大王製紙前会長が最後まで被害弁償できなかったものがある。
大王製紙の連結子会社から106億8000万円を資金流出させ、会社法違反によって実刑判決が確定した大王製紙前会長井川意高氏による告白書(懺悔録)を読み終えました。
「熔ける-大王製紙前会長井川意高の懺悔録」(井川意高著 双葉社 1,400円税別 なお印税はすべて社会福祉事業に寄付)
意高氏の幼少のころの話から、高校・大学生時代、御曹司経営者としての交遊関係、そして事件の内容まで、かなり赤裸々に綴られています。マスコミから興味本位で報じられたところもありましたので、その報道に対する反論にも力が入っているような印象を受けました。そしてなによりも本題が「溶ける」ではなく「熔ける」とされているとおり、カジノという高熱を発する触媒によって人生が熔けていく様子を語る部分は圧巻です。家族旅行でわずか50万円を賭けて楽しんでいた経営者が、寝食を忘れてシンガポールのVIPルームで20億円をあっという間に失ってしまうギャンブラーになるまでの経過には戦慄を覚えます。
どうして100億円以上ものギャンブル資金を子会社から調達したのか、というところの意高氏の心境については、以前このブログでも推測したところが当たっていたように思います。子会社といっても、大王製紙の保有持分よりも創業家持ち分のほうが大きいわけで(会計上は実質持ち分が大王と創業家合わせての支配率計算)、まさに「自分の財布」という感覚だったそうです。そしてもうひとつは、決して「運転資金」に手をつけたのではなく、(過去の大王製紙倒産の教訓を生かして保有していた)「余裕資金」の範囲で資金調達を指示していた、とのこと。いくら子会社といえども、運転資金にまで手をつけるつもりはなかったと弁明されています。
私個人として、この意高氏の著書を読みたいと思ったのは、意高氏が子会社から多額の融資を受けていたことを取締役会、監査役会、そして監査法人が知っていたにもかかわらず、どうしてもっと早く内容を確認して止めることができなかったのか、ということへの関心からでした。この点について、事件を発生させた前会長がいろいろと意見を述べているわけではありませんが、事実として何もできなかったことが明らかになっています。不正摘発が監査法人の仕事ではありませんので、監査法人が事実を追及しなかったことについてはそれほどの疑問も生じませんが、やはり監査役会そして取締役会において、いくら創業家会長のこととはいえ何もできなかったというのは残念というほかありません。実際、事件発覚後の大王製紙特別調査委員会の事実認定と、この意高氏の告白事実とを比較しますと、重要部分において食い違う部分もあるため、大王製紙事件におけるモニタリングは果たしてどのようなものだったのかは、未だわからないところが多いように感じます。
若くして大王製紙の取締役に就任する意高氏が、年間70億円ほどの赤字に苦しむ同社家庭紙事業部門の責任者になります。そのとき、永谷園や大正製薬のトップリーダーの方々の教えを受けて同社のブランド戦略に心血を注ぐことになります。他社製品と品質に差がないにもかかわらず負け続けている現状を打破するために、宣伝広告に売り上げの10%以上をつぎ込み、同社のブランドを向上させることで、「商品と顧客ではなく、企業と顧客との信頼関係を築くこと」に挑戦します。その結果、意高氏および大王製紙社員の努力が実を結び、その後同社家庭紙部門は50億円の黒字となり、まさに大王製紙のブランドを上げることに成功しました。
意高氏が裁判を振り返るシーンにおいて、被害額のすべてを返済したことで、執行猶予の期待があったことを述懐しています(周囲からもそのような希望的な意見が出ていたようです)。私自身も「全額弁償しても執行猶予がつかない(実刑判決)となれば、高額の財産犯事件において『隠したほうが得』と加害者が考えてしまう風潮を残してしまうのではないか」とも考えました。しかし結果は懲役4年の実刑判決が確定しました。意高氏は、やはり世間を騒がせた事件になったのだから、いくら社会的制裁を十分に受けているとはいえ、裁判所も世間に迎合する判決はやむをえないとしています。
しかし私は(本書を読んだ感想として)意高氏が未だ被害弁償を済ませていないのでは、と考えてます。上述のように、意高氏は自らの努力によって大王製紙のブランドを向上させてきました。このブランドは間違いなく、大王製紙固有の無形資産です。しかしながら、経営トップがカジノで会社資産を流用したというコンプライアンス違反によって、このブランドは毀損されました。残念ながら、いくら流出金額のすべてを返済したとしても、この失われたブランドの損失は返済されていません。流出された金額の大きさということだけでなく、名門企業だからこそ失ってしまったブランドという資産の大きさが、意高氏に実刑判決が下された原因のひとつではないかと思います。
意高氏に逮捕状が執行され、最初に小菅の拘置所に差し入れに訪れたのは、それまでに面識のあった堀江貴文氏だったそうです。厚手の座布団の差し入れがたいへんうれしかったとのこと。本書を意高氏が世に出したことへの意見は賛否両論あることはわかりますが、私も堀江氏が本書の帯に記しているように、意高氏にも復活戦にチャレンジできる日が来るのではないかと、ひそかに思っています。
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コメント
大王製紙前会長井川意高氏による告白書(懺悔録)の紹介、興味深く拝読しました。できれば、私も読んでみたいと思います。
あまりにも派生的な話かも知れませんが、シンガポールのVIPルームで20億円をあっという間に失ってギャンブラーになるのは、もしかして、金額の大小はあるが、誰もが陥ってしまう可能性があるのかもと感じます。
日本にカジノを開設(誘致?)との意見を聞くことがありますが、もしカジノを認めれば、そこでは賭博が合法となるのであり、20億円をあっという間に失っても、そのこと自身は、どうってことはない。世界中にそんな悪魔の誘惑と誘惑をえさにたむろする悪も存在するので、どうってことはない。しかし、日本の社会が、そのような世界に一歩近づくことについて、多くの人はどう考えるのかと思いました。
投稿: ある経営コンサルタント | 2013年11月18日 (月) 14時11分
「ブランドは間違いなく、大王製紙固有の無形資産」です。しかし、「自社ブランド」は財務諸表(貸借対照表)には通常表示されません。トヨタの財務諸表を見ても、ソニーの財務諸表を見ても、どの会社の有価証券報告書を隅々まで見ても、どこにも金額として書いてありません。「当社のブランド力を向上できました」と記載があったとしても「当社のブランド力を10億円向上できました」という記載はお目にかかれません。
では、ブランドという資産の損失は金額で示せるのでしょうか?
・純資産額?
・株式の時価総額?
・借入限度額?
・会社の各種評価方法(デューデリ)…?
ブランド(ブランド力)を測るモノサシがはっきりしない(明確に1つに決められない)のはある意味不思議なことです。測れないのに「向上した」「毀損した」と表現できるのですから。
ブランド、開発技術力、従業員の士気、経営者の矜持…とおそらく会社経営には欠かせないものでも財務諸表に金額表現できないのものはいろいろあります。金額表現できないゆえに、「損失」がどのくらいで、どういう状態になったら「損失を返した」と言えるのか、悩ましいものだと思います。
大王製紙の取引先がこの事件を契機としてどのような対応をしているのかはわかりませんが、「商品と顧客ではなく、企業と顧客との信頼関係」が続いているのであれば、大王製紙ブランドは存外損失していないと言えるのかもしれません。
しかし、信頼関係が崩れていて、今後、意高氏が「大王製紙ブランドの回復」に取り組むのであれば、意高氏の復活戦は意高氏が自身への信頼をいかに勝ち取るのかにかかっているのではないかとも思うのです。
投稿: 会計利樹 | 2013年11月19日 (火) 21時41分
ブランド=のれん代は、企業買収のときに顕在化して
買い手企業の貸借対照表に表れるし、
のれん代は計算可能なので、その損失額も計算可能。
顕在化していなくても、
社債発行や銀行借入の際に影響がある。
投稿: JJJ | 2024年6月 2日 (日) 10時11分