「経営トップと現場社員の情報の共有」は幻想にすぎないのだろうか?
昨日に引き続き、コンプライアンス関連のネタであります。よくリスク管理や危機対応のマニュアルに「経営トップが瞬時に危機管理ができるように、情報は共有されなければならない。そのためには、常に重要な情報が正確に経営トップに届くような仕組みを構築しなければならない」と言われます。企業不祥事発生時に、企業の信用を毀損するような二次不祥事を起こさないために、この「情報の共有」が大切であることは私も間違いないと思います。
ただ、ときどき当ブログにもどなたかがコメントをされているとおり、果たして一次不祥事が発生したような有事において「現場と経営トップとの情報の共有」などできるものなのだろうか?ひょっとしてそれは「幻想」にすぎないのではないだろうか?と不正調査や検証活動を通じて感じるときがあります。
まず第一に情報の送り手の問題。先日の日本触媒の工場事故の件、今年2月の東証システム障害の件などにもみられるところでありますが、情報を伝達するためのプログラム(エスカレーションプログラム)はきちんと構築されていたとしても、これを現場社員が解釈する余地がある場合、果たして冷静に判断ができるでしょうか。たとえば「経営に重大な支障を来すと思われる不具合が認められた場合、直ちに担当取締役に報告すること」とプログラムにあったとしても、おそらく現場担当者は「経営に重大な支障を来すほどではない」と判断することケースがほとんどであります。現場担当者からすれば、ミスにつながる報告になることを承知で「これは経営に重大な支障を来す」と冷静には判断できないからであります。上掲の東証システム障害でも、日本触媒社の工場事故の件でも、現場の報告が遅れたことが問題とされていましたが、これは人情からすれば「重大な事故」だとは思いたくない、という気持ちが前提となりますので、当然にそのような結果になるかと。
また第二に情報の受け手の問題。これは私も事故の検証活動などに参加したことで初めて認識したところで、あまり想像ができなかったのでありますが、情報の送り手がきちんと情報を伝達しようとしても、受け手が「聞く耳を持たない」ということがあります。人間は自分の関心事については耳をそばだてて注意深く人の話を聞きますので、ある程度は送り手の情報を認識することが可能であります。しかしながら、自分に関心のないこと、とりわけ自分が聴きたくないことについては送り手の情報を全く記憶していなかったり、自分にとって都合のよい情報だけをピックアップして認識することになります。情報の受け手である担当取締役自身が、この不祥事によって社内処分を受ける、昇進が遅れる、といった不利益をもたらすものであれば、おそらく送り手の情報をそのまま認識することは困難だと思われます。
そういえば先日ご紹介いたしました沖電気工業社の海外子会社不正事件におきましても、親会社の担当者が現地で調査の上、これを親会社幹部に報告したところ、当該幹部は「監査法人がこれまでおかしいと報告してこなかったし、彼(疑惑対象者)がこれまで実績を残してきた社員です、あなたの調査もわずか三日ほどであり、果たしてあなたの調査が正しいとは言えないのではないか」と難癖をつけて、別に再調査を命じたということがありました。この実例では、当該幹部が会計不正事件によってどれほどのリスクが親会社に顕在化するのか、その全容が不明だったために不安にかられていたようであります。不安が現実化することを認めたくない・・・という気持ちが強ければ、おそらく誰でも同様の理由によって冷静な調査結果を受け止めることができなくなってしまうのではないでしょうか。
このように考えますと、迅速な対応が要求される有事の場面におきまして、現場の情報が経営トップに正確に伝わるというのは「幻想」とまでは言いませんが、かなり困難な作業であることがわかります。私の考えとしては、まず何よりも情報が正確に届かないリスクこそ共有すべきであること、情報は事実と主観的判断を区別して伝達すること、「重要情報」とそうでない情報を仕分けする担当者が平時から(事後検証でもよいので)判断基準に慣れておくこと、どのステークホルダーにとって重要な情報なのか、その優先順位を明らかにしておくことなど、有事における情報共有がせめて合格点に達するための「運用」が大切だと思います。
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