« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月30日 (水)

「公正なる会計慣行」と経営判断原則(三洋電機違法配当第一審判決)

昨年9月、大阪地裁で三洋電機の減損会計ルールの適法性が争点となっていた事件の判決が出たことはお伝えしておりましたが、金融・商事判例1407号(2013年1月15日号)に判決全文が掲載されておりますので、(非常に長い判決ですが)一読いたしました。ちなみに昨年10月2日のエントリーはこちら ですので、ご参考まで。本件は、三洋電機社の関連会社株式減損ルールによる会計処理等が違法であり、違法配当がなされたとして、株主らが当時の取締役・監査役らの損害賠償を求めた株主代表訴訟事案であります。大阪地裁商事部は、当時の会計処理は金融商品会計基準の解釈として、公正なる会計慣行に基づくものであり、違法性はなく、被告らの責任は認められない、としております(現在は控訴審係属中)。

ご承知の方も多いかとは思いますが、本件では、第三者委員会(過年度決算調査委員会)が会社側、監査人側に厳しい意見を呈し、また金融庁も課徴金処分を下し、担当した会計監査人(監査法人)も行政処分を受けたものであります。課徴金処分とされたものが、裁判では「違法性なし」という結論となり、この点に関する裁判所の見解も示されています。おそらくこの見解は、今後の同種裁判にも参照されるのではないかと(本日は、この点については触れないことにします)。

本件は未だ裁判中でありますので、この大阪地裁の判決だけでの印象ではありますが、なにをもって「公正なる会計慣行」といえるのか、その判断基準は長銀、日債銀最高裁判決の考え方と、基本的にはそれほど変わるところはないものと思われます。ただ、会計処理基準の選択や選択した基準の解釈にあたっては、(一義的に判断することが困難であることから)経営者の裁量によるところが大きいものとして、いわば経営判断原則に近い考え方が採用されていることがわかります。このあたりは、昨年10月のエントリーでも予想していたところでありました。この裁判では、単純に会計処理基準の選択だけでなく、その基準の解釈も含めて「会計慣行に反するかどうか」が判断されているところは(私個人としては悩んでおりましたので)スッキリいたしました。

たとえば関係会社の株式減損に関する「回復可能性」の判断、貸倒引当金の計上に関する「取り立て不能のおそれ」の判断にあたっては、一義的な判断基準が見当たらない以上、経営者の見積り(将来予測)が決め手となるわけですが、合理的な判断によって見積りがなされた結果としての「回復可能性あり」「取り立て不能のおそれなし」とする判断であれば、これは経営者の判断を尊重しようというのが裁判所の考え方です。判決文は、この経営者の判断が合理的なものかどうか、詳細に検討した上で、極めて慎重に論じているところですが、要は①経営者が関連会社(子会社)の業績について、日頃から関係者に(まじめに)説明責任を果たし、専門家にも真実を伝えていたかどうか、という「誠実性」の点、②会計処理ルールの適用にあたっては、恣意性が疑われないような手続きをきちんと果たしていたかどうかという「公正性」の点が被告勝訴の決め手になっているものと思われます。

さて、この三洋電機損害賠償請求判決と、先日お伝えしたNOVA損害賠償請求事件に関する大阪地裁判決(こちらは民事23部 平成24年6月7日判決 1403号 金融・商事判例)とを比べますと、金融商品会計基準や収益計上基準といった会計ルールの選択・解釈の合法性を、裁判所がどのように取り扱うのか、その判断の過程がなんとなく理解できるような気もいたします。いずれの事件も高裁で審理中のようですので、また今後の控訴審判決の行方に注目しておきたいところです。控訴審判決が出た時点で、また私自身の理解についてもブログで述べてみたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月28日 (月)

グループ企業ヘルプライン(内部通報制度)活用のススメ

企業集団における業務執行の適法性を確保するための体制の一環として、最近はグループ企業ヘルプライン(内部通報制度)を策定している親会社も増えつつあるように思います。子会社で発生している不正を知った社員が、子会社だけでなく、親会社の内部通報窓口に情報を提供できるシステムです。子会社としては、自身の社内で発生した不正事実を自ら調査したい、という気持ちはわかるのですが、親会社が子会社で発生している不正を覚知することは非常に困難ですし、ましてや子会社トップの不正となりますと、親会社への不正報告も期待できないため、かなり実効性は高いものと考えております。

これまでグループ企業ヘルプラインが有効に機能した例というのも、あまり世間に公表されてこなかったのですが、1月24日、医薬品販売大手の富士薬品社の子会社トップが業務上横領の件で(経理課長と共に)逮捕されたことを受け、本件に関する富士薬品のリリースが出ております。当社100%子会社の元社員逮捕のお知らせ(お詫び) (ちなみに毎日新聞ニュースはこちら)いわゆる子会社不正が親会社への内部通報(内部告発?)によって社内調査に至った事例だと思われます。

この富士薬品社のリリースや新聞で報じられているニュース記事を総合しますと、子会社の代表者および経理課長から領収書の偽造を命じられた社員が、この事実を親会社に通報し、社内調査を進めたうえで警察署へ相談、刑事告訴に及んだとのことであります。富士薬品社のリリースからしますと、社内にグループ企業ヘルプラインが設置されていたかどうかまでは不明でありますが、ともかく自社に通報がなされたことで自浄能力を発揮できた事例だといえそうです。また、不正への加担を命じられた子会社社員にとって、親会社への内部通報が唯一の救いだったものと言えますので、(すでに被害額は1億円以上に上るようではありますが)不正拡大を防止するのに、本件通報が役立ったものといえそうです。

ちなみに、こういった事件の社内調査を支援した経験からしますと、1億円以上の被害が生じているにもかかわらず、どうして告訴金額が300万円なのか・・・という疑問も生じるかもしれませんが、横領事件の告訴には有力な証拠が必要となります。警察、検察側からは、「確実に立件できる範囲で被害額を限定してほしい、そうすれば告訴を受理し、強制捜査に踏み切れる」といった要望が出されるからです。決して親会社から出向している子会社代表者ということで、身内に対して甘い処理を行っているわけではありません。また、調査の相手が子会社トップや経理課長、ということですから、調査準備の密行性をどのように確保すべきなのか、とても難しいところがあります。したがいまして、アクセスできる資料にも限界がありますので、300万円程度の被害申告に至ったものと推測されます。

しかし経理課長が預金口座のすべての管理を任されていた、ということですから、経理課長と代表者がグルになってしまえば内部統制は全く機能せず、親会社としては子会社不正を認識することは困難であります。内部統制が無効化された状況において、不正を早期に発見することが可能となるのは、やはり本件のように社員による内部通報が効果的であることを痛感いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月25日 (金)

不正対応監査基準の施行と市場の健全性確保(願望ですが・・・)

最新号の週刊経営財務(3098号)に、新春特別対談「不正対応の監査基準によりわが国監査は変わるか?」が掲載されており、たいへん興味深く拝読させていただきました。今年の新春対談は青山学院大学の八田教授と太陽ASG監査法人のCEO、日本公認会計士協会常務理事でいらっしゃる梶川会計士によるものでして、対談の柱は不正対応監査基準(案)と、公認会計士の将来というところであります。「攻めの会計士業界へ」と扇動する八田先生に、(協会常務理事という立場もあってか)「基本的に賛同」という穏健な立場を堅持する梶川先生というポジションがとても妙味かと。

さすが八田先生、不正対応監査基準の重要な意義として、

「これは単に会計士に対する要求事項ではない。会計士に対する実務指針ではなく、監査基準に格上げされ、公表されるということは『企業経営者に対する抑止力になる』のではないか、ということです」「こうしたものが発せられれば、経営サイドに対して『もう簡単にはごまかせない』といったメッセージになるのではないかと見ています」

とのこと。これに対して梶川先生も、監査基準は当然のこととして監査人に対する遵守事項ではありますが、被監査会社に対しても一定のメッセージになると思います、と回答されています。私もこれは賛同するところです。

先日ご紹介したアメリカの行動経済学者ダン・アリエリー氏の新刊書「ずる-嘘とごまかしの行動経済学」の中に、錠前屋さんが客に対して道徳に関する話(なぜ自宅のドアには鍵が付けられているのか?)をするシーンが出てきます(48頁)。錠前屋さん曰く

「ドアのカギは正直な人を正直なままでいさせることしかできないのです。1%の人はいつも正直で、決して盗みはしない。もう1%の人は、カギがかかっていても盗みに入る。そして残りの人たちは、条件がそろっているときは正直だけれども、しかしある程度の誘惑を感じるとやはり不正直になる。カギは泥棒から家を守るためにあるのではなく、98%のおおかた正直な人たちから家を守るためにあるのですよ」

私は本業として企業関連の不正調査の仕事をしておりますが、このエピソードはぞっとするほど真実を突いているものと感じます。この錠前屋さんの指摘は、まさに八田先生が不正対応監査基準について語っているところとつながるのではないでしょうか。不正対応監査基準は、監査人がこれまでやってきたことを「職業的懐疑心」という高次な規範をもってまとめなおしたものかもしれませんが、これを監査基準として世に公表することで、98%のほとんどのまじめな上場会社が不正に陥る機会を喪失させることが重要なのではないでしょうか。不正を発見する、ということが目的ではなくて、むしろ不正の芽を会社と監査人の協同作業で摘み取っていきましょう、といったあたりがオリンパス事件の教訓であり、またこの監査基準の主たる目的ではないかと。

前から当ブログでも申し上げているとおり、不正直な1%(確信的粉飾事件、反市場勢力、ハコ企業族)対応としては事後規制(SESCや検察庁に頑張っていただく)によらねば市場の健全性を確保することは困難でしょうから、残りの99%の「そこそこ誠実な上場会社」にこそ、この不正対応監査基準が効果を発揮できればよいのでは、と思います。そのことがひいては市場の健全性確保のために良い結果を生むことになるのが個人的な願望でございます。その中で会計士さんたちの自由職業人としての地位が上がれば最高ですね。

ただ、私は不正対応監査基準が「監査基準」として公表される、ということであれば、それは被監査会社へのメッセージになるだけでなく、監査人の真の依頼者である株主や投資家へのメッセージにもなるのではないか、と思います。「なるほど、会計監査人というのは、会社とこうやって対峙して、おかしなところがあれば追及する職業なのだ。職業的懐疑心をきちんと維持して、発揮して、高揚させる必要があるのだ。我々の情報不足については監査人が補ってくれるのだ」という意識が一般の投資家にも芽生えてくるのではないかと。つまり「期待ギャップ」の低減にもつながるように考えられます。

会計士の方々は、「この不正対応監査基準は、いままで要求されていた事項とは何も変わらない」と考えておられますが、その「いままで要求されていたこと」の中身が(真の依頼者である)一般の投資家や株主にとっては、初めて知るところだと思います。我々のために意見を表明する監査人というのは、本来このような仕事をするのだ、ということが広く周知されるということは、やはり会計監査人の責任の重さを再認識させるものとしての意味は大きいのではないでしょうか。中には「いままでやってきたことと同じことが要求されているとしても、いままでなら要求されたことをやれば済んだことでも、今度は違和感があれば『おかしい』と口に出さなければいけないのではないの?」といった素直な意見が投資家から出てくるかもしれません。(最後の二段落は会計士さん方には余計なお話だったかもしれませんが、私は素直にそのように感じました)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月24日 (木)

近時の役員責任追及訴訟の類型と不祥事企業の自浄能力の発揮

本日(1月23日)は、東京・名古屋・大阪のCFE(公認不正検査士)研究会の合同交流会に参加してまいりました。毎年1回開催され、三回目の今年は名古屋開催ということで名古屋CFE研究会の皆様には懇親会までたいへんお世話になりました<m(__)m>。

今年の発表は①某大手監査法人のフォレンジック担当会計士によるNOVA社役員責任追及訴訟判決(平成24年6月7日大阪地裁)を題材とした討論、②某大手法律事務所の企業法務担当弁護士による東和銀行役員責任追及訴訟控訴審判決(平成23年12月15日東京高裁)を題材とした討論を行いました。NOVAの事例は、昨年12月の こちらのエントリーにあるように、私も関心を寄せていた判決です。この合同研究会の討論の面白いところは、判決で認定された事実をもとに、判決文で表現されていない「真の問題点」「本当の事件の原因」を推論し、不正の未然防止や早期発見に活かす、という点にあります。

たとえばNOVA事件判決であれば、NOVAの(当時の)会計処理の妥当性を判断するにあたり、監査法人としては、会社側にどのような資料を求めていれば、もっとスムーズに意見を形成できたのか、前受金の収益認識に関する会計処理について、当時の消費者契約法による清算義務についても「経済的合理性に基づく会計処理」として反映させるべきではなかったのか、さらに(実際に清算された金額だけでなく)清算に関する法的紛争の可能性をどこまで認識していれば引当金の算定の判断に影響が出ていたか、といった諸点への検討がなされました。これは後日の同様の事例にも参考になる議論ではないかと思われます。

また東和銀行事件判決では、「頭取案件」と呼ばれる取引先融資にあたり、判決の上では取引先の経営状況の悪化や、実現困難な業績見込みについて詳細に検討され、最終的には融資判断の甘さが取締役の善管注意義務違反の根拠とされていますが、この研究会では、「なぜ、審査部長も、また多くの役員も消極的であった融資について、頭取ともうひとりの役員だけ熱心に融資決済を求めていたのか」と言う点が議論されました。判決文にはどこにも出てくるものではありませんが、当時の時代背景からみると、同銀行がさまざまな不良債権処理にあたり、この取引先にお世話になっており(つまり暗黙の貸し借りがあって)、本件融資も「貸し借り」の一環として履行されたのではないか、といった意見が出ておりました。ただ、大蔵省出身のワンマン頭取の意見に誰が抵抗できたのか、どうすれば抵抗できたのか・・・ということになりますと、なかなか妙案が浮かんでこないのも事実であります。

ちなみに、当ブログでは以前、こちらのエントリーにて、「企業不祥事発生時に自浄能力を発揮した企業は株主代表訴訟を提起されていない」ということを書きましたが、こういった判例を検討しておりますと、不正確な表現だったかもしれない、と思っております。会社が、自らの判断で役員(元役員)の責任追及訴訟を提起していたとしても(一見、自浄能力を発揮しているように見えるかもしれませんが)、果たして十分な責任追及が期待できるのかどうか疑問が生じるケースもあるからです。

今も係属しているオリンパス役員責任追及訴訟では、第三者委員から成る責任調査委員会の報告書を基に、オリンパス社が会計不正事件が発生していた当時の取締役、監査役を相手に(損害賠償請求事件として)訴えを提起しています。提訴までの経緯に鑑みると、自浄能力を発揮しているものと考えられます。しかし、上記の東和銀行事件では、金融庁から改善要請を受けて(お尻に火がついた)監査役が、会社を代表して役員の責任を追及しています。さらに、昨年6月29日に大阪地裁で取締役の責任が一部認容されました石原産業フェロシルト不法投棄・元役員損害賠償請求事件では、監査役が元取締役らに対して提起した損害賠償請求訴訟に、(不満を感じた)一般株主らが共同参加して大きな訴訟に発展しております(最終的には代表訴訟も提起)。

これらの事例は、行政当局から後押しされたり、機関投資家や一般株主から訴訟提起を求められたり、ということで、かならずしも会社が積極的に役員の責任追及に動いたとは言えないものであります。会社自体が訴訟を提起するということは、役員の善管注意義務違反を裏付ける事実を積極的に開示する覚悟を世に示すものになり、本来ならば問題をあいまいに処理しない、という決意を表明することになるわけですが、株主代表訴訟を回避する目的も見え隠れするようで、自浄能力の表れとみることまではできないように思います。会社による役員責任追及訴訟が提起されたからといって、それだけで自浄能力が発揮されている、とまで即断できるものではない、ということを認識しておく必要があろうかと。

なお、石原産業元役員損害賠償請求事件判決は非常に長い判決文ですが、不祥事発生時点における取締役の地位に応じて、詳細な責任判断が記述されておりますし、内部統制システムの運用についての裁判所の考え方を示す、たいへん興味深いものです。これはまた判決文を精査したうえで、ブログにてご紹介したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月22日 (火)

東証独立役員セミナー「独立役員、こんなときどうする!?」

今朝(1月21日)の日経新聞法務欄に社外役員リサーチのプロネッド社による上場会社アンケートの結果が紹介されておりました。弁護士を社外取締役に選任する場合、「経営の幅広い知識や経験を持つ人材が不足していること」が懸念材料だそうであります。ちなみに企業が弁護士たる社外取締役に期待するのは「リスク管理」が中心であり、弁護士以外の社外取締役に期待している役割は、約6割の企業が「経営戦略の執行の監督」を挙げておられるそうです。

法制審議会会社法制部会長の岩原教授も、モニタリング・モデルとしての取締役会の第一の機能は「経営者の業績の評価」であり、とくに社外取締役に求められるのは、「経営陣が今後の収益予想に基づいて策定した経営戦略方針に基づく業務執行の成果が、当初の方針に照らし妥当であったかを、経営者に業績の結果に則して説明させ、責任を負わせること」にあるとされています(「月刊監査役」2013年1月号6頁)。経営者の成果を評価する何よりの指標は会計成果であり、だからこそ財務専門家としての独立取締役は重要だとされています。

社外取締役候補として、弁護士資格保有者が挙げられることは多いのですが、「経営パフォーマンスの評価」という視点から、企業価値の向上に資する社外取締役の役割を考えますと、上記プロネッド社のアンケート結果は当を得ているものと思います。上記記事で締めくくられているとおり、弁護士が社外取締役に就任する場合には、経営や事業への理解を深める努力を怠らないようにしなければ(リスク評価だけでは)一般株主の利益向上のために有用とは言えないかもしれません(でも、複数の社外取締役が選任されるケースでは、有事対応やD&O保険の適用問題など、弁護士が選任されているほうがかなり有用な場面もありますよ)。

中堅規模の上場会社の社外役員を8年間経験した者としては、弁護士が経営パフォーマンスの評価という観点から有用であるためには、まずは「儲けのからくり」をきちんと理解することが第一かと(私も「比較的単純なビジネスモデル」であるにもかかわらず、理解するまで時間がかかりましたので、あまり偉そうには言えませんが)。その業界の経営構造だけでなく、同業他社と比較したうえでの「当社の儲けのからくり」も理解しなければ、会計成果やリスク評価すら「とんちんかん」な意見しか言えないように思います。また、経営者の暴走を止めることことも重要な役割かもしれませんが、(個人的には)、経営者が経営スピードを思いっきり上げてもコケないように「道路に穴があいてないか、大きな段差がないか」を経営者に示すような意見が言えること(経営者の背中を押すこと)も大切だと思います。

さて、社外取締役と証券取引所ルールによる「独立役員」とは、その役割としては少し異なるところもありますが、このたびの会社法改正(附帯決議)でも明記されたように、今後は独立役員の役割についても再び注目が集まるところかと思われます。ということで、東京証券取引所は、2月5日、一昨年に引き続き、第二回目の独立役員セミナーを開催することとなりました(セミナーのご案内はこちら)。私もこのシンポに登壇することになりましたが、まさに弁護士の独立役員経験者として発言させていただきます。ちなみに、私は8年間の社外監査役(すでに昨年6月に退任)就任期間のうち、最後の2年ほど独立役員として登録されておりました。

どうみても経営戦略への知見が豊富な他のメンバーの方々と比較して、「なぜこの弁護士が?」と疑問視されるかもしれません。しかし、これにはきちんと役回りがある(と、思っております)。独立役員といいましても、現実は社外監査役が7割を占めており、上記アンケート結果の懸念されるとおり、経営の幅広い知識や経験が(若干)乏しい独立役員もいらっしゃるかもしれません。ということで、社外監査役出身の独立役員であっても、一般株主の利益保護の観点から、「ガバナンス、ファイナンス、資本政策、有事対応等、いずれの課題についても、最低これくらいは対応できたほうが望ましい」というモデルを示す役回りを期待されているものと(勝手に)推測しております。

証券取引所は、今後「社外取締役たる独立役員」の選任義務(努力義務)を、企業行動規範において明記するようですが、もちろん社外監査役たる独立役員も継続して就任されるところです。ハンドブック「独立役員の実務」(2012年 商事法務)のなかにも記載されているように、社外取締役と社外監査役では、一般株主の利益保護のために「異なるアプローチもありうる」とされています。そういったアプローチの手法も、どこかで示すことができれば・・・とも思います。

東証もしくは大証の上場会社の独立役員の方のみ参加可能ということなので、参加資格は絞られておりますが、もしご参加いただけます方は、神田先生の基調講演と共に、当シンポをご覧いただければ幸いでございます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月21日 (月)

闘うコンプライアンス-DOWA社、水質事故の賠償請求を拒否

ひさしぶりの「闘うコンプライアンス」シリーズであります。2012年5月、利根川水系の浄水場で、基準値を上回る有害物質が検出された問題で、東京都や埼玉県等の5都県がDOWAホールディングスの子会社であるDOWAハイテック社に2億9000万円の賠償を求めていたところ、DOWA社が、この賠償請求を拒否したことが報じられております。(たとえば   産経新聞ニュースはこちら)。今後、都県はDOWA側に対する訴訟提起を予定しているとのこと。また、DOWA社も昨年12月26日付で、当該問題に関する自社の判断をWEB内で開示しておられます。

DOWA社側の言い分としては、産廃業者への委託手続きは適正であり、なんら基準に抵触している事実はない、また埼玉県の調査結果では、委託していた産廃業者の水質汚濁防止法違反行為が推定される、とされているにもかかわらず、当該産廃業者の法令違反の事実が十分に調査されることなく、当社側に賠償責任の負担を求めるのはおかしい、といったところかと思われます。一方の行政側は、(上記産経新聞の記事によると)産廃業者への説明義務を十分に尽くしていなかったことを賠償請求の根拠とされているようであります。

水の安全・安心に関わる問題なので、有害物質を排出している企業が、行政当局(水道事業者)からの賠償請求を拒否する、というのはなかなか難しい経営判断のように思えます。環境整備を主たる業務とする上場会社としてのレピュテーションリスクにも配慮する必要があるでしょう。しかし、あえてDOWA社が5都県からの賠償請求を全面的に拒むには、それなりの理由があるのではないかと推測します(あくまでも個人的な推測ですが)。

たしかにDOWA子会社は、金属加工業者として有害物質を排出する企業でありますから、その故意・過失を問わず、危険物を排出して利益を上げている以上は、その危険物による社会的損失についても損害を負担すべきである、との理屈(PL訴訟的発想)も出てくるかもしれません。ただ今回は、実際に国民に被害が発生したものではなく、各都県が基準値を超えた有害物質排出の原因調査等に要した費用の負担分を賠償請求しているものと思われます。だとすると、民法の原則に戻ってきちんとDOWA側の故意・過失が特定されなければ責任を負担すべきでないとも言えそうであります。また、仮に行政当局からの賠償請求に安易に応じるようなことになりますと、親会社役員も含めて、株主代表訴訟のリスクが現実化することも考えられます。ということで、危険物責任の発想で、都県の調査費用を企業が負担すべき、という考え方にも異論も出てくるように思います。

さらに、「飲み水の安全をどのように確保すべきか」という点に関してのDOWA社側の考え方についても検討すべきだと思われます。有害物質を排出する企業であるがゆえに、産廃業者と共に、基準値を超える有害物質を排出しないための未然防止策をさらに検討すべきことには異論ありません。しかし、今回の有害物質排出の原因となった事実を徹底的に追及することが、まず第一ではないでしょうか。DOWA社としては最善の努力を尽くしていたとしても、委託先の産廃業者がルールを守っていなかったり(現に産廃業者のミスが推定される、といった埼玉県の報告結果があるようですし)、そのルール違反を行政が放置していた、ということがあれば、事故が再発するおそれは残ります。つまり今回の水質事故に関する徹底した原因調査がなされなければ、飲み水の安全対策が「利用者の安心」につながらないのではないか、と考えられます。

まずは産廃業者にどのようなミスがあったのか、そこに行政の監督違反はなかったのか、といったところが明確になって初めて「更なる防止策」の検討の必要性が認められるのではないでしょうか。環境ビジネスを展開するDOWA社として、飲み水の安全・安心は、徹底的な原因調査と、これに基づく再発防止策がなければ責任を果たしたことにはならない、と考えるのであれば、今回のような賠償拒否(徹底的に原因調査を優先する)という対応もコンプライアンス経営の在り方としては選択の余地があるように思えます。国民の生命の安全にかかわる問題である以上、単なる事故処理の問題ではなく、「これから水の安全を確保するために、我々と行政と委託先とで、どのように事故防止に努めていくべきか」を最優先課題とするのであれば、まずはどこに今回の事故の原因があったのか、徹底的に分析することが必要、との判断ではないかと。

行政は、DOWA社側が委託先の産廃業者の監督責任まで含めて認めることによって、国民の「安心」を維持できると判断したのかもしれません。しかし、DOWA社側は、事故の責任が(行政の対応を含めて)どこに存在したのか、そこが明確になることが、国民の「安全」を維持するためには一番大切なことだと判断しているのではないでしょうか。「闘うコンプライアンス」は、レピュテーションリスクを伴うものである以上、企業側にとっても覚悟が必要です。以上は勝手な推測によるものではありますが、私はDOWA社側が、安易な責任逃れによる理由ではなく、自社の企業行動規範に基づき、CSR(企業の社会的責任)の見地から、堂々と賠償請求を拒否しているのではないかと思うところです。今後の本件の展開に注目しておきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月18日 (金)

富士通名誉毀損事件最高裁決定と真実性の証明の対象(速報版)

昨日のエントリーで取り上げましたドリームライナー(ボーイング787)の事故ですが、アメリカの運輸当局が異例の運航禁止命令(緊急耐空性命令)を出したことが報じられております。予想以上に早い展開となりましたが、安全性の確認ができれば解除される、とのことなので、日米両国においてどのような対策がなされれば「安全性が確認された」といえるのか(その対策がどうして「利用者の安心」とつながるのか)、今後とも注視しておきたいと思います。

さて、本年1月15日、最高裁(第三小法廷)において富士通名誉毀損(損害賠償等)請求事件に関する決定が出たようであります。結果は富士通(法人)および同社役員(個人)側の勝訴の内容であり、いわゆる「上告不受理」決定とのこと。これで富士通側勝訴の原審判決(東京高裁第11民事部 平成24年6月27日)が確定いたしました。

ちなみに、本訴訟は富士通の元社長さんによる損害賠償請求事件とは異なり、富士通社が元社長辞任に至った事情などを開示したことで、「反社会的勢力との関係が深い」と記された法人およびその代表者が、民法709条、会社法429条1項を根拠として、富士通社を相手取って起こしていた裁判であります(元社長さんが訴えている事件は上告中かと思われます)。自分たちは何ら反社会的勢力でもなく、また同勢力と深い関係もないのに、一方的に富士通社から「関係がある」と指摘されたのは名誉毀損(人格権侵害)であり、損害賠償と共に謝罪広告の掲載を求める、といった内容です。

名誉毀損行為といいますのは、不特定または多数の人たちが認識しうる状況のなかで、他人の名誉や社会的評価を低下させるに値する事実を開示することで成立します。本件原審の高裁判決では、富士通役員らの一連の情報開示行為は、元社長の辞任に至る経緯を(上場会社として)広く公表する過程において原告(控訴人)らの社会的信用を低下させるものであるから、形式的には名誉毀損行為に該当する、ただし富士通側には違法性阻却事由が認められるから、役員らの開示行為は適法、としています。たしか最初は「社長は病気療養のために辞任する」と富士通側が公表したところ、元社長側が「辞任を迫られたことは納得できない」と反論して大きな騒動になり、その後(東証からの注意もあり)富士通側が辞任理由に関して再度、真実の経緯を公表したものと記憶しております。その「再度の公表」のなかで、本裁判の原告(控訴人、上告人)が「反社会的勢力との関係のある者」と指摘されていました。

反社会的勢力(もしくは関係を有する者)への企業対応に関する蛇の目ミシン株主代表訴訟事件最高裁判決(平成18年4月10日)の内容との整合性から考えますと、この高裁判決が今後の企業実務に及ぼす影響は大きなものがあり、とりわけ上場企業の取締役、監査役を含めた平時からの反社会的勢力排除への取組み(行動指針の作成)や、有事に至った場合の具体的な対応方法を考えるうえで示唆に富むものとなっています。どこの上場会社とは申し上げませんが、最近でも「当該企業の某役員が反社会的勢力と関係があるのではないか」と噂された場合に、たいへん苦労して(工夫して?)これを打ち消すための開示を行っている企業が散見されます。しかし、富士通社のように、真正面から真実を開示しなければならない場面というのも想定されますので、この高裁判決の射程範囲を綿密に分析したうえで、たとえ形式的には名誉毀損の要件に該当したとしても、どうすれば違法性阻却事由(公益目的の有無、公共の利害に関わる事実としての真実性の証明対象事実は何か)によって賠償責任を免じられるのか、各企業において(顧問の弁護士さんと相談しながら)検討されるのがよろしいのではないかと思います。

本来、「これは噂であるが・・・」といった前置きをしても(原則として)名誉毀損に該当してしまうわけですが、今回の事件では、なぜ「反社会的勢力かどうか」ということではなく、「反社会的勢力と関係があるとの『うわさ』自体」が真実性の証明対象事実になったのか(これは会社側からすれば、立証の負担として大きな違いであり、現に本裁判では富士通側が真実性の証明に成功しています)、その理由を分析し、業種、上場・非上場の区別、企業規模、連結か単体か、親会社か子会社か、といった各企業ごとの特性を考慮しながら、平時からの対策を提案することが法律家の役割ではないかと思います。

なお、最近、証券会社が警察保有の情報にアクセスできるようになった、との報道がなされていますが、アクセスできる情報は極めて限られた情報であり、「反社会的勢力と関係を有する者」まで広げてアクセスできるものではないようです。また、金融機関の持つ情報への一般企業のアクセス方法も流動的であり、「この会社は真っ黒」というような特定の情報を得ることができるとは限りません。反社会的勢力対応は、あくまでも平時からの自助努力が原則であることを肝に銘じておくべきです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月17日 (木)

続く重大事故~「安全」と「安心」はどこでつながるのだろうか?

※ 追記あります

※ 追記2 あります

全日空のドリームライナー(ボーイング787型機)が何らかの異常により(まだ原因不明とのこと)高松空港に緊急着陸し、安全性に配慮した全日空と日航は、それぞれ保有する同機の運航を見合わせる、とのことであります。事故機の乗客の方々の証言によると、「機内に煙臭が漂っていた」ということですから、些細な整備ミスというよりも、やはり装置や設計の安全性に相当の問題を抱えているのかもしれません。国交省もアメリカの航空当局も今回の件につき「重大事故」として調査を開始するようです。産経ビズニュースによりますと、もしボーイング社の設計ミスによる原因だとすれば、787機を運航させることはできず、全日空も日航も経営面で大きな打撃を受ける、とも報じています。なお、部品を供給している日本の各名門企業も、いまのところ「うちの製造した部品に限って安全性には何ら問題はない」と自信をのぞかせています。

もちろん利用者の生命の安全が最優先ですから、ボーイング社の「設計ミス」に該当すれば計画がとん挫してもやむをえないと思います。また、そもそも787機を導入したのは、従来機では採算の合わないところに運航ルートを開拓できる、とのビジネスチャンスを狙ったものだそうですから、単純にビジネスリスクの問題だと割り切ることもできるかもしれません。しかし、果たしてこの段階まで来て「設計ミス」という結論(意見)を出すだけの勇気のある人はおられるのでしょうか??私は(運行再開を前提として)日本と米国が、どのような経過をたどって「安全」と「安心」をつなげるのか、むしろそちらにとても関心があります。

この787機の事故に関して、どうしても知りたいことは、「安全性感知の面でも最新ではないのか?」という点であります。つまり同機には、今までの航空機よりも、運航設備に異常があれば早期に感知できる能力があるのか?という点です。もし20年前に運航が開始された航空機よりも早く異常を感知する能力があるのであれば、それは「そもそも惨事を回避するための航空機の安全性が向上している証拠」と言えるわけですが、その分、早期に行政当局への報告や国民への開示が必要になりますので、「国民の安心」は後退する可能性が高まることになりそうです。各企業が製品の安全性向上に努めれば努めるほど、(客観的な安全性は高まっているものの)国民の不安は逆に高まってしまう、というジレンマであります。

また、787機は日本で初めて就航しているそうですが、同様の事故が常に初動故障としては当たり前に起きている、ということでしたら、少しは「安心」できるかもしれません(機内に異臭が漂っていた、ということですから、そもそも「初期故障」と言えるのか、といった疑問もありますが)。航空機の安全性など、素人の目にはわからないものですから、我々はどうしても「安心」を求めたがることになります。絶対安全という理屈が航空機には通用しない以上、安全性をどのように「安心」につなげていくのか、もしつながらなければ、そもそも設計思想から問題があるのではないか、そのあたりがとても興味を惹くところであります。また、「安心」を導き出すために、品質管理面における「安全」であることの説明方法が日本と米国でどのように異なるのか、という点も注目です。

先日の中日本高速道路の笹子トンネル事故においても疑問に感じたところですが、重大事故が発生して、いったん使用を停止し、安全性に問題のあるものの使用を再開する場合、「安全」と「安心」はどこで重なり、またそれは誰が判断するのでしょうか。絶対に安全とは言えない以上、どこかで「安全」と「安心」の妥協点を見出す必要があるはずです。

トンネルの老朽化が原因で重大事故が発生した、ということになりますと、同様に老朽化が進んでいる全国の高速道路のトンネルをすべて止めて徹底した工事を行うべし、ということが「安全思想」からは求められるわけですが、それでは国民の生活全般にとんでもなく支障を来すことになりますので、どこかで「安全」と「安心」の接点を求める(または「安心材料」の十分な提供を受けることで、安全だと思い込む)必要が出てくることになります。たとえば、トンネル天井部分の接着剤の耐用性が失われてボルトが毀損し、その結果天板が崩落してしまうのか、それとも接着剤の耐用性が失われてボルトに過度の負担がかかっても、ボルトがはずれないように(毀損しても落ちてこない構造に)なっているのか、という違いは、突き詰めて考えれば50年前のトンネル工事の設計思想に依拠しています。本当は、こういったことが明らかになることが「安全」と「安心」の接点を判断するために必要になることと思うのですが、いかがなものでしょうか。

重大な事故が発生すれば、責任を担当する企業が一生懸命安全性確保のために(目に見えない品質管理のために)尽力されていることは理解いたします。しかし事故再発防止に求められる安全性のレベルは見えるものではありません。「787機の安全は、私たちが大丈夫だと言っているのだから信頼してください」だけで、本当に大丈夫なのでしょうか。以前は感知できなかった電気系統の異常もきちんと感知できるようになったがゆえの事故なんです、他の航空機も、初期就航の際には同様の事故が発生していましたが、これまでは日本は初期就航の航空機は使っていませんでした、といった(素人にもわかりやすい)安心材料が提供されなければ、「大人の事情」で運航が再開されてしまうのではないか・・・といった疑問が残ることになります。

「よく調べてみたらこの部品に原因があった。この部品はすべて取り換えたからもう安全だ」などといった最悪のシナリオだけにはならないことを祈ります。どなたかこういった品質管理としての「安全」と社会契約(社会的合意)としての「安心」の関係について真正面から研究をされた方などはいらっしゃるのでしょうか。企業コンプライアンスの見地からはとても重要なテーマだと思うのですが。

※ 17日未明、日経ニュースでは「設計見直しの可能性」との記事が出ています。ちょっと予断を許さない状況ですね。ホントに設計見直しという判断は出るのでしょうか?

※ 17日午後 アメリカ運輸当局が異例の運航停止命令を出したそうです。昨日までは初期故障としていたものが、素早い対応です。まさに安全性をどのように証明して安心につなげていくのか、注目したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2013年1月15日 (火)

「ずる-嘘とごまかしの行動経済学」

UsogomakashiACFE(日本公認不正検査士協会)の某理事の方からのお勧めで本書を知りましたが、たいへんおもしろい本です。不正調査に携わる者として、調査のスキルアップのためというよりも、有効な不正の未然防止策を考える上で参考になります。

「ずる-嘘とごまかしの行動経済学」(ダン・アリエリー著 早川書房 1800円)。

人間の合理性と非合理性を真剣に見つめて、「人はなぜ不正に手を染めるのか」という点について、興味深い実証研究の成果が広く公開されています。「つじつま合わせ係数」など、読んでいて深く考えるところが多いために、最後まで通読するのに時間がかかりました。とくにCFEの資格者などを含め、不正調査に関心のある方にはお勧めの一冊です。

現在パブコメ中の(内容が若干後退した)不正リスク対応監査基準というものが、いったいどのような使われ方をすれば有益なのか(なるほど、架空循環取引については少し距離を置いてもかまわないのですね)とか、利益相反取引の規制として取引内容の開示規制は、あまり役に立たない(なぜ役に立たないのか・・・という理由はとても納得できるものでした)といったことについて自分の考え方をまとめる良い機会となりました。このあたりについては、また別途エントリーの中で紹介したいと思います。著者も、私自身も、そして社会のほとんどの人たちも「ずる」をしてしまうわけでして、「ずる」を忌避するよりも「ずる」をしてしまう自分とうまくお付き合いして生きていくほうが楽しくなってきそうな気持ちになります。著者も「利益相反行動」に関する記述のところで、利益相反的行動を一切禁止することによる費用対効果を考えるならば、利益相反行為の「ズル」を一定程度許容しておいたほうが社会的な損失は少なく済む、ということを述べています。

行動経済学者である著者は、エンロン事件を契機に企業不正への関心を強めるのですが、エンロン社のコンサルタントだった方へのインタビューにおいて、コンサルタントだった方が「希望的盲目だった」と語るところは、私が不正調査の中で感じているところともピッタリあてはまります。アメリカに多く見られるような「私利私欲による作為的不正」が少なく、和を尊ぶための不作為的不正が特徴である日本でも、この「希望的盲目」はよくあてはまるところだと思います。また市場の健全性を常に確保する努力をしていかなければインサイダー取引は頻繁に発生しますし、不公正ファイナンスという手法によって既存株主からの利益搾取がなくならない、ということも、とてもよく理解できます。さらに(使い方を工夫すれば)倫理行動規範なども(意外に?)役に立つこともわかります。

イミテーションを着飾っているときのほうが「ごまかし」に手を染めやすい、「社内の常識」「組織が黙認している」と考えるだけで不正を犯しやすい、不正に手を染める自分自身をごまかそうとする、といったこともすべて詳細な実証研究によって明らかにしていくところは(その実験の価値についての疑問も生じるかもしれませんが)とても楽しめます。日本でも、こういった実証研究が進めば企業不祥事に関する研究も進歩していくのではないでしょうかね。正直に生きていきたい自分と、ズルして得したい自分との相克は、おそらく誰の心にもあるのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月11日 (金)

広電社長解任-そのとき社外取締役、監査役は?

東証2部上場の広島電鉄さんで、社長さんが解任された、と報じられております。最近の社長解任劇といえば、委任状争奪戦やTOB、つまりモノ言う株主が主役となるケースが多いと思いますが、今回は株主の支配力によるものではなく、まさに「社長解職劇」という社内のクーデターによるものと思われます。

ただ、「クーデター」といいましても、通常は取締役会の招集通知に「社長解任(正式には解職)議案」については書かれておらず、一部取締役から「緊急動議」が出されるケースがほとんどだと思いますので、今回のように招集通知に「社長解職の件」と堂々と記されているケースはかなり珍しいのではないでしょうか。オリンパスのケースでも、ウッドフォード氏は薄々感じてはいたけれども、緊急動議で解職されたものと記憶しております。

日経の記事によりますと、12月25日ころから各取締役間で協議が始まり、1月4日に社長交代要求、(社長名義で)招集通知、7日に臨時取締役会開催という経緯だそうで、企業法務に関心のある法律家の立場からは「この招集手続きに瑕疵はないのか、取締役会の決議は有効だろうか」というあたりに話題が集まるのかもしれません。しかし、このあたりは詳細な事実関係が判明しないとなんとも言えないところがありますし、社長解任といいましても、(解職された方は)今後も「取締役」としてお残りになるわけですから、あまり意見にわたることは述べないほうがよろしいかもしれません。

ただ、こういったクーデター事案におきまして、社外取締役さんや、2名の社外監査役さんに、どれだけ事前の情報を付与しておくべきか・・・というあたりは結構悩ましいところがあるのではないかと。産経新聞の記事によりますと、臨時取締役会に出席していた役員は合計10名ということなので、取締役7名(欠席2名)、監査役3名、つまり常勤を含め監査役は全員出席をしていた、ということのようです。仕事始めの忙しいときに、きちんと社外監査役がそろって出席ということは、(招集通知を受領する以前から)クーデターについては知らさせていたものと思います。解任劇の後、平穏無事にビジネスが進むかどうか、という点について、この「監査役の出席」はずいぶんと大きな影響力をもつものと思われます。まさに「監査役を制する者はクーデターを制す」といったところではないでしょうか(いろいろと非難されそうな物言いで恐縮ですが)。

さて、ここからは私の勝手な推測ですが、監査役さん方に、あらかじめ「何が起こるのか」を囁いておくとしても、メインバンクさんから来られているような社外監査役さんに囁くのはちょっと勇気が必要かな・・・と。今回の広電さんのケースでは、社外監査役のおひとりはメインバンク(かつ筆頭株主)ご出身の方であります。平穏な経営を特に好まれるメインバンクさん、ということになりますと、お家騒動はあまり好ましいものではございません。そのあたり、どのような配慮があったのでしょうか。また今回、社外取締役さんは欠席されたそうですが、社外取締役さんが、どのようなルートで(どなたの紹介で)広電さんの社外役員に就任されたのか、そのあたりも準備段階ではナーバスになるところかもしれません。

いやひょっとして、昔の有名な某百貨店の解任劇と同様のシナリオが存在しているのだろうか・・・などと考えるところもありますが、これは全く根拠のない私自身の妄想でございます(あしからず・・・)。いずれにしても、教科書(会社法の基本書)には取締役会の監督機能というものが当たり前に記述されており(会社法362条2項2号、3号)、最近のガバナンスでも「モニタリングモデル」というものが話題になるのでありますが、こういった事態がリアルの世界で発生しますと「解任劇」「クーデター」と呼ばれるところに法と現実とのギャップを感じるところであります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月 9日 (水)

日本版SOX法から日本版JOBS法へ-内部統制の行方

安倍政権の下、緊急経済対策によって規制緩和が進むようでありますが、新興企業のIPOにも規制緩和の波が押し寄せてくるようです(産経新聞ニュースはこちら)。新興企業の資金調達を支援する一環として、内部統制報告制度(日本版SOX法)のさらなる簡略化が進むように報じられていますが、IPO時には、たしか3年ほど制度の適用が免除される、という話で進んでいたのではなかったのでしょうか?(ちがいましたっけ?)提出を要する財務諸表も2年分程度でよい、ということになりますと、政策としてはずいぶんと画期的なものになるかもしれません。

ところで、今朝の日経新聞で、トヨタ社の米国リコール訴訟の記事に関連して報じられていました。グローバル企業の海外訴訟防衛のために、上場会社の重大な虚偽記載に関する民事責任について、無過失責任から過失責任に改正(金商法を改正)する、ということが検討されているようです。そうなりますと、たしかに企業が金商法上の開示責任が追及されにくくなることは間違いないと思われます。しかし一方において、どこの会社も「法人の過失責任が認められる体制だけはなんとか避けたい」と考えるようになるのではないかと。そうなると、財務報告の信頼性を確保するための内部統制がキモになってくるでしょうから、内部統制報告書の内容は簡略化(省略化?)されることになったとしても、会社法上の内部統制システムの構築のレベルは、事実上厳格になっていく、ということにならないのでしょうか?

但し、実際に訴訟を起こされるかどうかは、やはり企業の自浄能力の有無にかかっているものと確信しております。このあたりは企業活動を評価する基準となる「安心」と「安全」の区別に関する国内外の意識の違いにもよりますが。

経済再生のための施策のなかで、金商法の改正に絡む問題が、いろいろと出てくる可能性がありますので、今後は政府の対策に注目しておきたいと思っております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月 7日 (月)

やっぱり監査・監督委員としての社外取締役はしんどそう・・・(^^;

いよいよ正月気分も抜けまして、本日から本格始動となる会社さんも多いと存じますが、新年早々から憂鬱なネタで申し訳ありません。

昨年11月に監査・監督委員会設置会社への移行と社外監査役の憂鬱と題するエントリーをアップしまして、監査役会設置会社における社外監査役が「すんなりと」監査・監督委員会設置会社の社外取締役に移行するのは躊躇するなぁ・・・といったことを述べましたが、その続編であります。

年末に「月刊監査役」2013年1月号が届きまして、法制審議会会社法制部会の部会長でいらっしゃる岩原先生の「会社法制の見直しと監査役」と題する論稿を拝読いたしました。ジュリストや旬刊商事法務における岩原先生の論稿をきちんと読まれた方であれば特に目新しい内容ではないのかもしれませんが、私のように「つまみ食い」のような形で会社法の見直しについて勉強している者にとりましては、監査役制度を見直すうえでも、とても参考になりました(あくまでも岩原先生の個人的意見・・・ということだそうですが)。

とくに、新たな企業統治の形態である監査・監督委員会設置会社に関する解説は、この制度が会社法制の見直しの中で「なぜ登場したのか」というあたりからの背景事情まで書かれてあるので、(恥ずかしながら)その複雑な内容がやっと理解できたような次第です。社外取締役導入義務化との関係、欧米諸国のモニタリングモデルへの傾斜、そして我が国特有の監査役制度との調整など、かなり苦心の末に改正要綱の中に盛り込まれたようです。

しかし、この岩原先生の論稿(あくまでも個人的ご意見ということですが)を読めば読むほど、やはり昨年11月にここでつぶやきましたとおり、監査・監督委員会設置会社の社外監査役に就任するには、「気合を入れて」いかないとえらいことになるのではないか・・・・・・と改めて認識しております。

この論稿を拝読するまでは、「監査・監督委員である社外取締役が(正確には組織としての監査・監督委員会が・・・ということになりますが)、他の取締役の選任・解任や報酬について、株主総会で意見陳述権があるといっても、付け足しみたいなものではないか」と勝手に推測しておりました。しかし、監査・監督委員会設置会社には、モニタリングモデルへの「熱い思い」が感じられるようであり、委員会設置会社ほど完全なものではないにせよ、これに近いものとして運用されることが期待されているようです。ということは、監査・監督委員会には、委員会設置会社の指名委員会や報酬委員会に準じるほどの役割が込められているのではないかと。いや、だからこそ取締役の利益相反行為についての事前承認という、極めて重要なポジションも付与されている、ということのようであります。

経営のモニタリング機能・・・という言葉も(これまでは)なにげなく使っていたように思いますが、この論稿ではまず第一義として、「経営者の業績の評価、すなわち経営の効率性からの統制である」とされております。まずは取締役会において経営の評価等に関し問題を提起し、他の取締役にその問題に対応する義務を負わせることにある、ということで締めくくられております。やはり監査・監督委員たる社外取締役に期待されているのは、経営者のパフォーマンスを評価することにあるということです。

日常の業務執行も全面的に執行部に委ねてよい、という制度選択が採用されたのも、こういった役割を期待しうる監査・監督委員が就任されるであろう・・・という期待からだと思います。もし、立案者の熱い思いとは裏腹に、ワンマン経営者の独占的支配権のもとで、この監査・監督委員会設置会社が活用されたら・・・と思いますと、少なくとも社外取締役に選任される方には、きちんとリスクまで承知したうえで受任されることをお勧めしたいと思います(まだ法制化されておりませんし、どれだけの会社が移行を検討するのかも未知数ではありますが・・・)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年1月 4日 (金)

コンプライアンスはブレーキではない(年頭のご挨拶)

皆様、あけましておめでとうございます。<m(__)m>本年も当ブログを宜しくお願いいたします。このブログが読まれる頃には、相当に明るい株式相場になっていることと思います。

正月休みに、昨年インサイダー規制の見直し(金融商品取引法の改正)の原因となりました公募増資インサイダー関連の第三者委員会報告書をいろいろと読み比べておりました。インサイダー取引規制がどう変わるか・・・という点への興味ではなく、むしろ「なぜインサイダー取引防止体制が整備された金融機関において、このような事件が発生したのだろうか」といった不正検査士的興味からであります。

金商法の見直しと関連して、賦課される課徴金の高額化や情報提供者の処罰化など、マスコミの話題はインサイダー取引規制の強化に集中しておりますが、当事者がなぜインサイダー情報を提供したのか、なぜ金融のプロがインサイダー取引を行ったのか、といった原因分析のところには、これまであまり関心が寄せられていないようであります。

一連のインサイダー取引事件に関与した当事者に、倫理規範、法規範意識が欠如していた、という個人的な要因が認められることは間違いありません。しかし、各報告書によりますと、個人的要因だけでは片づけられない原因が共通してみられるようです。

それは、「取引先との過度の信頼関係の形成」というものであります。たとえばSMBC日興証券の役員の事例も、元はSMBC時代の顧客との「私的な貸し借り」が発端ですし、三井アセット信託銀行のファンドマネージャー(2名)についても、取引先証券会社担当者との「親密な個人的つきあい」や「過度の接待、贈答品」です。なぜプロのファンドマネージャーが「これってインサイダー情報ではないのか」と気づかなかったか、というと、日常の親密なおつきあいの中で警戒感が失われ、インサイダー情報も、多くの取引の中に紛れてしまったので冷静な判断を欠いてしまったそうです(同社第三者委員会報告書概要、特別委員会報告書等参考)。

各社の再発防止策をみると、インサイダー情報の監視強化、携帯電話の会話記録化、社内での制裁強化など、いずれも営業戦略にとってはブレーキになりそうなものばかりですし、このたびのインサイダー規制見直しの内容も営業活動への萎縮効果が懸念されております。これではコンプライアンスはやはり事業活動にとってのブレーキだと言われても仕方ないかもしれません。

しかし、不祥事(インサイダー取引もしくはインサイダー情報の提供)をさかのぼって不祥事の芽にまで目を向けますと、今回の一連の公募増資インサイダー事件では、いずれも取引先との親密な関係を維持するために一生懸命になっていたビジネスマンの姿が浮かび上がります。営業戦略、事業戦略として、取引先と信頼関係を構築することは誰も否定しないところですが、ただ少しばかりの「ボタンの掛け違い」が生じてしまい、そこにインサイダー取引という誘惑が忍び寄ってきた、ということが核心ではないかと。

これはインサイダー事件に限らず、一般の事業会社でも同様のことが言えるものと思われます。規制を強化しても、顧客との向き合い方に問題が生じれば不祥事は起きるのであり、また規制が緩和されたとしても、取引先との関係に問題が生じなければ不祥事の芽は不祥事に発展することはないと思います。平時ならインサイダー情報だと冷静に認識できたにもかかわらず、取引先との情実によって心が曇ってしまった先の例をみれば、どこでも同様のことが起きるのではないでしょうか。会社の命運を分けるような事業戦略そのものを否定するような規制ではなく、その事業戦略の方向性に間違いがないかどうかを検証するのがコンプライアンスではないかと。

この一連の公募増資インサイダー事件の第三者委員会報告書では、もうひとつ、コンプライアンスはブレーキではないことを示す非常に興味深いコメントが共通して述べられていますが、これはまた別の機会に感想として書かせていただきます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »