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2013年5月31日 (金)

社員の不適切行為の公表と「隠す企業風土」の醸成

共同通信社の元人事部長氏が、同社の採用試験を受けようとしていた女子学生さんに個人的に面談して作文指導を行い、その後「不適切行為」があったとして懲戒解雇処分となったそうであります(たとえば産経新聞ニュースはこちら)。そして本日、社内の混乱や動揺を収拾するために、経営トップの方々が辞任する意向であることが報じられております(読売新聞ニュースはこちら)。

マスコミ各社が報じているところからは明らかではありませんが、共同通信社のトップの方々が辞任をされるのは、元人事部長氏が不適切行為に及んだ、ということからでしょうか、それとも1月にこの事実を知ったにもかかわらず、社内処分の結果を含めた事実を公表しなかったことからでしょうか。私は「社内の混乱や動揺を収拾するため」というところからみると後者ではないかと推測いたします。つまり「一次不祥事」よりも「二次不祥事」の責任をとった、とみるのが妥当ではないかと。

さて、皆様方の会社で同様のことが発覚した場合、どうされますでしょうか?採用担当者が採用面接にやってきた学生と不適切行為に及び、これが社内不祥事として発覚したケースであります。もちろん言語道断の事件ですから、採用担当者に対する処分は厳格なものになるでしょう。しかし、この問題が取締役会で報告された場合、取締役会としては、①社内だけでなく、社外にも公表する、②社内向けだけに処分事実と処分結果を公表する、③処分だけを行い、公表は一切しない、といった選択肢が考えられます。

毎度申し上げます通り、取締役会には「有事のバイアス」が働きますので、ほとんどのケースでは③ということになるのではないかと思います。「こういったケースでは公表しなければいけないのか?」といった質問を受けますが、取締役の法的責任として考えるならば公表しない、という選択肢もありだと思います(もちろん、学生との示談状況や不適切行為の内容によっては、過去の不祥事といえども公表しなければ善管注意義務違反に問われる場面というものはありえます)。

しかしこのような重大な不祥事を公表しない、という選択肢をとった場合、確実に「不祥事を隠す企業風土」が醸成されます。通常は、社員の中に「公表しない」ということに納得がいかない意見が出てきます。今回のように社内に動揺が生じるケースもあるでしょうし、また非公表の事実を内部告発する、といったケースも出てきます。今回も、週刊誌に報じられたことをきっかけとして不適切行為の具体的内容や当事者への処分内容が公表されたようですが、誰がマスコミに情報提供したのか、というところも関心のあるところです。なお「被害学生の就職活動への影響に鑑みて公表しなかった」との会社側の理由はかなり苦しいところです。

たとえば代理人弁護士をたてて、示談交渉中ということであれば、一切公表できない、ということになるでしょうし、示談合意書の中に、双方が公表してはならない、といった条項が含まれていれば公表しないこともやむをえないと思います。しかし今回のケースのように、そもそも第三者からの情報提供によって会社が不適切行為の存在を認識した、ということであれば、もはや会社が公表しなければ、おそらく誰かがマスコミ等へ情報提供する可能性は否定できないと思います。そうなると、いわゆる経営トップの隠ぺいという「二次不祥事」こそ重大なコンプライアンス違反とされ、辞任に追い込まれることになってしまいます。

このあたりは相当にむずかしい判断ですが、要は不祥事が発覚した場合に、会社は説明責任を尽くせますか・・・という視点が大切だと思われます。内部告発に値するのは(つまり公表まで必要と判断されるのは)不適切行為に及んだのが「人事部長」という立場だからであり、これが一般の人事部の担当社員であれば社内告知で足りる、社外への公表までは不要だ、といった意見もありうるかもしれません。また今回のケースでは「就職試験を受けようとしていた学生」とありますので、元人事部長氏と学生さんとの間で、なんらかの個別事情が存在したのかもしれません。ただ、こういった議論は、平時からやっておかないと、事が起こってからでは「有事のバイアス」によって社内の常識にとらわれてしまう・・・ということだけは理解しておいたほうがよろしいかと思います。

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2013年5月30日 (木)

社外取締役就任(予定)に関するお知らせ

さて、もうひとつお知らせがございます。

本日(5月30日)、会社WEB上で開示されておりますとおり、弊職、大東建託株式会社(東証1部 名証1部)の社外取締役候補として内定し、6月26日の定時株主総会にてご承認をいただくことを条件として同社取締役に就任することとなりました。

社外取締役の就任はニッセンホールディングス社に続いて2社目ですが、同社の企業価値向上に務めてまいりたいと思っております。引き続き、どうか宜しくお願いいたします。

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「丸亀製麺」で考える企業不祥事とソフトロー(取材記事のご紹介)

いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。先日、ITメディアさんより取材を受けまして、本日(5月30日)取材記事がアップされましたのでご紹介いたします。

「丸亀製麺」で考える企業不祥事とソフトロー」(ITメディアニュースより)

ブログ、書籍とも、最近は「ソフトロー」に関心を抱いておられる方が多く、今後法律雑誌等で公表予定の私の小稿も、ソフトロー関連のものです。やはりリーマンショック以降、いかに柔軟で即効性が高い規制(事前規制)をかけるべきか、各国が真剣に悩んでいる姿が浮かんできます。ソフトローは規制を受ける側のインセンティブが大切ですが、このインセンティブを外に求めるか(たとえばレピュテーション)、内に求めるか(たとえば企業倫理)によって規制する側の対応にも工夫が必要であります。

仕事中の更新はひさしぶりですが、もしお時間がありましたら、ご一読いただければ幸いです。

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2013年5月29日 (水)

サーベラスが西武の内部統制改善にこだわる理由

さて、ひさしぶりの内部統制ネタでございます。日本企業の再生を図るため、最近では(上場会社に制度化されております)内部統制報告制度の一部要件緩和ということが主張されております。しかしいっぽうで今年は「物言う株主・再び」ということで、6月の総会シーズンを前に、ずいぶんと国内・国外の大株主の方々による経営への要望が報じられており、会社の内部統制の強化に関心を寄せるものも散見されるようです。

なかでもサーベラス(サーベラス・グローバル・インベストメンツ)による西武へのTOBはいよいよ佳境に入ってきたようで、今週号の日経ヴェリタス(5月26日号)でも、「経営体制の刷新が再上場の前提」としてダン・クエール会長のインタビュー記事が大きく取り上げられております。ダン会長は、再上場問題が浮上して以来、一貫して「西武のガバナンス改革、内部統制の改善」と言い続けておられます。私は「ガバナンス改革というのはわかるけれども、内部統制の改善」ということをなぜここまで言い続けているのだろうか、そこで語られている内部統制とは、そもそも何を指すのだろうか」とずっと疑問に感じておりました。

昨日、日本企業の米国子会社で長年トップをされていた方と夕食をご一緒させていただいたのですが、なるほど、サーベラス会長のおっしゃっている「内部統制」とはどのようなものなのか、その米国企業のトップをされていた方のマネジメントに関する米国事情をお聴きして合点がいきました。

いえ、そんなに目新しいことではなく、私自身がきちんと理解していなかっただけのことですが、私の頭には「内部統制」というと米国SOX法のイメージが強いために会計不正防止を目的としたシステム、といった印象が強いのであります。おそらく日本の内部統制報告制度のイメージも強く支配しております。しかしアメリカの企業が抱く「内部統制」というイメージは、なんといっても取締役会が責任をもって監視し、雇われCEOの実績を評価することに資するもの、つまり経営の効率性向上のためのシステムだ、ということです。内部統制は企業価値向上のためのシステム、業務執行の一環、まさに誠実に会社が儲けるための仕組みということ。いわば雇われ社長に最大限、忠実義務を果たさせるための仕組み、というものだそうです。だからこそ内部統制の評価結果の報告は、まず第一に監査委員会に対して行われ、経営者に対して報告されるのは二番目だそうです。

日本では社長自身が内部統制システムを構築するイメージがあるのですが、米国ではそうではなく、業務執行が効率的になされるためのシステム、社長の業績を適切に評価するためのシステムということなので、取締役会の監視のもとで、取締役会の責任において構築されるシステムだということのようです。いや、本来は内部統制とは管理会計(予算執行)と密接に結び付くものなのだと思うのですが、どうも「財務報告の信頼性確保」とか「不正防止」といったこと、つまり制度会計との結びつきで考える意識が強かったので、私自身がきちんと理解できなかったのかもしれません。

(追記)もちろん、不正防止のための内部統制という概念も米国には存在するのですが、活用方法としてはそれだけではない、むしろ本文で述べた意味のほうが強いのではないか、ということです。たとえばシャーマン法違反やFCPA違反事件における訴追猶予合意の条件として、本社におけるコンプライアンスプログラムの構築が挙げられますが、そこで用いられる内部統制とは不正予防に重点を置いたものです。

年に数日しか開催されない監査委員会は、この内部統制報告に依拠して監査を行うというものなので、いわば「監査委員会は、内部監査によるチェック状況を監査する」というのが実情だそうです(そりゃ3日間くらいでできることには限界がありそうです)。取締役会自身が厳しく内部統制システムの運用状況をチェックするというものであり、だからこそCEOの業績評価が適切に行われるそうであります。

なるほど、一昨日の役員報酬の課題と同様に、こういった文脈で捉えますと内部統制の改善とガバナンスの改革も、一体でなければ機能しない、ということになりそうであります。果たしてサーベラス社が思うガバナンス、内部統制改革というものが、果たして日本会社のガバナンス、内部統制として根付くものなのかどうか、そもそも、ガバナンスや内部統制の改善に関する双方の認識の差(イメージの差?)はないのか、とても関心を抱くところです。

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2013年5月28日 (火)

金融庁の佐々木審議官より書評をいただきました(経営財務)

Shohyo0342おかげさまで、発売から2か月で4刷となりました拙著「法の世界からみた『会計監査』-弁護士と会計士のわかりあえないミゾを考える」でありますが、このたび経営財務の最新号(3115号)にて、金融庁検査局審議官、公認会計士・監査審査会事務局長でいらっしゃる佐々木清隆氏より書評をいただきました。

佐々木審議官といえば、ご存じのとおり、当ブログでも「金〇庁のチョイ〇るおやじ ことS審議官」として著名な方ですが、このたびは金融検査、監査法人チェックでお忙しい合間をぬって最初から最後までお読みいただき、各章へのコメントをいただいております(どうもありがとうございます<m(__)m>)。もちろん佐々木審議官の個人的な意見という形だと思いますが、市場の健全性確保のために規制する側が「法と会計の狭間の問題」についてどのように考えているのか、というところをいろいろと推測するにはたいへん参考となる内容です。とりわけ当局の事前規制的手法の在り方、リスク・アプローチへの理解、会計監査人と監査役の連係問題などについては、佐々木氏の「思い」が垣間見られ、書評を超えて、一読の価値があります。

書店販売ではございませんが、もし会社等で定期購読されておられる方々がいらっしゃいましたら、ぜひともお読みいただければ幸いです。すばらしい書評を頂戴し、あらためて佐々木審議官には感謝申し上げます。なお、この後も著名な方々の書評が続々と登場する予定でございます。

PS  レックスHD事件の高裁判決が出ていることを旬刊商事法務で知りました。すでに川井先生のブログで解説されていますが、これ、たいへん興味深い判決内容です。最近の企業法務に関する裁判所の審査の在り方にも関連する内容で、私も判決全文を読んでみたいところです。

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2013年5月27日 (月)

役員報酬改革=高度なガバナンス改革(だと思う)

会社法上の論点として、トレンドなのが役員報酬改革の話題ですね。ESG投資、リーマンショック後の長期業績向上についての株主の関心、グループ企業管理の在り方(海外子会社の役員報酬と国内本社の役員報酬との比率問題等)などが背景とされ、法律雑誌や新刊書でも最近よく取り上げられています。また、日本では役員報酬の個別開示が(一部高額報酬の方を除き)不要であるために、そのまま適用されることはありませんが、米国のドットフランク法による株主総会の承認手続きについても話題になっているようです。

会社役員、とりわけ経営トップの役員報酬については、固定制+業績変動制として、業績変動制の報酬を金銭とするか、エクイティとするか、短期と長期の業績どちらにウエイトを置くか等、その制度設計は各社各様です。企業価値を向上させるために、会社役員にどのようなインセンティブを付与するべきか、という視点は理解できるのですが、では具体的にどのように設計すればよいのか、これを決定することはかなりの困難を伴います。

世間的には、この役員報酬制度の制度設計の在り方に関心が高いものと思いますが、すでに役員報酬制度を工夫されている企業のHPなどを閲覧しても、設計された役員報酬制度をどのように運用するのか、その運用方針についてはあまり記載されていないようです。つまり業績をどのように評価するのか、この評価方針についても明らかにされないかぎりは役員報酬改革は成功しないのではないでしょうか。まさか業績評価の判断基準がすべて客観的な数値によって明確になるものだとは思えませんし(だからこそ長期的な業績向上の視点が取り入れられる)、評価の対象となる経営トップ自らが、その業績の自己評価をされる、というものでもないと思われます。

結局のところ、役員報酬改革を経営者の業績向上のインセンティブ付与に結び付けるためには、取締役会をできるかぎりモニタリングモデルに近づける、業績評価の客観性・公正性を確保するために複数の独立社外取締役を導入する(指名報酬委員会の過半数を社外取締役で構成する)といったこととリンクさせて考えなければ、そもそも制度の運用自体が説明できないように思われます。いまいろいろと議論されている報酬改革の議論というのは、そのあたりまで検討されているのでしょうかね?

以前、当ブログでも一度取り上げた行動経済学の実証研究として、株主は企業行動の方針が開示されたときには関心を持つが(つまり株価に影響を与えるが)、その企業行動が適切に運用されたかどうかにはあまり関心を持たない(つまり株価には影響を及ぼさない)といったことが「開示リスク」として指摘されておりました。株主総会において役員報酬の承認を受ける(報酬金額の大枠を決める)、という最低限の株主との約束事を超えて、実際に業績連動性の役員報酬がどのような評価手続きを経て具体的に決定されるのか、そのあたりについて取締役が「わかりやすく」株主へ説明責任を尽くすためには、上記のような本格的なガバナンス改革が並行して行われることが必要ではないかと思います。

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2013年5月24日 (金)

監査役の意見表明が期待される場面-ベリテ社の株主提案

昨年からガバナンス上の混乱が継続していたと思われるベリテ社ですが、5月23日のリリースにおきまして、議決権の過半数を保有する株主より①常勤監査役の解任議案、および②現常勤監査役解任決議が可決されることを条件としての新たな監査役選任議案が提出されることが明らかにされています。そして、この株主提案に対して会社側が「取締役会の意見」として、賛同意見を付記しておられます。ちなみに①の解任理由としては、

2012 年3月19 日に開始された調査委員会による調査及びその対応等により、当社に少なからず損失及び混乱が生じたところ、監査役による業務監査が日ごろから適切に遂行されていれば、かかる事態を防止することは十分に可能だったと思料されることから、当社監査役大竹章彦氏は常勤監査役として適任でないと判断し、その解任を求める。

とされております。

昨年から会社側としては「常勤監査役の交代を検討します」と述べておられたと記憶しておりますので、今回のリリースは、昨年来の騒動の終局段階ではないかと推測いたします。株主提案による解任議案、選任議案なので、法律上はとくに議案上程にあたり監査役会の同意が必要、というわけではございません。

ただ、株主提案の理由としては「監査役会が調査委員会設置を決める等の行動によって会社の信用を毀損させたが、これは日ごろの業務監査が適切になされていれば防げたものである」とのこと。つまり監査役の監査に問題があったからこそ解任する、というものですが、取締役の不祥事の疑惑について調査を決定したのは常勤監査役さん個人ではなく、「監査役会」なので(たとえばこちらのリリース)、この解任議案については他の監査役さん方がどのように考えておられるのか、これはぜひとも意見をお聴きしてみたいところです。他の監査役さん方も、会社を混乱させたのは常勤監査役個人の監査の懈怠に起因するものと考えておられるのかどうか、これは一般株主にとっては重要なポイントではないでしょうか。

あのトライアイズ社の元監査役だったF氏は「監査役としての資質を欠く」と会社側から指摘され、裁判の末(和解という形ではありますが)訂正・謝罪公告を勝ち取りました。いわば「監査役が任務を怠った」という理由で解任されることは監査役にとっては屈辱であり、名誉にかかわる問題であります。また、(記憶違いで間違っていれば訂正いたしますが)監査役会が設置した第三者委員会の報告書については、(取締役会は当初、委員会活動に全面的に協力すると発表しながら)開示することを拒否し、別の第三者委員会を設置したように記憶しています。だとすると、会社の混乱を生ぜしめたことに取締役会も寄与しているもののようにも思われますので、常勤監査役の業務監査の懈怠と会社の混乱が、どのように結びつくのか、株主提案理由だけでは全く不明です。

監査役解任には特別決議を要するとはいえ、過半数の議決権を保有している株主さんの提案ですから、可決されることはかなり濃厚ではありますが、それでも多数の個人株主さんがいらっしゃる会社なので、会社側による監査役解任議案の上程との平仄を合せるためにも、そういった配慮が求められるように思います。株主総会の招集通知には当該常勤監査役さんの意見は表明される可能性がありますが、取締役会と監査役会が対立した事例であるがゆえに、こういったリリースの段階においても、取締役会の賛成意見と合せて、監査役会(または当該常勤監査役さん以外の監査役さん)の意見表明も開示していただけたらなぁと思うところです。

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2013年5月23日 (木)

KDDI不当表示事件にみる情報共有のむずかしさ

既にご承知のとおり、消費者庁はKDDI社に対して景表法違反(優良誤認)による排除措置命令を下したそうであります(消費者庁公表資料)。同社の販売するiphone5について、最大高速通信可能な人口カバー率が14%であるにもかかわらず、96%のカバー率であるかのように広告で表示をしていたことが問題とされているようです(同社のお詫びとお知らせはこちら)。

当ブログを長年ご覧になっている方ならば「ん?この事件、どこかで聞いたことがあるような・・・」とお思いになられるかもしれません。そうです、平成21年の日立アプライアンス社のエコ大賞冷蔵庫事件とそっくりであります。環境にやさしい部材が冷蔵庫に使用されているとパンフレットに書かれているのですが、実際の冷蔵庫には使われていなかったという、まったく「ありえない」事態が発生してしまった、というものです。この事件で日立アプライアンス社は「エコ大賞」を返上したものの、実際に夏のボーナスシーズンに売り上げが激減し(日経新聞記事より)、経済的損失という事実上の制裁を受けてしまいました。

あの事件のときも、ありえない不祥事がなぜ発生したか、というところで、関連部署間における情報共有ができていなかった、ということが発表されました。今回のKDDI不当表示事件でも、上記お知らせによると同じことが記載されています。

しかし「情報共有ができていなかった、情報の相互確認が不足していた」というのは、たしかにそうであるとしても、ではなぜ情報共有ができなかったのか、相互確認ができなかったのか、そこまでさかのぼって原因を分析しなければ、いくら研修をしてもまた同様の不祥事は再発すると考えております。

たとえば制作部門は経営者から「もっと品質の良いものを早く作れ」と指令が出ます。また、サービス部門には経営者から「もっとiphone5の販売を促進しろ」と指令が出ます。いずれの部門も、与えられた別々の課題に取り組むことが最重要課題であります。そうなりますと、いくら情報を共有したとしても、関心のある情報、価値のある情報は各部門で異なります。制作部門ではAという情報が、そしてサービス部門ではBという情報が最も優先的に配慮される情報です。このことを知らないで情報を正確に共有しようとしても、伝達にミスが生じるのはむしろあたりまえのことかと思います。また、すべての情報を正確に伝達するなどということは非効率であり、お客様にとって何が大切な情報なのか、そこが部門相互間で共有され、確認されなければミスはますます増えるだけだと思われます。

ちなみに日立アプライアンス社の場合は、再発防止策として、冷静に情報の価値を判断できる「第三者機関」を新たに設置して、ここで最終チェックを行う仕組みを構築していました。

さらに、会社組織は人間の組織であります。情報の送り手にとって、伝えたい情報とあまり伝えたくない情報であれば、情報伝達の正確性に差が生じます。また受け手のほうも、聞きたい情報は(耳に心地よい情報として)ほぼ正確に記憶しますが、自分たちにとって都合の悪い情報は、聞きたくないか、もしくは記憶から遠ざけようとします。これが情報の共有を困難にする最大の要因です。こういったリスクが存在することを情報の伝え手、受け手相互に理解しておくだけでも大きなミスは防止できるものと思います。今回KDDI社は「承認フロー」をルール化するとしていますが、この「ルール化」も自分に都合のよいようにルールを解釈してしまうおそれがあることは、過去の多くの不祥事が物語っているのでありまして、やはり第三者機関等による確認手続きが望ましいといえます。

今回のKDDI社の事件に関する一連の報道を読み、とてもこわい(他社でも同様のことがあるのでは)と感じたのが、「もうすぐホントにiponeでも実人口率96%が実現するのだから、まあウソにはならないのでは」という驕りであります。ちょっとおかしいのでは?と心の中で悩むコンプライアンス違反が発生したとしても、それを正当化する根拠というものを人間は常に探します。本件では、そんな言い訳を模索している中で、「あと3カ月もすれば、この表示のとおりに実現するんだから、たいしたことではない」と自分で自分を納得させてしまったのではないでしょうか。社外の人間ならば「そんな理由は通用しない」と冷静に判断できるのでありますが、いざ自分が当事者になってしまいますと、そういった理屈で自分の判断を正当化してしまう、つまり社内の常識が判断基準となってしまうわけです。意外とどこの企業においても似たような判断をされているケースに出会います。誰かの責任に押し付けられない、いわば組織の構造的欠陥に属する問題なので、こういった企業風土に誰かが気づかなければならないと思うところです。

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2013年5月20日 (月)

企業はどこまで不祥事を公表すべきか?-ダスキン事件を参考に

先週金曜日(5月17日)、関西で開催されたスタートアップエンジン2013におきまして、「法の世界からみた上場会社の悲喜こもごも」と題する講演をさせていただきました。たくさんの起業家の皆様、起業家の方を支援する皆様が熱心に聴講しておられましたので、こちらもたいへん気持ちよくお話することができました。また私自身も、クックパッド社の元CFO成松淳さん、シナジードライヴ社の板倉雄一郎さんのお話をお聴きできて、たいへんラッキーでした。

講演の最後に会場から三つほどご質問を受けたのですが、そのひとつにブログのエントリーでも書かせていただいたトリドールさんの「ざるうどん事件」における会社対応に関する質問がございました(たぶん、私のブログをお読みになった上でのご質問だったと思います)。今回のトリドールさんの「ざるの裏にカビが残っていた」という問題は、現場対応で済む話ではないか、果たして公表までしなければならない問題だったのか、そもそもあの程度であれば、社長は不祥事すら知らなかったのではないか、そのあたりの意見を伺いたい、とのことでした。

企業不祥事が発生した場合に、その不祥事から更なる消費者被害、取引先損害が発生する可能性がある場合には、これは公表(当局への報告を含む)しなければならないことは明らかです。これは経営者の法的責任(善管注意義務違反)につながるところです。問題は、すでに不祥事に起因する損害が拡大するおそれはないけれども、当該不祥事発生が消費者を含むステークホルダーの関心事である場合です。ここが結構判断がむずかしいところではないでしょうか。

たとえばトリドールさんの例では、会社が公表したのは「衛生面で不行き届きがあった。申し訳なかった。今後は安全面で十分に配慮します」というものです。しかしマスコミの報道は、別のところに関心があり「4月に苦情があり、社内調査の結果他にもカビが残っていた事例があったことが判明していたのに、フェイスブックで写真が公開されて話題になるまで公表しなかった」というところにあります。いわば、会社は「一次不祥事」を起こさないことに関心が向かい、マスコミは「二次不祥事」の可能性に関心が向いています。

では、違法添加物の入った肉まんを(違法だと知りつつ)売り切ってしまい、この事実を公表しなかった取締役や監査役に多額の損害賠償責任が認められた「ダスキン事件」を例にとって考えてみたいと思います。あの事件では、過去の不祥事を公表しないという方針を決定した取締役らの善管注意義務違反が認定されたわけですが、「では、どこまで公表していれば善管注意義務を尽くした、と言えるのか」は明らかになっていません。

具体的には、①違法添加物の混入した肉まんを消費者に販売したこと、②違法添加物の混入した肉まんを、違法と知りつつ消費者に販売したこと、③違法添加物の混入した肉まんを、違法と知りつつ販売し、後日、これを知った外部の第三者に口止め料6300万円を支払って隠ぺいしたこと、の三つの選択肢があるかと思います。いわば一次不祥事だけを公表するのか、二次不祥事まで含めて公表すべきなのか、というところです。もちろん大阪高裁の判決文にも明記されているとおり、会社役員の法的義務として議論する前提として、「後日、隠しきれない可能性がある」場合を想定しています。

有事に直面した企業担当者の方々であれば、おそらく①で済まそうと考えるものと思います。上記大阪高裁の判決文にも出てきますが、人間は有事になると「たいしたことではない」と思いたくなるものです。なので「公表するといっても、この程度で十分」と軽めに判断することもやむをえないかもしれません。

しかし冷静な判断が可能である平時に考えてみますと、会社の信用を毀損してしまう②や③の事実についても公表しなければならない、という方向で検討しなければ善管注意義務違反になるように思われます。企業価値の喪失を最小限度に抑えることが取締役らの義務だとすると、その「企業価値の喪失」に最も関係のある事項こそ公表すべき対象だと思います。先のダスキン事件の大阪高裁の判決も、明確には示していませんが、取締役会で検討すべき公表事項を検討するにあたり、このあたりを区別して検討されていません。また、①で済ませたとしても、事情を知っている第三者や社員の内部告発によって、公表されていない②や③の事実が追加で公表される可能性というものも否定できないと思われます。

なお、先のトリドールさんの事例に関するご質問に対して、取締役の善管注意義務違反の問題ではありませんが、むしろ不祥事を公表することが企業価値の向上につながる可能性もある、ということを申し上げました。どんな企業でも不祥事は起こすわけでして、消費者の関心は、不祥事が起きた時に消費者の事を最優先に考えた対応をしているかどうか(いわゆる安全思想と安心思想との区別)に関心があります。そこでの対応が適切なものであれば、むしろ企業のファンを増やすことにもつながるのではないでしょうか。不祥事が昔とは比較にならないほど発覚しやすくなった時代、このあたりも有事の経営判断として検討すべきではないかと思うところです。

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2013年5月15日 (水)

開示規制はどこまで行為規制に代替しるのだろうか?

昨日(5月13日)発売の週刊東洋経済「会社の数字」特集にて「不正はどこでも花開く」と題する小稿を掲載いただいておりますので(同誌65ページ)、ご興味のある方はご一読いただければ、と。なお60ページからの宇澤亜弓氏(公認会計士)による「会計社は社会的使命に立ち帰れ。守秘義務を言い訳にするな」はとても読み応えのある力作であり、これまで他ではあまり聞かれなかった意見なども満載で参考になります。

さて、以前ご紹介した行動経済学の本「ずる-うそとごまかしの行動経済学」(ダン・アリエリー著)がたいへんおもしろかったので、あれ以来統計学に関する本を数冊まとめて読むようになりました。あの本でも少しだけ話題になっていたのが、開示規制の効用であります。法が人間に作為、不作為を命じるという行為規制の代わりに、ときどき「なぜ行動するのか、しないのか、その合理的な理由を説明しなさい」とか「違法性が疑われる行動について、適法だというのであれば詳細を開示しなさい」といった開示規制が設けられることがあります。

自由を最大限保障したうえで行政目的を達成せんとする手法は、規制緩和により事前規制社会から事後規制社会へと移行しつつある日本の社会にも開示規制があてはまるようにも思えます。たとえば会社法の見直し論議に出てくる社外取締役設置問題についても、会社法は独立社外取締役の導入が望ましいというスタンスをとった上で、もし社外取締役を導入しないのであれば、当社では導入することが相当ではないとする理由を開示しなさい、ということになります(秋の国会で法案が提出されるようですね)。

しかし、いろいろと統計学の本などを読んでおりますと、開示される情報をどこまで市民や投資家が関心をもっているかといいますと、かなり怪しい。規制する側は、重要な情報を開示させれば開示するほうがウソはつけないから、当局が望ましいと思う行動が伴うであろうと期待をします。しかし、上記「ずるーうそとごまかしの・・・」の本では、開示した人たちは「開示をした」という良いことの反動として、これに見合う虚偽や隠ぺいをおこなって「心のつじつま合わせ」をしてしまう、といったことを実証しています。企業と取締役との利益相反行為の詳細を開示するように要求すると、その詳細を開示したことで、かえって不誠実な取引が増える、といった具合です。

また、「今年度はこのような事業を行います」と情報を開示したところで、その開示された内容が本当に企業によって行われたのかどうか、その業務に関する評価はあまり株価には影響せず、むしろ「今年度はこのような事業を行います」と開示したときのほうが株価に影響をする、といった実証研究が出ています。つまり投資家の自己責任とは言われるものの、実は投資家はあまり企業の開示情報には関心がない、といったことのようです。たしかに詳細な有価証券報告書が出されても、これを投資家がどこまで判断材料として見ているかは疑問かもしれません。

開示規制というものも、市場の健全性確保のために活用されるということになりますと、「誰がみても悪党」と思われる0.5%の会社にとっては有効でも、残る(ほぼ誠実に企業経営をしている)99.5%の会社にとっては、むしろズルをする誘因になる(誠実さを緩めてします)とか、PDCAを尽くさないといったことになってしまいますと、規制の効率性という視点からはかなり問題ではないかと。かといってガチガチの行為規律をもって対応する、というのも不経済であります。結局のところ、開示規制についても工夫が必要なのでしょうね。今回、会社法の見直しの中で、内部統制の基本方針の整備とともに「運用状況の概要」も事業報告において開示されることになりますが、きちんと検証したこと自体を開示する、といった手法を採用することで、PDCAも開示の対象とされるようなことも一つの工夫かと思います。

ちなみに拙著「法の世界からみた会計監査」の第10章「訂正と非開示のコンプライアンス」では、上述と同じような問題意識のもと、開示コンプライアンスの一環として、企業の誠実性が透けて見える開示規制の工夫について述べております。むしろ開示規制はソフトローの時代には、企業の誠実性を表現する手段にもなりうると考えております。開示規制を「やっつけ仕事」とみるか「企業の誠実性を表現する戦略」とみるか、企業の姿勢によって変わりうるものだと理解しています。

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2013年5月13日 (月)

トリドール事件から考える集団的消費者訴訟制度の脅威

すでに多くのマスコミで報じられておりますが、「丸亀製麺」を運営するトリドールさんが、かびの残っていた「ざる」によって「ざるうどん」を提供していたことについて正式にHP上で謝罪をされたそうであります(トリドールさんの「おわび」はこちら、またたとえば神戸新聞ニュースはこちら)。マスコミの論調や同社広報の内容からしますと、同社広報はカビの残っていたざるを用いて食品を提供したこと(一次不祥事)を重大だと認識し、いっぽうマスコミは客からのクレームを1か月間公表しなかったこと(二次不祥事)に関心を示していることがわかります(なるほど新聞報道には他の店舗でもカビが見つかったことが報じられていますが、トリドールさんの謝罪文には他店での発見のことには触れられておりません)。

2010年の「日清ラ王事件」をはじめ、SNSによって企業の不祥事が明るみに出る「おそろしさ」や、こういった社内と社外の関心の「ズレ」の問題は、当ブログでも過去に何度もお伝えしているところなので、企業コンプライアンス的には重要な点ではありますが、もはや改めて解説するほど目新しいものではございません。また、同社広報が伝えるとおり、こういった問題は個別対応で足りるものであり、果たして公表しなければならないことなのだろうか・・・という点も、いろいろと意見が分かれるところではないかと思われます。ただし、ひとつ言えることは「食品の安全を守るためには、被害者が存在する可能性がある限りは公表しなければならない」といった社会的な価値観が世間で相当強く存在することは事実として認めざるを得ないと思います。

さて、こういった社会的価値観は、これまでソフトロー(たとえば安全に関わる事故を公表しない企業はブランド価値の低下をもたらす等)によって企業に自律的行動を促してきたわけでありますが、ハードロー、つまり今後成立が予定されている集団的消費者訴訟(集団的消費者被害回復訴訟制度)の運用にも影響を及ぼすのではないでしょうか。

ご承知のとおり、今回成立が予定されている集団的消費者訴訟(被害回復制度)は製造物責任にはそのまま適用されるわけではありません。しかし、たとえば製品の瑕疵に起因するものとは言えないけれども、商品やサービスの提供契約に付随した企業側の信義則上の義務(たとえば安全配慮義務など)に違反した場合の債務不履行責任や、安全な商品を提供すべき注意義務違反による不法行為責任といった構成が可能であれば、おそらく商品損害の賠償請求の範疇に含まれてくる可能性があります。上記のとおり、社会的価値観に変化が生じている、ということであれば、実体法のレベルでもトリドールさんのような事例が集団的消費者訴訟制度に関連して、ソフトローのみならずハードローの世界でもリーガルリスクが拡大する要因になるのかもしれません。

また実体法のレベルだけではく、訴訟法のレベルでも企業側で検討すべき課題があると思います。たとえば企業が一次不祥事の存在を知りつつ、これを公表しなかったという事実が判明した場合、これを企業側が訴訟上で不利益に援用されてしまう(隠ぺいしたということは安全面で問題ありと企業側が考えていたから)、といったことも考えられます。先日エントリーしましたように、公益通報者保護法との組み合わせによって会社内部の資料も含め、有力な内部告発が増えることも考えますと、これは企業にとってかなり重大なリスクになってくるのではないでしょうか。

こういったことは、まだ世間では誰もおっしゃらないことなので、私の理解不足によるところもあるかもしれませんが、とりあえず今回のトリドールさんの事件に対する社会的な反響の大きさからみますと、企業側としても検討しておく必要があるように思った次第であります。

PS

5月10日に公表された自民党・日本経済再生本部の中間提言、なかなかスゴイ内容ですね。コーポレートガバナンス改革について、きわめて興味深い内容が盛り込まれておりますが、また別途エントリーにて。

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2013年5月10日 (金)

会計監査人の過失は「会社の過失」と評価される?

おかげさまで拙著「法の世界からみた会計監査」が本日(5月9日)第4刷の発行(3回目の増刷)が決定いたしました。どうもありがとうございます。<(_ _)>

さて、あまり大きく報じられておりませんが、昨日(5月8日)の日経ニュース、時事通信ニュース等で、名古屋鉄道から出向していた社員が、出向先である愛知高速交通社の会社資金を横領した事件に関する判決が出ております。

この出向社員は、愛知高速交通の会社資金6,360万円を横領したそうですが、愛知高速と出向元の名古屋鉄道との間では、もし出向社員が不正によって出向先企業に損害を与えた場合には、その補償を行う旨の合意が締結されていたようです。刑事事件に発展した横領事件により、愛知高速交通さんは名古屋鉄道さんに6,260万円の損害補てんを求めて提訴したところ、名古屋地裁は損失補てんに関する両社の合意の存在は認めたものの、愛知高速鉄道さんにも「監査を怠り、会計監査人にも落ち度があった」として、結局は請求額の半分の3,150万円程度の損害賠償のみが認容されたそうです(時事通信ニュースはこちら

ニュース記事だけでは、どのような法的構成によって請求額の半分だけが認容されたのかはわかりませんが、おそらく契約責任として、法人である名古屋鉄道さんの責任が認められたように読めます(ちなみに日経ニュースのほうでは、裁判官が判決理由の中で、元社員は愛知高速交通における実質的な出納責任者としての立場を悪用した、名鉄の責任については、出向中の社員が損害を与えた場合補償するとした契約の有効性を認めたが、愛知高速交通にも「経理業務を元社員に任せ、十分な監査を行わなかった」と過失を認定した、と報じています)。

(時事通信と日経のニュースを併せ考えまして)愛知高速交通さんの過失の内容として、会計監査人の過失が認められたとすると、会計監査において、社員の横領の事実を見逃したことが、会計監査人の過失とされているようです。これが会計監査人の過失(落ち度)ということになりますと、愛知高速交通さんとしては、「ちゃんと会計監査をしてくれていれば、満額の損害賠償が名古屋鉄道さんからとれたではないか」といった主張につながり、今度は愛知高速交通さんが会計監査人を訴えることになるのではないでしょうか?(もちろん、愛知高速交通さん自身の監査にも問題あり、ということですから、全額求償、というわけではありませんが)。

愛知高速交通さんは非上場大会社(資本金29億円)なので、会社法上の会計監査人設置会社(会計監査人を設置しなければならない株式会社)にあたります。プロの会計士さんがリスク・アプローチによって計算書類の監査を担当されていたわけですが、この裁判の中で、ご自身の注意義務違反の有無について、防御の機会が与えられていたのかどうかは不明です。ひょっとすると、当事者だけが裁判に関与して、その攻防の中で会計監査人のミスが指摘された、という構図なのかもしれません。いずれにしても、会計監査人は社内の人間ではありませんが、過失評価の対象としては会社の過失と同等に評価される、というのはこれまであまり考えてこなかったところではないかと。

私的な意見ですが、契約責任を論じるにあたり、会計監査人のミスは会社のミス、と評価することには、やや違和感を覚えるところもございます。会計監査人というのは社内の従業員でもないし、会社の機関といえるかどうかも微妙です。ちなみに江頭先生の「株式会社法」第4版560ページでも、「会社法は会計監査人を『機関』とみているようでもある(会社法326条2項)」と記されており、うーーん、どっちなんだろう?といった印象が残ります。講学上の興味からではありますが、この名古屋地裁の判決、どなたか関係者の方が当ブログをご覧になっておられましたら、こそっと見せていただけないかと(まぁ、無理でしょうね・・・笑)

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2013年5月 9日 (木)

活字フェチ弁護士さんから書評をいただきました。

いつも拝読しております活字フェチ先生のブログ「企業法務のツボ★活字フェチ弁護士の臨床的視点」にて、拙著「法の世界からみた『会計監査』」の書評をいただきました。正真正銘の企業法務の最前線で日夜勤しんでおられる活字フェチ先生の冷徹な中にも温かさのある(?)視点からどう映るのだろうか・・・と、ワクワクしながら読ませていただきました(かなりの長文ですね・・・)。

会計士の方々からは、読後感想文をたくさん頂戴しているのでありますが、同業者の方々からみると本書はどのように映るのか・・・。正直、不安なところがございました。ただ、企業法務に携わっておられる方々が、ご自身のご経験にフィードバックされて「いや、これは言えてる」「うーん、ちょっとここは別の考え方もあるんじゃない」といった感じで沈思黙考していただければいいなぁといった(読まれ方の)希望はありました。活字フェチ先生のご感想は、この希望にかなり近いものでした。

ホント、内部通報制度に「魔法の杖」などないんですよね。最近はとくに海外不正案件などに通報制度を活用しましょう・・・といった空気もあるのですが(いや、私自身、某雑誌にもそういった企画モノの論稿を出していますし)、実務体験を積んでいくうちに「海外不正案件の内部通報って取扱を間違えるとヤバくない?」といった理解も進んでくるわけであります(たとえば米国の司法妨害罪や弁護士秘密特権との関係など)。しかし、その実効性は高いものがあるので、トライ&エラーで進めなければならないわけですね。

会計監査を取り巻く環境も、大きく変わろうとしているにもかかわらず、関与する専門家の意識はなかなか変わらない、というのは弁護士の世界にも通じるところがあると思います。そのあたりの職業意識を変えていかないと、社外役員制度も機能しないだろうし、「法化社会」と呼ばれる社会の流れにも乗れないような気がしています。活字フェチ先生の「妄想」の部分は、なかなか弁護士が口に出してビジネスの世界で言えない(言ってはいけない?)のかもしれませんが、そこをクリアにしていかないと弁護士や会計士というものが社会インフラにはなりえないのではないかな・・・と思っております。

ネタバレにも配慮いただきまして恐縮でございます。ご関心を寄せていただいた第9章につきましては、マスコミの方々にも注目していただいておるところでして、来週発売の週刊東洋経済(会社の数字特集)でも取り上げられております(これ、言っていいのかな?まぁ、いいことにしときましょ 笑)。そちらもどうぞよろしくお願いいたします。

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2013年5月 8日 (水)

会計監査に「セカンドオピニオン」はあるのだろうか?

4月16日に「ランド社は想定外だったのか-第三者委員会の乱」と題するエントリーをアップいたしましたが、本日(5月7日)、同社の第三者委員会は最終報告書を公表しないまま、役職員の調査非協力ということで調査続行を断念、その結果として任務を終了したことがリリースされております(なおリリースはこちらこちらをご覧ください。ただし、今後(当該第三者委員会による)最終報告要旨については作成される、とのことです)。

第三者委員会のこれまでの調査に基づく意見の概要については今回の会社のリリースの中で掲載されているところ、会社側は別の専門家委員による意見を三つ取り付け、その参考意見に基づいて第三者委員会の意見へ反論をされています。そして(なんと?)今後はさらに別の第三者による調査委員会を構成して調査対象事実に関する再調査を依頼する、とのこと。

これは全くの私見ではありますが、今後の第三者委員会制度の適正な運用のためにも、以下の3点については今後、このランド社の開示資料等を参考にしながら検討する必要があるものと思います。

ひとつは中間報告で問題になっていた会社側提出資料の「ページ抜き取り」の経緯であります。別の委員会による参考意見等では、たとえ抜き取られていなかったとしても、会社側の会計処理は誤りとまでは言えなかったとの結論になっています。しかし「重要性の原則」からすれば(会計士的発想からすれば)特に結論を左右するほどの問題なし、となるのかもしれませんが、弁護士的発想からすれば、小さな欠陥(手続き違背)は、その背後の大きな問題を表象する証拠としての価値があります。なにゆえ資料「抜き取り」という事実が起きたのか、その経緯を明確にすべきだと思われます。この点について関係者からの供述が得られなかったのかもしれませんし、また刑事立件を前提とした捜査が先行していることもあり、どこまで任意で調査できるのか、という問題も出てきていたのかもしれません。

二つめは、会社側が設置した別の専門家(弁護士および会計士)による意見が出されていますが、これについては誰による、どのような依頼に基づいた意見なのか、会社側は明らかにすべきではないか、という疑問です。先日、大阪産業大学のやらせ受験騒動において、学校法人側は、第三者委員会を設置したとしながら、誰が委員なのかは非公表としています。読売新聞に私は「誰が委員なのかはっきりしないのは、報告内容の信用性にかかわる」とのコメントを出させていただきましたが、拙著「法の世界からみた会計監査」でも強調しているとおり、弁護士や会計士が意見を述べる際には、リスクを背負わなければ、その職務の誠実性は見えないと思います。リスクというのは、ここでは実名で自ら誠実に意見を示したことを公表することです。専門家として公正独立の立場で意見を述べたのであれば実名で、そうではなくあくまでも会社側の利益のために参考意見を書いたのであれば氏名非公表で、といった区別が求められるものと思います。ちなみに、同社の第三者委員会が、鑑定書を書いた専門家にヒアリングをして、初めて「資料の抜き取り」という極めて重要な事実が発見されたことは、4月16日の前記エントリーで記載したとおりであります。

最後に、これも拙著で述べているとおり、会計処理にはオピニオンショッピングはあっても、セカンドオピニオンはない、ということです。セカンドオピニオンが存在しないからこそ、会計士の意見表明は最終判断権者の意見として投資家から高い信用を受けるわけです。セカンドオピニオンらしきものがあるとすれば、それは相対的真実を探るという会計の使命に由来する「真実の幅」の問題です。一定の幅がある以上、その範囲内であれば真実ですが、それは真実が二つあることを認めるものではありません。会計処理の正しさに「見解の相違」はありえない、というのが私の考え方です。ただし、この見解については、概念フレームワークをきちんと整理したうえであればセカンドオピニオンもありうる、という考え方など、何名かの会計実務家の方からご異論もいただいておりますことを申し添えいたします。

いずれにしましても、今回のランド社の件については、今後の第三者委員会による活動の在り方や、会計処理におけるセカンドオピニオンの問題、弁護士と会計士の事実調査の在り方の問題など、まさに法と会計の狭間を整理するうえで重要な論点を含むものであります。ぜひとも、有識者の方々によって整理検討していただきたいと思います。

Shohyo0022(お知らせ)もうそろそろ皆様方に「しつこい」とお叱りを受けそうですが、新聞で拙著が取り上げられて以来、書店さんのほうでも広報をしていただけるようになりました。左の写真は先日オープンしたばかりのグランフロント大阪の紀伊國屋書店の本日(5月7日)の様子です。ありがたいことに「書評にのりました」とポップアップがついております。(書店の皆様、ありがとうございます)

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2013年5月 7日 (火)

海外ファンドの資産運用トラブル事例は監督強化だけで防止できるか?

昨年のAIJ投資顧問事件に続き、最近ではMRIインターナショナル事件が問題となっております。AIJのような投資一任業者に対する規制強化については、先月閣議決定された金商法一部改正により、今後同種事件が再発しないための処方箋が法制化されたようであります。こういった第1種金融商品取引業者の規制については、行為規範やビジネスモデルの見直しによって規制の実効性が(ある程度は)確保されることになると思います。そこでは対象業者に対する行為規制、違反行為への厳罰化といったものだけでなく、行政当局による関与金融機関への監督強化と、金融機関の自律的行動への期待が盛り込まれております。いわば仕組み規制で再発防止を図る、というものであります。

しかしMRIのような第2種金融商品取引業者の場合には、ファンドの仕組みを規制するという形ではなく、あくまでも(ファンドという『みなし有価証券』を取り扱う)業者規制という手法がとられているために、行為規制の厳格化だけに頼って実効性を確保することはなかなか難しいようであります(消費者・投資家保護の要請とともに、一方では海外ファンドを通じた日本の海外援助、金融競争力の拡大も必要となるわけでして、そのバランスをどう図るか、という問題に直面します)。そこで行政当局としては、投資家保護のために、どのような規制手法を採用すべきか、AIJとは別の発想が必要になるものと思います。

こういった事件が発覚するたびに、「金融庁は何をしていたのか」「投資家がリスク商品に安心して手を出せる体制づくりこそ重要だ」と言われますが、私は不正調査を行う立場からみて、規制を強化するだけでは事件は防止できないと推察しております。なぜなら、頭の良い方々、勘の鋭い方々は「ちょっとおかしい」と感じても、自分たちが儲けることができる間は「おかしい」とは口に出さずに儲け続け、世間がみんな「おかしい」と知ったころには利益を確定した上で「いやいや、私たちも被害者です」といったスタンスをとるわけでして、表には出てこられません。刑事罰等の事後規制強化を図ってみても、AIJ事件や今回のMRI事件のように、そもそも社員ですら「仕組みが違法だとは知らなかった」という事態となれば、販売ノルマを果たすことに狂奔するだけであり、なんら抑止力が機能しないのではないでしょうか。

また、ホントに騙されて多大な損失を被ったた方々は、けっして最後まで「自分が騙された」とは思いたくないのです。それゆえ過去に何度か配当(らしき金銭分配)がなされた経験があれば、心のバイアスが働くためにその経験にしがみつき、「いまは損失が出ていても、かならずその分利益は出してくれる」と信じ、自ら「おかしい」とは口に出さないのであります。それゆえに、マスコミで事件が報じられた後でも、加害者が被害者に更なる詐欺行為を重ねることも可能だったりするわけです。事件が表面化しない限り、いくら監督を強化しても行政目的(被害拡大の防止)は達成できないと思われます。

真の再発防止のためには、やはり自己責任原則の周知(金融リテラシーの向上)が最も必要ではないかと。その周知方法としては、単純に業者の説明義務の拡張や啓蒙活動というだけでは到底困難であり、「独立した専門家のアドバイスを受けるには、それなりのお金がいる」ということを前提に、多くの投資助言家が日本にも出てくることではないでしょうか(すでにご活躍の方もいらっしゃると思いますが、それでも独立系の方はまだまだ少ないですよね。ただ、この専門家の助言というものも、すでに当ブログでご紹介している「AIJ事件の深き闇」を読みますと、本当に役に立つのかどうか、若干不安になったりもするのですが・・・)。また業者規制ということであれば、業界団体による自主規制のようなものを組織して、これに所属する組織かどうか、という点を確認することなども自己責任の一環とすべきだと思われます。こういった自己責任原則の徹底は、「出資金」や「有価証券」と称して登場する海外のPEファンドを精査する立場にある一般事業会社の取締役や監査役の善管注意義務を論じるにあたっても同じことが言えるのではないかと。

(お知らせ)

Estabu098昨日お知らせいたしましたように、新聞に書評が掲載されるなど、拙著「法の世界からみた会計監査」の認知度も若干ではありますが、高まってまいりました。左の写真は5月6日のジュンク堂なんば店の様子です。書店の方々にも、応援いただいております!感謝です<m(__)m>。

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2013年5月 6日 (月)

日経新聞「日曜書評」にて拙著を紹介いただきました(本のご紹介)

Nikkei002ゴールデンウィーク中も、二つの本業(不正調査関連業務、内部通報代理業務)が重なりまして、ほとんど休めなかったため、ブログの更新もお休みさせていただいておりました。明日からまた平常どおり更新しようと思っておりますが、その前に今日は少しだけ営業活動をさせていただきます。

拙著「法の世界からみた『会計監査』-弁護士と会計士のわかりあえないミゾを考える」(同文館出版 1890円税込)が、先日の毎日新聞に続き、5月5日の日経新聞朝刊「日曜書評」にて書評をいただきました(書評の内容はちょっと引用することは差し控えますので、左の写真を拡大いただければと)。このようなマニアックな問題をとりあげたものを、全国紙で取り上げていただき、たいへん感謝しております。同時に、読者の皆様から、これまでたくさんのご意見、ご異論を頂戴しておりますので、それなりに今後の議論への「たたき台」程度にはなりつつあるのではないか、と思っておりまして、法と会計の狭間にある諸論点にご関心のある方々には、広くお読みいただければ幸いでございます。

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