありますが、このあたりはいかがなもんでしょうか。東電の規範的な問題とは別途、この免責規定を解釈する意味があるものとしてエントリーのように考えた次第です。

投稿: toshi | 2011年5月29日 (日) 18時36分

法は全く素人です。ただ”その損害が異常に巨大な天災地変によつて生じたもの”というのはこの条文の有効性、解釈などの法律論以前に技術、医学的に無理ではないですか。①炉は1970年代最初で非常に古く何らかの要因での事故は可能性があった。浜岡1,2号はより短い32年間で、対策費の面から事故前に停止し廃炉が決定している。②地震津波ともはるかに大きかった女川原発は無事であった。やや離れた福島第二も停止している。震源地ではまれなる地震津波でしたが、福島の国内では十分想定内の震度6での設備のダメージも事故の原因。③他者への損害は放射性同位元素の放出であったが、周囲に原理上かつ科学的に無いと東電は公言し、宣伝を行ってきた。④過去の災害の指摘がある。

投稿: 医邦人 | 2011年5月30日 (月) 23時26分

ご多忙中にコメントをいただき、恐縮しております。誠にありがとうございます。

山口様の論旨は、「無過失責任」の規定である以上、「法的義務」を果たしていたとしても(すなわち無過失でも)責任を負わなければならないのではないか、ということかと存じます。しかし、そうした場合、但し書きの存在自体が、本条の規定自体に矛盾することになってしまうような気も、個人的にはいたしております。

また、仮に、国による把握とは無関係に、過去の災害の有無という事実によって、但し書きの適用の可否を決定しようとしても、事実上それは困難ではないかと思うのです。特に裁判になった場合、裁判所は、国による過去の災害の把握から独立した事実認定はできないだろうと思います。

というのは、研究には、「過去に○○の被害が発生した災害があった」とするものが無数にあり、どれが正しいのか、とても判断がつくものではありません。多くの研究成果や学説等を踏まえ、これに結論を出しているのが中央防災会議等の機関です。中央防災会議でも認定してこなかったような過去の災害について、その有無を判断するというのは、裁判所の能力を超えるものだと思うのです。

乱暴な言い方をすれば、裁判所が「あった」と言えば過去にその程度の災害があったことになり、「なかった」と言えばなかったことになる、というのは、説得力を持たないだろうと思うのです。この点、通常の事件の事実認定とは異なるのだろうと考えております。

投稿: 災害関係行政法令に携わる者 | 2011年5月30日 (月) 23時55分

中部電力に対する浜岡原発運転差止民事訴訟での2007年10月静岡地裁の第1審判決で、裁判所は、原子炉施設の運転によって、原告らの生命、身体が侵害される具体的危険があるとは認められないとして、原告の訴えを退けています。この判決には、対震安全性に問題がないとする判断も含まれています。研究成果や学説、さまざまな機関・組織の、その当時において最も合理的とされた考えに基づく判断であったと思います。

そのように考えると、事業者が法令規則以上に安全性を確保する義務があるのは当然ですが、どこまでのレベルかとなると、株式会社であることと需要家に対する相当の料金確保等から、青天井とはいかず、ある一定のバランスを取ることにならざるを得ないと考えます。また、そのバランス点について、おそらく監督官庁とも意見交換せざるを得ないと思います。

そこで、事業者に対して賠償責任について、どう求めるかを、原子力損害賠償法の範囲内のみで結論を出すことではなく、更に大きな枠組みで考えるべきと私は思っています。

更に、私の現在の考え方は、原子力発電については、再編成を行い、地域区分された一般電気事業者から切り離して、別の新会社で実施するのが良いと思っています。

投稿: ある経営コンサルタント | 2011年5月31日 (火) 14時07分

皆様、ご意見ありがとうございます。
法律雑誌の「ビジネス法務」7月号で、本論点についての解説記事が出ていますね。もしお手元にございましたら、解釈論も含めてご参考にされてはと思います。
それと、どうも本解釈については、実際に大手法律事務所さんや、東電のメインバンクさんも含め、本格的に検討が開始されているようです。ちょっと場末のブログといっても、気軽にコメントしにくい雰囲気になってきましたね。

投稿: toshi | 2011年6月 4日 (土) 11時57分

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