シンポ「公正なる会計慣行を考える」のご報告
本日(3月29日)大阪弁護士会館2階ホールにて、大阪弁護士会・日本公認会計士協会近畿会共催シンポ「公正なる会計慣行を考える」を開催いたしました。平日の昼間にもかかわらず、弁護士、会計士の皆様、約170名のご参加をいただきました(どうもありがとうございます)。
司会は近畿会監査会計委員会の廣田委員長、パネリストは弥永真生氏(筑波大学)、松本祥尚氏(関西大学)、渡部靖彦氏(会計士)と私です。基礎知識に関する解説の後、「公正なる会計慣行」が具体的に問題となった事例を①長銀・日債銀事件、②三洋電機「減損ルール」事件、③ビックカメラ元会長課徴金事件、④キャッツ最高裁判決の順に法律学者、会計学者、弁護士、会計士の視点から議論し、その後は中小企業会計指針や会計要領との関係、IFRS強制適用時における問題点などを討論。本日、金融庁企業会計審議会においてIFRSと監査法人の対応、中小企業会計との関係などが議論されたそうですが(こちらの記事参照)、当シンポにおいても興味深い意見が出されました(詳しくは、また講演録が出されるようですので、そちらをご参照ください)。IFRSと「公正なる会計慣行」との関係につきましては、私も申し上げたいことがございましたが、タイムアウトとなってしまいました。。。
討論の中でも申し上げましたが、フィールドの異なる弁護士と会計士が、有価証券報告書の虚偽記載や違法配当の判断に関わる論点について問題意識を共有することはとても有益だと思っております。弁護士は裁判所(司法判断)を通じてアウトとセーフの境界線を探るわけですが、会計士の関心はもっと以前の段階、つまり監査の現場で悩ましい問題の解決方を探りたいわけです(会計士の方々にとっては、そもそも法的紛争に至ること自体が回避すべきリスクかと思います)。したがって、弁護士側からすれば、まさに「実務慣行」を知る機会となりますし、会計士側からすれば、悩ましい問題解決に向けての予測可能性を認識する機会となります。お越しいただいた皆様方にとって、そのような機会となりましたら幸いでございます。私自身も、登壇者ではございましたが、本当に勉強させていただきました。ただし、法律実務家としての視点で虚偽記載の意味、つまり「重要な事項」について「事実と異なる表示」をすることの要件から出発した議論が展開できなかったことを反省しております。「重要性」とか「事実」という意味が、どうしても会計士と弁護士で認識が食い違うように感じておりますので、そこを各論点において浮き彫りにできたら、もっとおもしろかったのではないか・・・と。
個人的には弥永先生の「中小企業会計要領」をとりまとめた経緯がとても参考になりました。ご承知の方も多いとは思いますが、2日ほど前に経産省から「中小企業の会計に関する検討会報告書」がリリースされ、正式に「中小企業会計基本要領」が公開されましたが、弥永先生はその研究会WGの座長を務められました。会計士の皆様は、公正なる会計慣行を考えるにあたり、(当然のことですが)ストライクのど真ん中を企業の監査現場で求めるわけですが、弥永先生は、策定にあたり「ど真ん中ではないけど、このあたりだったら、なんとか裁判所に持ち込まれてもストライクと言ってもらえる、『ボールと言われないためのスレスレはどこか』を体系的に意識しました」とのこと。会社法上の「公正なる企業会計の慣行」の概念は、かなり幅を持つものであることが再認識された次第です(ただし、上場会社の場合には、この幅が狭くなり、時間軸のなかで「会計基準が事実上強制力を持つ」に至るのかもしれません)。
3時間のシンポの最後におふたりの(重鎮?)会計士の方々よりご意見をいただきました。旧商法32条2項が包括規定として条文に組み込まれた昭和49年以前からの会計学と法律学との実務レベルでの交渉経緯、コモンローの世界と大陸法の世界における対応の比較、最近の第三者委員会における意見が監査実務に及ぼす影響など、なるほど検討しなければならない点が他にもありそうで、まだまだツッコミが不足していたことを痛感いたしました。ただ、廣田委員長を中心に何度も準備会を重ね、松本先生、弥永先生といった、企業会計の分野で気鋭の先生方をお迎えして、この難しい論点についての「レベル」を体感できたことで、まだまだ不十分ではあるものの今後の議論深化に向けての第一歩を踏み出せたのではないかと考えております(会場を見渡したとき、存じ上げている先生方がたくさんお見えになっていたので、ちょっぴりうれしかったです!)。
最後になりますが、取り上げた事件とのコンフリがあるために「黒子」に徹し、弥永先生も「これは使えますね~」とビックリされていた当日配布資料(132頁!)を一生懸命作ってくれた森久敦司弁護士(大阪弁護士会 会計士試験合格を目指しているとか・・・)に厚く御礼申し上げます<m(__)m>。
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コメント
興味深くて意義あるシンポジウムを開いていただきありがとうございました。「公正なる会計慣行」が司法の場では、なかなか真正面から捉えて検討されることがないという現状が浮き彫りにされた会だったと感じました。
弥永先生から、監査意見は監査人によって異なることがあるという趣旨の発言があってびっくりするとともに、監査に対する社会の認識だけでなく法学者といった専門家の認識もこの程度かと落胆しました。
「公正なる企業会計の慣行」の概念が、かなり幅を持つものである場合があるかもしれませんが、監査意見にかなりの幅があっては、監査制度は成り立ちません。「監査基準」は、監査意見を表明するために、監査証拠を集め監査意見が合理的であるため、どの様な監査手続をとるべきかを規定しています。組織的に監査を実施して監査意見を形成することも規定しており、監査責任者が独断で監査意見を表明するものでないことも示しています。
「監査基準」に則って会計監査を実施するなら、監査チームが替わってもほぼ同じ監査意見に到達するというのが、監査制度の前提です。同じ条件下で同じ監査手続を実施して、監査意見が異なるのであれば、社会的な制度としての監査は成立できなくなります。セカンドオピニオンは、同じ条件下でもなく同じ監査手続を実施することもなく表明される意見です。これを監査と同列に論ずることは出来ません。監査意見と異なった意見が出ても不思議ではありません。
第三者委員会における意見も、監査意見とは別の条件下で通常の監査手続を実施せずに出される意見ですので、会計監査の意見とは別次元で議論すべきものと考えます。なお、保証行為である会計監査とは別次元ながら、第三者委員会の責任は検討すべき課題だとは思います。
監査意見の幅はきわめて狭いということに世間で誤解があるよう感じましたので、コメントを書かせてもらいました。
投稿: 藤野正純 | 2012年4月 2日 (月) 13時19分
いきなり失礼致します。
「監査基準」に則って会計監査を実施するなら、監査チームが替わってもほぼ同じ監査意見に到達するというのが、監査制度の前提です。
私如きが殊更に強調するまでもない、監査制度の「前提」です。
しかし、「前提」とされていることが常に「正しい」とは限らないのも事実と思われます。
平行線公理はユークリッド幾何学の「前提」ですが、我々が存在している現実の空間にもその「前提」が成り立っているかどうかは、別問題です。
このことは法律分野においても同様であると思われます。(例えば、裁判官の個人的印象で判決が分かれることがあってはならず、当事者双方が同様の立証をすれば、どんな裁判官でも同一の判決に着地するはず、という「前提」)思われますが、この「前提」に対する疑義を、法律家の方々はわりと素直に認める傾向があるのに対し、会計士のほうはどうも頑なに認めない傾向がある気が致します。
とおりすがりのつぶやきです。失礼致しました。
投稿: 監査現場作業員 | 2012年4月 5日 (木) 01時06分
ご意見ありがとうございます。私のコメントは、現実は前提通りにいかないかどうかという論点ではありません。会計監査では、監査チームが替わっても、無限定適正意見が不適正意見になることはないというのが論点です。
司法の世界では、下級審で無罪だったものが上級審で有罪になるということが結構あります。最近のニュースでも、「一審の判決は机上の空論だ」として、高裁が逆転で有罪を言い渡したというのがありました。
会計監査の世界ではあり得ない話です。
もし、監査チームが替わって、監査意見が真逆になったとしたら、それは、どちらかのチームが監査基準に則って監査を実施していなかった結果だと考えられます。
経営者の不正が内部統制の埒外の問題であるように、通常の監査手続(ママ)を実施しないでする監査の失敗は監査制度の埒外の問題です。
ビジネス法務の部屋でだったかどこかのセミナーでだったか忘れましたが、山口さんが、裁判では、ひとつの証拠を立証するか反証するかで有罪無罪が逆転することがあり、総合的に監査意見が形成されるする会計監査とは考え方に随分大きな差があるとおっしゃっていたことがありました。法曹界と会計士では考え方が根本的に違うんだと目が覚める思いで聞いた覚えがあります。
今回のシンポジウムでも取り上げられていたキャッツ事件は、そのような視点で判決を読むと、とんでもない判決が生まれたかが分かる気がします。有罪とされた会計士がその監査チームに関与していなかったら、不適正意見が表明されたと言わんばかりの判決でした。誰がこのチームに入って監査しても、「預け金でなく返還されることがほとんど期待できない貸付金だ」とか「子会社株式の価額は過大計上されている」とか決めつけるだけの証拠は得られなかったでしょう。しかし、判決は、会社が破綻した後明らかに出来た事実から、どんな監査手続を採っても監査報告書提出時点では、そんなことは分からなかったであろう監査の実態を検討することなく、監査意見の形成にほとんど影響力がなかった会計士を断罪しています。
先のコメントは、普通通りに監査をしているなら監査意見はほぼ同じになりますよということを、法曹界の人達に知ってもらいたくて意見を述べたものです。(これはけっして「机上の空論」ではありませんよね)
追伸:山口さんのブログに好きなだけ書かせてもらって申し訳ありません。また、意見の中で特定の人を批判するつもりは毛頭ありませんので勇み足がありましたらどうかお許しください。
投稿: 藤野正純 | 2012年4月 5日 (木) 21時43分
藤野先生
上記コメントしたものです。
御趣旨をよく踏まえない発言大変失礼致しました。
キャッツ事件判決については、生半可な知識しかなく、シンポジウムを拝聴したわけでもないので言及は差し控えますが、一般論としていえば、「通常の監査手続」をすれば、無限定適正意見が不適正意見かで見解が割れることはあり得ないのは仰るとおりと思います。
私のコメントはどちらかというともっと瑣末なことで、例えば、「重要性の値」以上「重要性の基準値」未満の監査差異が存在する可能性がある場合にどこまで詰めるか、とか、監査証拠の強弱を何をもって判断し、監査計画をどうたてるのか、とか、もっと瑣末な例では、押印が1コ漏れていた場合にどうするかとかいうことを想定してのものでした(ARにサインするような身分ではございませんので)。こういう監査上の論点について現場で議論が荒れることはママあることではありますが、確かに、「無限定適正意見」か「不適正意見」かという大枠が揺るぐことはほぼあり得ないかと思います。
しかし、最近の「通常の監査手続」というのはもうちょっとどうにかならんものでしょうかね。。。最近の監査基準委員会報告書も法人マニュアルももはや日本語としても崩壊してる準則が濫造されている気がしてならず、会計基準よりも先に監査基準を「準則主義」から「原則主義」にパラダイムシフトできないものでしょうか。。。
現場作業者としては、めったにお目にかからない「監査の失敗」「不適正意見」よりも、監査にご対応頂く経理部の方々のご苦労(たまに罵声)だとか、膨大に膨れ上がるタイムチャージ(それに比例するべき監査報酬)だとか、最近の監査法人の労務環境の劣悪化だとか、どうしてもそっちの方に関心がいってしまいます。
前コメントは、私の小さい視点からの小さいコメントであり、反論でない点ご理解賜りたく、また、ズレた論点を挙げたこと謝罪致します。
ご丁寧なコメントありがとうございました。視野の狭さを痛感致しました。
山口先生
長文申し訳ありません。
投稿: 監査現場作業員 | 2012年4月 6日 (金) 01時37分
監査現場作業員様、決して些末なコメントだとは思いません。監査を実施する身にとっては重大な問題です。
ただ、ビジネス法務の部屋なので、会計監査人の世界では当たり前の事柄を会計監査人以外の人達に知ってもらうことに意義があるかと思い、会計監査についてこれだけは誤解されたくないというテーマに絞って私はコメントしているつもりです。
ありがとうございました。
(蛇足:「もはや日本語としても崩壊してる準則が濫造されている」なんて、全く同感です。)
投稿: 藤野正純 | 2012年4月 6日 (金) 10時36分