« 裁判官の「クロ心証」を「灰色認定」で解決する極意 | トップページ | 「気がつけば我が社も粉飾企業」と後悔しないための経営者の知恵 »

2014年3月 5日 (水)

入社受験料制度の継続を巡る「ドワンゴ社の乱」

ひさしぶりの「闘うコンプライアンス」シリーズです。動画投稿サイトを運営するドワンゴ社が2015年春採用の入社試験の応募者から受験料を徴収する制度を導入したことについて、厚生労働省は「学生の就職活動が制約を受ける恐れがある」などとして、16年春採用から取りやめるよう求めているそうです(概要を伝える中日新聞ニュースはこちら)。これに対してドワンゴ社は、「現段階では自主的に入社受験料制度を中止するつもりはなく、来年度も継続したいと考えています。」と、厚労省の助言については当面従わないことをリリースしています(ドワンゴ社のリリースはこちら)。

厚労省の要請は職業安定法48条の2に基づく(つまり法律に根拠を置く行政指導としての)口頭での助言ということのようです。職安法が(職業紹介、職業訓練だけではなく)労働者募集を規制する趣旨は「労働力需給取引の公正の確保」にあります。ニュース等では、労働者募集時における勧誘者の報酬受領の禁止(職安法39条)が問題とされているようですが、労働力取引(受給)の公正性が害するおそれのある場合に、企業の(労働者募集に関する)業務の適正を確保するために行われる行政指導なので、39条の「報酬」にあたるかどうか、ということよりも、このような入社受験料の徴収制度が労働力取引の公正を害するかどうか、という実質が問題となるのではないかと。

職安法2条は労働者の職業選択の自由を、また同3条は労働者募集(勧誘)にあたり差別的取扱い禁止を規定していますので、このような規定の趣旨に反するような業務をドワンゴ社がしないように(業務の適正を確保するための)指導・助言をします、というのが厚労省の考え方かと思います。なお、39条違反(報酬受領の禁止)の企業行動については、同法65条、67条で行為者、法人とも刑事罰の対象となっているので、憲法31条により「報酬」については明確が定義が求められるはずです(ちなみに「労働者募集取扱要綱」が、「報酬」の解釈基準を示していますが、ドワンゴ社の場合、受験料を「2525円」とした根拠、受験者の居住地域によって受験料をとらない扱いをしていることから、単純に「採用試験の手数料」には該当しないと思います)。

こういった職安法の解釈からしますと、ドワンゴ社が「今後は(入社受験料制度を廃止することなく)、平成25年度の結果をみながら厚労省とは意見交換を行ってまいります」とする見解は、職安法の制度趣旨との関係ではそれほど間違った対応ではないように思います。ただ、入社受験料を徴収した行為の私法上の有効性は別なので、2525円の受験料を支払った方との受験契約は、公序良俗違反(民法90条)により無効ではないかとの見解も聞かれそうです。職安法の制度趣旨は法規に基づく行政指導と業務改善命令、そして刑事罰によって担保されるのか(純粋な取締規定)、それとも前記職安法2条、3条により、私法上の効力にも影響を及ぼすものなのか。ドワンゴ社の入社受験料制度の私法的効力を維持することが、社会の「労働力取引の公正」を害することを助長するものであるならば、その効果を裁判所はどう考えるのか・・・、といったあたりが(憲法の私人間効力の理屈なども含めて)法律上も問題となりそうな気がします。

「闘う」という言葉の意味は本件では正確ではないかもしれませんが、企業コンプライアンスの視点からは今後のドワンゴ社のステークホルダーへの対応がとても興味深いところです。

|

« 裁判官の「クロ心証」を「灰色認定」で解決する極意 | トップページ | 「気がつけば我が社も粉飾企業」と後悔しないための経営者の知恵 »

コメント

本件では、あまり小難しいことを考えるまでもなく、対象者の絞り込みに金銭を用いることの是非を、当たり前の発想として吟味していれば、ほかの方法に行き着いたのではないかと思います。
非常に単純化していってしまえば、「もっと他にやりようがあるだろうに。」という程度に感じます。

事前に私がこんな相談受けたら「生きているうちに頭を使え」と追い払いますね。
法律的にどうか、際どいのだろうか、とか考えなければいけない手法は、そもそも他に選択肢がないときならともかく、それ自体がいの一番に考えるべき手法ではない、という疎明になると思っています。

投稿: 場末のコンプライアンス | 2014年3月 5日 (水) 10時59分

ドワンゴの大株主の1つは日本テレビ放送網ですが、大手マスコミを代表する企業としてこんなことを許しといていいものなのか。
常識で考えれば分かりそうなことであって、他の会社も同じようなことをした場合、数十社を受験せざるを得ないような求職者、就職難民は数十万円もの負担を余儀なくされることになるわけで、他の、もっと根本的な手段を考えるべきだと、小生も思います。

投稿: 機野 | 2014年3月 5日 (水) 11時43分

場末のコンプライアンスさん、機野さん、ご意見ありがとうございます。管理人として、ズバッと言えないところを常連の皆様に意見として書いていただきまして、なんとも恐縮です。コンプライアンスの視点からは、ステークホルダーのひとつである大株主との関係でどう考えるべきでしょうかね。
「対象者の絞り込みに金銭を用いることの是非を、当たり前の発想として吟味していれば」
このあたり、事前相談を受けた(ステークホルダーのひとつである)厚労省の担当者はどのように考えたのか、とても知りたいところです。

投稿: toshi | 2014年3月 5日 (水) 12時11分

Toshi先生に反旗を翻すようで恐縮ですが、厚労省の担当者が考える話でもないかと思っています。確かにステークホルダーではあるものの、(実質的ないし潜在的)監督権限を有する立場にある者が、事前に踏み込んだ話をするには、悩ましいところでしょう。

役所の事前相談を「錦の御旗」にすることは、止むを得ない選択の結果で事前照会するべき場合はともかく、それ以外は、他人への責任転嫁にしか過ぎないかと。

投稿: 場末のコンプライアンス | 2014年3月 5日 (水) 13時01分

これってそんなに非難されるようなことなのでしょうか?人気企業の立場からすれば、採用に要する費用を最適化したいというのは当然のことであって、ステークホルダーは支持すると思うんですけれど。
大学の受験料と同じことじゃないんですかね。大学の受験料がタダだったら東大,京大の負担は大変なものになると思うし、一体だれがその費用を負担するんですか?ということじゃないんでしょうか?

投稿: skydog | 2014年3月 5日 (水) 21時55分

大学は学生がカネを払って教育というサービスを受ける場所です。受験料や学費を払うのは当然です。

企業は違いますでしょ?全く。。

労働者が企業に就職するのに、いったい何で、手数料を払うという考え方が出てくるのでしょうか?

投稿: 機野 | 2014年3月 6日 (木) 11時30分

今思い出しましたが、いしいひさいちのマンガ(二十年以上前のもの)で、

就職できずに苦しむ学生が、三井物産の担当者から
「うちに入りたいのなら入れるよ」
と云われて狂喜するも、
「はい、会費、月10万円ね」
と云われるというのがありました(笑)。

投稿: 機野 | 2014年3月 6日 (木) 11時36分

組織と構成員という関係では、大学は学生にサービスを提供して学生が大学に対価を払う場所。企業は社員が労働を提供して企業から対価を受け取る場所。つまりサービスと対価の流れが全く逆です。

でもエントリーの段階はどうでしょう?大学も企業も構成員を選抜するためにコストを掛けているということに違いがありますか?
それを大学は受験料を徴収するから「みんな自分に見合った大学を受験する」のに、企業の入社試験はタダだから人気企業に殺到しているんじゃないですか。

就職難民が数十万円の負担をする訣がないじゃないですか。それは「オレ、50も大学を受けたのに1つも受からないよ」という受験生がいないようなものです。

(なお、上記はあくまでコストと負担者についてのみのコメントであり、法的な側面については考慮していません)

投稿: skydog | 2014年3月 7日 (金) 19時37分

> 就職難民が数十万円の負担をする訳がないじゃないですか。

就活している学生さんが身近においでにならないのですね。
数十万円だろうが、場合によっては数百万円だろうが、払いかねないほど、追い込まれているのですよ、今の学生(とその親御さん)は。

人気企業に殺到するのは今に始まったことではありませんが、各社ウェブで受付をするようになったことがそれに輪をかけている気がします。

投稿: 機野 | 2014年3月11日 (火) 11時47分

キリがないので、これでコメントは打ち止めにします。

私の周囲には数百万円を払いかねないほど思いつめた方々はいらっしゃらないですね。前年も甥が「叔父さんの勤めている会社(東証一部)に入れないかな?」と聞くので、「お前のやりたい仕事はウチにはないよ。気に入らない仕事でも一生懸命にやるなら会社に話をするけど、一度きりの人生だから自分のやりたい仕事ができる会社を選んだらどうかな?いずれにせよ自分で決める事だ」と言ったら、規模は小さいけれど希望の職種がある会社に入社しました。

思うにドワンゴのこの件は「正しい」「許せない」といったアプローチではなく、コストと負担者の観点で見た方が適切だと思います。なぜならばtoshi先生が今日の日本監査役協会の講習の前半最後に仰ったように「社会的要請(世間の目)はコロッと変わることがある」からです。

入社受験料に数百万円を費やすのも、その方々の自由だと思います。我が国では公共の福祉に反しない限り、行動の自由が保証されている筈ですから。
でもそんな方々には「もっと肩の力を抜いたらどう?」と言って差し上げたいですね。

なお本件に関して法的な面は考慮していませんが、もし法的に抵触するのであれば、法を変えるべきではないかと思います(闘うコンプライアンス?)。

投稿: skydog | 2014年3月12日 (水) 23時34分

私もこれで打ち止めにします。

「肩の力を抜いたほうがいい」「著名企業ばかり狙うのは止めた方がいい」
それはもう仰る通りです。そういうアドバイスをすべきでしょう。
が、ここで問題なのは、企業側の姿勢であり、
「矜持」であります。そしてコンプライアンス上の問題であります。

「いかなる理由があれど、職を求めてくる者から、決してお金を貰ってはならない」

これは社会の公器たる企業が、絶対に、絶対に、絶対に守らねばならない一線であります。法律以前の問題です。

投稿: 機野 | 2014年3月14日 (金) 09時06分

もし、自分の望む企業に入社できるならお金を支払ってもいいと思う学生は多いと思います。それほどにまで追い詰められています。
ただ、学生の目線から思うのは、果たしてそれが企業のあるべき姿なのかということです。学生からお金を集めるような企業は果たしてどうでしょうか?もしドワンゴに入社して活躍したいと思っている学生から面白おかしく2525円手数料として集めているなら、それは大人がやるべき行為でしょうか?
法律家のブログでこんなことを申し上げることは野暮かもしれませんが、対価やサービス、法律、そんな難しいことは一旦置いておいて、学生に対して企業の取るべき行動、学生に対しての大人としての行動として果たして今回の件は正しい行為何でしょうか。

この行為は、コストとベネフィットの観点から問題を捉えるのが正しいと考える大人はいるかもしれませんが、学生の自分からしたらあまりにも格好悪い行為だと思います。

最後にコメント受け付け終了しているのに蒸し返してしまい申し訳ございません。

投稿: 学生 | 2014年6月15日 (日) 02時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 入社受験料制度の継続を巡る「ドワンゴ社の乱」:

« 裁判官の「クロ心証」を「灰色認定」で解決する極意 | トップページ | 「気がつけば我が社も粉飾企業」と後悔しないための経営者の知恵 »