(速報)九電やらせメール事件に複数の役員関与?
(追記あり)
最近、連日のようにマスコミ報道に驚いておりますが、本日(7月8日)お昼のニュースを見てビックリいたしました。一昨日の私のエントリーは、一部訂正する必要があるかもしれません。私は今回の「やらせメール」事件について、これは中堅幹部の方々が仕組んだものであり、まさか組織ぐるみ、ということはないだろう、と書きました。しかし本日の日経や産経のニュースでは複数の役員、しかも副社長クラスが関与していた、と報じられており、ただただ驚くばかりであります。しかも、実際にこの依頼文書の趣旨が関連会社の社員2300名ほどに届いていた、ということですから、ますますわけがわからなくなってまいりました。天下の九電さんの、どこをどう叩けば、このようなリスク管理思想が生じてくるのでしょうか???最近「想定外」という言葉が巷間よく用いられますが、この問題はまさに私にとっての「想定外」でありました。
この問題の重要なポイントは、私が昨日出席した会合でも(複数の方々から)出ていた意見であり、また本日コメントをいただいているケンさんや、直接メールでいただいている方々のように、「やらせメールというのは、どこがやらせなのか?」「やらせメールというネーミングが悪いのであって、単に意見促進メールにすぎないではないか?単にマスコミに踊らされているだけである」といった、九電メール「騒ぎすぎ」派の方々がかなり多い、という事実であります(これは紛れもない真実です)。たしかに今回の九電メールは、それ自体が法令違反、ということにはならないでしょう。しかし、(これは私見にすぎませんが)ここで問題となっているのは、九電は単なる平時のリスク管理ではなく、有事のリスク管理(いわゆるクライシス・マネジメント)の在り方であり、しかもそれは国民の生命・身体の安全にかかわるリスクだというところに特徴があります。たとえマスコミが報じていなくても、すでに6月25日の時点からネット掲示板等で話題になっていた、ということがこれを物語っているのではないでしょうか?
以前、JR西日本の福知山線事故に関するエントリーでも申し上げましたが、事故後に現場付近で自動運転停止装置が作動した事実を公表しないJRの姿勢について多くの批難が集中しましたが、あれは平時であれば(とくに報告するまでもなく)問題が生じなくても、痛ましい事故が発生したからこそ、市民がそのことに関心を抱いていたからであります。そういった感覚がリスク管理にはどうしても必要になってくるわけで、マスコミや世間が憤るのは、「またスピードオーバーの運転が行われた」という、うっかりミス自体ではなく、非公表という事実から垣間見える、企業としての安全軽視による利益第一主義の姿勢なのであります。
とりあえず、いまは新幹線の中ですので、速報版とさせていただきますが、この九電メール問題は、今回の東電情報開示問題と並び、どこの企業にでも、また明日にでも起こりうる不祥事として、今後長く「企業コンプライアンス」の視点から語り継がれていくような気がいたします。
(7月8日午後5時 追記)
読売新聞ニュースによると、やはり発端は子会社社員による内部告発だったそうです。「こんなコンプライアンス違反を許していいのか」と思い、共産党事務所に告発した、とのこと。そりゃ2300名以上の社員が知るところとなれば、告発があるのはほぼ100%の確率だと考えられます。そのあたり、九電の原発担当部署の方々はどう考えておられたのか。今後おそらく第三者委員会等による調査が行われると思いますが、ぜひきちんと認定していただきたいと思います。
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コメント
いつも勉強をさせていただいております。
私は、この問題は、「問題だ」と思っている派です。
問題と思わない方の思想の根幹には、例えば、「屋台などでの販売で、さくらを依頼する」ことは正当な営業活動の一貫だと考えていることがあるような気が致します。この例え話であれば、私はそれぞれの考え方次第であり、構わないのですが、今回の場合は違います。
原発を運転するか否か、廃止するか否かという状況であり、利害当事者は黙っておくことが最善ではないでしょうか。法律専門家ではないので、正しい用語は使えないですが、この精神は、株主総会、取締役役会などでの議決権行使ができないというところにも表れています。
にもかかわらず、利害当事者ではないという外観を装い、意見を述べるのはいかがなものでしょうか?
という理屈で考えているのですか?とんちんかんでしょうか(^_^;)
投稿: unknown1 | 2011年7月 8日 (金) 13時39分
先生の仰る通り(じゃなかったらすいません)平時であれば、無関心なイベントを盛り上げるためのごく常識的な「演出」と言えると思うんですが、いざ世間の関心が集まる非常事態に追い込まれたても「いつもの」「マニュアル的対応」を無意識にやってしまい(多分悪意はないのでしょう)、しかも露見しても「ルーチンワークの何が悪い」と居直ってみせたりする。一連の電力会社のパフォーマンスは日本のエスタブリッシュメントの知的限界と日本型組織の行き詰まりの博覧会となってしまいましたね。
投稿: ポリティーク | 2011年7月 8日 (金) 13時59分
どうも話が一方的なような気がします。
原発反対派の組織票は許されるのでしょうか?
反対派の背後にも団体がいます。
そういう組織行動は報道せず、九電ばかり責めるのはフェアではないと思います。
池田信夫氏もTwitterで
「あの程度の事件で社長が辞める必要ない。きのうも田原さんと話したが、原発の説明会なんてどこでも反対派とサクラしかいないし、意思決定に何の影響もない。 RT @sankeishimbun: 【事件】 九電社長、進退明言避ける: http://bit.ly/oB3Ez4」
と言っています。
私も大騒ぎするほどのことではないと思いますし、マスコミのバッシングは異常です。
(マスコミが異常なのは今に始まったことではありませんが)
投稿: ケン | 2011年7月 8日 (金) 15時47分
企業のリスク管理やコンプライアンスといった視点で考えると、やはり問題だ、という方向性に至るのかなぁと思います。
で、それらを超えて、少しアンチテーゼ的に。(すみません、生来のひねくれ者でして。)
今回の騒動でいえば、マスコミに踊らされている、というのは正直、共感する意見です。つまり、原発事故が存在すること、そしてその原因たる原発を保有する電力会社に対する「悪感情」に端を発して、単なる「バッシング」の一場面になっていると感じます。
「やらせメール」なる記事のタイトル自体、そもそもネガティブな主観が入っているといえますが。
原発事故収束に向けた見通しが立たず、節電対応を要求されて窮屈な気分が蔓延するなかで、スケープゴートとして、格好の材料を提供してしまった九電、といったところかと。
まぁ、「材料」を提供してしまった非はあると思いますが、今回のことを引き合いに出して、「原発けしからん」「脱原発」のスローガンになるのは非健全なことだと思っています。
また、別の視点では、日本人という国民性がこれほど明瞭に示されていることも珍しいかと。
説明番組に多数の意見を出すことで、多数者が意見を述べているということを示せば、それでみんなが従ってくれるという「期待」が九電にあるわけですね。その点について、みな、同意をするからこそ、今回の問題について、バッシングがされるのだと思います。
つまり、意見の中身ではなく、意見の数で物事を決める、という付和雷同的な国民性です。日本人がディスカッションできない理由がわかる気がしました。
投稿: 場末のコンプライアンス | 2011年7月 8日 (金) 16時51分
別に私は、「社長がやめるべきだ」とは言っていません。
原発で商売をしている九電が、原発賛成または反対という意見を述べないほうがいいのではないんでしょうか、と申し上げています。
原発で商売していない人達の間なら、賛成派ないし反対派でも、組織票があってもいいのではないでしょうか。
あらためて、私は、基本的に自由に誰でもどんな意見を述べてもいいと思いますが、今回は利害当事者が意見を述べる状況ではないと考えています。
投稿: unknown1 | 2011年7月 8日 (金) 17時28分
今回の件、個人的には企業行動として問題があると思います。が、それはさておき…
メール本文に「発電再開容認の一国民の立場から、真摯に、かつ県民の共感を得うるような意見や質問を発信」することを明示的に求めるのではなく「説明会の紹介」にとどめておけば、「単に説明会があることを紹介しただけである」と言い逃れることができ、ここまでの事態にはならなかったことが容易に想像できます。会社から「説明会の紹介」が流れてくるだけで会社の「趣旨」は社員に十分に伝わるでしょうに。
良し悪しの問題は別にして「有事における脇の甘さ」に唖然としました。
投稿: ty | 2011年7月 8日 (金) 17時38分
えっと、tyさんが指摘されていることは、実は今日の夜に書こうかと思っていたところでして、先を越されてしまいました。あくまでも「企業のリスク管理」という面からすれば、そういったことも検討事項のひとつになりうるかと。(もちろん、私もそれで問題が解決するとは思いませんが・・・)
「言い逃れ」というレベルにまでなると、やはり問題が表面化していますので、たとえば内部告発を受け取った人が「この程度なら、あまり問題にならないかも」といった意識をもって、告発を取り上げない程度・・を考えることはできたかもしれません。
投稿: toshi | 2011年7月 8日 (金) 17時54分
ガス屋です。久しぶりにコメントさせていただきます。
私の意見も先生・tyさんとほぼ同様です。今回のポイントは以下の点にあると考えます。
(1)「発電再開容認の立場から」の意見表明を促したこと
……公開の場で意見を述べることは個人の権利であり、その「場」に関する情報を提供すること自体は(後述する点を除けば)問題はないと考えます。(下心は見え見えかもしれませんが)
(2)意見表明するに当たり、関係者であることを秘匿するようほのめかした(ように思われる)こと
……仮にですが、「自分は九州電力関係者である」ことを明言した上で(もちろんそのことによってその意見の受け止め方にバイアスがかかることは予想されますが)発電再開を求めるのであれば、これまた問題ないと考えます。無関係の一国民であるようによそわせようとしたなら、アンフェアのそしりを免れないように思います。
(3)時期的に非常に微妙であったこと
……先生が指摘されているように、原発に対する関心が高まる一方で、行政や電力会社に対する不信感が募っている状況下にあることを考えれば、「この行動が社会からどのように受け止められるか」について、より細心の注意を払う必要があったように思います。
投稿: ガス屋 | 2011年7月 8日 (金) 19時16分
>原発反対派の組織票は許されるのでしょうか?
許されます。
なんらの利益誘導も強制も無いからです。
今回のケースで一番問題なのは子会社など支配下にある会社の従業員に対して「事実上の強制力」を行使している点です。
>「単に説明会があることを紹介しただけである」と言い逃れることができ、
そんな言い逃れは通らないでしょう。
会社の「趣旨」は社員でなくとも伝わりますから。
むしろ子会社などにではなく、一般に向けて原発の安全性をアピールして説明会への参加を呼びかければ良かったのではないでしょうか。本当に安全性に自信があるのならこのような卑劣なことはしなくていいはずでしょうに。
むしろ問題があることを自白しているようなものですね。
投稿: とーりすがり | 2011年7月 8日 (金) 20時24分
今回の件、利害関係者であるにも拘らず「一国民の立場から」と、無関係であることを装うような指示であったことが問題だったと思います。利害関係者であることを明示した上で意見を述べるのであれば、当然批判もあるでしょうしその意見は色眼鏡で見られるでしょうが問題はなかった。コンプライアンスということを考えると黙っているのが良いのかもしれませんが、利益相反の情報開示がもっと一般的になることを望みたいです。
投稿: postfix | 2011年7月 8日 (金) 21時52分
私はそもそも「反原発」に懐疑を持つ者(イコール原発推進派ではない)ですが、そもそもマスコミは後になって批判を強めてるわけであり、当初は明らかに腰が引けていましたよ。マスコミの現場の記者たちは大スポンサー・電力会社からの「圧力」を否定しますが、組織となるとそうでもない、と思わざるを得ません。
今回のことは百歩譲れるところを一億歩譲ったとしても「李下に冠を正さず」ということに尽きます。そういう付和雷同のマスコミ、そういう国民性が分かっていながらも、何であんな愚かな愚かな、愚かなことが出来るんですか。こういう企業体に原子力を扱わせること自体、あまりもリスキーだと感じない方がどうかしてます。原子力アレルギーみたいなものとは一線を画してきた私ですが、今回のことで見限らざるを得ないと思い知らされました。
福沢桃介から平岩外四までの電力人脈に、「この国に人あり」と感じ、電力会社というものに信用を抱き続けてきた自分を恥じます。
東電はこの国でコンプライアンスや内部統制、CSRをリードしてきた大企業でした。何と虚しいことではありませんでしょうか…
投稿: 機野 | 2011年7月 9日 (土) 00時42分
前のエントリへのTBの補足です。
TBでは
① 一般市民をかたるのはアンフェアである
② 組織的行為ということが露見したときにかえってダメージになるということがわからない(または露見しないだろうと思う)リスク管理のセンス
という点で問題だと指摘したのですが、考えてみると
③ 一般市民をかたらないと原発再開に向けての説得力ある意見が提示できないと電力会社自体が認めている
という意味では最初から九電の負け試合で、そこに「やらせメール」で自ら止めを刺しただけだったのかもしれませんね。
投稿: go2c | 2011年7月 9日 (土) 02時48分
>九電ばかり責めるのはフェアではないと思います
原発反対派と九電の立場は、そもそもフェアではないです。制度上、九電を含め、原発推進派の方が圧倒的に優位な立場です。そうでなければ、こんなに原発は建設されていないでしょ?
この点を考慮せずに、今回の件を「フェアではない」と言うのは、原発推進派に有利なことは現状維持で、不利なことだけは是正せよという都合のいい物言いでしかないですね。
今回の説明番組にしても、事務局は原発推進派だけで構成されていたでしょうから、いわば被告が裁判官を兼務するようなもので、「フェア」ではないですよね。原発推進派にも九電&下請け以外の組織票があるでしょうし。
ケンさんは「フェア」を重視するようですから、原発推進派に不利なことだけではなく、原発反対派にとって不利なことも改善するよう発言してくれるでしょう(笑)
投稿: ネク | 2011年7月 9日 (土) 03時17分
皆様、ご意見どうもありがとうございます。
私は執行部の方々が、どのような気持ちで依頼文書を送付したのだろうか、という点に関心をもっているのですが、昨日あたりからの内部調査の様子をみていると、「原子村」などといった言葉がちらほら。組織ぐるみといいながら、実際は「原子村」の独断でやった、といった方向に向かっているのではないですか?電力会社における会長の権限や、原子村扱いなど、組織特有の問題もありそうですね。
投稿: toshi | 2011年7月 9日 (土) 09時52分
所属や立場を明確にしたうえで、堂々と意見すればよかった気がします。
今回、行動規範である「コンプライアンス行動指針」が実践されなかったのが、残念ですね。
http://www.kyuden.co.jp/var/rev0/0029/3234/compliance-principle.pdf
○○生命の政界工作といい、今回の件といい、大規模な企業のコンプライアンスは、本当に難しいと感じる初夏です。
投稿: コンプラ担当者 | 2011年7月 9日 (土) 15時57分
そもそも九州電力は独占企業なので、これがバレて世間にどう思われようが、不買運動で電気が売れなくて困るということにはならない訳です。であるとすれば、世論誘導することが合理的判断であると思います。今回は遣り方が稚拙ですけどね。
投稿: unknown2 | 2011年7月 9日 (土) 16時27分
幕が閉まってからの投稿のようで気が引けますが、クライシス管理の一つのキモは空気の読み方のように感じています。
同じようなことでも客観情勢が変われば反応は変わります。おそらく九電ばかりでなく電力各社はこれまでも似たことはやってこられたのではないかと思います。それが今の状況ではバッシングの対象になるわけです。ニュースの価値判断は常に一定ではありません。それに影響されて(という側面が強いと思いますが)社会の目も厳しくなったり、緩くなったりします。この空気の流れを読むことがニュース感覚だと思ってきました。濁流ができてしまえば、それに抗するのは不可能に近くなってしまいます。
多分5年前だったら問題にならなかったのではないでしょうか。
原発の安全性にしても何十年も問題にしてこなかった人が急にワイワイ言っている感じがするのは、潮目が変わったのだと思います。これを掴めるアンテナ感度がクライシス担当者の絶対必要条件だと思っています。ですから、今回のことの是非よりも今やったことが信じられませんし、まったくの間違いだと感じました。起こるべくして起こった結末だと思いますが、それが読めなかったことが一番不思議です。
中堅幹部の独走というのは、管理ガチガチの今の大企業にはあまりないように思います。そんな勇気のある人物はそもそも雇いません。責任回避をまず考える幹部がほとんどですから止める人も出てこないのでしょう。
投稿: tetu | 2011年7月 9日 (土) 17時44分
やはり地方と中央では、企業や個人に意識のズレ・格差もあるのでは無いでしょうか?。業界や他社動向への情報量・関心、あるいは国際化の影響では、まちがいなくズレ・格差はあるものと思います。
地方勤務を経験すると良く分かるのですが、コンプライアンス、内部統制、国際財務報告基準・・・、どれを取っても地方と中央とは違います。
それは企業の規模や上場・非上場に関係なく、存在していますが、日本では、法に携わる方も会計に携わる方も、その辺を曖昧にしている所があると思います。
地方の電力・ガスなど公共性のある会社は、その曖昧さ(≒根深く古い因習)のまま、企業規模のみ拡大し成長して行った経緯が有ると考えます。
投稿: ゆう | 2011年7月 9日 (土) 18時30分
皆様ご意見ありがとうございます(まだ幕を閉めたつもりはございません>tetuさん)本当に参考になります。
ゆうさんのお話は笑えないものです。実は私も同感です。大阪の人間が東京に行って実感することですから、ましてや・・・という感じです。また別エントリーで述べてみたいところです。
投稿: toshi | 2011年7月 9日 (土) 18時40分
私が関心を持つとしたら、「人間の行動」という点です。皆さんの投稿を拝見していて、「結局皆さん、似たように感じている」と思いましたし、私もそうです。ただその前に言及しておく点は、九電に限らず、「業界」では「原発は安全、という何の根拠もない、実証しようもない事実を、いかに真実であるか、として国民の脳裏にたたき込むことをしてきた歴史」があり、私を含む多くの国民が、「ふ~ん、安全ならまっ、いいか」と騙されてきた流れの中の1つ(にすぎない)なのだろうな、という点です。「安全デマ」を続けてきたのだから、これからもそうでなければならないから、「たくさんメールしてね」とした。
でも、不思議なのは、①内部告発を予想しなかったのか? ②もう今の段階では「世論誘導」なんて実質的にムリなのに、それを理解していないのかいな?という後者は疑問というより「呆れ」感を抱きます。
先述の、「皆さんの意見に近い」と自分が感じたのは、
①場末のコンプライアンスさんの「日本人という国民性がこれほど明瞭に示されていることも珍しい」という指摘はおもしろいです。「多数者が意見を述べているということを示せば、それでみんなが従ってくれるという「期待」が九電にある」の点はそのとおりで、九電の認識の(今となっては)前時代性を感じます。
②tetuさん指摘の「多分5年前だったら問題にならなかったのではないでしょうか」、「潮目が変わったのだと思います。これを掴めるアンテナ感度がクライシス担当者の絶対必要条件」という点も共感します。
③go2cさん指摘の「組織的行為ということが露見したときにかえってダメージになるということがわからない(または露見しないだろうと思う)リスク管理のセンス」のなさ、ということですね。最初に書いた「内部告発を予想しなかったのか?」というある種の「ノンキさ」「脇の甘さ」。
もう「世論誘導しようとしても、みんな、ハイそうですか、言われたとおり安全を信じます、という状況じゃない」ということ。それを指示(命令)者は全く理解していなかった。結果、俗な言い方ですが「墓穴を掘ってしまった」ということ。社長の進退云々はよくわからない、というより興味ないです。
投稿: 伊藤晋 | 2011年7月11日 (月) 00時13分
単純な疑問がありまして、先生はじめコメンテイターの皆さんの意見を伺いたく。
九電の社員が身分を偽って、または真なる身分を秘匿して、説明会に参加または意見表明するように依頼したことが問題となっています。
多数決で何かを決める場であれば、組織票が結果を歪めることは理解できます。
今回の説明会はそのような場では無いと思いますが、それによって何かを歪められることになるのでしょうか?
参加者がキャパシティ問題から限られるという場合は、参加希望者が弾かれる点で問題ですが、メールの意見表明はそのような害もありません。
ムードで流される可能性が問題であれば、それは直接民主主義の弊害である衆愚でしょうから、代表者による討議こそ妥当する問題と言えますから、説明会の意見の中身は重要ですが、数は意味をなさないかに思えます。
ならば、九電の非難の根拠は何なのでしょうか?
矛盾があるので、どうも腹に落ちていないのです。
投稿: 場末のコンプライアンス | 2011年7月11日 (月) 02時29分
DMORIです。伊藤さんコメントにありましたが、内部告発も定着してきている時代に、こんな指示を公然と出したら、たちまち誰かから情報がリークされることを、考えなかったのでしょうか。
やらせの指示を出す発想も間違いですが、内部告発でマスコミなど外部へ情報が出ることを、予想していない感覚のほうに、より驚きを感じます。
少なくとも社員に対しては、「九電としては当然のことですが、原発再開に賛成・反対のいずれも依頼するものではありません」といった建前は通しながら、公開説明番組に関心を持たせるだけでよかったのです。
社員や関係者は、阿吽の呼吸で「つまり原発再開に賛成する意見を投稿してほしいということだな」と、自主的に理解するでしょう。あまりにストレートな表現で依頼していることに、あきれてしまいました。九州の殿様企業であり、東京の企業感覚とは明らかにギャップがあるのでしょうね。
投稿: DMORI | 2011年7月11日 (月) 21時10分
もともと、社員管理職がコンプライアンスを持っていない人ばかり・・・・
下請け業者に接待強要は日常茶飯事、そればかりか発注額にその経費を水増しして発注・・・・・担当者は自宅を改修工事して、工事費を九電社員であることをかさにして、不当に値引きさせ、そればかりか工事にいちゃもんをつけて、迷惑料を請求して業者は、泣き寝入り・・・・
日頃からやりたい放題、でたらめですよ。
泣かされている下請け、取引業者は大勢です。 みなさんが知らないだけです。
投稿: コンプライアンスとは・・何か? | 2011年7月15日 (金) 12時13分
市民的立場からの批判とマネジメント力に対する経営視点での批判(さめた意見)の2種類の論じられ方があるように思います。
前者は、市民参加型でオープンな議論を目的とした場にもかかわらず、やらせメールを仕組んで賛否をゆがめたのでけしからん、独占企業体質ゆえの結果ならば体質を改めよ、といったたぐいです。
ビジネス法務的には後者の見方、つまり、このタイミングでのメール要請行為に係るリスクマネジメントが全くできなかったばかりか、ど下手な記者会見でリカバリすらできなかった企業、という一歩ひいた見方になると思います。こちらの立場は、前者と異なり、メール要請を実行した動機には多かれ少なかれ理解を示します。反対派のほうが声をあげやすい問題なので、もしかするとサイレントマジョリティかもしれない賛成意見(直ぐに原発を止めるのは反対という意見も含む)を賛成派筆頭の電力会社が主導するということそのものは、方法さえ間違えなければ許される、と考えたうえで、四囲の状況を踏まえたリスクマネジメントができない会社なんだな(だから原発など到底任せられない)というのが私の意見です。
投稿: JFK | 2011年7月16日 (土) 00時19分
やっぱり原発は任せられない、といった論調には、違和感を感じます。
(結論的には同意見なのですが、理由が異なります。)
九電の今回の「失態」は、確かに企業としてのリスクマネジメント(レピテーショナルリスク)の失敗だと思います。
しかし、原発のマネジメントについては、そのようなリスクマネジメントとは性質も、求められる資質も全く異なるもので、ただ単に「リスクマネジメント」という言葉のくくりで一緒くたに議論して良いものではないと思います。
それは、単に本質的に異なるから、というだけでなく、本来原発運営に必要であるものや、そこにある問題点を誤って認識してしまう、見誤りの危険があると思うからです。
投稿: 場末のコンプライアンス | 2011年7月18日 (月) 23時12分
「リスクマネジメントの失敗」といいましても、今回はコントロールミスではなく、感知不能だったのではないでしょうか。その主な原因は不合理な業界常識にあると思います。賛成意見工作は電力会社にとってあまりに当然のこととされていた、すなわちリスク感知すらできなかったんじゃないかと思うのです。社会をコミニュケーションの対象とみてこなかったからそうなるのでしょう。直近報道されている原発広報に関するマニュアル、東電や九電の対応等を見ていると、コミニュケーションどころか、コントロールの対象として社会を捉えているように見えます。混乱を招くとか、原発政策に支障をきたすとか、そういった業界の論理で情報が操作されてきた可能性は大きいです。今まで安定稼働してきたとされる原発でも大小さまざまな事故が本当はあったんじゃないか、重要事項を隠すのが業界常識になっていて、隠しているという認識すら無くなってしまっているのではないか、といった疑念が生まれます。
我々が考えるような普通のリスクマネジメントが妥当する世界でもないようですので、単にリスクマネジメントという言葉でひとくくりに議論することは確かにできないと思いますが、報道から推測する限り、今の電力業界のまま原発を任せるのは危険です。
投稿: JFK | 2011年7月19日 (火) 01時35分
皆様、ご意見ありがとうございます。私的には、やはり原発を任せられないかどうか、という点は別としてJFKさんの意見に近いですね。企業の社会的信用というものが(理屈とは別のところで動いている)世論(社会的風潮)に左右される以上、マスコミや社会一般が、今回のメール依頼事件をどのように評価するか、という点はビジネス法務的には重要だと思っています。
ただ、つぶれない会社、もしくは社員が路頭に迷わない会社というのは、コンプライアンス体質は育たないですね。一大事と考えるのは進退を求められるごくごく一部の経営者であり、それ以外の人たちがどこまで「企業体質の改善」を真剣に願っているかはよくわからないところです。
多くの御意見によって、学ばせていただきましたし、また結論が出たわけではないので、続編を書きたいと思っております。
投稿: toshi | 2011年7月19日 (火) 19時33分
就職率は低いが、理系大学は卒業するのにも大変でしたが、文系の大学の場合はどうでしょうね?東京電力は想定外やらの津波で原子炉を冷却するシステムが駄目であり、もしドラでも言われたマネジメントが出来てないと思ってます。
投稿: 智太郎 | 2011年7月20日 (水) 15時27分