サーベラスが西武の内部統制改善にこだわる理由(その2)
先週、内部統制に関する話題を取り上げましたが、非常にたくさんのアクセスをいただきました。これは内部統制に関する関心が高いからというわけではなく、タイトルの「サーベラス」「西武」のほうの関心が高かったから、ということだったのでしょうね。ということで、中身とタイトルにギャップがあることは承知しておりますが、もう少し先週のお話の続きをさせていただきたいと思います。
皆様ご承知のとおり、先週土曜日にサーベラスによる西武に対するTOBの結果が公表され、36%程度の株式取得に留まったそうです(目標上限は44%)。報じられるところでは、今後のバトルは6月25日の株主総会に移るとのこと。ということで、今後もサーベラス側と西武経営陣側とで「企業統治」「内部統制」に関する議論の対立がそのまま続くものと思われます。一番わかりやすい意見の対立がサーベラス→株主と対話をしようとしない姿勢にガバナンス上の問題がある、西武経営陣→いや、特定の株主のみを特別に扱う姿勢こそ内部統制上の問題、といったところでしょうか。
6月1日のコーポレートガバナンスネットワークの関西勉強会に参加いたしましたが、ある経営者の方が、「株主との対話」に関するご自身の経験を踏まえ、
日本の機関投資家の人たちは、社長と面談する際、多人数でやってきて、和気あいあいと意見交換をする。話題は会社の中期経営計画の中身とか、今後の収益見込みといったことが中心である。しかし海外の機関投資家の人たちは、比較的少数でやってきて(しかも若い女性が多い)、和やかな雰囲気はなく、終始真剣にヒアリングが行われる。決定的に日本の機関投資家と異なるところは、会社の方針がどうの、現状分析がどうの、といったことはほとんど聞かれず、終始「この経営者は本当に信用できるのかどうか」その一点だけを知ることを目的とした質問が続く。いわば「会社を見ている」のではなく「経営者を見ている」という雰囲気だった。
といった趣旨のお話をされていました。これは拙著「法の世界からみた『会計監査』」第11章「日本人は原則主義がお嫌い?」の中でも、私が「内部統制」について問題提起をさせていただいたことと共通しているものと思います。拙著の中で、私は内部統制の基本的な構造を「経営者による経営管理の手法」と捉えるべきか、それともガバナンスに近いものとして、経営者(取締役)をも拘束する行動規範として捉えるべきなのか、ここで議論を整理しなければ、法律や会計、経営学という学際問題においても、また会社法と金商法という法律間においても、内部統制に関する実務上の進化が遂げられないのではないかと書きました。
日本の場合、会計監査や内部監査の世界で「内部統制」に関する理論や実践の進化が先行しましたので、いわゆる経営者による経営管理というイメージが強く意識されてきました。本来は、監査役による内部統制監査、取締役会による内部統制の運用評価といったところを中心に、経営トップの業績評価の公正性をどのように担保するのか、経営トップの暴走をどのように食い止めるのかといった「企業価値向上策」と密接に関連させるべきものだったかもしれませんが、いまでもあまり経営者を縛るという意味での内部統制システム構築の議論は進展していないようです。やはり企業統治の在り方とワンセットで内部統制についても議論される必要があるのではないでしょうか(モニタリングモデルの取締役会の構築と内部統制システムとの関係等。ひょっとすると、会社法の分野では、今後「監査・監督委員会設置会社」における監査・監督委員の役割が議論される中で、正面から議論されるのかもしれません)。
今回のサーベラスと西武とのTOB紛争でも、(前回も書きましたが)内部統制は経営者を縛る行為規範としての意味合いがどれほどあるのか、そこに双方の認識の大きなミゾがあるように思われます。先の機関投資家と経営者との対話のお話も、やはり海外の投資家は「経営トップの人格や経営手腕、経営思想」こそ関心事であり、株価に大きな影響を及ぼすものと考えておられるわけで、やはり経営者に対していかに株主コントロールを効かせるのか、コントロールを効かせることができない場合には、それに代わる内部統制をどのように構築するのか、という点が重要なのです。
日本企業の経営者は、日本の金融機関、日本の機関投資家との間では共通認識を持てるけれども、海外の機関投資家との間ではガバナンスや内部統制に関する共通認識は持てなかったのかもしれません。これまでは認識の違いだけを理由にしていればよかったわけですが、このたびのアベノミクスの日本成長戦略でも話題になった「スチュワードシップコード」というものが次第に日本の機関投資家にも要求されるところになってきたようなので、日本企業の「株主との対話」路線にどのような変化が生じるのか、そのあたりにまた関心を向けておきたいと思っています。
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コメント
久々の内部統制ネタに触発されて久々の投稿です。
5~6年前の熱気がウソのように、J-SOXへの社会的関心も薄れ、本制度を持ち上げていた学者や会計士の先生方も、今や我関せずというところでしょうか。とはいっても、企業の実務現場では毎年毎年粛々と作業が積み上げられて、簡素化したとはいえ、それなりの人員と費用が投入され続けています。J-SOXの導入自体一定の意義があったことは否定しないものの、本来の趣旨から見れば現状は「形骸化」「空洞化」としか言いようがないのではないでしょうか。
そもそも、導入時に内部監査部門の実務家を中心に指摘した、制度の構造的欠陥と言われる問題は、今も何ら解消されていません。
すなわち、①経営者による会計不正が契機となって導入された制度なのに、経営者不正には殆ど無力で、従業員のちまちましたミスやエラー防止に多大の労力を消費。この制度がワンマン経営者に何らかの牽制効果を持ったかを検証すれば、結果は明らかでしょう。
②内部統制という多様で非定型的プロセスを財務諸表監査と同等の会計士「監査」によって、「有効か否か」とマルバツ的に評価することの困難性。必然的に「重要な欠陥」の報告は不正会計等が顕在化した事後の「後追い」となる。内部統制で最も重要な「統制環境」の「監査」の困難性→形式化なチェック→形骸化が典型です。
その他、本来主体性を持つべき経営者評価への財務諸表監査的手法と監査法人の画一的マニュアルの押し付け、手間ばかり掛かる形式的・機械的評価に従事することによる内部監査メンバーのモチベーション低下、内部監査部門による業務監査や監査役の会社法内部統制監査(最近は構築のみならず運用状況の検証も求められる)との重複感、中小規模の子会社への親会社からの過剰統制の押し付け等々問題は多々あります。
小生は、金商法と会社法の内部統制制度を統合して、企業の自己規律をベースにした制度に組み替えるべきと思っています。すなわち、経営者評価+監査役監査(三様監査の連携前提)&改善提言+外部への実質的内容の開示を基本とするイメージです。
いずれにしても、ブームが去った今こそ、冷静な頭で、かつ企業の実情をよく知る専門家と実務家が中心となって、より良き制度改革のための論議が再び行われることを期待します。
投稿: いたさん | 2013年6月 4日 (火) 02時43分
内部統制は経営者の経営管理ツールではなく、経営者を監督するためのものという意味があると理解しています。だから、内部統制システムの構築運用の権限が監督機関である取締役会に与えられているのではないでしょうか。j-soxは本来の内部統制の一部を構成しているに過ぎません。
今のままだと、内部統制は形式なものにどんどん進み誰も見向きもしなくなることを心配しています。
投稿: 倫理オタク | 2013年6月 5日 (水) 07時59分
いたさん、倫理オタクさんの考え方に私もかなり近いです。本当は企業価値向上にとって良いものなのに、やっつけ仕事のイメージばかりが広まっているように思えます。最近は、企業のリスク(不確実性)の解消のためという問題と、ガバナンスリスク(複雑性)の解消のための問題が整理されていないところに要因があるのではないか、と考えたりしています。
投稿: toshi | 2013年6月16日 (日) 00時54分