会計監査人の監査報酬低額化と監査見逃し責任への影響度(後編)
昨日の前編には、多数のアクセス、またご意見ありがとうございました。コメント欄のKHさんは(おそらく)弁護士と会計士の双方の資格をお持ちの方と拝察いたしますが、基本的な考え方の方向性は私の意見と一致しているものと思います。とりわけ会計監査人の実務に精通された方からの視点は参考になりますので、ぜひご一読いただければと。
また、メールにて何通がご意見をいただきましたが、新規上場を担当する監査法人に中堅監査法人が増えているのは、おそらく監査報酬が低いことが原因ではないか、との意見に対して異論を唱えておられる実務家の方もいらっしゃいました。以下、引用させていただきます。
今朝の『会計監査人の監査報酬低額化と監査見逃し責任への影響度(前編)』拝読致しました。 新規上場に当たって、中堅会計監査法人が担当するケースが増えているとのお話しですが、私には苦い思い出があります。
ある新興市場に上場している某オーナー企業の成長を助けるために関与したことがあるのですが、その某オーナー会社はDD(デューデリ)の結果、色々とアヤシイ会計(利益の水増し)処理が目に付くのです。それにも増して、その中堅会計監査法人の代表者を、某会社のオーナー社長は経営指南のように慕っており、打合せに同席させる、などもしており、それを含めてではないでしょうか監査報酬も決して安くはありませんでした。
このケースでは、オーナー社長と監査法人の間で、適正な会計監査をするという目的以外に、上場審査をどう切り抜けるか、表向き上場企業としての体裁を整えるにはどうしたらよいかというアイデア出しに関する相談に乗るというようなどろどろの人間関係が形成されていたのです。今はこの会社とは縁を切っておりますが、嫌なものを見た思いしか残らなかった案件でした。
中堅会計監査法人にとって、真っ当な仕事をする能力だけでは、新規上場案件を受注するには不足で、その最中&その後のアフターサービスが伴わないと、とてもオーナー企業からは仕事は取れないことも多いのではないかと私のささやかな経験を通じてではありますが思っております。
なるほど、たしかに(中堅監査法人に所属する会計士の方々には怒られそうですが)IPO実務に携わる方からすると、そういった生臭い指南役を買って出る監査法人さんも実際には存在することがわかるのでしょうね(勉強になりましたです)。報酬の安い、高いとはまた別の需要があって中堅監査法人さんが登場する・・・ということなのかと。
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さて、昨日の続きでございます。証券市場においても新自由主義の考え方が浸透して、今後も「小さな政府論」が社会的な支持を得るものだとすれば、国民の生命や身体、財産の安全を確保するための行政的手法は、その一部を民間団体が担うことになります(行政規制の代替措置の要請)。市場の健全性確保という行政機能の一部も、当然のことながら民間団体が担い手として期待されることになり、その先鋒を務めるのが公認会計士(監査法人)になります。市場の番人としての役割が監査基準の中にも明確にされてくるでしょうし、そうなりますと、粉飾決算が発覚し、これを見逃してしまった会計監査人の法的責任が追及されるケースも出てくることになります。しかしながら、監査報酬がそれほど上乗せされることがないままに、会計監査人の法的責任だけが厳格化される、ということになりますと、優秀な人材が監査業界から遠のいてしまうことや、効率化だけが訴求されてしまうようなマニュアル化された監査業務が行われてしまうことになりかねません。世間から「公認会計士は正義の味方でかっこいい!」と言われ、また優秀な人材がたくさん監査業界に入っていただくためには、不正監査に積極的に挑みつつも、過度の法的リスクを背負わないような仕組みが必要になるものと思われます。
つまり、これまでの監査報酬の金額にそれほど変動がないままに、監査責任だけが上乗せされる、ということになりますと、会計監査人としてもたまったものではないと思われます。したがって現場における会計監査人としての責任を希薄化することを検討しなければなりません。その際に考えられるのは、①現場における会計監査人の注意義務を論じるというよりも、監査法人全体における過失(品質管理を含めた過失)を議論する方向性、もしくは②被監査企業の監査役に責任を共有してもらえるような法的な根拠を検討する方向性が考えられるものと思います。つまり現場の会計監査人の善管注意義務、一般的な注意義務を論じるにあたり、信頼の原則が適用される方向性での議論であります。
なお、誤解のないように申し上げますが、「会計監査人の責任を希薄化する」というのは、決して会計監査人の責任逃れを助けることが目的ではなく、日本の監査制度の更なる向上を目指して、構造上どこに問題があるのかを明らかにする、ということを目的とするものであります。たとえば個々の会計監査人の過失を論じるのではなく、品質管理チームとしての監査法人の過失を検討することで、監査の質の向上を図り、同時に現場のリスク(たとえば上場廃止の引き金を引いて、被監査会社の命運に多大な影響を及ぼすリスク)を低減させる必要があると思われます。すでに金商法21条、22条の2等では、継続開示書類に虚偽記載ある場合に「監査法人による過失」という概念が認められております。監査法人に過失がなかったことの証明がなされた場合には免責される、という規定です。監査法人自身の過失という概念が認められるのであれば、そこでは現場の公認会計士のミスだけでなく、監査法人の品質管理上のミスについても論じられることになるように思われます。また、法人の過失という概念が認められずとも、すでに最高裁では(医療過誤訴訟において)「チーム医療に対する過失の考え方」が示されています。主治医、指導医、執刀医、これを支援する医師それぞれにどのような過失があったのかを詳細に検討し、それぞれの過失を認め、連帯責任を負うものとしています。平成19年の公認会計士法改正により、監査法人には品質管理が厳しく求められるようになりました。そういった背景からすれば、会計監査人の監査見逃し責任についても同様の考え方を取り入れてもいいのではないでしょうか。
もうひとつの方向性は、監査役との責任分配論であります。こちらは会社法改正要綱の解説(岩原紳作教授の商事法務解説)にもあるように、今後ますます監査役と会計監査人との連係・協調には期待が寄せられるところであります。このたびの会社法改正要綱では、「はたして監査役に政策的判断までなしうるのだろうか」といった疑問があったために、会計監査人の選任議案の決定権までは認めたものの、報酬決定権までは認められておりません。今後の監査役と会計監査人や内部監査部門との連携状況を十分に見定めたうえで検討されるものと思います。オリンパス事件でも話題になりました金商法193条の3にみられるように、監査役が既に市場の番人たる役割を期待されている規定もあります。
法務省や金融庁などの行政当局からは、市場の番人たる役割は会計監査人だけでなく、上場会社の監査役にも寄せられるところであります(金融機関の監査役に対するものではありますが、平成24事務年度における金融庁の検査基本方針において、監査役と行政当局との緊密な連携が主たる取組みとして掲げられているところです)。たとえば不正の兆候(通例監査から抱いた違和感)に接した会計監査人や監査役は、それぞれ人的・物的資源に限りがあるのであれば、その違和感が非定例監査を必要とするものかどうか、相互に活用することが効率的であります。そういった手続きが通例のものとなるのであれば、いわゆる「信頼の原則」を適用することで、会計監査人が善管注意義務を尽くしたことを主張できることにつながります。世間で一般に言われるような「三様監査」(会計監査、監査役監査、内部監査)を機能させることにより、それぞれの法的責任の軽減にもつながることになろうかと思われます。
さらに、これまで「会計監査人の監査見逃し責任」を論じるにあたっては、どうすれば会計監査人は被監査会社の不正を発見することができるのか、なぜ発見できなかったのか、という点にばかり注目が集まっていたと思います。しかし、会計監査人は法律家ではありませんので、「不正」を特定しうる(判断しうる)立場にはありません。したがって、不正の疑惑が生じた時点で、会計監査人はどういった行動に出なければならないのか、つまり不正の兆候に接した会計監査人にどのような行動が期待されているのか、という行為規範についても検討しなければならないはずであります。開示規制の中で論じられるものなのか(会計監査人の守秘義務解除の問題が)、行為規制の中で論じられるものなのか(会計監査人に期待される具体的な行動の問題か)という点を整理することが必要ではないかと考えられます。
前編と後編を合わせますと、たいへん長くなってしまいました。ここまで述べてきたことは、まだあまり世間で議論されていないことばかりでありまして、私自身のまったくの試論にすぎません。ただ、会計監査人が不正監査に立ち向かう勇気については、これを法律でなんとかサポートしていく仕組みが考えられなければ、結局のところ「監査報酬が低いんだから、そんなのやってられないよ」的に思考停止の状態に陥ってしまい、いつまでたっても「期待ギャップ」を埋める努力はされないままになってしまうのではないか、と危惧いたします。まだまだ粗削りで、ツッコミドコロ満載のお話ではありますが、どこかでこういったことを議論できれば・・・・と考えている次第であります。
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コメント
「士業」とは何なんでしょうか?
監査報酬が自由化されている中で、不正まで発見する責任を負うとしたら。
監査報酬の金額で責任範囲が変わるのなら。
現行の監査制度の中で、会計監査人が負う責任の範囲は、
投資家(特に一般の人々)に具体的に説明する義務が、金融庁なり会計士協会なりにあるのではないでしょうか。
タンス預金をせずに投資をしていこう、といった動きは過去(特に小泉政権下)ではさかんに言われていました。
しかし、一般投資家が投資するには、あまりにも責任の所在が不明確のまま放置されているように思います。
専門家、あるいは勉強した人にしか正確に理解されないような言い回し、そろそろ考え方を変えませんか?
投稿: 特命希望 | 2012年10月 2日 (火) 08時26分
不正目的監査を行うと監査報酬が高額化するというのは、監査工数をかければ不正は発見できるという前提に基づいた議論ですが、その前提は正しいでしょうか?これまでの不正事案についてみると、監査時間をかけさえすれば初期の段階で不正が発見できたかというとかなり疑問です。
不正が進行していけば、財務数値に歪みが生じ、財務指標等が異常値を示すこととなりますから、監査人は通常の監査を実施していても不正の兆候に気付くことになります。不正の兆候から不正対応監査を実施した結果、不正の疑いが濃厚となると、監査人としては同時に過去の監査に問題があったと認識することとなり、不正を公表すれば、「なぜもっと早く発見できなかったのか」と社会的非難を浴び、当局からも処分される虞があるとなれば、だまって辞任という選択をとりがちになるでしょう。
>監査法人全体における過失(品質管理を含めた過失)を議論する方向性
この点は重要で、処分が監査法人だけでなく個人に及びますから、よりリスク回避的な行動をとりがちになります。
そもそも、監査報告書に監査責任者が署名する意味はどの程度あるでしょうか?○○先生が署名しているから財務諸表は信頼できるなどということはありませんから、署名することは投資家にとってなんら情報価値を持ちません。ただ単に、個人事務所だったころの母斑にすぎないでしょう。
投稿: 迷える会計士 | 2012年10月 7日 (日) 22時39分
特命希望さん、迷える会計士さん、ご意見ありがとうございます。このエントリーについては、監査実務に従事されている多くの会計士の方々の意見をお聴きしました。ホンネで申し上げますと、大手監査法人の会計士の方々は、かなりサラリーマン的発想が強いようで、「会計不正を見抜くかどうか、というよりも、会計不正をやってしまった会社の監査担当になったら運が悪かったと思わざるをえない」とのこと。不正を見抜くという気概など、それほどお持ちではない方が多いように感じました。もちろん、私は「かっこいい会計士」にあこがれていますので、意見が異なりますが。。。
また明日、おもしろいエントリーを書きますので、いろいろとご意見をいただければ、と。
投稿: toshi | 2012年10月10日 (水) 00時51分
個別事案で外から論ずると、議論が集約できない面が出るので、一般論のところで。
まず期待ギャップというかしろうと目線。「公認会計士」なんだから、不正くらい見つけてくれよ。この目線自体は何ら間違っていないし、そこにこたえねばならない本来的な姿が存在することをプロは認識する必要があるのでは。法的責任とかいう問題の前に。いわれなき責任まで負えという意味ではなく。
一方で、コストうんぬんについても、いざ不正の兆候にぶちあたったら、コストもへったくれもなく、チームで徹夜してでも、クライアント怒鳴りつけてでも、その解決にあたるのが、あるべき姿なのでは。その結果として社会の信頼性と自らの地位をあげて、高いタイムチャージ請求するのがあたりまえ、という段階にもちこんでいくことを狙うのが本筋に思えます。
全部やってしらみつぶしに見ていくとお金かかりますよ、というものの言い方をしている限り、平行線というか、公認会計士の地位自体が地盤沈下することになるのでないかと危惧しています。
投稿: 元会計監査従事者 | 2012年10月10日 (水) 18時47分
元会計監査従事者さん、ご意見ありがとうございます。おっしゃるところは、私的には異論がございません。問題意識も非常によく似ているところかと思います。ただ、やはりコスト面はなんとかしないと経済団体の強硬な反対に合いそうな気がいたします。ひろさんがどこかでおっしゃっていたように、職業的懐疑心といっても、現実には粉飾をやっている会社がごくわずかでしょうから、そこのところをコストという面からどう対応していくべきか・・・、このあたりに悩みながら理屈を考えているのですが、まだまだといったところです。
投稿: toshi | 2012年10月18日 (木) 01時21分