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2012年10月30日 (火)

ホンダ社の「うっかり開示ミス」と内部統制の有効性

(30日午前:追記あります)

The Power of Dreamsのホンダ社が、連結決算短信(および説明資料)を「うっかりミス」によって予定開示時刻よりも大幅に早期に開示してしまい、午後になって株価が急落、同社はこの事態について謝罪されたそうであります(ロイターニュースはこちら)。先日もグーグル社が同様の事故を起こしましたが、グーグル社の場合は、委託先のディスクロージャー専門会社のミスによるものだったそうで、ちょっとホンダ社のケースとは異なるようです。

先週金曜日の日経新聞に掲載いただいた私のコメント(投資・財務面)のとおり、「不正はどこの会社でも起こる」わけでして、ましてや「うっかりミス」は(リスク管理に投下できる資源には限りがありますので)完全に防止できないもの。財務報告に係る内部統制の重要な要素のひとつである「情報と伝達」に問題が指摘されるものの、なかなか100%ミスを予防することはむずかしいかもしれません。

ただ、気になりましたのは(日経新聞ニュースで報じられているとおり)、今回のうっかり開示が約20分間にわたって、同社のホームページ上で閲覧可能な状況にあり、しかもうっかり開示の原因は広報担当者が別の広報記事と間違って掲載してしまった、という点であります(ちなみに同社のHPを確認しましたところ、10月29日にリリースされたニュースは、すべて決算短信に関連するものばかりであり、いったいどの広報記事と間違えて掲載されたのかはわかりませんでした)。

財務報告の開示統制が、広報とは別の部署が担当しているということならまだ理解できるのですが、広報部署が担当しているのであれば、(たとえ別のニュースを掲載したつもりでいたとしても)必ずニュースを開示直後に、きちんとアップされているかどうかを確認するのではないでしょうか?広報担当部署が間違ったことに気付いたそうですが、それでも20分もの間、業績の下方修正に関するお知らせが閲覧可能の状況にあったわけですから、開示直後には何らの確認もなされていなかった可能性が高いと思料されます。個人事業者でも、自社のHPを運営しているところでは、おそらく更新手続きを終了した時点でアップ内容を確認するのが普通だと思いますので、この規模の会社としてはちょっと信じられないところです。(追記:なお、ひろさんからご指摘を受けましたように、HPへの入力はすでに予約機能によって同時刻以前に入力済みだったのかもしれません。確認作業が遅れたという点では同じだとは思いますが)

同社の開示マニュアルには、おそらく開示統制の一環として開示直後の確認作業が盛り込まれているものと思いますので、もしそういった確認手続きが履行されていなかったとすれば、重大な運用上の不備が認められます。もしマニュアルどおりに確認作業を行った末に20分も閲覧可能な状況に置かれていたとすれば、まずマニュアル自体に問題があるか、開示情報訂正のための情報伝達方法に問題があるということになります。

TDNETのような適時開示情報システム上ではなく、同社HP上で情報が早期に公表されてしまったわけですから、投資家サイドからすると「情報入手の公平性」に問題が生じる事態となりました。同社は今回の事故を契機に再発防止策を検討されるそうですが、私としましては、うっかり開示を未然に防止するシステムよりも、この「空白の20分」がなぜ発生したのか、その原因を知りたいところですし、この空白の20分を作らないための再発防止策こそ、同社の内部統制においてもっとも重要なのではないかと思う次第であります。

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2012年10月29日 (月)

中小規模会社の監査役のための監査環境を考える

先週は日本監査役協会主催の研修会におきまして、監査役さん向けの法律講座「経営執行部の理解をより深めるためのコンプライアンス体制」の講師を務めさせていただきました(23日が福岡、26日が大阪、名古屋は11月)。当ブログで告知させていただいたこともありまして、地元大阪ではほぼ満席となりまして(250名定員のところ223名)、本当にどうもありがとうございました。<m(__)m>「有事対応のための平時の監査環境作り」を中心にお話しさせていただきましたが、なにぶんマニュアルのないところでの試論にすぎない部分も多かったので、咀嚼しにくいところもあったかもしれません。コンプライアンス体制のベストプラクティスや合格点レベルの作り方は、講演で申し上げました通り、各社によって異なります。各社での体制作りのためのヒントにしていただけますと幸いでございます。

さて、九州および大阪での講演終了後、数名の方より同じ質問をいただきました。講演の中では大規模上場会社、グループ企業親会社、中小規模上場会社に分けて、監査役の監査環境の特徴を解説させていただきましたが、「では、中小規模の未上場会社の場合はどうなのか?監査環境作りのうえで特徴はないのか?」といったものです。すいません、ついウッカリ中小規模の未上場会社の監査役さんのための解説を失念しておりました。たいへん申し訳ございませんでした。

私の考えとしましては、基本的には中小規模上場会社の場合と同様だと認識しております。そもそもモニタリングに割くことができる人的資源に限りがありますので、内部統制監査に特化した形での監査には適していないものと考えています。常勤監査役さんがいらっしゃる場合が多いと思いますので、いわゆる「歩き回る監査」(往査中心の監査)を念頭に置かれることが前提となるかと思います。ただし、大規模上場会社のグループ子会社のように、たとえば親会社の執行役員が子会社の非常勤監査役を兼ねている、というようなケースでは、そもそも「歩き回る監査」にも限界があります。したがいまして、そういった組織では、内部統制監査に近い形でリスクアプローチに徹した監査役監査を念頭に置かれることが妥当かと考えられます。

中小規模上場会社の場合、経営トップもしくは親会社の意向が経営判断に強く反映することになります。いわば経営トップもしくは親会社のワンマン的支配によって組織のコンプライアンス体制が特徴付けられますし、モニタリング部門の人数も少ないとあって、なかなか監査環境が整備されにくいものと思われます。したがいまして、そこでの監査環境の整備のレベルは、(レジメにも書きましたように)監査役の法的責任が問われない程度の最低限度のレベルとは何か、法的責任は問われないが、監査役がコンプライアンス体制の不備を指摘すべき「合格点」のレベルとは何か、という点を中心に検討することになります。

ここで注意すべきは、中小規模会社の監査役に参考となるべき判例が存在することです。大原町農協(監事)の監査見逃し責任に関する最高裁判決、そして釧路生協(監事)組合債事件札幌高裁判決などは、いずれも中小の組織の監事(監査役)の責任を認めた事例であります。事例の内容は来年2月~3月の講演会の際に解説いたしますが、こういった事例を通じて、監査役が自浄能力を発揮しなければ、自らの法的責任が問われてしまうレベルというものが見えてきます。ひとつは監査役として(平時の定例的な職務として)法が期待する行動をとらなかった場合の問題点と、不正の兆候に触れた時点から(つまり有事に至った場合)の監査役の懐疑心をもった行動を明確にできなかった場合の問題点があります。どうしても監査役としてノーと言えない状況を打破するためには、こういった判例の傾向を知り、気持ちを後押しさせる必要があります。

また、上記の判例に登場する監事(監査役)の方々は、いずれも法律や会計の知見に乏しい素人の方ばかり、ということも注意すべき点です。「不正の兆候」というものが、法律や会計の専門家でないと判明しないような高いレベルを法は要求していません。誰もが気づいて当然、という程度の「不正の兆候」とは何か?ということも、大切な問題であります。まずは日本監査役協会等の研修に積極的にご参加いただき、このレベル感を認識していただいたうえで、「不正の兆候」を知るための補完(組織に内部監査的業務の責任者を指定することや、仕組み作りの提言を行うこと)に従事していただくことが肝要かと思われます。これらはすべて、経営トップと監査役との信頼関係を維持しつつも、監査役としての職務においてモノを言いやすくするための工夫とお考えいただければ結構でございます。

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2012年10月25日 (木)

社長の一言が企業価値を毀損してしまう可能性

すでにご承知のとおり、10月20日、ZOZOTOWNを運営するスタートトゥデイ社の社長さんが、twitter上で暴言(らしき)言葉を思わず吐いてしまった、として話題になっております。1000円の商品に750円もの商品配送手数料がかかるのは法外ではないか?詐欺ではないか?との利用者のつぶやきに

詐欺??ただで商品が届くと思うんじゃねぇよ。お前ん家まで汗水たらしてヤマトの宅配会社の人がわざわざ運んでくれてんだよ。お前みたいな感謝のない奴は二度と注文しなくていいわ。

と反論した、というもの。そもそも会社にも顧客を選ぶ権利はあるわけですから、合理性のない要望を行う顧客に対して丁寧かつ明確に「もうご注文はなされないでください」とお願いすることはできるはず。しかし、SNSという公的な空間で、しかもかなり辛辣な言葉で反論をした、となりますと、やはり世間が上場会社の社長のつぶやきを批判をすることも当然かと思います。社長の辛辣な言葉に幻滅したのか、それとも社長の言葉からビジネスモデルの将来に悲観したのかはわかりませんが、業績予想の下方修正と相まって、株価が一日で5%下落する、というのも頷けるところかと(ちなみに、その後、同社長はこのつぶやきについて謝罪をされた、とのことだそうです)。

ここまで急成長してきた会社ですし、上場の前後にわたり、海千山千の胡散臭い輩が社長に近づいてきたことは想像できるところであり、その中をかいくぐってここまで来られたわけですから、同社長のリスク管理能力はかなり高いものかと思います。そのような方が、誰かのつぶやきに、これほどまでに反応してしまった、というのはどうも解せないところではあります。そもそも社長さんは「暴言」だと思っていればつぶやかなかったのではないでしょうか。暴言にはあたらない、全うな正論だと考えたためにつぶやいたのかもしれません。ともかく、こういった社長の一言にマーケットが反応したとしても、その後の社長の反省の姿勢によって信用が回復され、再び株価が上がることで一件落着すれば、それでよいと思います。

しかし問題は、対外的なことではなく、社内的なところにあると私は考えます。社内的にはかなりマズイかな・・・と。こういった新興企業のオーナー社長は社員のあこがれの的です。社員は(良いところも、悪いところも)真似しやすいところから社長の真似をします。普段から社内的には辛辣な言葉で叱咤激励していた社長さんであったとしても、対外的にもこういった態度をとってしまいますと、「お!さすが社長!俺がふだん言いたかったことをはっきり言ってくれたぞ。これでいいんだ」と今後の社員らの顧客対応にも影響が出てしまうのではないでしょうか。また、これまで顧客からクレームを出されても、「苦情は宝の山」と思って会社のためにがまんをして対応し、企業のブランドイメージを維持・向上させてきた社員たちにとっては、この社長の「顧客へのホンネ」が公開されたことで、いままでの努力が水の泡になってしまう気分になってしまいそうであります。この一件が、同社の平時の営業努力にどれほどの影響を及ぼすものなのか、とても不安であります。

こういった社長の一言で、対外的な企業価値の低下は回復できたとしても、社内的な企業価値の毀損はなかなか回復が困難ではないかと思います。有事に至った企業の経営トップが、顧客や消費者、監督官庁などのステークホルダーに対して、あえて反論のパフォーマンスを展開して従業員の士気を高める・・・という手法は過去に何度かみたことがありますが、社長自ら平時を有事に変えてしまうような発言は、これまであまり聞いたことがないパターンでありまして、今回のことで真っ先に謝罪をすべきなのは、むしろ社員に向かって、というのが正しいのかもしれません。よく「社長の暴走を止めるためのガバナンス」といわれますが、こういった暴走はちょっと止めようがないところが一番の問題であります。

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2012年10月23日 (火)

「経営トップと現場社員の情報の共有」は幻想にすぎないのだろうか?

昨日に引き続き、コンプライアンス関連のネタであります。よくリスク管理や危機対応のマニュアルに「経営トップが瞬時に危機管理ができるように、情報は共有されなければならない。そのためには、常に重要な情報が正確に経営トップに届くような仕組みを構築しなければならない」と言われます。企業不祥事発生時に、企業の信用を毀損するような二次不祥事を起こさないために、この「情報の共有」が大切であることは私も間違いないと思います。

ただ、ときどき当ブログにもどなたかがコメントをされているとおり、果たして一次不祥事が発生したような有事において「現場と経営トップとの情報の共有」などできるものなのだろうか?ひょっとしてそれは「幻想」にすぎないのではないだろうか?と不正調査や検証活動を通じて感じるときがあります。

まず第一に情報の送り手の問題。先日の日本触媒の工場事故の件、今年2月の東証システム障害の件などにもみられるところでありますが、情報を伝達するためのプログラム(エスカレーションプログラム)はきちんと構築されていたとしても、これを現場社員が解釈する余地がある場合、果たして冷静に判断ができるでしょうか。たとえば「経営に重大な支障を来すと思われる不具合が認められた場合、直ちに担当取締役に報告すること」とプログラムにあったとしても、おそらく現場担当者は「経営に重大な支障を来すほどではない」と判断することケースがほとんどであります。現場担当者からすれば、ミスにつながる報告になることを承知で「これは経営に重大な支障を来す」と冷静には判断できないからであります。上掲の東証システム障害でも、日本触媒社の工場事故の件でも、現場の報告が遅れたことが問題とされていましたが、これは人情からすれば「重大な事故」だとは思いたくない、という気持ちが前提となりますので、当然にそのような結果になるかと。

また第二に情報の受け手の問題。これは私も事故の検証活動などに参加したことで初めて認識したところで、あまり想像ができなかったのでありますが、情報の送り手がきちんと情報を伝達しようとしても、受け手が「聞く耳を持たない」ということがあります。人間は自分の関心事については耳をそばだてて注意深く人の話を聞きますので、ある程度は送り手の情報を認識することが可能であります。しかしながら、自分に関心のないこと、とりわけ自分が聴きたくないことについては送り手の情報を全く記憶していなかったり、自分にとって都合のよい情報だけをピックアップして認識することになります。情報の受け手である担当取締役自身が、この不祥事によって社内処分を受ける、昇進が遅れる、といった不利益をもたらすものであれば、おそらく送り手の情報をそのまま認識することは困難だと思われます。

そういえば先日ご紹介いたしました沖電気工業社の海外子会社不正事件におきましても、親会社の担当者が現地で調査の上、これを親会社幹部に報告したところ、当該幹部は「監査法人がこれまでおかしいと報告してこなかったし、彼(疑惑対象者)がこれまで実績を残してきた社員です、あなたの調査もわずか三日ほどであり、果たしてあなたの調査が正しいとは言えないのではないか」と難癖をつけて、別に再調査を命じたということがありました。この実例では、当該幹部が会計不正事件によってどれほどのリスクが親会社に顕在化するのか、その全容が不明だったために不安にかられていたようであります。不安が現実化することを認めたくない・・・という気持ちが強ければ、おそらく誰でも同様の理由によって冷静な調査結果を受け止めることができなくなってしまうのではないでしょうか。

このように考えますと、迅速な対応が要求される有事の場面におきまして、現場の情報が経営トップに正確に伝わるというのは「幻想」とまでは言いませんが、かなり困難な作業であることがわかります。私の考えとしては、まず何よりも情報が正確に届かないリスクこそ共有すべきであること、情報は事実と主観的判断を区別して伝達すること、「重要情報」とそうでない情報を仕分けする担当者が平時から(事後検証でもよいので)判断基準に慣れておくこと、どのステークホルダーにとって重要な情報なのか、その優先順位を明らかにしておくことなど、有事における情報共有がせめて合格点に達するための「運用」が大切だと思います。

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2012年10月22日 (月)

「コンプライアンス」「自浄作用」なる言葉の曖昧さについて

大阪市長の出自を報じた週刊朝日問題について、朝日新聞社が謝罪コメントを公表したことで終息に向かいつつあるようです。大阪市長は朝日の謝罪コメントを受けて、「今後は朝日側がどのように自浄作用を発揮するのか見守りたい」と会見で述べています(たとえば産経新聞ニュースはこちら)。

コンプライアンスという言葉が「社会的な要請に柔軟に応えること」と解され、おもに組織に対して向けられるようになりましたが、それにしたがって、組織の自浄能力、自浄作用という言葉が広く使われるようになりました。公募増資インサイダー事件では、当時の金融担当大臣が「野村ホールディングスの自浄能力は概ね認められた(社長、会長辞任会見を受けて)」とされ、中央大学付属中学不正入試事件では、学長が「入学を取り消すしか自浄能力を発揮する道はなかった」と説明されました。また住友電工ワイヤハーネス株主代表訴訟を提起した原告団は「住友電工には自浄能力がないと判断した」と、提訴に至った動機を説明しておられます。

コンプライアンスを徹底せよ、自浄能力を発揮せよ、としばしば企業不祥事発覚時に使われる言葉ですが、言葉が市民権を得るにしたがってどうも言葉の中身があいまいになりつつあり、「わかりましたコンプライアンスを徹底します」「自浄能力の向上に努めます」と企業側が誓ったとしても、ステークホルダーと会社側でコンプライアンスの言葉が何を示しているのか、理解が一致しているわけではないと最近危惧しています。マスコミにおいても、使う記者によって温度差があるように感じています。

そもそもコンプライアンスや自浄能力というのは、企業の社会的な信用を維持したり、回復するためのリスクマネジメント、クライシスマネジメントに関わる言葉だと理解していますので、対内的に使われるのが通常です。対内的に使われている分には、当該組織の中で通用する意味があれば特に問題はないと思います。しかし対外的に使用するとなると、誤解を招くことが多いのではないでしょうか。たとえば冒頭のマスコミ報道の在り方について検証する場合でも、社内の関係者による検証委員会を設置するのか、それとも社外の第三者で検証する委員会を設置すべきなのか、「自浄作用」の考え方次第で変わってきます。

リスク管理というよりも、もう少し広くCSR(企業の社会的責任論)としてコンプライアンスを捉えるのであれば、対外的に発信する必要もありますが、この場合にはコンプライアンスや自浄能力という言葉を使わずに、中身を具体的な言葉で言い換える必要があります。不祥事の原因事実や組織としての構造的欠陥、再発防止に関する具体策、その検証方法等を公表し、企業の予定する対応方針については社会的に承認される必要があります。社会的承認を得るためには、東電の原発事故対応のように、原因究明のために必要な情報は広く公開され、「国民の叡智をもって原因究明に努める」姿勢をもたなければ、実質的に自浄能力を発揮した、とは言えないのが現代の趨勢ではないでしょうか。

「バブル崩壊」のように、世間では曖昧に使われているほうがなんとなく都合の良い言葉というものがあり、コンプライアンスや自浄能力というのも、これに近い存在になりつつあるように感じます。ときには「法令遵守」ととらえられて、「〇〇氏のコンプライアンス上の件」などと、(話題性を高めるために)個人に対して向けられることもあります。コンプライアンス問題に広く関心が向けられることは良いことだと思いますが、個々の事案を論じるうえでは「なにがコンプライアンス上の問題なのか」「自浄作用を発揮するとは、具体的に何をすべきなのか」という点まできちんと明確していかなければ組織の風土を変えていくための議論には役に立たないように(最近ですが)思えてきました。

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2012年10月18日 (木)

企業が自浄能力を発揮すれば第三者委員会の性格も変わる

今年も適時開示におきまして、子会社不正事例が目立つようになりました。たいへん興味深い事例として、すでに こちらのエントリーにて、沖電気工業さんの第三者委員会報告書を「必読」とご紹介しましたが、実は最近、もう一社の調査委員会報告書(要旨がおそらく10月末までに提出される予定)が開示されるのを楽しみにしている事例がございます。

自動車ホースメーカーであるニチリン社(大証二部)が、9月28日に「当社連結子会社の不適切な会計処理について」と題する開示を行っております。沖電気工業社と同様、海外子会社のトップが子会社不正に関与していた、というものでありますが、こちらは外国人経営者ではなく、本社の取締役兼務の子会社トップの方(日本人の方)のようです。

このニチリン社の会計不正事件に対する本社の対応は、まさに自浄能力を発揮して不正を開示した例として、ひとつのモデル事案となるのではないかと感じております。子会社による粉飾の疑惑を本社取締役会が、まず子会社作成に係る月次報告書から察知して、調査を子会社管理部門に指示します。さすがに子会社トップの不祥事ということからでしょうか、この子会社管理部門による調査は有効なものにはならなかったようです。

そこで本社が直接経営トップにヒアリングを行い、子会社の棚卸資産の金額に問題があることを突き止めます。そして(不正調査実務ではここが難しいところですが)、本社の内部監査部門が、子会社に対する定例の内部統制監査を実施すると共に、非定例の重点監査(棚卸資産について在庫抜き取り調査を敢行)を行い、その結果、在庫金額の過大計上の事実を把握するに至ります(ここで証拠化されたものと思われます)。

子会社の経営トップが調査に関与しないところで証拠を固め、その後この経営トップに再度ヒアリングをしたところ、粉飾の事実を認め、過年度の決算にも影響が出る可能性があるために調査委員会を立ち上げた、という経過であります。

さて、9月28日の上記開示内容によりますと、この調査委員会は外部専門家に同社経理担当取締役が加わるというもので、第三者委員会に準じるような構成になっています。通常は日弁連の第三者委員会ガイドラインに準拠して・・・と記載されるところでありますが、あえて「日弁連ガイドラインには準拠しません」と明言されています。その理由として縷々述べられているところですが、一言でいえば「自分で見つけて、自分で調査して、自分で事実を確定できる見込みが高まったから」というもの。つまり、社内調査の結果を検証して、第三者の視点でこれを補完すれば足りる、ということであります。

今年、何度もフォレンジック専門会社さんとタイアップをして、社内調査委員会の在り方についてセミナーを開催させていただきましたが、私も、自浄能力を発揮できる企業であれば、あえて日弁連ガイドラインに準拠した第三者委員会を設置しなくても、社内調査委員会に外部第三者が参加するか、あるいは社内調査委員会の調査結果を外部委員会が検証する、という手法でも十分ではないかと述べてきました。まさに、このニチリン社の不正会計事例は、(純粋な社内調査委員会によるものとはいえませんが)こういった自浄能力を発揮した会計不正事例のベストプラクティスに近いものと思われます。もちろん、今後上記委員会によって事実関係が明らかにされ、そこで予想外の事実が出てくる可能性も否定できませんが、自ら不正を発見してこれを公表することのインセンティブが働く一例になることを願っております。

昨年7月より今年6月までの1年間で、会計不正事件を公表して決算訂正に至った上場会社は39社に上ります。会社の公表内容がどうみても信用できない場合には日弁連ガイドラインに準拠した第三者委員会が設置されるべきですが、自浄能力を発揮して公表に至る経過によっては、社内調査委員会主導による報告書でも企業の信用を維持できる場合があることが示されることに期待しています。

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2012年10月17日 (水)

大王製紙元会長の実刑判決は重いか軽いか?

皆様すでにご承知のとおり、10月10日、大王製紙元会長に対する会社法違反(特別背任)被告事件の東京地裁判決が出ました。懲役4年の実刑判決が下されたようであります。会社に与えた損害額は55億円余りで、その損害額が巨額であることからすると、「まぁ、これまで会社に貢献してきた元会長とはいえ、公私混同は甚だしいから当然であろう」といったところが一般的な感覚かと思われます。いや、ひょっとすると「55億円も私的流用していながら懲役4年?てことは、仮出獄を考えると3年くらいで出てこれちゃうわけ?ちょっと軽すぎないかなあ」と考える方もいらっしゃるかもしれません。

法曹の感覚からすると、特別背任罪は財産罪であり、脱税のような国家的法益を侵害したものではありません。したがいまして、前科がなくて、(立件された)被害金額を全額弁済している、という事情があれば、普通は執行猶予付きの判決が出ます。ではなぜ元会長は実刑となったのでしょうか?流用金額があまりにも巨額であり、大王製紙という企業の社会的信用が弁済だけでは償えないほどに毀損されたからでしょうか。しかし刑法233条の信用毀損罪は、法人の財産的価値のある経済的評価を保護法益としていますが、これは虚偽の風説、偽計によって毀損される場合が想定されていますので、それ以外の方法で法人の信用が結果的に毀損されたことは、(被告人に積極的に信用を毀損する行為が認められないので、抽象的にも信用毀損の有無を判断することができず)刑事罰の量刑事由としてどれほど取り上げてよいのかは微妙だと思われます。現に、そのあたりは判決の中でも重要視されていないようであります。

新聞でも報じられているように「一時的にでも子会社の資金繰りをひっ迫させて経営に深刻な影響を与えた」ことは事実であります。しかし、これは大王製紙事件に限られることではなく、被害金額の低い「どこにでもある」特別背任事案でも起こりうるところかと思われます。被害金額が低い特別背任事案でも、当該行為によって子会社の資金繰りをひっ迫させた、という理由で実刑判決が出ることになりますと、今後は同種事案で特別背任に問われた役員が被害弁償を行うインセンティブがなくなってしまいますので、多くのステークホルダーが損失を抱え込むことになり、かえって社会的混乱を招く結果となるように思えます。

また子会社の資金繰りをひっ迫させた、ということでありますが、そもそも元会長にとって、短期貸付けを依頼した子会社というのは、いわば「大王製紙の子会社というよりも創業家の子会社」という感覚が強かったのではないでしょうか。つまり自分の財布からお金を取り出した感覚だったのではないか、と。そもそも元会長に短期貸付金を送金していたのは、会計基準によって(支配力基準)子会社とされている会社であり、実質的な支配者は創業家です。だからこそ、それらの会社は、事件発覚後、創業家と大王製紙との対立が表面化した際に、臨時株主総会によって創業家側の推薦する役員にとって代わられ、実質と形式が一致するようになったわけです。こういった感覚があったからこそ(また、社内のだれもが同様の感覚をもっていたからこそ)大王製紙のモニタリングは機能しなかったものと思われますし、また子会社のトップの方々も、「やむをえない」という気持ちで依頼の応じていたのではないでしょうか。つまり、こういった実質的には創業家の子会社だったという点は、むしろ元会長の量刑判断では有利に働くのではないかと思います。

では経営トップが会社資金を流用して投機的行動に走り、ひと儲けをして(隠し資産の中から)後日被害金額を払えば執行猶予になるのか・・・という疑問が生じます。たしかに納得できないところもあるのですが、やはり会社資産の被害弁償を促進し、会社の利害関係人の利益を守る、という意味では、最後の伝家の宝刀として被害弁償をした者はできるだけ執行猶予とし、刑事制裁以外の制裁(社会的制裁)によって罪を償わせる・・・という余地を残しておくほうが妥当なケースもあるのではないかと。今回の元会長についても、その被害金額は巨額ではありますが、その分、社会的制裁の大きさも認められるのでありまして、また「ハコ企業」を活用したようなケースではありませんので、再犯可能性もほとんど認められないものと思います。

そもそも北越紀州製紙の仲介によって、創業家と大王製紙の複雑な株式保有関係が解消されたとしても、大王製紙の地元における創業家の力は依然として残っているはずですし、また大王製紙側の顧問として創業家の方が復活されたわけですから、いまだ創業家と大王製紙との遺恨は残るものと思われます。元会長が創業家の一員としての地位を持ち続ける限り、今後も何らかの影響力を大王製紙側に行使する可能性があるわけでして、そうであるならば、むしろ元会長が刑務所で更生を図るよりも、社会生活上で更生を図るほうが「被害回復」という意味においても妥当ではないでしょうか。逆に、巨額の資金流用事件に(たとえ全額が弁済された場合でも)厳罰をもって臨むメリットというのは、社会に対する一般予防的効果が考えられますが、これだけの巨額の資金流用を容易に行える日本人はほとんど存在しないことからしますと、一般的予防効果の実効性は乏しいように思われます。

子会社の経営トップに対して口止めをさせていた、といった事実認定からしますと、かなり悪質な面も垣間見えるところですし、個人的な感情としては疑問が残るところではありますが、法律的な見方からすれば、東京地裁では実刑判決が出ても、東京高裁では執行猶予判決が出る可能性というのも十分にあるように感じるところであります(ちなみに元会長側は即日控訴されたそうであります)。

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2012年10月15日 (月)

金融庁・不正対応監査基準を法的に考える(その2)

さて素案が出ております金融庁・不正対応監査基準を法的に考えるシリーズは、今回が実質的には3回目のエントリーでございます。今回は、もっとも私的に関心の高い不正リスクの評価と不正の端緒との関連性についてであります。これを法的に検討するにあたっては、ナナボシ監査見逃し事件の大阪地裁判決(平成20年4月18日)と、大原町農協監査見逃し責任の最高裁判決(平成21年11月27日)が参考になろうかと思われます。なお会計監査人の方にとりましては、法的責任とは別に行政処分(懲戒処分や課徴金処分)についても関心が高いものと思いますが、ここではあくまでも民事上の法的責任を念頭に置いていることをご理解ください(監査基準はあくまでも監査人の行為準則であり、ダイレクトに民事上の責任の根拠となるものではございません)。

不正の端緒(不正による重要な虚偽表示の端緒)というのは、この監査基準素案によりますと、これを示す状況を監査人が認識した場合に調査対象となります。通常の監査計画に基づいて監査を行っていたところ、不正の端緒を示す状況を知った場合には、そこから一気に緊張関係が高まり、法的には結果回避義務が具体的に特定されるようになるものと思います(ここまでは、比較的わかりやすい議論かと思います)。

しかし、ボーっとしていた監査人、手抜きをしていた監査人は、不正の端緒に気付かないので、結果回避義務が発生せず、むしろ有能な監査人ほど不正の端緒に気付いてしまうために、法的に求められる経過回避義務のレベルが高くなる(つまり過失が認められやすくなる)というのも、なんだかおかしくないでしょうか?いや、たしかにおかしいですよね。こういったことについて、監査役(正確には監事)の法的責任を認めた大原町農協事件判決の考え方が参考になろうかと。

つまり不正の端緒という概念は、監査基準上のものではありますが、法的にみると不正の端緒が一般的な水準の注意義務を有する監査人にとって明白な場合と、そうでない場合とに分けて考えることができるものと思います。たとえば、監査人にとって不正リスクが高いものと評価せずに監査計画を立てて、その計画に従って監査手続きを履行しているケースでは、この不正の端緒の存在が「明白な場合」にのみ監査人の注意義務違反が問われることになります。また、不正リスクが高いものと評価していた場合もしくは高いものと評価すべきであった場合には、そもそも監査手続きが「不正による虚偽表示は見逃さない」といった注意モードに入っているわけですから、たとえ不正の端緒が監査人にとって「明白な」ものとは言えない場合でも、直ちに注意義務違反の認定が可能になってくる、というものです(現に、ナナボシ事件大阪地裁判決は、このたびの監査基準草案に出てくる「不正リスク評価の例」のうち、経営者に対する極度の売上向上のプレッシャーや絶対的支配者たる地位など、いくつかの事実を認定して、そこから監査人の不正発見義務を導きだしています)。

不正対応監査基準が出されたからといって、一気に不正監査の手順を厳しくしなければならない、ということになりますと、監査法人としては報酬額を上げざるをえないことになり、経済団体からも反対が表明されることになろうかと思われます。また、投資家保護のための監査という制度監査の趣旨からみても、過剰な監査になろうかと思われます。ただ、不正を許さないための監査基準ということなので、監査人としては、どこかでシフトチェンジしなければなりません。したがいまして、監査計画策定の段階であれば不正リスク評価(ただし、これはいまでもリスク・アプローチ監査のなかでは当然のことかと思いますが)、そして期中であれば不正の端緒(もしくはこれを示す状況)によって、監査人と会社側との緊張関係の高まり(もしくは更なる監査への協力関係)が必要になってくるわけであります。

法的に見ましても、監査人を訴える側において不正の端緒(もしくは不正の端緒が明らかであること)を主張・立証し、監査人側においてこれに反論する、という流れになろうかと思います(膨大な監査調書を原告側で精査する必要はないかと)。そして不正の端緒が存在するケースにおいては、これを見逃したことについて監査人側に落ち度がなかったことについては監査人側で主張・立証する、ということになるのでしょうか。これが訴訟における双方の負担という意味においてもバランスがとれていると思われますし、当事者対等主義による民事訴訟法での真実解明にも役立つものになります。

このように考えますと、今後はこういった不正対応監査基準を拠り所として、公認会計士・監査法人の法的責任が問われる事例が増えてくることは間違いないところかと思います(とくに金商法24条の4を根拠としたものが増えるのでは・・・)。ただ、訴訟を起こされる件数が増えることと、監査人が訴訟で敗訴することとは別でありまして、むしろ争点の形成が上で述べたような形になりますと、被告である監査人側も反論がしやすくなり、結局のところは監査人が勝訴する裁判が増えるように思います。その増えた裁判例から、おそらく一般の投資家にも「監査人の職務とはこういったものなのか」と理解されるようになり、次第に「期待ギャップ」は埋まることになるものと期待しております。そして最終的には裁判結果について監査人側にも投資家側にも予測可能性が生じますので次第に裁判は減ってくるのではないでしょうか。つまり、投資家も期待ギャップの意味を知る努力をしなければならないのですが、いっぽうで監査人側も、数々の裁判を通じて、期待ギャップを埋めていく努力が必要だと思います。

いろいろと私的な見解を述べてみましたが、いずれにしても会計基準や監査基準の改訂は不正のあぶり出しにはたいへん効果がございます。オリンパス事件も金融商品会計基準の改訂が「あぶり出し」のきっかけになりましたし、またアイ・エックス・アイ事件につきましても、メディア・リンクス事件の教訓を活かしたソフトウェア取引の売上計上基準の改訂(総額主義→純額主義)が発覚の要因であります。このたびの議論が、不正会計の早期発見に資するものとなるよう、関係者の皆様方のご尽力に期待する次第であります。

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2012年10月14日 (日)

企業の内部監査は驚くほど進化している(ACFEカンファレンスを終えて)

本日は休日版とさせていただきます。10月12日、青山学院アイビーホールにて、第三回のACFE(公認不正検査士協会)JAPANの年次カンファレンスが開催されました。当ブログでも、ずいぶん前にご紹介いたしましたが、おかげさまで2週間前に申込み受付終了となりまして、当日も満員の中で開催されました。内外のマスコミの方々もお越しいただき、主催者側(理事)として、厚く御礼申し上げます。

なんといってもオリンパス元社長のマイケル・ウッドフォード氏の講演(および八田教授との討論会)をメインに据えましたので、「一度でいいから生(なま)ウッドフォードを観たい、声を聴きたい」との想いでお越しいただいた方が多かったのではないでしょうか。懇親会でもウッドフォード氏と名刺交換や記念撮影をされておられた方が多かったですし、彼の著書にサインをしてもらっていた方もおられました。今回のカンファレンスの盛況が、彼の存在によるところが大きかったことは否めないところかと思います。

さて、ウッドフォード氏の講演を拝聴したことの印象については、また「不祥事と企業倫理」に関するテーマでお話させていただくとして、私がこのカンファレンスで一番印象に残ったことは「企業の内部監査部は結構進化しているのではないか」というものであります。大手企業の内部監査に携わっておられる方々には「それはあたりまえですよ」と言われるかもしれませんが、会社法上は「任意の機関」にすぎない内部監査という部署が、ここまでガバナンスという意味で進んでいるのか・・・と(恥ずかしながら)外野の者にとってはたいへん新鮮なものでありました。

昨年は尼崎信用金庫の国際部長の方のスピーチで、尼信さんでは内部監査部だけでなく、他の部署にもCFE(公認不正検査士)の資格者を配置するようになり、金庫内ではすでに7名のCFE資格者が活躍されている(たしか現在は10名を超えておられるとか)、とのお話にビックリいたしました。そして、今年はI商事とA製薬さん(実名でもかまわないとは思うのですが、念のためイニシャル表示とさせていただきます)の担当責任者の方々のスピーチがございました。

まず総合商社のI商事さんですが、I商事さんでは内部監査部とは別に、なんと!不正検査専門部署を設置されているそうです。しかも内部監査部とは指揮命令系統が違う合計30名ほどの部隊ということだそうで・・・ええ!?不正検査専門部署?・・・スゴイ・・・、つまり定例の内部監査とは別に、不正が疑われるところがあれば、これを確認し、不正の芽が存在すれば早期に発見してこれを是正する、というものだそうであります。もちろん、不正検査部署ということなので、そのような疑惑がない時期もあるわけでして、そういった疑惑がないときには何をしているのか?という点についてもご解説がございました。きちんとミッションが決められているうえに、コンサルタント的な指導も高く期待されているようで、たいへん驚きました。

さてもうひとつのA製薬さんですが、こちらは内部監査部署の会社での位置づけが非常に高く、なんと!?グローバル経営会議や国内経営会議等の重要会議では「陪席」という形で重要な意思決定の過程をレビューされるそうであります。ええ!?意思決定会議体に出席ですか?しかも、重要会議に出席したうえで、内部監査部署が身内に対する厳しい意見を出さなければ陪席という立場も危うくなってしまうとか。「CEOとして心配すべき事」をきちんと報告しなければ「陪席の意味なし」と評価されるそうでして、つまり会社挙げて内部監査を高く評価しているそうであります。だからこそ内部監査部署の方々も非常にやる気が出る、とのこと。あと、ここでは詳しくは書きませんが、内部監査人として倫理と現実の狭間の問題にも真正面から苦悩されている姿を堂々を発表されておられ、「ああ、内部監査という職務はここまで前面に出てくる時代になったのだなあ」と、改めて新鮮な気持ちになりました。おそらく(これは私の推測ですが)、監査部門の評価活動に加えて、その指導機能を発揮していかなければ(少なくとも発揮しようという気概をもたなければ)、経営執行部からは高い評価を得られないのではないかと思われます。

そういえば先日、大阪の某大手企業の監査部長さん、監査役室長さんとお食事をさせていただいたとき、私が単純な素人考えで「内部監査という仕事は結構、親会社や子会社の社員から嫌われるのでしょうね」とお聴きしたところ、

「先生、それは古いですよ。いまは評価よりも指導の時代。指導ができるからこそ、評価を受け入れてくれる。むしろ子会社の社長さん等は、内部監査はウェルカムです。自分たちがわからないところを指摘したり、膿を出し切る作業を手伝ったりするわけですから。また、子会社の内部監査の指導などもやりますので、本当に歓迎されるようになりました。」

とのお返事でした。金融監査なども、このように検査から指導へと少しずつ変わっているようで、内部監査の役割というものが進化しつつあることを認識いたしました。

法律家からみますと、内部監査部門というのは、ホントのところよく理解していないところでして、任意の機関であるがゆえに、「知識よりも知恵がモノを言う」部門として企業によってもその位置づけは千差万別であります。だからこそ、企業努力により、内部監査の巧拙には大きな差が出てきているのではないでしょうか。「自浄能力」という意味からしても、内部監査部門の活躍は大いに期待されるところでありまして、来年のカンファレンスでも「他社よりも進んだ取組みを行っている内部監査部門」の方々が多数ご発表いただけることを楽しみにしております。とくにこのたびは、企業法務に関心を持つ弁護士として、もっと内部監査部門のことに精通しなければガバナンスは語れないものと認識した次第であります。

ACFE JAPANも、いよいよ会員数が1000名を超えまして、その存在意義が問われる時期に差し掛かってきたように思います。自社で速やかに不正を発見する、ということが企業の社会的信用に大きな影響を及ぼします。また(弁護士の木曽裕氏が基調講演でお話されたように)「小さな政府」(規制緩和の時代)になればなるほど、企業は自律的作用を発揮しなければ競争に負けてしまうことになります。今後はガバナンスや内部統制、コンプライアンス、そして企業倫理の面において、ACFEとしての意見を広く発表していけるよう、会員の皆様の叡智を結集して運営していきたいと考えております。最後になりますが、当ブログをお読みになり、ご参加いただきました非会員の皆様、ご参集いただき、どうもありがとうございました。また、カンファレンス全体のとりまとめをされた濱田真樹人理事長(立教大学教授)に一言「お疲れ様でした」と申し上げて今年度のカンファレンスのご報告とさせていただきます。

PS 

内部監査部門の皆様の発表とともに、印象的だったのが、(関西人特有のしゃべくりで時間オーバーしてしまった)私のスピーチを、一番前の席で聞いておられた八田教授のあきれ顔でした。懇親会の席で八田教授曰く

君は以前はもっとピュアだったと思うんだけどなぁ・・・・・・・

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2012年10月11日 (木)

金融庁・不正対応監査基準(案)を法的に考える(その1)

さて昨日に引き続き、9月下旬に素案が公表されました企業会計審議会(監査部会)「不正対応監査基準」に関する話題であります。昨日は、

さて、明日(もしくは明後日)は、この続きとして、不正対応監査基準(案)で中心テーマとされている「不正リスクの評価問題」と「不正の端緒の把握」との法律的な関係について述べてみたいと思います

と書きましたが、皆様方(とくに会計士や税理士の方々)よりいただいたコメントやメールなどを読ませていただきまして、もうワンクッション、予備知識として申し上げておいたほうが良いのではないか、と思われる事項がございますので、とりあえず(その1)ということで寄り道をさせていただきます。

まずひとつめは、当ブログで過去に何度もご説明させていただいているのですが、なかなかご理解いただけていないようなので、確認のために書かせていただきます。公認会計士・監査法人に「不正発見義務」があるといいましても、それは結果責任を問われるわけではない、ということであります。運悪く、被監査企業が粉飾決算を行っており、これを監査法人が見破ることができずに適正意見を書いてしまったとしても、直ちに「不正発見義務違反」になる、というわけではございません。

私法上、準委任契約に基づく公認会計士の職務上の義務は「為す債務」であり、財務諸表が適正に作成されているかどうかを一般的な注意を尽くして監査のうえ、意見を表明する義務であります。ここに「不正発見義務」が含まれると考えるならば、それは「不正を発見できるよう最善の努力を尽くす義務」であり、最善を尽くしたけれども粉飾を見破れなかった場合には、何ら民事上の責任は問われません。救急患者が運び込まれた救急病院の当直医師の例を何度も挙げましたが、ほぼ同様に考えられるところです。

したがいまして、不正発見のために最善の努力を尽くす義務とは、いったいなんだろうか?というところに、たとえば不正対応監査基準が参考にされる可能性があるだろう、ということであります。監査基準は公認会計士に向けられた行為規範たる性質をもつものなので、課徴金処分や懲戒処分の根拠にはなったとしても、基準違反がそのまま民事上の善管注意義務違反や過失ありと認定されるわけではありません。民事上の義務違反を合理的に推認させる根拠にはなりうるものかと思いますが、監査制度が投資家のために必要と思われる範囲を超えてまで不正発見のための監査を要求するということはありえないわけです(このあたりの手当てについては「その2」で述べたいと思います)。こういったことを前提として、不正発見義務の中身を、法的性質から明らかにしておくことが議論の整理のためには必要だと考えております。

そしてもう一点、あらかじめ認識しておいたほうがよろしいと思われる点がございます。それは「監査見逃し責任」という公認会計士・監査法人の民事責任が問われる際に要件とされている「因果関係」と会計士の責任との関連性であります。公認会計士が契約責任を問われる場合(善管注意義務違反)であっても、また不法行為責任を問われる場合(職業人として要求されるレベルの注意義務を尽くさなかったことによる過失)であっても、当該会計士のミスと粉飾決算による株主や会社の損害との因果関係が立証されることが必要ではないか、といった問題です。

とくにご注意いただきたいのは、金融商品取引法上の開示責任であります。監査証明業務に従事している公認会計士は、虚偽記載によって(正確には虚偽記載の開示書類に対する意見表明によって)株主が損害を被った場合には、自らミスがなかったことを立証しなければ責任を負うことになります。これだけでもたいへん会計士には厳しい不法行為の特別規定なのでありますが、さらに厳しいのは因果関係の立証であります。金商法による開示責任につきましては、公認会計士の責任を追及する場合、原則に立ち戻って原告側が会計士のミスと損害との間における因果関係を立証しなければなりません。

本来ならば、「会計士が適正な業務を遂行していたとしても、粉飾は見破れなかった。だから不適切な監査業務と粉飾決算による株主の損害とは因果関係が認められない(不適切な監査を行ったために、粉飾が見破れなかったという関係には立たない)」と主張することで、会計士は免責されるはずであります。しかし、金商法の条文はそのようになっていないのであります。条文は虚偽記載と株主の損害との因果関係を問題としているのであり(「虚偽記載により生じた損害」)、会計士の注意義務違反(任務懈怠)と損害との因果関係を問題にはしていないのです。ということは、たとえ原則どおりに株主側が不法行為に基づく因果関係を立証する責任があるとしても、比較的容易に因果関係を立証することが可能になる、ということです。

ライブドア事件判決やアーバンコーポレーション事件判決などを契機に、金商法上の開示責任(不法行為責任の特別規定)は、①「公表」の時期、②損害の範囲、そして③ガバナンス(誰のどのような行動が「相当な注意の抗弁」として免責対象となるか)の三点から、商法学者や実務家を含めて、とてもホットな話題になっております。そもそも株主保護のための規定ですから、今後、公認会計士・監査法人の民事責任も、金商法上の開示責任規定を根拠に問われることが予想されます。そこでの会計士のリーガルリスクの現状を踏まえたうえで、この不正対応監査基準を考える必要があると思われます。

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2012年10月10日 (水)

金融庁・不正対応監査基準はなぜ具体的事件を想起させるのか?

9月下旬に金融庁HPにて、「不正に対応した監査の基準の考え方(案)」と題する新しい監査基準の素案が審議会資料として公表されております。いろいろと忙しかったもので、遅ればせながらやっと目を通し終えました。本素案につきましては監査役と会計監査人の連係などを含め、山ほど申し上げたいことがございますが、2回にわたって法律家の視点から(もちろん、外野の一弁護士としての視点にすぎませんが)、コメントをしたいと思います。なお、本素案を読むに際し、昨年12月22日付け日本公認会計士協会による報告書「財務諸表監査における不正」も参考になります。

まず、この不正対応監査基準の内容は、前回の審議会に欠席されていらっしゃった委員の方の意見書にもありますように、オリンパス事件を想起させる内容となっていることは明らかであります。あくまでも例示ではありますが、監査手順や監査法人の品質管理の場面において、かなりオリンパス事件を意識した形で基準が作成されているように思えます。ひょっとすると「場当たり的」なルール改正であり、「ともかく作りました」といったアリバイ対策で基準が策定されたのでは?といった意見も出るかもしれません。しかし、大手監査法人が「思い出したくもないような」こういった具体的な事件の想起というのは、ルールを作る側とすれば当然に意識するところであります。

行政が、市場の健全性確保のために会計不正事件の防止を図る場合、方法としては事前規制と事後規制の手法があることはご承知のとおりであります。最近は課徴金制度の多用によるSESC(証券取引等監視委員会)の頑張りなどによって事後規制的手法が注目を集めております。しかし、監査基準の改正は(投資家の証券被害を未然に防止するといった)事前規制的手法であり、公認会計士・監査法人の監査の行為規範となるものです。したがいまして、事前規制(ルールの定立)にとって重要なことは、会計士さん方に「こういった行動をせよ」と明示して、守るべき規範の中身を明らかにするところにあります。

では、そういった新しいルールを会計士さんにどうやって遵守してもらうか、というのが次の課題であります。会計士さん方にルールを守ってもらうためには、当該ルール違反には課徴金処分や懲戒処分という厳罰(?)が待っている・・・という事後規制的手法も考えられます。しかし、それは投資家が損をしてしまった後の問題でありまして、どのような理由があるにせよ、投資家の利益を未然に防止する、という行政目的を達成することはできません(つまり金融庁が一般国民から責任を問われる、という事態になってしまいます)。したがいまして、投資家の利益を未然に防止しながらも、会計士さんに新しい行為規範を遵守してもらう必要があるわけです。

そこで考えられるのが、規範遵守に向けた会計士さんの「職業倫理」の向上と、犯罪行為の想起、ということになります。たとえば今回の不正対応監査基準では、前半に職業的懐疑心の強化、ということが挙げられていますが、これは内容は抽象的かもしれませんが、公認会計士としての職業倫理の向上、ということと密接に結びついているものと思われます。そしてもうひとつが「犯罪行為の想起性」であり、これがまさにオリンパス事件を想起させる内容とされているところであります。

一般事業会社においてコンプライアンスルールを策定する場合にも、「想起性」がよく活用されるところであります。本来は社長が常に社内ルールの遵守を徹底させ、ヒヤリ・ハット事例があれば厳しく叱責する、というのが最も効果的なのでありますが、社内の全役職員が「思い出したくない、思い出すだけで嫌な気分になってしまうような」事件について、これを想起させるルールになっておりますと、かなり効率的に、長期間にわたってルールの規範的効力が維持されます。具体的には、たとえばルール違反の疑いが生じた場合、現場担当者が内部監査や法務担当者に「これってルール違反でしょうか」と聞きに来られるケースが増える、という効果が生じます。これと同様の効果が今回の不正対応監査基準の素案には活用されているものと思われます。

さて、明日(もしくは明後日)は、この続きとして、不正対応監査基準(案)で中心テーマとされている「不正リスクの評価問題」と「不正の端緒の把握」との法律的な関係について述べてみたいと思います。職業的懐疑心というところだけを強調してしまいますと、それこそ監査報酬がどれだけアップしても足りない、ということになってしまいそうで、経済界からも反対されそうでありますが、このあたりにバランスへの配慮の跡が見え隠れしているように思います。

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2012年10月 9日 (火)

イケア(IKEA)の事業戦略にみるコンプライアンス経営のむずかしさ

京都大学の山中伸弥教授がノーベル医学賞を受賞された、とのことで、誠におめでとうございます。ちょうど5年前に、当ブログでもご紹介しましたとおり(万能細胞への熱き思い)、大阪弁護士会で(ブレーク前夜の)山中教授にご講演いただいたことがありました。たまたま以前から存じ上げていた関係で、ご講演を依頼したものでありますが、あの京大再生医学研究所のなんとも言えぬ動物臭の中で、講演の打ち合わせをさせていただいたことが思い出されます。私はiPS細胞作製の功績は不案内ですが、山中氏の開発技術を日本の国益にどう結び付けるべきか、というあたりの政治的才覚については、本当に素晴らしいものがあると感じておりました。山中氏も、「コテコテの大阪人」の悲しい性(さが)からか、講演ではかならず笑いをとろうとされるところが、また素晴らしい。スウェーデンでの授賞式を、奥様とご一緒に堪能される姿を楽しみにしております。

さてノーベル賞ではございませんが、スウェーデンに関連するお話であります。先週、少しだけ話題になっておりましたが、家具・インテリア販売大手のイケア社が、サウジアラビア向けのカタログから女性モデルの掲載を消去したところ、母国スウェーデンでは大きな批判を受けたたことで、正式に謝罪をされたそうであります(たとえば毎日新聞ニュースはこちら)。イケア社としては、中東国の宗教上の慣習、文化に配慮して女性モデルを表に出さないようにされたそうでありますが、それがダイバーシティを企業綱領とするイケア社や母国政府の姿勢と合致していない、ということだそうで、政府からも遺憾の意が表明されたとのこと。

昨今、コンプライアンスは「法令遵守」というよりも、「社会からの要請に応えること」と定義付けられることが多くなりました。しかし、この「社会からの要請に応える」という定義も、きちんと考え出すとむずかしいところがあります。このイケア社の例でもわかりますように、グローバル企業にとって海外の地域住民や相手国政府もステークホルダーであり、当該地域でビジネスを展開する以上、その地域の慣習や伝統を守る姿勢は正に「社会の要請の応える」ことであります。グローバル展開する企業が当該地域で尊敬されるのは、まさに当該地域の利益向上に資するがゆえのものであります。当該地域に溶け込むためには、(良い悪いは別として)その宗教的慣習や伝統文化を受け容れる必要があるのではないでしょうか。

しかし一方で、イケア社の母国スウェーデンは世界有数のダイバーシティ推進国であります(男女平等担当大臣、という方がいらっしゃるのですね)。とくに男女平等の精神に反する企業行動は、おそらく母国では受け容れがたいものとなり、サウジアラビア向けとはいえ、販売用カタログに女性モデルだけを消去するという対応は到底許容できないものに映ったものと思われます。これもやはり「社会の要請に応える」という趣旨からすると、全世界共通のカタログを中東国でも配布すべきである、ということになりそうです。母国の国民や政府も立派なステークホルダーなので、結局のところ、グローバル展開を図る一企業としては、どちらのステークホルダーの利益を優先させるか、という難題にぶつかることになります。

このようにコンプライアンスを「社会からの要請に応えること」と解釈いたしますと、結局のところ「コンプライアンスに100%の正解はない」ということになります。よくCSRは「企業が本業によって持続的成長を図ること」と捉えられますが、いくら持続的成長が大切とはいえ、市民との共生を図る形をとらずに持続的成長する企業はいらない、というのが世界のCSRの趨勢かと思われます。したがいまして、こういったステークホルダーの利益の優劣の判断は、自社の企業綱領や企業倫理のモノサシに従って、社会の流れをみながら経営者が行わなければならないものと考えます。また、そういった取締役会での合意形成は、有事になってからでは遅すぎるのでありまして、平時から(現実を直視して)ある程度の優劣判断を合意しておく必要があるものと思われます。100%の正解がない以上、企業綱領に基づいて、どのように判断すれば株主等への説明責任が尽くせるのか、そこでは理屈と倫理と数(管理)の側面から考察しなければならないものと思われます。

ただイケア社の事例でひとつ関心がありますのは、全世界に事業展開をするイケア社のようなグローバル企業において、ある地域の販売戦略が経営マターとされているのかどうか、ということであります。つまりある地域の販売戦略は、その地域の責任者レベルで判断され、経営陣が判断すべき重要事項とはされていなかったのではないか、という問題です。カタログから女性モデルを消去する、という販売戦略が、はたして今回のように母国で担当大臣から遺憾の意を表明され、経営トップが謝罪をしなければならないような大問題に発展することになるとは、想像できたでしょうか。単純に「どっちのステークホルダーの利益を優先すべきか」という問いは、後だしジャンケンの思想であり、リスク管理の視点から本当に大切なことは、誰かが「これって大丈夫?」と、コンプライアンス問題に気付き、これを経営者レベルの問題だと認識できるかどうか、というところではないかと思います。

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2012年10月 4日 (木)

経営執行部の理解をより深めるためのコンプライアンス(お知らせ)

いつも当ブログをご覧いただき、どうもありがとうございます<m(__)m>。ただいま日本監査役協会の全国会議の真っ只中なので、どれほど監査役の皆様にご覧いただいているかはわかりませんが、今年も恒例の日本監査役協会研修会で講演をさせていただきます。秋季は西日本中心でして、そして来年の春季は恒例の全国ツアーとなります。どうか多数の皆様にご参加いただければと。なお、私の講演会は、日本監査役協会の会員以外の皆様にも参加いただけます(会員の方よりも少し参加費用はお高めですが)。

さていよいよ秋の新作が完成いたしました。エントリータイトルのとおり「経営執行部の理解をより深めるためのコンプライアンス」というものがテーマです。コンプライアンス経営の重要性を経営執行部に理解していただき、できるだけ監査役監査が効果的かつ効率的に進むための環境整備についてお話する予定です。私の講演よりも少し後に、神戸の上谷弁護士が「企業不祥事防止に向けた内部統制構築のポイント」について解説をされますが、ほとんど内容的に重複するところはないものと思います。

今年は多くの会社の役員セミナーにお招きいただきましたが、その際に代表取締役の方と30分~1時間ほど、個別にお話をさせていただく機会をいただきました。「なぜコンプライアンス経営に関心がないのか?」「なぜ担当取締役にまかせっきりにしてしまうのか?」「なぜリスク管理に熱心になれないのか?」等、たいへん失礼な質問をいろいろとさせていただきましたが、そこからコンプライアンス経営に対する経営執行部のホンネのようなものをいろいろと気づかせていただき、私自身たいへん勉強になりました。

「先生、そんなことみんなが前向きになっているときに(リスク管理など)縁起でもない!」「ちゃんと考えてますよ。でも最後は法律じゃないでしょ。ここ(ハート)でしょ、ここ!」「なんでも報告せえ!って、いつも言うてますよ。そやけど、どうせワシとこまで情報がそのまま上がってくることなんかおまへんでしょ。誰かがウソ言いよる。そやからワシの気持ちを一番わかっているもんに任せたらええんですわ」などなど。

でも、「善管注意義務違反」「経営判断原則の限界」などといった法律の世界ではピクリとも動かなかった経営者の方々のお耳がピクピクっと動くような関心事もございました。「なるほど、経営者の方々は、こういった形で説明をすればコンプライアンスに関心をもってもらえるのか・・・・」と。そのあたりを切り口にして、監査役と経営者との信頼関係はどのように構築すればよいのか、コミュニケーションはどのように図ればよいのか、中小規模会社、大規模会社、グループ経営親会社等、それぞれの規模を考えながら、ベストプラクティスを提言してみたいと考えております。オリンパス、大王製紙事件以降の新しい事例(自浄能力が発揮された好例および発揮することに失敗した例など)を適宜交えながら、コンプライアンス経営推進のために監査役が平時に実行すべきことを、私のオリジナルな意見として申し上げたいと思います。

企業の社会的信用を左右するコンプライアンスとは「社会からの要請に応えること」だからこそ、法でわりきれない難問が待ち構えています。法令を守っていても、企業不祥事で辞任に追い込まれる社長、会長が出現する時代、ぜひ非業務執行役員が心得ておくべき視点を皆様と一緒に考えてみたいと思います。福岡は10月23日、大阪は同26日、名古屋は11月9日開催(いずれも午後1時より4時半まで)となっております。詳しくは日本監査役協会のHPからご確認ください。なお、春季の講演会では、監査役の有事対応を事例形式で検討する、というものです。有事となったからといって、すぐに対応ができるものではなく、平時の信頼関係の構築があってこそ、ということなので、今回の平時対応についてもご聴講いただければ幸いです。

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2012年10月 3日 (水)

老舗・山の上ホテルを襲った「内部告発リスク」は他人事ではない

すでにマスコミ各紙で報じられておりますが、文豪の方々に愛され続けた東京の名門「山の上ホテル」におきまして、不正配管設置行為に係る(都条例に基づく)過料処分が下されました。同ホテル側も、この事実を認め支払について応諾されているそうであります(たとえば東京新聞ニュースはこちら)。不正配管設置とは、つまり下水道使用料を免れるために、水道使用量を過少に申告していた、という(言葉は悪いですが)詐欺的行動を指します。法人に対する行政罰が都の条例によって規定されていますので、れっきとしたコンプライアンス違反の企業行動であります。

ホテル業界は、とりわけ企業不祥事がブランドイメージを大きく毀損させてしまうことになるわけでして、たとえ不祥事が発生したとしても、自浄能力が発揮されたかどうかは、その信用毀損の程度に重大な影響を与えることとなります。今回の事件では、匿名の情報が東京都に届いたことが発端となり、不正配管が都の調査で判明した、というもの。つまり内部通報ではなく、内部告発によって発覚した、というものであります。こうなりますと不正配管行為より以前から「無届け」で井戸水を使用していた、という事実と併せ考えますと、他者に指摘されるまで同ホテルは隠していたのではないか、といった推測を呼び起こすことになりますので、その信用回復には多大なエネルギーが必要になろうかと思われます。

過去に何度か内部告発人の代理人を務めた経験がありますので、そういった経験からの推測からではありますが、社内の人間が匿名情報を外部に提供する、という場合、最初に内部通報を行ったにもかかわらず、社内で相手にされなかったために、やむをえず外部へ情報提供するケースがあります(愛社精神に基づくケース)。このケースの場合には、組織ぐるみで不祥事を知っていながら握りつぶしてしまう、ということを推測させますので、とても組織の社会的信用を毀損させてしまうことになります。もうひとつは、いきなり匿名による情報が行政当局やマスコミ等の外部に提供されるケースがあります。このケースでは、組織内において支配権争い、労使紛争などの内紛が発生している可能性があります(いわゆる不誠実な目的による告発のケース)。こちらは「組織ぐるみ」とまでは言えませんが、社内がゴタゴタしていることを推測させるものであり、やはり組織のイメージの悪化は否めません。

このように内部告発によって不祥事が明るみに出た場合、いろいろな憶測が社内外で噂されてしまいますので、不祥事発覚後も、発覚に至る背景事情をうやむやにしたい気持ちが強くなります。本来ならば自浄能力を発揮して、社内調査を徹底して、事の顛末を自主的に公表すべきところでありますが、組織内に問題を抱えているケースではこれを公表することもできません。

ところで、今回の山の上ホテルの不正配管設置行為に対する東京都の対応をみるかぎり、名門老舗ホテルであるがゆえに、かなり紳士的に接しているのではないか、と思われます。この井戸水の給水配管を迂回させて下水道使用料を免れる、という不正行為は、すでに全国の施設で行われているようで、たとえば愛知県春日井市におけるスーパー銭湯過料処分取消請求事件判決(名古屋地裁・平成16年9月22日判決)なども先例として参考になります(最高裁のHPにて判決文が閲覧できます)。この事件では、春日井市条例に基づいて、不正配管によって免脱された下水道使用料の3倍の過料を市はスーパー銭湯に課したのでありますが、裁判所は行政罰を科す行政目的からすれば、3倍というのは裁量権の逸脱にあたり、2倍程度が妥当だとしています。今回の山の上ホテルに対する過料処分(使用料の2倍を過料として科す)も、未払い使用料の5倍の過料まで科すことができるにもかかわらず、東京都は2倍の過料にとどめているわけでして、あまり大きな問題に発展させないように、この判例の基準に沿ったところで落ち着かせようとされたのではないでしょうか。

ただ、この名古屋地裁の判決で興味深い点は、スーパー銭湯の不正配管行為自体は巧妙かつ悪質なものであり、3倍相当の過料も相当ではないとまではいえないが、経営者が不正配管を知っていたかどうかまでは不明であり、発覚後は市の調査に積極的に協力しており、また市との間で、未払い使用料や過料の支払い方法について合意が成立していることなどを斟酌したうえで、2倍過料が相当と判断しているところであります。秩序罰としての過料に幅が設けられているわけでして、ここでも企業が自浄能力を発揮することで、過料相当額を軽減させる余地が残されている、ということになります。逆にいえば、これが上場会社などで発生した場合、高額の過料が科される、ということになりますと、不祥事発生後の社内の対応がまずかったために、会社の損害が拡大した、という理屈になりますので、株主代表訴訟が提起されるきっかけになるのかもしれません。

最近は、コンプライアンス経営が叫ばれる中、内部通報制度に基づいて自社で不正を公表するケースも増えおります。そういった時代になればなるほど、内部告発が企業の信用リスクに与える影響、そして企業の役員のリーガルリスクに与える影響は増大していくものと思われます(ちなみみ、上記春日井市のスーパー銭湯の下水道使用料免脱の事件も、内紛が原因となり匿名の情報が春日井市に提供されたことが判決文で認定されています)。とりわけ内部通報が届いたにもかかわらず、これを放置しているようなケースでは、「組織ぐるみ」「経営者関与」の企業不祥事に発展するリスクが飛躍的に高まります。どこの企業でも発生してもおかしくない事件かと。

ちなみに、山の上ホテルさんの対応について、個人的な意見を少しだけ述べさせていただきますが、まずホームページにおける謝罪文には少し首をかしげたくなります※。あまりにも不明瞭な書き方だけに、これでは不正配管事件を知らないホテルの顧客の方々は「食中毒事件でも起こったのだろうか」と錯覚すると思われます(不必要にホテルの信用を低下させることになるのではないかと)。しっかりと謝罪をするのであれば事件内容を書くべきですし、もちろん一切書かないという経営判断もあります(事実、英語ページでは何も記載されておりません)。それともうひとつ、東京新聞からの取材に対してホテルの常務の方が「下水道料金を安くするため、担当の部署が愛社精神で行った」「経営陣は都の調査が入るまで知らなかったが、処分は真摯(しんし)に受け止める」と述べておられますが、担当部署の愛社精神と下水道料金の免脱がどのように結び付くのか、皆目見当がつきません。コンプライアンス違反の行動は、愛社精神をもってすれば許されるかのように思えます。不祥事に対する誠実な対応が見受けられないように思われるのは、名門ホテルの対応としては残念に感じられます。

※・・・・・以前、針金混入事件におけるゴディバ日本法人のHPでの対応についてブログで疑問を呈したところ、翌日に内容が変更されたことがありましたので、とりあえず10月3日未明の段階で山の上ホテルさんのHP上「このたびは、ご心配をおかけし、心よりお詫び申し上げます。今後このようなことが二度と起きないよう、努める次第ですので、よろしくお願い申し上げます」とだけ書かれていることを付言しておきます。

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2012年10月 2日 (火)

三洋電機元役員株主代表訴訟判決と「公正なる会計慣行」

本日はかなりマニアックな話題でありますが、先月末(9月28日)に三洋電機元役員に対する株主代表訴訟の判決が大阪地裁商事部にて言い渡されたそうであります(たとえば時事通信ニュースはこちら)。結論的には「三洋減損ルール」を用いて作成された同社計算書類(2002年9月中間期~2004年9月中間期まで)に基づく剰余金配当については、「違法配当」に該当しないため、元役員らの損害賠償責任は認められない、ということになり、原告株主の請求は棄却されたようです。この裁判は、会社自らが過年度の計算書類を訂正して違法配当を認めている、ということを前提として、当該年度の違法配当分の返還を元取締役に求め、あわせて違法配当を認めていた当時の監査役5名に対する損害賠償も求めていたものであります。「違法配当には該当しない」というところで判断されているので、監査役監査の責任論などさらなる論点への判断がなされなかったことは残念です。

まだ地裁判決が出たばかりであり、判決文も入手していない状況なので、現時点で内容についてコメントすることは控えさせていただきます。ただ、三洋電機の不正会計事件というのは、会計事実自体が歪められていた、典型的な粉飾決算事件とは異なり、適用すべき会計基準の処理方法に誤りがあったとして「不適切な会計処理」事案とされているところに特色があります。2007年当時、当ブログでも紹介いたしましたが(こちらのエントリー)、新聞報道などでは「この事案は課徴金処分が見送られるのではないか」とも報じられていたところであり、①会計基準の解釈という特殊性や、②連結決算だけでなく、単体決算も開示するという日本独特の制度に由来するということも影響していたものと記憶しております(実際には、金商法に課徴金制度が導入された2005年以降の虚偽記載についてのみ課徴金処分がなされたわけでありますが)。

新聞報道などを総合しますと、債務超過にある子会社の株式評価については、果たして業績が回復して、(当時の会計基準の適用を前提としても)株式評価額を減損せずに済むのかどうか、もし幅があるのであれば、その幅のどのあたりを基本として評価額を算定するのか、そういった問題について会社は恣意的に判断したものとはいえず、当時の監査人と協議のうえ、妥協の産物として三洋減損ルールを適用した可能性があります。そうなると、極めて会計専門性の高い判断が求められるところであり、経営者としては経営判断原則が適用されるのと同様、判断内容が著しく不合理なものでないかぎりは会計基準の選択に裁量が認められた、ということになりそうであります。つまり会社法上は計算書類の作成は適正になされたものであり、違法配当とは「評価されない」というのが判断理由かと。そもそも旧商法時代から、違法配当時の取締役の損害賠償責任については、無過失責任とされていることに批判が出ていましたので(たとえば江頭「株式会社、有限会社法(第2版)」357頁)、役員に故意・重過失が認められるほどの悪質なケースでなければ「違法配当」とは解釈されにくい、ということなのかもしれません。

本件訴訟は、今後高裁における判断も予想されるところでありますが、金商法における虚偽記載(投資家保護の思想)と会社法における違法配当規制(利害関係者間の権利調整)との関係、会社法上の違法配当と公正なる会計慣行の判断、長銀・日債銀最高裁判決の影響度などが地裁判決の検討課題とされるところではないかと思われます。また、当時話題となりました「第三者委員会報告」が判決にどのような影響を及ぼすのか、という点についても興味のあるところです(たしか会計処理の妥当性が問題とされていたにもかかわらず、会計監査実務家が委員に含まれていない、ということに疑問を呈する専門家の方々もいらっしゃいます)。また以前は無過失責任だった違法配当時の役員責任が、平成17年会社法改正により、過失責任(ただし立証責任転換規定あり)に変わったことが、今後の実務にどのように影響するか、というところも考える必要がありそうです。

今年3月に、大阪弁護士会で開催いたしました「公正なる会計慣行を考える」シンポでも、三洋電機事件の関係者の責任問題(監査人に対する行政処分を含めて)は会計学者、会計実務家の方々より多くの批判的意見が聞かれたところであります。ビックカメラ社の不適切会計処理に関する株主代表訴訟なども係属中であり、今後の同種事案への裁判所の判断にも参考となるかと。私自身も判決文を入手できましたら、いろいろと研究したいところでありますが、ぜひとも企業会計法で著名な学者の方々の判例評釈などに、今後注目しておきたいと思います。

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2012年10月 1日 (月)

監査役の懐疑心と「社長との信頼関係構築」は矛盾するか?

日本監査役協会のHPにおきまして、「重大な企業不祥事の疑いを感知した際の監査役等の対応に関する提言 ―コーポレート・ガバナンスの一翼を担う監査役等に求められる対応について―」と題する、たいへん興味ある報告書が公表されております(内容は、どなたでもお読みいただけます)。監査役が不正の兆候(黄色信号)を感知した場合に、どのような行動に出るべきなのか、いわゆる監査役の有事対応に関する行動原則を示したものであり、これまであまり検討されてこなかったところに光をあてたものです。

近時、監査役の「監査見逃し責任」に関する法的責任が追及される事例が増えてきておりますが、たとえ訴訟に至らずとも、「もし監査役が適切な有事対応ができていれば、もっと早期に不正を発見できたのではないか」と思われる企業不祥事も散見されます。しかし、実際のところ監査役の善管注意義務違反といえるためには、いったいどのような監査役の行動が注意義務に反するものなのか、未だに不明なところが多いように思われます。こういった監査役の有事対応に関するガイドラインが公表されたことは、(もちろん法的な基準になるものではありませんが)監査役による積極的な有事対応を促し、監査役の善管注意義務、忠実義務の中身を考えるうえで、今後参考になるところではないでしょうか。

さて、監査役が感知すべき不正の兆候(黄色信号)に焦点をあてることは、監査役の善管注意義務を論じるにあたって有益であることは間違いないのですが、もうひとつとても有益なことがございます。それは監査役による「健全な懐疑心の保持」と「経営執行部との信頼関係の構築」とが矛盾しないようにバランスを維持するためのツールとなりうる点であります。

監査役がその職責を全うするためには、「健全な懐疑心をもって監査に臨むように」といわれます。取締役の職務執行の適法性を監視・検証することが監査役の本来の業務である以上、健全な懐疑心をもって監査に臨まねばならないことは当然のことと思います。しかし、現実の企業社会において、監査役が「懐疑心をもって監査に臨む」ということは結構むずかしいものであります。そもそも同僚の役員を「不正をやっていないか」という疑いの目をもってヒアリングする、ということになりますと、「まじめにやってるのにうるさいやつだ、あいつにはもう情報は流さない」ということで社内の重要な情報にアクセスできないことになります。また、架空循環取引等が行われていないか、という目で在庫確認を行おうとすると、「あなたは自社製品に誇りをもっていないのですか、そんないい加減な商品を自社が作るとでも思っているのですか」と、これまた現場責任者から嫌われれてしまい、協力が得られずに効率的な監査が不能となってしまうことになります。

監査業務の有効性・効率性を向上させるためだけでなく、問題発生時に監査役の要求を経営執行部に尊重してもらうためにも、監査役は日常監査の段階から、経営執行部との信頼関係を構築しておく必要があります。そこで監査役としては定例監査を通じて、経営執行部から情報を入手したり、または内部監査部門や会計監査人との連携を図ることで「不正の兆候(黄色信号)」を探すことになります。そして、不正の兆候に接した時点から、監査役は健全な懐疑心をもって非定例の深度ある監査手続きをとることになります。平時は役員や現場責任者の協力を得ながら情報を収集するわけですから、ここでは円滑な信頼関係が求められます。しかし、不正の兆候を感知した時点から、経営執行部に対する現実的な疑惑の目を向けることになります。

ただ、ここでも合理的な理由もなく疑いの目を向けるということは、監査役と経営執行部との信頼関係を破壊する要因になってしまいます。そこで、「疑われても仕方がないような合理的な理由があること」(つまり「不正の兆候」があること)をヒアリング対象の取締役に説明をすることで、経営執行部との信頼関係を維持しながら健全な懐疑心を働かせることになるわけです。また、今回の日本監査役協会による研究報告のようなものがあれば、不正の兆候を感知した場合には、監査役が動かざるを得ないことが行動指針として紹介されるわけですから、これも経営執行部との信頼関係を維持しながら監査業務を遂行することに資するものとなります。

このように、監査役が「不正の兆候(黄色信号)」に基づいて有事対応(非定例の深度ある監査手続き)をとった場合、かりに取締役の不正行為が明らかにならなかった場合であっても、「当社の監査役はまじめに監査業務を行っているのだ」という認識を経営執行部にもたれることになります。すくなくとも「なんかうるさいやつだ」と批判されることはないはずです。また、他の取締役や監査役が、有事意識を共有するきっかけになることも予想され、さらなる調査に進展することにもなります。不正事実が合理的に疑われるだけの資料の収集や、入手した情報による分析など、だれもが「不正事実を疑われても仕方がない」判断根拠をきちんと監査役が把握していれば、およそ経営者との信頼関係の破壊にはつながらないものと思います。

「不正の兆候」理論は、監査役のリーガルリスクが顕在化した場面で活用されるものと思われがちでありますが、このように健全な懐疑心を持ちながらも、他の役員との信頼関係を維持し、ひいては監査環境の整備を向上させる平時の場面でも活用されるものと理解をしております。

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