「不正対応監査基準」案への批判・異論と「会計倫理」
以前「不正対応監査基準を法律的に考える」ということで、シリーズでエントリーをさせていただき、皆様方より貴重なご意見をいただきました。オリンパス事件や大王製紙事件における会計監査の実効性への疑問が、このような会計監査の基準策定の契機となったことは間違いないところかと思います。ただ昨日(10月31日)、間仕切りメーカーであるコマニー社(名証)からリリースされました「第三者調査委員会の調査結果に関するお知らせ」などを読みますと、海外関連会社の「子会社認定」の判断につき、大手監査法人の監査を評して「監査法人自体は信頼のおけるところではあるが、現場の監査には大きな疑問が残る」と(普通に)記されております。コマニー社の件は正確には「不正」とは言えないかもしれませんが、弁護士委員よりも会計士委員の数が多い第三者委員会の報告書ですら、個別の事案を通じて大手監査法人の監査に「大いに問題あり」として不信感が投げかけられるところをみますと、もはや不正対応監査というものに焦点を当てた基準の必要性は否めないところではないかと。
先日、日本公認会計士協会からも「不正対応監査基準の考え方」に対する意見書が提出されておりますが、私の周囲の会計士の先生方も、概ね会計士協会から出された意見書の内容に近いご意見をお持ちのようです。監査実務に精通されていらっしゃる先生の意見を集約したものが会計士協会提出の意見書だと認識してよいのかもしれません。ただ、私のように専門外の素人的発想からしますと、不正対応監査基準の内容は、とても違和感なく理解できるところでして、たとえ実務へのインパクトが強いとしても、やむをえないのではないだろうかと感じるところです(なお、会計士の方々の中には「実務にはそれほど影響がないのでは」と考えておられる方もいらっしゃいます)。
以前に、当ブログでもご紹介しましたが、「会計倫理の基礎と実践」(2012年 藤沼亜紀監訳 同文館出版)に感銘を受けて、たいへん分厚い本ですが一気に読ませていただきました。今回の「不正対応監査基準」の中身につきましては、この「基礎と実践」の中で紹介されている会計倫理の実践そのものではないかと思うわけです。会計士さんの職業倫理というものは、精神論ではなく実践的な理論です。とくに会計倫理の実践のためには、個人的努力と集団的努力が必要なのであり(同書333頁)、たとえば個人的努力といえば、以前当ブログで紹介したように、具体的な事件を想起させるようなルールを導入して規範性を高めたり、「不正の端緒を示す状況」や「不正の端緒」というメルクマールをもって行為規範を明確にすることで実践的活動に生かすことになります。
また集団的努力といえば、職業倫理の共感力です。現場の会計士の方々が「おかしい」と気づいた場合、「気づくこと」はトレーニングで訓練できるかもしれません。しかしこれを「口に出す」ことは勇気であり、職業倫理の問題です。ときどき「守秘義務」を口に出せない理由にされる方がいらっしゃいます。だからこそ、守秘義務を一定の場合に解除したのが金商法193条の3ですが、残念ながら守秘義務が解除されても「口に出す」方はいらっしゃいません。つまり職業倫理の実践を会計士個人の努力や勇気にゆだねても、あまり期待できないのが現実です。
そもそも、現場の監査人の方々からすれば、「不正があるのでは、と口に出すこと」にどれほどの得があるのでしょうか。もちろん、海外のようにリニエンシーが制度化されていたり、内部告発に多額の報奨金が支払われるというのであればインセンティブが機能するかもしれません。また、「勇気ある会計士大賞」のような制度があり、口に出すことの栄誉が称えられる社会が形成されていれば、これもインセンティブになるかもしれません。しかし日本の現実でいえば、監査法人は(現場の会計士が「おかしい」と口に出すことで)監査契約を解消されるリスクがあり、またそもそも監査法人の上司からは「そんなことは重要性の判断も含めて後回しでいい、それより定例の監査を先にやれ」と言われ、不幸にも会計不正が発覚した場合には誰も助けてくれず、(こんな会社の担当になったことで運が悪かった)とあきらめて、現場担当者だけが処分の対象となって退職を余儀なくされる、というところでは、何も得にもなりません。
こういった現場の会計監査人の考えは、現状では責められないものです。みなさん奥様もお子様もいて、(投資家に被害が及ぶような)不正に目をつぶっても、ご自身の生活を守ることが「夫」としての正義です。つまり会計倫理を実践するための個人的努力には限界があります。だからこそ、上記「基礎と実践」にあるように、集団的努力の必要性があり、「おかしい」と共感できる環境が必要なのです。職業的懐疑心を奮い立たせることができるような職場環境を形成する必要があります。組織内での共感であれば「監査法人の品質管理」の問題であり、組織外での共感であれば「監査人間の連携」の問題になります。監査人間の連携に極めて近いものとしては、上記「基礎の実践」のなかでも、不正が疑われる場面において、別法人の監査人や別法人のCFOから事情を聴取することの是非に関する事例が設定されており、倫理上は監査人等と協議することが適正な判断だとされています(同書229頁 シナリオ10)。むしろ、第三者委員会における委員の活動と同じように、会計監査には限られた時間内に、証憑を調査のうえ、心証を形成して意見を述べるという難しい職責があります。すべてのステークホルダーに褒められる仕事ではないことは、第三者委員会の委員と同じであり、さまざまの要請を、どのようにバランスを保ちながら職務を遂行すべきかを考えることが職業倫理の課題です。不正会計防止の職責と、クライアントの秘密を守るべき職責と、迅速かつ効率的な会計監査を遂行する(費用対効果を考える)職責を、どのようにバランスをとれば公認会計士の社会的信用を維持・向上できるのか、ひいては(最終的な成果である)投資家の期待に応えることができるのか、ということではないでしょうか。
会計士協会の意見には、そもそも海外の監査基準と矛盾するものだから、海外子会社の不正監査には適用できないとされていますが、それこそルールベースの考え方に傾斜しています。会計倫理は日本固有のものではなく、海外でも妥当するはずです。現に、上記「基礎の実践」は米国で最も読まれている会計倫理の本です。ルールベースでどのように書かれていたとしても、会計倫理の関する考え方は、それよりも上位概念になるはずです。だとすれば原則主義的に考えれば矛盾するところはないと思います。最終的に「投資家の保護、健全な証券市場の確保」に監査制度が寄与するものである以上、そこで語られる専門家の倫理には大きな差はないはずです。
このようなことから、私は「不正対応監査基準」の狙いについては「職業的懐疑心」を会計士の方々に発揮しやすい環境を作るという意味では、なんらおかしいところはないものと思うのであり、むしろ「おかしい」と口に出さねばならないときに、勇気をもって口に出せる状況を作るためのひとつの提案だと考えるところです。すでに「法律的に考える」シリーズのときに申し上げたとおり、この監査基準はむしろ法律的に会計士さんの勇気ある有事対応を守ることにも活用できるわけでして、決して「会計監査が委縮するもの」ではないことをご理解いただきたいと思います。私自身、本当に「かっこいい会計士さん」を待望しています。こういった職業倫理の実践は、コンプライアンス経営の実践活動として、すでに多くの企業で採り入れられているところでありますので、私にとりましては、何らの違和感もないところです。
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コメント
違和感あり異論再び。
病院と同じです。相対的によい監査法人はあれども、結局は個々の担当会計士次第。立派な大病院でも医療ミスが発生するように、担当会計士の質は均一ではありません。監査を長く受ける側にいれば皆認識していますが、担当会計士が代われば、監査も変わります。ちゃんとした組織監査していれば大きな結論はめったに変わらずとも、アプローチの仕方、仕事のスピード、経過の進行については千差万別。ビジネスマンとしてのセンス含め、これだけ差があれば、不正など気付かない会計士もいるだろうという実感。
看過しえない医療ミスに近い監査ミスも起きている(多数の事例がありますが、協会処分を見てわかるとおり、少なくない数の「ミス」あることは事実)わけで、スキル不足する監査人は排除するくらいが正しいアプローチ。そこの差異に目をつぶって、制度を変えれば解決すると考えることに大きな違和感。
サラリーマン化著しい会計士ですが、「まともな会計士」は、不正含む決算書にサインするリスクも考えて、不正が疑われれば全力を尽くします。そこでひいてしまう「まともな会計士」は少数派であるところです。
責任の強化・罰則の強化・報酬の上昇・スキル不足する者の撤退が、同時に進行してくれることを願っています。
「投書」爆弾。たいしたものはありません。過年度指摘事項に明示済みで、すでに治癒しているものを除けば、投書者のしろうとなりの勘違いであったり、情報不足からの誤解の方が大半です。監査人として、上場前にじっくりつきあい、改善指導してきた流れで言うと、驚く投書はないのが、「まともな会計士」共通認識です。
投稿: 元会計監査従事者 | 2012年11月 2日 (金) 10時33分
「職業的懐疑心」を会計士の方々に発揮しやすい環境を作る・・・なるほど、この趣旨はわかります。その環境は、かなり広範囲にわたるものではないかと思います。例えば、エクセレントな会社ほど「監査させてやっているんだ」という対応が多く、「不正の疑いがあるから、監査時間が増えた」などと言っても、「それはそっちが勝手に疑ったんだ。監査報酬は、もう年間予算で決まっているんだから、増額なんてとんでもない」と不正の疑念を抱かせた会社自身が言うのだと思います。招集通知などに記載される監査報酬額が連年同じ額の会社については、「監査人への対応が悪い会社なのではないか?」といった目で投資家が見てくれるような環境が醸成されることも含めて、環境づくりなんでしょうね。「不正対応監査基準を作れば事足れり」というものでは絶対にないと思います。そういう広く環境を変える雰囲気がないのに、基準だけ導入しようとするから、公認会計士は反発するのではないでしょうか。
投稿: ひろ | 2012年11月 2日 (金) 11時35分
会計士もバカにされる職業になったものです。
「つまり職業倫理の実践を会計士個人の努力や勇気にゆだねても、あまり期待できないのが現実です。」
果たしてどのような現実を踏まえてのご意見なのか。
また,現場の多くの会計士を評して,「こういった現場の会計監査人の考えは、現状では責められないものです。みなさん奥様もお子様もいて、(投資家に被害が及ぶような)不正に目をつぶっても、ご自身の生活を守ることが「夫」としての正義です。」と指摘されるのでしょうか。
現在の会計士協会の対応が,このようなご指摘につながるのであれば,それは,会計士協会の責任とは思いますが,
また,先生のお知り合いの一部の会計士がそのような考え方をされているのであれば,そのような会計士をもって,会計士全体を評価されるのは,どうなのでしょうか?
残念でなりません。
先にコメントをされている元会計監査従事者さんの「スキル不足する監査人は排除するくらいが正しいアプローチ。そこの差異に目をつぶって、制度を変えれば解決すると考えることに大きな違和感。 サラリーマン化著しい会計士ですが、「まともな会計士」は、不正含む決算書にサインするリスクも考えて、不正が疑われれば全力を尽くします。そこでひいてしまう「まともな会計士」は少数派であるところです。」に同意です。
投稿: 一会計士 | 2012年11月 2日 (金) 13時01分
toshi先生のお話は弁護士と会計士向けのセミナーなどで、何度かお聴きしています。ずいぶん前から「金商法193条の3への対応を間違えると監査人の不正発見義務が明文化されてしまうことになる、自由人としての会計士の立場をぜひまもってください」と力説しておられたのを記憶しています。なので「バカにする」といった感覚でお書きになったのではないことは承知しています。
ただ、ひろさんのおっしゃるように、不正対応監査基準を作って、目的を達成できるかといえば、そうとは限らないと思います。toshi先生も、会計士協会も、目指すべき方向性は同じだとは思いますが、その現状分析や決定された行動がもたらす弊害などの判断には大きな隔たりがあるかと思います。会計士協会も(おそらく私も)、その過程における弊害があまりにも大きいと思うところがあるのです。かっこいい会計士が輩出されることは歓迎ですが、その過程でまじめにやっている会計士が排出されてしまっては社会的な損失です。そのあたりの議論の整理がもう少し必要なのではないかな、と感じました。長々と失礼しました。
投稿: とーりすがりの会計士 | 2012年11月 2日 (金) 14時18分
監査役の機能は何なのでしょうか?
会計監査に求めるものが不正にまで範囲を広げるということは、
監査役が機能していないことを表わしていると思われますが。
公認会計士監査と監査役監査の監査範囲のスミ分けをもっと明確にすべきだと思います。
不正監査は内部監査であり、監査役の使命ではないのでしょうか?
名ばかり監査役が多いと思います。
会計監査は、あくまで会計面に限定すべきと考えます。
投稿: 特命希望 | 2012年11月 5日 (月) 08時26分
特命希望さま、
会計監査を会計面に限定すべきというのには反対いたしません。
しかし、企業不正、とりわけ経営者不正は重要性で切捨てられない金額にのぼり、その歪みは何らかの形で財務諸表に兆候が現れます。
それを会計監査人が、「不正対応は我々の仕事の範疇でない」といって無視するのであれば、それは監査制度の自殺行為ではないでしょうか?
せめて、「不正の兆候あり」と世の中に警鐘を鳴らすことが求められてはいないでしょうか?
最近、toshi先生の推薦図書を読んだり、先生の職業倫理に関するセミナーに参加したところ、toshi先生が問題になさっているのは不正発見のためにとるべき行動ではありません。不正を発見した場合にどのような行動をとることが社会的に要請されているかという問題です。
一会計士さんは、職業倫理の実践に関し「果たしてどのような現実を」とおっしゃいますが、端的な例はオリンパスや大王製紙です。
オリンパスでは、監査法人は193条の3の通報を仄めかしつつも(つまり不正またはその兆候を認識している)、結局その権能を行使しませんでした。そして適正意見を書き続け、見切りをつけた時も事実を世の中には明らかにせず「そっと交替」し、不正の発見を遅らせました。
当該事件では、監査人は193条の権能等を適切に行使することが職業倫理上期待されていたのではないでしょうか?結果的に行使されなかったということは、職業倫理の実践が困難な環境があると考えることはできないでしょうか?
投稿: せしりあ | 2012年11月 7日 (水) 02時05分
皆様、コメントどうもありがとうございます。いえいえ、ご異論やご批判はどんどん書き込んでください。あえて多様な意見があることを、読者の皆様にもお伝えしたいのです。また、明らかな誤りがあるときは、逐次訂正させていただきます。
今朝の朝日新聞でも不正対応監査基準に絡む記事が出ておりましたし、また本日は会計士協会会長自ら、不正対応に関する研修講師をされた、とのこと(もれ聞いたところによれば・・・)。私自身、ふだんは会計士さんと仕事をさせていただいておりますので、決してアコギなことを考えているのではなく、あくまでも若い人が会計士にあこがれるようになっていただきたいとの気持ちからであることだけご理解いただければ、と。
投稿: toshi | 2012年11月 8日 (木) 01時30分