« 想定外シナリオと危機管理-東電会見の失敗と教訓 | トップページ | ボトムアップ型のインサイダー情報管理体制の整備とは? »

2011年7月12日 (火)

九電やらせメール(依頼文書)の送付と「規範意識の鈍麻」

「九電やらせメール事件に複数の役員関与?」のエントリーには、多数のコメントをいただき、ありがとうございました。九電では、いよいよ外部有識者による第三者委員会が設置され、社外者を中心に調査がされるそうであります(毎日新聞ニュースより)。やらせメール依頼の事実については、九電子会社従業員の内部告発によって明らかにされた、ということだそうですが、私も最初は「2000通以上も子会社従業員に対して、やらせメール依頼を送信するのであれば、内部告発がなされるのはあたりまえで、それくらいどうして九電幹部がわからなかったのだろう」と考えました。また同旨のコメントもいただいております。

しかし、皆様方のコメントを読んでおりまして、どうもそんな簡単なものでもなさそうだ・・・・・と、少し思い直しております。たとえば従来から開催されていた地元説明会などでは、同様の依頼メールを送っていたのかもしれませんし、子会社も(以前は)組織的に動いていたのかもしれません。そのような中で、いつものように依頼文書を大量に送付してしまったのであれば、ひょっとするとコンプライアンスの発想については思考停止(規範意識の鈍麻)していたのかもしれません。このあたりは、もう少し調査委員会による調査の進展を待つ必要がありそうです。

これまで「規範意識の鈍麻」といえば、「なしくずし型」と「権威付け型」については皆様にもご紹介してきました。「なしくずし型」といえば関西テレビ「あるある大事典」事件が有名です。「許される誇張(強調)表現」と「許されない詐欺的表現」の境界があいまいなために、手綱を締める人がいなくなった瞬間、「視聴率をとってナンボ」の世界であるがゆえに、なしくづし的に詐欺的表現へ傾斜していき、規範意識が次第に希薄化していく、というパターンであります。そして「権威付け型」については、私自身が経験した「司法修習生近鉄電車運転事件」であります。司法修習生の毎年の恒例行事・・・ということだけで、それがコンプライアンス上問題ではないか、といった意識がとんでしまい、だれも問題視せず、後日新聞で問題にされて謝罪会見を開く、というパターン。今回のものは「潮目の変化型」といいますか、経営環境が変わったり、会社経営の危機に至った場合に、世間の会社に対する見方が変わっていることに気づかず、規範意識が鈍麻してしまう、というパターンになるのかもしれません。

実際、「やらせメール」とマスコミがこぞって表現するほどに、時期が悪かったと思います。「空気」が読めなかったのではないかと。平時の説明会であれば子会社従業員も問題にしなかったのかもしれませんが、こういった有事の説明会となると、「本当にやっていいのか。不公正ではないか」といった感覚を持つ方も出てくるわけで、平時には問題とされなかった依頼文書も、有事には大問題とされる可能性は十分にあります。「やらせメールのどこが悪いのか」といった理屈の問題ではなく、いまの時期にやってはいけない、といった空気の問題、世間の風潮の問題かと思われます。たとえばこんな「空気」の中で、九電側が正論を述べたとしても、いよいよ火に油を注ぐことになり、それこそ世論によって九電の対応は「炎上」してしまうのではないでしょうか。

「いままで何も問題が起こらなかったのだから」という九電幹部の方の気持ちがあったのであれば、それも無理からぬところであり、内部告発のリスクなどは考えていなかったのかもしれません。むしろ九電が平時から有事の体制となったにもかかわらず、世間の空気が予測できなかったことに最大のネックがあったように感じます。第三者委員会の調査に希望するものは、教科書的な規範論というよりも、有事における組織力学、行動心理学的な分析を重視したうえでの原因分析であります。

7月 12, 2011 コンプライアンス経営はむずかしい |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104680/52183572

この記事へのトラックバック一覧です: 九電やらせメール(依頼文書)の送付と「規範意識の鈍麻」:

コメント

懲りずに捻くれた物の見方を提供します(笑)。

コンプライアンスという観点からは、社会的要請に応じる観点で、先生のエントリーについては、文句なく、同意する視点です。

が、一歩引いて(いや、踏み込んでかもしれません。)考えますと、「空気」を読むかどうか、に依拠するというのは、衆愚政治、全体主義、といった少数者の意見尊重といった民主主義の反省に程遠い自体ではないかと危惧する面があります。とくにマスコミの論調は、「右へならえ」の危険な香りが漂っていると思います。
〉空気の問題、世間の風潮の問題
と、先生が表現している視点に、とてつもない恐怖感を覚えます。子供社会のいじめ問題にも似たような気がするのです。

本件では、(他のエントリーにもコメントしていますが)意見の内容ではなく、意見のボリュームが問題になるということ自体、(選挙などの多数決論理が基本的に妥当する制度とは異なり)ナンセンスであるはずです。
それにもかかわらず、これほどまでの大騒ぎになるのは、「社会」として危険な流れになっているように思います。
そして、「コンプライアンス」が「社会的要請に対する対応」という部分最適であり、全体最適につながっていないのではないか、という懸念を感じます(そうでないことを祈っていますが。)。

「社会的要請」に対して対応するのですが、「社会的要請」が誤っているときにはどうなるのか、ということなのかもしれません。

見方としては捻くれていますが、普段から感じている問題意識であるので、みなさんのご意見を聞きたいと思い、コメントしました。

投稿: 場末のコンプライアンス | 2011年7月13日 (水) 12時11分

場末さんの今回の御意見は、とくに私の考えと矛盾しているようには思えません。むしろ、そういった問題提起を誰かがしなければいけないと思います。このブログをお読みの方々はご承知のとおり、私は従来から「闘うコンプライアンス」の必要性を訴えてきました。企業価値を守るという視点から、世間のほうが間違っていると考えれば、とことん戦う、という選択肢もある、ということです。それをせずに、納得できないにもかかわらず、謝罪する、というのも、それが企業価値を守るためであれば仕方ないかもしれません。ただ、問題は同じことを繰り返さないためにはどうするか、と誰かが真剣に考えなければならない、ということです。
おそらく今回も、そういった真剣な思考は、会社もマスコミも、世間も(めんどくさいし、社内のことでよくわからないので)放棄して、関係者の処分・・・で終わってしまうのかもしれませんが。

投稿: toshi | 2011年7月13日 (水) 12時32分

いつも先生のブログを拝見致しております。
勉強不足で申し訳ありませんが、おひとつご教示いただけますと幸いです。九州電力が、今般の一連の不正に係る報告書を監督官庁へ提出したとのこと。また、第三者委員会を設置もするとのことですが、これらは適時開示の対象とはならないのでしょうか。「業績への影響は不明」の旨は出ているようですが、それ以外にも、不正自体に言及したものを出すべきかと考えております。先生のご見解(個別事件への言及を避けていらっしゃることは承知しております)もしくは一般的な考え方をお示しいただけないでしょうか。

投稿: 博多ぽんこつラーメン | 2011年7月15日 (金) 02時09分

ここのところ思うことあってロム専を決め込んでいたのですが、場末のコンプライアンスさんからのご提案に対してのレスポンスが未だ乏しいようですので、あえて書き込みいたします。私の考えは「企業に対する社会的要請が必ずしも正当な要請ではないという事態は、未来永劫なくならない。だから監査役はアンテナを高くして、世の中の空気を読み、企業を危険から遠ざけねばならない」です。
詳細については暑くて気力がないので、既存文書(私が社内掲示板に連載している雑文の一部)の使い回しでご容赦ください。

(2010.9.6) こんにちは、監査役のMMです。 前回は、コンプライアンスの本質は「企業に対する社会的要請を正確に把握して、これに応じた行動を確保すること」であるという話をいたしました。また、「企業に対する社会的要請は、時代とともに変化する」とも。
ここで悩ましいことは、「企業に対する社会的要請」が必ずしも正当な要請ではない場合(或いは正確な情報に基づいているとは限らない場合)があることです。
この世の中に100%安全な商品などあり得ません。それなのに、時として、100%の安全を求める消費者がおり、マスコミと相乗して暴走する場合があるということです。

もはや50歳以上の人でないと覚えていないでしょうけれど、昔、「チクロ」という人口甘味料がありました。缶詰や粉末ジュースの素に使用され、私も大量に摂取したものです。この「チクロ」は、1968年にアメリカで発ガン性が示唆され、翌年、日本でも使用禁止となったため、缶詰メーカーの倒産が相次ぎ、いまだに食品業界では語り草になっています(果実缶詰は素材の収穫時期に1年分を生産しますが、それを回収しなければならなかったのですから)。
その後、チクロの発ガン性を否定する研究結果もあり、ヨーロッパ,カナダでは使用されているようですが、日本で復活する可能性は今のところ全くありません。

最近では花王の「エコナ」でしょうか。私もダイエットのため、「エコナ」もせっせと摂取していたものでしたが、2009年に、「エコナ」に含まれる「グリシドール脂肪酸エステル」が体内で分解されて「グリシドール(発ガン物質)」に変化するかもしれないという疑いにより、消費者からの電話が花王に殺到したため、コールセンターを視察した社長が撤退を決意したのです。
花王には論戦を受けて立つという選択肢もありました(前記の疑いは科学的に未解明です)が、企業の存続を優先して闘うことを断念したのです。これを卑怯と言うことはできないと思います。

もちろん、私がチクロやエコナの発ガン性を検証できる訣ではないですし、100%の安全を求めて暴走する消費者を馬鹿にするつもりも全くありません。チクロやエコナが市場から追放されたのは、№6で触れたように、企業と消費者とのリスク認識について乖離があったからです。そしてそれは情報の差に起因しています。ですから、企業と消費者とのリスク認識の乖離(情報の差)をなくすことができれば、企業にとっては不祥事の防止につながりますし、消費者にとってはコストの増加を抑えることができることになります。とはいえ実際にはどうしたらいいのか、悩みは尽きません。

(2011.7.19) こんにちは、監査役のMMです。 ここのところの「九電やらせメール事件」を見ていると、「これだけ情報チャンネルが多様化しているようでも、現代人の行動様式って1922年の『世論』(ウォルター・リップマン著,現代認識論の古典,岩波文庫に邦訳あり)に書いてある通りなんだなぁ」と驚いてしまいました。リップマンの所論はさておき、昔から商売にサクラはつきもの。ネットの時代に入っても、それは全く同じです。私がよく行く東京の老舗蕎麦屋「Y」なんか、ネットの口コミに「和服姿の女将さんが、ゆったりしながらもどこか涼やかで、一見の価値あり」なんて書いてあるんで、「お前(高校の同級生です)、自分で書き込みしてるだろ」って言ってしまうほど。

そもそも経産省の原発説明会に対する賛成・反対意見に政策決定の意味合いはなく、どうでもいい話。だけど九電さんにしてみれば、営業推進上、賛成の声がたくさん欲しかったのでしょう。つまり、サクラ・マーケティング。それは営利企業だから当然の話だと思います。
問題はここから先で、「やらせメール」の件が番組放映前からネット上で話題になっていたのみでなく、報道各社からの問合せがあったにもかかわらず、九電(広報)さんが真っ向から否定し、7月6日の国会質問で明らかになるまで対応をしてこなかったということでしょう。
時節柄、組織ぐるみで「やらせメール」を指示するということ自体、必ず内部告発が予想されますから、同社の危機管理能力に疑問を持ってしまいますが、やってしまったものを無かったことにはできないのだから、報道各社の問合せがあった時点で、広報から経営に情報が上がらなかった(握り潰された?)ことが残念です。それにしても、マスコミ各社の九電バッシングも異常だと思います。イエスの言葉(ヨハネ8章7節)を借りて言えば、「あなたたちの中で『やらせ』をやったことがない者が、まず九電に石を投げなさい」ということじゃないのかな。

7月7日に山形家裁が、京都大学入試に際し、携帯電話でネット掲示板に回答を募った問題で、偽計業務妨害の非行事実で送致された19才の少年を不処分とした件も、別の意味で驚きです。
入試のカンニング程度の問題で「逮捕」とか「ギケーギョームボーガイ」とか、何か世の中、狂ってるんじゃないかと思う私の方が狂ってるんでしょうか。私は「カンニングごときで、そんなに大騒ぎするなよ」というのが正直な気持ちです。すると「その子が合格したら、本来、合格できたはずの子が落ちることになる」という反論が容易に予想されますが、「ど~でもいいじゃないですか、そんなこと。その子の運ですよ」と思う私はやっぱりオカシイのかなぁ。夏目漱石も正岡子規も大学予備門(現在の東京大学)にはカンニングで入っているんだけれど・・・・・

投稿: skydog | 2011年7月17日 (日) 15時43分

となると、「営利企業たる電力会社になんか、絶対に原子力発電など(怖くて怖ろしくて)触らせては絶対にいけない!!!!」ということになりますよ。

何度か書きましたが、私は決して「反原発論者」ではありません。

が、ことの重大性を、他のことではない極めて特異な状況が起こり進行してしまっているという現状認識を抱かないほど愚かではありません。

はっきり申し上げます。単なる、単なる、単なる一企業の、一産業のコンプライアンスたら云う、そんなショーモナイ「レベル」の問題ではないのです。対応を間違えると、国がなくなってしまうかもしれない。社会が崩壊してしまうかもしれない。それは放射能のせいかもしれないし、電力不足のせいかもしれないですが、それぐらい、ことは重大です。

(カンニングの問題なんかは確かに、本当にどうでもいいです)

私の個人的な感じ方ですが、どうも、名古屋以西にお住まいのかたは総じて感覚が鈍いような気がします(関東の人間が敏感すぎるのかもしれませんが、敏感「すぎる」などとは、現段階では誰も誰も云えません)

投稿: 機野 | 2011年7月18日 (月) 00時36分

なぜ「企業に対する社会的要請が必ずしも正当な要請ではないという事態は、未来永劫なくならない」のかという論考(というほど大したもんじゃないけど)が抜けていました。前回同様、使い回しでご容赦下さい。
なお、私は(前にも書き込みしましたけど、浜岡原発の隣町で育ち、今は富士山溶岩台地の上で生きています)反原発論者です。

(2010.11.15)監査役のskydogです。今回は「危機管理としてのマスコミ対応」についての補足です。
(なお、前半は唐木英明東大名誉教授が学士会で行った講演に大きく依拠しています)
動物の進化の過程で一番大切な判断は「危険(捕食者)から逃れる」ための判断でした。この判断は一瞬でしないと命が危ないですから、私たちの脳には直感で判断する仕組みができていて、これをヒューリスティック(heuristic)と言います〔これに対し、コンピューターのように逐一計算して行う判断はアルゴリズム(algorithm)と言います〕。
ヒューリスティック(直感的な判断)にはいくつかの特徴があり、①危険情報を最重視します。次に②利益情報も重視します。しかし③安全情報は無視しても実害がないため軽視します。すると現代のようにマスコミが発達した時代では、危険情報が氾濫し、人々の不安が増大し、集団ヒステリーが起こり易いということになります。
少年の凶悪犯罪は戦後減少傾向を示しているのに、新聞・テレビだけ見ていると、何だか増えているような気がしませんか?「お隣の17歳の子、最近表情が暗いけど大丈夫かしら」なんて。
食中毒で死亡する人は、私の生まれた昭和30年代初頭には、年間500人以上いましたが、現在は10人もいません(その半分がフグとキノコの中毒です)。でも、食品に不安を感じている人は多いですね。それは「人間は悪い情報に過剰反応する(※)」という性質があるからです。
(※「プロスペクト理論」と呼ばれ、心理学者のD.カーネマン氏が「経済活動にヒューリスティックが絡んでいること」を解明したもの。同氏はこれにより2002年にノーベル経済学賞を受賞した)
厚生労働省の輸入食品監視統計によれば、中国食品の違反率はアメリカ等に比べて低いのですが、輸入件数が多いためにマスコミは「中国食品は危ない」と書き立てたり、放送したりします。中国冷凍餃子事件(これ自体は犯罪であり、中国食品の安全性とは関係ありません)以後、全国で6,000人が冷凍餃子による中毒症状を訴えましたが、実際に有機燐酸中毒と確定したのは最初の10人だけでした。(戦後最大の食中毒事件とされる平成12年の雪印乳業食中毒事件も、実際にはかなりの便乗組がいたとの説があります)
また10月号の『月刊 監査役』(日本監査役協会発行)所収の中尾政之東大教授の論説『製品は売ったら最後、どこまでも責任がついて回るのか』によると、民生品と自動車とのリコール件数は20年前に比べ1桁増加していますが、勿論、日本の技術がダメになった訣ではなく、国民、特にマスコミが過敏なほど安全・安心を求めた結果です。

監査役監査の基準は万古不変ではなく、業種・規模・社会的要請等々によって変化します。しかし、その社会的要請はこの20年間のIT革命で激変していますし、国民の直感による判断(ヒューリスティック)は6億年の動物の進化の歴史を背負っているのだから中々変わりようがない。本当に難しい時代ですが、これらを前提として対処していくしかないのだと思います。 

投稿: skydog | 2011年7月19日 (火) 22時22分

〉名古屋以西にお住まいのかたは…
あ〜ぁ、機野さんが言いよった。みんな黙っとったのに。
確かに、行列に横入りして平気な人に、コンプライアンスみたいな事を説いてもね。「みんな、やっとるやぁ〜ん。」で終了です。

投稿: 台風気をつけよう | 2011年7月20日 (水) 02時02分

九電の経産省の報告を見ていてひとつだけ違和感が・・・
7/5の回答を「原子力発電本部担当者」と担当者レベルで行っている。その前後の7/4は「原子力発電本部副本部長」、7/6は「社長」が回答しているのに明らかにレベルがことなる。
悪魔の証明の類だけれども、この種の類が解明されないと、結局、コンプラコンプラいっても、なんの意味もないような気がします。

投稿: 博多ぽんこつラーメン | 2011年7月27日 (水) 00時59分

最初に九電やらせメール事件をブログでとりあげたとき、これはコンプライアンスを考えるうえで重要な事件になるのでは、と書きましたが、私が予想した以上の展開になってきたようです。
全体像をまとめるのに一苦労しますが、この賛成意見依頼事件(全部ひっくるめてのネーミング)はどこで終焉するのか、まだまだ予断を許さないようです。

投稿: toshi | 2011年7月30日 (土) 01時12分

コメントを書く