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2013年4月18日 (木)

弁護士の誠実性は外から見えなければならない-4月16日最高裁判決から考える

北越紀州製紙さんは、インサイダー取引問題、会計不正疑惑への対処として外部調査委員会を立ち上げた大王製紙さんに対して「公正性が担保されていない。日弁連第三者委員会ガイドラインに基づく第三者委員会を改めて要望する」との文書を送付されたようです。最近の企業不祥事発生企業に対しては、ステークホルダーから透明性、公正性が担保された自浄作用の行使が強く求められる時代になりました。さて士業と呼ばれる弁護士、会計士の世界ではどうなのでしょうか?

★おかげさまで、拙著「法の世界からみた『会計監査』-弁護士と会計士のわかりあえないミゾを考える」が、ご好評につき再度の増刷(初版第3刷)決定となりました。一昨日、20冊以上入荷されたアマゾンさんでも、すぐに在庫が切れてしまいましたが、ようやく今週あたりから増刷分が書店・通販にも追加で入荷されることになっております。来週は全国紙でも書評が掲載されることが決まりましたので、またあらためてご紹介させていただきます(本当にどうもありがとうございます-広報終わり)。

さて、拙著第3章「他人(ひと)のせいにする弁護士・会計士」では、私個人の意見として「弁護士の誠実性は外から見えなければならない」と提言をさせていただきました。弁護士生活23年間、依頼者に迷惑をかけたり、決して清廉潔白な仕事だけをしてきたわけでもない自身への自戒をこめて記したものです。これだけコンプライアンス経営が叫ばれる時代、企業も自浄能力を発揮して自らの不正を公表する覚悟を決めているのだから、弁護士も本当に顧客のために善管注意義務を尽くしているのかどうか、外からも物差しで測れるようにすべきだ、というのが趣旨であります。そうしないと、いつまでたっても依頼者のリテラシー(弁護士選定能力)は向上しないわけでして、また「外から見えない」ことをよいことに、善管注意義務を尽くさない弁護士が増えてしまい、その弊害が「弁護士自治」の衰退につながってしまうおそれが生じます。こういった課題を設定したうえで、個人的には「弁護士の誠実性の見える化」を提言したものであります。

ところで、こういった懸念に対して、ひとつの具体例を示したのが昨日(4月16日)の最高裁判決であります。債務整理を受任していた弁護士(被上告人)が、示談相手である金融機関の時効待ち方針を選択して、示談をせずにそのままの状態で仕事を事実上終えたわけですが、最高裁は、この時効待ち方針のリスクを依頼者に十分説明しないままに事実上事件処理を終えたことは(本件事例のもとにおいては)説明義務違反となり、損害賠償義務を負う可能性があるとして、これを高裁に破棄差し戻しとする判決を下しました。

とくに田原裁判官、大橋裁判官は、補足意見として弁護士の善管注意義務の尽くし方について、債務整理という個別事件についてでありますが、その内容をかなり明確に示しておりまして、これがまさに「誠実性の見える化」の具体例であります。各補足意見でも述べられているとおり、弁護士が受任事件を処理する場面における善管注意義務の尽くし方は、広い裁量権が認められているのですが、事件処理の各段階において、どのような説明義務があるのか、かなり具体的に示しております。私も、医師の善管注意義務と同様、具体的な説明義務違反の有無によって(つまり手続き的正義の理念によって)善管注意義務を尽くしたのかどうかを判断せざるをえない、と本の中では述べておりますので、こういったモノサシ(手続き的正義から実体的正義を推し量る手法)にならざるをえないのではないかと考えています。

もちろん、こういった時効待ち方針に関する債務整理の手法の是非については、最高裁の見解とは異なるご意見もたくさんあると思います。また、この判決は事例判決だと理解しておりますので、その射程距離を厳格に検証すべきです。たとえば「何が弁護士の誠実性か」という点についても、この裁判では法廷意見(多数意見)、田原意見、大橋意見では微妙に異なることがわかります(債務整理事件における時効待ち方針の採用自体について誠実性を欠くとする裁判官もいれば、一般論としても弁護士倫理規程が善管注意義務を判断する重要な解釈指針とみる裁判官もおられます)。「弁護士の誠実性」が多義的だというのであれば、ベストプラクティスとしてモノサシを提示しておいて、そのモノサシからはずれる処理が妥当だと当該弁護士が判断すれば、逸脱した処理がなぜ必要なのか、その合理的な理由を依頼者に説明する、という手法も考えられるのではないでしょうか。

しかし、この判決でも示されているとおり、弁護士の受任事件の処理には広い裁量権が認められていることは間違いないわけですから、その裁量権の限界がどこにあるのか、むしろこういった判決を基に議論することがとても自然ではないかと。本件も、前任者の処理に疑問をもった後任の弁護士が代理人となって訴えを提起したわけですから、こういった議論が増えることによって「弁護士の誠実性の見える化」が図られることになるものと予想します。現に、この裁判の原告(債務整理を委任した方)は、たまたま前任弁護士が依頼者から訴えられたというニュースを見て委任契約を解除した、ということなので、誠実性の見える化が求められる象徴的な事例ではないかと思う次第であります。

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コメント

はじめまして。記事を興味深く拝見いたしました。
法廷意見の範囲では、うなずけるものがあるのですが、補足意見については意見が分かれそうですね。
私個人としては、田原補足意見が一部債権者との示談、特に示談条件を提示して合意を迫る方法での示談について、債権者に対する関係での誠実・衡平に言及しておられるのは、なるほどという気もするものの、債権者の「自制」に対応して受任弁護士が負う、衡平な取扱をすべき義務の内容や範囲、誠実交渉義務と忠実義務との抵触といったあたりに少し問題を残す気がします。よりシンプルに言えば、不誠実な交渉をしても成功すればいいのか、誠実な交渉をして失敗したらどうなるのか、というあたりがよくわかりません。
いずれにしても考えさせられる判決です。

投稿: 地方都市の一弁護士 | 2013年4月18日 (木) 17時29分

ご意見どうもありがとうございます。本事例の詳細については存じ上げないのですが、最高裁が定立したモノサシについては(現実に債務整理をされている方々にとっても)賛否両論あると思います。
なお、日弁連からコメントが出されているので、少しだけ事情が垣間見えるところですが、過疎地域のリーガルサービスの拡充を考えると、なんともむずかしいところです。
http://yamaguchi-law-office.way-nifty.com/weblog/2013/04/416-119e.html#comment-77639410

投稿: toshi | 2013年4月20日 (土) 14時05分

多くの弁護士ブログがやはり田原補足意見、とくに「時効待ち方針」の否定に言及していますね。説明義務の議論はよくわかるのですが、事件処理方針そのものについての言及はかなりのインパクトがあります。議論になって、裁量の範囲についての何らかの定式化、「見える化」が考慮されるのは弁護士にとってもやりやすいところではありますが、そのきっかけがいきなり裁判所から出てきてしまうというのも少し切ないですね。
先生のブログの本論ではないことを知りながらつい反応してしまいました。

投稿: 地方都市の一弁護士 | 2013年4月22日 (月) 12時26分

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