監査法人への改善命令と上場会社の「自浄能力」
先週金曜日(7月6日)は「公認会計士の日」ということで、私も日本公認会計士協会四国会よりお招きを受けまして、記念講演をさせていただきました(高松市・県立ミュージアム)。懇親会でもたくさんの質問を受けまして、私自身もたいへん勉強させていただきました。ところで同じ公認会計士の日に、金融庁は大手監査法人2社に対して、オリンパス事件に関連して業務改善命令を発令していたようであります。私には、当局としては、あえて公認会計士法施行60周年の記念の日だからこそ発令したとしか思えません。
新聞報道等では、監査法人に厳しい判断、「市場の番人」としての監査法人への期待とありますが、とくに会計監査の具体的なミスを指摘しているものではなく、課徴金処分もありませんので、それほど厳しいものとは思いませんでした(会計監査人の現場における手法の巧拙にまで踏み込んでいるものでもありません)。たとえば監査人どうしの引き継ぎ問題は監査基準をルールベースではなくプリンシプルベースで検討することへの警鐘であり(こういったことは、以前ご紹介した会計倫理に関する本にも掲載されております)、また監査法人の品質管理問題は監査法人としてのリスクの共有を促すということで、最近の金融庁の監督権限の行使方法としては想定内のものかと。
公認会計士に対する「市場の番人」としての期待、ということであれば、会計監査人は不正を発見しなければならない、当局との連携を強化しなければならない、ということに結び付くものであり、金融庁の会計士に対する監督強化、ということに向かいそうであります。これは当ブログで何度も申し上げているとおり、行政当局の究極の理念ではないかと思っています。この先、行政目的が達成できない事態となれば、最終的には「会計士・市場の番人論」が事前規制手法として顕在化することにつながります。しかし今回は、金融庁はそのようなことまで企図しているものではなく、あくまでも現実の会計監査人と監査対象会社との監査実務を前提として、そこでの監査人の頑張りに期待したものが業務改善命令の本意だと思います。
当ブログで、多くの会計士の方々がコメントされているとおり、現実の会計監査の世界では、監査人と会社との意見が合わないということで、おいそれと不適正意見を書いたり、監査人を辞任できるわけではなく、あくまでも最後の最後まで交渉を重ね、会社側に監査人の要望を伝え、また監査人も会社側の意向に耳を傾け、どこかで妥結して適正意見を書く・・・、そういった作業を通じて投資家やデューデリ担当者の自己責任によって開示情報を取り扱えるだけの前提条件を築くことに寄与されるわけです。
こういった現実の世界を前提とするならば、会計監査人はきちんとリスク情報を把握したうえで、これを監査対象会社にぶつけ、疑問があるならば最後まで粘り、最終的には監査対象会社自身が間違いを認めて訂正する、つまり会社側に自浄能力を発揮させることで会計不正を防ぐことに寄与することが求められているものと思います。つまりいきなり強制調査権をもって不正を暴くとか、いきなり守秘義務の例外を認めて金融庁への不正報告を促す、というものではなく、あくまでも企業が自分で不正を見つけ出して開示することのお手伝いをする、という方向性での監査法人の活躍に期待されている、というのが正しいのではないでしょうか。
これは最近の公募増資インサイダーにおける情報提供者への金融庁の対応にも通じることかと思います。金融庁、金融担当大臣の口から「証券会社の自浄能力の発揮に期待する」との言葉が発せられましたが、もちろんインサイダー規制は厳罰化のための法改正が必要ではありますが、発行体企業の模範となるべき証券会社については、それだけでは足りないわけでして、組織としての取組みが求められることになります。そこに「自浄能力」が求められるところであり、自浄能力を求めておいて、もしこれが具備されないときに、社員個人ではなく、組織そのものに対して厳罰が下される、ということになるわけです。「自浄能力に期待する、など生ぬるい」との批判もありますが、では、法改正によってどこの証券会社に対しても、事前規制手法を復活させてしまいますと、まじめに取り組んでいる証券会社には過剰な規制になってしまうので適切とは言えないわけであります。むしろ、こちらのほうがルール違反を犯したときの当該企業のダメージは大きいものになると思います。
話は戻りますが、監査法人の組織内でリスク情報を共有するといいましても、そのためには現場がきちんとリスク情報を上げてこなければ共有もできないわけです。しかし今の監査現場の監査手法によって、本当に審査部と共有できそうなリスク情報は上がってくるのでしょうか。みなさん、定型の監査調書に記載すべき事項をヒアリングするにあたり、パソコンとにらめっこで、ヒアリング対象者の顔を見ながら質問をしたり、回答を聴いたりされているようには思えません。これは監査調書の作成が大切な仕事なのでしかたないところかもしれませんが、弁護士の立場からしますと、ヒアリングの際の相手の話し方や表情、動作などを見ずにリスクなど感知できるものではありません。とても怖くてリスク情報など指摘することはできないはずです。とりわけローテーション制度などが浸透して、ますます経営者と監査人との関係が希薄になっていくなかで、経営者が関与するような会計不正のリスクをどうやって監査法人内で共有することができるのか、そのあたりの実効性のあるスキームがあれば、ぜひ知りたいところであります。
そもそもリスク情報を共有したからといって、監査法人内部で不正リスクが高いという推論に到達するのでしょうかね?リスク情報が高い場合には、サンプル数を増やすとか、重要性のレベルを下げるといったことには結びつきますが、不正疑惑を解消するためのドラスティックな調査には結びつかないのではないでしょうか。それができるのは、一般的な水準を超えた能力のある会計士による監査か、または一般的に職業的懐疑心を高めることしかないと思いますが、どなたかこのブログでコメントされていたように、ほとんどの企業がまじめに財務諸表を作成しているなかで、いきなり不正疑惑を前提とした調査手法をとるだけの勇気のある監査法人があるのでしょうか。監査法人もある程度のリスクを背負いながら仕事をしなければいけない時代になった、ということなのでしょうかね。
※ところで大王製紙の件に関連する、もうひとつの大手監査法人さんについてはどうなるのでしょうかね?
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コメント
公開企業を性善説で見るのか性悪説で見るのか、そろそろ方針を固める時期かも知れませんね。現状何となく中途半端な印象があります。
性善説で自浄能力を促進させるのなら、株主ガバナンス(取締役会を含めて)の機能を強化しなければなりませんが、この辺は金融庁(強化したい?)と経産省(経営者寄り)の対立の図式とでもいいましょうか、会社法の厳正解釈・修正も含めて、やっぱり 「会社はだれのもの」 議論にたどりつくような気がしてなりません。
原理原則が曖昧なので自浄しない?と思います。
CPAの方は、なんだかんだ言っても、お金を払ってくれる顧客への意見ですから、限度があるかなと思います。
投稿: katsu | 2012年7月 9日 (月) 16時08分
ご意見ありがとうございます。性善説でみるべきか、性悪説でみるべきか、私は「株主の自己責任をどうみるべきか」という問いにも関係してくるのではないかと考えています。行政当局の市場の健全性保護の在り方については、かなり政策的なものなので、このあたりはまだまだ今後も見方がコロコロと変わるのかもしれませんね。
投稿: toshi | 2012年7月12日 (木) 01時56分
>CPAの方は、なんだかんだ言っても、お金を払ってくれる顧客への意見ですから、限度があるかなと思います。
と書かれた方がいらしたのでコメントします。
逮捕されるリスクを抱えながら、お金ごときものをくれる顧客に甘くする会計士は、いないと思います。数千万円の監査報酬だって、そこにかかる原価を考えたら、粗利は数百万円です。たかが数百万円の粗利のために自分の人生を掛ける人はいないと思います。カネボウ事件以来、公認会計士は自分が逮捕されない監査をするようになっています。オリンパスにしても、監査契約の引継ぎのところに少し問題が…という程度で、監査自体には問題がなかったと私は理解していますが。だから課徴金がなかったんです。
それでも不正を見つけてほしいならば、監査報酬をもっと引き上げることに合意してもらわないと難しいです。あるいは、ダメとは言い切れない微妙な状況の時にはどんどん意見不表明を乱発してよいというルールにするか。その結果株価が乱高下しても誰も咎めてはいけないという制度にしていただくか。数千社の中の1~2社の事故は、事故を起こした経営者を責めるのがまず第1だと思います。
投稿: ひろ | 2012年7月13日 (金) 11時57分
少しだけ、異なった視点からコメントさせていただきます。「疑問があるならば最後まで粘り、」とおっしゃっているのですが、監査報告書の提出期限との関係でどうすべきなのかというのが実務上は問題となりうるのではないでしょうか。意見不表明はあまり好ましいことではないのですが、徹底的に粘るということは、意見不表明を活用?したほうがよいということにもなります。日本の場合、決算短信を真の意味でのunauditedで割り切れないということから、監査人が使える期間がきわめて短いという事実を考えると、どうしたらよいのかという問題がありそうです。
投稿: 一研究者 | 2012年7月15日 (日) 06時07分
ひろさん、一研究者さん、ご意見ありがとうございます。私個人の理想として申し上げるならば「意見不表明」がもっとあってもいいのではないか、と思うのですが、現実にはむずかしいと思います。なので、やはり一研究者さんがおっしゃるとおり、提出期限ぎりぎりまで、双方の歩み寄りの努力をすることになると思います。私の監査役の経験からすれば、この歩み寄りについても、双方の意思疎通がうまくいっていないケースもあります。とくに監査法人の審査部と会社の意見とのすり合わせをどうするか、というところが工夫が必要かと。まだまだ会計士と会社との意識の差を埋める努力の余地がある、というのが私の素直な意見です。会社側に会計リテラシーの向上が要求されることが多いのは事実だとは思いますが。
投稿: toshi | 2012年7月16日 (月) 01時17分
toshiさんのおっしゃる通りで、意見不表明の裏側には監査契約したのに報告書を出さない債務不履行での会社からの訴訟リスクもあるし、株価が落ちた場合に株主からの訴訟リスクもあります。
しかし、会計士が会社に対して「審査部門でダメというので」みたいな理由にならない理由を述べている場合もあるようで、事前に「この件はこういう風に見ればokだが、こういう点では粉飾とも見える。ダメという規則はないが、こういう処理をした会社の意図を考えると、趣旨としてはまずいのかもしれない。この辺りを監査法人の審査部門がどう判断するかによっては厳しいことになるかもしれません」くらいのことを事前に語っていれば、審査部門にNoと言われても、会社も想定内の話になります。
会計士がここまで説明していて会社が理解してくれないなら、会社の会計リテラシーの問題かもしれませんが。
すべての関係者が、アフターカネボウに頭が切り替わっていないと悲劇がどこかに起きるのだと思います。
投稿: ひろ | 2012年7月17日 (火) 18時37分
いつもBLOGで勉強させていただいています。今回は、すこし疑問が湧いたので、コメントさせていただきたいと思います。
なお、一言お断りさせていただきます。僕は、受験上の監査論を一生懸命勉強しましたが、監査実務を知らないために発生する齟齬かもしれません。
「意見不表明」というのは会社に提出する監査報告書の1パターンではないでしょうか。適性意見や不適正意見と同レベル概念であり、監査人が心証を形成するために監査上要求される事項が満たせない場合に使われる概念だと理解しています。そのため、「意見不表明」を表明することによって債務不履行だと訴えられる論理がよくわからないのです。もっとも、監査論上にない監査人の対応、例えば、監査契約を打ち切ることによって監査人をおりるという行為をした場合は、債務不履行に該当する(かもしれない)と認識していますが…。
投稿: 受験生です。 | 2012年7月17日 (火) 22時09分
意見不表明が単なる1パターンとも受験上の監査論では出ているのですか。私の頃には、適正と限定付と不適正と意見差控で、確かに1パターンとして習いました。しかし、実務に出てみると、適正以外は、企業の上場取消につながる恐ろしいもので、出せないものでありました。
つまり、適正以外の不適正も意見不表明もすべて「有事」です。そして、制度上は、ぎりぎりの時間まで監査をして、なおかつ心証形成できないから意見不表明ですね。しかし、実務上は、会社はそれなりの資料を提出していて、しかし会計士はその内容の真実性や将来の達成可能性に疑問があり、その疑問を解消するだけの何か資料はないのか?と要請し、「会社はこれ以上の何が出せるのか、鉛筆転がして書いたんじゃないのだから、疑問があると言われても困る」と回答しているような状況で時間ばかり経過していくのだと思います。
そこで不表明だったら、会社は「勝手にうちの資料を信頼せずに心証が形成できないと難癖をつけた」と主張すれば訴訟になると思います。意見不表明なら株価も落ちます。で、結果として会社主張が正しかったらどうなるか。
そもそも訴訟を提起されたら負けなんです。いや、勝ち負けは別として、その訴訟に対応する費用と時間と体力と世間的名誉の失墜などで採算が合わないという意味で負けです。
申し訳ないけど、実務って、そういうものです。そして、受験生にそういう監査しか伝えられていないなら、執筆している学者も含めて書生です。現場にいる人間が制度を作らないから、こういう矛盾が起きるとも言えます・・・というと書きすぎかな。きちんとした監査の体系をまず学んでもらうのが教科書であり、国家試験ですから。そして、上記のような話は、実務家の話であり、応用編なんですね。
投稿: ひろ | 2012年7月18日 (水) 15時37分