他社をかばうことと「コンプライアンス経営」-その2-
(8月1日午前 追記あり)
先週末に急展開をみせております九電やらせメール事件でありますが、第三者委員会委員長のお話では、佐賀県知事による「経済界からの意見も必要」との指示を受けて、九電側が原発容認意見要請に走った可能性が高いとのことであります。会見メモも残っており、また第三者委員会就任の際、九電社長から「どう対応すべきか困惑している」との話があったそうです。
ただ、日経新聞ニュースでは、九電側が(本件は知事の責任ではなく)当社の責任ということを主張されており、知事との会見メモの存在を明かさなかったのは①社内調査との食い違いがあった、②不確実な情報で知事の政治生命に影響を及ぼすことは避けたい、③当社が責任逃れをしていると思われる、との判断があったそうです。私の講演等をお聴きの皆様はおわかりのとおり、これは4年前に当ブログで説明いたしました「他社をかばうこととコンプライアンス経営」の典型的なパターンであります。この4年前のエントリーから今日までも、同様のパターンのケースは数多くの企業で発生しております。不祥事発生に他社が関与していることを公表してしまっては(それによって自社の評判は落ちないことになるけれども)他社に迷惑をかけることになるため、そのまま黙って「罪をかぶってしまう」パターンであります。もちろん「罪をかぶること」が自社にとって今後の経済的な利益に直結するからでありまして、紛れもない経営判断であります。
あるときは監督官庁との今後の関係悪化をおそれ、検査機関(行政の天下り先)との「なれあい」があったことを最後まで伏せて性能偽装事件の非難を一身に浴びた上場企業、OEM供給先に迷惑をかけてはいけないとの理由で食品偽装を隠ぺいした企業、著名な世界遺産の運営に傷がつけばユネスコから登録取り消しを命じられかねない、との不安から、あえて某団体の不祥事の責任を一手に引き受けた上場企業など、マスコミが報じる裏で、「貸し借り」が演じられるケースは枚挙にいとまがありません。もちろんこのような事実調査、原因分析で終わってしまっては、なんら有効な再発防止策は生まれることもなく、再び不祥事の芽が(忘れたころに)伸びてくるわけであります。今回の件も、私は保安院から九電に対してなんらかの圧力があったのではないか、と書きましたが、保安院ではなく地方自治体の首長さんからの要請があったことまでは想像しておりませんでした。
先の九電側の弁明内容も、他社をかばうコンプライアンス経営の非常に典型的なものであります。「社内調査との食い違い」というのは結局、社内調査が徹底していなかったにすぎず、「知事の政治生命云々」もメルシャン事件のときに何度も申し上げましたところの「社内バイアス」(隠ぺいすることが先にありきであって、真実を直視する勇気のない自分をかばうための正当化理由だけを判断根拠としたがる)であります。また「責任逃れ」というのも、会見メモを公表しても事件の責任から逃れられるものではなく(中部電力のようにきちんと要請時に拒絶すれば責任を逃れられますが)、後付けの理由にしかすぎません。結局のところ、やらせメール事件の本当の原因を九電側が(行政をかばって)隠ぺいしていたのではないかと推測いたします。
ただ以上のお話の趣旨としましては、どこの組織でも考えることなので、とくに九電側を非難する意図はほとんどございません。むしろこのような経緯があるならば、この事件の冒頭、九電の社長さんが「そんなに大きな問題なのか」とマスコミに逆に質問された意味も少し理解できるところであります。九電の経営トップは辞任をされるよりも、この組織で今後も陣頭指揮を執り、現在の組織体質を変革することのほうがメリットが大きいのではないでしょうか。そもそも「不祥事があってもつぶれない会社」の場合、「会社が傾く」という社会的制裁が機能しないぶん、不祥事の後始末は責任者の進退問題でケリをつけるのが慣行のようであります。しかし2002年の東電のデータ改ざん事件でも明らかなように、関係者が複数辞任したとしても、優秀な方々がたくさんいらっしゃる組織では、これまでの組織体質を変革せずともかじ取りができる経営トップが次々と登場するわけで、結局組織体質は変わらないまま不祥事は忘れられてしまうことになります。
いま原発問題を企業側からみた場合に一番大切なことは、今後も発生するであろう「ヒヤリ・ハット」事例が、はたして人災なのか天災なのか、きちんと分析できる体制作りであります。そうでもしなければ安全性の向上を誰が真剣に考えるのでしょうか。そのときに肝心なのは情報の正直な開示であり、まさに電力会社の隠ぺい体質からの離脱であります。このやらせメール事件の経過に九電の隠ぺい体質が垣間見えるのが一番の問題ではないかと。その隠ぺい体質がどのように変わっていくのか、リスク管理体制の運用を逐次開示していくことが重要だと思います。
(8月1日:追記)
本日、九州電力のHPに6月21日の佐賀県知事との面談経過ならびに、本件に関する九電としての意見が掲載されております(昨日の日経ニュースの内容とほぼ同様かと)。あらためて「隠ぺいの意図はなかった」とされておりますが、もし今回のやらせメール事件がここまで大事にならず、第三者委員会設置がなければどうなっていたのでしょうか?
また本日の朝日新聞ニュースによる佐賀県知事へのインタビュー記事によりますと、メールによる賛成意見依頼等にも踏み込んだ要請があったようですので、知事の要請が本件に占める役割が大きかったことを裏付けるものと思われます。私には、このような重要な事実を社内調査において軽視されていたとは到底措信しがたいところであります。
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コメント
いつもご示唆を頂戴しており有難うございます。
さて、社長・会長の責任ですが、裏側事情があるのなら情状酌量といえるのでしょうか。組織として間違った判断を犯した場合は、仮に自らが最終の判断者(実行当事者)でなくとも組織の長として、そのような判断を行う体制を築いてきた責任を問われて然るべきと考えます。辞任はもとより退職金も当然放棄でしょう。個人への波及を伴うリスク意識が会社運営に反映されることが必要だと思います。それが緊張感というものではないでしょうか。
司法上の刑罰に問われないような事柄だし事情も色々あったのだからそこまで求めるのは可哀想と考えるのか、コンプライアンス経営とはこのような厳しさを要求されるものだと考えるのか、どちらでしょうか。
投稿: O.S. | 2011年8月 1日 (月) 15時44分
意見を変えました。
これは社長や会長が辞任してもあまり意味はないですね。
社風というか、風土の問題です。それも、この国に根付いていて、それが最も濃く残っている業界ゆえの問題ですから、ちょっとやそっとで変わりっこないです。こんなことを続けてると「倒産する」「業界ごと滅びる」という恐怖心があるからこそ、多くの企業は悪しき習慣から少しずつ抜け出せてきたわけですが、そういうのがありませんからね。
やっぱり全ての電力会社は一旦破綻させたほうがいいのかもしれません。引き続き原子力発電を任せていくとした場合の、それが最低限の必要条件のような気がします。
投稿: 機野 | 2011年8月 2日 (火) 00時20分
九州電力の第3者委員会の委員長に郷原教授が就任されています。
郷原先生の後著書に、「企業法とコンプライアンス」が、あり、ビジネスコンプライアンス検定上級試験公式テキストであると、本の表紙に記載されています。
先生のの主張である「法令遵守」から「社会的要請への適応」という副題が付されています。
その中で、フルセットコンプライアンスの5要素として、方針の明確化・組織の明確化・予防的コンプライアンス・治療的コンプライアンスと環境整備コンプライアンスを揚げています。
最後の要素の監督官庁という環境をどの様に整備してゆくのか、先生のご本には明確な結論は見いだせないまま、本を読み終えた記憶があります。
九州電力のやらせメールの件で、どの様に結論づけるのかに注目したいと思います。
投稿: 法律素人 | 2011年8月 2日 (火) 13時55分
ご意見ありがとうございます。OSさんの御意見も、もっともかと。
なお、私は情状酌量ということで「辞任すべきではない」と申し上げているものではございません。むしろ辞めるのは簡単ですが、その分やらせメール事件は確実に風化してしまいます。現社長が他の人が経験しなかったような針のむしろを経験されました。今後体質を変えていくためにはPDCAが不可欠ですが、全社あげて取り組むための陣頭指揮をとれるのは現社長さんしかいないと思います。いつまでも「やらせメール」は終わっていないという意識を浸透していかれることが必要かと。
投稿: toshi | 2011年8月 4日 (木) 11時31分