山一證券破たんの歴史からみるオリンパス事件
企業としてのオリンパス社の命運と、不正を主導していた経営陣の命運は、どうも分けて検討される雰囲気になってきたオリンパス事件でありますが、本日(11月26日)の日経朝刊3面の記事にもあるように信頼回復の具体策が未だ見えないのが現実であります。
今年9月に国広弁護士による新刊書「修羅場の経営責任」が発売されましたが、この本が世に出るころ、まさかこんな形で本書が脚光を浴びるとは(著者・出版社も含めて)誰も予想していなかったはずであります。
ビジネス雑誌等で既に多くの書評が出ておりますので、当ブログでご紹介するまでもありませんが、オリンパス事件の動きをみていくためにも、山一證券の破たんを「内部から」みてきた著者の活動記録を精査することは非常に有益であります。とりわけ2300億円にも上る簿外債務が明らかになった後の山一経営陣の(社内調査委員会に対する)「抵抗」はすさまじいものであり、まさに現在のオリンパス経営陣の心証が察せられるのではないかと。
私などは、経験不足から来る「甘さ」でしょうが、これまで公表できなかった不祥事を世に公表した以上、経営陣らは肩の荷が下りたかのように気持ちが楽になり、誠意を持ってステークホルダーのために尽力するのでは・・・・と思うのでありますが、そんな甘いものでないことは、当時の著者の「日記」から明らかになります。不祥事が世に公表された以上、今度は「火の粉」ができるだけ自分にふりかからぬよう、上手に保身に走る姿が如実に表現されております。
損失隠しといっても、誰も私利私欲のために動いていたわけではなく、真摯に「今は悪いことをやっているけれど、これも経営環境が変わって株価が持ち直せば、後日『笑い話』になる」と信じて行っていたのでしょう。これは架空循環取引に手を染める経営者もまったく同じであります(本当に業績向上によって循環取引の損失は消せると信じて行っていたケースが多いと思われます)。あるいは不正行為に手を染める社員特有の「バイアス」が働いていたのかもしれません。
もし今回のオリンパス事件でも、「飛ばし」をそのまま継続していたらどうなっていたのでしょうか。M&Aの手法によって第三者に手数料を支払ったりして無理をしたために監査法人に疑惑の目を向けられ、さらに関与せざるをえなくなった社員の数も増えてしまったがゆえに露見したのかもしれません。そうでなければそのままもう少しの間、静かに深行していたのかもしれません。山一事件からオリンパス事件までの間、法制度や会計基準に変化はありますが組織で動く人間模様に変わりはないものであることが本書を読んで感銘を受けたところであります(著者が「売名弁護士」と批判されたこと、山一社内で非公表と決定されていたはずの報告書を誰がマスコミにリークしたか・・・というあたりも書かれております)。なお後半の「長銀事件」に関与された部分につきましては、大阪弁護士会と日本公認会計士協会近畿会主催による来年3月のシンポ「公正なる会計慣行を考える」をご紹介する際にまた引用させていただきたいと思います。
KPMGのアンドリュー会長は、オリンパス英国法人の監査において、2年ほど前には疑義を呈し、「決算書に疑義を述べたことによる名誉ある交代であった」と会見されておりました。「オリンパスの不正は明白であった」とのこと。しかし、 それなら本国の監査法人は、単に交代するだけでなく、金商法193条の3による行動はなぜ起こさなかったのか?と私は素直に疑問を感じるところであります。
大王製紙の件、オリンパスの件いずれにおいても、おそらく今後の監査役、監査法人への批判について、冷静に考えるきっかけとなる一冊は、(再掲となりますが)伊藤醇会計士による「命燃やして」であります。すでに1年前に当ブログでもご紹介いたしましたが、本書は最近(2011年10月)増刷が決定したそうであります(これもひょっとするとオリンパス効果かもしれません)。
「山一の損失先送りをなぜ中央青山は見逃したのか?」誰もがその損失額が大きければ大きいほど、監査すべき立場の者へ批判的な目を向けることとなります。10年間にわたり監査見逃し責任の被告となって闘った伊藤会計士は、管財人相手の訴訟で和解をした以外には、4件全ての裁判で勝訴しました。つまり山一事件において中央青山の監査に過失があった、とする裁判は一件も存在しないわけであります。伊藤氏の名誉のために申し上げますが、本書は特定の誰かを批判するためのものではなく、「なぜ監査法人にも不正が発見できなかったのか」を冷静に検討することが本旨であります。マスコミも商売である以上、報道できない事実があり、とりわけ信託銀行、大口顧客、国際的アカウンティングファームによる監査妨害行為があったということを世に公表しているところに意味があると思われます。当時と現在とでは会計基準も変わり、本書で述べられている監査手順が参考になるものではないかもしれません。しかしながら、試査を前提とした監査を行わねばならない以上、被監査対象会社の協力を前提とした監査を遂行することに限界があるのは当然であり、「どこまでやれば不注意と言われないのか」、つまり法と会計の狭間の問題を検討するためには必読の書であると確信します。
本書を読みますと、山一事件発覚時における「監査法人にも責任か」なる大きな報道、そして5年以上経過した裁判で山一監査人が勝訴しても誰も報道してくれない現実、これを私は(「期待ギャップ」に対抗して)「報道ギャップ」と名付けましたが、そういった事実もよく理解できるところであります。そのあたりも認識しながら、現在のオリンパス事件に投影してみると、また興味深いところとなりそうです。
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コメント
オリンパスについても山一證券と同様に、外部協力者の存在が明らかになりつつありますが(アエラ、週刊朝日)、それでも不正の兆候は存在していたわけで、監査法人も一定の責任が問われる可能性があるように思われます。
いずれ法廷の場で争われることになるでしょうが、山一證券事件との違いは、平成14年に監査基準が改訂されリスクアプローチが採用されたことで、司法がリスクアプローチの枠組みのなかでどのような判断をするかが注目されます。
不正対応監査を考えるに当たり、監査人の情報リテラシーの低さが気になっています。山一證券の「飛ばし」については94年に日経新聞が報道寸前にあったようですが(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28194?page=4)、監査人はその兆候に気が付かなかったのでしょうか?
投稿: 迷える会計士 | 2011年11月30日 (水) 11時30分
ご教示ありがとうございます。
ある大手監査法人のベテランの会計士さんにお聞きしましたが、プリンストン債の保有の有無によって「飛ばし」の存在に配慮しながら監査を行っていた・・・ということのようで、監査人のなかでも兆候に気づいておられた方は結構いらっしゃったのではないでしょうかね。
投稿: toshi | 2011年12月 1日 (木) 02時28分