不正会計-早期発見と実務対応(お勧めの一冊)
以前、会計評論家でいらっしゃる細野祐二氏が「司法は経済犯罪を裁けるか」というご著書を出され、その中で物証なき経済犯罪は、物証を前提とする捜査によっては裁けないとする持論を展開されました。私も法と会計の狭間の問題に興味を持つ者として、そこでの問題提起には大いに刺激されたところでした。
さて、そういった細野氏の問題提起に、ひとつの答えを提示していると思われる本が出版されました。このほど公認会計士であり、またACFE JAPAN(日本公認不正検査士協会)の理事でもいらっしゃる宇澤亜弓氏が「不正会計-早期発見の視点と実務対応」(清文社 4,000円税別)なる新刊書を出版されました。550頁におよぶ大作でございますが、これまでに類書をみないテーマに挑戦されました。副題にありますとおり、企業担当者もしくは調査の専門家にとって、不正会計をいかに早期に発見し、市場の健全性を維持すべきか、といった視点から、最近の会計不正事件を題材に、会計不正への対応を解説したものです。予想どおり、とてもおもしろい内容であり、私も連休中にほぼ全文に目を通しました。ちなみに著者の名前から、小柄で知的な女性会計士のイメージを抱かれる方も多いかとは思いますが、大柄かつ目つきの鋭いオジサンです。
以前も別エントリーでご紹介したところですが、宇澤氏は約10年ほど大手監査法人にて会計監査を担当された後、約12年間、粉飾決算事件や不公正ファイナンス事件に、摘発する側で関与されていました。(警視庁財務捜査官5年、金融庁・証券取引等監視委員会特別調査課7年)。「不正会計は完全犯罪ではない」というのが信条であり、本書のなかにも氏の信条を解説されています。これだけ堂々と「会計不正事件は摘発できる」と宣言されているとおり、平成20年以降の著名な経済犯罪事例や課徴金事例を個別に解説され、財務諸表を読んでどこに違和感があるのか、その違和感をどのように調査すれば、どのような「納得感」が得られるのか、というのを、詳細に解説されています。
元々、宇澤氏とはACFEの関係で、意見交換をさせていただくこともありますので、私自身は宇澤氏の考え方、私個人とは意見が異なる点などを存じ上げておりますが、本書では会計不正事件を調査し摘発する側の論理がきわめて明快に整理されています。おそらくこういった形で摘発する側の会計不正事件へのアクセス手法が紹介されることは、これまでなかったのではないでしょうか。とても新鮮であります。なかでも個人的に圧巻だと感じましたのは、170ページ以下で詳細に解説されている「不正会計の兆候と事案の解明」に関する総論です。ここは不正調査にかかわる専門家、社内調査担当者には必読のところです。財務諸表から探った「違和感」をみつけた場合、次にどのように会計不正を暴いていくか、そこでは会計士的な事実認定の方法と、法律家的な事実認定の方法を分けて解説されており、会計不正事件の解明には、いずれの事実認定の方法も不可欠だとしています。これは全く私も同感です。「存在しないこと」「ないこと」を証明する(その結果として合理的保証を得る)会計士の証明方法と、「存在すること」「あること」を証明する法律家的証明方法は、深度ある不正調査にとって極めて重要です。このあたりが、いままでの経済犯罪を摘発する検察官側に欠けていたのではないかと思われます。宇澤氏は現在、最高検察庁金融証券専門委員会の参与として、いわば検察官の指導をされておられる立場なので、今後はこういった検察の立件スタイルが登場してくるのではないかと推測します。
実際、こういった手法で社内不正を発見し、見事に自浄能力を示している例もあります。たとえば2009年に三井物産社が自ら公表したインドネシアの不正会計事案(たとえばこちらのニュースを参考にしてください)が典型例です。この事案では、最初に三井物産本社が社内ルール違反の事実を定例監査によって発見し(違和感を抱く段階)、その後、社内調査チームに会計士が加わって、第二次調査を行います。そこでインドネシアのある会社との取引の実在性に疑問が生じたため(納得感が得られなかったため)、いわゆる粉飾決算の疑いが強まります。その後は、社外専門家(弁護士+会計士)を中心とした不正調査(第三次調査)が行われ、粉飾決算を証拠付ける事実を確定して公表に至った、というものでした。社内の会計不正をいかに効率的に、しかも早期に発見すべきか、というまさにお手本のような事例です。
また、金融庁では現在、世界で初めての「不正発見監査基準」の策定に向けての審議が進んでいるように漏れ聞いておりますが、そもそも現行の監査基準においても、リスクアプローチによる重要な虚偽表示の有無を判断するにあたり、現場の監査人のための不正発見に関する行為準則はある程度は存在するものと思われます。しかし、不正会計事件に「監査法人」としてどう対応すべきか、つまり不正会計発見に向けた品質管理の在り方については、それほど議論されてきたものではないと思います。たとえば、どのような違和感があれば平時監査から有事監査に切り替えなければならないのか、また有事に至った場合に、深度ある監査手続きとは、いったいどのような手続きをとればよいのか、という点については、それぞれの監査法人内部での感覚的なものに依拠していたところが大きいのではないでしょうか。たとえば私が事件処理に関与したアイ・エックス・アイ事件でも、仕掛品や在庫商品の確認方法については、平時においてですら大手監査法人の間で大きな差異が認められました。今後、新たな不正発見監査基準のようなものが世に出てくるとすれば、こういった品質管理的な監査基準も具体的に示されるのではないかと思われますが、宇澤氏の新刊書では、このあたりの「深度ある監査手続き」を示すもの、具体的には「単純に試査の範囲を広げるとか、サンプル数を増やすといった生易しいものではなく、もっと想像力と職業的懐疑心を活用した手続的なもの」を数多く紹介されており、とても勉強になるところです。できれば、会計不正事件を裁く裁判官の方々にも、お読みいただければと思います。監査責任を論じるにあたり「今日の目で、昨日の出来事を見てはいけない」ことが鉄則でありますが、昨日の出来事を昨日の目でみても当事者に法的なミスがあるのかないのか、とても考えさせられるところです。
さて、これまで「会計監査には限界がある、内部統制にも限界がある、財務諸表の作成責任は企業にある」として会計不正事件の監査見逃し責任を免れてきた監査法人さんには、本書は強烈な問題提起がなされています。本書を読まれた会計実務家、会計学者の方々が、どのような反論をされるのか(たとえば、私は山一証券の監査人でいらっしゃった伊藤醇氏の「命燃やして」を何度も読み返したりしておりますので、なんとなく監査法人側の反対意見も想像がつくところでありますが・・・)、今後の反響がまた楽しみになるところです。いずれにしましても、粉飾決算事件に関心のある方々には(ご興味のあるところから)ぜひお読みいただき、いろいろなところで本書の内容について、ご議論されることを期待する一冊です。
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コメント
「会計監査には限界がある、内部統制にも限界がある、財務諸表の作成責任は企業にある、として会計不正事件の監査見逃し責任を免れてきた監査法人・・・これこそが、期待ギャップの本質であると思います。
投稿: 特命希望 | 2012年9月18日 (火) 08時25分
監査報酬が一気に跳ね上がってくれれば、会計監査で会計不正を見つけることはそう難しくないと思いますけどね・・・。
投稿: 監査現場作業員 | 2012年9月20日 (木) 01時10分
いつも楽しく拝見し、勉強させていただいております。
「企業不正対策ハンドブック―防止と発見―第二版(P.185)」に以下のような記述があります。時代、国、ケース等は異なりますが、会計不正対応と監査報酬の関連は、無視できないと思います。
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着服金額の年間予算に占める割合が低いため、大学の外部監査人を務める大手監査法人がその不正を発見できなかったのも無理はないと、大学側は考えた。監査法人との契約書には「監査は包括的なものでなく、不正摘発を目的とするものではない」という免責条項が盛り込まれていた。「詳細な監査を依頼するとなると、あまりにも高額の報酬を支払わねばならず、誰も外部監査人など雇えなくなるのです」と、自らも公認内部監査人であるドーアは言う。
投稿: unknown1 | 2012年9月20日 (木) 11時16分
皆様、ご意見ありがとうございます。皆様方のご意見を参考に、すこしばかり不正監査と監査報酬について、考えたことを別エントリーに記載いたしました。全くの素人考えですので、忌憚のないご意見を頂戴できればと思います。
投稿: toshi | 2012年9月24日 (月) 01時57分