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2011年6月 6日 (月)

日本企業の人事評価制度とコンプライアンス

土曜日(6月4日)の社外取締役ネットワーク(関西勉強会)は、武富士事件最高裁判決にみる租税法律主義(租税回避・脱税のグレーゾーン)、そして「トヨタ危機の教訓」(ジェフリー・K・ライカーほか著 日経BP社)を題材としてガバナンス問題を考える、というもので、いずれも私的にたいへん興味のあるものでありました。弁護士としての本業からみると、武富士事件判決に関する諸問題のほうに断然関心がございますが、本日は後者(トヨタ危機の教訓)に関するお話であります。

この「トヨタ危機の教訓」によりますと、今回のリコール危機が広がった大きな要因のひとつに(豊田章男社長も認めておられるように)米国と本社との間で状況認識と危機感に約3か月のギャップがあったことが掲げられております。これは今回の原発事故における東電の危機対応にも共通する問題のように思います。

企業の有事対応に不可欠なものとして、よく「危機感の共有のための情報伝達」ということが指摘されます。誰かが企業にとって重大なリスクを認識しても、これを「重大なリスクである」という認識が経営トップを含めて共有されなければ、指揮系統が機能せず、リスクに対応する有効な統制手法はとられない、ということであります。

私自身、リコール支援や不正調査の仕事をしていて感じますのは、「危機感の共有」というのは理念としては理解できるのですが、果たして日本の組織のなかで、現実に「共有」することは困難ではないか、との疑問であります。日本の企業における人事評価は「減点主義」であり、一回×(バツ)が付くと敗者復活戦はない、したがって自分に「×」がつきそうな情報、自分の上司もしくは部下に「×」がつきそうな情報については、これを全社的に共有せずに自分の中で抱え込んでしまう傾向にあるのではないでしょうか。自分だけでなく、自分の将来に影響を及ぼす人の問題についても情報は開示せず、だれも本当のことを言わない(思っていることを言わない)企業風土、というものがあるのではないかと。

私はこのような意見を勉強会で申し上げたところ、現役の社外取締役の方々からいくつかのご意見をいただきました。

意見その1:たしかにそういった風潮はありますね。ただ、自分に×がつきそうな情報を自分ひとり、または自分の部署で抱え込んで黙っていても、その×を別のところで埋め合わせできることも多いのですよ。自分の減点になりそうな情報を隠していたからといって、それが全部組織の失敗につながるのならば反省もしますが、「個人の失敗は個人の責任、個人の功績は部署の功績」という風潮に救われているところもあるのではないでしょうかね。

 

意見その2:たしかに減点主義は人事制度としては問題ですね。でもね、加点主義の人事制度とした場合、その加点は誰が判断するのですか?加点を評価できる人材が社内に本当にいるのでしょうか?そのデメリットを考えた場合、減点主義による人事評価がもっとも社員にとって公平な制度ではないでしょうか(いまのところ、これはやむをえないのではないか)。

 

意見その3:減点主義の最たるものが官庁や独立行政法人。民間企業はまだましなほうではないでしょうか。会社が順調に売り上げを伸ばしているときに、後ろ向きの意見を言える勇気のある人はまずいないでしょうね。ミスすれば個人の責任になりますが、その意見で会社が救われたとしても、それは個人の評価ではなく、組織の評価としかみなされませんね。

福島原発事故に関する東電の情報開示体制が批判されているところでありますが、東電幹部が事故当初から事故情報や対応に関する報告をわざと隠ぺいしていた、ということであれば言語道断であります。しかし、すでに当ブログでも述べておりますとおり、私はどうも①こんなに大きな問題に発展することは当初からは思いもよらなかった、②自社だけで解決できる問題である、との慢心があった、③まちがった情報を流して、後日問題にされることは回避したかった、といった正当化理由が複合的に存在し、先のトヨタリコールの事例と同じく、危機感や状況認識を共有できる状態ではなかったことが大きな要因だったのではないか、と考えております。

「あいつに今回×をつけてしまったら、将来にキズがつくから、今回はうやむやにしておこう」とか「今回私が真実を述べて、上司に迷惑がかかるのだったら、このまま黙っておこう」という考え方が、普通に社内の常識的判断であるならば、コンプライアンス経営に不可欠な「風通しの良い企業風土」「情報の自由な伝達」といったものは単なる美辞麗句に過ぎないものになってしまうわけでして、ここにも思考停止に陥らない具体的な問題提起が必要なのではないか、と。

たとえば「減点主義」の人事評価が避けられないものであるとすれば、その減点は「平面軸」と同時に「時間軸」をもって評価されるべきではないでしょうか。社内調査によるセクハラ認定は、セクハラ行動指針への客観的な該当性判断(平面軸)と同時に、当事者間の過去における属人的な関係事実(時間軸-たとえば教育的な行動があったかどうか、交際期間が存在したか否か等)も合わせ考慮して、最終的な判断を下します。人事評価における減点判断ということも、こういった時間軸要素も含めての判断、ということを明確にするといったことも考慮されるべきかもしれません。(この点は私にサラリーマン経験がないもので、あくまでも拙い知識経験によるものでありますが・・・)

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コメント

人事については、制度設計は確かに重要です。
しかし、何といっても経営層の意識次第で、どのような制度でもその短所を補うことができますし、長所を失わせることとなると思います。

俗に上位者の行動を見て、自らの行動を決定するような風潮を「ヒラメ」といって嘲ることがありますが、これは卑下する一方で、ある程度の真実が含まれていることからくる、自嘲の部分もあるのではないでしょうか。
つまり、どんな制度でも(個々人レベルでは立派な方もいるでしょうが)最終的には上位評価者の姿勢を見ながら行動するのが自然かつ不可避なのであって、制度の問題にするのは、本質的ではないような気がしています。

社外役員の方のコメントは、その点を踏まえられた判断ではないかと思って読んでおりました。
加点主義であれば、身のないパフォーマンスが評価されてしまうリスクがあり、減点主義であれば余計なことはしないという日和見的人種が増える恐れがあるでしょう。
それらを排除できるのは、結局、人、ではないかと。

ちなみに危機感の共有の点、日本だから、というようなものではないかと。外資だって起きるときはおきます。また、加点主義だって起きるときは起きるかと。隣の芝は青いの例えに近いのではと感想を持ちました。

個人的には、トヨタの件は経営陣の判断ミスを状況認識と危機感のギャップということばでごまかしているようにしか思いません。(ここは過激な意見かもしれません。。。必要に応じて削除ください。)

徒然に書いてしまいましたが、趣旨伝われば幸いです。

投稿: 場末のコンプライアンス | 2011年6月 6日 (月) 16時38分

二十数年サラリーマンをしております。入社したてのころ読んだ嵐山光三郎氏の「超道徳本当講座」なる本に、サラリーマンの心得(氏の皮肉です)として、「連絡は早めに、結論は遅めに」という説がありました。その心は、みんなに知らせてしまえば、責任が拡散して個々の責任は軽くなるため、「早く連絡」。誰も結論は出したくないから「結論は遅めに」ということだったように記憶します。20年たっても、覚えているのは、日本の組織の動き方の一面を良く言い当てているからではとも思います。
であるとすると、横領のような個人的犯罪行為は別にして、普通のサラリーマンが起こしがちな、不祥事のよくあるパターンとして、責任を背負い込んでしまって「連絡が遅くなる」パターンと、「みんなで結論を出さずにぐずぐずしている」うちに、事がでかくなってしまう。というのが、導き出せるのではないでしょうか?

投稿: MAX | 2011年6月 7日 (火) 23時22分

皆様、ご意見ありがとうございます。

「加点主義であれば、身のないパフォーマンスが評価されてしまうリスクがあり、減点主義であれば余計なことはしないという日和見的人種が増える恐れがあるでしょう。それらを排除できるのは、結局、人、ではないかと。」

そうですね。まさにおっしゃるとおりかと。
コンプライアンスの仕事をしていても、また今回の震災危機対応の総括をしていても、行きつくところは「人」だなあと痛感します。

なお、MAXさんの紹介された本、配送料込みで251円で(笑)アマゾン買いしてみました(古本ですが)。おもしろそうでしたので。

投稿: toshi | 2011年6月 9日 (木) 12時15分

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