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2012年1月31日 (火)

厚労省「パワハラ・WG報告書」の活用方法について

厚生労働省から「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ報告」が公表されております。「パワハラ」なる言葉が日本ではじめて作られたのが2002年ですが、そのわずか6年後には裁判上でパワハラの定義が示される、という異例のスピードで社会問題化した人格権侵害類型であります。

ただ、現実の企業社会では「俺だって若いころはこんな風にシゴかれたんだから、この程度はあたりまえ」といった風潮があり、あまり真剣に対応されていないところも多いのではないかと。まだまだガイドラインといいましても、抽象的な指針の範囲を超えておりませんが、まさにプリンシプルベースで策定して、個別具体的なパワハラ行動の指針は各社で検討すべき、というところではないでしょうか。

ただ、現実にパワハラ対策でむずかしいのは「パワハラには時間軸がある」ということです。

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パワハラに「グレーゾーン」を作ってしまっては、熱心な上司による指導監督を委縮させてしまいますので、境界線を各社明確にすべき、というのは「平面軸」の課題。最初は真摯な気持ちで指導していたのですが、部下の態度が悪いために、次第に個人的な感情が出てきてしまって、いつしかパワハラになってしまう・・・これが「時間軸」の課題。問題解決のためには、この上司と部下の「どの時点での行動を捉えるか」をはっきりと定める必要があります。

そしてもうひとつむずかしいのが「誰から見たパワハラか」という問題。

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パワハラ問題は、基本的に人格権侵害ですから、被害者と加害者との紛争としてみれば主観的要素と客観的要素の総合判断です。しかし問題解決を図る企業からみた場合、加害者との関係では(懲戒処分の対象ですから)客観的な要素を重視、つまり明確な証拠に基づいて判断しなければなりません。また、被害者との関係でいえば、不法行為(使用者責任)や債務不履行(職場環境配慮義務違反)で訴えられる可能性がありますので、いわば内部統制の構築が問題となります。パワハラ問題を解決するにあたっては、何を解決しなければいけないか、というレベルにおいて、同じように「無視する」という行動にターゲットを絞ったとしても、これを認定するために問題となる事実に違いが生じることになります。

こういった視点はあくまでも企業のリスク管理の視点ですから、パワハラと企業の経済的損失、メンタルヘルス、人事政策など、違った視点に立つと、それぞれ検討すべき課題が変わってきます。パワハラには全社的取組、外部専門家との連係が必要とされる所以であります。

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2012年1月30日 (月)

監査役とデジタルフォレンジック(セミナーのお知らせ)

日曜日(1月29日)の日経新聞ニュースに「情報隠しの検査強化 金融庁、消去メール復元できるシステム」と題する記事が掲載されており、銀行や保険会社の検査にフォレンジックを導入することが報じられております。検査妨害や忌避があっても、正確な電子情報を入手できるように、とのことで、会計不正事件などの第三者委員会などでも既に不祥事調査に使われていることも記されています。

携帯やパソコンのHD性能が飛躍的に向上したため、たとえ携帯メールやパソコンメールを消去しましても、「復元ソフト」によって復元できることは「大相撲賭博事件」➔「八百長事件」の騒動で広く知られるようになりました。しかし、昨年12月16日に公表されました株式会社ゲオ・ホールディングスの社外調査委員会報告書によりますと、社内調査を進めようとした第三者委員会は、すでに社員によって「復元を困難にするソフト」を使ってパソコン内のメールが消去されていたため、残念ながら(フォレンジックの専門家でさえ)復元ができなかった、とのことであります。つまり不正を行う者からすれば、すでに「消去メール復元ソフト」の存在は当たり前であり、その復元ができないようにするためのソフトを使ってメールを消去する、というのが恒常的に行われることになると思われます。

ただ、いくら復元を困難にするソフトを使ってメールを消去したとしても、そもそも「何を消去するか」はデジタルではなく、人の作業、つまりアナログによって行われるわけですから、そこには「消し忘れ」が発生します。現に、上記ゲオHDの社外調査委員会は、社員による復元ソフト防止の処理を忘れていた部分を見つけて、そこから重大な証拠メールを発見し、不明朗な取引に経営者が関与している事実を認定しました。

また、メール復元ソフトにせよ、復元を妨害するソフトにせよ、すべてのメーカーのPCに対応できているわけではありません。またアプリケーションによっては「文字化け」が発生してうまく機能しないこともあります。したがいまして、復元妨害ソフトによって首尾よくメールを消去したと思っていても、レベルの高い復元ソフトによって「あっという間に」復元できてしまうこともあります(要は技術レベルの高いほうが勝る、ということでしょうか)。最近は「メールが偽造されたものでないことの証明」なども訴訟で必要となってきておりますので、やはり社内調査や第三者委員会における調査技法として、今後もデジタルフォレンジックの必要性は相当に高いものとなることが予想されます。

さて、今年も2月8日の大阪を皮切りに、東京、名古屋、福岡におきまして、日本監査役協会主催のリスクマネジメントセミナーの講師をさせていただきます。今年は内部通報・内部告発への監査役さんの対応を中心にお話をさせていただきますが、とくに内部統制監査の対象としての内部通報制度の在り方、業務監査にける実査(往査)の対象としての内部通報制度の運用、そして内部告発によって不祥事が発覚した有事の対応等について、具体的な事例を用いて解説いたします。とくに上記ゲオHD社の事例のように、監査役に内部通報が届いたときに、監査役がどこまで調査をすべきか、どこから社外の第三者に調査を任せるべきか、その区別の基準や、監査役が知っておくべきデジタルフォレンジックの内容などにも触れております。監査役の身の処し方次第では、上記のとおり、調査の直前に社員によって証拠が抹消されてしまい、やむなく高額な費用をもって第三者委員会の調査に委ねざるを得ない事態となります。監査役による社内調査の方法やタイミングなど、実践的な方策について検討いたします。

内部統制監査実務に有益なのはオリンパス配転命令高裁判決(平成23年8月31日。これは東京地裁判決との対比で検討)、そして実査(往査)実務に有益なのは上記ゲオの一連の不正事件に対する社外調査委員会報告書(平成23年12月16日)、ということで、この二つにつきましてはじっくりと判例や報告書の内容を解説し、そして実務への影響について検討いたします。その他、オリンパス損失飛ばし事件、大王製紙事件、九電賛成意見メール投稿依頼事件、共同PR社事件なども含め、ヘルプライン+ガバナンスによって実効性ある不正抑止を実現する工夫(具体的な方法)について考えてみたいと思います。

さらに、会社法改正議論のなかでも、比較的改正が確実と思われる①事業報告への内部統制運用状況記載義務付け、②監査役監査の実効性確保のための報告体制の充実など、監査役の内部統制監査にとって影響が出てきそうな点もありますので、そのあたりを中心に解説をさせていただく予定です。

もうすでに満席となっております会場もありますが、日本監査役協会以外の非会員の皆様もご参加いただけますので(会員の方よりも、すこし聴講料がお高いですが)、管理部門の方で、聴講をご希望の方がいらっしゃいましたら、ぜひ日本監査役協会の研修セミナーのコーナーからお申込みいただければ幸いでございます。また多くの監査役の皆様とお会いできるのを楽しみにしております<m(__)m>

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2012年1月26日 (木)

二次不祥事を「自社で公表すること」と「不意に見つかってしまうこと」

つい先日、コンプライアンス研修でおじゃました某社の件、やはり残念な結果となりました。用地買収にからんで、採石会社との間で立退き交渉を担当していた社員が所得税法違反ならびに詐欺罪で起訴されていた事件でありますが、当社員が逮捕された時点では「会社は裏取引の事情は一切関知していない」と全面否定し、各報道機関も「組織ぐるみでは?」と疑いつつも会社側の主張を尊重しておりました。

しかし昨日(1月25日)日経、毎日、読売等が報じるところでは、当社員の第二回公判における検察冒頭陳述で、同社が(当社員と採石会社との間における)裏取引の事実を知りながら、ゼネコン等を通じて(裏取引の一部を履行するため)この採石会社に便宜を図っていたことが公表された、とのこと。日経記事では、具体的にこの採石会社をゼネコンの下請けとして使うよう、強くゼネコン側に要求していたことまで記されております。検察側の冒頭陳述の内容から、会社側の事件への関与が公表されてしまう・・・というのは、事実無根だと反論したり、無視するわけにはいかないため、会社側としても非常にキビシイ状況かと思います。

研修講師としてお招きいただきながら、たいへん失礼かとは思ったのですが、その当時同社幹部職の皆様方の前で私は、

先日の事件ですが、会社の皆様方も知っておられたのではないですか?だって、誰でも尻込みしてしまう仕事(採石会社との立退き交渉)を彼(被告人)が、その特異なキャラクターをもってやっていたわけで、彼が「やりたい放題」やっていても、代わりの社員がいない以上、黙認せざるをえなかったのではないですか?彼だって「文句があるなら告発してもいいよ。でも、この仕事、いったいほかに誰ができる?」みたいな行動をとっていたのではないですか?会社にとって用地買収は避けられない仕事。その重要な仕事を彼以外に代替できない・・・ということで、おかしなことをやっていても「しかたがない」で済ませていたのではないですか?

と申し上げました。(当時、ご担当者の方から、ぜひ事件についても触れてほしい、との要望がありましたので、私の率直な感想を述べました。もちろん、みなさんシーーーーンとされておりましたが。)昨日のニュースを読み、やっぱりなぁ・・・といったところですが、「組織の認識の有無」は、被告人の犯行の重要な背景事情になるわけですから、こういった形で表に出てくることはどこまで会社として予想されていたのか、そのあたりがとても知りたいところであります。担当社員の違法行為が「一次不祥事」であれば、組織が裏で便宜を図るのは「二次不祥事」でしょうし、かつマスコミからの問い合わせに「裏の確認書の存在は一切知らない」と言い切ってしまったのは「三次不祥事」に該当します。

この「二次不祥事」はまだ企業の性格からして、(もちろん悪いことですが)用地買収を進めるうえでやむをえなかった行動、ということで同情の余地があるかもしれません。しかし問題は「三次不祥事」(マスコミからの追及に対して虚偽説明をしてしまう)であります。会社側は「現在調査中」とのコメントを出しておられますが、昨年11月当時、あれだけマスコミが「組織ぐるみでは」と質問責めをしているなかで否定をされていたわけですから、どうにも始末が悪い。有事に直面した企業の危機対応は、それ自体、企業の本当の姿を表すといえます。「これが企業風土」と言われても反論できないわけでして、そのあたりがとても残念なところであります。

「待ってました」とばかり各紙が報じるわけですから、これが一般の民間企業でしたら信用の著しい低下は避けられないところかと。傾く心配のない企業ですから、大事にはならないわけですが、できれば「四次不祥事」など発生しないような誠実な対応をとっていただきたいと願っております。

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2012年1月25日 (水)

外から「あやしい」中から「おかしい」の関係

今週号の日経ヴェりタスの記事「会計不祥事 決算書に残る痕跡」を興味深く読みました。最近の不祥事続発の影響からか、「粉飾はこうして見破れ!」的な記事を新聞や雑誌でよく拝見いたします。確かにヴェリタス誌で紹介されているようなエフオーアイ、シニアコミュニケーション、メルシャン等の事例分析を読むと「なるほど、公表されている決算書等からでも、こくやって粉飾の兆候は出ているんだ」と納得いたします。

ただ、気を付けなければならないのは、最近の会計不祥事にしても、上記問題事案にしても、新聞で大きく取り上げられて、話題になったからこそ当該企業の決算書を熱心に分析できるわけでして、これもやはり「後出しジャンケン」の世界であります。では粉飾発覚前に同様に分析できるか・・・・といいますと、これは当該会社と余程の利害関係人でなければ分析は困難ではないかと。

たしかにヴェりタス誌で紹介されていらっしゃるクレディスイス証券のアナリストさんのように、オリンパス社の粉飾の予兆を2年前から気づいている方がいらっしゃったとしても、それは外部から「あやしい」と感じるところまでであり、「おかしい」と声を上げることはなかなかできないんじゃないでしょうか。いや、外部の方ですから「おかしい」と声を上げる必要もないわけでして、あやしいと感じるのであれば、投資家として「危うきに近づくべからず」とすればよいわけです。そういった意味では、「粉飾決算はこうして見破れ」的なハウツーは、投資家サイドの方々にとっては相当程度、意味のあるものだと思います。

しかしよく考えますと、投資家の方々が「危うきに近づかず」が金銭的に意味のあるものになるためには、誰かが「おかしい」と声を上げる必要があるわけです。誰かがおかしいと声を上げて、これを端緒として社内や行政当局の調査が開始され、最終的に企業側が不適切な会計処理であったことを公表して、初めて意味がある、といえます。上記ヴェリタス誌で紹介されているフタバ産業さんの事案などは「会計士が発見した」とありますが、おそらくこれも社内情報から会計士さんが「おかしい」と疑惑を抱いた事例だったものと推測いたします。

では一体だれが「おかしい」と声を上げるのか?おそらく社内の役員の方から「おかしい」と声を上げるか、もしくは複数の社員の協力をもって「おかしい」と声を上げる必要があるのでしょうね。いま内部通報によって会計不正が明るみに出た事案をいくつか分析しているところですが、やはり一般社員の内部通報が経営者不正につながる事案では、一般社員の単独行動だけでは明るみに出ることは難しいように思われます(大王製紙さんの事案などが代表例です)。たとえ投資家と同様、「あやしい」と感じることができても、「おかしい」との心証を形成できるところまで事実を解明することも難しいのですが、それより難しいのは声を上げること。ここに「あやしい」と「おかしい」の大きな差があるように思います。

上誌のプロが教える「ここに注意」なる欄も興味深いところですが、これを読んでおりまして「時間軸が必要だなあ」と感じました。外のコンサルティングがひょこっと会社に伺って、あやしいなあとは思えても、おかしいとは断言できないわけで、これが「おかしい」と断言できるためには相当に時間的な変化まで読み取る必要がありそうです。昨年末に公表されたゲオ社の社外調査委員会報告書などを読んでも、「おかしい」と声を上げることができるのは、社内力学が機能するなかで、いろんな経営判断に関する対立構造が生じたためであり、結局は役職員の「並々ならぬ欲望」に起因するところではないか、と感じました。外からみた「あやしい」を中からの「おかしい」にどう結び付けることができるか、このあたりはきれいごとでは済まない、不正の早期発見のための重要な論点だと思います。

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2012年1月23日 (月)

これって「有事」なの?「平時」なの?意外とむずかしいリスクマネジメント

先週は、幸運にも企業不祥事で昨年新聞を賑わせた上場会社2社の監査役さん(おひとりは常勤監査役、もうひとりは社外監査役)とゆっくりとお話をする機会に恵まれました。事実関係の詳細から「ん?それは新聞や週刊誌で読んだ内容と少し違うのでは?」と思うところもあり、またオフレコに近いようなお話もお聞きできて、非常に参考になりました。

なかでも共通して感じたことは、不祥事が発生したときの各監査役さんの「温度差」であります。そういえば玉井英二氏が語る「阪神電鉄vs村上ファンド」第一話(法と経済のジャーナル)に登場する阪神電鉄社の取締役の方々も、村上ファンドが株を買い増していくなかで、「たいへんな事態」という感覚にズレがありました。これは取締役に限ったことではなく、監査役さんにとっても同様で、「いつ平時対応から有事対応に切り替えるか」ということが非常に重要なことだそうであります。この有事感覚を一歩間違えますと、不正に関与した取締役の使用していたパソコンのメールが「復元困難ソフト」を利用されて削除されてしまい、後日の第三者委員会からも非難されてしまうことになるかもしれません。

たとえば普段仲良くしている取締役の方々との関係も、有事となると独立公正な振る舞いが必要となってくる場面もあるでしょうし、有事対応の手法において、いつも和やかな監査役会が突然意見の対立する場面になるわけですが、「いまは平時なのか、それとも有事の振る舞いが必要なのか」ということを理解するのは意外とむずかしいようです。たしかに、我々は新聞等で大きく報道されますと、とんでもない企業不祥事が発生したものだ、いったい監査役や監査法人は何をしていたんだ!と嘆くわけですが、それは「後出しじゃんけん」の発想であり、不正疑惑が発覚し、社内調査が進行している時点においては、おそらく社内のだれもが「これって報道されるほどのことはないのでは?」「社内で穏便に済ませるのが一番良いのでは?」「公表しなければならないほどのことだろうか?騒ぎすぎではないか?」と感じているわけです。上のおふたりとは違いますが、先週、ダスキン事件で被告(当時の社外監査役)となられた大阪弁護士会のY先生ともお話したとき、Y先生も「いまでこそコンプライアンス経営が当たり前のように言われる時代ですが、当時はそれほど公表の要否が問題になる、という意識は希薄だったように思います」とおっしゃってました。

とくに監査役さんの場合、監査見逃し責任が問われるわけで、「そういえばあのときの取引って、ちょっとおかしかったよな」とか「いままでだったら先に監査役にも相談があるはずなのに、なんで事後報告だったんだろう、と感じてました」など、思い当たる節があると「任務懈怠責任」に少し思い悩むこともあるかもしれません。タイムマシンで三か月後の新聞報道などに触れることができるならば「いまこそ有事」と認識できるわけですが、それも叶わず、リーガルリスクに悩むことになるわけです。これはとてもコワイことだなぁ・・・と。

ひとくちに「役員のリスク感覚」といいますが、これって単に心の中で「おかしいな」と感じることだけでなく、むしろ行動で示すことのほうが重要なのですね。ただ、有事に立ち至った意識に基づく行動は、周囲からは「何もそこまでやらなくても」とか「あなたの考えが間違っていたらどうすんの?会社は大恥かくことになりますよ。それでもいいの?」といった声に囲まれてしまうわけで、それでも行動に移す勇気も含めて「リスク感覚」というのでしょうね。現に不祥事発覚後でも「この程度なら社内調査委員会で十分では?」「いやいや、社外有識者だけの第三者委員会を設置しなければ信用を維持することはできませんよ」といった社内での意見の対立はしばしば見受けられるところです。

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2012年1月19日 (木)

サラリーマン根性とコンプライアンス意識の統合について

私が司会をいたしましたNBL(商事法務)新年号「コンプライアンス改革」座談会の記事につきまして、お読みになられた川井信之弁護士が、ご感想をブログに書いておられます。こういった感想は、辛口のほうがありがたいわけですが、座談会に出席された増田英次弁護士のご意見に関心を寄せておられます。以下、川井先生のブログからの引用ですが、

増田先生は、法令遵守に関しては、表面上の遵守に留まるのではなく、無意識のレベルまで変える(マインドを変える)ことが重要と唱えられており、こうした無意識を変えるためには、「臨場感を上げる」(他人事ではなく、自分のものとして捉える)ことが大事だ、とおっしゃられています。
 そして、臨場感を上げるためには、具体的には、「正しいことをしたらどんな利益があって、自分にどんな満足感があるのかというのを多くのビジネスパーソンが肌でもって体験する」ということが必要だ、と発言されております。(同記事67~68ページ)

この増田弁護士のご発言は、私も司会をしながら、とても感銘を受けたところでした。

ところで、本日、私が代表を務めます関西CFE研究会(関西不正検査研究会)の今季、最後の研究会が開催されまして、オリンパス事件の報告書に出てくる「悪い意味でのサラリーマン根性」って一体どんな意味なんだろう?という話題が出てきました。30名ほどの出席者の中でも一番若い(たぶん)30代前半の某上場会社の内部監査部門の方が、曰く

ちいさな組織で、全体が見渡せる職場のときは、自分の仕事が社会の役に立っているかどうか、意識できたんです。でも、組織が大きくなって、自分の仕事の専門性が高くなって、そのうち細分化された仕事を毎日こなしているうちに、仕事を達成する満足感が感じられなくなり、会社の仕事と社会のつながりとのイメージが湧いてこなくなってくるんですね。だから、大きな職場の社員は、もう内部通報制度なんかがあったとしても、とくに通報しないといけない・・といったイメージがなくなっちゃうんですよ。

この意見、私はなるほど・・・と納得いたしました。結局、大きな組織の中で、ご自身のパートをせっせとこなしておられる社員の方々は、「正しいことをしたらどんな利益があって、自分にどんな満足感があるのか、肌をもって体験する」ことができなくなっているのではないでしょうか?昨日コメントをいただいた「法務担当」さんのご意見なども、やはりこのような実感につながるものがあるように感じました(この法務担当さんのコメント、私はずいぶんと心に響きました)。私はこのあたりの問題意識のなかに、マインドから変えていくコンプライアンス改革のヒントがあるように感じた次第です。不正のトライアングルでたとえるならば、私なんかは「機会」の喪失に向けた処方箋を描くわけですが、増田弁護士は「動機」や「正当化根拠」の喪失に向けた処方箋を描く、ということになるのでしょうね。

余談ですが、増田英次弁護士は私と同期(42期)です。企業コンプライアンスを語る弁護士にふさわしい経歴の持ち主ですが(西村総合➔海外留学➔メリルリンチ法務部長・同執行役員➔LLM➔独立)、私生活においてたいへんつらいご経験をされたことが、「社員にやさしいコンプライアンス(コーチング理論)」を提唱・実践されている根源にあるのではないかと(勝手に)推測しております。某著名グレー企業の顧問弁護士➔債権者破産➔失職➔今までの反動でコンプライアンス部門へ転向、という私の経歴とえらい違いです(ToT)/

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2012年1月18日 (水)

オリンパス株主代表訴訟と監査法人の法的責任

各紙で報じられているとおり、オリンパス社の個人株主の方が、同社不祥事案では初めて取締役に対する責任追及訴訟(株主代表訴訟)を提起されたそうであります(朝日新聞ニュースはこちら)。会社がすでに取締役の責任追及訴訟を提起しているにもかかわらず、なにゆえさらに株主代表訴訟を提起したのか、といった理由は、まさに私が1月11日付エントリーで述べたところとピッタリ一致するようです。勝敗は別として、取締役責任調査委員会の報告書には、なぜウッドフォード氏が、昨年2月に社長、そして同6月には代表取締役に選任されたのか、その理由が記載されていないわけですから、素朴に考えますと、株主から代表訴訟が提起されるのも当然のことではないかと思われます。

さて、取締役の責任追及とは別に、オリンパス社より監査役等責任調査委員会報告書がリリースされております。(以下は、単なる私見であり、思いつきの意見にすぎませんのでご注意ください)

この報告書では、主にオリンパス社の長年の損失飛ばしによる粉飾決算を見逃してきた監査役および監査法人に対して、法的な責任が認められるかどうかが検討されております。ウッドフォード氏による告発時における監査役監査の問題については、上記取締役責任調査委員会報告書に対するものと同様の疑問がありますが、他の部分については監査役が定例監査から非定例監査に移行すべき「異常兆候」の具体的内容が記されてあり、おおむね妥当なものではないでしょうか。ただし「最後に」のところで、法律や会計の専門家でもない者に、調査報告書の「限定条件」等に配慮せよ、というのは酷である・・・との言い回しが出てきますが、監査役の責任認定の中で、2009年調査報告書を検討したとしても、監査役の任務懈怠は左右されない、といった趣旨のことが書かれているように思うのですが、これは矛盾していないのでしょうか?(同調査報告書96頁と同161頁との比較。単純に私の読み方が悪いだけなのでしょうかね??)。

あと、この報告書の結論として、ニュースでは「監査法人の責任が否定された」とありますが、当委員会は両監査法人から監査計画書、監査調書等の提出を受けていないわけですから、その責任を追及できないのはむしろ当然のことであります。たとえば同報告書も引用しているナナボシ事件判決(監査法人が敗訴した事案)では、原告側が文書提出命令によって裁判で膨大な監査調書の提出を受け、原告側代理人がこれを念入りに調査したうえで監査法人の過失立証を組み立てたわけですから、監査法人の法的責任追及には監査調書の提出は不可欠であります。なんら監査調書も所持しない状況では到底「監査法人に責任あり」とはいえないはずです。したがいまして、裁判にならないと監査法人の責任が否定されるかどうかはわからないわけでして、これは調査委員会の限界であります。

また、監査法人の法的責任を論じるにあたり、現場担当者の行動に照準をあてるのか、それとも監査法人の組織としての対応に照準をあてるのか、そのあたりが明確にされていないように思いました。平成19年の公認会計士法改正により、監査法人は品質管理が求められるようになり、現場担当者が問題を解決できないような場合であれば、組織内で審査会等を通じて意見形成を行うはずです。つまり、裁判になれば監査法人のだれのどのような判断に問題があったのか、特定されなければならないと思います(個々の会計士にとってどこまで不正の疑惑を認識していたのか、当然に異なるわけでして)。チーム医療に関する裁判例がいくつも出てきており、専門家組織による委任事務処理の法理が少しずつですが明らかにされているところですから、監査法人による監査上の注意義務の認定においても、同様の法理が成り立つのではないかと。つまり現場担当者の判断に問題があった、ということであれば従来と同様の訴訟となりますが、問題案件について、持ち帰って上層部における判断が意見形成に影響を及ぼしているのであれば、だれのどのような判断が問題視されるのか、そこを訴訟では明らかにするような形になろうかと思います(現場担当者が認識していた不正疑惑の事実が、きちんと伝達されないまま上層部が意見形成に関与しているのであれば、それは監査法人の内部統制構築義務違反に該当する可能性があります)。

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2012年1月17日 (火)

公認会計士の不正発見義務と「為す債務」

もうすでに会計士の方々のブログで取り上げられておりますが、日本公認会計士協会の監査・保証実務委員会より、研究報告「不適切な会計処理が発覚した場合の監査人の留意事項 について」(公開草案)」が公表され、意見募集中であります。昨今の企業不祥事に対する会計監査人の監査見逃し責任が議論されるなか、不正が発覚した場合に会計監査人がどのような身の処し方をすべきか、モデル案を提示することは非常にタイムリーかと思います。

大阪弁護士会では、昨年に引き続き、本年度も、会計士協会近畿会さんと共済事業を企画し、会計監査人の法的責任論についてパネルディスカッションを予定しておりますが、いつも議論のなかで登場するのが「会計監査人の不正発見義務」です。上記の研究報告や、架空循環取引等、会計不正の疑いがある場合の会計士の身の処し方に関するモデル報告などを読み、この点について少し触れる必要があるのでは・・・と感じるところがあります。

もちろん、きちんとご理解いただいている会計士の方もいらっしゃいますが、会計士の不正発見義務・・・というのは「結果責任」を問われるものではありません。たとえば某上場会社の粉飾決算が発覚し、その会社の監査を担当する監査法人が粉飾に気づかなかった場合、監査法人には不正発見義務違反の債務不履行が認められ、あとは担当していた会計士さん方に過失が認められるのかどうか・・・という法的な組み立てにはならないと考えます。会計監査の制度が100%保証・・・というものでない以上、これは仕方のないことかと。たまたま不正が発覚したから責任を問われる、というのでは「たまったものではない」ですし、会社と監査法人との準委任契約という法的性質にも合致しないからです。

そもそも会計監査人に結果責任が問われるのではなく、「為す債務」つまり専門家としての注意をもって監査証明業務に最善を尽くす義務が認められるのであり、したがって粉飾についても、不正発見に向けて尽力する義務を履行していたかどうか・・・ということが法的に問題になるはずです(これは取締役や監査役の善管注意義務と同じ発想です)。昔から不正の疑いがあれば会計士としての注意義務をもって調査すべき、と言われていたのかもしれませんが、最近はリスク・アプローチによる監査手法が浸透したことや、内部統制監査の制度化、金商法193条の3の新設、誤謬と不正とでは財務諸表の虚偽記載に及ぼす重大性に差が生じること等から、以前に比べて格段に不正発見に向けて尽力すべき義務の要求レベルが増してきたのではないかと思います。

さて、そのように考えますと、会計監査人にとって重要なのは「不適切な会計処理発覚時における身の処し方」よりも「不適切な会計処理か否か不明な時点において、これが不適切な会計処理であることをいかにして判断するか」ということではないかと。会社の調査委員会の判断が先行するような場合であればよいのですが、まだ会計不正が発覚していないけれども、会計監査人が疑惑に気づいた場合や、内部通報を受理したような場合であります。こういった場合の行動規範をモデル化することが、上記「不正発見に向けて尽力する義務」を履行したか否かにとって重要なことではないでしょうか。オリンパス事件における第三者委員会報告書では、A監査法人と会社側との交渉経過が詳細に出ていることや、一部報道において、ウッドフォード氏から告発に関する報告書を受領したS監査法人が「外部からの通報と同等に取り扱った」と述べていることなどから、そのあたりの重要性について理解すべき、と思われます。

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2012年1月16日 (月)

経営者のリスク感覚と「通訳者」の必要性

当ブログでも5年半前に盛り上がりました「阪神電鉄VS村上ファンド」の一件でありますが、先週1月12日の朝日「法と経済のジャーナル」の特集記事「元住銀副頭取が語る阪神VS村上ファンド攻防の秘話(その1)」は誠におもしろい内容です。村上氏が、NPO団体の活動に参加し、「炊き出し」など東日本大震災のボランティア活動をしている・・・という話しも新鮮ですが、なによりも当時阪神電鉄の社外取締役であった玉井英二氏によって村上ファンドが47,5%の阪神株式を保有するに至るまでを詳細に語られている攻防秘話は、とても興味深いものであります。住友銀行の元副頭取である玉井氏といえば、その後、不祥事問題で騒がれた赤福社の取締役に就任したことでも有名な方です。

玉井氏の語る阪神電鉄首脳部の村上氏への対応は、おそらく「どこの会社でも大なり小なりあてはまる」(玉井氏)ものであり、玉井氏が「たいへんですぞ」と申し向けても、首脳陣には買収リスクというものがほとんど実感されず、30%を超えるほどに村上氏から株を買い占められた頃になって、初めて「えらいこっちゃ」ということで右往左往することになります。この阪神電鉄の取締役の方々と村上氏との対面の場面も詳細に記されておりますが、私はこの部分を読み「なるほど、IFRS(国際財務報告基準)を経営者が理解する、ということは、こういう場面があるから必要なのか・・・」と合点がいきました。

企業買収リスクやIFRSだけでなく、反社会的勢力対応やBCP(事業継続計画)、システム障害や個人情報管理など、専門家の方々が「これは現場担当者が理解しているだけで済む問題ではなく、経営判断マターですよ」とおっしゃるわりには、どうも経営陣と温度差が激しい課題というものがあるように感じます。金曜日(1月13日)にも、私は日本内部監査協会で講演をさせていただき、そのあと懇親会で多くの内部監査室の方と意見交換をさせていただきましたが、内部監査や監査役監査の重要性を実務担当者は理解されていても、業務の有効性・効率性のために重要であることがどれほど経営執行部に理解されているか心許ない・・・との意見が多数聞かれました。

普通は、「みずほ銀行さんがシステム統合に2500億円をかけて取り組む」との報道(1月7日付日経新聞ニュース)にあったように、自社が痛い目に合わないと、なかなか経営判断にまでは至らないケースが多いのではないでしょうか。経営トップにとりまして、業績がなかなか向上しない状況のなかで、リスク管理に真摯に取り組むインセンティブはなかなか見いだせないかもしれません。ただ、内部監査や会計監査、監査役監査の重要性については、このたびのオリンパス事件や大王製紙事件が、いわば「通訳」の役割を果たしたものと思います。毎日の新聞報道等から、「うちの会社のガバナンスは大丈夫だろうか」と冷静に考えた役員の方々も多いと思います。

IFRS対応にしても、反社会勢力対応にしても、専門家の間では議論の深化が進み、たとえば専門家同士、もしくは専門家と実務担当者での議論はなるほど、高度なものになりつつあるように思います。しかし、そこで専門性が高まれば高まるほど、経営者の意識とかい離が生じ、課題への対応の必要性が認識されず、また認識されたとしても、取り組みは実務担当者任せ、という結果に終わるようです。村上ファンドは10%の阪神電鉄株式を取得した時点で玉井氏に連絡をとってきました。「えらいこっちゃ」の予兆が玉井氏から経営トップに情報伝達されるのですが、これに経営トップは全く反応しませんでした。リスク管理は実務担当者任せ・・・という事態では、おそらく経営トップはこれと全く同じ状況になってしまうのではないかと。

監査の重要性では、オリンパス事件等の突発事故が「通訳」となりましたが、IFRS導入やリスク管理の機運が盛り上がるためには、こういった専門家や実務担当者と経営トップのコミュニケーションを図る「通訳の立場の人たち」が必要になるのではないか・・・と最近、考えております。そこでは専門領域の異なる人たちが集合して、統合的な知識が必要となる場合もあるでしょうし、また「俺はこの分野ではこんなに高いスキルを持っていて、業界をリードしてるんだぞ!」といった意識を捨てて、一般の経営者の方々が、自己責任によってリスク評価が下せる程度にわかりやすい説明が求められる場合もあるでしょう。また、そういった通訳の方々の話を聞き、不要不急なコンサルティングを理解することにも役立つのかもしれません。きっと専門領域に生きる人たち(専門性を追求したい方々)には「おもしろくない仕事」かもしれませんが、でも誰かがそれをやらなければ、上記に示したような課題が経営判断と認識されることは「法の強制でもないかぎり」は非常にむずかしいのではないか、と思う次第であります。

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2012年1月13日 (金)

家族を不幸にするインサイダー取引(その2)

もうかれこれ4年半前に書きましたエントリー「家族を不幸にするインサイダー取引」の続編であります。あれから味の素社員による日本初の否認審判事件があり、カルピス社員の妻による「聞いちゃったインサイダー」事件もあり、本当に妻名義による株取引が問題化した事案もありました。これまでは課徴金事案だったわけですが、経産省官僚の方によるインサイダー疑惑につきましては、妻名義(4口座)による取引が特捜部主導による刑事事件として取り扱われることとなったようです。

もちろん、日本で一番(インサイダー取引を)やってはいけない人がやってしまった、との疑惑があるわけですから、刑事処分、しかも否認事件とあって、身柄拘束ということになってしまうのも仕方ないかもしれません。しかし、私が一番心配するのは、ご本人が否認していることによって、どれほど親族が過酷な捜査に耐えなければいけないのか・・・・・ということであります。まぁ、ご本人については、たとえインサイダーに該当せずとも、組織内ルールに反する行動があったようですから(取扱い企業の株売買の禁止、売買時の報告義務違反等)、疑惑をもたれること自体、自己責任と言われてもやむをえないと思います。しかし家族の方々はどうなんでしょうか。

「俺はやってない。妻が自分の利益のためにやったんだ」との抗弁は、それが真実であれば奥様も耐えられるでしょうけど、夫をかばうために「私が自分の利益のために、たまたま聞いちゃった情報をもとに買っちゃいました」と虚偽の供述をされるのでしょうか?下手をすると共犯や証拠隠滅の刑事犯に該当してしまうわけで、普通は奥様をそのような窮地に陥らせてまで否認を貫く、ということはないんじゃないかと。いずれにしましても、家宅捜索を受ける奥様の境地、そして本日の経産省幹部逮捕の裏で、奥様は捜査機関に対してどのような供述をされているのか、とても関心があるところです。

ところで、以前のエントリーで、某社の資本提携に関する事案につき、株価と出来高を示して「明らかにインサイダー取引があったのでは?」といった感想を書きました。取引所も当局の方も、「絶対にインサイダーは見逃さない」といった解説をされますが、実際には摘発できないインサイダー取引も多いのではないかと(^^;;。

ただ、昨今はJ-IRISSに登録する上場会社も急増しておりますし、各企業とも内部統制の一貫としてインサイダー取引防止体制を構築され、社内ルールも整備されてきておりますので、おそらくピンポイントで審査や調査が絞られるケースも増えているのではないかと推測いたします。当局も人的資源が限られておりますので、リスクアプローチの手法により、嫌疑が濃厚なものを優先的に対象事案とされることが考えられます。やはり普段の株取引の時点において社内ルール違反の事実が認められるのであれば、重点的に調査や審査の対象になるのかもしれません。そう考えますと、社内から不幸な犯罪者を出さないためにも、インサイダー防止のための社内ルールはきちんと運用しておくことが企業のリスク管理の視点からも大切なことではないか、と思うわけであります。たとえ自身が株取引をしない方であっても、情報提供者となって周囲の者を不幸にしないことも心得ておく必要があろうかと思います。

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2012年1月11日 (水)

オリンパス社取締役会は、なぜウッドフォード氏を代表者に選んだのか?

皆様、新聞ニュース等でご承知のとおり、オリンパス社の開示情報として、「取締役責任調査委員会(弁護士3名による構成)」から200頁に及ぶ報告書がリリースされました。甲斐中報告書(第三者委員会報告書)に依拠するところが多いとしても、短期間に31名に及ぶヒアリングを行った上での詳細な報告書提出、ということで、関係者の方々の正月返上での尽力に頭が下がります。新旧取締役の善管注意義務違反の有無を判断するにあたり、前提となる事実認定ならびに法的検討が詳細に行われており、結論の厳格さからみても公正さがうかがわれ、高く評価されるものかと思われます。ただ、法的評価につきまして、私は別の意見を有しております。

ウッドフォード氏がオリンパス社の役員会で2008年の国内三社の買収、ジャイラス社買収時のFA手数料の異常さに異議を唱えた際の調査が不適切であったことについて、ウッドフォード氏を解任する決議に参加した取締役には法的な意味での善管注意義務違反は認められない・・・と上記報告書が結論付けておりますし、このような結論を導く根拠としましては、すでに昨年11月9日の当ブログでのエントリー「他社をかばう美徳とオリンパス事件の進展」のなかで検討したとおりでありまして、ほぼ予想どおりであります。

調査委員会の報告書は、多くの取締役がウッドフォード氏が代表取締役としての適格性に欠ける、という意味で解任決議に賛成したのでありまして、なにも不正事実の調査放棄に結び付くわけではない、と結論つけております。しかし、ウッドフォード氏が告発したのは、単なるオリンパスの一社員による内部通報としてではありません。れっきとした大会社の社長たる地位にある者が、第三者的立場にある会計事務所(PWC)の意見を添えて不正疑惑を持ち出してきたのでありますから、「異常な兆候」つまり不正行為を合理的に疑わせるだけの客観的・外形的な事実が存在していたのであります。したがいまして、「もう前に済んだことだから」「どうも社長としての適格性に欠ける」(調査報告書107頁以下参照)という意味で解職したことが(調査義務放棄とは結びつかず)善管注意義務違反にならない、というのであれば、その前提として「なぜ、あなた方取締役は、その数か月前にウッドフォード氏を代表取締役に選出したのか?」という点が明らかにされなければ説得力に乏しい、と言わざるをえません。

しかし、上記調査報告書では、なぜオリンパス社の取締役会が、解職の数か月前にウッドフォード氏を代表取締役に選んだのか、その詳細な検討がなされておりません。もう数年前から次期代表者はウッドフォード氏と決まっていたのであれば理解できますが、日本人ではなく外国人の社長を同社として初めて選出するわけですから、たとえば日本的経営感覚と合わないとか、日本に滞在する期間が短いとか、そういったことは覚悟のうえで、同氏を代表取締役に選出したのではないかと思われます。また、そもそも「経営感覚に問題がある」のであれば、就任以降のウッドフォード氏が代表者としてふさわしくないことを物語るような「特徴的な出来事」などにも触れたうえで、この「過去の不正疑惑の告発」が解職判断の決定的な出来事になった、といった経緯が解説されていなければなりません。そのような経緯も説明されず、不正告発の直後に「経営感覚が合わない」といった理由で解職に全取締役が合意する、というのは、明らかにウッドフォード氏を代表者に選出した動機と矛盾するものでありまして、到底信用できないものであります。

異常な兆候を目の前にして、取締役が少しばかりの努力によって、その解明の糸口を把握することが可能なのであれば、その「少しばかりの努力」をしなかった取締役に善管注意義務違反が認められるのは、平成21年の大原町農協事件最高裁判決、平成11年の釧路生協組合債事件高裁判決の理屈にも合致したものであり、本件でも「社長の告発」だからこそ、他の取締役にはこの「少しばかりの努力」が必要だったのではないかと考えます。多数の取締役・監査役の責任が認められたダスキン事件株主代表訴訟判決におきまして、「いますぐ公表せよ」と役員会で異議を唱え、社長に手紙を送った社外取締役の方は、(結局不正隠ぺいを食い止めることはできませんでしたが)この「少しの努力」を惜しまなかったために、責任を問われることはなかったわけでして、今回のオリンパスの取締役の方々にとっても、この少しの努力は決して期待可能性に乏しかったわけではないと思われます。

また、ウッドフォード氏を解職したとしても、ウッドフォード氏は取締役として残るわけですから、取締役の面々としても、せめて第三者委員会を設置して検討することぐらいは考えていた(したがって、解職への賛同と調査義務放棄とは結びつかない)と、調査報告書は述べております。しかし、①現実にはウッドフォード氏は「直ちに自分ひとりで英国に帰るように」と申し向けられ、業務執行取締役としての地位は喪失していたこと、②海外のマスコミが騒ぎだした直後、オリンパス社は「根も葉もないうわさを軽信するな。もし噂を流すのであれば法的措置も辞さない」と公表し、そこには再度の調査意思があることは一切認められないこと、③そもそも週刊朝日のスクープがきっかけとなって不正事実を公表したものであり、内部調査を行ったことを示す根拠が一切見当たらないこと等からみますと、調査委員会が述べるように、ウッドフォード氏の解職と調査義務懈怠が別問題とする理由にはあまり説得力がないように思われます。

私のような考え方ですと、技術系出身の取締役さん、社外取締役さん方にとっては厳しすぎるのではないか、とのご意見もあろうかとは思います。そのあたりは、損害との因果関係を検討したり、(報告書にもあるように)求償関係によって割合的な責任を検討することで調整すべきではないでしょうか。12月6日に公表された甲斐中報告書でも詳しく触れておられませんが、どうしてオリンパス社は昨年6月、外国人であるウッドフォード氏を代表取締役に選んだのか?不正会計の処理が済み、本当にグローバルな企業として生まれ変わろう、との前向きな気持ちで役員全員の賛同をもって選出されたのではないのでしょうか?そう考えれば考えるほど、取締役の方々の不作為(監視義務違反、調査義務違反)の重みを感じざるをえません。

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2012年1月10日 (火)

オリンパス社の責任追及訴訟と「なれ合い裁判」の防止

オリンパス社の取締役責任調査委員会が、新旧併せて20名ほど(十数名ほど?)の取締役の法的責任を認めた、との報道がされておりますが、年末のNHK報道(法人としてのオリンパスの刑事責任追及か?)と併せ考慮しますと、本当にオリンパス社の上場は維持されるのでしょうかね?たしかに債務超過ではありませんし、その影響度が計り知れないものとなるかもしれませんが、「組織ぐるみ」と評価されても仕方ないような状況になっているようにも思われます。当ブログでも予想していたように、結局は廃止にはならない(特設注意市場銘柄に落ち着く)のかもしれませんが、博多ぽんこつラーメンさんがご指摘のように、一般の投資家にもわかるように、廃止とならない理由を取引所は説明しなければならないと思います。

ところで株主代表訴訟の提起寸前(提訴請求期間満了直前)の1月8日、オリンパス社自身が、取締役らに対する責任追及訴訟を提起したそうであります。取締役の責任を会社が追及するわけですから、同社の監査役が会社を代表して訴えを提起したことになります。10日には「取締役責任調査委員会」の報告書が公表されるようで、その内容が注目されるところです。

ただ、監査役や監査法人も株主代表訴訟の対象となっていることから、オリンパス社は(提訴請求期間満了の)1月中旬までに「監査役等責任調査委員会」の報告をまって、今度は監査役や監査法人(あずさおよび新日本)を訴えることになりそうです。この場合には監査役ではなく、代表取締役が会社を代表して提訴することになります。おそらく取締役の方々は「監査役会のお墨付きをもらったから経営判断としては適切だった」と抗弁を主張されることでしょうし、監査役の方々は、巧妙に一部の取締役らによって隠ぺいされた事実および取締役会の監督機能に第一次的責任がある、と抗弁されるでしょうから、ここにも利益相反関係が成り立ちそうであります(ややこしいですね)。あの甲斐中第三者委員会報告書の内容からしますと、監査役や監査法人に法的責任なし、との調査委員会報告書は出ないと思われます。

ダスキン事件では取締役、監査役双方の法的責任が認められましたが、これは株主代表訴訟でしたので、手続き的にはそれほど大きな問題はありませんでしたが、オリンパス事件では、会社自ら役員を訴える、ということになりましたので、今後展開される訴訟が「会社と役員との馴れ合い」裁判になってしまうのではないか?との不安が生じるところです。代表訴訟を提起する予定の株主の方々がいらっしゃいましたので、馴れ合い訴訟を防止するために、原告である会社側に訴訟参加をして共同訴訟形態で裁判が進むかもしれません。また、これまで代表訴訟提起を考えていなかった一般の株主も、この訴訟に参加する機会が与えられなければなりませんので、会社が訴えた裁判の内容をオリンパス社は公告しなければなりません。

しかしながら、オリンパス社の全役員の方々が被告とされているのであれば、裁判を実質的に進めることはできるのでしょうか。訴訟準備のための関係書類は地検や警察、金融庁、取引所などに持っていかれてしまっているかもしれませんが、とりあえず裁判を進めるにあたり、被告とされている役員の方々が証拠書類にアクセスすることはできないのではないかと。また、訴訟代理人の弁護士としても、これまでオリンパス社の顧問をされていた法律事務所ではなく、少なくとも取締役責任調査委員会の委員を務められた弁護士の方々が「横滑り」で代理人に就任するのが適切ではないかと思いますがいかがなものでしょうか(監査役や監査法人の責任追及訴訟についても同様)。いずれにしても、訴訟参加する一般株主の代理人弁護士と共同で責任追及訴訟を追行する、ということになるような気もいたします。ウッドフォード氏は、英国審判所で元役員の方々を訴える、ということで、オリンパス社の上場維持問題と並び、今後の責任追及訴訟の進展が注目されるところであります。

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2012年1月 6日 (金)

JR西日本福知山線(宝塚線)事故・刑事事件判決を前にして

1月11日は、いよいよJR西日本福知山線(宝塚線)事故における刑事判決の日です。山崎元社長の業務上過失致死被告事件に関するものであり、いわゆる歴代社長に対する「強制起訴」事件ではなく、検察が起訴したほうの事件であります。安全対策の不作為が問われる事件としてはパロマ工業事件を当ブログでも取り上げましたが、本件も(今後の強制起訴事件の行方を占う意味でも)注目される判決です。持論はまた判決が出てから述べることとして、とりあえず問題点の整理だけを備忘録程度に書き留めておきたいと思います。

1 なぜ歴代社長は不起訴とされ、山崎氏のみが起訴されたのか?

よく「経営トップの刑事被告事件」として本件が紹介されますが、検察は経営トップの刑事責任を追及したのではなく、平成8年から10年当時、鉄道本部長だった山崎元社長の実行行為を捉えて起訴したのであり、決して「経営トップの刑事責任」を追及しているわけではありません。今回も、山崎氏が鉄道本部長として安全面での責任者だったがゆえに「現場における重大事故の予見可能性があった」とされているわけです。したがいまして、争点も平成8年から10年頃の山崎氏の認識がどうだったのか、というところかと思います。なお、予見可能性については、ホテルニュージャパン火災事件や管制官ニアミス事件の最高裁判決などでも、かなり緩やかに認められる傾向にあることから、元社長には厳しいかもしれません。

しかし過失の実行行為性も問題となるはずであり、「経営トップ」でもない山崎氏が、自身の決定をもって直ちに現場にATS(自動停止装置)を設置できる立場にあったのか、山崎氏がなしうる「安全対策」は制御安全としての「運転手の安全教育」であって、本質安全としての「緊急時における停止装置の設置」ではなかったのではないか・・・というあたりが重要かと思われます。パロマ工業元社長の刑事事件判決では、この実行行為性の判断が詳細に展開されていましたので、もし元社長さんの刑事責任を認める場合には、このあたりもかなりきちんとした事実認定(判断根拠)が求められます。

2 なぜ10年以上も前の行為について、いまごろ刑事責任が問われるのか?

平成8年から10年ころ、ということですと、もう10年以上前の山崎元社長の不作為を問題とするわけでして、そもそも時効ではないのか?といった素朴な疑問も出てくるかもしれません。しかし、公訴時効は犯罪行為が終了した時点から進行するのでありまして、業務上過失致死被告事件の場合、過失による結果発生も犯罪行為に含まれます。したがいまして、どんなに不作為が以前のものであっても、結果(本件では死亡事故等)が最近になって発生した場合には事故発生時をもって犯罪行為が終了したことになります。もちろん、証拠が散逸しているわけですから、立件は容易ではありませんが、とりあえず公訴時効が成立する、という事態にはならないわけです。

3 なぜ遺族から「山崎氏は無罪とすべき」との意見陳述がなされるのか?

論告求刑の後、事故で亡くなった方のご遺族の方が意見陳述をされ、山崎元社長は無罪とすべき、と主張されました。多くのご遺族の方々が厳刑を求めているなかで、なぜ無罪を求める方がいらっしゃったのか?報道では「有罪とするには証拠が不十分であるし、本当に責任があるのは、従来から事故発生のおそれを認識していたにもかかわらず、ATS設置基準を作っていなかった近畿運輸局にあるから」だそうです。本当の事故原因はどこにあるのか、結局(法人の刑事処罰の制度をもたない我が国においては)特定の人間の刑事責任追及に傾きますと「黙秘権」の壁によって解明は困難となります。本当の事故原因を究明できない、ということは結局、有効な再発防止策も策定することができなくなり、再び同じような事故を繰り返すことになります。

このたびの政府による福島第一原発事故調査委員会は、誰に何を聞いたのか、一切を公表せず中間報告書を出しています。これは特定人の責任追及よりも、「現場で何が起こったのか」「本当の事故原因はなんだったのか」、つまり真の原因究明を第一に考え、有効な再発防止策の提言を重視したことによるものと思います。同様の考え方は、JR西日本の事故解明においても成り立つ可能性は十分にあると思われますし、(強制起訴事件を含め)誰かの刑事責任を問うことで「一件落着」で片づけることが、果たして本当に遺族の方々にとって有益なことなのかどうか、迅速な真相究明と関係者の刑事処分とのトレードオフ問題を、被告人の倫理意識だけに求めて解決できるのかどうか、改めて考える必要があるように感じております。

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2012年1月 4日 (水)

企業不祥事の根本原因を徹底追及できない理由

皆様、あけましておめでとうございます。今年も(若干、更新頻度は落ちそうな予感がいたしますが)当ブログをよろしくお願いいたします。<m(__)m>

昨年は様々な調査報告書を読む機会がありました。多くの企業不祥事に関する第三者委員会報告書に目を通しての印象や、私自身の第三者委員会委員としての経験からの感想でありますが、企業不祥事の本当の原因を徹底追及することは実はたいへん困難な作業ではないか、と感じております。と言いますのは、企業不祥事の原因が「社内自己完結型」であればきれいな報告書が書けるのでありますが、意外と自己完結型は少なくて、どこかに「他社関与型」の匂いがするものが多く、本当の不祥事原因を追究するには「他社」の関与に踏み込まねばならないからであります。

「他社の関与」というのは、ある事案では反社会勢力との遭遇であり、ある事案では行政当局のミスや癒着との遭遇であり、またある事案ではお世話になっている取引先企業とのなれ合いを示すものでして、これら「他社の関与」に踏み込まなければ実効性ある再発防止策を検討できないにもかかわらず、これに踏み込むことがタブー視される、という構造であります。たとえば、昨年末に触れました「法人の刑事責任」でありますが、たしかに「両罰規定」を通じて実定法化されているものもありますが、それはあくまでも役職員の刑事責任が問えることが前提となるものであり、個人の刑事責任と離れて、純粋に法人の刑事責任を追及しようとすると、おそらく上記の「他社の関与」にまで踏み込まなければなりません。したがって、我が国においては純粋な法人の刑事責任追及は、大きな勇気が必要となり、今後も進展しないのではないか、と考えられます。

また、たとえ「自己完結型不祥事」であったとしても、(これは時々、講演などでも申し上げるところですが)企業不祥事の根本原因を追及しますと、我が国企業の成長要因と重なり合うところがあるため、決して取り除くことができないものであることが判明してきます。たとえば販売促進のために取引先や顧客、同業他社担当者と信頼関係を築くことが営業職に求められる職責でありますが、それは裏を返せば取引先との共謀、顧客への例外的待遇、同業者との貸し借りを内包するものであります。また性能偽装事件にみられるとおり、トップメーカーの技術社員には高い安全技術への誇りが求められますが、それは裏を返せば「驕り」を内包するものであります。経営トップ同士の「義理人情」が企業を救うときもあるわけですが、その「義理人情」が裏を返せば「私を社長に推薦してくれた先代社長の不祥事を墓場まで持っていく」ことであります。つまり、企業の持続的成長のための要因には、かならず不祥事のタネが隠されているのであります。

昨年来「不祥事はなぜなくならないのか」と、いろいろなところで話題になりましたが、上記のとおり、企業はグローバルな競争を繰り返さなければならないのですから、不祥事は必然的に(宿命的に)発生するわけでして、そもそも企業不祥事をなくす、というのは現実問題として無理であります。しかしそれでもなお、不祥事は防止しなければならない、とすれば、企業のリスク管理の視点で何から手をつけていけばよいのか・・・・・、そのあたりを今年の本ブログの重要な課題として考えていきたいと思っております。

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