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2012年1月23日 (月)

これって「有事」なの?「平時」なの?意外とむずかしいリスクマネジメント

先週は、幸運にも企業不祥事で昨年新聞を賑わせた上場会社2社の監査役さん(おひとりは常勤監査役、もうひとりは社外監査役)とゆっくりとお話をする機会に恵まれました。事実関係の詳細から「ん?それは新聞や週刊誌で読んだ内容と少し違うのでは?」と思うところもあり、またオフレコに近いようなお話もお聞きできて、非常に参考になりました。

なかでも共通して感じたことは、不祥事が発生したときの各監査役さんの「温度差」であります。そういえば玉井英二氏が語る「阪神電鉄vs村上ファンド」第一話(法と経済のジャーナル)に登場する阪神電鉄社の取締役の方々も、村上ファンドが株を買い増していくなかで、「たいへんな事態」という感覚にズレがありました。これは取締役に限ったことではなく、監査役さんにとっても同様で、「いつ平時対応から有事対応に切り替えるか」ということが非常に重要なことだそうであります。この有事感覚を一歩間違えますと、不正に関与した取締役の使用していたパソコンのメールが「復元困難ソフト」を利用されて削除されてしまい、後日の第三者委員会からも非難されてしまうことになるかもしれません。

たとえば普段仲良くしている取締役の方々との関係も、有事となると独立公正な振る舞いが必要となってくる場面もあるでしょうし、有事対応の手法において、いつも和やかな監査役会が突然意見の対立する場面になるわけですが、「いまは平時なのか、それとも有事の振る舞いが必要なのか」ということを理解するのは意外とむずかしいようです。たしかに、我々は新聞等で大きく報道されますと、とんでもない企業不祥事が発生したものだ、いったい監査役や監査法人は何をしていたんだ!と嘆くわけですが、それは「後出しじゃんけん」の発想であり、不正疑惑が発覚し、社内調査が進行している時点においては、おそらく社内のだれもが「これって報道されるほどのことはないのでは?」「社内で穏便に済ませるのが一番良いのでは?」「公表しなければならないほどのことだろうか?騒ぎすぎではないか?」と感じているわけです。上のおふたりとは違いますが、先週、ダスキン事件で被告(当時の社外監査役)となられた大阪弁護士会のY先生ともお話したとき、Y先生も「いまでこそコンプライアンス経営が当たり前のように言われる時代ですが、当時はそれほど公表の要否が問題になる、という意識は希薄だったように思います」とおっしゃってました。

とくに監査役さんの場合、監査見逃し責任が問われるわけで、「そういえばあのときの取引って、ちょっとおかしかったよな」とか「いままでだったら先に監査役にも相談があるはずなのに、なんで事後報告だったんだろう、と感じてました」など、思い当たる節があると「任務懈怠責任」に少し思い悩むこともあるかもしれません。タイムマシンで三か月後の新聞報道などに触れることができるならば「いまこそ有事」と認識できるわけですが、それも叶わず、リーガルリスクに悩むことになるわけです。これはとてもコワイことだなぁ・・・と。

ひとくちに「役員のリスク感覚」といいますが、これって単に心の中で「おかしいな」と感じることだけでなく、むしろ行動で示すことのほうが重要なのですね。ただ、有事に立ち至った意識に基づく行動は、周囲からは「何もそこまでやらなくても」とか「あなたの考えが間違っていたらどうすんの?会社は大恥かくことになりますよ。それでもいいの?」といった声に囲まれてしまうわけで、それでも行動に移す勇気も含めて「リスク感覚」というのでしょうね。現に不祥事発覚後でも「この程度なら社内調査委員会で十分では?」「いやいや、社外有識者だけの第三者委員会を設置しなければ信用を維持することはできませんよ」といった社内での意見の対立はしばしば見受けられるところです。

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