オリンパス株主代表訴訟と監査法人の法的責任
各紙で報じられているとおり、オリンパス社の個人株主の方が、同社不祥事案では初めて取締役に対する責任追及訴訟(株主代表訴訟)を提起されたそうであります(朝日新聞ニュースはこちら)。会社がすでに取締役の責任追及訴訟を提起しているにもかかわらず、なにゆえさらに株主代表訴訟を提起したのか、といった理由は、まさに私が1月11日付エントリーで述べたところとピッタリ一致するようです。勝敗は別として、取締役責任調査委員会の報告書には、なぜウッドフォード氏が、昨年2月に社長、そして同6月には代表取締役に選任されたのか、その理由が記載されていないわけですから、素朴に考えますと、株主から代表訴訟が提起されるのも当然のことではないかと思われます。
さて、取締役の責任追及とは別に、オリンパス社より監査役等責任調査委員会報告書がリリースされております。(以下は、単なる私見であり、思いつきの意見にすぎませんのでご注意ください)
この報告書では、主にオリンパス社の長年の損失飛ばしによる粉飾決算を見逃してきた監査役および監査法人に対して、法的な責任が認められるかどうかが検討されております。ウッドフォード氏による告発時における監査役監査の問題については、上記取締役責任調査委員会報告書に対するものと同様の疑問がありますが、他の部分については監査役が定例監査から非定例監査に移行すべき「異常兆候」の具体的内容が記されてあり、おおむね妥当なものではないでしょうか。ただし「最後に」のところで、法律や会計の専門家でもない者に、調査報告書の「限定条件」等に配慮せよ、というのは酷である・・・との言い回しが出てきますが、監査役の責任認定の中で、2009年調査報告書を検討したとしても、監査役の任務懈怠は左右されない、といった趣旨のことが書かれているように思うのですが、これは矛盾していないのでしょうか?(同調査報告書96頁と同161頁との比較。単純に私の読み方が悪いだけなのでしょうかね??)。
あと、この報告書の結論として、ニュースでは「監査法人の責任が否定された」とありますが、当委員会は両監査法人から監査計画書、監査調書等の提出を受けていないわけですから、その責任を追及できないのはむしろ当然のことであります。たとえば同報告書も引用しているナナボシ事件判決(監査法人が敗訴した事案)では、原告側が文書提出命令によって裁判で膨大な監査調書の提出を受け、原告側代理人がこれを念入りに調査したうえで監査法人の過失立証を組み立てたわけですから、監査法人の法的責任追及には監査調書の提出は不可欠であります。なんら監査調書も所持しない状況では到底「監査法人に責任あり」とはいえないはずです。したがいまして、裁判にならないと監査法人の責任が否定されるかどうかはわからないわけでして、これは調査委員会の限界であります。
また、監査法人の法的責任を論じるにあたり、現場担当者の行動に照準をあてるのか、それとも監査法人の組織としての対応に照準をあてるのか、そのあたりが明確にされていないように思いました。平成19年の公認会計士法改正により、監査法人は品質管理が求められるようになり、現場担当者が問題を解決できないような場合であれば、組織内で審査会等を通じて意見形成を行うはずです。つまり、裁判になれば監査法人のだれのどのような判断に問題があったのか、特定されなければならないと思います(個々の会計士にとってどこまで不正の疑惑を認識していたのか、当然に異なるわけでして)。チーム医療に関する裁判例がいくつも出てきており、専門家組織による委任事務処理の法理が少しずつですが明らかにされているところですから、監査法人による監査上の注意義務の認定においても、同様の法理が成り立つのではないかと。つまり現場担当者の判断に問題があった、ということであれば従来と同様の訴訟となりますが、問題案件について、持ち帰って上層部における判断が意見形成に影響を及ぼしているのであれば、だれのどのような判断が問題視されるのか、そこを訴訟では明らかにするような形になろうかと思います(現場担当者が認識していた不正疑惑の事実が、きちんと伝達されないまま上層部が意見形成に関与しているのであれば、それは監査法人の内部統制構築義務違反に該当する可能性があります)。
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コメント
これだから、銀行は監査証明書に何の価値も見出さないし、わざわざ金を払ってまで監査証明書を取れと取引先に言わないのでしょう。監査法人に法的責任がないにせよ、サービスの質ということを考えれば、最低ですね。ガードマンを雇っても、泥棒に入られ放題なら、ガードマンに法的責任がないにせよ、雇う意味がないのと同じでしょう。
投稿: こんにちは | 2012年1月18日 (水) 05時58分
もし、FACTA誌が報じなければ、もし、ウッドフォード氏が同誌を読まなければ、このような重大な不正が闇から闇へと葬られていました。その意味から、監査人が不正の兆候を把握しながら、単に辞任(解任?)したのは重大な問題でしょう。不正の兆候を知りながら辞任で済ませるのは悪しき慣行で、このような例は少なくないと思われます。例えば、プロデュースの件で訴訟を受けている某監査夫人は、半期報告書の提出後に不自然に期中辞任しています。
不正の兆候に気づき、会社に改善を求めたのにも拘らず会社が適切に対応しないのであれば、監査人はその責任において投資家にリスク情報として、適切に開示すべきではないでしょうか。現行制度としても、先生の御指摘通り金商法193条の3、内部統制監査報告書、退任会計監査人の意見表明が整備されているわけですから、監査人として適切な対応をとるべきであったと思われます。5月19日付のブログで紹介されているように、退任会計監査人の意見としてビックリするするような理由は開示されていますが、投資家に真に必要なリスク情報が開示されていないのは問題ではないでしょうか。
投稿: 迷える会計士 | 2012年1月19日 (木) 19時58分
そう仰られましてもねぇ
真っ黒な証拠を掴んでいれば別段
グレーな証拠しかないのにお客様を犯罪者呼ばわりしてたら
こっちが訴えられてしまいますわ。
現状の法制度では、監査人には退任の自由があり
違法行為の証拠を掴んだのであれば別段、「怪しいな」と思ったというだけで、クライアントと断固戦うことは求められておりません。現状の制度を前提にすれば、こんな場合は「ひっそりと退任」するのが、どう考えても経済合理性に合致するんじゃないかと。
随分前の日経新聞にありましたが
「原発は隕石落下のリスクを想定した安全策は採られていない。それは、科学技術が隕石落下に対して無力であるということではなく、発生可能性とコストを比較して、どこまでのリスクに対応するかを社会が決めた結果に過ぎない。その部分を最終的に決めるのは社会であり、科学技術が決めるのではない」
というのと、会計監査も同じことかと。
私個人の意見では、監査人の責任範囲の拡大には賛成です。ただし、それには監査コストの高騰が伴うということが広くご理解頂けていればのことですが。試験合格者の就職問題もかなり緩和されるでしょう。
投稿: 某会計士 | 2012年1月20日 (金) 00時35分
皆様、ご意見ありがとうございます。某会計士さんのご指摘の点も、よく会計士の方々とお話をしていると耳にするところですね。誤解のないように、下記の点のみ付け加えさせてください。
チーム医療の世界で平成17年、同20年と最高裁判決が出ていますが、そこで試行錯誤されているのは、まじめに取り組む医師は間違っても刑事・民事の責任を負担させてはならない(そうでないと医療の発展を停めてしまう)、その一方で、ふまじめな治療を繰り返す医師は見逃してはならない、というその判断基準をどこに置くか・・・というバランス感覚ですね。
私も決して「コンプライアンスおたく」ではありませんので、まじめに監査に取り組む会計士さんが後出しじゃんけんで刑事・民事の結果責任を問われてはならないけど、一方で独立性に疑問のある監査をされる方にはそれなりに法的責任が課される、そのバランスをどのように求めるか・・・ということを探る必要がある、ということです。そのあたりを検討しなければ、おそらく思考停止に陥るのではないかと。責任範囲が拡大する可能性があるけれども、その分、予測可能性が高まって、まじめに監査に取り組む多くの方の業務に安心感が出れば、コスト高騰とは全く無関係なのですよ。そのあたりの誤解があるからこそ、だれかが「通訳」をする必要性が高いと痛感しております。
投稿: toshi | 2012年1月20日 (金) 01時45分