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2013年3月28日 (木)

監査法人のお墨付き(適正意見)は免罪符になりうるか?

昨日(3月26日)、金融庁企業会計審議会より、監査における不正リスク対応基準の意見書が公表されました。そして同じ26日、大阪弁護士会館2階ホールでは、大阪弁護士会と日本公認会計士協会近畿会共催によるシンポジウム「内部統制の共通理解(認識)に向けて」が開催されました。今年で3回目となる共催事業ですが、私は(ちょっと忙しかったので)今年は準備には参加せず、聴講だけさせていただきました。

気鋭の法律学者、会計学者の方々から会社法上の内部統制、金商法上の内部統制報告制度の解説がなされ、その後、大和銀行株主代表訴訟事件、ヤクルト本社株主代表訴訟事件、そして日本システム技術損害賠償事件を題材とした登壇者(法律家2名、会計専門家2名)によるシンポという構成でした。昨年もそうでしたが、司会を務められた会計士の方が、本当にきっちり準備をされるので、当日の資料も充実しており、また内容的にはとても有益なものでありました。

しかし、法と会計の狭間の問題について、どうしてもマニアックなところが気になってしまう私としましては、もう少しツッコミが欲しかった点がございました。そのきっかけは、ヤクルト本社事件に関する討議の中で、監査実務に携わっておられる会計士のW氏が、

「この判決文を読んでいると、『監査法人から監査の上で、何も指摘を受けていない』ということを、取締役の内部統制構築義務違反が認められない(取締役に善管注意義務違反はない)ことの理由に掲げられているが、どうも違和感がある。監査法人の意見というのは、取締役の注意義務を減免させることにつながるものではない」

と発言されたところであります。この発言を受けて、司会者(大手監査法人のベテラン会計士)の方も、「実は、このヤクルト本社事件の判決文を読んで、私もWさんと同じような感想を持ったのですよ」とのことでした。

時間の関係もあったのでしょうが、ここは何の議論もなくサラっと終わってしまったのですが、個人的には、ここが最もツッコミドコロではなかったかと思います。たしかに会計不正事件において、会計監査人が経営陣や監査役に対して「おかしい」と注意喚起をされたうえで、経営陣が何もしなかったということは、不正見逃しに対する役員の法的責任に影響する可能性は高いと思われます(これは福岡魚市場株主代表訴訟事件、ライブドア株主損害賠償請求事件などでも明らかです)。

しかし、逆に「会計監査人が何も指摘しなかった」ということが、役員の法的責任を減免する方向に影響するかといえば、これを肯定するのは、まさに「期待ギャップ」の表れではないかと。会計監査における適正意見の表明は、不正が発見されなかったことを表明するものでもなく、また財務諸表を網羅的にチェックしたことを表明するものでもない、ということを会計士さん方がもっと世の中に説明しなければ、このような法律家と会計士との違和感というものが、いつまでも残るような気がしております。

そういえば昨年の沖電気工業さんの海外子会社不正事件に関する第三者委員会報告書にも、似たような場面が登場します。スペイン子会社の不正疑惑が浮上したために、現地に赴いた親会社幹部社員の方が、現地調査によるありのままのレポートを親会社経営者に提出しました。しかし「子会社経営トップによる不正の疑惑あり」とするレポートを読まれた役員の方が「これはおかしい!だって、これまで監査法人からは何の疑義も報告されてないぞ。何かの間違いではないか」と言ってレポートをつっ返すシーンが出てきます。つまり監査法人の適正意見は「不正がないこと」の証明となり、また監査人が「不正は見当たらない」と言っているのだから、ましてや不正に気付かなかった自分たちの責任は当然に減免される、というのが世間一般の考え方のように思われます。いや、世間一般どころか、法律家でも、そのように感じているところが大きいのではないでしょうか。

シンポにおける会計士の方々の上記意見を聴いておりますと、会計士以外の方からみれば「それって自分たちに責任追及が回ってくることを回避するための理由ではないの?」といった疑問を抱くかもしれません。しかし、そういった後ろ向きの主張なのか、それとももっと会計監査の本質に関わる主張なのか、このあたりの認識の差を浮き彫りにしてみますと、会社法上の内部統制と金商法上の内部統制との機能的な差についても明確になってくるのかもしれませんし、監査における不正リスク対応基準の役割なども理解しやすくなるかもしれません。

001115_512すいません、本日のエントリーの流れの中で(といいますか、そういった話題をわざわざ選んだと言えなくもないのですが)、またまたCMで恐縮でございます。不正リスク対応基準の公表日に合わせたわけではございませんが、3月26日、いよいよ発売日を迎えた拙著「法の世界からみた『会計監査』-弁護士と会計士のわかりあえないミゾを考える-」(山口利昭著 同文館出版 1890円)が全国書店に並ぶようになりました。(左の写真は梅田の阪急ブックファーストです)。左の写真の書店もそうですが、おそらくどこの書店でも「会計監査」の書棚に並んでいる可能性が高いと思います。法律書籍の並ぶところには置いていないかもしれませんので、どうか「会計」「監査」の書棚のほうでお探しいただければと。

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コメント

この世に完璧などと言う事はありません。どんなに立派な病院の人間ドックに毎年通っていても、残念ながら、がんで亡くなる方はいます。
それでも、医師側が問題になるのは、「こんな、あきらかな異変を見落してどうする!!」といったレベルの話でしょう。
会計士の皆さんの議論で、しばしば、違和感を覚えるのは、「どんなにやったって、限界があります。」という話を拡大して、「こんなの見逃してどうする。」というレベルの事案までも、「責任無い」みたいに持っていこうとしているのじゃないか?と、思えることがあるからです。

人間ドックで「問題なし」の結果をもらって(特に医師に落ち度が無いとして)、ご本人にも全く、自覚症状がなくて、それでも、重篤な病気が明らかになれば、冷たい言い方ですが、「仕方ない」とするしかありません。
ところが、本当は、ご本人は何らかの異変を気づいていることも、よく有る話ではないかと思います。
会社経営者は、株主に代わって「ご本人」をやっているのだとすると(かなり乱暴な比喩ですが)、異変に気づく努力は必要ですが、本当に自覚症状が無くて、人間ドックもOKだったとすると、病気が明らかになっても、これは「仕方ない」のではないかと思います。
一方、いろいろな不祥事では、自覚症状がある、あるいは、異変に気づく努力を怠っていた、にも関わらず、人間ドックはOKだった!!と怒り出しているのでは、ないかと思います。この責は経営者が負うのが当然だと思います。

投稿: MAX | 2013年3月28日 (木) 17時12分

監査法人はあくまで外部から会社を見ていますが取締役など経営者は内部の人間で「健全な懐疑心」をもって日常業務に当たっていれば、ほとんどのケース不正はわかると思います。仰る通り監査法人が適正意見を述べたからそれを持って不正はないとする経営者がいたら、それは経営者の善管注意義務違反ではないかと思います。監査役についても同じで常に「健全な懐疑心」を持って監査していれば不正は感知できると思っています。

投稿: Tiger | 2013年3月28日 (木) 22時18分

皆様、ご意見ありがとうございます。昨日(4月3日)日本公認会計士協会ホールにてシンポが開催されまして、私も登壇させていただきました。皆様方のご意見は、つぎに不正監査に関する話題をご紹介するときに参考にさせていただきたいと思います。
しかし言葉でいうほど「期待ギャップ」を埋めることは容易ではないですね。

投稿: toshi | 2013年4月 4日 (木) 21時01分

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