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2011年6月20日 (月)

東電の原発事故直後の対応と有事における情報開示の意義

このたび、旬刊商事法務最新号(1934号)の巻頭論文として「内部統制報告制度の見直しと今後の実務対応」なる論稿を掲載していただきました。金商法と会社法の交錯部分といわれる「財務報告に係る内部統制」について、法律実務家の視点から整理を試みたつもりでありますので、内部統制実務に携わる企業実務家の皆様、ご関心のある法律家の皆様にお読みいただき、また忌憚のないご意見、ご批判をいただければ幸いでございます。<m(__)m>

さて、同じ商事法務さんですが、7月に発売されます法律雑誌「NBL」におきまして、このたびの東電さんの安全確保体制の構築と有事対応、とりわけ情報開示の在り方に焦点をあてた論文を掲載させていただくことになり、ほぼ原稿を書き終えたところで、東電さんから6月18日、重要な報告書がリリースされました。新聞等でも報じられておりますので、皆様もすでにお読みになった方もいらっしゃるかとは思いますが、震災直後の原発事故への東電の対応に関する時系列的報告であります。

東北地方太平洋沖地震発生当初の福島第一原子力発電所における対応状況について

上の(NBL)論文でも若干触れているのですが、私はこのたびの東電さんや、震災で大きな損害を受けた上場企業さんの情報開示を読み、また数社程度ではありますが、震災時のBCP(事業継続計画)の実効性検証などから、あらためて有事における企業の危機管理としての情報開示の意義はいくつかに区別することができるものと考えております。あるときは、ステークホルダーの生命・身体・財産への切迫した危難を回避するためのもの、またあるときは、経営陣の経営判断を監視するために、良好なコーポレートガバナンスを実現するためのもの、そしてまた、時には社外第三者と協力して、社内における危機を乗り切るための方策を検討するためのもの、といったところであります(これがすべてではありませんが)。

上記の東電さんのリリースを読んで感じたところではありますが、震災直後の原子炉緊急停止から、手動によるベント作業に至るまで、専門用語がかなり頻繁に使われており、また原子炉別に区別されてはいるものの、時系列に沿って淡々と発生事実が語られているので、おそらく一般の方々には何が発生し、東電さんがどのような対応をしたのか、またそれが誰の意思決定によってなされたのか、というあたりは一回読んで理解するのが困難ではないでしょうか。

これは社外の第三者の叡智を結集して、東電の事故原因を調査し、さらに今後同様の事故が発生した場合に、どのように対応すべきか、その再発防止策を検討するためには有意義な情報開示であると思います。しかし、周辺住民や原発事故の被災者、周辺事業者に対して、発生している事態がどのようなものであり、ステークホルダーがどのように対応すべきか、を自己判断できるための情報開示としては不十分なものではないかと。また、そこで報告されている内容が、どういった指揮命令系統によって、判断されたのか、という詳細にまで及ぶものであれば時間を要するものと思いますが、発生事実を淡々と記述しているところが多く、たとえ現場作業員の証言に基づくものといいましても、開示に至るまで3か月を要するものであるのかどうか、疑問を抱くところであります。

震災以降の3か月、東電さんの情報開示に疑問が呈される事件はいくつかございましたが、東電さんの役員の方々の責任問題とは切り離して、危機対応としての情報開示の在り方を論じることは重要なことだと思っております(2002年の東電さんの原子炉点検データ改ざん事件の際は、経営トップ含め数名の責任問題によって情報開示に関する構造的な問題が語られることはなかったのではないかと思われます)。元社長さんは毅然と「東電の情報開示はベストを尽くしてきた」と記者会見で語っておられましたが、東電の抱いている「ベストな情報開示」とは何か?このあたりをぜひ、知りたいところであります。今後、震災直後の東電さんの事故対応については、平時における東電さんの安全確保体制の整備問題や、役員さん方の責任問題も絡めていろいろと検証される機会が増えるとは思いますが、二度と電気事業会社のコントロール不能となるような原発事故だけは発生させてはならないことを今回十分に国民が認識したわけですので、東電さんには、(HPを閲覧すれば、これまでも相当に情報開示の姿勢は真摯なものであることは理解できますが)企業の社会的な責任としてどうか詳細な情報公開を果たしていただきたいと願うところです。

6月 20, 2011 商事系 |

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コメント

 ずっと勉強させていただいています。レベルが高すぎて投稿は控えていましたが、関係する部分もあるので、企業の方のご意見も聞いてみたいですし、少し問題提起の真似事でもできればと思い書きます。
 おそらく東電の情報開示について批判しか出てこないように思います。また大会社らしいあきれるようなことはたくさんありました。
 ただ、検証というのは、やはり後になっての話で、問題はその時に対応する方策の是非が問われなくてはならないと思います。多くの企業の危機管理マニュアルでは、「発生後直ちに社長を本部長とする危機管理本部を立ち上げ、情報を収集して各ステークホルダーに情報を発信し…」とかなっていないでしょうか。しかし、単なるというか大方想定できる危機とクライシスは根本的に違います。何が一番違うかというと、事態が分からない、掴めないのがクライシスです。シナリオ型の危機管理訓練をされている企業が多いようですが、何が何だか分からないときに何をどう情報開示していくのか、ということへの視点が足りないように感じています。
 一つの道はある情報は全部出す、ですが、その時の情報は矛盾することも多いですし、集約する余裕はないことの方が多いと思います。出さないと出せないを精査する必要があるのではないかということです。
 法的な責任の視点で先生はエントリーされているのに、横道にそれて申し訳ありません。ただ、情報開示を簡単に捉えて話されることが多いのですが、クライシス時は情報があってそれをどうするかという場合ばかりでなく、集めること、全体像を見極めることに汲々とするものです。多くの良心的企業が苦労するのは集め、判断する部分だと思います。隠蔽など論外のケースと区別しながら情報開示の問題は考える必要があるのではないでしょうか。

投稿: tetu | 2011年6月20日 (月) 19時18分

tetuさん、ご無沙汰しております。また、ご意見ありがとうございます。毎日のように東電さんの情報開示問題が新たに出てきますので、フォローするのもたいへんです。

そうですね、情報開示というのは、私も情報コントロールと同種に扱っているつもりなので、たしかに情報の集約も重要かと思います。たとえば情報が出ないことを、一般の人たちがどう思うのか、という「不作為による開示」なども問題となりそうです。そう考えますと、情報の集約こそ大切なのかもしれません。法的な問題というよりも、組織の構造的な欠陥の問題として理解したいと思います。

また以前のように、どしどしご意見いただければ幸いです

投稿: toshi | 2011年6月22日 (水) 01時10分

連日、キレかかっているもので、論旨不明確な投稿をしてしまい、反省しています。
実務者にも提起されたことで、2点考え方をお教えいただければと思います。
1点目は、平時のネガティブ情報の開示方針についてです。対社会の開示に限定してですが、大きな企業の多くは原則「非開示」で開示は例外のように感じています。会社の損になることはできるだけ出さないということです。総論では「企業の情報開示は社会的責任」とは言いますが、個別ケースになると別で、顧問弁護士の意見も「非開示が原則」ということがよく起こります。
で有事になったとします。開示を検討する情報の多くはネガティブ情報になります。今回で言えば、会社の存続に繋がる究極のネガティブ情報です。「社会正義」としては開示されなければならないのですが、「会社正義」もそうなのでしょうか。突然平時に叩き込まれた基準と真逆の決断を求めているような気がしてなりません。いつも平時からネガティブ情報も誠実に開示することが結局信用がアップして得だと、説得するのですがまず受け入れてもらえません。偉くなる人は原則非開示派でないとなれない仕組みのようです。つまり有事の際だけネガティブ情報を含めて積極的に開示するということは可能だろうかという疑問です。
2点目です。情報の事実と評価についてです。情報開示では「適時・適正」が求められます。その一方で、「不確定・推定情報の開示は厳禁」と指導されます。平時やイメージできる危機時には、この両者はある程度両立できると思うのですが、今回のようなクライシス時に発信側はどう考えればいいのだろうか、という疑問です。専門家が相手ではない対社会での開示では、開示方法はメディアを通じた記者会見などとホームページでの開示で行われると思いますが、事実・データを並べるだけでは「それでどうしたらいいか」が分からないことがよく起こります。そこで冒頭の2つの命題と向き合わなければならなくなります。今回のような極端なケースばかりでなく、常に悩まされる命題です。「早く・正確で正しい見通しを責任もって開示する」というのはやはり絵に描いた餅だと実感します。責任追及・損害賠償というプレッシャーがなければ、もう少し開示の決断が付きやすいのではないかと思うので、お考えを知りたいのです。

まだ現在進行形ですが今回、「マニュアルの敗北」と「情報鎖国」を痛感しました。エントリーを待っています。3日間が勝負だったと思いますが、そこでマニュアルがどう影響したかは企業統制の要に関わる課題ではないかと思っています。

投稿: tetu | 2011年6月22日 (水) 10時29分

tetuさん、連日の投稿、ありがとうございます。
開示に関する問題についてこれだけ論点提示されるのは、たいへんうれしく思います。
こういった問題を世間一般の方が疑問に思っていただけることがたいへん意義があると思います。
私自身1点目も2点目も、持説をもっておりますので、このブログでも少しずつではありますが、これまでも開陳してきたつもりです。またTETUさんのご希望どおり、今後もこういった問題をどう考えるべきか、たとえば情報開示にむけた社内のインセンティブも含めてお話していきたいと思っております。

投稿: toshi | 2011年6月23日 (木) 01時38分

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