JR西日本福知山線(宝塚線)事故・刑事事件判決を前にして
1月11日は、いよいよJR西日本福知山線(宝塚線)事故における刑事判決の日です。山崎元社長の業務上過失致死被告事件に関するものであり、いわゆる歴代社長に対する「強制起訴」事件ではなく、検察が起訴したほうの事件であります。安全対策の不作為が問われる事件としてはパロマ工業事件を当ブログでも取り上げましたが、本件も(今後の強制起訴事件の行方を占う意味でも)注目される判決です。持論はまた判決が出てから述べることとして、とりあえず問題点の整理だけを備忘録程度に書き留めておきたいと思います。
1 なぜ歴代社長は不起訴とされ、山崎氏のみが起訴されたのか?
よく「経営トップの刑事被告事件」として本件が紹介されますが、検察は経営トップの刑事責任を追及したのではなく、平成8年から10年当時、鉄道本部長だった山崎元社長の実行行為を捉えて起訴したのであり、決して「経営トップの刑事責任」を追及しているわけではありません。今回も、山崎氏が鉄道本部長として安全面での責任者だったがゆえに「現場における重大事故の予見可能性があった」とされているわけです。したがいまして、争点も平成8年から10年頃の山崎氏の認識がどうだったのか、というところかと思います。なお、予見可能性については、ホテルニュージャパン火災事件や管制官ニアミス事件の最高裁判決などでも、かなり緩やかに認められる傾向にあることから、元社長には厳しいかもしれません。
しかし過失の実行行為性も問題となるはずであり、「経営トップ」でもない山崎氏が、自身の決定をもって直ちに現場にATS(自動停止装置)を設置できる立場にあったのか、山崎氏がなしうる「安全対策」は制御安全としての「運転手の安全教育」であって、本質安全としての「緊急時における停止装置の設置」ではなかったのではないか・・・というあたりが重要かと思われます。パロマ工業元社長の刑事事件判決では、この実行行為性の判断が詳細に展開されていましたので、もし元社長さんの刑事責任を認める場合には、このあたりもかなりきちんとした事実認定(判断根拠)が求められます。
2 なぜ10年以上も前の行為について、いまごろ刑事責任が問われるのか?
平成8年から10年ころ、ということですと、もう10年以上前の山崎元社長の不作為を問題とするわけでして、そもそも時効ではないのか?といった素朴な疑問も出てくるかもしれません。しかし、公訴時効は犯罪行為が終了した時点から進行するのでありまして、業務上過失致死被告事件の場合、過失による結果発生も犯罪行為に含まれます。したがいまして、どんなに不作為が以前のものであっても、結果(本件では死亡事故等)が最近になって発生した場合には事故発生時をもって犯罪行為が終了したことになります。もちろん、証拠が散逸しているわけですから、立件は容易ではありませんが、とりあえず公訴時効が成立する、という事態にはならないわけです。
3 なぜ遺族から「山崎氏は無罪とすべき」との意見陳述がなされるのか?
論告求刑の後、事故で亡くなった方のご遺族の方が意見陳述をされ、山崎元社長は無罪とすべき、と主張されました。多くのご遺族の方々が厳刑を求めているなかで、なぜ無罪を求める方がいらっしゃったのか?報道では「有罪とするには証拠が不十分であるし、本当に責任があるのは、従来から事故発生のおそれを認識していたにもかかわらず、ATS設置基準を作っていなかった近畿運輸局にあるから」だそうです。本当の事故原因はどこにあるのか、結局(法人の刑事処罰の制度をもたない我が国においては)特定の人間の刑事責任追及に傾きますと「黙秘権」の壁によって解明は困難となります。本当の事故原因を究明できない、ということは結局、有効な再発防止策も策定することができなくなり、再び同じような事故を繰り返すことになります。
このたびの政府による福島第一原発事故調査委員会は、誰に何を聞いたのか、一切を公表せず中間報告書を出しています。これは特定人の責任追及よりも、「現場で何が起こったのか」「本当の事故原因はなんだったのか」、つまり真の原因究明を第一に考え、有効な再発防止策の提言を重視したことによるものと思います。同様の考え方は、JR西日本の事故解明においても成り立つ可能性は十分にあると思われますし、(強制起訴事件を含め)誰かの刑事責任を問うことで「一件落着」で片づけることが、果たして本当に遺族の方々にとって有益なことなのかどうか、迅速な真相究明と関係者の刑事処分とのトレードオフ問題を、被告人の倫理意識だけに求めて解決できるのかどうか、改めて考える必要があるように感じております。
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