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2012年11月28日 (水)

社外取締役制度に対する最近の議論と若干の私見(その3)

欧州域内に本籍を置く上場企業に対し、2020年までに女性の非常勤役員の比率を40%まで引き上げる法案が成立するそうです。ダイバーシティの義務化が実現するようで、「女性役員が在職する企業のほうがパフォーマンスが高い」という実証結果を根拠にしているようです。

さて、社外取締役制度に対する最近の討論に関する若干の私見ですが、(その2)の続きを書きたいと思います。前回少しご紹介した「社外取締役を導入することが相当でない理由」に関する論点ですが、旬刊商事法務の座談会記事(1978号6頁以下)等を読みますと、やはり企業側にとって相当にハードルは高い、とのご意見が強いようです。

ただ私なりに(冷静に)この「社外取締役を導入することが相当でない理由」を考えますと、以下のような理由はいかがでしょうか。たとえば

企業の組織構造(多角化事業、グループ企業化、グローバル化、業態業種)からして、当社では社外取締役がその企業特性を理解するためには、相当の時間と労力を要する(いわば情報獲得コストが高い)。当社として意思決定のスピードがさらに要求される時代において、このような状況で外部第三者が経営に関与したとしても、企業価値の向上することが困難なばかりか、企業価値を毀損させてしまうおそれがある

というものです。もちろんすべての上場企業にあてはまる、というものではありませんが、組織構造が複雑な企業では、こういった理由も成り立つのではないでしょうか。企業としては、価値向上のために社外取締役を導入したいわけですが、独立性要件を満たすことができる「全く業界の異なるところ」から選任したい。しかし、そういった方に取締役として経営に参画してもらうには、よほど社内事情に精通してもらわねばならない、たとえば海外展開を中心にしている企業など、どうやって社外取締役の方が意見を述べられるのか疑問である、ということです。先の座談会記事におきましても、「相当でない理由」の妥当性については法律的に問題となるわけではなく、理由が記載されていない、理由が虚偽であるといったことでもないかぎりは、市場における評価の問題(つまり法的には問題とはならない)として捉えられています。どの程度「情報獲得コスト」がかかるのかは、社内の人間でないと理解できないところもありますので、こういった「社外取締役をおくことが相当ではない」理由も十分に考えられるところではないかと思います。

ただこういった理由を記載することについては(法的に正しい、正しくないという問題ではなく)「あまり評価できない」という意見は出てくるかもしれません。まず機関投資家が多い企業の場合、資金調達コストが高くなることが考えられます。先日もHP(ヒューレットパッカード)社が上場子会社買収にあたって、その会計不正に気付かなかったため、80億ドル以上もの損失を計上せざるをえなくなった事件がありましたが、機関投資家や運用会社は上場会社のガバナンスにとても強い関心を寄せています。このような状況のなかで、社外取締役を導入しない企業については、やはり企業価値向上よりも経営者監督機能において懐疑的な目を向けられることになると思います。ひとりでも社外取締役を導入すれば資金調達コストが下がる、というのであれば、むしろ導入したほうが全体のコストとしても下がるのではないか、との疑問が湧くところです。たとえ社外取締役が「一身上の都合」で辞任したとしても、市場ではそれなりのサインとして受け止められるわけです。ある意味、社外取締役の導入は保険的な意味合いがあると思います。

また、たとえ社内の事情に(社外取締役が)精通していなくても、コストに見合う働きはできるのではないでしょうか。たとえば意思決定の内容についてコメントできない場合でも、その意思決定の方向性についてモノは言えるのではないか、と思います。「利益が出ていない創業時代からの事業から撤退する」、「みんなが新規事業を成功させようと一丸となっているときに撤退基準について提案する」、「「日本一の技術者を擁する当社でも、原発事故は起こさない(起きない)、ではなく、事故は起きる(起こりうる)、というところからリスク管理をスタートさせる」、「ステークホルダーの利益が相反する重大な局面において、その優先順位(どちらを捨てるべきか)を決定する」といった場面において、果たして社内の取締役だけで十分な議論が尽くされるのでしょうか。

重要な経営判断であればあるほど、すべてのステークホルダーの利益を満足させることはできず、社長は最終決済者としてその利益に順番をつける必要があります。ときには情理に流されてしまいそうになる中で、「捨てるべきものを選択する」必要があります。これはたいへんストレスのたまる仕事です。その場における最良判断を模索することになるわけで、果たして社外からみて、その優先順位は正しいのかどうか、これを検討する機会を与えることも社外取締役の役割ではないかと(この優先順位において一般株主の利益を検討するのが独立役員たる社外取締役ではないかと)。きついストレスのたまる社長の経営判断を後押しするだけでもいいのではないでしょうか。ごくまれに「おかしい」と思える経営判断があったときは、堂々と意見を述べることができれば良いと思います。このような場合、「気づく」ことよりも「素人の考えを口に出す」勇気のほうが重要ではないかと思います。

また、経営学的見地からも、社外取締役の有用性は認められるのではないでしょうか。ドラッガー氏の代表的な著書のなかでも書かれています。

エグゼクティブが直面する問題は、満場一致で決められるものではない。相反する意見の衝突、異なる視点との対話、異なる判断の間の選択があって初めて、よく行いうる。したがって、決定において最も重要なことは、意見の不一致が存在しないときには決定を行うべきではないということである。(「経営者の条件」PFドラッガー 2006年 ダイヤモンド社 198頁)

そもそも日本企業の場合、社長の権限は絶大なわけですから、この社長の判断に資するものでなければ「企業価値向上のための社外取締役」は役に立たないのではないかと言うのがホンネのところです。社長のお仕事はいま儲かっている仕事に注力することと同時に、10年、20年先も事業が成長できるような礎を見据えることも必要です(だからこそ社長は孤独だと思うのです)。その10年、20年先を見据えた事業戦略に役立つのが「意思決定の方向性」をチェックする社外取締役の役割ではないでしょうか。

もちろん、そのような意見を口に出すためには、「ふさわしい社外役員」候補者がいなければならないことは当然であり、また就任後も社外役員に不断の努力が必要かと思います。最後は人間性の問題であり、就任した企業のことを好きになれるかどうか、ということに尽きるのかもしれません。今回の会社法改正の審議では、社外取締役がコーポレートガバナンスの向上のために、何を期待されているのか・・・というところで、推進派の方々がきちんと合意形成できなかったことに、反対派の方々に押し切られてしまった要因があるものと思います。いま「義務付け」が見送られた以上、今度は各企業ごとに「どうして当社では社外取締役が必要と考えているのか」というところを明確にして、具体的な選任理由を述べることが必要になってくるのでしょう。来年以降、おそらく社外取締役がじわじわと増えていくと思いますが、あるところからは一気に各企業とも導入に動く、というのが私の予想です。

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2012年11月26日 (月)

監査・監督委員会設置会社への移行と社外監査役の憂鬱

今回の会社法改正要綱をみますと、「第三の株式会社機関設計」として、新たに「監査・監督委員会設置会社」が創設されています。会社法改正により、社外取締役の導入義務付けが制度化された場合には、ずいぶんと脚光を浴びたのではないか、と言われています。たとえば上場会社の場合には、取引所ルールで「監査役会の設置」が要求されていますので、少なくとも(現状では)社外監査役が2名います。監査・監督委員会設置会社では、2名以上の社外取締役を要するので、監査役会設置会社が監査・監督委員会に機関変更してしまえば、現行の社外監査役2名をそのまま社外取締役にスライドできます。つまり、新たに社外取締役候補者を探したりすることも不要になるわけです。しかしながら、ご存じのとおり社外取締役の導入義務付けは見送られることになりましたので「これで監査・監督委員会設置会社への世間の関心も薄れてしまうのだろう」と、私などは考えておりました。

しかしここに来て、またまた監査・監督委員会設置会社への移行に関心が高まりつつあるようですね。経営トップによる迅速かつ柔軟な意思決定を可能とするには、今の監査役会設置会社よりも監査・監督委員会設置会社のほうが実効性が高いのではないか?とする意見もよく聞かれるところとなりました(旬刊商事法務にも、そのような趣旨の論文が掲載されています)。また最新号のビジネスロージャーナル(2013年1月号)の日経新聞編集委員の方の論稿も、企業統治を真剣に検討するのであれば、監査・監督委員会設置会社への移行も十分に検討すべし、と述べておられます。証券取引所も監査・監督委員会設置会社への移行を推奨しているところですし、さらに(監査役会設置会社だけでなく)委員会設置会社からの移行も検討されている、との話もお聴きするところです。

手続きが面倒そうだし、実益がないのであれば関心はないとする見解と経営者の思うままに会社を動かすためには結構有益では?とする見解と、どちらが正しいのかという点は、私自身、これまであまり深く考えたことはありません。ただ、そもそも議論の前提になっている「社外監査役→社外取締役」へのスライドというのは、そんなに簡単にできるものなのでしょうか?「ウチの会社は監査・監督委員会設置会社に移行するために定款変更を考えています。社外監査役のみなさんも、これからは議決権を持つ社外取締役に移行していただきます」と言われて、ハイそうですかと簡単に納得できるものでしょうか?少なくとも私が社外監査役であれば、「ちょっと待ってくださいよ。私は社外監査役であれば気持ちよくお請けしますけど、監査・監督委員会設置会社の社外取締役だったら、ちょっと考えさせてください」と申し上げるのではないかと。

まずなんといっても常勤の監査・監督委員の設置が任意であることです(監査役会設置会社では常勤監査役の存在は必須)。これまで常勤監査役さんに慣れてきた社外監査役が、いきなり内部統制に依拠する監査に果たして怖さを感じないのでしょうか?通常は、常勤監査役さんの往査の結果報告や出席した重要会議の結果報告等から、リスク評価を行うための情報を入手するところですが、もし内部統制システムに依拠した監査に移行するのであれば、人よりも組織を信用する態勢を覚悟しなければならないわけです。そうであるならば就任の条件としてはこちらが要求する内部統制システムを構築してもらわなければ、高い「監査見逃し責任」リスクからは抜けられない気がいたします。過去に非常勤社外役員の法的責任が否定された判例などもありますが、今の時代の流れの中で、同様の判決が出るとは限りません。

また、監査・監督委員会は(同委員会が選定した監査・監督委員を通じて、ということになりますが)株主総会で取締役の指名や報酬に関する議案提出の際に、委員会としての意見を述べることができます。ということは、委員会設置会社の指名委員会や報酬委員会の権限の一部を監査・監督委員が担うことになります。権限あるところに責任あり、ということになりますから、監査・監督委員といえども、社内の派閥間における支配権争いに巻き込まれることもあるでしょうし、社内事情に精通したうえでの説明責任も課されることになるのではないでしょうか。「意見を述べない」との選択肢も、社外取締役は社内のことがわからないから意見を述べない、では済まされないものと思います。

これに加えて、取締役に移行する社外監査役にとって「気持ち悪い」のが会社法423条3項の「利益相反取引に関する任務懈怠の推認規定」の排除です。監査・監督委員会が、取締役会における利益相反取引に関する承諾手続きの際に、これに同意した場合、後日利益相反取引によって会社に損害が発生しても、取締役会で賛成した取締役の任務懈怠の推定が排除される法的効果が生じます。もちろんしっかりした監査・監督委員の方が多い場合、その他の取締役の方々の監督機能に十分に期待できる場合であれば良いのですが、そうでない場合には経営トップが暴走することの「隠れ蓑」にされてしまうおそれがあります。監査・監督委員のメンバーが利益相反取引の妥当性についてきとんと判断できればよいのですが、そもそも判断の前提となる情報に監査・監督委員会が十分にアクセスできる保証はありません。そういった中で、利益相反取引が会社に損害を発生させない根拠をきちんと把握できるものかどうか、暴走とはいえないまでも、短期的利益追求を目指す社長と対決してまで取引に反対する社外取締役がどれほどいるのか、ということを考えますと、これはとても悩ましい課題ではないかと。

監査役会設置会社の社外監査役であれば、「監査役の独任制」によって社長と対立するということもあるかもしれませんが、監査・監督委員会の場合はそれも困難です。こういった有事における監査・監督委員たる社外取締役の身の処し方や法的リスクについての十分な議論がなされないまま、単純に「社外監査役→社外取締役」へのスライドに応じることはちょっとオソロシイ気がしますし、社外取締役に就任することの覚悟をもって臨む必要があろうかと思います。もちろん、経営者サイドからみても「この人は監査役としてなら就任してほしいけど、取締役となるとどうもなぁ」といった事態も出てくるかもしれません。そう考えますと、今後監査・監督委員会設置会社が増えることがあったとしても、やはり上場会社が新たに社外取締役を探してくる必要性は(従来の監査役会設置会社における労力と比較しても)それほど変わらないのではないだろうか・・・・・と思うところです。

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2012年11月21日 (水)

アコーディアゴルフ株へのTOB「たかが20%、されど20%」

(21日午後 追記あります)

アコーディアゴルフとPGMといえば、今年6月の「24時間を超える株主総会」で委任状争奪戦を繰り広げた同業者ですが、いよいよ第2ラウンドが勃発したようです。11月15日にPGM側が株式公開買付(TOB)の公告を行い、前日値の株価に50%のプレミアムを付けて一般株主から株式を買い付けるとのこと。これに対して11月20日、アコーディア側としては、金商法上の(TOBに賛同するかどうか)意見表明は未だ行っていないものの、PGM側の主張事実に認識の相違があるとする説明を開示しています。

アコーディア側がTOBへの意見を表明するためには、おそらく同社の社外取締役や上場規則上の独立役員(同社では社外監査役)の意見、そして外部第三者の評価結果などを参考にしなければならないでしょうから、そういった意見等を待って、必要があればPGM側に質問をしたうえで開示する、ということになると思います(しかし同業者による敵対的買収といえば、王子・北越のバトルがなつかしいですね)。

すでに「一個人株主」さんよりコメントをいただいておりますが、なぜTOBによる取得予定株数の範囲が下限20%、上限50,1%なのか、というのは私にも実はよく理解できないところです。上限50、1%というのは、東洋経済ニュースにおけるPGM社長さんのインタビューにもあるように、今後の経営統合まで企業価値の推移を見守りたい、という一般株主さん方は、そのままお持ちいただいて結構です、というPGM側の余裕の姿勢なのかもしれません(ただし、取得のための資金が不足しているのでは?という見方もできるかもしれませんが・・・)。

いっぽうの下限20%ですが、これはプレミアム50%上乗せということと併せて「なにがなんでもTOBは成立させたい」というPGM側の強い意思の現れではないでしょうか。しかし一般に経営に関与するためには、最低でも(重要な経営判断に拒否権を持ちうる)34%程度を取得することが目的とされるので、なんで20%なのか、20%で何ができるのか、という疑問もわくかもしれません。いくらPGM社の親会社が80%の株式を保有しているとはいいましても、多額の買収資金を投入してまで、20%の株式を取得するメリットがどこにあるのか、持分法適用会社となること以外にも合理的な説明が必要となるのではないでしょうか。

たしかにベンチャー事業等において、株式に流動性がない場合や株主間契約を締結する場合のように、元々経営の安定性が図られているケースでは、35%が重要な意味を持ちます。しかし、アコーディア社のように株式の流動性が高い上場会社の場合には、20%(関連会社等を含めれば23%ほどではないでしょうか)というのも相当な威力になるのではないかと。これはヤクルト本社とダノンとの攻防を見ていても明らかでして、20%のヤクルト本社株式を取得しているダノンに対して、ヤクルト本社がたいへんな交渉を続けているところからも頷けるところです。

ましてや、6月の委任状争奪戦で、PGM側(オリンピア側)としては、一般株主のPGM社に対する賛同は、そこそこ得られるとの確信を得たのではないでしょうか。最低でもTOBで20%を取得すれば、十分に経営に関与できるとの予測があるものと推測いたします。例のトライアイズの元監査役さんのケースように、会社側が、わずか22、2%の株式を自由にできるだけで特別決議の必要な監査役解任決議を通してしまえるのです(1/3×2/3=0,222)。それだけでなく、機関投資家等の他の大株主への発言権も強くなりますし、第三者割当増資等に対して(主要目的ルール等により)法的に有利な立場にもなれます。現実の株主総会を念頭に置いた場合、この20%というのは、かなり意味があるのではないかと思われますが、いかがなものでしょうか。

なぜ下限が20%なのか、会計ルールの適用や実質影響力以外に、もっと根源的な理由がございましたらご教示ください。本件のようなM&Aネタは、専門家によって関心事が異なりますが、ガバナンスの視点からすると、アコーディア社の社外取締役や独立役員という立場であえば、どのようにふるまうべきか、興味のある視点から、またいろいろと眺めていきたいと思っています。

追記:masakoさんのコメントから示唆を受けましたが、通常は事前警告型の買収防衛策は20%以上の大規模買付行為によって発動されることになりますが、これと関係あるのかもしれませんね。先にとりあえず20%以上の株式を保有してしまえば、たとえ経営権を取得できなくても、防衛策がなければ交渉を有利に展開できるのではないか、との狙いかもしれません。いまのところアコーディア社は買収防衛策を導入していませんので、今後の防衛策導入をけん制することが目的、というのは有力な考え方かと思います。

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2012年11月20日 (火)

常勤監査役による責任限定契約の締結は普及するか?

(11月20日午後 追記あります)

監査役の皆様向けに、11月28日に開催される岩原東大教授(会社法制部会長)の会社法改正要綱解説会は、あっという間に満席となり(日本監査役協会主催 1300名定員)、代わりにライブの模様を伝える上映会が2回に分けて別途開催されることになったそうです。ガバナンス関連の論点が中心となるそうですが、それにしても会社法改正への関心の高さはスゴイですね。

ところで監査役さん向け論点になろうかと思うのですが、会社法改正要綱のなかで、あまり議論になっていないところの問題が取締役・監査役の責任の一部免除(会社法427条1項 責任限定契約)に関する改正ではないかと。ご承知のこととは存じますが、取締役・監査役の任務懈怠による対会社責任が発生するような場合において、社外性要件が業務執行要件に変わり、とくに監査役の場合には(これまで社外監査役のみ認められていたものが)すべての監査役に責任限定契約が締結できることになる、というものです(現時点の会社法改正要綱を基準としています)。旬刊商事法務の岩原教授解説を拝読し、法制審の審議会議事録を再度見直しましたが、この論点についてはほとんど議論もされることなく、すんなりと要綱案として改正が盛り込まれているようです。

ただ、公表されているパブリックコメントには、理論的に筋が通っていると思われる反対意見もあります。改正理由としては、取締役の社外性要件が(改正によって)厳格化されることに伴い、これまで責任限定契約を締結できた人たちができなくなってしまう・・・ということが挙げられます。この理由は、経済団体からの強い意見を採り入れた、という政策的判断のもとではなんとか納得できそうですが、しかし監査役すべてに責任限定契約締結を認める理由にはなりません。中間試案の補足説明にあるように「自ら業務執行に関与せず、専ら経営に対する監査・監督を行うことが期待される者については、その責任が発生するリスクを自ら十分にコントロールすることができる立場にあるとは言えない」という理屈についても、業務執行取締役についても、自らの担当業務以外の会社業務については十分にリスクをコントロールすることができる立場とは言えないのではないか、とも思えるわけでして、説得力に欠けるように思います。※

※・・・なお、かならずしも社外監査役を置かなければならない会社の場合には、親会社監査役の方が、社外監査役に就任していたものを、非常勤社内監査役に改編することが検討されるので、そういった場合には監査役全般に責任限定契約を締結させる意味がある、というご意見もあります。しかし、私的には、これもあまり積極的な理由とは言えないように思います(11月20日追記)。

そういったことから、なんとなく積極的な改正理由が見つからない「監査役すべてについて責任限定契約の締結を認める」改正ですが、ともかく監査役さん方にとっては実務上の大きな課題になりそうな予感がいたします。果たして常勤監査役さん方にとって、この改正会社法が施行された場合には、定款を変更して責任限定契約を会社と締結する、という実務は定着するのでしょうか?

素直に考えますと、監査役さんが任務懈怠責任を問われにくくなる制度ということになりますので(ただし、最近は対第三者責任追及や金商法に基づく不法行為責任追及がなされるケースも増えていることに注意)、十分な監視・監督を行うインセンティブが機能しなくなってしまうのではないか、緊張感が欠けて怠けてしまうのではないか、との不安が出てきそうです。ただ、最近日経新聞にもご登場されましたトライアイズ社の元監査役F氏の「闘争の歴史」を振り返りますと、監査役が真剣に経営執行部と対峙した際、社長から「そんなことしたら会社として損害賠償請求するぞ」と威嚇される場面が何度もありました。「そんなことは監査役のやることではない。もしやるんだったら、あなたの個人資産がすべてなくなりますよ」と怒鳴られ、それでも株主総会開催の差止めや違法行為の差止めを裁判所に求めるには、監査役さんにかなりの勇気が必要です。おそらく監査役の立場からすれば、「自分が間違っていたらどうしよう」と逡巡し、会社法上の権限行使を控えるケースも出てくるのではないかと。

私の個人的な意見からしますと、そもそも監査役さんが会社法上の権限として行使されることが期待されているものについて、たとえ結果的に取締役の行動が違法だと認定されないものであったとしても、これを違法と指摘した監査役さんについては、合理的な理由がある限り任務懈怠などにはならないと考えています。しかし一般の監査役さんにとってみれば、不安がいっぱいになるのも無理からぬところがあり、違法行為を積極的に指摘する勇気を与えるためには、こういった責任限定契約も必要とされる場面もあるのかもしれません。つまり「監査環境の整備」という視点からみれば、社内の監査役さん方も責任限定契約を締結することが、むしろ監査役の権限行使のインセンティブになりうる、との考え方です。理屈のうえで考えれば、これまでの「社外役員の導入を促進するため」という理由に代わりうる積極的な理由はないものの、監査環境整備という政策的な理由から責任限定契約の存在を肯定的に考える、というところでしょうか。

いずれにしましても、株主総会できちんと説明できる理由がなければ一般的に定着するものではないはずです。このあたりは法制度化されることを前提に、議論をしておくべきものと思います。

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2012年11月19日 (月)

オリンパス損失飛ばし事件と「公表」の時期(金商法21条の2)

11月13日、オリンパス社より海外機関投資家から損害賠償請求に関する訴訟を提起された旨開示されました(当社に対する訴訟の提起に関するお知らせ)。マスコミ各紙で報じられているとおり、総額190億円の請求額ということですから、オリンパス社の経営にも影響が出てきそうな金額です。6月に訴状が提出されたにもかかわらず、今月になって送達されたそうなので、訴状の補正や添付書類の追完、訴訟費用の納付など、原告側も準備がたいへんだったのでしょうね。

私自身、この事件には未だよくわからない点がありまして、たとえば解任騒動の2週間前にウッドフォード氏をCEOに選任した取締役会が、なにゆえ深い議論もなく全員一致で社長解任に同意してしまうのだろう・・・などと考えています。取締役や監査役の責任調査委員会の報告書では、ウッドフォード氏を解任することについて賛同した役員には法的責任はないと認定されていますが、「この人がオリンパスの最高経営責任者にふさわしい」という理由で社長からCEO兼社長に全員一致で選任した取締役会が、そのわずか2週間後に「やはり日本文化に合わない社長だった」という理由で解任される、というのは普通に考えますとありえないわけです。なぜ社外取締役の方々が、どうしてそうなっちゃうの?ちょっとおかしいのでは?と声を上げなかったのか、法規範的にみてもかなり無理があるのではないか、と思ってしまいます。

さて、そういった「未だよくわからない」ことの一つとして、このオリンパス事件における金商法21条の2第2項における「当該虚偽記載等の事実が公表された日」というのは、いったい何時を指すのだろう・・・という疑問があります。この「公表日」の概念は、金商法21条による損害賠償請求を行う株主の範囲を確定するためにも必要なのですが、何時の時点を基準として株主の損害額を推定するか、という判断基準になる点が重要です。公表日を境にして、その前後1カ月の平均株価の差を損害金額と推定することになりますので、原告側としては、株価が急落した時点を「公表日」と主張したくなるのは当然のことであり、被告側はもっと後にずらしたくなる、ということになります。

ではオリンパス事件において虚偽記載が公表された時点は何時か、ということですが、いくつか考えられるところです。主なところは①ウッドフォード氏が解任された時点、②会社自身が損失飛ばしによる会計不正の事実を認めた時点、③第三者委員会が報告書を開示した時点、④正式に有価証券報告書の訂正を公表した時点くらいが問題になるかと思われます。今回の海外機関投資家による損害賠償請求訴訟の中身については、詳しく報じられていないようなので、どこを公表日と捉えているのかは不明ですが、学者の方々の議論や先行する損害賠償請求訴訟での原告(個人株主)側の主張などは、②または③あたりを「公表日」だと解しておられるのではないでしょうか。おそらく今年3月13日に出ましたライブドア損害賠償請求訴訟最高裁判決の考え方からしますと、③あたりの判断になるのが穏当な解釈かと思われます。ちなみに同最高裁判決では、ライブドアの強制捜査直後に、検察による司法記者クラブでの会見が「公表」に該当するとされています。

金商法21条の2第2項の「公表」といえるかどうかを考える場合、誰が、どのような内容を、どのような方法で行ったか、という点が吟味されるわけですが、上記最高裁判決では、これらの吟味にあたり、文理解釈以外には、「この規定は投資家保護の趣旨によって制定されたものなので、投資家保護の見地から判断する」ということで、政策的価値判断を重視して上記のとおり検察の会見を「公表」と解釈しています。ということは、今回のオリンパス事件でも、どの時点が「公表日」に該当するかは、政策的価値判断による解釈というものも成り立つのではないでしょうか。

たとえばウッドフォード氏が解任直後にフィナンシャルタイムスやブルームバーグの取材に応じていますが、当時は代表取締役ではなかったものの、取締役たる地位にはありました。また、代表取締役兼CEOの時代に会社として正式に意見報告を依頼したPwC(プライスウォーターハウスクーパース)による報告書もこの時期に開示しています。この報告書では、専門家として「不適切会計の疑いがある」ことが掲載されており、しかも英社および国内三者の企業買収に絡む法外な買収金額や手数料のことも問題視されています。ということは、この報告書が開示されたことによって、2007年以降の関連会社の「のれん」に計上されている資産が取り消される可能性は公表されていたことになります(現に、オリンパス社側は、10月19日の時点で「PwCは当社の正式な監査法人ではない」と開示して、この報告書の信用性を否定するリリースを出しています)。

ただ問題は、海外メディアへの非公式な取材対応が「公表としての方法」にふさわしいものかどうか、というところです。たしかに国内の投資家からすれば、当時の状況では、オリンパス社の開示情報のほうが正しいと判断する方が多かったはずなので、公表に値するとは言えないと思います。ただ、海外の投資家からすれば、少なくとも数日前まではCEOの立場にあった者が、客観的な第三者による報告書をもってオリンパスの会計不正を推認させる具体的事実を指摘しているわけですから、むしろウッドフォード氏の発言に信ぴょう性を感じるのではないでしょうか。また海外に追い出されたウッドフォード氏が真実を公表する方法が他にも見いだせなかったとすれば、これもできる限りの公表方法ではないかとも思われます。

以上は、あくまでも「可能性」に関するお話です。ウッドフォード解任直後の時期に株価が急落しましたが、これは虚偽記載の可能性が高まったからではなく、日本を代表するレンズ機器メーカーの内紛発生を問題視したからと受け止めるほうが素直かもしれません。オリンパスに対する金商法を根拠とする損害賠償請求訴訟が本格化してきましたが、今後は損害に関する争点や、この「推定規定」に関する争点の議論がさらに尽くされることを期待しています。また、虚偽記載に関する役員の責任が併せて問われているのであれば(これは根拠条文は変わりますが)、「相当の注意の抗弁」がいかなる場合に認められるのか、先日のアーバンコーポレイション事件判決などと共に、コンプライアンスの視点からも注目されるところだと思います。

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2012年11月16日 (金)

意外に多い?反社会勢力の不当要求に屈する企業

警察庁が発表したところによりますと、暴力団などの反社会勢力から不当な要求を受けた企業のうち、2割弱の企業がこれを拒めずに、一部でも要求に応じたことがあるとのことだそうです(過去5年間の企業行動が対象 11月15日付け日経新聞夕刊より)。また不当要求の内容も「因縁をつけて金品や値引きを要求」することが圧倒的に多く、その脅し方も「企業が不安になるような漠然とした危険」をもって威嚇するというものが大半を占めているようです。

なお、こういった不当要求に対する企業側の対応策も進んでいるようでして、暴力団排除条項を契約書に明記している企業が6割~8割程度であり(大きな会社だと9割以上)、また暴排ガイドラインを策定して社内外に宣言している企業も増えているのが実態のようです。ただ、それでも反社会勢力からの不当要求に応じている企業数が横ばいということは、企業の対応策の実効性に疑問が残るところかもしれません。とりわけ反社会勢力との共生者問題、背後にブラック組織が控えている「半グレ」問題などが増えているとなりますと、企業に対する脅し方が「不安になるような漠然とした危険の告知」が多いことと通じるのではないかと。

いまから4年前に書きましたエントリー「食品偽装事件にみる企業コンプライアンスとは(その2)」(2008年9月10日)でもご紹介しましたとおり、内部告発については裏通報窓口のようなものが現実に存在します。いわゆる反社会勢力が関与する「投書箱」のようなものです。行政による追及から難なく逃れていた会社が突如不正を自主申告する、という事態などは、ひょっとすると裏通報窓口からの通告が端緒になっているのかもしれません(あくまでも推測ですが)。会社の不正が裏窓口に持ち込まれますと、会社との取引で高額な口止め料をを要求する例もあるようです。上の調査結果にある「因縁をつけて金品や値引きを要求される」ケースの中にも、こういった事案のように企業の影の部分を捕まえられて金品を要求される、ということもあるはずです。

今年6月に出版されました須田慎一郎氏の新書「暴力団と企業-ブラックマネー侵入の手口-」では、反社会勢力による最近の経済活動が興味深く紹介されています。暴排条例、改正暴力団対策法の施行によってますますファジーになっている活動の一端が垣間見れます。この本の最後は「企業が反社会勢力に狙われないようにするためにはどうすればよいか?」との問いに対する自らの答えで締めくくられています。

暴力団が企業に浸透する手法はほとんどの場合、その弱みや暗部につけ込むというものだ。暴力団対策とはつまり、不正を近づけないことより先に、自分の内側から不正を排除するところから始まるのである。これを肝に銘じておくべきである。まずは自分がクリーンになる、たまに汚れたところが出てきても、それを隠さずに洗い出すこと。それさえすれば、100%とは言えないまでも、自分の過ちによって反社会的勢力の手中に落ちる事態だけは避けることができる。

企業自身が反社会勢力を活用する気がなくても、社員とのトラブルや経営支配権争いなどによって、企業の暗部が「その筋の世界」に投げかけられることは十分に考えられます。これを裏で処理しようとするならば、ダスキン事件や蛇の目ミシン事件と同じように、苦しみぬいたうえで表の世界では損害賠償責任を負うということになってしまいます。
須田氏のおっしゃるとおり、まずはクリーンになること、たとえ汚れても、自分で洗い流すことが反社リスクを低減させる近道だと思います。

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2012年11月14日 (水)

内部統制の運用に問題があると「重過失」リスクが生じる件-ファーストサーバ事件

先週、関西のCGN(コーポレートガバナンス・ネットワーク)勉強会におきまして、ITシステムに精通された某弁護士の方が「ファーストサーバ事件」について発表されました。もう数か月前の事件ではありますが、ご承知のとおり、レンタルサーバーを主たる業務とされているファーストサーバ社が5000件以上の顧客のデータを消失させてしまった、という事件に関するものです。本件については、関西の大手製薬会社さんが、ファースト社のクラウドサーバーを利用されていて被害に遭遇し、HP上のデータが一部消失してしまったことは存じ上げておりました。しかし、今年7月末に本事件に関する第三者委員会報告書(要約版)が公表されましたことから、その報告書に基づく今回の解説をお聴きして、このたび事件の概要を知った次第です。私的には「企業のリスク管理と内部統制」という視点から、とても新鮮なものでした。

利用契約上では、(消費者契約法上の問題は別として)ファーストサーバ社の管理運用上の過失については免責条項があり、事業者側が損害を被ったとしてもファーストサーバ社に故意または重過失が認められなければ損害賠償義務を負担しない、ということです。サーバー管理会社の場合、ほぼすべての会社がこの免責条項を入れている、とのことだそうですが、今回の事件でも、第三者委員会は(特定した原因事実をもとにしても)ファーストサーバ社の過失は軽過失である、ただし軽過失であったとしても、比較的重い程度の軽過失だと認定しておられます(「比較的に重い軽過失」と「重過失」とはどう違うのか?というツッコミは、法律専門家的なお話になってしまうので割愛)。

発表者の方は「この第三者委員会が認定した事実を前提にしてもなお、重過失になるのではないか」とのご意見でありましたし、本件については「ファースト社の管理・運用上のミスは重過失になるのかどうか」というところがネット上でも話題になっているようです。「重過失」なるものが、故意立証の代替的機能を重視して「故意に近いような、誰でも容易に重大な結果を予見しうるほどの注意義務違反」を重過失と捉えるだけでなく、そもそも高度の注意義務を要求される人のうっかりミスも重過失だと捉えるのであれば、重過失にあたるのかもしれません。このあたりは実際に裁判になってみないとわかりませんが、ともかく「重過失」と認定されてしまうリスクは生じていたのであり、だからこそ、会社側は免責条項にも関わらず、利用者の方々に利用料の範囲においては返金手続きをとったものと思われます。

ただ私は、「会社のミスが重過失にあたるかどうか」という純粋な法解釈上の関心とともに、実際に更新プログラムの作業ミスを発生させてしまった社員の方が「社内のルール違反を承知で作業を行っていたこと」「当該社員が長年ルールを無視して作業をしていることを上司が黙認していたこと」が第三者委員会の調査で明らかにされており、これが「軽過失といえども、その程度において重大なもの」との結論に影響を及ぼしている点にも関心があります。結果からみれば、今回のミスはファーストサーバ社の経営に極めて大きな影響を与えたことになり、重大なリスクが顕在化したことになります。そもそも会社が「重過失」リスクに見舞われないために、(業務の性質上、トラブルを完全に防止することは不可能でありますから)重大なリスクの発生しそうなところには社内ルールを策定して内部統制システムをきちんと整備していたものと思われます。しかし、社員自身がシステム(社内ルール)を無効化させてしまったわけですから、「重過失」リスクが顕在化することも当然のことかと思われます。

今年10月に日本内部統制研究学会で自社の7,8年にわたる内部統制構築の取り組みとその効果(検証結果)を発表されたSさんの話では、内部統制が現場に浸透するようになると、現場に合わないシステムについては現場から疑問の声があがり、現場自身がシステムを提言して、上司と一緒に効果的かつ効率的なシステムの改正がされるようになる、とのことでした。つまり、内部統制が浸透したことの証として「現場から声があがること」だとおっしゃっていたことが印象的でした。こういったことが現場で許容される「例外的取扱」と許容されない取扱も区別されるのでしょう。

上記のファーストサーバ社の一件も、プログラムに精通された熟練の技術者にとっては、社内ルールに則って運用することなど「かったるい」ことだったのかもしれません。また、彼のスキルを信用していたからこそ、上司が例外的取扱いを許容していたのかもしれません。しかし、第三者委員会の報告書を読むと、そういった例外的取り扱いが社内で協議されたような形跡もなく、社内ルールは例外を許さず、事実上彼の手法が現場で黙認されていたにすぎないように思われます。会社法が改正されますと、会社法上の内部統制の運用状況の概要についても事業報告の記載事項となりますが、いったん整備されたシステムが正しく運用されていないことに関する会社のリーガルリスクは高まることが考えられます。今回の事件が裁判沙汰にならなければ今後は特に問題にはならないかもしれません。しかし、第三者委員会報告書でも、「比較的程度の重い軽過失」と評価されるに至った原因として、この社内ルール違反という事実が(調査委員の方々にとって)重く受け止められているように思われます。

数年前に、内部統制の構築が世間で話題となり、リスク管理のために社内ルールがいろいろと整備されてきた会社も多いとは思うのですが、個々の企業のリスク評価の結果と比較しながら、リスク低減に向けたシステムの運用が正しく行われているのかどうか、検証しておく必要があります。裁判上でも、内部統制の運用上の不備が会社側に不利な判決に影響しているものと思われるものが出てきています。このファーストサーバ事件を通じて、内部統制の不適切な運用によってリーガルリスクが顕在化するおそろしさを改めて認識いたしました。

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2012年11月12日 (月)

「社外取締役制度」に関する最近の議論と若干の私見(その2)

先週金曜日のエントリーの続きであります。最新号の旬刊商事法務(2012年11月5日号)に、気鋭の弁護士の方々による「『社外取締役を置くことが相当でない理由』の説明内容と運用のあり方」と題する論稿が発表されましたので、たいへん興味深く拝読させていただきました。これまでも上場会社の開示書類において、「社外取締役を置かない理由」の開示は求められていたわけですが、ご承知のとおり会社法改正要綱のなかでは、「社外取締役を置くことが相当でない理由」を(事業報告において)示さなければならない、と明記されました。上記論稿でも明らかにされているとおり、今回の会社法改正要綱を読むかぎりでは、上場会社レベルの株式会社には、社外取締役を置くことが企業価値向上のためには一般的には望ましいとの判断があり、それでもなお個々の会社の事情により、社外取締役を置かない場合には、「当社では社外取締役を置くことが企業価値を下げてしまうのだ」といった理由を積極的に開示しなければならない、ということになりそうです(文言解釈としても妥当ですし、また会社法制部会での議論の経過をみても、そう解釈せざるをえないように思われます。そういった意味で、私は「社外取締役としてふさわしい人がみつからない」という理由は「社外取締役を置かない理由」にはなっても「社外取締役を置くことが相当でない理由」にはあたらない、と考えています)。

では、①いったいどのような理由を示せば「置くことが相当ではない」理由となりえるのか、②当該会社の規模や業種などによって理由を示しやすいところとそうでないところがあるのではないか(では、どのような業界であれば置くことが相当でない理由が示しやすいか)、③英国流のComply or Explainの実証研究を通じて、日本の「置くことが相当でない理由」の開示制度はどのように運用すべきか、といったあたりの課題が上記論稿で示されています。未だきちんと議論されたことがない点なので、上記論稿が今後の議論にも影響を及ぼすものになるかと思われます。ただ、現状として東証に上場している会社の半数が社外取締役を置かない企業なので、今後は「置くことが相当でない理由」に関する「ひな型」は作られるものと予想しております。

いったいどのような理由が「置くことが相当でない理由」になるのかは私もいろいろと考えるところですが、これを開示する上場会社にとって検討しておかなければならないことは、定時株主総会を前提とした少数株主権の行使として、社外取締役の選任議案が出された場合ではないか、と考えています。具体的に社外取締役候補者を目の前にして、会社側はどう対応するのか…という点にとても関心があります。少数株主としては、様々な理由を示して社外取締役候補者を特定して選任議案を出すわけです。会社側としては、事業報告に記載する「置くことが相当ではない理由」と、個別議案に対する反対意見とを矛盾なく説明する必要が出てきます。説明いかんでは、現経営陣が単純に「保身目的で置きたくない」と一般株主に受け止められてしまうことにならないか、このあたりは慎重な配慮が必要になってくるのではないでしょうか。

また、社外取締役を置くことが相当でない、という会社の経営判断(取締役会における専決事項)は取締役全員による審議の末の結論です。取締役会での審議を要することになりますので、出席している監査役も意見を述べることができる立場にあります。会社法が「企業価値向上のために社外取締役を置くことが望ましい」との価値判断があるのであれば、なぜ社外取締役を置かないのか、とりわけ一般株主にとっては関心が高い経営判断です。そうしますと、取締役会でどのような判断がなされたのか、独立役員たる社外監査役は一般株主の代弁者としてふるまう必要があります。つまり、株主総会において取締役の選任議案が上程され、審議されるケースでは、独立役員たる地位にある社外監査役さんに株主への説明が求められることになるはずです。こういったことこそ、独立役員に求められる役割であり、一般株主の立場からみても、社外取締役を置かないほうが好ましいのだ、という説明をしなければならないと思います。現実には議長である代表取締役が回答することになるかもしれませんが、一般株主利益に配慮しなければならない独立役員個人の見解を聞きたい、と考える株主からすれば、質問が独立役員に向けられてしかるべきではないかと思います。

さらに、いったん「社外取締役を置くことが相当でない」とする理由を開示した後に、翌年以降、諸事情によって社外取締役を置かざるを得ない状況になることも考えられます。グループ企業経営のなかで、子会社管理の一環として自ら子会社に社外取締役を派遣するケースも考えられます。自分の会社の事業では社外取締役を置くことが相当でないのに、どうして子会社事業の場合には相当なのか、昨年は相当ではないといっていたのに、どうして今年は相当だと判断したのか、そのあたりを矛盾なく説明しなければ、やはり「恣意的な判断である」と株主からツッコミを入れられるのではないでしょうか。会社側としては、企業価値向上という視点から説明することになると思いますが、上記論稿も結論として述べているとおり、説明が困難な企業は事実上社外取締役を置くことが強制されることになるのではないかと思われます(ただ、それでも開示規制ということですから、市場からどのように判断されても、毎年不透明な説明を繰り返して社外取締役を置かない企業もあると思いますが)。

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ちなみに、社外監査役ではなく、社外取締役たる独立役員を選任するよう要望する旨の上場ルールは今年5月に制度化されておりますが、今回の会社法要綱においては、上場ルール等によって各上場会社に社外取締役を選任するよう努力義務を課すことが要望されています。こういった流れの一環なのかどうかはわかりませんが、東京証券取引所編著「ハンドブック独立役員の実務」(商事法務 神田秀樹監修 税別1800円)が発刊されました。独立役員に指名された社外役員としてのベストプラクティスが示された本です。読む前は「いままでの東証の意見をまとめたものにすぎないのでは?」と思っておりましたが、さすが東京の大手法律事務所がアドバイザーとして関与されているだけあって、なかなか秀逸な本です。独立役員に求められる役割というものが、これまで以上に(総論各論に分けて)詳細に解説されています。とくにコーポレートファイナンス、ガバナンス問題、コンプライアンス問題に対する視点がとてもよくまとまっているなぁとの印象です。もちろん社外取締役に期待される役割と、東証ルールにおける独立役員の役割が一致する、ということまでは言えないかもしれませんが、一般株主の利益に貢献する独立役員たる社外役員の方々にはお勧めの一冊です。

「私見を述べる」といいながら、またまた今回も脱線してしまい、まだ書けていません。(その3)では絶対に書きたいと思います。

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2012年11月 9日 (金)

「社外取締役制度」に関する最近の議論と若干の私見(その1)

ご承知のとおり、今年9月に法制審議会にて了承された「会社法制の見直しに関する要綱」(会社法改正要綱)では、上場会社の取締役の一人以上が社外取締役でなければならない、との改正案は見送られることになりました。関係者の利害調整を目的とする会社法に、社外取締役制度の義務化がどのように位置づけられるのか、という「そもそも論」もありますが、特別取締役制度に関する現行会社法の規定からしますと(会社法373条1項)、少なくとも会社法が「社外取締役には経営者および側近の暴走を食い止めるという役割がある」と考えていることは明らかであります(江頭「株式会社法」第4版395頁)。しかし、結局のところ会社法で制度化(強制導入)されなかったことからすれば、個々の会社が社外取締役を選任することは自由であり、また選任するとしても、社外取締役に何を期待するかは個々の企業の立場で判断してよいのではないかと思われます。

以前と比べますと会社法改正要綱が決定されたことで、議論が沈静化したようにも思えるのですが、現状では社外取締役制度を採用する企業が増えているそうです(今年の6月総会を境にして、社外取締役が取締役総数の過半数を超えている東証1部上場企業が29社→39社に増加 日経産業新聞10月17日付けより)。いま、ちょうど6月総会に向けて取締役の人選をされている会社が多いと思いますが、来年に向けてますます社外取締役に選任される方は増加することは間違いないでしょう。

さて、「人選の時期だから」ということでもないかもしれませんが、ここのところ社外取締役の有用性に関する記事を目にすることが多くなりました。たとえば今年、法律雑誌の座談会でご一緒させていただいたオリンパス社の社外監査役である名取弁護士の「社外取締役は不正を暴くことではない(日経ビジネスオンライン)」などは、とても読み応えのあるもので、コーポレートガバナンスがどのような目的のために議論されるべきか、ということにまで踏み込んでおられ、とても参考になります。なお、論稿の最後に、社外取締役制度を導入しない会社がどのように「当社としては、社外取締役を選任しないほうが相当だ」とする理由を開示するのか、とても関心があるとされています。これは私も非常に関心を持つところです。

つぎに日本取締役協会の原氏(大和証券グループ本社名誉顧問)のインタビュー記事「シリーズ日本取締役協会」(サンケイビズ)では、原氏が今回の会社法改正の中で社外取締役の義務付けが見送られたことを「意外であり、非常に残念。日本的ガバナンスの改正がこれほどかと思うと情けない」とされています。証券取引所や証券会社の立場からすると、取引の活性化を促すためにも海外投資家の視線に配慮し、ガバナンス改革を推進すべし、ということになりますから、このような意見が強く発信されることになると思います。キッコーマン社の茂木会長のインタビュー(日経新聞)においても、厳しい競争に勝つにはCEOによる強力なリーダーシップが必要だが、社外取締役はCEOや取締役会が十分に機能しているかどうかをチェックするうえでも不可欠な存在だと述べておられ、リーダーシップと社外取締役制度は両立するものであることを語っておられるところに強い印象を受けました。

さらにJPプレス「日本の企業統治:振り出しに逆戻り」は、元オリンパス社長ウッドフォード氏やBDTI(会社役員育成機構)のベネシュ氏のインタビューなどから、あまりにも日本の企業がガバナンス改革に消極的であり、その消極的な態度から、市場における不信感を増幅させている現状を憂いています。社外取締役制度の義務化が見送られたことは落胆の一言に尽きる、とのこと。ちなみにウッドフォード氏が会長を告発する取締役会に出席し、動議への賛同を求めた際の社外取締役の方々の印象を「まるで教室にいる生徒のようにふるまった」と表現しています。おそらく近々出版される英語版「回想録」の表現ではないかと思います。ちなみにアメリカでも、いまガバナンスに変革の流れが起きているようで、アメリカの上場会社では「モノ言う幹部」が増加し「仲良しクラブ」からの脱却が目立っているそうです。会長と取締役会がCEOの経営を監視する、という新たなスタイルが増えているとのこと(朝日新聞ニュースはこちら

東京電力をどのように再生していくべきか、ということについて、社外取締役の方々がインタビューに熱く答えておられるところをみますと、やはり過半数が社外取締役というのは一人、二人の場合と比較すると大きく違うなぁとの印象を持ちます。ゼロと一人との違いも大きいわけですが、やはり一人と過半数の違いも、そもそも社外取締役に期待される役割が変わるほどの差になっているように感じます。タイトルに「若干の私見」と偉そうに書いたわりには、ここまで自説めいたものは何も書いておりませんが(スミマセン・・・)、義務化が見送られたこと、また上記のような最近の議論などを踏まえて、(その2)においては若干の私見を述べたいと思います。

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2012年11月 7日 (水)

続・医薬品登録販売者の虚偽証明は西友だけなのだろうか?

一昨日のエントリーには、コメントやメールを多数いただきまして、厚くお礼申しあげます。私自身たいへん勉強になりました。同時に、少し思い違いをしていたところもあったようです。この問題はマスコミ各紙で報じられているとおり、西友さんが本日(6日)不正受験の事実を認め、謝罪会見を開き、今後は調査委員会を設置して調査結果を待つ、ということであります。

登録販売者という資格を設けることについては規制緩和の流れの中で頷けるところではありますが、ではなぜ実務経験1年以上、月80時間という受験資格が生まれたのか?というあたりは、私の推測ではありますが、既存業界からのプレッシャーがあったのかもしれません。なにせコンビニやスーパーで売れ筋の医薬品が販売できる、ということになりますと、調剤薬局さんやドラッグストアさんの売上に大きく響くことは明らかなわけです。マツキヨさんなどと提携をして医薬品販売に積極的だったローソンさんですら(日経新聞ニュースによりますと)いまだ90名程度しか登録されていない、とのこと。このような記事内容からしますと、いかに実務経験証明をとることがむずかしいか、ということがわかります。

そのような中で西友さんが200名を超える医薬品登録販売者を誕生させた、ということですから、(私は「内部告発では?」と一昨日書きましたが)「どうも西友さんは怪しいのでは」といった別会社からの情報提供があった可能性も出てきます。モニカのパパさんがご指摘のとおり、配置販売業の場合にはそれほど問題視されていない現状と比較しますと、この業界における激しい競争の様子が窺われます。そのあたりは行政当局への情報提供なので、今後も調査報告書には出てこないと思いますが。

しかし、なぜ西友さんの販売管理責任者の方々は、このような明白なコンプライアンス問題を起こしてしまったのか、(組織ぐるみ、というのを否定されるのであれば)やはり「他のところも普通にやっている」との認識が現場担当者に存在したことは否めないと思います。6日の日経新聞ニュースのとおり、まじめに医薬品登録販売者の資格取得者を増やそうとすると、ローソンさんのように約3年で90名程度が現実なのです。これではビジネスチャンスから乗り遅れてしまう・・・ということで無理をしてしまった企業もおそらく他にも存在したのかもしれません(あくまでも私の推測です)。ちなみに6日深夜の朝日新聞ニュースでは、ドンキさんなどの多くの販売登録員を擁する企業にも取材したところ「それは絶対にない」と否定されたそうです(当然といえば当然ですが)。約280名もの受験者が虚偽の実務経験証明書を持参していた、ということで、西友さんが「組織ぐるみではなかった」と説明すればするほど、不正を起こす動機がナゾに包まれてきます。

さて問題は、今後、厚労省が本件を契機に虚偽証明の本格的な調査に乗り出すかどうか、という点であります。私の推測が正しい(つまり西友さんは組織ぐるみではないが、販売現場の人たちが「他社もやっている」と認識したからこそ、悪気なく虚偽証明をやってしまった、という推測)のであれば、今後の厚労省の本格的調査によって別の企業でも虚偽証明が発覚してくる可能性も否定できません。毎度申し上げます通り、企業の自浄能力が発揮されるかどうかは、ここが瀬戸際かと思われます。自社で厳格な社内調査を徹底して、自ら虚偽証明を見つけ出した場合には、速やかに公表すべきではないか、と思われます。行政による調査の上で虚偽証明の事実が見つかった、ということになりますと、もはや「組織ぐるみ」「経営陣の関与」が疑われても不思議ではない、という状況に陥り、長い間信用が低下してしまう結果となってしまいます。

このように医薬品販売登録員の受験資格問題が大きく取り上げられるようになり、どこの医薬品小売店においても内部告発等をおそれる事態になってきたのではないでしょうか。もちろん、ほとんどの企業ではまじめに実務経験証明書を出しておられることは承知しておりますが、今回の西友さんのように「本部は知らなかった」という(少し不思議な)事案も出てくるのではないかと。

(お詫び)

昨日、大学設置不認可に関するエントリーを掲載し、またたくさんの方にエントリーの誤りをご指摘いただきました。皆様方のご指摘により、私自身が行政事件訴訟法の「申請型義務付け訴訟」の適用範囲について、給付請求権に対する不許可事案のみだと誤解をしていたことが、よく理解できました。大学設置認可についても、2号義務つけ訴訟が提起でき、かつ取消訴訟と同時併合される、ということなので、ミスリーディングを防止するためにも、とりあえず記事をいったん非公開にさせていただき、補正したいと思います。コメントをいただいた皆様、本当に勉強になりました。ありがとうございます!

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2012年11月 5日 (月)

医薬品登録販売者の虚偽証明は西友だけなのだろうか?

行政規制の手法が事前規制から事後規制へと重心が移行することにより、どのような影響が国民生活に及ぶのか・・・ということを考えさせられる事件が続きました。ひとつは田中文科相による大学設置不認可問題であり、もうひとつは大手スーパー西友さんにおける医薬品登録販売者の資格取得のための虚偽証明書発行問題です(たとえば中国新聞ニュースはこちら)。事前規制の緩和により、医薬品登録販売者なる資格が誕生したことに起因する不祥事です。大学設置不認可問題は、まさに事前規制(審議会手続きにおける準則主義への移行)と事後規制(第三者認証制度の活用)とのバランスをいかに認可判断のうえで考慮すべきか、という問題でありますが、本日は西友さんの問題を取り上げたいと思います。

一般用医薬品指定の95%を占める大衆医薬品販売につきましては、2006年の薬事法改正により、薬剤師さんがいなくても登録販売員の方が常時店舗販売に従事していることで可能となりました(規制緩和)。そこで大手スーパーなどでも店舗展開戦略がさかんになりましたが、その登録販売者の受験資格として、薬剤師の下での1年間の販売実務経験等が求められています。西友さんでは、この実務経験の証明書を、所定の実務経験のない社員に対しても、実務経験があったものとして内容虚偽の証明書を発行していた、とのことです。すでに200名以上の社員の受験において虚偽証明書が発行されているそうで、現在も社内で調査中とのこと。

新聞報道によりますと、今年8月に匿名情報が厚労省に寄せられ、これを契機に行政の調査が開始されたそうです。こういった不正は情報提供(おそらく内部告発)によって明るみになってしまうわけですから、やはり不正はなかなか隠し通すことがむずかしい時代になったと思います。西友さんによると「各店舗の販売責任者の認識にズレがあった」と述べておられますが、全国の各店舗で同様の虚偽証明書が使われているので、一人や二人の販売責任者の認識問題では済まないものと推測されます。

これほどまでに全国規模で不正な証明書が作られていたわけですから、たとえ組織トップが認識していなかったとしても、多くの現場管理責任者が不正な行為だと認識していたはずであります。しかし、現場において「バレたら新聞ネタになるから、みんな黙っとけよ」といった意識があったのでしょうか。西友さんの疑惑の受験者自体が200名を超えるほどなので(つまり受験者自身も疑惑を知っているはずなので、不正が発覚する可能性は高いわけですから)、そもそもバレたらたいへん、という意識がなかったのではないかと。むしろ現場の管理責任者からしますと、それほど悪気があって行っていたものとは、どうも思えません。むしろ、法令違反とは承知していても、なにか自分の行動を正当化してしまう事実が存在していたのではないでしょうか。「こんなもん、自己申告なんだから」といった軽い気持ちもあったと思いますが、一番リアルに考えられる正当化理由は、「ほかのスーパーやディスカウントショップでも同じようなことをやっているではないか。これくらいやらないと、店舗拡大戦略のうえで他の大手小売りに負けてしまうし、第一、商品を販売できる者が少なくなり、顧客の皆様にご迷惑をかけてしまうではないか」といったところではないかと思います。

西友さんが、経営トップからして故意的に不正証明を推奨していたとすれば問題外でありますが、このコンプライアンス経営のご時世、おそらくそんなことはありえないと思いますので、やはり現場管理責任者の「ほかの企業だって、普通にやっていたではないか」という正当化理由が大きいのではないかと推測いたします。ただ、この正当化理由が本当だとしても、社内調査の結果を公表する段階で正直に公表できるかどうかは未知数です。具体的にどこの大手小売業者がやっていた、と特定の企業名を公表することは差し控えたいでしょうし、そんなことを公表すると自社の社会的評価をかえって低下させてしまう可能性があります。ということは、社内の誰かが営業戦略を実行することに熱心なあまり、ついつい悪いことだと承知しつつ、不正を犯してしまった、と調査結果で述べることになりそうです。当ブログでも何度か「他社をかばうコンプライアンス」というテーマで取り上げたことがありますが、こういったところにも真実をきちんと公表できない企業の悩みが伺えるところです。

ただ、BtoCの典型である西友さんにとって、「消費者の生命、身体の安全を軽視する企業姿勢」は大きな問題だと世間から受け止められるわけでして、どこまで自浄能力を発揮して社内調査を誠実に行うのか、これからの課題になりそうです。おそらく、こういった不祥事が表沙汰になっても、社内では「有事の感覚」の方と「まだまだ平時の感覚」の方に意識が分かれているのではないかと想像いたします。

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2012年11月 2日 (金)

「不正対応監査基準」案への批判・異論と「会計倫理」

以前「不正対応監査基準を法律的に考える」ということで、シリーズでエントリーをさせていただき、皆様方より貴重なご意見をいただきました。オリンパス事件や大王製紙事件における会計監査の実効性への疑問が、このような会計監査の基準策定の契機となったことは間違いないところかと思います。ただ昨日(10月31日)、間仕切りメーカーであるコマニー社(名証)からリリースされました「第三者調査委員会の調査結果に関するお知らせ」などを読みますと、海外関連会社の「子会社認定」の判断につき、大手監査法人の監査を評して「監査法人自体は信頼のおけるところではあるが、現場の監査には大きな疑問が残る」と(普通に)記されております。コマニー社の件は正確には「不正」とは言えないかもしれませんが、弁護士委員よりも会計士委員の数が多い第三者委員会の報告書ですら、個別の事案を通じて大手監査法人の監査に「大いに問題あり」として不信感が投げかけられるところをみますと、もはや不正対応監査というものに焦点を当てた基準の必要性は否めないところではないかと。

先日、日本公認会計士協会からも「不正対応監査基準の考え方」に対する意見書が提出されておりますが、私の周囲の会計士の先生方も、概ね会計士協会から出された意見書の内容に近いご意見をお持ちのようです。監査実務に精通されていらっしゃる先生の意見を集約したものが会計士協会提出の意見書だと認識してよいのかもしれません。ただ、私のように専門外の素人的発想からしますと、不正対応監査基準の内容は、とても違和感なく理解できるところでして、たとえ実務へのインパクトが強いとしても、やむをえないのではないだろうかと感じるところです(なお、会計士の方々の中には「実務にはそれほど影響がないのでは」と考えておられる方もいらっしゃいます)。

以前に、当ブログでもご紹介しましたが、「会計倫理の基礎と実践」(2012年 藤沼亜紀監訳 同文館出版)に感銘を受けて、たいへん分厚い本ですが一気に読ませていただきました。今回の「不正対応監査基準」の中身につきましては、この「基礎と実践」の中で紹介されている会計倫理の実践そのものではないかと思うわけです。会計士さんの職業倫理というものは、精神論ではなく実践的な理論です。とくに会計倫理の実践のためには、個人的努力と集団的努力が必要なのであり(同書333頁)、たとえば個人的努力といえば、以前当ブログで紹介したように、具体的な事件を想起させるようなルールを導入して規範性を高めたり、「不正の端緒を示す状況」や「不正の端緒」というメルクマールをもって行為規範を明確にすることで実践的活動に生かすことになります。

また集団的努力といえば、職業倫理の共感力です。現場の会計士の方々が「おかしい」と気づいた場合、「気づくこと」はトレーニングで訓練できるかもしれません。しかしこれを「口に出す」ことは勇気であり、職業倫理の問題です。ときどき「守秘義務」を口に出せない理由にされる方がいらっしゃいます。だからこそ、守秘義務を一定の場合に解除したのが金商法193条の3ですが、残念ながら守秘義務が解除されても「口に出す」方はいらっしゃいません。つまり職業倫理の実践を会計士個人の努力や勇気にゆだねても、あまり期待できないのが現実です。

そもそも、現場の監査人の方々からすれば、「不正があるのでは、と口に出すこと」にどれほどの得があるのでしょうか。もちろん、海外のようにリニエンシーが制度化されていたり、内部告発に多額の報奨金が支払われるというのであればインセンティブが機能するかもしれません。また、「勇気ある会計士大賞」のような制度があり、口に出すことの栄誉が称えられる社会が形成されていれば、これもインセンティブになるかもしれません。しかし日本の現実でいえば、監査法人は(現場の会計士が「おかしい」と口に出すことで)監査契約を解消されるリスクがあり、またそもそも監査法人の上司からは「そんなことは重要性の判断も含めて後回しでいい、それより定例の監査を先にやれ」と言われ、不幸にも会計不正が発覚した場合には誰も助けてくれず、(こんな会社の担当になったことで運が悪かった)とあきらめて、現場担当者だけが処分の対象となって退職を余儀なくされる、というところでは、何も得にもなりません。

こういった現場の会計監査人の考えは、現状では責められないものです。みなさん奥様もお子様もいて、(投資家に被害が及ぶような)不正に目をつぶっても、ご自身の生活を守ることが「夫」としての正義です。つまり会計倫理を実践するための個人的努力には限界があります。だからこそ、上記「基礎と実践」にあるように、集団的努力の必要性があり、「おかしい」と共感できる環境が必要なのです。職業的懐疑心を奮い立たせることができるような職場環境を形成する必要があります。組織内での共感であれば「監査法人の品質管理」の問題であり、組織外での共感であれば「監査人間の連携」の問題になります。監査人間の連携に極めて近いものとしては、上記「基礎の実践」のなかでも、不正が疑われる場面において、別法人の監査人や別法人のCFOから事情を聴取することの是非に関する事例が設定されており、倫理上は監査人等と協議することが適正な判断だとされています(同書229頁 シナリオ10)。むしろ、第三者委員会における委員の活動と同じように、会計監査には限られた時間内に、証憑を調査のうえ、心証を形成して意見を述べるという難しい職責があります。すべてのステークホルダーに褒められる仕事ではないことは、第三者委員会の委員と同じであり、さまざまの要請を、どのようにバランスを保ちながら職務を遂行すべきかを考えることが職業倫理の課題です。不正会計防止の職責と、クライアントの秘密を守るべき職責と、迅速かつ効率的な会計監査を遂行する(費用対効果を考える)職責を、どのようにバランスをとれば公認会計士の社会的信用を維持・向上できるのか、ひいては(最終的な成果である)投資家の期待に応えることができるのか、ということではないでしょうか。

会計士協会の意見には、そもそも海外の監査基準と矛盾するものだから、海外子会社の不正監査には適用できないとされていますが、それこそルールベースの考え方に傾斜しています。会計倫理は日本固有のものではなく、海外でも妥当するはずです。現に、上記「基礎の実践」は米国で最も読まれている会計倫理の本です。ルールベースでどのように書かれていたとしても、会計倫理の関する考え方は、それよりも上位概念になるはずです。だとすれば原則主義的に考えれば矛盾するところはないと思います。最終的に「投資家の保護、健全な証券市場の確保」に監査制度が寄与するものである以上、そこで語られる専門家の倫理には大きな差はないはずです。

このようなことから、私は「不正対応監査基準」の狙いについては「職業的懐疑心」を会計士の方々に発揮しやすい環境を作るという意味では、なんらおかしいところはないものと思うのであり、むしろ「おかしい」と口に出さねばならないときに、勇気をもって口に出せる状況を作るためのひとつの提案だと考えるところです。すでに「法律的に考える」シリーズのときに申し上げたとおり、この監査基準はむしろ法律的に会計士さんの勇気ある有事対応を守ることにも活用できるわけでして、決して「会計監査が委縮するもの」ではないことをご理解いただきたいと思います。私自身、本当に「かっこいい会計士さん」を待望しています。こういった職業倫理の実践は、コンプライアンス経営の実践活動として、すでに多くの企業で採り入れられているところでありますので、私にとりましては、何らの違和感もないところです。

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2012年11月 1日 (木)

鬼よりコワい新規上場直前の「投書」爆弾

(11月1日 正午 追記あります)

先日、当ブログのエントリー「社長の一言が企業価値を毀損してしまう可能性」でも取り上げましたZOZOTOWN運営会社であるスタートトゥデイ社が、なんと商品配送手数料を無料にすることを決めた、と報じられています。日経新聞の同社社長インタビューでも「心を入れ替えて生まれ変わる」とのお言葉。たいへんビックリいたしました。社長さんが「生まれ変わる」気持ちになれば、会社も生まれ変われるのでしょうか?11月1日の同社の株価がどうなるのか、とても楽しみであります。←追記:1日正午現在、株価下落ランキング30位だそうです(^^;

さて、社長さんが「リスタート・トゥデイ」ということで、生まれ変わる気持ちになったとしても、かならずしも会社はキレイな状態に生まれ変われるものではないことを、本日某研究会における公認会計士さんのご講話にて改めて認識いたしました。本日、これまで数々のIPO(新規株式公開)に携わってこられた某著名会計士の方のご講話を拝聴する機会がございまして、「上場して経営がうまくいく会社と、そうでない会社はここが違う」という、とても興味深い内容でありました。上場後も、その会計士の方が責任者となって会計監査に従事されることも多かったようですから、かなり公認会計士のお仕事としてはリスキーな面もあるようです。とりわけオーナー社長さんの場合、監査役報酬や内部監査に要する費用というものが、「とてももったいない」と感じているとのお話は、うーーん、たしかにそのように感じられるのも無理ないかな・・・と、素直に受け止めた次第であります(いや、ホントは受け止めてはいけないのですが・・・)

ところで私自身、新規上場準備企業にとって、どれほどのクライシスマネジメントが必要なのか、とても気になりましたのが「上場直前の投書」であります。今日の某会計士さんのお話では、この投書に対する新規上場会社の対応というのは、かなり重大な課題になることが多いようであります。もちろん投書によって過去の不祥事が明るみとなり、上場が困難になる、というリスクはかなり少ないのでありますが、その調査に費用や時間を要し、また上場機運が高まった社内の雰囲気に水を差すことになることは間違いないようであります。さすがに上場企業になるまでは、(新規上場に手が届くほど業績が向上していたがゆえに)いろいろと「脛に傷を持つ」会社も多いようで、こればっかりは新規上場によって「帳消し」にはならないのであります。

上場を妨害する意図で「投書爆弾」を投げ込む方々は、退職役員・従業員、同業他社、在職中の従業員、取引先(下請先、得意先、仕入先)等のようで、投書先は主幹事証券会社、監査法人、証券取引所上場審査部、マスコミ、(大阪であれば)近畿財務局企業財務課あたりが中心だそうであります。実際に「やっかい」と感じるのは、内部事情に精通していなければわからないような個別具体的事情が記載されていることが多いために、かなりの信ぴょう性が感じられ、そのために慎重な対応が要求されるケースが多くなるからだそうであります。「慎重の上にも慎重になる」とか。こういったケースでは、単純に不正事実を調査するだけでなく、事実が確認できた段階で社内処分等を厳格に行い、二度と同様のことが発生しないよう内部統制システムを改めて構築する、といった「自浄作用」が必要となるようです。とりわけ営業ができて単身赴任で駆け回っている幹部職員の「不適切な交際」問題は要注意とのこと。「不適切交際」そのものよりも、そこから派生する金銭問題やセクハラ・パワハラ問題、利益相反問題などが投書の対象になるのかもしれません。

某会計士さんのお話では、上場すれば、やはり「上場企業としての良い雰囲気が形成される」とのことでした。ただ、それも新規上場を「生まれ変わるひとつの良いきっかけ」と前向きにとらえる経営者の方であれば為し得るものかもしれません。しかし、上場後も「俺の会社だけども、上場するためには一時我慢するしかないな」と形作りだけに勤しんでおられる経営者の方であれば、良い企業風土も形成されてこないように思われます(時々、開示書類には記載されていても、実質的な内部監査部門が存在していない、といった噂を聞く上場会社さんもあるようですし・・・・)。

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