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2013年7月30日 (火)

不正会計に立ち向かう-ACFE JAPAN カンファレンスのお知らせ

週末のドラマといえばTBS日曜ドラマ「半沢直樹」が世間の話題になっていますね。昨日(日曜日)は、なんとサッカーの日韓戦をぶっちぎって視聴率20%超え、だそうです(スゴイですね)。私はといいますと、「半沢」と同じ池井戸潤氏原作のNHK「七つの会議」のほうを毎回楽しみにしています。ドラマはいよいよ佳境に入ってきましたが、あれだけ「不正はいけない」と叫んでいた主人公の営業課長が、会社のため、社員のため、社長のために先頭を切って隠ぺいを主導し、親会社の監査を機転を利かせて煙に巻いてしまう、というのは本当にリアルです。ほんと、ホワイトカラーの不正は、まじめな社員ほど走り出したら止まらないものになってしまうことを痛感します。

さて、ホワイトカラーによる組織不正といいますと、今年も10月に私が理事を務めておりますACFE JAPANの年次カンファレンス(第4回)が開催されます(正式なチラシはこちらでございます)。昨年はオリンパスの元社長マイケル・ウッドフォード氏を迎え、たいへんな盛り上がりでしたが、今年も昨年に負けないスピーカーをお招きすることになりました。日時は2013年10月18日(金)午後1時より、場所は東京神田駿河台にありますソラシティカンファレンスセンタです。上記チラシより正式にお申込みいただけます(一般15,000円、会員10,000円)。会場の関係がございますので、できるだけお早目にお申込みいただけますと幸いです。

今年のスピーカーの方をご紹介いたしますと、おひとりは、「粉飾の論理」「兜町コンフィデンシャル」など、会計不正事件、ハコ企業モノ事件に焦点を当てて、市場の健全性を維持するためには何が必要なのかを世に問うジャーナリストの高橋篤史さんです。私は高橋さんのご著書の大ファンでして、上記2冊はことあるごとに読み返しては粉飾事件を頭で整理するための参考にさせていただいています。この分野では第一人者でいらっしゃる高橋氏をカンファレンスにお招きし、高い志をもって株式を上場させた企業が、なにゆえ真面目な社員を巻き込んで粉飾企業になってしまうのか、多くの実例を検証してきた高橋氏ならではの視点で語っていただく予定です。

そしてもうおひとりは、あのAIJの浅川社長の懐刀(ふところがたな)として、AIJを支えてきた九条清隆さん(元AIJ企画部長)です。ご承知のとおり、九条氏は「AIJ事件の深き闇」の著者であり、証券会社で長年デリバティブ運用のプロとして活躍されてきた方です。証券市場のプロであるにもかかわらず、なにゆえAIJの暴走を止めることができなかったのか、どうすればもっと早く被害を食い止めることができたのか、年金基金のガバナンス問題も含め、事件の深層を(可能な限り)お話いただく予定です。もちろん九条氏に鋭く切り込んでいただくのは八田進二教授です。

第2部のほうでは、第三者委員会委員として何度も不正調査に関与されている木曽弁護士、小川真人会計士、宇澤亜弓会計士と私の4名で、「CFE資格が専門職にもたらすもの」と題して、日ごろの不正調査の実務から、CFEとしてのスキルが実務にどのように役立つのか、シンポジウム形式にて語り合います。モデレーターは理事長の濱田真樹人教授が今年も務めます。まさに会計士と弁護士の「分かり合えないミゾ」が明らかにされれば楽しい企画になるのではないかと考えています。昨年は私が少々しゃべりすぎてひんしゅくを買いましたので(笑)、今年はできるだけおとなしく控えめに登壇するつもりです。どうか多数の方々のご参加をお待ちしています。

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2013年7月29日 (月)

日本公認会計士協会「不正調査ガイドライン」と調査人の覚悟

土木工事会社との不明朗な高級車のやり取りが問題視された大阪府池田市の市長さんが「逆ギレ」しているとの記事が報じられておりますが、その逆ギレの原因とされているのが第三者委員会の報告書だそうです。自らの身の潔白を証明しようと準備していたにもかかわらず、その主張がことごとく第三者委員会から排斥されてしまったことに不満を抱き、「第三者委員会は裁判所でもないのだから想像でモノを書くな。いったいどこに証拠はあるのか」とご立腹されたそうです(産経新聞ニュースはこちら)。

さて、少し遅くなりましたが、7月2日に公表された(15日にパブコメ締切)日本公認会計士協会 経営調査会研究報告書によります「不正調査ガイドライン」の公開草案を読ませていただきました。公認会計士さんが第三者委員会や社内調査委員会の委員など、不正調査に関わる機会が増えておりますが、公認会計士の方々が不正調査を行う際の留意点などがガイドラインとしてまとめられたものです。業務を受嘱する際の注意点や実際の調査方法、報告書にまとめる際の留意点など、たいへん詳しい内容でして不正調査実務の参考になるものと思います。不正の発生要因や是正措置案の提言に関する記述ではCFE(公認不正検査士)の教科書なども参考にされています。

これは上記ガイドラインへの意見ではなく、私自身の不正調査人としての感想にすぎませんが、冒頭の事例でもおわかりのとおり、不正調査についてはシロかクロかをハッキリさせる覚悟がないと報告書の有用性はなかなか認められないなぁ・・・と思います。「調査をしてみましたが、対象とすべき事実が真実かどうかよくわかりませんでした」という結論は、まさに任意調査の限界を如実に表現するものです。しかし、この結論は依頼主から有利に援用されるだけであり(依頼主の思うツボであり)、委員会の考えとは違った意味で報告書が用いられる可能性があることは、最近の第三者委員会報告書をみてもおわかりのとおりかと(これは不正調査を担当する者にとっての新たなリスクになっていると思います)。

たとえば不正調査の途中でパソコンの中身を調査したいにもかかわらず、これに会社が同意しない場合、調査人は何ができますか?反面調査をしたいにもかかわらず、関係者がこれに同意しない場合、不正調査人はどうすればよいでしょうか?同意を得ずに調査を進めるでしょうか、それとも調査はあきらめるけれども同意がないことを証拠として事実の認定を行うのでしょうか、それとも関係者が協力しなかったので事実を調査することはできなかった、結局事実の真偽は不明のままです、と報告をするのでしょうか。このあたりがリスクアプローチを前提として、「意見不表明」という結論が許容される定例監査と、仮設検証アプローチを前提として、白か黒かはっきりさせることが求められる不正調査とのかなり大きな違いが出てくる場面ではないかと思います。つまり、不正調査にかかわる専門家は、かならず誰かに結論に対して文句を言われる立場となり、ある程度のリスクを負担せざるをえないものと思います。

私の個人的意見としては「不正調査のスキルを磨く」ということは、強制力を持たない調査人が、いかにして真実を明らかにするような調査を行うことができるか、その際にいかに調査人の法的リスクを低減することができるか、という相反する二つの目的を、バランスをとりながら両立させる・・・・・ということに尽きるものだと認識しています。

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2013年7月25日 (木)

どの時点で有事と悟ることができたのか-カネボウ美白化粧品問題

7月5日のエントリー「他人事ではないカネボウ化粧品の自主回収事件-二次不祥事のおそろしさ」でも取り上げていましたカネボウ社の「美白化粧品・まだら皮膚(白斑様症状)問題」ですが、公表から20日が経過した時点で、重大な症状が残っているものと判明した使用者の急増が伝えられています(カネボウ社のリリースはこちら)。今回のカネボウ社の件は、過去の不祥事を公表する事例とは異なり、被害拡大を防止するための公表措置(リコール措置)に関する事例なので、このように症状を訴える人が急増しますと、「なぜもっと早く公表しなかったのか」と、二次不祥事への批判が高まることになります。

消費者庁長官も、本日の記者会見で「もっと早く公表すべきだった」と対応の遅れを批判し、遅くとも皮膚科の医師から異常性を指摘された5月の時点で公表していれば被害はもっと少なくて済んだのではないか、と述べています。こういった経過からか、残念ながらカネボウ化粧品の親会社である花王社の株価は6パーセントも下落(東証1部の中で2番目の下落率)したようです(たとえば産経新聞ニュースはこちら)。

著名な制作コピーライターの方の言葉を借りるならば、資生堂とカネボウの化粧品が全盛だったころ、後発である花王は、販売にあたり「化粧品を売るのではなく、皮膚科学の正しい知識を売るソフィーナ」という新しいコンセプトを全面に出し、いわば美しさと健康をセットにした商法で化粧品販売の業績を伸ばしていったそうです(「発想ノート-クリエイティブの根っこ」高橋宜行著58頁以下)。お肌の健康に良い化粧品を知っている消費者にこそ使ってほしい・・・そのような販売手法で伸びてきたわけですが、その花王社が、子会社となったカネボウ社の白斑様症状問題で株価を下落させる・・・・というのは、なんとも皮肉なものです。

前回のエントリーでも疑問を呈しましたが、なぜもっと早くカネボウ社は今回の「まだら美白」症状について公表し、対応を急がなかったのでしょうか。一番可能性の高い理由は、カネボウ社の社長さんが謝罪会見で述べておられる通り、「苦情を受け付ける現場担当者が、苦情申立者は病気であった、と思い込んでいたのではないか」といったことです。しかしそうであるならば、このたびの対象商品は新製品ではないのですから、これまでもある程度の割合で苦情は発生していたはずです。それまで同様の苦情が日常的に認められなかったのであれば、なぜゆえに窓口担当者が「病気だと思い込んだ」のか、そこまで踏み込む必要があるはずです。そのあたりの情報は今のところマスコミからは報じられていません。

さて、ここからは私の勝手な推測であり、根拠となる証拠もありませんが、こういった「まだら美白問題」(白斑様症状問題)は、親会社である花王社の化粧品販売に関するコンセプトとはあまりにもかけ離れた事故であるがゆえに、子会社であるカネボウとしても親会社に適時に報告することができなかったのではないでしょうか。これまで事件が発覚してから20日が経過していますが、このまだら美白問題を、親会社の花王がいつ知ったのか・・・という点についての事実はあまり報じられていないようです。今回の公表に至るまで、親会社が一切知らなかった・・・ということであれば、これはカネボウ社のほうで親会社に知られたくなかった、という思いが公表を遅らせた要因である可能性も残ります。謝罪会見をされたカネボウ社の社長さんは花王の執行役員の方ですが、この社長さんの耳にはいつ苦情が入っていたのか、具体的にはその時期によって親会社の対応まで批判されるかどうか、分かれるのではないでしょうか。

3年前のメルシャンの架空循環取引事件でも、親会社であるキリンからやってきた社長さんにだけは知られたくない、プロバーの社員・役員だけで相談してなんとか乗り切りたい、といった気持ちがあったがゆえに、長期間にわたりメルシャンが架空循環取引を継続させてしまったと、メルシャンの第三者委員会は報告していました。

カネボウの窓口担当者も、そして報告を受けた上司も、そして経営層も、「皮膚を科学する」という花王社のコンセプトからして、皮膚に症状が出る化粧品を販売した、という事実は、到底認めることができないのであり、だからこそ有事意識が希薄のまま2年が経過してしまったというのが真相なのではないかと。カネボウ社としては、このような大事件になってしまった以上は、全社挙げて自浄能力を発揮すること(お客様の被害回復と製品回収)が最優先事項ですが、この事件を外からみる者からすれば、どうして2年間も平時の感覚が維持されたのか、どこの会社においても、同様の問題が発生すれば(組織として)有事と認めることに躊躇するのではないか・・・という点を真摯に検討すべきではないでしょうか。

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2013年7月24日 (水)

有事の企業に求められる開示統制システム-紋切り型はダメ?

昨日(7月22日)のブルームバーグニュースにおいて、企業のディスクロージャーに関する気になるニュースが掲載されています。企業の重大な決定事実、発生事実が未発表の状況において、マスコミのスクープ記事が出た際の紋切り型のコメント「当社が発表した事実ではありません」「未だ決定した事実はありません」は、投資家にとってわかりづらいリリースです。そこで「東証ではこうしたコメントが投資家により有益な情報となるように、上場企業に対して表現を工夫するよう求めるガイドラインを年内にもまとめる方向で調整中」とのこと(ブルームバーグニュースはこちら)。おそらく、先日の川崎重工業社の社長解任劇における開示のドタバタが契機になっていると思われます。

アベノミクスを象徴する6月の成長戦略案でも「日本版スチュワードシップ原則」を年内にもまとめ上げる、とありますので、今後ますます機関投資家と上場会社との対話促進の流れが強まりそうです。経営を監視する機関投資家の選択肢は議決権行使と株式売買(短期的利益の獲得)だけではなく、今後は株主と会社との対話(長期的かつ持続的成長の確保)が要請されます。したがって、有効な対話実現の前提として、株主・投資家に対する正直な情報開示が必須となります。証券取引所としても、企業の情報開示の在り方に、これまで以上に関心を高めるのは政治の流れからみて当然のところであり、このようなガイドラインが検討されることになります。

企業の品質は目に見えるものではないので、投資家や消費者は、開示された情報をもって企業の品質を推測する必要があります。したがって、こういった流れについては私も基本的に賛成です。ただ川崎重工業社の例をみても、企業はそう簡単にマスコミのスクープに対して明確な事実を適時に公表できるものではないと思います。川崎重工業社は、三井造船との経営統合に向けて交渉している事実はない、と(4月の時点で)公表したものの、社長解任劇(代表取締役の解職)が発生して社長が交代した後に、統合に向けて準備をしていた事実はあるが、白紙撤回されたと(6月に)発表し、世間から強い批判を受けています。

しかし、社長解任の本当の理由として、先日当ブログでも述べたところですが、経営統合については、以前から社内が一枚岩ではないのです。賛成派もいれば反対派もいます。そういった中でマスコミのスクープが発生した場合、会社の中ではどう公表するかで揉めることは容易に推測できます。会社の中のゴタゴタは絶対に外に漏らしたくないのですが、かといってリリースは早く出さなければならない。そこで賛成派と反対派はぎりぎりの妥協ラインを探って公表事実の内容を検討することになります。つまり社内力学の妥協の産物として、あのような曖昧なリリースになってしまうわけです。これは、いくらガイドラインが策定されたとしても、会社として速やかに公表しなければならないというディスクロージャーの原則と組織のゴタゴタは表に出してはいけない、というリスク管理の視点が交錯する中で、明確なリリースは到底出てこない場合もある、ということです。

少し事案は異なりますが、元社長辞任要求で揉めた富士通社の事例でも、会社としては元社長の名誉を守り、社内のゴタゴタを表面化させないために、虚偽の辞任理由をリリースしました。「反社会的勢力との密接交際があったから」と素直にリリースすべきだったのかもしれませんが、では、本当にそのとおり辞任理由を書くことができる会社はどれほどあるでしょうか?現に、後日訂正のリリースをアップした富士通社には、「私たちはなんで反社会的勢力なのだ」と名誉毀損の損害賠償請求事件が提訴され、最高裁まで争われることになりました。

紋切り型リリースを禁じるガイドラインが策定されますと、開示しないことや曖昧な開示をすること(不作為)が重要な事実を開示しないという「虚偽記載」に該当するのではないか、という不安も生じます(もちろんただちに金商法21条の2に該当するようなものではありませんが、取締役の善管注意義務が問題となるケースは出てくるかもしれません)。そこで、企業としては①社内のゴタゴタの最中でも適時リリースが出せるような開示統制ルールを決めておく、②公正な開示は企業行動原則に立ち返り、経営陣の倫理意識をもって行う、③不適切な開示となるおそれのある場合には、取締役による説明責任を尽くすことで代替する、といったことを平時から検討しておくべきではないかと思います。

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2013年7月22日 (月)

経理担当者の素直な「気づき」と会計倫理の重要性

池井戸作品といえば「半沢直樹」が絶好調のようですが、私はNHK土曜ドラマ「七つの会議」のほうを夢中で視ています。東京建電とトーメイテックの共謀による性能偽装の内容が次第に明らかになってきましたが、不正の内部通報を受けた良識派の社長さんは関係者に隠ぺいを指示してしまいます。やはり親会社から副社長を役員に迎えている企業ですから、社長としてもなんとかこのまま隠ぺいしたいという気持ちが強く働くわけで、かなりリアルです(見逃した方はNHKオンデマンドでも210円でご覧になれます)。

ところで、性能偽装事件ではなく、会計不正事件に関する話題ですが、このたび、会計学の先生方が中心となって「会計不正の論点と事例(仮題)」に関する書籍を出版されます。私も執筆者のひとりとして参加させていただいてます(会計学会、会計実務家の皆様が中心なので、法律実務家は私一人のようです)。その中で、私が担当しますのは「経理担当者と会計倫理」というパートでして、粗原稿はすでに書き上げました(ちなみに「七つの会議」では、不正を探ろうと躍起になっていた経理担当者があっという間に左遷されてしまいましたね)。

拙著「法の世界からみた会計監査」を出版して以来、何名かの経理担当者の方(もちろん実名です)からメールやお手紙、そして現在進行形の会計不正疑惑に関する内部告発をいただきました。すでにこちらで対応したものもありますが、どれも経理担当者の倫理観に由来する苦悩が滲み出ていた点では共通していました。会計不正事件に最初から取り込まれている経理担当者も苦悩するでしょうけれど、社内の会計不正疑惑に気付いたがゆえに苦悩する担当者の方も多いことがよくわかりました。

経理担当者の方々は、監査人とは異なり、ビジネスモデル(儲けのからくり)を肌身で理解しておられるので「おかしなこと、不自然なこと」に誰よりも早く気付いてしまうのですね。当社のビジネスモデルからすれば、この商品でこんなに利益が出るわけがない、商品もしくは商品の売り方におかしなところがあるに違いない、と本当に素直にビジネスの異常性に気付くことになります。

これを経理部長と共有すべく相談を持ちかけても、経理部長はテキトーに話を聴いて「じゃあ、商品部長(or 営業部長)のほうから聴いてみて」で終わり。だから経理担当取締役も「他社でも同じビジネスをしてるんじゃないの」ということで本気にはならない。次に会計監査人のところへ行き、(上司に無断で)会社の異常な兆候の徹底解明を求めることになります。会計監査人はとりあえず説明に納得したふりをして、監査法人としての対応を検討するわけですが、これが通り一遍の質問書を会社に送りつけてくるだけ。つまりこの監査法人の質問書への回答を経理部長の指示で商品部長と一緒に経理担当者が考える、というもので、調査権限には限界があるために、そのまま有効な調査も行われずに一件落着。

その後M&Aによる相手先のデューデリで「異常性」が明らかになったり、同じ商品を取り扱う同業他社の厳格な調査によって商品のいかがわしさが露呈されることになるわけですが、そのような状況に至ってはじめて経理部長も担当役員も、そして会計監査人も慌て出すということになります。まさに組織が有事であることの認識を共有することが非常に困難であることを示す典型的な例かと思います。

内部通報の外部窓口業務を行う経験から、社外の第三者からみれば「どうみても非常識」と思われることが、社内の人たちからすると非常識には思えない、だから有事ではない、という感覚に陥ってしまうことはよく認識しているところです。また、騒いだところで、本当に何も出てこなければ「人騒がせな奴」というレッテルを貼られてしまうだけに終わる恐怖があります。しかしこの恐怖感を払いのけるのが経理担当者の会計倫理ではないでしょうか。また、不正リスク対応基準が施行された今日、この経理担当者の素直な気付きに正面から対応すべきなのが会計監査人としての職業的懐疑心ではないでしょうか。

経理担当者の方々から寄せられたメールや手紙を拝見してみると、たとえ手間暇をかけずとも、自らの責任回避のために「通り一遍の質問書を送付すること」と、職業的懐疑心を発揮して不正を調査する手法とでは、監査(調査)の手法として、かなりの違いがあることも、よくわかりました。経理担当者の方々は、本当に会社に忠実な方が多いわけですが、これを受け止める監査法人がしっかりしていなければ、さらに外部に対する告発へと向かう可能性も出てくるように思います。オリンパス損失飛ばし・解消スキーム事件から本当に学ばなければならないのは、こういった点ではないのでしょうか。

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2013年7月18日 (木)

社外取締役は本当に「会社の一大事」に機能するのか?

直近のコーポレートガバナンス報告書を調査した結果、上場会社のうち、社外取締役が存在する会社が60%をを超えたそうですね(日経新聞調べ)。昨年と比較すると(54%)大幅に伸びているようです(ただ、増えた社外取締役さんが「独立社外取締役」かどうかは、また調査をしてみないとわかりませんが)。

さて、日経新聞「経済教室」では、二日間にわたり「企業統治を考える(上・下)」とのテーマで大杉謙一中央大学教授、砂川(いさがわ)伸幸神戸大学教授の論稿が掲載されていました。どちらの先生も普段からお世話になっている関係で、ガバナンスに対する基本的なお考えは存じ上げているつもりですが、このたびの川崎重工業の社長解任劇に法律学、経営学それぞれの立場からどうアプローチされるのか、とても興味深く読ませていただきました。

大杉先生はコーポレートガバナンスの概念を(1992年の英キャドバリ報告書の定義を引用され)統制と指揮に分けて考察され、一方の砂川先生は「部分最適」と「全体最適」に分けて考察されておられるのは、いかにも法律学と経営学の違いを感じるところでした。それぞれ「統制と指揮」、「部分最適と全体最適」の概念を用いて川崎重工業の取締役会を考察しておられますが、結構おっしゃっておられるところは近いのではないかと推察しています。

企業統治の視点から関心がありますのは「もし川崎重工業に社外取締役が存在していたら解任劇は生じたのだろうか、仮に解任劇が生じたとしても、その後の経過は変わっていただろうか」という点です。私個人の意見としては、残念ながら社外取締役が存在していたとしても、ほとんど結果は変わらなかっただろう、といったところです。当ブログで過去に何度か「社長解任劇」は取り上げましたが、岩手銀行さんのときも、そして今年1月の広島電鉄さんのときも、社外取締役さん方は、決議を全員で棄権したり、役員会に欠席されたり、といった具合です。

会社の有力な取引先からお見えになっている社外取締役さんについては、そもそも会社が迷惑をかけないようにしようとされますし(たとえば臨時役員会への欠席を勧めるとか)、独立社外取締役さんといっても、社長と個人的な関係のある方であれば、自ら議決権行使を棄権されるでしょうし、また純粋な独立社外取締役さんの場合には、そもそも情報は耳に入らない、というのが現実ではないでしょうか。海外の機関投資家の皆様方からすれば、日本の上場会社に「とりあえず」社外取締役さんが導入されることを希望されるわけですが、では実際に機能するかどうかといえば、平時にはそれなりに機能するとは思いますが、有事には機能することはあまり期待できない、というのが現状かと。

私はクライシスマネジメントと同様、もし有事に社外取締役が機能するとすれば、それは平時から社内取締役さん方と緊張関係をもって経営に関与しているかどうか、ということがすべてだと思います。つまり平時にできないことは有事には絶対にできない、平時にできることの5分の1程度なら、うまくいけば有事にもできる、という考えです。社内資源の有効配分にせよ、同業他社との競争政策にせよ、会社理念と新規開拓との整合性にせよ、社内の人間と社外の人間とでは必ず「おや?」と思うくらい、経営判断の過程に違和感を覚えることがあるはずです。そこで普段から、社外取締役がどのようなスタンスで社内の業務執行役員の方々と向き合うのか。そこに緊張関係が生まれ、モノを言えるモニタリング環境が形成されていくと思います。

社外取締役は、イザというとき腹をくくったらよい、と言われますが、そんな甘いものでしょうか。私は平時にできないことは、いくら腹をくくっても有事にはできないと思います。有事にどこから情報を入手するのか、平時から緊張関係が築けなければ嗅覚さえ生まれません。なにか知らないうちに解任劇が終わっていた・・・、そんな社外取締役だけにはなりたくないですし、株主に説明責任さえ尽くせない独立役員では悲しすぎると考えています。

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2013年7月16日 (火)

降圧剤不正事件とオリンパス事件の共通点-不正はいかにして発覚するか

(7月16日 朝 追記あります)

今年2月ころから、少しずつ疑惑が浮上していた降圧剤(ノバルティスファーマ社が販売)臨床研究論文疑惑の件ですが、先週、京都府立医大が元教授の論文作成にあたり(誰かによる)データ操作の事実があったことを認めました(たとえば毎日新聞ニュースはこちら)。そのため、一気に世間を揺るがしかねない不祥事としてクローズアップされています。データ解析に携わったノ社の元社員は、いまのところ調査に一切応じないとのことで、今後はますます大きな問題に発展していきそうな予感がします。

さて、この降圧剤不正事件、事件の全体像が未だ把握できていないため、あまり詳しく書くことは控えさせていただきますが(また、それだけの能力もありませんが)、どうして今回のように大きな問題にまで発展してきたのか、そもそもなぜ臨床研究に不正があるということが発覚したのか、というところを考えていきますと、オリンパス損失飛ばし・解消スキーム事件とよく似た構造であることがわかります(以下では、なるべく正確に客観的な情報を整理したつもりですが、事実関係に誤りがありましたらご指摘いただけますと幸いです)。

疑惑も存在しない時点で、大きな組織に不正があることを叫ぶことは、とても勇気のいることですが、単に勇気だけでは誰も取り上げてくれないのが現実です。たとえばオリンパス事件では、当時の社長であったウッドフォード氏による内部告発がありました。そして降圧剤事件では、今から約1年ほど前に、別の国立大学の教授から、府立医大元教授の臨床研究論文への疑惑声明がありました。最近「統計学は最強の学問である」と言われていますが、この疑惑も統計分析のための基礎データに関する疑惑です。

次に、オリンパス事件は、ウッドフォード氏ような経営トップが内部告発をしても日本のマスコミは静観していたのですが、海外のマスコミが大きく取り上げるようになり、これに追随して日本のマスコミも動き出しました。一方、今回の降圧剤不正事件でも、疑惑声明についてはオランダの医学雑誌「ランセット」が取り上げ、これに対して疑惑を向けられたほうが反対意見を表明しました。この反対意見に対しては、さらに疑惑を向けた医師からの更なる反論が加えられたのですが、その後は何ら反応をしませんでした。このような一連の経緯をみて、今年2月に毎日新聞がスクープし、その後フライデーが報じたことで降圧剤不正に絡む臨床研究疑惑が、日本でもメジャーな話題になり

そして一度は「問題なし」としていたところが「社内で調査したところ、おかしな事実が認められた」と公表するのはどちらも同じです。ここで若干見落としそうになるのは、不正疑惑が内外で明らかになった時点における「内部告発者」の存在です。オリンパス事件では、マスコミが騒ぎ出した時点において、週刊朝日に損失飛ばしを告発した人が存在しました。その人が誰かは外部からは不明ですが、社内の人間であることは確かだと思います。また、今回の降圧剤不正事件でも、京都府立医大の調査の時点において、やはり学校側の対応に疑問を抱いた誰かが存在したのではないでしょうか(これはあくまでも私の個人的な推測ですが)。組織として公表せざるをえないような状況に至るのは、実はこういった社内正義派のような方々の存在が大きいのではないかと。

降圧剤不正事件については、現在もノ社の元社員の供述が得られていない段階なので元教授の論文は故意によるねつ造であったといった不正が認められたわけではありません。しかし、こうやって比較してみますと、大きな組織の不正が世に発覚するというケースは、かなりレアな事情が重なることが必須の条件になるということが言えそうです。

朝日新聞の記者によるスクープが日本の検察の闇を暴く、という厚労省郵便不正事件がありましたが、あの事件も、新聞記者と内部の女性検察官という、いわば「力を持った者による告発」でした。一介の社員の勇気ある内部告発が、大きな組織を揺るがすようなコンプライアンス事件を惹起させるということは、ドラマの上では起きることもあるかもしれませんが、現実の世界では、なかなかむずかしい、ということではないでしょうか。

(追記)今朝の朝日新聞一面で「東電用地買収に裏金疑惑」という、記事が出ています。これは内部告発によるものでしょうね。この用地買収自体のコンプライアンス問題よりも、今後の原発再稼働に向けての姿勢として東電がどう対応するのかが注目されます。果たしてこういった告発モノが他紙も追随するような大事件に発展するのかどうか、今後見守りたいと思います。

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2013年7月11日 (木)

監査が杜撰(ずさん)だからこそ?発覚した経理担当者の横領事件

7月9日、広島県のウッドワン美術館は、経理担当の男性職員(41)が少なくとも約5000万円を着服したため5月20日付で懲戒解雇したことを公表しました(今後は刑事告訴の予定だそうです たとえば毎日新聞ニュースはこちら)。約10年間にわたり、経理担当者としての地位を利用して売上の一部を帳簿から消していたり、経費を実際よりも多めに計上していたとのこと。東証1部のウッドワン社の保有する美術品等を所蔵する地元では有名な美術館なのですね。

実際の入館者数と売上金額とが食い違っていたこと、予算と決算額にかい離が認められたことなどから、今年5月の理事会で疑惑が浮上し、その後社内調査によってこの経理担当者の会計不正が発覚したそうです。読売新聞ニュースによりますと、経理担当者は「監査がずさんだったため、ばれないと思った」と供述しているそうで、このような供述内容を知りますと、組織側としてもなんともかっこ悪いところかと。ちなみに美術館のトップの方々も理事会で辞任の意向を示されたそうです。

さて、こういった記事を読みますと、「監査がしっかりしていたら業務上横領事件は防げたのではないか、組織側の怠慢ではないか」との声が聞こえてきそうです。しかし不正調査の実務に携わる者として、ときどきこういった横領事件に遭遇するのですが、本当に監査がきちんとできていれば横領を発見できたかというと、それほど甘いものではないと思っています。

よく、クレッシーの法則である「不正のトライアングル」を引用して、動機、機会、正当化根拠がそろった場合に不正事件は発生するといわれます。本件にあてはめて考えますと、この経理担当者には、遊興費欲しさという「私利私欲のため」という動機があります。また、経理担当者という立場で、帳簿を勝手に書き換えることができる「機会」が存在します。さらに、報道によるとすでに被害額5000万円は返還しているとのことなので、「いつでも返そうと思えば返せる(これは一時的な流用なのだ)」という正当化根拠もそろっています。ということで、この経理担当者が横領行為に走る要件はそろっていたといえそうです。

では、監査がズサンだったという理由は、どのように事件の中で位置付ければよいのでしょうか。一見すると横領を行う「機会」が存在したことの要件として取り上げることが素直に思えてきます。しかし、私は「監査がズサンだった」というのは、むしろ手口が次第に大胆になっていったことの理由として位置付けるほうが妥当ではないかと推測します。こういった経理担当者の不正取得事件というのは、最初はとても小さな金額から始まります。少し様子をみてバレないと安心すると、次第に1回の不正取得の金額が増えてきます。そのうち1回10万円だった金額が、1回で100万円ほどの大胆な不正取得に変わります。おそらく、この一気に取得金額が高まるときの自分の犯行への言い訳として「監査がズサンだからバレない」と言い聞かせていたのではないでしょうか。

少し逆説的な言い方かもしれませんが、監査がしっかりしていたら、経理担当者のチョロチョロとした横領行為は今でもバレていないのかもしれません。決算書に潜む数字の不自然さは監査によっても感じることができなかった可能性があります。むしろ監査がズサンだったからこそ、彼は一気に横領額を増やしたのであり、また大胆になれたのであり、だからこそ理事会が違和感をもって不正調査を開始するに至ったのではないでしょうか。10年で5000万円とすると年500万円の着服があったと想像できますが、実はそうではなく、最初の1年はお小遣い程度だったのが、最近は年に着服額が1000万円以上に膨らんでいた・・・というのが結構リアルな実態ではないかと。こういった事案を読みますと、いつも「監査の限界」というものを感じるところです。

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2013年7月 9日 (火)

「会計基準と法」-なぜ法は会計ルールのすべてを決めないのか?

9784502070808_240日本の企業会計法の第一人者といえば、やはり弥永真生氏の顔がすぐに思い浮かぶわけですが、その弥永先生の渾身の一冊が発売されました。なんと総ページ数1000ページの大作です。

会計基準と法 弥永真生著 中央経済社 10,000円税別

ご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、弥永先生は東京大学在学中に司法試験と公認会計士試験のいずれも合格され、まさに「人間コンピュータYANAGAちゃん」の異名をほしいままにされている大先生です(すいません、この異名は私が勝手に付けさせていただいたものです)。昨年は大阪弁護士会のシンポでたいへんお世話になりました<m(__)m>。

弥永先生は、21世紀はじめまでは毎年1冊のペースで新刊書を出版されていたのですが、ここ10年ほどは(会社法の教科書、計算規則のコンメンタール以外は)一切ご出版はされずに、この新刊書のご執筆に注力されたそうです。つまり本書は、弥永企業会計法の10年の研究活動がすべて詰まったものです。

なにしろ帯の副題がすごい。「なぜ法は会計ルールのすべてを決めないのか?」まさに私の関心事とピッタリ一致します。第1部は日本における会計ルールの沿革と現状。なんといってもこの第1部の最大の読みどころは「企業会計基準法構想」でしょう。会計学者の方々はご承知かと思いますが、日本でも企業会計基準法を制定する動きがあったのですね。企業会計制度対策調査会が発足し、企業会計基準法要綱案、同法案まで作成されながら、最終的に会計ルールが法として定められなかったところまでの歴史をGHQ文書、国立公文書館所蔵文書を資料として解説されています。つまり会計ルールはソフトローというよりもハードローとして法律化する動きがあったということです。この話がなぜ終焉を迎えたのかは、お読みになればわかります。

※・・・ちなみに戦後の縦割り行政の中で会計士制度と税理士制度がバラバラに出来上がってしまった歴史というものは、「対談 わが国会計監査制度を牽引する会計人魂」(川北博・八田進二対談 同文館出版)の中で川北先生が解説されています。しかし「企業会計基準法制定の動き」については触れられていません。

第2部は、本書で最もページ数が割かれているところですが、海外諸国における会計基準制定の歴史と現状の会計基準の運用です。比較法的研究、といってしまうと、なんだかとても退屈なもののように感じるのですが、私はこの本が今後最も参考にされる(引用対象となる)のは、この第2部ではないかと確信しています。前にも当ブログでご紹介したように、江頭先生は、関西のご講演において、次の会社法改正のテーマは「おそらく会社法のIFRS対応ではないか」と解説されました。国際会計基準が我が国の上場会社に強制適用される場合、ルールとしての正当性をどのように説明するのか、日本の法人に強制力を持つルールを制定する権限は唯一、国会だけですが、なにゆえ海外のプライベートセクターが制定するルールが日本で強制力を持ちうるのか、そのあたりは法律家と会計学者との間で検討する機会が必要です。実はEU諸国においても、IFRSを適用するにあたっては同じような悩みを各国が持っていたのですが、各国がどのように、この難問を克服していったのか、そのあたりを知る上では貴重な研究資料となります。IFRSと商事法、IFRSと憲法、行政法との関係を整理するうえでは、この第2部における諸外国の整理はたいへん参考になるはずです。

そして第3部は私も当ブログで様々な角度から検討しております法と会計との関係についての弥永説の大系です。私自身、すべて弥永説に賛同するわけではありませんが、会社法、金商法と会計基準との関係、公正妥当な会計慣行の考え方、罪刑法定主義と会計ルールなどについて、関連する論点がほぼ網羅されており、法と会計の狭間に横たわる諸問題を検討するにあたって、たいへん参考になるところです。まさに「法はなぜ会計ルールのすべてを決めないのか」その論理的な道筋が、ここに現れています。有価証券報告書の虚偽記載、違法配当など、不適切な会計処理が刑事上も民事上も、そして課徴金処分等の行政上も問題となる場面は今後ますます増えてくるでしょう。会計監査人が矢面に立つ場面も当然増えるはずです。その際に、会計ルールは法と同等に扱われるべきなのかどうか、さまざまな角度から検証が必要になりますが、本書第3部の弥永先生の意見が現実の解決において有益なものとなるでしょう。

しかし法律を制定する、しないという経緯というのは、なんと人間臭いものだろうと、本書(企業会計基準法制定に向けての経緯)を読むと今更ながら感じます。また、時々招かれて講演をさせていただく産業経理協会というところも、スゴイ歴史があることを知りました。弥永先生ご自身、冒頭で「採算性の乏しい書籍」と謙遜されていますが、IFRSの強制適用場面における権力の正当性根拠のお話はたいへん重要だと思います。これは弥永先生だけでなく、会社法学者の先生方にとっても難問だと推測します。私もすべてを読むことは困難ですが、今後、企業会計法関連の研究や実務に携わるにあたり、常に参考にさせていただきます。

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2013年7月 8日 (月)

オリンパス事件刑事判決にみる「不祥事発生企業の自浄能力」の重み

先週7月3日、東京地裁第三民事部にて、被告オリンパス(法人)及び元役員ら(個人)に対する虚偽有価証券報告書提出罪被告事件に関する有罪判決が下されました。法人たるオリンパスには過去最高額の罰金7億が課せされましたが、元役員ら3名には執行猶予付の判決が言い渡されました。

本事件については未だ確定しておりませんが、朝日「法と経済のジャーナル」にて判決要旨がアップされましたので、判決内容をある程度知ることができました。元役員らに執行猶予判決が出たことについては賛否両論あるとは思いますが、私はこの東京地裁判決を高く評価したいと思います。なぜなら、刑事判決というペナルティの世界において、オリンパスのような大規模公開会社の社会的責任が力説され、企業および役員の不祥事発生時における自浄能力の発揮を司法裁判所も支援する姿が明確に示されているからです。

特徴的なのは、オリンパスの弁護人、オリンパス元役員の弁護人いずれの主張も、この裁判所は排斥し、独自の視点から情状酌量している点です。法人であるオリンパスの弁護人は、今回の事件はごく一部の役員による個人的な犯行であったと主張しましたが、裁判所はこれを否定し、従来より幹部職員や外部コンサルタントを巻き込んだ組織的犯行だったと認定しています。取締役会の形骸化、監査役会の機能不全をはじめ、誰かの責任だけを追及して終わるようなものではなく、組織自体が非難されるべき企業風土であったことに強い批判が向けられています。つまり法人としての犯行態様を(やむをえなかったもの、として)斟酌して刑が減軽されているわけではありません。

その代り、犯行発覚後の法人としてのオリンパスの動きは最大限に評価されています。第三者委員会を設置して事実解明に積極的に対応し、自ら元役員に対して訴訟提起をしています。また外部から社外取締役を招へいしてガバナンス体制の一掃を図りました。当該裁判所は、こういった一連の行動を斟酌したうえで7億円という罰金額を決定しています(求刑10億円の罰金)。企業犯罪に適用されるアメリカの連邦量刑ガイドラインではありませんが、不正発覚後にどれだけ自浄能力を発揮したかによって、我が国の刑事処分の量刑にも影響が及ぶことが明確にされた点は高く評価できると思います。

次に、オリンパス元役員らの弁護人は、会社が倒産することを防止し、社員の生活を守るためにやむをえない対応であったと主張しましたが、これも裁判所は「大規模公開会社の役員として、社会的責任を果たす立場にあるのだから到底許容できる理由ではない」と一蹴しています。つまり犯行態様の視点からの刑の減軽はありえない、粉飾を最初に考え出した者が他にいたとしても、被告人らは実刑に相当するとまで述べられています。

しかし、ここでも裁判所は経営者らの自浄能力の発揮を評価しています。損失飛ばしや解消スキームを継続している際に不正を公表しようと模索していたこと、不正発覚後は有価証券報告書の訂正を速やかに行ったこと、第三者委員会の事実解明に積極的に協力していたこと、公判廷において謝罪をしたこと等、元役員らが法人としての自浄能力の発揮に寄与したことで、裁判所が「実刑とすることに躊躇をおぼえる」こととなったようです(ただし、海外メディアがウッドフォードの告発を取り上げていたときに、元役員らが本当に自浄能力を発揮することに寄与していたかどうかは、若干懐疑的にならざるをえないように思いますが.....)←7月3日付けの法と経済のジャーナルにおける別記事に、Y被告人とK被告人の公判における証言の食い違いが報じられていますが、まさに懐疑的であることを裏付けています。

行政処分である課徴金処分や証券取引所における上場廃止処分の判断であればわかりますが、法人や役員の不祥事発覚後の対応が、事後規制(制裁)としての意味を持つ刑事処分にどれほどの影響があるのか、正直私にはわからないところがありました。しかし今回の東京地裁の判決では、堂々とこの不祥事発生後の自浄能力の発揮を刑事処分の量刑に斟酌しています。刑事処分に自浄能力の発揮が反映されないとなりますと、「どんなにいい子ぶっても、やったことへのペナルティは同じ」と会社が考えることとなり、大規模公開会社における多くのステークホルダーの利益が回復されないままとなってしまいます。そのあたりを裁判所も十分に考慮したのかもしれません。いずれにせよ、今回のオリンパス事件の刑事判決が、不祥事発生企業における自浄能力発揮のための「強いインセンティブ」としての意義を持つことになることを期待いたします。

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2013年7月 5日 (金)

他人事ではないカネボウ化粧品の自主回収事件-二次不祥事のおそろしさ

すでに大きく報じられているとおり、花王の子会社であるカネボウ化粧品は、製品の自主回収を決めたそうです。同社と子会社が製造販売する美白化粧品54商品について、肌がまだらに白くなる被害情報が39件確認された、とのこと。

薬事法の認可を得て製造販売している商品に、このような被害症例が発生したということですから、ブランドイメージを毀損するものとして、カネボウ化粧品には相当厳しい事件です。もちろん原因が特定されてませんので、これをカネボウ化粧品の不祥事だと断定できるものではありません。また厚労省からは重篤な被害が出たとまでは言えないことから「回収命令」の対象とはされてなかったため、自主回収を決めたようです。しかしマスコミはカネボウ化粧品の「まだら美白」製品を世に出したこと以上に、その後の対応という、いわゆる「二次不祥事」に注目しています。これがカネボウにとっては厳しいところではないでしょうか。

これまで確認されている被害例は39件だそうですが、すでに2011年ころから発症事例がお客様窓口に報告されていたとのこと。この消費者窓口に寄せられていた報告について、社長は「病気(持病)であるという(窓口担当者の)思い込みが問題の認識を遅らせた」と悔やんでおられるそうです(時事通信ニュースはこちら)。

しかし、毎度申し上げていることですが、こういった苦情対応において、窓口担当者が「たいしたことではない」と思い込むのは通常の感覚であって、会社にとってマイナスの報告を窓口担当者が行うことを期待するほうがかなり無理があります。思い込みがまずかった、というのは後出しジャンケンの言訳であり、会社の構造的な欠陥を窓口担当者のミスにすり替えることになります。これでは再発を防止できるわけがありません。

NHKニュースが報じるところによると、これまでも窓口担当者は発症を報告していた人たちに対して皮膚科での診察を勧めていたそうで、会社側から医院を紹介していた、とのこと。「会社側は病院を紹介しましたが、病院側からは、利用者が持っている肌の病気と報告される場合が多かったことから、化粧品が原因とは認識せず、発覚が遅れた」と報じています。つまり、会社から紹介を受けた(会社と関係性のある?)医院の医師も、やはり会社側に対して「これはたいへんなことだ」と診断結果を報告することはかなりむずかしかったのではないかと推察されます(そもそも薬事法上の承認を得ている医薬部外品の化粧品の成分に問題あり、と断定する方向の意見は、通常の医師であっても困難ではないでしょうか)。

現に、カネボウ化粧品が今回自主回収を発表するに至ったのは、会社とは全く関係のない皮膚科医師より被害状況に関する報告がなされたことが原因です。会社とは何ら利害関係のない第三者の立場にある医師からの報告だからこそ、会社側は「これはまずい」ということになったものと思われます。

もし、最初に被害症例が報告されていた2011年ころから真摯に対応され、「被害のおそれがある」という段階で自主回収に出ていれば、多大な回収費用を必要とすることにはなりますが、一番大切なブランドイメージの毀損は防ぐことができたのではないでしょうか。リコール問題はメーカーにとって厳しい判断を迫られる場面ですが、社会的信用を守ることが大切な時代、そのあたりの経営判断について、どこの企業でも他人事では済まされない教訓を示している事例だと思われます。リスク判断を真剣に検討しれいれば、会社が本質的にもっている構造的欠陥、たとえば窓口担当者のバイアス問題や委託先医師の意見が会社寄りになってしまうリスクにも思いが至るかもしれません。今後の続報について注目しておきたいところです。

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2013年7月 3日 (水)

JICPAが「不正調査ガイドライン(公開草案)」を公表

本日(7月2日)、日本公認会計士協会(経営研究調査会)さんが不正調査ガイドラインの公開草案をリリースされました。「 日本公認会計士協会(経営研究調査会)では、公認会計士が実施する不正調査の業務が増えているものの、こういった不正調査業務が体系的に整理されていなかったことを踏まえ、現在一般的に不正調査業務で利用されている概念、手続及び手法について検討してまいりました」とのことで、意見を公募されています。70頁以上にわたる膨大な研究報告であり、このような体系的なガイドラインの素案をまとめてこられた研究会の皆様に敬意を表したいと思います。

まだチラっとしか眺めておりませんが、体系的には公認不正検査士協会(ACFE JAPAN)で、これまでまとめ上げたり、海外から紹介してきた理論が多数採用されているので、ACFEの理事を務めさせえていただいている私としましても感慨深いものがあります。この不正調査ガイドラインの広報により、カッコいい会計士さんが増えることを期待すると同時に、今後ますますCFE(公認不正検査士)の資格取得者が増えることを願っています。また、日弁連第三者委員会ガイドラインについても数か所において参照されているようですが、弁護士および会計士の協同作業が必要となる第三者委員会の活動について、双方の協議を行う上でも活用されるといいですね。

実際に不正調査を本業としている者としては、海外不正リスク、海外から訴えられるリスクへの配慮というものも含まれていたらいいかなぁと思います。たとえば海外子会社の会計不正事件の調査においては、証拠毀損による会社の不利益に配慮する必要がありますし、現地の(法人および従業員個人の)弁護士の秘密特権侵害のおそれもありますね。また、粉飾決算(証券詐欺)の不正調査においても、その調査委員会が会社とどのような関係にあるのか(会社の利益のための委員会なのか、それとも中立公正な第三者委員会なのか)といったところを(海外の司法当局や投資家から訴えられるリスクに配慮して)明確にしておく必要もあります。私も海外不正調査の専門家ではありませんので詳しいところまでは不案内ですが、初動対応を間違うと企業自身に更なるリスクを発生させてしまうので、気を付けておきたいところです。

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2013年7月 2日 (火)

コーポレートガバナンスとキャリアとしての監査役ポスト

本日(7月1日)の日経新聞朝刊のサーベイ欄にて、企業統治に関するインターネットアンケートの結果が公表されています。5年前と比べて、日本企業のガバナンス(企業統治)が「よくなった」と回答された方が21%(悪くなったと回答された方が11%)ということだそうで、その理由としては「社外取締役が増えてきた」ことを挙げた方が最も多かったようです。

ただ、グラフを良く読みますと、「よくなった」と回答された方も、「悪くなった」と回答された方も、今後のガバナンス向上のために必要なものは?との問いに対して「独立した取締役の選任」「社外取締役の増員」よりも、圧倒的に「監査役の機能強化」を挙げておられます。少しだけガバナンスが良くなった印象があるのは「社外取締役制度の効果」かもしれないけれども、本格的なガバナンス向上には、やはり監査役制度の向上ということが期待されている、ということなのでしょうか。

しかしその割には、あまりガバナンス問題の典型例である「監査役の乱」が話題になることは少ないように思います。今年も当ブログではベリテ社の事例を何度か取り上げました。ブログ右のコメント欄をご覧の通り、当ブログにお越しになる方の間ではとても注目された案件でしたが、株主総会の結果も報じられず、世間的にも関心を寄せられることはありませんでした(監査役の監査環境の整備、向上を願う者のひとりとして、とても残念ではありますがこれが現実なのでしょう)。

ガバナンス向上に必要なものとして「監査役の機能強化」が期待されていることはアンケートの結果でわかりましたが、私は前から申し上げるとおり、ガバナンス向上のためには、監査役の機能強化よりも監査役の監査環境の整備のほうが重要だと思います。監査環境が整備されなければ、いくら機能を強化しても監査役の権限は「宝の持ち腐れ」「絵に描いた餅」にすぎないからです。(以下、本題に入りますが、本日のエントリーは少しムッとされる方もいらっしゃるかもしれません。あくまでも私の個人的見解でありまして、推測にわたるところも多いことをあらかじめ申し上げます。)

ところで、これは監査環境という問題とは離れますが、実際に監査役が機能している企業とそうではない企業との見分け方のひとつとして、監査役のキャリアに関する企業慣行のようなものが挙げられるものと思います。監査役制度を重視する傾向にある企業では、それなりに監査役さんのキャリアにも影響が出ているのではないか、といったお話です。

すなわち、監査役というポストが、当該企業の執行部においてどの程度重視されているかという点は、常勤監査役(常任監査役)のポストにどのようなキャリアの方が座るか・・・というところである程度わかる、というものではないかと。たとえば取締役執行役員だった方が監査役に就任するのが慣行だとすると、違法性監査を超えて妥当性監査にまで積極的に踏み込む方が多いようで、執行部も監査役の意見を尊重する傾向にあります。また、監査役が「上がり」のポストではなく、その後親会社の取締役や重要子会社の代表者に就任するような慣行のある会社も結構ありますが、こういった会社でも、監査役さんには「大過なく過ごす」ことよりも「積極的に職務をこなす」ことが期待されているようで、執行部のメンバーも監査役の意見には真摯に耳を傾けることが多いように思われます。

いっぽう、重要な取引先から監査役として迎えられる方は、4年の任期も満了せずに、派遣先の人事政策によって辞任に至るケースも多いので、どうも積極的な監査権限の行使は期待できない傾向があるように思います(もちろん推測です、そうでない方もいらっしゃいますので、これは一般論として、ということで)。監査役キャリアに関する会社慣行によって、結局のところ、執行部は監査役に対してどのような意識を持つのか、かなり変わってくるのではないでしょうか。また、これが監査環境の整備状況にも影響を及ぼすのではないかと考えています。

最後になりますが、10年ほど前までの、いわゆる事後監査中心主義による監査役監査が主流の時代の感覚を持った執行部の方々がまだまだ多いのには驚きます。2000年前後から、日本の監査役監査もリスク・アプローチが主流となり、いわゆる事前監査の手法を採り入れた監査となりました。海外の思想による影響からかもしれませんが、リスク管理は後ろ向きの仕事ではなく、経営判断と密接に結びついた前向きの仕事に変わりつつあります。このことにいち早く気づいた会社は監査役さんのキャリアにも配慮するようになってきたように思います。

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2013年7月 1日 (月)

インサイダ-取引規制における重要事実の「公表」の内容について

5月28日に、エルピーダメモリの増資などを巡るインサイダー取引に関する金融商品取引法違反の事件で、東京地裁は、経済産業省元審議官の方に有罪との判決を下したそうです(なお、判決直後に被告人側は控訴されたとのこと)。

この事件では、被告人側は、2009年4~5月にエルピーダ社など2社の株を購入する前に、2社の増資や合併に関する複数の報道があったり、会社側が「増資を検討したい」と発表したりしたことから、「重要事実は既に公表されている」と主張していたのですが、裁判所はこの主張を採用しなかったようで、「検討する」という程度では、いまだ会社側が重要事実を公表したことにはならず、会社関係者と一般投資家との間における情報の格差が生じていた、として被告人側の主張を排斥したそうです。

どの程度の事実が公表されれば「公表」がなされたといえるかは、インサイダー取引規制の趣旨に照らして解釈されるべきですから、被告人側の主張を採用しなかった地裁の判断は正当だと思います。しかし、実際のところ金商法166条4項における「公表」の内容については、いったい重要事実がどの程度まで明らかにされていれば「公表」にあたるのかは明記されていません。したがって、どの程度の事実が開示されれば金商法166条の「公表」がなされた、といえるかは法律上の論点になりうるものと考えます。ちなみに金商法166条の関連条文は以下のとおりです。

第166条 次の各号に掲げる者(以下この条において「会社関係者」という。)であつて、上場会社等に係る業務等に関する重要事実(当該上場会社等の子会社に係る会社関係者(当該上場会社等に係る会社関係者に該当する者を除く。)については、当該子会社の業務等に関する重要事実であつて、次項第5号から第8号までに規定するものに限る。以下同じ。)を当該各号に定めるところにより知つたものは、当該業務等に関する重要事実の公表がされた後でなければ、当該上場会社等の特定有価証券等に係る売買その他の有償の譲渡若しくは譲受け又はデリバティブ取引(以下この条において「売買等」という。)をしてはならない。当該上場会社等に係る業務等に関する重要事実を次の各号に定めるところにより知つた会社関係者であつて、当該各号に掲げる会社関係者でなくなつた後1年以内のものについても、同様とする。

4 第1項、第2項第1号、第3号、第5号及び第7号並びに前項の公表がされたとは、上場会社等に係る第1項に規定する業務等に関する重要事実、上場会社等の業務執行を決定する機関の決定、上場会社等の売上高等若しくは第2項第1号トに規定する配当、上場会社等の属する企業集団の売上高等、上場会社等の子会社の業務執行を決定する機関の決定又は上場会社等の子会社の売上高等について、当該上場会社等又は当該上場会社等の子会社(子会社については、当該子会社の第1項に規定する業務等に関する重要事実、当該子会社の業務執行を決定する機関の決定又は当該子会社の売上高等に限る。以下この項において同じ。)により多数の者の知り得る状態に置く措置として政令で定める措置がとられたこと又は当該上場会社等若しくは当該上場会社等の子会社が提出した第25条第1項に規定する書類(同項第11号に掲げる書類を除く。)にこれらの事項が記載されている場合において、当該書類が同項の規定により公衆の縦覧に供されたことをいう。

たとえばA社とB社が合併する、という重要(と思われる)事実についても、「A社とB社が近々合併することを決定した」との事実を開示するだけでは足りず、合併の条件等も具体的に明らかにされることが必要とされています。単に合併の事実だけが開示されたとしても、一般投資家がどのような判断を下すべきかは明らかにならないからです。とりわけ会社にとって重要と思われる事実であっても、インサイダー規制の上では「軽微基準」の対象とされる場合があります。売上高基準などが軽微基準とされている場合には、合併事実によって当社の売上高にどれだけの影響が出るのか、そこまでの情報が明らかになる必要があるのではないか、といった問題も生じます(このあたりは争いのあるところです)。

実際のところ、重要事実の「公表」がなされたと認められるためには、一般投資家の投資判断に影響を及ぼすべき事実の内容がすべて具体的に明らかにされ、一般投資家において会社関係者等と対等な立場で投資判断をおこなうことができる状態にすることが必要だと考える立場がある一方で、一般投資家において会社関係者と対等な立場で投資判断を行うことができるまでの情報開示は必要とはいえない、とする立場もあります。本事件の例ではそれほど異論が出ないかもしれませんが、「公表」の内容について真剣に考えますと、取引関係者の不公平感というものをどう考えるのか、市場の秩序維持という点からみればどちらが妥当か、といったあたりの主観的な考え方によって見解が分かれるものと思いますし、かなり難しい問題を含んでいるように感じます。

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