会社が潰れてしまうほどの不祥事を社長は公表できるのか?
一昨日(3月13日)はBDTI(会社役員育成機構)主催のセミナーに多数ご参加いただき、本当にありがとうございました。また、場所を提供いただきましたトムソン・ロイターさんに厚く御礼申し上げます。
ところで14日の朝日新聞ニュースにおきまして、オリンパス社の前社長であるK氏が東京地検特捜部の調べに対して「不正を公表することも考えたが、損失飛ばしの金額があまりにも巨額であったため、どうすることもできずそのまま隠し続けてしまった」と供述していることが報じられております(朝日新聞ニュースはこちら)。他の役員に対して公表することを提案したが、会社や従業員を心配する役員に説得され、そのまま隠ぺいすることに決めた、とか。
しかし、この供述には(私個人としては)疑問を感じます。何度も申し上げるとおり、K氏はなぜウッドフォード氏を社長(代表者)に選任したのか、未だに不明なままですので、これは推測にすぎませんが、損失飛ばしを公表しないことに決めたのであれば、かならず当該不正は次の代に引き継がねばなりません。しかも、単に不正を引き継ぐのではなく、指南役との関係を含めて引き継ぐことになります。これはFA報酬の支払をもって終了するわけではなく、今後の発覚を防ぐためにも不可欠の作業です。これを引き継ぐことができるのは、企業文化を共感できる日本人であり、かつ不正の内容を熟知した者でなければならないはずで、まさに会社や従業員のことを第一に考えて代表者の地位を引き継がせなければ無理な話です。指南役との今後のお付き合いのことを考えれば、会社初の外国人社長が不正を引き継ぐことはむずかしいと思います。私は(K氏の場合)もっと安易に、たとえば経営環境の変化によって処理できる日が来るとか、担当者に任せておけばうまくやってくれるといった気持ちから、ズルズルと損失隠しを続けていたのではないか、と推測いたします。そのほうが、これまでのK氏の供述(指南役による損失飛ばしのスキームはよくわかっていなかった)とも合致するように思います。
ただ、仮にK氏が供述しているとおり、「このまま不祥事を公表してしまうと、会社は潰れてしまうかもしれない。もし潰れてしまったら社員は路頭に迷ってしまう。社員のためにも、一か八か、このまま不祥事を隠ぺいしてしまおう」との気持ちがあったとすれば、社長としては、おそらく不祥事を公表しない方向へのインセンティブが働くものと思われます。実は一昨日のBDTIでのセミナーにおきまして、講演終了後に(今、超上り坂の某上場会社の)常勤監査役さんから、同じ質問を受けました。不祥事は公表すべき、と口では簡単に言えるが、では公表してしまっては会社が債務超過に陥ってしまってもはや存続困難となるようなケースでも公表しなければならないのか、どうせ潰れてしまうのであれば、公表せずに隠ぺいして社員の生活を守る方に賭ける、というのも社長としては正しい選択ではないのか?というものであります。
前回のエントリーでも少し触れましたが、たしかに、こういったケースでは不祥事を発生させてしまった企業の社長としては、公表しないことを選択する気持ちは十分に理解できるところでありまして、ただ単に企業倫理として「不祥事は公表せよ」では解決しない難問かと思います。ただ少し整理をしますと、上記質問は、会社が不祥事を公表しない限り、不祥事が世間で発覚しないことを前提としております。現実には、内部通報、内部告発その他、SNS等ソーシャルメディアが発達した現代において、また経営者不正を手伝う管理職、一般社員がかならず存在する状況において、 「不祥事が発覚しない」と想定できるケースはかなり限られているわけでして、これを安易に「隠ぺいできる」と判断した経営者にはリスク管理義務違反の任務懈怠が認められるケースが多いものと思われます。とりわけ不祥事の隠ぺいには、オリンパス事件に代表されるように外部第三者等の協力者が存在するわけでして、こういった協力者との関係からも、不祥事はかならずバレルと考えておいたほうがよろしいかと思います。例のダスキン事件の場合も、「口止め料をもらって不正隠ぺいに協力した者」が存在したからこそ(過去に違法添加物が混入した豚まんを売り切ってしまった事実が)発覚してしまったわけです。
また、不祥事が発覚するかどうかは別として、粉飾決算のような違法行為を隠ぺいする経営判断は原則として取締役には認められないわけであり、隠匿行為自体も違法性を帯びる意思決定であります。社長は「社員の生活を守るため」と言いますが、社員を守るために隠ぺいを続けるに従って、現在進行形の不正は株主や会社債権者の被害を拡大させ続けていくことになり、社長の上記正当化理由は到底法の保護に値するものではないと考えられます。さらには会社という組織の人員には流動性がありますので、不祥事を隠すことを続けることによって、不正に加担せざるをえない社員の数も増えていくわけです。そうなりますと、悪事に手を染める社員の数も増え、インサイダー取引の可能性も高まることから、おそらく不幸な社員を増やす結果となるはずです。こういった予測からみれば、不祥事を隠ぺいすることが本当に社員の生活を守ることになるのかどうか、そもそも正当化理由たりうるか、という点から問題があるのではないでしょうか。
本件問題は、なかなかすっきりと正答が思い浮かばないところがございます。もちろん、多くの経営者の方は、倫理観に支えられて企業不祥事への対応がなされるものと思います。社員を路頭に迷わせない・・・というのも経営者の立派な倫理観に基づく判断かもしれません。しかし、その考えは「自分ひとりが負の遺産を処理できるという錯覚に基づくもの」であり、「いったん権力を持った者特有の驕り」かもしれません。上場会社の社長の任期は限られています。一人で墓場まで持っていくことはできません。不祥事は隠ぺいすることができても、次の世代の社長さんに負の遺産を背負わせることは、あまりにも代償が大きいことを肝に銘じるべきではないでしょうか。
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コメント
いつも興味深く先生の議論を拝見しております。大変に参考になり有難うございます。
ただ、本件については私は、「いけないことはしていけない」をはっきりすべきと思います。例えば、脱税でも同様の議論が可能です。家族、社員その他関係者が潤うのだからバレなければ良いのではないか、するべきではないか、という議論です。バレる可能性が高いからお止めなさい、なのか、バレる可能性があってもバレない可能性もあるから難しいですな、なのか、そもそも脱税は「いけないこと」だから当然にいけないのか、どうでしょうか。粉飾や不正、隠蔽が「いけないこと」の認識が弱いからこんな問題意識が発生するのでしょう。
もっと毅然とした議論を展開していただきたく思います。
そうでないと、デリバティブのごとく発覚の確率計算をして公表が有利か不利かなどということになりかねません。すると重罰化をするか、もしくは摘発体制を強化しないとこのような不正、粉飾、隠蔽等は防止できないという結論になりかねません。対策もある程度必要とは思いますが、やはり倫理観の強化という社会全体の教育で乗り切るべきではないでしょうか。
投稿: O.S. | 2012年3月15日 (木) 10時08分
1)カネボー事件との類似性。規模、期間、悪質性など。(飛ばし」の方法などアップデートされているが。
2)AIJ事件との類似性。下記の記事は、現代ビジネス電子版より引用:
なお、オリンパスK氏の発言(朝日新聞)は、今後の法廷戦術も視野に入れて、「作られて」いると思う。
> 「浅川氏は、自分と高橋氏と運用報告書を担当する幹部社員の3人だけが知っていたという。確信犯はそれだけですが、アイティーエム証券、AIJなど内部の人間はオプションの売りが、どんな意味を持つのか知らないはずはありません。
証券外務員試験にも、でてくるテーマですから。『私も知らなかった』と、恥ずかしげもなくいうのはおかしい。うすうすは分かっていたはずですし、心ある社員がいれば、告発はできたはずです。
証券不況で、次に就職もできないから、怪しくてもなんとかなるさという感覚で働いたのでしょうね。」
投稿: snowbees | 2012年3月15日 (木) 11時29分
山口先生、一昨日は有難うございました。私が「今、超上り坂(?)の某上場会社の」常勤監査役でございます。本日はブログの中でも、この問題を取り上げて頂き、かつ明快な説明を賜り有難うございます。
私なりに雑駁に要約致しますと、不祥事はいずれバレルので、その時点での罪の重さを考えれば、当初から正しい処理をする事、即ち事実を公表して、そのインパクトが如何に大きくとも会社としての「再建策」を講じる事がベストプラクティスであると言う御教示かと思います。私も、まさに仰られ通りだろうと思います。
ただ一方で、こんな事も考えています。K氏(及び関連者)はバレナイから、
隠しおおせるから大丈夫と思い「飛ばし」を実行したのだろうか?彼らの心中を推測すると、ある種の正義感・使命感のようなものが事によったらあったのではないかと。即ち、1997年当時の金融情勢(山一・拓銀がつぶれ市場は異常な緊張状態であった)の中で、売上高2千億円の半分をすっ飛ばしてしまう巨額損失が露見すれば120%会社は立ち行かなくなる。会社は役員も社員も皆「同じ船」に乗っており「ダメ元で隠そう、座して死を待つよりは良いはず」と言う如何にも日本的な状況が生まれていたのではないか。この心情は取締役・監査役問わず「同じ船」に乗った人間はすべて共有していたのではないか。彼らはバレナイからではなく「バレテモ、ダメ元だ。その時までは時間が稼げるはず」と言う思いだったのでは無いでしょうか?私はK氏が自己保身や裁判での情状酌量を求めて、あんな発言をしたと必ずしも思えないのです。「同じ船」に乗っていると言う意識のある人は多分、隠蔽を確信犯的に実行する経営陣を断罪できないと思います。唯一、船に乗って無い(はずの)社外役員が告発しなければならないのですが、この会社の場合は、そこも機能していなかったのでしょう。もし私が当該社の監査役であったしとて果たしてベストプラクティスを実践できたか極めて疑わしいと言うのが正直な気持ちです。監査役が孤立した状況下で敢然と「正義」を実行して、そのために会社が終焉を迎えるという場面は想像したくないですから。
(誤解の無いように申し添えますと、K氏(及び関連者)は義侠心だけで飛ばしをしたと私は思っておりません。もし、義の人であったならば昨年秋にウッドフォード氏から追及を受けた時に潔く辞任していたでしょう。)
投稿: 悩める監査役 | 2012年3月15日 (木) 19時30分
このような御時勢の中で現役の監査役さんである悩める監査役さんのご意見は立派だと思っています。こういう思考はその立場になれば当然出てくるものだと思います。現に事件が1社に限らず複数の会社で起きるわけですから。
その意味では、経済情勢の影響というのは大きいと思います。この20年、株価はずっと下がり続け、ライブドアショックやリーマンショックがあり、少なくとも90年初頭までに経済人として常識を身に付けたならば、「ひと相場あればなんとかなるだろう」という発想が出て当然なのであり、日本経済の低迷や世界経済の激動の被害者だという側面があると思います(あくまで側面であり、悪くないと言うつもりはないです)。
なので、そういう人たちを取り締まったり、非難したり、防止策を練るというよりは、「これからの社会では、先延ばしにしていればどこかで解決するというどこかはないのだ。そして、その間にバレるリスクは高いのだから、時代は変わったと思いましょう。」という新たな常識を語り、伝えていくしかないのかなと思います。
日経平均株価が最低でも15000円で留まっていたら起きないで済んでいた事件も少なくないのではないかと。
投稿: ひろ | 2012年3月16日 (金) 14時51分
私も「悩める監査役」さんと同様、K氏はある種の正義感・使命感を持って会社と社員を守るために巨額損失を隠蔽したと推測します。その供述の意図も法的保護を求める観点からの正当化ではなく、敢えて言えば倫理的観点からの動機の説明と思われます。
K氏の場合、巨額損失を作った前々任者、損失隠しの飛ばしを決定した前任者という自分を社長に引き揚げてくれた先輩を守るために、自分が泥を被っているという正当化意識は強かったのではないでしょうか。(勿論自己保身の動機があったのは当然として)
粉飾をしてはいけない、不祥事は隠蔽せず公表すべきである、それが結果的に会社にとってプラスとなる、という企業倫理の一般原則を知らない経営者は少ないでしょう。しかしそれが隠蔽かさもなくば会社が壊滅的打撃を受けるというギリギリの選択に追い込まれた場合の行動規範は、違法行為というリスクを冒しても組織を守ることであると考えるのは、それ程特異なこととは思えません。
一方、監査役の「正義」のために会社に終焉に齎すことは出来ないという心情も、明言するかは別にして多くの監査役の本音ではあるでしょう。しかし監査役が内部意識を断ち切って、外部役員や外部監査人と共に原則を貫徹させる立場に立たない限り、企業の自浄能力の回復は難しいように思えます。
投稿: いたさん | 2012年3月19日 (月) 00時31分
皆様、ご意見ありがとうございました。本エントリーについてはコメント、メールで多くのご意見をいただきました。基本的にはOSさんのご意見が最も多かったように思います。
エントリーのなかで「正当化根拠」という言葉を使っておりますが、これは法的に正当化できる、という意味ではなく、自分の違法行為を正当化させてしまう(勝手な)理由、という意味です。不正検査の世界では、普通に使用しておりますので、誤解を招いたところがあったかもしれません。
こたえは一義的に出てこないかもしれませんが、こういったことで頭を悩ますことが健全なリスク感覚につながるように思っております。
投稿: toshi | 2012年3月19日 (月) 02時55分
toshi先生、いたさん、有益なご指摘有難うございます。先生から総括的な話が出た後で私からコメントするのも恐縮なのですが、その後本件については様々な意見が私にも寄せられており、私の考えも若干変遷致しましたので、事後報告させて頂きます。最初の意見は、私が本件をサンデル教授流の「究極の2択」とした事について、それは明らかにおかしいとの指摘です。即ち、「公表して会社を潰すか」、「隠蔽して会社と従業員を守るか」と恰も倫理的なジレンマの命題設定が疑問であると。そもそも1千億円の損失は最初から、その金額であった訳では無い。当初は恐らく10億円程度から始まったのが損を挽回しようとして運用を繰り返し、時の経過とともに損失が雪だるま的に巨額化した。そのプロセスを監査役は検知できなかったはずは無いとの指摘でした。財テク損失が積み上がる過程において、監査役は善管注意義務を果たしたのか、最後の段階で損失が巨額過ぎて公表できなくなってから、ジレンマに悩むと言うのは、虫の良い話であると言う厳しい指摘。更に、監査役が「情に絆されて」違法行為を黙認してしまえば、以降は「共犯」になり、物言える立場でなくなる事、従って一見究極の選択に見えますが、監査役としてのベスト対応は、違法取引を公表し是正させる事以外に選択の余地は無いと言うものであります。そもそも監査役は、社内出身と言えども「同じ船」に乗ってはいけない。監査役は、toshi先生も仰るように、今いる社員に対してだけではなく、現在の一般株主、債権者を含めた「将来の全てのステークホルダー」に対しても責任を負うべきであり、近視眼的な情けは監査役として任務懈怠であろうとの指摘もありました。自分が属している共同体(=会社と従業員)を守るのか、社会の公益を守るのか、監査役とはそもそも何者かと問えば、自ずから答えは明らかであるとの強い指摘もありました。今、私がO社の監査役であったとしたら勇気を持って職責を果たしたいと
思います。ただ職責を果たした後で、若干の後悔の念が払拭できないのは何故かと言う問いに悩みつつ。。長文・駄文失礼致しました。
投稿: 悩める監査役 | 2012年3月21日 (水) 10時22分
「このまま不祥事を公表してしまうと、会社は潰れてしまうかもしれない。もし潰れてしまったら社員は路頭に迷ってしまう。社員のためにも、一か八か、このまま不祥事を隠ぺいしてしまおう」
ではなく、
「既に会社は実質的には死に体なのに、それを公表してしまうと、私が会社にとどめを刺してしまう。もし潰れてしまったら社員は路頭に迷ってしまう。が、そうなると、会社を潰したとして私が後ろ指を指されてしまう。自分で引き金を引くのは後味が悪い。せっかく社長(役員)になったのに、すぐ会社がなくなっては、今までの苦労が水の泡だ。だから、公になってしまった場合の対処は後任に任せて、自分のために、一か八か、このまま不祥事を隠ぺいしてしまおう」
というのではないでしょうか。この差が生じるのは、
「公表しなければ会社は元気」なのか「公表しなくても会社は既に死に体」なのかの認識の違いかもしれませんが。
投稿: Kazu | 2012年3月30日 (金) 10時51分
kazuさんのご意見のほうがリアルですね。たしかにそうかもしれません。
考えてみると、今回も、2000年前後の取締役、監査役の方々のほうが問題かもしれません。なのに逮捕、起訴されるのは2010年以降の役員です。だとしたら、自己保身目的で隠ぺいを続ける、ということも十分にありうるように思えてきました。
投稿: toshi | 2012年4月 2日 (月) 02時15分