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2012年9月28日 (金)

企業の自浄能力と株主代表訴訟リスクの関係

中央大学付属中学の情実入試騒動は、(大学から幼稚園まで併設されている)某学校法人の内部通報窓口を担当している私にとっても他人事ではございません。まだ当ブログでコメントを述べるほど事実関係がはっきりしておりませんが、こういった情実入試の不正が、おそらく中学側からの内部通報によって大学の知るところとなったことは間違いないようです。

人間関係が錯綜しているなかで、内部通報制度がきちんと整備されてしまいますと、今まで表面化していなかった不正事実が世に出ることは当然のことであります。このあたりの内部通報リスクに関する認識の甘さ、そしてマスコミに知れる最大のポイントになったステークホルダー(ここでは行政当局→神奈川県)への対応の甘さというものは、まさに企業の自浄能力を語るときにも参考になるところであります。そういえば昨日の記者会見においても、中央大学の学長さんが、「大学の自浄作用を発揮するためには、入学を取り消すしか方法がなかった」と弁明されておられます。

このように最近は広く使われるようになった自浄能力(自浄作用)という言葉ですが、一般的には「自浄能力」とは、不祥事が発生した場合、これを自分で見つけて、自分で調査して、自分で公表して、自分で関係者を処分する、という一連の不祥事対応能力のことを指します。たとえば第三者委員会による事実調査や責任判断というものも、企業行動の公正を期すために専門家の支援を受けるわけでして、これも自浄能力の発揮場面に含まれます。

以下では、支配権争いに株主代表訴訟が活用されるような中小の株式会社ではなく、株主が多数存在する大企業を念頭に置いたお話ですが、企業が自浄能力を発揮するようなケースというのは、マスコミから大きく報道されることを防ぐことに留まらず、役員のリーガルリスクを低減させることにもつながるものであることがわかります。もちろん不祥事が発生し、マスコミから大きく取り上げられ、企業の社会的信用が大きく毀損された場合には、株主代表訴訟が提起されることになりますが、大きな不祥事が発生したとしても、これを自浄能力を発揮して信用回復に尽力した企業に対しては、ほとんど代表訴訟が提起されておりません。

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上図は、これまで社会的にも大きな話題となりました企業不祥事による株主代表訴訟や株主による第三者責任追及訴訟と、その訴訟で問題とされた不祥事が発覚した原因事実を対比したものです。とりあえず著名なものだけ掲げておりますが、この発覚原因をみるかぎり、自浄能力を発揮したにもかかわらず、役員が代表訴訟を提起された、というものは見当たりません(なお、シャルレのMBO代表訴訟については、内部通報が発端となった事件に関するものですが、これも取締役の利益相反行為が社員によって暴かれたものとして自浄能力が発揮されたものとは言い難いように思われます)。もちろん株主代表訴訟を提起することは、株主の任意であり、役員の責任追及を妥当と考えれば自由に提訴することができます。やはり経営陣のコンプライアンス意識が希薄である、という印象は、不祥事を隠したり、経営者自身が関与していたり、知りながら長年放置している、といった事情が明確になるときに株主一般に認識されることになり、これが代表訴訟提起のインセンティブになるものと思われます。

そもそも企業不祥事発生時において、その自浄能力を問題とするのは、企業自身の信用回復の可能性を世に示すことにあるわけですが、事実上個々の取締役・監査役の訴訟リスクにも関わるものであると思われます。

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2012年9月26日 (水)

気づいても口に出せないファジーコンプライアンス問題

ここ1週間ほど、ちょっと信じられないような企業不祥事が続出しております。パナソニック社のスマート家電事件(電気用品安全法違反疑惑事件)、ソフトバンク社のiphone4下取り事件(古物営業法違反疑惑事件)、そして生協連合会さんの下請法違反勧告事件(勧告額としては過去最高額!)など、どれをとっても「なんで?」と首をかしげたくなるようなコンプライアンス違反事件であります。世間的にみれば「こんな立派な組織がどうしてこんなアホなことやったんやろか」とあきれてしまうところかと。どこもコンプライアンス問題にはきちんと対応できる組織をお持ちでしょうし、法令遵守には極めて厳格な組織であるにもかかわらず、どうしてこのような不祥事が発生してしまうのでしょうか。「うっかりコンプライアンス」の恐ろしさは、今般の不祥事で国民が受けた損害はそれほど大きなものではないとしても、「この会社は、うっかり不祥事を起こす会社なのだ」といった印象を国民に与えてしまうことによる信用毀損に至るところであります。

これは私の推測にすぎませんが、こういった問題は現場から法務部門に「これってどうなの?」と相談があれば、おそらく法務部門からはほぼ100点満点の答えが返ってくるものと思います。法務部門が悩むような場合には、法律専門家の意見を聞くなどして、現場の不安に応えるはずであります。だとすれば、このような「うっかり不祥事」発生の最大の原因は、「現場の情報が管理部門に届いていない」ということであります。よくコンプライアンス経営の基本として、社内における情報の共有(情報の自由な伝達)が挙げられますが、管理部門が把握すべき重要な情報が残念ながら上がってこないということによるものかと思います。

ではなぜ現場から重要な情報が上がってこないのでしょうか。ここから先が問題であります。重要な情報が伝達されない要因のひとつは、現場担当者がリスクに気がつかない、もしくは気付こうという意欲がないことによるものであります。たとえばパナソニックのスマート家電問題では(スマホによって遠隔地から自宅のエアコンのスイッチを入れる、という装置が電気用品安全法違反にあたるのでは、と経産省から警告を受けたことについて)、現場でリーガルリスクについては全く気がつかなかった可能性があります。これって常識的にみて問題はないのだろうか・・・と若干の不安を抱いたとしても、「NTTさんだって、制御装置を活用して遠隔スイッチ操作を販売しているではないか」という一言でおそらく自己の行動が正当化されてしまったのではないでしょうか。ソフトバンク社についても、まさかソフトバンク社が古物営業の許可を持っていないとは思いもよらなかったでしょうし、「経営トップが初歩的なミスをするわけない」といった気持ちから、コンプライアンス違反に関する不安など吹き飛んでしまった可能性があります。

さて以上は現場がリスクに気付かない、もしくはバイアスが働いてリスク感覚がマヒしてしまったので、現場の情報がバックオフィス部門に届かなかった例を示したものですが、もうひとつの要因も考えられます。それは「リスクには十分気付いたけれども、社員が見て見ぬふりをした」可能性であります。実際にはこちらの可能性のほうが高いのではないでしょうか。

コンプライアンス経営に、真剣に取り組んでいる企業ほど、各部門間における情報共有のシステムが内部統制の一環として構築されています。つまり各部署の社員間で自由に情報が伝達される仕組みが整っているわけであります。これは一見するとコンプライアンス経営にとってはプラスです。しかしマイナス面があることも忘れてはなりません。つまり各部署で情報の共有化が進むということは、各部署が他部署の努力の跡を理解している、ということであります。数年かけて製品化した技術開発部門、一生懸命広報作業を行って販売にこぎつけた営業部隊、そういった姿をみるたびに、他部署の社員は頑張っている部署に対して後ろ向きの意見がいいにくい環境が醸成されていきます。つまり他の部署が努力してきたことを情報として知りつくしているからこそ、他部署への思いやりの気持ちが先に立ってしまい、「これって問題ではないか」といった意見を出しにくくなります。「おかしい」と気づいても、これを口に出して言えないのは、こういった状況の中から生まれるわけでして、これはたいへん深刻なケースであります。

パナソニック社のスマート家電戦略も、またソフトバンク社のiphone下取りキャンペーンも、いずれも今秋の重要な営業戦略です。おそらく組織全体が、「この戦略で一気挽回」という雰囲気に包まれていることが想像されます。そんな中で何人もの社員が「ちょっと大丈夫なのかな?」と法令違反疑惑に気がついたとしても、それを口に出して言えるものなのでしょうか?さきほどまで、私は某東証一部上場メーカーさんの法務部員、総務部員の方々と夕食を共にしておりましたので、その席で、この疑問をぶつけてみました。その法務部門の方曰く「もし、ウチの会社だったら『お前、会社が起死回生に向けて努力してるときに、なんでそんな水を差すようなこと言うねん!』で終わってしまうだろう」とのこと。もちろん、法務部門まで「おかしいのでは」といった相談が来ていれば、自分たちがリスクをきちんと説明するし、職務である以上、「勇気」などといった問題ではないそうです。しかし、法務部門まで現場の声が届くかどうかということについては悲観的な感想をお持ちでした。

生協連の下請法違反も、(もちろん私の推測ですが)確信犯的なコンプライアンス違反ではなく、いわゆる「うっかりコンプライアンス」だと思います。自分たちは長年の慣行に従って取引先との返品処理を行っていたつもりでも、「おかしい」と先に感じたのは返品を受ける下請け業者の方々だったのではないでしょうか。公正取引委員会の判定理由には不満があるかもしれませんが、「長年の慣行」というだけで、社内の常識と社外の常識に食い違いが生じているのではないか、と疑ってかかる気持ちは失せてしまっていた、ということは事実かもしれません。

本日、お昼に開催された某研究会の席上、ある弁護士の方が「グレーな企業活動について、適法性を相談されることってたいへんですよね。グーグル検索だって、いまでこそ当たり前になってしまったけど、最初は『これって著作権法違反ではないか』と話題になってましたよね?あのとき、著作権法疑惑に関する相談を受けて、これは大丈夫だ!って自信をもってアドバイスできた弁護士っていたんでしょうかね?」とおっしゃったのが印象的でした。たしかに「大丈夫か」と聞かれて、私もうーーーんと悩んだかもしれません。後付けでモノを言うのは簡単ですが、「これって下請法違反では?」と不安を抱いたとしても、それを口に出して問題にするには相当の勇気がいるでしょうし、「たしかに問題だよね」と同調することにも、相当の勇気がいることかと思われます。内部統制がしっかりしている企業でも、ファジーコンプライアンスには、多くの難問が潜んでいることを、こういった実例からも想像されるところであります。

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2012年9月25日 (火)

会計監査人の監査報酬低額化と監査見逃し責任への影響度(後編)

昨日の前編には、多数のアクセス、またご意見ありがとうございました。コメント欄のKHさんは(おそらく)弁護士と会計士の双方の資格をお持ちの方と拝察いたしますが、基本的な考え方の方向性は私の意見と一致しているものと思います。とりわけ会計監査人の実務に精通された方からの視点は参考になりますので、ぜひご一読いただければと。

また、メールにて何通がご意見をいただきましたが、新規上場を担当する監査法人に中堅監査法人が増えているのは、おそらく監査報酬が低いことが原因ではないか、との意見に対して異論を唱えておられる実務家の方もいらっしゃいました。以下、引用させていただきます。

今朝の『会計監査人の監査報酬低額化と監査見逃し責任への影響度(前編)』拝読致しました。 新規上場に当たって、中堅会計監査法人が担当するケースが増えているとのお話しですが、私には苦い思い出があります。
ある新興市場に上場している某オーナー企業の成長を助けるために関与したことがあるのですが、その某オーナー会社はDD(デューデリ)の結果、色々とアヤシイ会計(利益の水増し)処理が目に付くのです。それにも増して、その中堅会計監査法人の代表者を、某会社のオーナー社長は経営指南のように慕っており、打合せに同席させる、などもしており、それを含めてではないでしょうか監査報酬も決して安くはありませんでした。
このケースでは、オーナー社長と監査法人の間で、適正な会計監査をするという目的以外に、上場審査をどう切り抜けるか、表向き上場企業としての体裁を整えるにはどうしたらよいかというアイデア出しに関する相談に乗るというようなどろどろの人間関係が形成されていたのです。今はこの会社とは縁を切っておりますが、嫌なものを見た思いしか残らなかった案件でした。
中堅会計監査法人にとって、真っ当な仕事をする能力だけでは、新規上場案件を受注するには不足で、その最中&その後のアフターサービスが伴わないと、とてもオーナー企業からは仕事は取れないことも多いのではないかと私のささやかな経験を通じてではありますが思っております。

なるほど、たしかに(中堅監査法人に所属する会計士の方々には怒られそうですが)IPO実務に携わる方からすると、そういった生臭い指南役を買って出る監査法人さんも実際には存在することがわかるのでしょうね(勉強になりましたです)。報酬の安い、高いとはまた別の需要があって中堅監査法人さんが登場する・・・ということなのかと。

※※※※※※

さて、昨日の続きでございます。証券市場においても新自由主義の考え方が浸透して、今後も「小さな政府論」が社会的な支持を得るものだとすれば、国民の生命や身体、財産の安全を確保するための行政的手法は、その一部を民間団体が担うことになります(行政規制の代替措置の要請)。市場の健全性確保という行政機能の一部も、当然のことながら民間団体が担い手として期待されることになり、その先鋒を務めるのが公認会計士(監査法人)になります。市場の番人としての役割が監査基準の中にも明確にされてくるでしょうし、そうなりますと、粉飾決算が発覚し、これを見逃してしまった会計監査人の法的責任が追及されるケースも出てくることになります。しかしながら、監査報酬がそれほど上乗せされることがないままに、会計監査人の法的責任だけが厳格化される、ということになりますと、優秀な人材が監査業界から遠のいてしまうことや、効率化だけが訴求されてしまうようなマニュアル化された監査業務が行われてしまうことになりかねません。世間から「公認会計士は正義の味方でかっこいい!」と言われ、また優秀な人材がたくさん監査業界に入っていただくためには、不正監査に積極的に挑みつつも、過度の法的リスクを背負わないような仕組みが必要になるものと思われます。

つまり、これまでの監査報酬の金額にそれほど変動がないままに、監査責任だけが上乗せされる、ということになりますと、会計監査人としてもたまったものではないと思われます。したがって現場における会計監査人としての責任を希薄化することを検討しなければなりません。その際に考えられるのは、①現場における会計監査人の注意義務を論じるというよりも、監査法人全体における過失(品質管理を含めた過失)を議論する方向性、もしくは②被監査企業の監査役に責任を共有してもらえるような法的な根拠を検討する方向性が考えられるものと思います。つまり現場の会計監査人の善管注意義務、一般的な注意義務を論じるにあたり、信頼の原則が適用される方向性での議論であります。

なお、誤解のないように申し上げますが、「会計監査人の責任を希薄化する」というのは、決して会計監査人の責任逃れを助けることが目的ではなく、日本の監査制度の更なる向上を目指して、構造上どこに問題があるのかを明らかにする、ということを目的とするものであります。たとえば個々の会計監査人の過失を論じるのではなく、品質管理チームとしての監査法人の過失を検討することで、監査の質の向上を図り、同時に現場のリスク(たとえば上場廃止の引き金を引いて、被監査会社の命運に多大な影響を及ぼすリスク)を低減させる必要があると思われます。すでに金商法21条、22条の2等では、継続開示書類に虚偽記載ある場合に「監査法人による過失」という概念が認められております。監査法人に過失がなかったことの証明がなされた場合には免責される、という規定です。監査法人自身の過失という概念が認められるのであれば、そこでは現場の公認会計士のミスだけでなく、監査法人の品質管理上のミスについても論じられることになるように思われます。また、法人の過失という概念が認められずとも、すでに最高裁では(医療過誤訴訟において)「チーム医療に対する過失の考え方」が示されています。主治医、指導医、執刀医、これを支援する医師それぞれにどのような過失があったのかを詳細に検討し、それぞれの過失を認め、連帯責任を負うものとしています。平成19年の公認会計士法改正により、監査法人には品質管理が厳しく求められるようになりました。そういった背景からすれば、会計監査人の監査見逃し責任についても同様の考え方を取り入れてもいいのではないでしょうか。

もうひとつの方向性は、監査役との責任分配論であります。こちらは会社法改正要綱の解説(岩原紳作教授の商事法務解説)にもあるように、今後ますます監査役と会計監査人との連係・協調には期待が寄せられるところであります。このたびの会社法改正要綱では、「はたして監査役に政策的判断までなしうるのだろうか」といった疑問があったために、会計監査人の選任議案の決定権までは認めたものの、報酬決定権までは認められておりません。今後の監査役と会計監査人や内部監査部門との連携状況を十分に見定めたうえで検討されるものと思います。オリンパス事件でも話題になりました金商法193条の3にみられるように、監査役が既に市場の番人たる役割を期待されている規定もあります。

法務省や金融庁などの行政当局からは、市場の番人たる役割は会計監査人だけでなく、上場会社の監査役にも寄せられるところであります(金融機関の監査役に対するものではありますが、平成24事務年度における金融庁の検査基本方針において、監査役と行政当局との緊密な連携が主たる取組みとして掲げられているところです)。たとえば不正の兆候(通例監査から抱いた違和感)に接した会計監査人や監査役は、それぞれ人的・物的資源に限りがあるのであれば、その違和感が非定例監査を必要とするものかどうか、相互に活用することが効率的であります。そういった手続きが通例のものとなるのであれば、いわゆる「信頼の原則」を適用することで、会計監査人が善管注意義務を尽くしたことを主張できることにつながります。世間で一般に言われるような「三様監査」(会計監査、監査役監査、内部監査)を機能させることにより、それぞれの法的責任の軽減にもつながることになろうかと思われます。

さらに、これまで「会計監査人の監査見逃し責任」を論じるにあたっては、どうすれば会計監査人は被監査会社の不正を発見することができるのか、なぜ発見できなかったのか、という点にばかり注目が集まっていたと思います。しかし、会計監査人は法律家ではありませんので、「不正」を特定しうる(判断しうる)立場にはありません。したがって、不正の疑惑が生じた時点で、会計監査人はどういった行動に出なければならないのか、つまり不正の兆候に接した会計監査人にどのような行動が期待されているのか、という行為規範についても検討しなければならないはずであります。開示規制の中で論じられるものなのか(会計監査人の守秘義務解除の問題が)、行為規制の中で論じられるものなのか(会計監査人に期待される具体的な行動の問題か)という点を整理することが必要ではないかと考えられます。

前編と後編を合わせますと、たいへん長くなってしまいました。ここまで述べてきたことは、まだあまり世間で議論されていないことばかりでありまして、私自身のまったくの試論にすぎません。ただ、会計監査人が不正監査に立ち向かう勇気については、これを法律でなんとかサポートしていく仕組みが考えられなければ、結局のところ「監査報酬が低いんだから、そんなのやってられないよ」的に思考停止の状態に陥ってしまい、いつまでたっても「期待ギャップ」を埋める努力はされないままになってしまうのではないか、と危惧いたします。まだまだ粗削りで、ツッコミドコロ満載のお話ではありますが、どこかでこういったことを議論できれば・・・・と考えている次第であります。

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2012年9月24日 (月)

会計監査人の監査報酬低額化と監査見逃し責任への影響度(前編)

当ブログをlivedoorのRSSにて登録されていらっしゃる方はご存じかもしれませんが、このところ、当ブログのRSS登録数の記録が未だ更新されておりまして、アクセス数も伸びております(本当にどうもありがとうございます)。ということもありまして、本日は(当ブログ的には人気ネタのひとつである)会計と法の狭間ネタであります。少し長くなりますので、本日は「前編」とさせていただきます。

9月21日の日経新聞におきまして、新規上場企業の監査を中堅監査法人が担当する機会が増えたことが報じられております。「規模の小さい企業の上場が増えるなか、大手より低価格で上場を支援できる中堅と契約する企業が増えている。中堅監査法人側も上場支援を新たな事業の柱として体制を強化している」とのことだそうです。大手と中堅とで、どれほどの違いがあるのかは存じ上げませんが、上場準備企業にとっては、やはり監査費用は関心の高いところであることは間違いなさそうであります。

監査報酬につきましては、先週宇澤会計士のご著書「不正会計」をご紹介したときにも、いくつかの関連コメントをいただきまして、不正発見に積極的に努める会計監査ということであれば、監査報酬を相当に引き上げてもらわねばならない、とのご意見がございました。といいますか、当ブログで不正発見目的の会計監査についてとりあげますと、かならず監査報酬問題についてのご意見を頂戴します。とくに印象深いのは、会計監査人は職業的懐疑心をもって監査に臨め、とはいえども、3600にも上る上場会社のほとんどはまじめに財務諸表(計算書類)を作成しているのだから、実際のところ「不正があるのでは?」といった意識で臨むのはむずかしい、もし懐疑心を全面に出して監査計画を立てるのであれば、現状の監査報酬は低額すぎる・・・というものです。

私もこういったご意見は監査法人の現場の声として、ホンネのところではないかと感じております。「期待ギャップ問題」と言われ、不正発見目的の監査を会計監査人(監査法人)に要望する社会的な風潮が強まる中で、これに見合う監査報酬とはどれほどか?ということは、もうそろそろ社会的に議論したほうがよろしいのではないでしょうか。というのも、不正発見目的の監査についての社会的要請が強まり、市場の番人たる役割を会計監査人が背負うとしましても、監査報酬の低額化傾向は、会計監査人の法的責任を認めるにあたり、何ら免罪符にはならないからであります。

会計監査人(公認会計士)と被監査対象会社との監査契約は、法律上は準委任契約ですから、会計監査人は善管注意義務を尽くして監査業務を遂行することになります。不法行為責任を問われることを前提とする過失の根拠についても、その注意義務は、おそらく善管注意義務の中身と同じものと解されます。会計監査人の不正発見に努める義務(法的義務)の内容は、リスクアプローチに基づく監査が根拠とされるはずで、これは職業専門家としての一般的な水準の注意を払って監査業務を遂行することが念頭に置かれます。したがいまして、いくら特約事項で「不正会計目的による会計監査業務は含まれない」と合意したとしても、実質的な依頼者が投資家・株主である以上、職業専門家としての一般的な水準の注意義務には影響しないものと思われます。

これまでの判例でも、報酬をもらっていない監査役に善管注意義務違反による損害賠償責任が認められたり(法律的にみればあたりまえの話ですが)、弁護士資格を持った社外監査役であるがゆえに、他の監査役とは区別して、特別の注意義務違反があるとされたものがあります。また、社外監査役といえども、法律上の注意義務は常勤監査役と同等とするのが、法律学者の方々の通説であります。こういったことからすると、いったん会計専門職の方が、会社側と監査契約を締結した以上、それがどのような報酬条件で締結されたものだとしても、不正発見に向けた注意義務の中身としては変わらないものであり、監査報酬が低額である、といったことは会計監査人の法的責任を排斥する理由にはなりえないものと思われます。

このようなことを申しますと、「そんなアホな!それでは監査法人の経営が成り立たないではないか。」と会計士の方々に文句を言われそうな気もいたします。たしかに監査報酬が低額であることは、法的責任を排斥する理由にはなりません。しかし、抗弁事由として「この報酬では、ここまでのことが精一杯の作業であった。ここまでの作業で不正の兆候を発見することができなかったのであるから、追加報酬を求めることもできず、深度ある非定例監査業務は遂行しえなかった」といったことを、監査法人側が積極的に主張して免責を求めることは可能かと思われます(正確には抗弁事由ではなく、評価障害事実の主張ということなりますが、法律的な細かい説明は割愛いたします)。もし、こういった主張を会計監査人側が裁判で展開するようになれば、不正発見目的の監査とは何か?本業務を含む適正な監査報酬とはどの程度の金額か?追加報酬を求めるべき「不正の兆候」とは何か?といったことまで裁判の争点になりますので、監査報酬の適正性を公開の場で議論する土台が出来上がるのではないかと思われます。

最近は、社長を訴える監査役側の代理人弁護士の「適正報酬」(法律的には監査費用の相当性の問題)や、株主代表訴訟における株主支援代理人弁護士の適正報酬(ダスキン事件の原告支援代理人に関するもの)などを裁判所が判断する例が出ています。弁護士としては、実際に裁判所によって認められた適正報酬の金額には大いに不満でありますが、何が適正であるのか、第三者は弁護士の職務をどのように視ているのか、といったことを研究するにあたりたいへん有益なものであり、これは会計監査人の監査報酬においても同様に考えるべきではないかと思われます。

しかし現実問題としまして、このまま監査報酬が安い中で不正監査に関する厳しい対応が迫られる、ということになりますと、監査法人(会計監査人)はたまったものではない、ということになります。そこで、監査法人が期待ギャップを埋めるべく、市場の番人たる役割を積極的に果たしうるためには、一方において司法の場で会計監査人の法的責任が追及されるリスクは低減させることも検討しなければなりません。そのあたりの考え方につきましては、明日の後編で述べてみたいと思います。

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2012年9月20日 (木)

内部通報者の勇気は「喫煙室」から生まれる?(花王・子会社横領事件)

花王の元会長でいらっしゃる常盤文克氏のご著書「新・日本的経営を考える」のなかで、社内に設置されている「喫煙室」の雰囲気が、何でも言い合える強い組織をつくるヒントになる、と紹介されています(同書255頁)。煙草を吸うことの良し悪しは別としまして、あの喫煙室というところは、肩身の狭い「うしろめたさ」を漂わせた人たちが集まることから、なんとも言えない連帯感が生まれ、そこでは組織内におけるホンネの会話が飛び交い、いろいろな情報が入手できるとか。そういえば以前、日本監査役協会(関西支部)でシンポの司会をさせていただいたときも、登壇されていた某企業の常勤監査役さんが「監査役として一番情報が入手しやすいのは喫煙所」と明言されていました。花王の元会長さんは、こういった喫煙室のような雰囲気を、なんとか社内全般に作ることが、組織としての強さを生むということを述べておられ、私もとても納得するところです。ちなみに、日本の本社では部長クラスの方が、海外子会社の経営トップとして赴任しているときに、日本から経営幹部の人たちが海外出張で来られた際、やはり「日本から離れた解放感や連帯感」からでしょうか、本社では語れないようなことも(職階を越えて)本音トークで語れる雰囲気がありますよね。あれとよく似た感覚なのかもしれません。

さて、その花王の子会社におきまして、(中部地区担当の)元経理部長の方が、10年にわたり約2億7000万円もの会社のお金を使い込み、業務上横領罪で逮捕された、と報じられています(中日新聞ニュースはこちら)。横領の手口は、内部統制システムを無効化させるものでして、いかにも経理部長という立場を悪用したものです。ただ、当該子会社が不正事実を知ったのは、この元経理部長の部下の方が、元経理部長の業務処理を不審に思い、本社に相談したことによるものだそうです。今年もグループ会社における不正が問題となることが多いようですが、先日ご紹介した沖電気工業社の子会社不正事件とは異なり、今回は内部通報によって発覚しています(もし内部通報がなかったとすると、現在もこの横領事件は発覚していなかった、ということでしょうかね?まぁ、子会社の、しかも支社における不正ですから、なかなか管理が行き届かないこともやむをえないところかもしれません。)

花王子会社としては、通報を受領後、すみやかに社内調査を行い、告訴受理に至る程度の証拠を収集されたようですので、とりあえず一見落着のようです。よくぞ部下の方が通報(正確には本社へ相談)したものだと思いますが、果たして当該部下の方は正義感に燃えて、意を決して相談した、ということなのでしょうか。ここのところはたいへん難しいところでして、内部通報を行うには、誰かが通報者のお尻を叩いてくれないと普通は無理ではないか、というのが現実の感覚だと思います。内部通報で著名な事件といえば、トナミ運輸事件、大阪トヨタ販売事件、オリンパス配転命令無効事件、そして最近では大阪市清掃職員事件などがありますが、(誤解をおそれずに申し上げますと)いずれの事件でも、通報者の方の個人としての力強さが感じられ、あれくらい精神的にタフでなければ内部通報ができないのではないか、といった印象を受けます。したがって、一般の社員としては、いくらヘルプラインが整備されているとしても、通報事実が自分と利害関係がある、といったことでもないかぎりは、なかなか通報はできません。そこで、どうしても通報を断行するためには、誰かの後押しが求められることになります。

たとえば、昨年の代表的な事件である大王製紙社の件、九州電力のやらせメールの件は、いずれも内部通報が発端となった事件でありますが、いずれもやはり通報者を元気づける仲間の存在が明らかになっています。つまり、内部通報が行われやすい組織というのは、個の力に期待(依存)するだけでは成り立たず、個の力を引き出す組織の力が不可欠ということになります。上記の花王の元会長さんが指摘されているとおり、「ちょっと相談したいことがあるんですけど」と、容易に悩みを打ち明けられるような雰囲気(自由に情報が流通するような雰囲気)が組織に存在しなければ、なかなか一般社員による内部通報は増えてこないものと思います。これは実際の内部通報制度の運用状況をていねいに検証してみると、よくわかるところです。

果たして、元経理部長の部下の方が、不審な上司(元経理部長)の行動を仲間の社員に相談したのかどうかはニュースからはわかりません。しかし、おそらく「本社に相談することで、自分が中部支社の中で制裁を受けたり、不利なことにならないだろうか」といった不安を抱えていたのではないでしょうか。そういったときに情報の自由な伝達が確保されていること、とくにコンプライアンス重視の風土が根付いている組織であれば、まずは周囲の上司や同僚に打ち明けることもできますし、その相談の結果、本社に通報する勇気も湧いてくることになろうかと思います。内部通報制度の活性化のためには、個々の社員への研修だけではなく、経営トップをはじめとして、「喫煙室の風通し」に似た組織風土を構築するところから意識を持たなければならない、ということが最も大切かと(2億7000万円というのは、世界企業レベルからすると微々たるものかもしれませんが、でもやっぱり通報がなければ10年も発覚しなかったというのは、花王社のコンプライアンス上の課題として残ることになるでしょうね・・・・。それと、最後になりますが、内部通報事実は花王子会社だけが認識していたのか、それとも花王本社自身も相談時点で認識していたのか、そのあたりも少し気になるところです)。

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2012年9月18日 (火)

不正会計-早期発見と実務対応(お勧めの一冊)

054612_2以前、会計評論家でいらっしゃる細野祐二氏が「司法は経済犯罪を裁けるか」というご著書を出され、その中で物証なき経済犯罪は、物証を前提とする捜査によっては裁けないとする持論を展開されました。私も法と会計の狭間の問題に興味を持つ者として、そこでの問題提起には大いに刺激されたところでした。

さて、そういった細野氏の問題提起に、ひとつの答えを提示していると思われる本が出版されました。このほど公認会計士であり、またACFE JAPAN(日本公認不正検査士協会)の理事でもいらっしゃる宇澤亜弓氏が「不正会計-早期発見の視点と実務対応」(清文社 4,000円税別)なる新刊書を出版されました。550頁におよぶ大作でございますが、これまでに類書をみないテーマに挑戦されました。副題にありますとおり、企業担当者もしくは調査の専門家にとって、不正会計をいかに早期に発見し、市場の健全性を維持すべきか、といった視点から、最近の会計不正事件を題材に、会計不正への対応を解説したものです。予想どおり、とてもおもしろい内容であり、私も連休中にほぼ全文に目を通しました。ちなみに著者の名前から、小柄で知的な女性会計士のイメージを抱かれる方も多いかとは思いますが、大柄かつ目つきの鋭いオジサンです。

以前も別エントリーでご紹介したところですが、宇澤氏は約10年ほど大手監査法人にて会計監査を担当された後、約12年間、粉飾決算事件や不公正ファイナンス事件に、摘発する側で関与されていました。(警視庁財務捜査官5年、金融庁・証券取引等監視委員会特別調査課7年)。「不正会計は完全犯罪ではない」というのが信条であり、本書のなかにも氏の信条を解説されています。これだけ堂々と「会計不正事件は摘発できる」と宣言されているとおり、平成20年以降の著名な経済犯罪事例や課徴金事例を個別に解説され、財務諸表を読んでどこに違和感があるのか、その違和感をどのように調査すれば、どのような「納得感」が得られるのか、というのを、詳細に解説されています。

元々、宇澤氏とはACFEの関係で、意見交換をさせていただくこともありますので、私自身は宇澤氏の考え方、私個人とは意見が異なる点などを存じ上げておりますが、本書では会計不正事件を調査し摘発する側の論理がきわめて明快に整理されています。おそらくこういった形で摘発する側の会計不正事件へのアクセス手法が紹介されることは、これまでなかったのではないでしょうか。とても新鮮であります。なかでも個人的に圧巻だと感じましたのは、170ページ以下で詳細に解説されている「不正会計の兆候と事案の解明」に関する総論です。ここは不正調査にかかわる専門家、社内調査担当者には必読のところです。財務諸表から探った「違和感」をみつけた場合、次にどのように会計不正を暴いていくか、そこでは会計士的な事実認定の方法と、法律家的な事実認定の方法を分けて解説されており、会計不正事件の解明には、いずれの事実認定の方法も不可欠だとしています。これは全く私も同感です。「存在しないこと」「ないこと」を証明する(その結果として合理的保証を得る)会計士の証明方法と、「存在すること」「あること」を証明する法律家的証明方法は、深度ある不正調査にとって極めて重要です。このあたりが、いままでの経済犯罪を摘発する検察官側に欠けていたのではないかと思われます。宇澤氏は現在、最高検察庁金融証券専門委員会の参与として、いわば検察官の指導をされておられる立場なので、今後はこういった検察の立件スタイルが登場してくるのではないかと推測します。

実際、こういった手法で社内不正を発見し、見事に自浄能力を示している例もあります。たとえば2009年に三井物産社が自ら公表したインドネシアの不正会計事案(たとえばこちらのニュースを参考にしてください)が典型例です。この事案では、最初に三井物産本社が社内ルール違反の事実を定例監査によって発見し(違和感を抱く段階)、その後、社内調査チームに会計士が加わって、第二次調査を行います。そこでインドネシアのある会社との取引の実在性に疑問が生じたため(納得感が得られなかったため)、いわゆる粉飾決算の疑いが強まります。その後は、社外専門家(弁護士+会計士)を中心とした不正調査(第三次調査)が行われ、粉飾決算を証拠付ける事実を確定して公表に至った、というものでした。社内の会計不正をいかに効率的に、しかも早期に発見すべきか、というまさにお手本のような事例です。

また、金融庁では現在、世界で初めての「不正発見監査基準」の策定に向けての審議が進んでいるように漏れ聞いておりますが、そもそも現行の監査基準においても、リスクアプローチによる重要な虚偽表示の有無を判断するにあたり、現場の監査人のための不正発見に関する行為準則はある程度は存在するものと思われます。しかし、不正会計事件に「監査法人」としてどう対応すべきか、つまり不正会計発見に向けた品質管理の在り方については、それほど議論されてきたものではないと思います。たとえば、どのような違和感があれば平時監査から有事監査に切り替えなければならないのか、また有事に至った場合に、深度ある監査手続きとは、いったいどのような手続きをとればよいのか、という点については、それぞれの監査法人内部での感覚的なものに依拠していたところが大きいのではないでしょうか。たとえば私が事件処理に関与したアイ・エックス・アイ事件でも、仕掛品や在庫商品の確認方法については、平時においてですら大手監査法人の間で大きな差異が認められました。今後、新たな不正発見監査基準のようなものが世に出てくるとすれば、こういった品質管理的な監査基準も具体的に示されるのではないかと思われますが、宇澤氏の新刊書では、このあたりの「深度ある監査手続き」を示すもの、具体的には「単純に試査の範囲を広げるとか、サンプル数を増やすといった生易しいものではなく、もっと想像力と職業的懐疑心を活用した手続的なもの」を数多く紹介されており、とても勉強になるところです。できれば、会計不正事件を裁く裁判官の方々にも、お読みいただければと思います。監査責任を論じるにあたり「今日の目で、昨日の出来事を見てはいけない」ことが鉄則でありますが、昨日の出来事を昨日の目でみても当事者に法的なミスがあるのかないのか、とても考えさせられるところです。

さて、これまで「会計監査には限界がある、内部統制にも限界がある、財務諸表の作成責任は企業にある」として会計不正事件の監査見逃し責任を免れてきた監査法人さんには、本書は強烈な問題提起がなされています。本書を読まれた会計実務家、会計学者の方々が、どのような反論をされるのか(たとえば、私は山一証券の監査人でいらっしゃった伊藤醇氏の「命燃やして」を何度も読み返したりしておりますので、なんとなく監査法人側の反対意見も想像がつくところでありますが・・・)、今後の反響がまた楽しみになるところです。いずれにしましても、粉飾決算事件に関心のある方々には(ご興味のあるところから)ぜひお読みいただき、いろいろなところで本書の内容について、ご議論されることを期待する一冊です。

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2012年9月14日 (金)

上場企業の役員必読!沖電気工業社・子会社会計不正事件報告書

昨日のエントリーとは打って変わって、全社的内部統制が機能していなかったために、尋常ではない会計不正事件が発覚してしまった、というお話でございます。あらかじめお断りしておきますが、本エントリーは沖電気工業さんについて、その経営管理の在り方を批判すること、揶揄することを意図するものではなく、あくまでも(どこの企業でも遭遇してしまう)海外子会社の管理のむずかしさを指摘するためのものであることをご了解ください。

すでに8月の時点で海外子会社で不適切な会計処理が行われていることが報じられていた沖電気工業社(東証・大証1部)でありますが(たとえば朝日新聞ニュースはこちら)、一昨日、同社は事実解明、原因分析、再発防止策の提言を目的とした第三者委員会報告書を公表しておられます。四半期報告書は本日(9月14日)開示される見込みとのこと。

影響はかなり大きかったようでして、事実公表に伴い株価は急落し、財務状態の改善が遅れるものとして、投資格付けも2段階ほど下がってしまったそうです。まだざっと一読した限りではありますが、日弁連第三者委員会ガイドラインに則った本報告書は、かなり会社側に厳しい意見が付されており、不適切な会計処理の中身だけでなく、発覚を遅らせてしまった原因事実につきましても、かなり踏み込んだ内容になっております。

私自身が不正調査で経験した海外子会社調査の例を、時々研修や講演等でお話させていただくのですが(もちろん、どこの会社の事例であるかはわからないように配慮しております)、私の講演をお聴きいただいている方からすれば、本報告書をお読みいただくと、「極めて酷似した事例」といった印象をもたれるのではないでしょうか。海外子会社の経営トップ(スペイン人社長)は最後まで会計処理が不適切であることを否定する(弁護士同伴のうえで抵抗)、その経営トップは、これまで親会社の業績に多大なる功績を残し、高い社内の評価を得ている、その海外子会社のトップが開き直ることにビビってしまう親会社役員、事件の処理方法において役員間で意見の対立が発生、調査責任者の度重なる交代、過年度決算修正をしないで済ます方向での意見が強まる、その結果、疑惑から不適切会計処理の調査断行まで1年もかかる、といった内容であります。会計不正の手法につきましては、在庫商品を外部倉庫に移して、実在しない売掛金債権を計上したり、重複ファイナンスによって取引先に対する滞留債権の存在を消し込んだり、ということで比較的わかりやすいものであり、報告書自体は少し長いものではありますが、理解しやすい報告書になっております。

本報告書は、親会社(正確には親会社と統括日本法人)が海外子会社の不正疑惑を知ってから、海外子会社経営トップが(自ら不適切とは認めないけれども)独特の会計処理を長年の慣行として行っていたことを白状するまでの「人間模様」をかなり詳細に記しており、読み物としても、なかなか秀逸な内容であります。有事(一大事)なのか、たいしたことはない平時なのか、親会社役員によって意識に違いが生じており、また危機対応が必要となる有事だと理解したくない(できれば平時処理をしたい)という役員の意識が、さまざまな正当化理由によって形成されていることがわかります。とりわけ親会社である沖電気工業社の経営トップ(社長および経理担当副社長)の有事対応の不適切さについて、この報告書は結構厳しく指摘しております。「監査法人が何も言ってこないのだから、大きな不正など存在しないのではないか」といった甘い考えに(役員が)支配されてしまうわけですが、会計監査は不正を摘発することが主たる目的とは言えないわけでして、これもやはり監査法人に対する「期待ギャップ」の現れではないかと。。。また、少し信じられないのでありますが、疑惑が発生している海外子会社の経営トップが、疑惑発生後に経営報告を出してくるのでありますが、その報告書の中身を信用して、「少し数値が改善しているみたいだから、もう少し様子をみよう」といった安易な経営判断を下してしまっているのであります(^^;;ホンマカイナ・・・。いや、笑えないかもしれません。オオゴトにしたくない、過年度の決算訂正をしたくない・・・という意識が強くなればなるほど、海外子会社のカリスマ社長の報告を信じよう、といったバイアスが親会社役員に働いてしまうものなのかもしれません。これは有事(会社の一大事)に遭遇された方々でないとわからないのかも。。。

さらに驚くべきことは、同社の内部統制基本方針の概要には「社内で不祥事が発覚した場合には、その旨を監査役に報告する」、とあるにもかかわらず、海外子会社の不適切会計処理の具体的な疑惑が現地調査担当者から上がってきてから1年以上も監査役の耳に届いていないことであります(監査役に報告がきたのは、社外に不適切会計処理を公表する直前!?)。これはいったいどういうことなのでしょうか?同社の監査役の皆様は、この海外子会社不正の事実を知って、どういった感想をお持ちになったのでしょうか?(涙)しょせん、どこの会社でも、監査役さんとはこういったものなのでしょうか?監査役と経営執行部とのコミュニケーション術を含め、私は10月に西日本地域を中心に、例年通りに日本監査役協会の研修講師を務めさせていただきますが、その折にでも、ぜひ皆様方のご感想をお聞きしたいと思っております。

国会に提出予定の会社法改正要綱では、これまで会社法施行規則で規定されていました「企業集団内部統制」が、いよいよ会社法条文の中に取り込まれ、いわば「格上げ」される予定であります。子会社管理がますます重要な課題となりつつあるなか、企業不祥事、コンプライアンスに関心のある方々には、ご一読をお勧めする報告書であります。そして、とりわけ上場会社の監査役の皆様には、ぜひともご一読いただき、発奮していただく起爆剤(?)になれば・・・と思い、ご紹介した次第でございます。沖電気工業グループ関係者の皆様、どうかご容赦くださいませ<m(__)m>。

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2012年9月13日 (木)

内部統制がしっかりしている企業ほど大きな不祥事が発生する?

逆説的なタイトルで申し訳ございませんが、企業の社会的信用を大きく毀損させてしまうような企業不祥事を発生させるのは、意外と内部統制がしっかりしている企業ではないか・・・といった感想を持つことがあります。ちなみに、ここでいう「内部統制」とは、経営管理としての統制プロセスのことを指すもので、経営トップの意思決定が迅速に業務執行の最先端まできちんと伝わる、という意味でございます。

今年1月25日に当ブログエントリー「外から『あやしい』中から『おかしい』の関係」でも触れましたが、大きな不祥事が発生しているのではないか・・・と外部第三者が「あやしい」と感じても、それを外部から公言するには莫大なエネルギーが必要なわけでして、ましてや組織内部の者が「おかしい」と口に出すにはそれ以上の力を必要とするわけであります。昨年のゲオ社の不明朗取引事件において、「おかしい」と一部取締役が口に出すようになったのも、社内における支配権争いが存在したことに起因しており、またオリンパスの損失飛ばし・飛ばし解消スキーム事件において、外国人社長が「おかしい」と口に出すようになったのも、当時の会長との決定的な対立関係が生じたことによるものであります。さらに今年のアコーディアゴルフ社のコンプライアンス問題も、やはり元専務の方の記者会見が発端でした。こういった事例からしますと、ただ単に「全社的な内部統制は良好である」といいましても、それだけで企業が不祥事を積極的に公表し、自浄能力を発揮することはかなり困難ではないか、と思われます。

ましてやカリスマ的な経営者が存在し、トップの意思決定が末端にまで迅速に伝わるような(まじめな)組織においては、上記のとおり「あやしい」とか「おかしい」と感じたとしても、組織内部の者が、それを口に出すことは至難の業であります。昨年の九州電力賛成意見投稿依頼文書事件(やらせメール事件)の際にも述べましたが、企業としての組織の結束力が強い場合、会社にとって不利益な情報はなかなか外部第三者に伝わることはなく、一枚岩となって不祥事を表面化させることを防ぐのではないかと。先日ご紹介しましたAIJ投資顧問の元企画部長がお書きになった本のなかにも、年金情報誌ではずいぶん前から「AIJの運用は怪しい」と公表されていたにもかかわらず、AIJの役職員としては、社長の普段の言動に全幅の信頼を置いていることから、誰も「当社は怪しいことをしているのではないか?」といった疑念を持っている気配すら感じられなかった、と記されています。リーマンショック時にも、東日本大震災の時にも、AIJが大きな損失を出さなかったことも、「たまたま大きなポジションをとらなかった」という社長の説明に納得していたために、誰も年金雑誌の疑惑記事など問題にしていなかったようであります。

社内抗争などのゴタゴタが発生していない組織において、不祥事の疑惑が持ち上がった場合、すぐに「社内が有事に至っている」などと認識する役職員はいないのが通常であります。その理由は、①楽観視「たいしたことではない」、②先延ばし「もう少し疑惑がはっきりするまで様子を見よう」、③社内常識の優先「なんだか騒いでいる人がいるけど、あの人はちょっと社内では変わっている人だから」、④根拠なき確信「あれだけ会社に功績を残した人が、へんなことするわけない」などによって、すでに役職員の心のバイアスが働いてしまうからであります。つまりいくら内部統制がしっかりしていても、役職員の心の働きとして、不祥事発生の可能性を打ち消してしまったり、保身目的が強く意識されるからであります。そうしますと、一次不祥事を発見してなんとか早期に信用回復を図る機会が喪失され、不祥事が大きくなった後に、内部告発等によって発覚する、というパターンになるのが通例かと思われます。

支配権争い等を繰り返していない組織では、内部者が「おかしい」を口に出すことが現実に困難であり、いわゆる「二次不祥事リスク」がどんな組織にも長年存在するのであれば、やはり組織内部の者が口に出さずに有事意識を社内で共有できるシステム(不正の「おそれ」まで間口を広げた内部通報制度+ガバナンス+企業倫理)をもって対処せざるをえないと思います。とりわけ外部第三者からの「あやしい」なる声が上がった場合には、社内の役員には保身目的によるバイアスが働くことが当然のことと考え、せめて会社が有事に至っているのかそうでないのか、冷静に意見が述べられる役員の存在はガバナンス上ではとても重要かと。

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2012年9月12日 (水)

あったら怖い社内基準その1-「法令違反行為の自主公表基準」

旬刊商事法務の最新号(2012年9月5日号)では、いよいよ岩原紳作東大教授(会社法制部会長)の会社法制要綱案の解説の連載が始まりました。きちんと勉強しておきたいところでありますが、同号では「日本におけるコンプライアンスの現状と課題」と題する早大の甲斐教授の論稿(アンケート結果分析)も掲載されておりまして、(私的には)こちらにも興味を覚えました。独禁法系、刑事法系からのアプローチが強いアンケートになっておりますが、2004年と2010年の各企業のアンケート回答結果を比較しますと※、なかなか時代の流れを感じます。コンプライアンスの概念や企業の思い浮かべるCSR(企業の社会的責任)とは?といった回答内容はガラッと変わっておりますし、なかにはEU・米国の制度と比較して、日本のリニエンシー(犯罪自主申告制度)に証拠法上の不利益があることを指摘する回答など、非常に鋭いご意見もあり参考になります。

※・・・回答企業数は450社程度

そのような企業アンケート結果集計のなかで、興味深いものが「あなたの会社には法令違反行為に関する自主公表基準はありますか?」との質問に対する回答集計でして、「基準がある」と回答した企業が45%、「まだ基準を決めていない」と回答した企業が50%とのことであります。

え?45%もの企業が法令違反行為の自主公表基準を持っているの?

と少々驚きましたが、おそらくこれは行政規制において「法令違反または法令違反のおそれがある場合には、申告してください」と指導されている場合に、当該行政当局への報告を想定してのものだと思われます。もしくは上場会社において、適時開示の対象となる発生事実の要件該当性を判断するための基準として形成されているものではないかと。行政処分の対象となるすべての法令違反行為を開示する企業であれば問題ありませんが、軽微な法令違反については公表しない、と考える企業にとっては必要となる判断基準だと思われます。

問題は、行政当局から自主公表を勧められているわけではないけれども、ダスキン事件のように、企業の社会的信用を維持すべき観点から不祥事の公表の是非が問われる場面であります。ご承知のとおりダスキン事件の株主代表訴訟では、違法添加物入り食品を販売した事実を公表しなくても、とくに国民の身体の安全に問題がないような場面であっても、過去の不祥事を公表しなかったことで当時の取締役、監査役に多大な損害賠償責任が認められました。企業にとって有事に立ち至った時点で公表の要否を検討することになりますと、役員の方々には当然のことながら(自らの保身という)バイアスが働くことになりますので「公表しない」といった結論に傾くことが考えられます(これは人間として当然かと・・・)。したがって、頭が冷静な状態で事の是非を判断できる平時にこそ、不祥事の公表基準をガイドライン的なものとして作っておくべきである、との意見が出てくるところであります。

たしかに企業の社会的信用を維持するため、ということで考えますと、「不祥事公表基準」なるものも、有事における取締役や監査役の適正な行動を担保することに寄与するかもしれません。しかし、ダスキン事件でも議論になりましたが、取締役に不祥事公表義務といったものが認められたわけではなく、リスク管理(内部統制)や信用回復義務といったことが根拠となって取締役の善管注意義務違反が認められたように思いますし、また監査役の責任根拠については、いまだ議論が尽くされておらず、不祥事を公表しないことについて、なにゆえ監査役に善管注意義務違反が認められたのか、実はよくわからない状況にあります。そのような中で、不祥事公表基準も、作ってしまえば立派な社内ルールでありますから、もし裁判になりますと裁判所は厳格なルールの解釈をすることになります。ルールがなければ(限定された範囲かもしれませんが)経営判断に裁量の余地が認められるかもしれませんが、ルールがある以上、厳格な順守を要求され、ルールに少しでも反した行動があれば善管注意義務違反を認定する根拠とされることも考えられます。

法令違反公表基準、ヘルプライン(内部通報規程)、反社会的勢力排除ガイドラインなど、有事を想定して平時に策定される社内ルールを整備することが強く求められる時代となりましたが、いったん作ってしまいますと、厳格な運用がなされることが(役員の法的責任という観点からは)必須となることを肝に銘じておかなければならないところであります。

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2012年9月10日 (月)

巨額年金消失。AIJ事件の深き闇-元企画部長の告白

Fukakiyami002金融庁は、AIJ事件を教訓として、新たに投資運用業者に対する規制強化策を公表するそうであります。なにゆえ国内信託銀行によるチェックが厳格に求められなければならないのか、また外部第三者による監査報告書が求められるのか、本書を読むと、なるほど理解できるところです。

巨額年金消失。AIJ事件の深き闇 (元AIJ企画部長)九条清隆著 角川書店 1400円税別)

ライブドア事件において、監査を担当されていた公認会計士の方が書かれた「ライブドア監査人の告白」を読んだときと同じような興奮を覚えながら一気に読み終えました(たしかあのときは、著者の方は後日、日本公認会計士協会から出版に関して懲戒処分を受けましたよね)。

本書は、AIJ事件発覚の経緯について、当時の企画部長が詳細に告白したものであります。金融庁による調査の様子、業務停止命令発令前後の社内の状況、AIJ投資顧問に「藁をもすがる」想いで期待を抱いた年金基金の様子を知るうえで貴重な記録です。著者である九条清隆氏(本名は巻末に記載されています)は野村證券でデリバティブを専門に扱い、みずほ証券勤務を経てAIJで企画部長として浅川社長を支えることになります。著者自身、警察から取調べを受けている最中も本書の執筆を続けておられたようで、本書原稿をクラウド上に保存しておられたために、金融庁による押収からも免れたそうです。社会的に大きな問題を起こしたことを真摯に謝罪しつつも、消えた2000億円のナゾや、10年間も不正が発覚しなかった本当の原因など、社会に知っていただきたいとの強い想いから、本書を世に出す決意をされたとのこと。野村證券→みずほ証券の時代は運用のプロとして相当の年収を得ていたそうですが、現在は時給800円でコンビニのアルバイトに勤しんでおられるそうです。

AIJ投資顧問の事件につきましては、未だ中心人物3名の刑事訴追が続いているところでありますが、不正調査という仕事に関わる者として、本書の一番の関心は、なにゆえ浅川社長からAIJの開示書類作成を任されていたにもかかわらず、著者は浅川社長による長年の粉飾を見抜くことができなかったのか?という点であります。この会社には、著者をはじめ大手証券会社出身の投資運用のプロがゴロゴロ存在していたにもかかわらず、なぜその知見によっても「運用に関しては素人同然だった」浅川氏の粉飾を見抜けなかったのか・・・・・、そのあたりは本書をお読みいただくとおわかりになるかと思います。とくに新聞等で広く報じられていたように、雑誌「年金情報」では、かなり前から「AIJは開示に積極的ではなく、どうも運用が怪しい」と書かれ(もちろん雑誌では社名は伏せられていたものの、誰が読んでもAIJを指していることは明らか)、同社内でも当然にそういった噂の存在を社員が熟知していたにもかかわらず、なにゆえ浅川氏は堂々と年金基金に対して営業を続けていられたのか、という点に関する記述は、一般の企業のコンプライアンス経営を検討する際にも参考になるところと思われます。

また、大手の年金基金の担当者は、年金コンサルタント等の専門家を交えてAIJの報告を受けていたにも関わらず、どうして著者(企画部長)の説明に納得してしまったのか、そのあたりも同様の事件が今後も発生するリスクを考えるうえでとても参考になりました。そんな自信満々だった著者が唯一プレゼンで苦労したのが大阪の年金基金だったそうであります。なぜ大阪の年金基金だけは営業に困難が伴ったのか、という理由は、本書を読みますと納得できるのではないでしょうか(大阪には振り込め詐欺の被害者が極端に少ない、という理由にとてもよく似ているような。。。)

昨今よく世間で語られるところの「リスクと不確実性の違い」に関する著者の考え方なども垣間見え、またデリバティブ取引の基本的な仕組みなどもわかりやすく解説されておりますので、AIJ投資顧問事件の全体像を知るうえでの知識なども学ぶことができます。読者の方々の立場によって、興味を持たれる点は異なるかもしれませんが、不祥事のまっただ中におられた方の証言から学ぶものはとても多く、ご一読をお勧めする一冊であります。

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2012年9月 7日 (金)

JR尼崎脱線事故裁判-あまりにも遠い社長と運転士の危機意識

JR尼崎脱線事故に関するJR西日本歴代三社長を被告とする業務上過失致死被告事件(強制起訴事件)の証人尋問が始まり、検察側(指定代理人側)と被告人側の双方から申請のあった証人の方(同社元運転士)が、事故当時の現場付近のカーブの危険性について証言されたそうであります(神戸新聞ニュースはこちらです)。

運転士の方が「当時から現場は危険だと感じていた。ATS(自動列車停止装置)を設置すべきであった。」と証言したことに対して、当然のことですが、弁護人は元運転士に対して「じゃあ、なぜそういった重大な問題を上に言わなかったのか。ATSを現場に設置すべきと進言すればよかったではないか?」と質問するわけですが、この質問に対して運転士曰く「現場の意見を取り上げるという雰囲気がなかった。個人の意見を言うと不利益になることがあり得た」とのこと。

弁護人側とすれば、こういった運転士の証言を引き出せば100点満点かと思います。現場が極めて事故が発生しやすく、直ちにATSを設置しなければならない、といった認識を歴代社長が持っていた(持つべきであった)ということが立証されなければ、事後に関する具体的な予見可能性は否定され、過失は認定されないものと思われます。いくら現場の運転士が危険を感じていたとしても、その運転士が口に出して危険性を上司に訴えていなければ、現場統括者(たとえば鉄道本部長)ですら責任を問われないものについて、ましてや巨大な鉄道企業の経営トップが危険を認識しうるはずもなく、過失犯の主観的要件の成立は困難を極めるものかと。現場の運転士の危機意識をもって経営トップの刑事責任を問うには、伝えなければならない危機意識はあまりにも遠いものに感じます。

しかし、果たしてこれで良いのでしょうか。これでは会社の中で、現場の声が経営者に届かないほうが経営者に有利に働くというこうことになります。本当に高い事故リスクの存在は、現場の社員のほうが熟知しているはずです。平時には、そういったリスク情報は、できるだけ上層部にあげるように内部統制システムを構築しているものと思いますが、そのシステムがうまく機能している場合ほど、経営トップの刑事責任が認められやすく、うまく機能していない企業ほど経営トップは刑事責任を免れる、という結果になることは、どうも納得できません。

むしろ、この運転士の方が証言しているように、現場の運転士の危機意識をどこまで経営トップが認識しうるように尽力していたか、という点を問題とすべきではないでしょうか。「現場の意見を言うと不利益になることがありえた」という運転士の方の証言はとても素直なものであり、こういった意識は当然だと思われます。しかし、だからこそ経営者の責任を論じるにあたり、「情報の自由な流通が確保されるような体制を、どのように構築しようとしていたのか」という点を問題とすべきです(そのうえで、なお社員が問題を指摘しづらかった、というのであれば「経営陣としてできる範囲のことはやっていた」ものとして免責もやむをえないものと思います)。何ら構築する努力をしていなかったということであれば、そもそも経営者は重大なリスクに全く関心を抱いていなかったということになります。事故に対する予見可能性や結果回避可能性が認められることが過失犯の実行行為性を論じるにあたっては必要となりますが、経営者自身が自らの責任で「事故を予見できないような体制」を作出していたとするのであれば、これは検察側に有利な事情として斟酌されるべきではないでしょうか。ここに(すでに無罪判決が出されている)元鉄道本部長としての責任を問われた前社長の裁判と、今回の歴代社長の方々の裁判との差が生じるところかと。

多くの悲惨な事故が発生した後の社長さんの安全対策義務違反という不作為が問われたのがパロマ工業の元社長さんの業務上過失致死事件でした。社長さんは悲惨な事故が発生するまでは、事故の刑事責任を問われることはないのでしょうか?一般事業会社のリスク管理において、内部統制云々と言われ出したのが、ここ数年のことなので、情報の自由な伝達が保証される仕組み作りが喫緊の課題であったというのは正直申し上げて後付けの議論かもしれません。しかし、伝統的な過失犯の立証に関する争い方では、お客様の安全のために熱心に内部統制に取り組んでいる企業の経営者のほうが責任が重くなるというジレンマに直面してしまうわけでして、コンプライアンス経営に熱心な企業が報われないものとなってしまうのは、なんとも違和感が残るところであります。

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2012年9月 6日 (木)

「あのひと」買いの構造と企業の社会的信用(ブランド)の維持

日本中古自動車販売協会連合会(JU)が全国の20~60代の男女2000人を対象に実施した調査によりますと、「あのひと」買いを行っている人は、35・4%もいらっしゃるとのことであります(サンケイビズニュースはこちら)。商品・サービスの種類別でいうと、自動車(47%)、家電(36%)、洋服(28%)の順で、販売員が「あのひと」とされる決め手は誠実さ、信頼感、商品・サービスの知識と並んでいます。ただ、販売員がいくら誠実でも、消費者は、まずやはり商品やブランドへのこだわりがあり、最後の決め手が「あのひと」だと思いますので、私は基本的には下図のように考えております。

Juan01やはり消費者が商品やサービスの品質の水準を第一に考え、そのうえで販売(提供)会社のブランドを考慮し、いくつかの候補が絞られたら、最後は「この販売員が推薦したものを買おう」というのが実態ではないでしょうか(このピラミッドのバランスが崩れてしまいますと、特定商取引法違反事件や高齢者を狙った詐欺事件など、極めて問題の発生しやすい事態が招来されてしまいます)。もうほとんど購入したい商品・サービスは自分の中では決まっているのでありますが、「なりたい自分」「私のライフスタイル」を理解している「あのひと」が最後にポンと背中を押してくれる・・・、そういったイメージが一番ぴったりくるように思います。

私の外食産業の役員や顧問の経験からしますと、今の時代、提供するお料理が美味しいだけではお客様は何度も足を運んできてはくれないわけで、そこに「+付加価値」が求められます。その付加価値は、お店の種類ごとに顧客層を割り出して、その「ライフスタイル」「自分らしさ」「なりたい自分」「なりたい家族」というものを想定し、レストランで食事をするお客様が、自分のライフスタイルを実現することに寄与するものでなければならないと感じています。設備投資に豊富な資金が投入できなければ、ひとつひとつの調度品は安いものであっても、お店つくりのトータルなバランスにデザイン的なセンスを表現できれば、けっこう評判がいい時もあります。

コンプライアンスの概念が「企業と市民社会との共生」ということで語られるようになりますと、お客様の「なりたい自分」のイメージを損なうような行動は厳に慎まねばならないわけでして、とりわけ外食産業のケースでは、お店の食中毒事件や社員の粗暴犯、破廉恥犯などがマスコミで報じられますと、(いくら美味しいものを提供しても)長期間にわたる売上減につながることになります。おそらく外食産業以外のBtoC事業会社、BtoB事業会社でも、多かれ少なかれ同じようなイメージをもたれるのではないでしょうか。

「あのひと」「あの会社」で商品・サービスを選んでいただく時代。企業にとって、無形価値であるブランドを維持することはとても重要なことではありますが、残念ながら、どこの企業にも不祥事は発生するわけであります。競争が激しくなる中で売上を伸ばし、また管理費用を限界まで削減しなければならない企業にとっては避けて通れない問題であります。要は不祥事が発生した場合に、いかなる方法で誠実に、信頼される形で処理すべきか、ということがとても大事なことになります。

先日ご紹介した大阪ガス社の野球とばく事件の処理事例、2年前にこちらでご紹介した日本ハム社の中元商品差し換え事件の処理事例、またこちらでご紹介したマクドナルド社の原田CEO新任時における消費税二重徴収事件における対応(わずか9500円の消費税二重徴収のために、2800万円の謝罪広告を出した事例)などをみますと、不祥事対応も「消費者目線」で考える必要があると思われます。つまり社外の消費者の自己実現、社内の従業員の自己実現にとって、この会社は評価されるに値するものであるかどうか、ということへの配慮であります。消費者はこの会社の商品・サービスを購入することによって、どのような自己実現の欲求を満たすことができるのか、従業員はこの会社に勤めることで、単に労働の対価を得るだけでなく、どのような自己実現を図ることができるのか、たとえ不祥事を起こしたとしても、この気持ちにブレを生じさせないような対応が求められるのではないでしょうか。

どんなに立派な経営者の方でも、自己の欲求が満たされているとき(企業経営が順風満帆な場合)には、きちんと自己の利益と会社の利益とを区別するだけの余裕があるわけですが、不祥事が発生して「経営者失格と評されるのではないか」「法的責任を追及されるのではないか」と不安が生じた瞬間から、どうしても深層心理として分別がつかなくなるのは当然のことかと思われます。敗者復活戦が存在する国ならまだしも、我が国の場合は敗者復活戦がほとんど存在しないわけですから、深層心理の振れ幅も大きいものと推測されます。そのときに「企業ブランドを守るための消費者目線でのコンプライアンス」を心の天秤にかけるために自ら用意しておくべきものが「職業倫理」であり、また経営者に灯った黄色信号にイエローカードを出すのが「コーポレートガバナンス」の役割である、と考えるところであります。

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2012年9月 5日 (水)

インサイダー取引の実態とその未然防止(セミナーのお知らせ)

雑誌「銀行法務21」の最新号(2012年9月号)巻頭におきまして、初代金融庁長官でいらっしゃる日野正晴弁護士(元名古屋高検検事長)が、「インサイダー事件で情報伝達者を処罰できるか」と題する論稿をお書きになっておられます。もちろん、最近の増資インサイダー事件を題材としたものであります。日野先生は、いままでも情報伝達者を処罰することは可能だったのであるが、実務的には共謀を立証することは困難であり、とりわけ取調べの可視化が導入された昨今では、共犯者の自白を獲得することがきわめて困難になっているとされ、状況証拠の積み重ねを丁寧に行わないと共同正犯、教唆犯、幇助犯の立件はむずかしいとのこと。

そこで立証の困難性を回避するために、いっそのことインサイダー情報の伝達行為自体を刑事罰の対象にしたらどうか、ということで立法論が議論されているということのようであります。しかし日野先生は、安易な立法化には反対のご様子で、情報伝達行為自体の処罰化は企業社会にとって劇薬になってしまい、委縮効果が高く反動はあまりにも大きいだろうと予想されておられます。困難かもしれないが、多くの状況証拠を積み重ねることで、証券市場の公正性を担保していくのがまっとうな方策ではないかと締めくくられています。課徴金制度との整合性や、情報提供者の利益獲得問題など、私自身も情報伝達者に対する刑罰化(立法論)については理論的な疑問点があるものと考えており、基本的には日野先生の見解に賛同するところであります。

上記日野先生がお書きになっておられるように、増資インサイダー事件をきっかけとして、インサイダー取引規制の在り方については、見直しの機運が高まっているところですが、ここであらためて企業のインサイダー取引防止体制や証券取引所における管理業務の視点から、インサイダー取引の実態と未然防止対策を考えるためのセミナーが開催されることとなりました(関西編ということでありますが)。今回は大阪弁護士会、日本公認会計士協会近畿会、そして東京証券取引所による共催事業ということで、平成24年9月21日午後2時から5時まで、場所は大阪弁護士会館2階ホールにて開催いたします。詳しくは下記の東証HPよりご確認ください。2時間半の研修内容は、インサイダー取引規制に関する最新事情なども織り交ぜた解説であり、実務家の皆様方にもわかりやすい内容で仕上がっているものと思います。なお企業担当者の方々はこちらの東証COMLECのHPからお申込みいただけます(地方開催分をご覧くださいませ)。

先日公表されました金融庁の平成24事務年度の金融検査方針のなかでも、インサイダー取引防止のための施策が重点項目とされており、おそらく証券会社や銀行等でも、上場会社や上場会社と取引関係のある企業に対するインサイダー取引防止体制の構築について、例年になく目を光らせることが予想されます。まさに企業の自助努力がより一層求められる時代となり、その具体策構築について、東証関係者の方々のお話を参考にされる良い機会ではないかと思います。お時間がありましたら、ぜひこの機会に大阪弁護士会館まで足をお運びいただければ幸いでございます。

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2012年9月 3日 (月)

自浄能力を発揮した大阪ガス社の危機管理(社内賭博事件)

さて、先週に引き続き内部通報・内部告発モノのネタであります。先週金曜日、大阪ガス社の野球部の部員36名(現役28名、OB8名)が、少なくとも3年ほど前から高校野球賭博、競馬賭博に打ち興じていた、ということを同社が公表、直前に迫った日本選手権予選への出場も辞退、ということが報じられておりました(新聞やニュースでもかなり大きくとりあげられておりました)。同社では、人事部長さんらが謝罪会見を開き、関係者の社内処分も今後行われるようです。

当ブログで過去に何度も申し上げておりますとおり、社内における遊興賭博が大問題とされる理由は、①反社会的勢力と企業との癒着の発端となりやすい不正であること、②「これくらいなら・・・・」と、不正を黙認してしまう社内風土を醸成させてしまうこと、そして③社内に(たとえ軽微なものであったとしても)形式的違法状態を存在させることによって、警察権力が自由に社内捜査に立ち入る口実を作ってしまうこと(たとえば別件の重大な法令違反の捜査のために、賭博容疑を活用する等)といったところにあります。大阪ガス社のごく一部の社員による賭け事が、社を挙げての徹底調査の末、警察の捜査が開始されてしまうほどの大きな問題として捉えられてしまう、ということに一番驚いているのは、おそらく賭博に関わった野球部員の人たちではないでしょうか(賭博参加への勧誘が社内メールや張り紙で行われていたそうですから、おそらくリスクに関する認識が当事者にはなかったのではないかと)。

掛け金の多少にかかわらず、社内で賭博が行われることは問題であり、もちろん非難されるべき問題ではありますが、不正が発覚した以上、企業の危機対応の巧拙が次の企業コンプライアンス上の課題となります。今回の一連のマスコミ報道からしますと、大阪ガス社の対応としては、企業の自浄能力がはっきりと示された典型的事案ではないかと思われます。まず、マスコミでは「内部告発があった」と報じられていますが、実際には匿名による文書が社内の窓口に届いているわけですから、これは内部告発ではなく「内部通報」だと思われます。内部告発であれば、関係書類(証拠)を添付して、マスコミへ通報がなされるのが一般的であります。つまり匿名の通報者は、社内で徹底的な調査が行われ、自浄作用が発揮されることを期待していたものと推測されます。

次に、自浄能力が発揮された、といえるためには、社内調査や第三者委員会調査の際に、特に要求される「真実性」「迅速性」「客観性」のトレードオフの関係について、バランスよく配慮された調査がなされていることが必須の要件であります。今回の大阪ガス社の社内調査に関するマスコミ報道からしますと、まず8月13日に通報が届き、それからわずか2週間ほどで36名もの社員の不正行為を認定しているため「迅速性」についてはまったく問題ありません。10年前からやっていた、という社員の証言もありますので、なぜ過去3年間の不正に限定するのか?といった「迅速性優先のために真実性を犠牲にしたのではないか?」との疑問も湧いてくるところでありますが、これは賭博罪の公訴時効の関係や、時間の経過による証拠収集の限界があったため、と認められますので、これも「真実性」との関係では合理的な説明がつくものであります。さらに、社内調査で認定した事実が、果たして公正なものであるか、という点につきましては、同社は大阪府警に調査結果を報告し、引き継ぎを済ませたというものですから、できる範囲での「客観性」は担保されているものと思われます。そして不正事実に関する経緯を自ら公表し、社内処分も今後行われるというものなので、自浄能力を発揮したクライシスマネジメントとしては、相当にレベルの高いものであり、他社にも参考になる事例ではないでしょうか。

商品の提供にあたり、一般事業会社以上に消費者からの信頼を確保しなければならないガス事業者ということで、大阪ガス社としても万全の態勢で今回の不正問題に対処したものと思われます(幸い日本野球連盟から処分は課さない方針のようであります)。社外第三者に対して自浄能力のあるところを示す必要性も高い事例かとは思いますが、こういった不正に対して経営陣が断固許さないという大阪ガス本社および同社数百に及ぶグループ会社の役職員へのメッセージとしての意味も強いものがあると推測いたします。

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2012年9月 1日 (土)

契約書の見方・つくり方(新刊のご紹介)

Keiyakusho001_2契約書の作成方法や活用法などは、弁護士が企業向けセミナーとして開催する定番のテーマであります。もちろん企業法務として最も重要な業務であるがゆえに、昔から契約書作成の手引き的な参考書はたくさん世に出ています。企業間取引の現代化とともに、改訂版が出たり、頻繁な差し換えサービスもなされるところです。

しかし、私のようにコンプライアンス経営を支援する立場の者からしますと、当事者間における力関係で合意条項が列記される契約書も重要であることは間違いないのですが、求められるものはそれだけには限りません。紛争が発生した場合に自社が有利な状況になれるよう、契約書を作成することも大切ですが、むしろ紛争が発生しないように契約書を作成することも大切であります。たとえばM&Aによる事業再編が頻繁に繰り返される状況のなかで、契約書の持つ公示機能は大切であります。契約書の当事者だけでなく、第三者がみても権利義務関係が一目でわかるようなものでなければ紛争の種になってしまいます(法務デューデリ等を想起いただければおわかりになるかと)。また、BS(資産・負債)中心の財務会計制度が進展する中で、いかなる会計事実が存在するのかを監査人に説得的に説明できるためにも、権利変動の要件・効果がわかりやすく記載されていることが求められています。企業法務を取り巻く環境変化の中で、契約書に求められる要素も少しずつ変化しているのでありまして、契約書を作成の前提となる法律行為の中身を理解しておくことはとても重要なことであります。

このような状況のなかで、とくに企業の法務担当者だけではなく、経営陣の方々にも参考になると思われるのが、TMI総合法律事務所の淵邊善彦弁護士が書かれた新刊書(契約書の見方・つくり方 淵邊善彦著 日本経済新聞出版社 1,000円税別)であります。日経弁護士ランキング「企業再生、M&A部門2011年度」でトップに選出されたこともある淵邊弁護士によるものですが、新書版にふさわしく、契約書の見方・つくり方の実務が、法律の専門家以外の方々にもわかりやすく書かれています。ビジネスの世界でトレンドと思われる契約形態を紹介され、その契約形態に合った「ひな型」に沿って法律関係を解説されるというもので、とても内容的に新鮮であります。「完全合意条項」の付記、などといった解説は、実際に契約関係がもつれて紛争に発展したような事例を取り扱ったことがなければ、なかなか理解しにくいところですが、そういった解説も非常に分かりやすい。

本来は、契約書のひな型だけをみて、チョコチョコっと書きうつして活用するのが、このての書物の特長ではありますが、本書では「どうしてこのような条項になっているのか」といったところの解説がなされていますので、企業の経営者や法務担当者ご自身が原理・原則に関する理解を進めながらご一読いただくにふさわしいものであると思われます。こういった原則的な法律関係を整理しながら学ぶ、ということにより、当事者間でいろいろな注文がつけられた契約書作成事務にあたっても、その応用が効くものになるのではと。まさに契約書の作成を学ぶことによってダイナミックは交渉の場面での対応を学ぶことができる一冊かと思われます。

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